京都市
京都府庁所在地 ウィキペディアから
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京都市(きょうとし 地元発音)は、京都府南部にある市。京都府の府庁所在地及び人口が最多の市で、政令指定都市である。市域は11の行政区から成り、人口約144万人。
きょうとし 京都市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 京都府 | ||||
市町村コード | 26100-9 | ||||
法人番号 | 2000020261009 | ||||
面積 |
827.83km2 | ||||
総人口 |
1,437,377人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 1,736人/km2 | ||||
隣接自治体 |
宇治市、長岡京市、南丹市、亀岡市、向日市、八幡市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町 滋賀県:大津市、高島市 大阪府:高槻市、三島郡島本町 | ||||
市の木 | |||||
市の花 | |||||
市の歌 自治記念日 |
京都市歌 10月15日 | ||||
京都市役所 | |||||
市長 | 松井孝治 | ||||
所在地 |
〒604-8571 京都府京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地 北緯35度00分42秒 東経135度46分05秒 | ||||
外部リンク | 京都市情報館 | ||||
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特記事項 |
市章:1960年(昭和35年)1月1日制定 略章:1891年(明治24年)10月2日制定 | ||||
ウィキプロジェクト |
京都(平安京)は794年(延暦13年)の平安遷都から1869年(明治2年)の東京奠都までの約1080年にわたって日本の首都であった[1]。1000年余りの間、平安時代の国風文化を始めとした日本文化の中心地であり続け、東京奠都後は戦災を逃れた往時の文化財や伝統文化が継承されてきた。現在でも新旧含め宮内庁所管の京都御所および京都仙洞御所等が所在する位置付けから2023年には文化庁が移転された経緯を含め、日本を名実共に代表する古都として「千年の都」や「千年余りの都または古都」とも評される[2]。
市域は令制国で言えば山城国葛野郡・愛宕郡・紀伊郡の全域、山城国宇治郡・乙訓郡・久世郡・綴喜郡と丹波国桑田郡の一部に及んでいる[* 1]。
京都府で最も人口が多い都市であり、府の人口の57%を占める(2024年10月1日)。都道府県全体の人口の過半数を占める都市は、東京23区を除けば全国で京都市のみである。都市圏としては、京都府・滋賀県などに広がる京都都市圏[3] および京滋の中核であるとともに、大阪市を中心とした京阪神大都市圏(近畿大都市圏)の一角を担う。都市雇用圏の基準では、京都都市圏の人口は280万人で京都府より多く、東京都市圏、大阪都市圏、名古屋都市圏に次ぐ日本第4位の規模である[* 2]。内陸の市町村としては数少ない政令指定都市であり、北海道の札幌市(人口195万人)に次いで人口が多い。
794年(延暦13年)に日本の首都になった平安京を基礎とする都市で、1869年(明治2年)に明治天皇が東京行幸(東京奠都)するまでの約1080年にわたって皇室および公家が集住したため「千年の都」との雅称で呼ばれる。現代でも京都市では双京構想を掲げている(首都に関する議論は「日本の首都」を参照)。平安時代、室町時代の室町幕府期には日本の政治が執り行われた中心地であり、鎌倉時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代の幕末期などにおいても、日本の政治の中心の一つとして大きな役割を果たした。
平安時代から江戸時代前期までは日本最大の都市であり、その市街地は「京中」、鎌倉時代以降は「洛中」と呼ばれ、都市としては「京」「京の都」「京都」と呼ばれた。江戸時代には三都(江戸・大坂・京)、明治期には三市(東京市・大阪市・京都市)、大正期以降は六大都市(東京市・横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市)の各々の一角を占め、第二次世界大戦後には政令指定都市になった。このような中で都市生活者向けの商工業が発達し、特に国内流通が活発化した江戸時代には、全国に製品を出荷する工業都市となる一方、数々の技術者を各地の藩の要請に従って派遣した。その伝統は現在も伝統工芸として残っているのみならず、京セラや島津製作所、オムロン、ニデック(旧 日本電産)など先端技術を持つ企業をはじめ、任天堂やワコールなど業界トップクラスの本社が集まるなど、現代産業を支えている地域の一つである。日本初の水力発電所である蹴上発電所を備えた琵琶湖疏水や、日本初の電車営業を行なった京都電気鉄道(後の京都市電、現在は廃止)を開業させるなど、明治以降の近代化にも積極的であった。
第二次世界大戦の戦災被害を免れた神社仏閣、古い史跡、町並みが数多く存在し、宗教・貴族・武家・庶民などの様々な歴史的文化や祭りが残る。その特徴により文化庁が設置され[4]、文化首都を標榜する[5]。国内外の観光客が訪れる観光都市として国際観光文化都市に指定されている。旧市街地を中心に建物の高さ規制や広告表示の制限がなされ、古い街並みが保全されている。さらに、旧帝国大学の京都大学をはじめとする多数の大学が集積し、国内外から学生や研究者が集まる日本有数の学生街・学園都市ともなっている[* 3]。
京都府の南部に位置する内陸都市で、市内を賀茂川(途中で高野川と合流して鴨川と名前を変える)、桂川、宇治川などが流れる。政令指定都市および日本の百万都市では唯一、盆地に位置している。森林が市域の4分の3を占め[6]、市内には日本で最も高い木が生える[7]。
平安京の名残で街路が東西南北に直交する碁盤の目状の街並みが特徴である。北から南にかけて一条通から十条通が東西方向に走っている。市内中心部は四条通付近である。四条河原町(四条通と河原町通の交差点付近)は市内で最大の繁華街であり、歓楽街の祇園やビジネス街の四条烏丸と隣接している。四条通一帯は「田の字地区」と呼ばれ、概ね中心市街地にあたる。西日本屈指のターミナル駅である京都駅は市街地南部の七条通と八条通の間に位置しており、四条河原町や四条烏丸などの市内中心部からは離れている。金閣寺や清水寺などの観光地は中心市街地の外縁部に点在していることが多い。景観保護の観点から建物の高さや看板広告などに規制が設けられているが、観光名所から一歩出ると看板と高さ以外は他地域と大差ないコンクリートビルが立ち並ぶエリアが多い。
高さ規制により大都市でありながらタワーマンションは存在しないが、高さ制限により住宅戸数が制限されていることやオーバーツーリズムを引き起こすほどの観光客の増加により、利便性が高い中心部は地価が上昇し、ファミリー層の転出要因の一つであると指摘されている[8]。2021年には人口減少数が全国ワーストを記録した[8]。そのため京都市は一部地域で高さ制限を緩和する等の対策を打っている[9]。
滋賀県の県庁所在地である大津市に隣接しており、都道府県庁間は京都府と滋賀県が全国で最も短い[10]。琵琶湖線(東海道本線)の京都駅と大津駅は2駅10分の近さであり、京都市外から市内への通勤者は大津市が最も多い。
京都市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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京都盆地(山城盆地)に位置しているため、太平洋側気候、日本海側気候、瀬戸内海式気候、内陸性気候のそれぞれを併せ持ち、夏と冬、昼と夜とで温度差が大きい。「京の底冷え」と言われるように冬の寒さは厳しい印象があるが、主要都市や関西の中でも取り立てて低温ではなく、京都地方気象台(中京区西ノ京笠殿町)のある中心街はヒートアイランド現象が顕著になり、かつてのような底冷えにはならない。最寒月(1月)の平均気温は4.8℃、平年最低気温は1.5℃であり、関西では大阪市、神戸市、和歌山市よりは低いものの、奈良市や大津市よりは高い。ただし市内でも郊外は中心部に比べて寒さは厳しく、特に同じ盆地内でも北の方ほど寒く、市内中心部では降雪がなくても左京区の岩倉や大原、北区の原谷などでは積雪や氷点下となっていることがある。北部の山間部(旧京北町など)は日本海側気候の影響もあり、冬季の1.0mm以上の降水日数が京都市街地の2倍以上となり、雪の日も市街地より多くて寒さが厳しい。市街地では積雪しても数cm程度のことが多い。2015年元日から1月3日にかけては大雪に見舞われ、61年ぶりとなる22cmの積雪を記録した[11]。市中心部より南にある伏見区ではさらに雪が少ない。
一方、夏は暑さが大変厳しい。特に日中の気温が非常に上がりやすく、39℃台の記録も多数ある。2018年7月19日には過去最高気温に並ぶ39.8℃を記録した。熱帯夜の年間平均日数は27.2日となっており、名古屋市(25.6日)よりは若干多いが、大阪市(41.5日)や神戸市(46.8日)よりは少ない。2024年には猛暑日と熱帯夜の日数がともに50日を超えた。日本国内で年間の猛暑日と熱帯夜の日数がともに50日を超えたのは京都市と、岐阜県大垣市だけである。さらに同年10月には25℃を超える夏日が161日目となり、年間夏日数の観測史上最多を更新。1年の約45%が「夏」という、四季の概念が崩れるような気候となっている[12]。
同じ京都市内といえども、北部の山間部と南部の市街地では分けて考える必要がある。市街地に限れば、年間を通して大阪市よりやや気温が低く雨量は多く、名古屋市とは気温は同程度で雨量はやや少ない、という程度の気候である。ただ、市街地(市中心部)も丹波高地の影響を受けて太平洋側気候と日本海側気候の境目で他の近畿地方の主要都市よりも不安定で、夏は大気の不安定さや湿った空気、冬は日本海からの雨雲や雪雲などで曇りがちで、特に夏場は瀬戸内海からの風と伊勢湾からの風、若狭湾からの風がぶつかる影響で頻繁に夕立になる事が多い。京都人はこれらの夕立を「丹波太郎」「山城次郎」などと呼んでいる[13]。京都の夏季(5、6、7、8、9月)における平均雷日数は15.9日で、奈良の17.2日や豊岡(兵庫県)の16.9日と比べると少ないものの、彦根(滋賀県)の14.6日より多い。
京都市(京都地方気象台)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.9 (67.8) |
22.9 (73.2) |
25.7 (78.3) |
30.7 (87.3) |
34.9 (94.8) |
37.2 (99) |
39.8 (103.6) |
39.8 (103.6) |
38.1 (100.6) |
33.6 (92.5) |
26.9 (80.4) |
22.8 (73) |
39.8 (103.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.1 (48.4) |
10.0 (50) |
14.1 (57.4) |
20.1 (68.2) |
25.1 (77.2) |
28.1 (82.6) |
32.0 (89.6) |
33.7 (92.7) |
29.2 (84.6) |
23.4 (74.1) |
17.3 (63.1) |
11.6 (52.9) |
21.1 (70) |
日平均気温 °C (°F) | 4.8 (40.6) |
5.4 (41.7) |
8.8 (47.8) |
14.4 (57.9) |
19.5 (67.1) |
23.3 (73.9) |
27.3 (81.1) |
28.5 (83.3) |
24.4 (75.9) |
18.4 (65.1) |
12.5 (54.5) |
7.2 (45) |
16.2 (61.2) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.5 (34.7) |
1.6 (34.9) |
4.3 (39.7) |
9.2 (48.6) |
14.5 (58.1) |
19.2 (66.6) |
23.6 (74.5) |
24.7 (76.5) |
20.7 (69.3) |
14.4 (57.9) |
8.4 (47.1) |
3.5 (38.3) |
12.1 (53.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −11.9 (10.6) |
−11.6 (11.1) |
−8.2 (17.2) |
−4.4 (24.1) |
−0.3 (31.5) |
4.9 (40.8) |
10.6 (51.1) |
11.8 (53.2) |
7.8 (46) |
0.2 (32.4) |
−4.4 (24.1) |
−9.4 (15.1) |
−11.9 (10.6) |
降水量 mm (inch) | 53.3 (2.098) |
65.1 (2.563) |
106.2 (4.181) |
117.0 (4.606) |
151.4 (5.961) |
199.7 (7.862) |
223.6 (8.803) |
153.8 (6.055) |
178.5 (7.028) |
143.2 (5.638) |
73.9 (2.909) |
57.3 (2.256) |
1,522.9 (59.957) |
降雪量 cm (inch) | 5 (2) |
7 (2.8) |
1 (0.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
2 (0.8) |
15 (5.9) |
平均降水日数 (≥1.0mm) | 6.4 | 7.3 | 9.5 | 9.4 | 9.7 | 11.5 | 11.6 | 8.3 | 9.8 | 8.2 | 6.3 | 6.6 | 104.6 |
平均降雪日数 (≥0cm) | 16.3 | 14.2 | 6.8 | 0.4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6.9 | 44.5 |
% 湿度 | 67 | 65 | 61 | 59 | 60 | 66 | 69 | 66 | 67 | 68 | 68 | 68 | 65 |
平均月間日照時間 | 123.5 | 122.2 | 155.4 | 177.3 | 182.4 | 133.1 | 142.7 | 182.7 | 142.7 | 156.0 | 140.7 | 134.4 | 1,794.1 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年[14]、極値:1880年-現在[15]) |
京北の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
降水量 mm (inch) | 102.3 (4.028) |
98.8 (3.89) |
117.5 (4.626) |
107.6 (4.236) |
140.8 (5.543) |
176.1 (6.933) |
218.8 (8.614) |
162.6 (6.402) |
197.1 (7.76) |
147.6 (5.811) |
86.1 (3.39) |
93.1 (3.665) |
1,648.2 (64.89) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 15.3 | 14.7 | 13.7 | 11.5 | 10.9 | 12.1 | 12.6 | 9.2 | 11.1 | 10.2 | 10.2 | 13.4 | 144.9 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年)[16] |
平安京は、平安中期の漢文学においてしばしば「洛陽」「長安城」「洛城」として現れる。いずれも「平安城」に代わる文学上の雅称と考えられる。のちに唐が西の長安を首都、東の洛陽を副都としたのを意識し、朱雀大路の西(右京)を長安、東(左京)を洛陽と称したとする認識が生まれた[* 4]。その後、低湿地であった右京南部が寂れ、市街地が左京に偏っていっため、洛陽すなわち「洛」が京都の代名詞となっていった。
たとえば、近世に多く描かれた屏風絵に京都の中心部と郊外を表した「洛中洛外図」というものがある。現在でも京都市内の地域名として以下のようなものがある。行政や観光ガイドでもよく使われるが厳密な区分はない。
上記が大まかな地域名であるのに対して、行政区よりも細かい地域単位として、明治時代に導入された小学校区(学区)による地域名も、生活に密着した地域単位として使われる(詳細は京都の元学区を参照のこと)。
政令指定都市では唯一「住居表示に関する法律」[* 5]に基づく住居表示を採用しておらず[18]、市中心部の町では近世からの形と名称が継承されており、周縁部においては京都市への編入前の旧町村名や大字・小字が町名に用いられている[19](例:旧愛宕郡田中村大字田中字門前→左京区田中門前町)。
詳細は
を参照のこと。
また、明治中期の市制施行時から京都市内であった町名を住所(所在地)として示す場合、行政区名と町名の間に通り名と方向表示を入れたものが公的な表記として用いられる[20](例:「中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地」)。近世からの姿を引き継ぐ市内中心部の町には同名の組み合わせが少なくない数あり、古くから用いられるこの通り名と方向表示による住所の表記により識別される。このように町名だけで場所を特定することが困難な市内中心部では町名が地名としては用いられず、交差する通りの名称を組み合わせた名称の交差点名が、周辺一帯の地名としても用いられる(例:「四条河原町」)。(→「#市内の街路」「京都市内の通り」を参照のこと)
京都市は11の行政区より構成される(地理的位置順)。 区名の読みと、設置年は以下の通り(自治体コード順)。京都市設置当初は上京区・下京区の2区だったが[* 6]、数度の分区や合併を経て1976年(昭和51年)に現在の11区が揃った。
コード | 区名 | 読み | 人口 (人) |
面積 (km2) |
人口密度 (人/km2) |
設立 |
---|---|---|---|---|---|---|
26102-5 | 上京区 | かみぎょうく | 83,407 | 7.03 | 11,864.44 | 1879年区制による |
26106-8 | 下京区 | しもぎょうく | 83,724 | 6.78 | 12,348.67 | 1879年区制による |
26103-3 | 左京区 | さきょうく | 163,518 | 246.77 | 662.63 | 1929年上京区から分区 |
26104-1 | 中京区 | なかぎょうく | 110,783 | 7.41 | 14,950.47 | 1929年上京区と下京区から分区 |
26105-0 | 東山区 | ひがしやまく | 35,324 | 7.48 | 4,722.46 | 1929年下京区から分区 |
26108-4 | 右京区 | うきょうく | 198,639 | 292.07 | 680.11 | 1931年葛野郡から |
26109-2 | 伏見区 | ふしみく | 270,488 | 61.68 | 4,385.34 | 1931年伏見市と紀伊郡などから |
26101-7 | 北区 | きたく | 114,543 | 94.88 | 1,207.24 | 1955年上京区から分区 |
26107-6 | 南区 | みなみく | 102,313 | 15.78 | 6,483.71 | 1955年下京区から分区 |
26110-6 | 山科区 | やましなく | 130,835 | 28.70 | 4,558.71 | 1976年東山区から分区 |
26111-4 | 西京区 | にしきょうく | 143,803 | 59.24 | 2,427.46 | 1976年右京区から分区 |
年 | 人口(人) | 増減率 |
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1889年 | 279,165 | |
1890年 | 288,867 | +3.5% |
1900年 | 371,600 | +28.6% |
1910年 | 470,033 | +26.5% |
1920年 | 591,323 | +25.8% |
1930年 | 765,142 | +29.4% |
1940年 | 1,089,726 | +42.4% |
1950年 | 1,101,854 | +1.1% |
1960年 | 1,284,818 | +16.6% |
1970年 | 1,419,165 | +10.5% |
1980年 | 1,473,065 | +3.8% |
1990年 | 1,461,103 | -0.8% |
2000年 | 1,467,785 | +0.5% |
2010年 | 1,474,015 | +0.4% |
2020年 | 1,463,723 | -0.7% |
2021年 | 1,453,956 | -0.7% |
2022年 | 1,448,964 | -0.3% |
2023年 | 1,443,486 | -0.4% |
2024年 | 1,437,377 | -0.4% |
京都市の人口は、国勢調査では1920年の第1回調査で神戸市に次ぐ全国4位になり、三都の一角、東京市・大阪市に次ぐ全国3位という状況は終焉を迎えた。神戸市とは同程度で推移するものの、名古屋市が台頭したため、戦前を通じて全国4位・5位という状況が続いた。1930年の第3回調査の後、1931年に大規模な市域拡張を実施して名古屋市を抜き返し、1932年に3番目の百万都市となったものの、1934年に4番目の百万都市となった名古屋市に1935年の第4回調査で再び抜き返されるという一幕もあった。
戦災被害が六大都市の中で最少だったことから、1945年11月の人口調査および1947年の第6回調査と1950年の第7回調査で全国3位になったが、それは一時的なものに過ぎず、1955年の第8回調査では名古屋市に次ぐ全国4位、1960年の第9回調査では横浜市に次ぐ全国5位になった。
他の大都市や一部の中小都市にみられるような、戦中・戦後における人口の急減・急増がなかったのが京都市の特徴であった。その後も1970年代から2010年代に至るまで、都市部にもかかわらず人口が147万人程度を推移し続け、人口の大きな増減がなかった。この間、1983年に札幌市、2011年に福岡市、2015年に川崎市に抜かれた。また、戦前は同程度で推移し、戦後は甚大な戦災被害による激減から回復してきた神戸市に1990年の第15回調査で抜かれ(翌1995年の第16回調査では、阪神・淡路大震災の影響もあり一時的に再逆転)、2000年代以降は抜き返せない状況にある。結果、全国9位にまで落ちたが、昼間人口では川崎市・神戸市を上回っている。
2015年の第20回調査から2020年の第21回調査の人口増減を見ると、0.8%減の1,463,723人であり、増減率は府下26市町村中7位。区別では最高が2.0%増の南区、最低が6.3%減の東山区。将来推計人口によれば、減少が続き2045年に130万人を割り込むと予測されている[21]。2024年10月1日現在の人口は1,437,377人[22]。コロナ禍の2020年と2021年は2年連続で1年間に最も人口が減少した市となった[8][23]。
京都市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 京都市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 京都市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
京都市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
幕末に再び政治の中心地となった京都は人口が膨れ上がり、かつてない活況を見せたものの、禁門の変などで街の多くが焼けたのに加え、明治維新後に皇室・公家の大半が東京へ移り住んだため、一転急速な衰退を見せた。江戸時代は「三都」と呼ばれ、享保14年(1729年)には374,000人、明和3年(1766年)に318,000人の人口を誇る江戸・大坂に次ぐ都会であったが、明治維新後の1873年(明治6年)には238,000人までその人口が落ち込んだ程である。
そのため、京都府知事(市制施行当初は京都市長も兼任)などから産業の振興を呼びかける声が上がり、京都府に復興の顧問として迎え入れられた山本覚馬は京都を何とかして復興させようとある計画を立ち上げる。それは1867年にパリで行われた当時世界最大のイベント「パリ万国博覧会」をヒントにした博覧会を京都で開催するというものであった。そのため、政府に嘆願し、外国人の居留地からの移動制限を博覧会の期間のみ解除することを許され、京都に外国人を迎え入れられるようにした。そして西本願寺・知恩院・建仁寺を会場に「第一回京都博覧会」を開催し、京都の復興の足がかりを作った。前年の明治4年10月10日〜11月11日(1871年11月22日〜12月22日)には日本初の博覧会が民間により西本願寺で開かれている[26]。
また田邉朔郎による琵琶湖疏水の建設と、疏水を用いた日本初の水力発電、さらにその電力を用いた日本初の電車運転(京都電気鉄道、後の京都市電)などの先進的な施策が実行された[27]。人口は明治時代中期以降しばらく、毎年1万の増加を見せるようになった。
人口の増加と市街地の拡大に対応し、明治末期から道路拡築および市電敷設、第二疏水開削、上水道整備からなる「京都市三大事業」が行われた。それに続く形で市区改正道路(都市計画道路)事業と市電の敷設が進められ、昭和初期には伏見市(現在の伏見区中心部)など周辺の市町村を編入し、ほどなくして人口は100万人を超えた。
第二次世界大戦中、六大都市(東京都区部と五大都市)の中では、空襲の大きな被害を受けなかったこともあり、日本の都市としては珍しく戦前からの建造物が比較的多く残されている。これは歴史遺産保護のために大規模空爆を受けなかったという説がある一方、広島市や小倉市(現在の北九州市小倉北区・小倉南区)・新潟市などと共に原子爆弾の投下候補都市と位置付けられており、その兵器の効力を知るためにアメリカ軍が最後まで街を温存したという説が存在する(都市選定の経過については日本への原子爆弾投下を参照)。なお、京都市が全く空襲を受けなかったわけではなく、1945年(昭和20年)1月16日から6月26日にかけて、5回の空襲を受けている(京都空襲)。
戦災による人口減は六大都市のうち最少で、1947年(昭和22年)と1950年(昭和25年)の国勢調査では東京都区部、大阪市に次いで京都市が全国3位となった。
財政は、2008年(平成20年)7月23日に門川大作市長(当時)が同市の都市経営戦略会議で2011年度の実質赤字比率が推計で27%に達する見通しを発表し、財政再建団体への転落を示唆した[52]。行財政改革により2010年度から黒字が続いたが、2020年、基金が2026年度に払底し2028年度に財政再生団体に指定される財政破綻の恐れがあることを公表した[53]。しかし2022年、税収や国からの地方交付税が大幅に伸びたことから、一般財源の収支均衡を22年ぶりに達成。市長は財政破綻はしないと言明した[54]。
京都市は日本有数の歴史的都市であるにもかかわらず、20世紀末から財政状態の不健全性が指摘されている[55]。固定資産税を徴収できるマンションが少ない、固定資産税がかからない寺社仏閣が多い、納税義務のない学生が多いなどの理由で1人当たりの税収が少ないほか、巨額赤字を抱える京都市営地下鉄東西線などの大規模投資や社会福祉・減災などの市独自施策のため[56][57][58]、将来の借金返済に充てるための公債償還基金を計画外に取り崩して財政運営を行っていたことにより[59]、京都市は深刻な財政難に苦しめられている[60]。ただし市営地下鉄は2015年度から2019年度は黒字となっていた。この財政難のためバス・地下鉄の敬老乗車証制度の見直しなど市民サービスのカットが行われた。
他の自治体との比較では、1人当たりの債務に着目して作成されたランキングで全国の自治体のうち2021年度末にワースト7位とする例などがある[61]。
京都市では慣例により市議会を市会と呼称する。これは大阪、神戸、横浜、名古屋の各市でも同様である。
議員定数は67人である。
※ 2024年(令和6年)1月18日現在。
選挙区 | 氏名 | 会派名 | 備考 |
---|---|---|---|
北区 (3) | 岸本裕一 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
浜田良之 | 日本共産党京都府議会議員団 | ||
平井斉己 | 府民クラブ京都府議会議員団 | 所属党派は無所属 | |
上京区 (2) | 迫祐仁 | 日本共産党京都府議会議員団 | |
宮下友紀子 | 自由民主党京都府議会議員団 | ||
左京区 (3) | 石田宗久 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
北岡千はる | 府民クラブ京都府議会議員団 | 所属党派は国民民主党 | |
光永敦彦 | 日本共産党京都府議会議員団 | ||
中京区 (3) | 青木義照 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
田中健志 | 府民クラブ京都府議会議員団 | 所属党派は立憲民主党 | |
原田完 | 日本共産党京都府議会議員団 | ||
東山区 (1) | 荒巻隆三 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
山科区 (3) | 菅谷寛志 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
梶原英樹 | 府民クラブ京都府議会議員団 | 所属党派は国民民主党 | |
林正樹 | 公明党京都府議会議員団 | ||
下京区 (2) | 小巻實司 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
西脇郁子 | 日本共産党京都府議会議員団 | ||
南区 (3) | 秋田公司 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
小鍛治義広 | 公明党京都府議会議員団 | ||
山内佳子 | 日本共産党京都府議会議員団 | ||
右京区 (5) | 二之湯真士 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
岡本和德 | 府民クラブ京都府議会議員団 | 所属党派は無所属 | |
諸岡美津 | 公明党京都府議会議員団 | ||
島田敬子 | 日本共産党京都府議会議員団 | ||
北原慎治 | 自由民主党京都府議会議員団 | ||
西京区 (3) | 近藤永太郎 | 自由民主党京都府議会議員団 | |
成宮真理子 | 日本共産党京都府議会議員団 | ||
畑本久仁枝 | 日本維新の会京都府議会議員団 | ||
伏見区 (6) | 山口勝 | 公明党京都府議会議員団 | |
渡辺邦子 | 自由民主党京都府議会議員団 | ||
前波健史 | 自由民主党京都府議会議員団 | ||
馬場紘平 | 日本共産党京都府議会議員団 | ||
上倉淑敬 | 日本維新の会京都府議会議員団 | ||
西山頌秀 | 日本共産党京都府議会議員団 |
京都市は、第二次世界大戦後になると社会の変化や経済優先の政策、モダニズム建築の台頭により徐々に伝統的景観が破壊され、これに対して景観論争がたびたび起こっている。
1964年(昭和39年)に建造された京都タワーは、京都の「第1次景観論争」を引き起こした。また1970年代の経済成長期には、風致地区や美観地区など戦前から継続的になされている景観保護の施策があるにもかかわらず、1950年(昭和25年)に制定された建築基準法により伝統工法が違法となったほか、バブル期には多くの建て替えにより京町家による街並みが徐々に壊されていった。これは「第2次景観論争」といわれている。
山並みも京都の都市景観の重要な要素である。山間地での開発は概ね抑制されているが、1990年代には市内の高層建築によって山への眺望景観が阻害されることになった。
2004年の景観法制定により、これまでの景観条例に実効性・強制力を持たせることが可能となり、2007年には新しい景観政策が施行された。新しい景観政策では、建造物の高さ、デザイン、色などの規制がより強化された。中心市街地でも、建てられる建造物の高さは幹線道路沿いで最大31メートル、それ以外の職住共存地区では最大15メートルとなった。
市街地のほぼ全域に指定されている景観地区では、その地域ごとにデザインの規制がされ、厳しい地区では屋根の形状が「切妻、寄棟、入母屋」であること、屋根の葺き方が「日本瓦又は銅板」であること、屋根の勾配の比率が一定以上一定以下であることなどのかなり具体的な規制に服することになる。建築物を建築など(増改築を含む)する際には、こうした具体的な基準に適合しているかどうか、市長の認定を受けなければならない。
また、眺望景観保全地域として、東寺、清水寺などからの境内の眺めや、円通寺などからの庭園の眺め、鴨川からの大文字の眺めなど、38箇所からの眺望を指定し、その周辺をデザイン保全区域として、標高規制やデザインの規制がされる。
広告物についても、屋上広告物や点滅式照明は市内全域で禁止されているほか、都市景観を乱す恐れのある派手な広告看板は地域によって使える色や大きさが規制されている。日本全国に展開するチェーン店鋪の看板も、鮮やかなコーポレートカラーの使用を控え、他の地域とは異なる比較的地味な配色を採用する事例が多い。一例としては、飲食チェーンではマクドナルドやすき家は他地域で紅系統を使用しているが、市内では赤褐色を使用している。小売店では、市内のローソンの一部では看板の青地の表示面積を少なくしているほか、ガソリンスタンドのENEOSは赤系統が採用された店舗用ロゴタイプを使用していない。金融機関では、メガバンクの三菱UFJ銀行やみずほ銀行では本来の地色を使用せず、白地にそれぞれのコーポレートカラーの文字色を配したものを使用している。しかし改修費用の問題もあり、一部に違反状態が残る[62]。屋外広告物条例は2014年9月に経過措置期間が終了し完全施行された。
また、重要伝統的建造物群保存地区をはじめとして市内には木造建築物や細街路が多い。そのための防火対策が進められ、年間の火災発生は200件台で人口当たり件数が全国平均より少ない。火災未満の事象も京都市消防局では無損事故として取り扱い、防火活動に役立てられている。
日本国内の自治体との間で各種の交流を行い、協定を結んでいる。次に示すほか、複数の自治体の間で交流を謳った共同宣言に、龍馬の絆で結ぶ都市間交流宣言(2014年)と西郷菊次郎翁を縁とした交流宣言(2018年)がある[63][64]。
姉妹都市やパートナーシティの提携を自治体間で結び、諸分野で交流が進められている[70][71]。
自治体名 | 国名 | 地域名 | 提携日 | 提携名 |
---|---|---|---|---|
パリ市 | フランス共和国 | イル・ド・フランス地方 | 1958年(昭和33年)6月15日 | 友情盟約宣言 |
ボストン市 | アメリカ合衆国 | マサチューセッツ州 | 1959年(昭和34年)6月24日 | 姉妹都市盟約宣言 |
ケルン市 | ドイツ連邦共和国 | ノルトライン・ヴェストファリア州 | 1963年(昭和38年)5月29日 | 姉妹都市盟約宣言 |
フィレンツェ市 | イタリア共和国 | トスカーナ州 | 1965年(昭和40年)9月22日 | 姉妹都市盟約宣言 |
キーウ市 | ウクライナ国 | (特別市) | 1971年(昭和46年)9月7日 | 姉妹都市宣言 |
西安市 | 中華人民共和国 | 陝西省 | 1974年(昭和49年)5月10日 | 友好都市 |
グアダラハラ市 | メキシコ合衆国 | ハリスコ州 | 1980年(昭和55年)10月20日 | 姉妹都市盟約 |
ザグレブ市 | クロアチア共和国 | ザグレブ郡 | 1981年(昭和56年)10月22日 | 姉妹都市盟約 |
プラハ市 | チェコ共和国 | プラハ州 | 1996年(平成8年)4月15日 | 姉妹都市盟約 |
晋州市 | 大韓民国 | 慶尚南道 | 1999年(平成11年)4月27日 | パートナーシティ(学術、教育) |
コンヤ市 | トルコ共和国 | コンヤ県 | 2009年(平成21年)12月12日 | パートナーシティ(文化、芸術) |
青島市 | 中華人民共和国 | 山東省 | 2012年(平成24年)8月26日 | パートナーシティ(経済、環境、文化、スポーツ、教育) |
フエ市 | ベトナム社会主義共和国 | トゥアティエン・フエ省 | 2013年(平成25年)2月20日 | パートナーシティ(学術、教育、福祉) |
イスタンブール市 | トルコ共和国 | イスタンブール県 | 2013年(平成25年)6月14日 | パートナーシティ(学術研究、教育) |
ワーラーナシー市 | インド共和国 | ウッタル・プラデーシュ州 | 2014年(平成26年)8月30日 | パートナーシティ(文化、芸術、学術、文化財保護、都市現代化)[72] |
ヴィエンチャン市 | ラオス人民民主共和国 | ヴィエンチャン都 | 2015年(平成27年)11月3日 | パートナーシティ(学術研究) |
宜蘭市 | 中華民国(台湾) | 宜蘭県 | 2018年(平成30年)8月19日 | 西郷菊次郎翁を縁とした交流宣言[64] |
台南市 | 中華民国(台湾) | (直轄市) | 2021年(令和3年)6月30日 | 台南市との交流推進協定締結式について[73] |
関西広域連合、全国京都会議、イクレイ、世界歴史都市連盟などの自治体の連携組織に参加している。
市内には文化庁、京都迎賓館、近畿農政局などの行政機関がある。主な国家機関などは以下の通り[74]。
行政機関名 | |||
---|---|---|---|
内閣府 | 京都迎賓館 | ||
宮内庁 | 京都事務所 | ||
書陵部 | 桃山陵墓監区事務所 | ||
月輪陵墓監区事務所 | |||
警察庁 | 皇宮警察本部 京都護衛署 | ||
近畿管区警察局 京都府情報通信部 | |||
総務省 | 近畿管区行政評価局 京都行政監視行政相談センター | ||
法務省 | 京都地方法務局 | ||
大阪矯正管区 | 京都刑務所 | ||
京都拘置所 | |||
京都少年鑑別所 | |||
京都保護観察所 | |||
出入国在留管理庁 | 大阪出入国在留管理局 京都出張所 | ||
検察庁 | 京都地方検察庁 | ||
公安調査庁 | 近畿公安調査局 京都公安調査事務所 | ||
財務省 | 近畿財務局 京都財務事務所 | ||
大阪税関 京都税関支署 | |||
国税庁 | 大阪国税不服審判所 京都支所 | ||
文部科学省 | 文化庁 | ||
厚生労働省 | 近畿厚生局 京都事務所 | ||
京都労働局 | |||
農林水産省 | 近畿農政局 | ||
林野庁 | 近畿中国森林管理局 京都大阪森林管理事務所 | ||
国土交通省 | 近畿地方整備局 | 京都国道事務所 | |
京都営繕事務所 | |||
淀川河川事務所出張所(2か所) | |||
近畿運輸局 京都運輸支局 | |||
気象庁 | 大阪管区気象台 京都地方気象台 | ||
環境省 | 京都御苑管理事務所 | ||
防衛省 | 近畿中部防衛局 京都防衛事務所 | ||
自衛隊京都地方協力本部 | |||
陸上自衛隊 | 桂駐屯地 |
※ | 地域 | 警察署名称 | 所在地 | 管轄区域 | 前身 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
京都 | 川端警察署 | 京都市 | 左京区岡崎徳成町 | 京都市 | 左京区の南部 | ||
上京警察署 | 上京区御前通今小路下ル馬喰町 | 上京区 | 西陣警察署 中立売警察署 | ||||
東山警察署 | 東山区清水 | 東山区 | 松原警察署 | ||||
中京警察署 | 中京区壬生坊城町 | 中京区 | 堀川警察署 五条警察署 | ||||
下京警察署 | 下京区烏丸通高辻上る大政所町 | 下京区 | 五条警察署 七条警察署 | ||||
下鴨警察署 | 左京区田中馬場町 | 左京区の中北部 | |||||
伏見警察署 | 伏見区下鳥羽浄春ケ前町 | 伏見区(一部を除く)、八幡市の一部 | |||||
山科警察署 | 山科区大宅神納町 | 山科区、伏見区の一部 | |||||
右京警察署 | 右京区太秦蜂岡町 | 右京区 | 太秦警察署 | ||||
南警察署 | 南区西九条森本町 | 南区 | 九条警察署 | ||||
北警察署 | 北区紫竹東桃ノ本町 | 北区 | 上鴨警察署 | ||||
西京警察署 | 西京区山田大吉見町 | 西京区 | 桂警察署 |
消防署 | 住所 | 分署 | 出張所 |
---|---|---|---|
北消防署 | 北区大宮西脇台町17番地の2 | なし | 大徳寺:北区紫野大徳寺町88 紫明:北区小山南上総町1-1 中川:北区中川北山町48-2 |
上京消防署 | 上京区釜座通下立売下る東裏辻町398 | なし | 北野:上京区今小路通御前西入紙屋川町870 |
左京消防署 | 左京区田中西大久保町36 | なし | 岡崎:左京区岡崎円勝寺町23-1 鹿ケ谷:左京区鹿ケ谷上宮ノ前町37 岩倉:左京区岩倉幡枝町1204 修学院:左京区修学院大林町13-8 大原:左京区大原大長瀬町179-2 鞍馬:左京区鞍馬貴船町5-2 花背:左京区花脊八桝町1-1 |
中京消防署 | 中京区西堀川通御池下ル西三坊町521 | なし | 寺町:中京区押小路通寺町東入榎木町101 京都市立病院:中京区壬生東高田町1-2 西大路:中京区西ノ京東中合町45 |
東山消防署 | 東山区清水5-130-8 | なし | 泉涌寺:東山区泉涌寺五葉ノ辻町13-2 |
山科消防署 | 山科区西野今屋敷町2-10 | なし | 西勧修寺:伏見区深草神明講谷町2番地の1[76][* 12] 大塚:山科区大塚北溝町23-1 |
下京消防署 | 下京区五条通高倉西入堺町27番地 | なし | 塩小路:下京区上之町13番地 中堂寺:下京区中堂寺北町71 |
南消防署 | 南区西九条菅田町4-1 | なし | 京都駅西:南区西九条戒光寺町2番地 吉祥院:南区吉祥院御池町6 西八条:南区吉祥院西ノ庄淵ノ西町42 久世:南区久世中久世町2-129-2 |
右京消防署 | 右京区太秦蜂岡町36 | なし | 嵯峨:右京区嵯峨天竜寺今堀町1 梅津:右京区梅津高畝町46 御室:右京区御室大内35-1 京北:右京区京北下中町勝山田8 |
西京消防署 | 西京区樫原佃19 | なし | 桂:西京区桂市ノ前町12 松尾:西京区松尾木ノ曽町59-6 洛西:西京区大枝東新林町2-4 |
伏見消防署 | 伏見区竹田七瀬川町9-1 | 醍醐:伏見区醍醐大構町28 | 南浜:伏見区南浜町273-2 淀:伏見区淀池上町197 神川:伏見区久我森の宮町14-27 向島:伏見区向島四ツ谷池7-10 山ノ下:伏見区桃山町山ノ下44-5 |
年度 | 万円 |
---|---|
1975 | 141.6 |
1980 | 233.9 |
1985 | 287.0 |
1990 | 386.2 |
1995 | 412.3 |
2000 | 418.1 |
2005 | 417.0 |
2010 | 405.3 |
2015 | 428.4 |
2018年(平成30年)度の市内総生産(名目)は6兆6292億円で京都府のおよそ3分の2の規模に当たる。ドルで換算すると約600億ドルであり、ミャンマーのGDPに相当する。市民所得は4兆6694億円、一人当たり318万円である。最大の産業は製造業(工業)であり、市内総生産の経済活動別シェアは製造業、不動産業、卸売・小売業、保健衛生・社会事業、専門・科学技術・業務支援サービス業の順に大きい[78][79]。
任天堂・ニデック・島津製作所・オムロンなどの精密機械や医療器具の生産が盛んである。南区と伏見区にまたがる高度集積地区らくなん進都などへの集積誘導がなされている。
かつて京焼・清水焼などの伝統的工芸品の生産が盛んであった。山科区に清水焼団地がある。 近年はキャンパスプラザ京都や京都リサーチパークと産官学連携で研究・開発を行い、碍子やセラミックス・セラミックファイバーの生産へ転換し、関西電力などの電力会社や京セラなどのファインセラミック企業と提携していく動きが盛んである。
以前より緩和されてはいるが、京都における老舗や伝統的な商店を守るため大規模店舗の出店が旧市街地においては厳しく制限されている。
京都市は、多くの大学が立地する学生の街でもあり、産官学連携が行われているベンチャー企業の街・スタートアップの街としても注目されている[80][81]。
京都市の電力供給は関西電力(関電)の営業区域となっている。なお、京都市役所は一部PPSのエネットから買電した電力も使用している[82]。市内には零細な発電設備しか存在せず、従来の琵琶湖疏水系の水力 (関西電力管理) に南部地域の中小新規の発電設備を含めても、市内発電による2021年度の供給電力量の割合は0.54%未満である。ほぼすべての消費電力は関西電力と関連企業などによって、京都府以外の近畿各府県と長野県(大町)、富山県(立山黒部)、岐阜県(飛騨)、福井県(若狭敦賀)などから発送電されている。
京都市内には関西電力の6箇所の水力発電所がある。これらは琵琶湖疏水にあり、かつて京都市直営により運営されていた蹴上 (4,500 kW)・夷川 (300 kW)・墨染 (2,200 kW) の各発電所と、京都電燈により設置され、後に京都市に移管された鞍馬川の洛北発電所 (450 kW)・清滝川の清滝発電所 (250 kW)・栂ノ尾発電所 (750 kW) が、日中戦争以降の電力国家管理政策「配電統制令」(昭和16年8月30日勅令第832号)により関西配電(のちの関電)に京都市内の送電設備と共に現物出資されたもので、これが京都市が現在も関西電力の株式419万株を保有する株主の理由でもある[83]。このほか、京都電燈により設置されたものとして、旧京北町桂川上流部の黒田発電所 (980 kW) がある(発電所の名称とカッコ内の発電出力は2015年現在のもの[84])。
関電以外にも京都嵐山保勝会が2005年嵐山渡月橋上流部に出力 5.5KW の小型水力発電機を設置、夜間「渡月橋周辺」をLED照明で照らし、余剰電力は関西電力に売却している。2013年度には修学院音羽谷の砂防ダム・蹴上インクライン横の放水路・嵯峨越畑の農業用水の3箇所の小水力発電所の建設[85] が計画されていたが、2020年4月現在、未だに設置されては無い。その代わり石田水環境保全センターに定格出力9kW・発電実績81,480kwh(令和元年度)の小水力発電機が稼働している[86]。
京都市では、国の一般家庭への太陽光発電パネル設置の補助金 1 kW 当たり3万〜3万5千円にプラスして 1 kW あたり2万円補助金を独自に出しているほか、市内の浄水場・下水処理場、青少年科学センター、魚アラリサイクルセンターなど公共施設・市内公立小中学校の増改築時[87] に太陽光発電パネルを設置している。これらは大規模災害時の非常用電源としても考えられている。さらに2013年度から新山科浄水場と鳥羽下水処理場に1MW、松ヶ崎浄水場に730kW、石田下水処理場に1MWの設備が順次整備された[88]。
また、市民から出資を得て京都市の施設の屋上に太陽光発電パネルを設置して売電で得た収益を出資者に配当する「市民協働発電制度」を創設。2012年度から9か所で実施された[89]。
京都市以外では、NEDO の技術開発機構フィールドテスト事業として1997年にJR東海の京都駅の新幹線ホームの屋根上に 最大出力100kw(平均出力8.5kw)の太陽光発電パネルを設置、1998年8月京セラの新本社の屋上と南壁面 214kw の太陽光発電パネルが設置、1999年京都府営乙訓浄水場の沈殿池の上に 30kw の太陽光発電パネルが設置された。
2012年7月、ソフトバンク関連会社および京セラ関連会社と市の協業により、伏見区内にある市の最終処分場跡地にメガソーラーが設置された。同年9月の設備拡張分と併せた公称出力4.2Mw(平均出力355kw)の出力は京都府内で当時最大だった[90][91][92]。2015年には同じ伏見区で最大出力23Mw(平均出力1950kw)のメガソーラーが着工した[93]。
また京阪電気鉄道は淀車庫の遊休地に土地の有効活用として2016年4月に物流倉庫「淀ロジスティクスヤード」を建設し、その屋上に太陽光発電パネルを設置して年間100万キロワット時(平均出力114kw)の電力量を発電している[94]。
京都市内3箇所の クリーンセンター(ごみ焼却処理場)は廃棄物発電が行われ最大出力約35,000kwで発電されていて、入札により売電されている。また 伏見水環境保全センター ではガスコージェネレーション設備で発電した電気で汚水の浄化に利用している。
京都市地域は大阪ガスの供給エリア[95] で天然ガス13Aを京都市内に供給しているが、山科区の清水焼団地は大阪ガスの供給エリアの中にありながら、独自のLPガスの供給網を設備運用している。これは陶器を焼くのにカロリーの高いLPガスの方が大阪ガスの供給する天然ガスより適しているためである。
上水道普及率(2019年度末現在)[96]
琵琶湖疏水からの水を利用する日本初の急速濾過式浄水場「蹴上浄水場」が1912年(明治45年)に完成して2012年で100周年を迎えた。人口と供給面積増加に伴い、山科・九条山・伏見・松ヶ崎・新山科・山ノ内の各浄水場が設置されたが、現在は蹴上・松ヶ崎・新山科の3ヶ所の浄水場に集約された[97]。また蹴上・松ヶ崎・新山科の3浄水場ではソーラーパネルによる太陽光発電が行われていて、2013年10月には新山科浄水場を1000kWまで増設され、2014年度は松ヶ崎浄水場に730kWに増設された。
ちなみに琵琶湖疏水を通して年間2億トンの琵琶湖の湖水を得ていて、京都市は1947年に『疏水感謝金』の契約を滋賀県と結んだ。これは法的な根拠はない感謝金であり、滋賀県も「山の植林・間伐・林道整備など、水源地となる山の保護事業に使っている」としている。感謝金額の査定は10年ごとに物価変動を考慮して滋賀県と京都市が相談して決定する。2012年当時の契約は消費税が8%になる予定の2013年度末までの『疏水感謝金』は年間2億2千万円が滋賀県へ支払われていた[98]。2015年度から10年間は年間2億3千万円となった[99]。
一方、市民の節水意識の向上や生活スタイルの変化によって水道使用量は減少し、水道契約世帯の37%が基本料金の使用量10トン以下となっている。また京都市内は伏見をはじめとする「名水の井戸」が数多くあり、水道水を使わず井戸水を使用する宿泊施設[* 13] や商業施設[* 14]・病院などが40事業者もあり、それらの業者にもバックアップ用の大口径水道管が接続されているため、収益は無いのに維持費が掛かり9億円の減収となっている[100]。
配水管約2500kmのうち500kmは法定耐用年数の40年を越えるが、年間の更新は27kmであり、更新がなければ20年後に配水管の7割以上が耐用年数を越えると推定される。2011年10月に洛西ニュータウンで大規模な断水事故も起きていて、早急な対策が必要とされる[101]。
このほか左京区大原地区では地元の河川を利用した水道が設置され、2005年4月に右京区に編入された旧京北町では、独自の上水道が整備されていたが、京都市編入後は2011年11月より黒田・弓削の2つの浄水場が稼動を開始した[102]。西京区京都大学桂キャンパス側に府の乙訓浄水場(保津川嵐山付近より取水)があり、向日市・長岡京市・大山崎町へ供給している。
下水道普及率(2019年度末現在)[96]
京都市内の下水道網は、ほぼ全域をカバーしているが、初期に造られた下水道を中心に市内40パーセントで雨水と汚水を一緒に流す合流式で、大雨になると下水道から河川に雨水を放流する放流口が83箇所もあり、このときに汚水が未処理のまま河川に流れ出し悪臭や環境汚染が堀川や西高瀬川などで問題になり、1980年代より大雨時に水を溜めて下水処理場へ送る貯水幹線が堀川通や五条通の地下に整備された[103]。
こうして集められた汚水は桂川東岸・宇治川北岸までが京都市上下水道局の鳥羽・伏見・石田に有る3つの水環境保全センター(下水処理場)と鳥羽水環境保全センター吉祥院支所で、桂川西岸は京都府の「洛西浄化センター」(京都市伏見区と大山崎町に跨る)・宇治川南岸は同「洛南浄化センター」(八幡市)で処理されて淀川水系へ放流され、旧京北町地区は京北浄化センターで処理されて桂川上流部へ放流される。なお京都市山科区の上流部の滋賀県大津市藤尾地区・醍醐小栗栖地区の下水道管が通過する宇治市の六地蔵地区の一部の汚水も、京都市上下水道局の石田水環境保全センターで下水処理されている。
淀川下流では、大阪府下全域と兵庫県の阪神地区で再度浄水として使用されているため、BOD は国の基準・水1Lあたり 20mgを下回る 3mg前後まで浄化され、旧京北町に有る京北浄化センター以外は、通常の下水処理に加えて窒素・リンを取り除く高度処理が行われ、さらに鳥羽水環境保全センター吉祥院支所・伏見水環境保全センターでは友禅染などの作業所から出る染料の色素を除去するためにオゾン処理を導入している。
省エネ対策として過去・昭和17年~25年ごろに下水処理で発生する消化ガスのメタンを利用して、市公用車や市バスを走らせたり、ゴミ処理場で廃棄物発電の電力や熱を利用するなどしていた[104]。現在は最大の下水処理場「鳥羽水環境保全センター」では、処理施設の上部に 1000kW の太陽光発電パネルを設置して2013年度より太陽光発電を導入[105]。石田水環境保全センターでは隣接するゴミ処理場からの廃棄物発電の電気による施設内の電力供給と余熱での汚泥の乾燥減量化していたが、ゴミ処理場の老朽化で2013年2月で休止されたため、2015年度に1000kW太陽光発電パネルが設置され[106]、排水時には9KWの小水力発電が行われている[86]。伏見水環境保全センターではガスコージェネレーション設備を導入して自家発電による施設内の電力供給と余熱による汚泥の乾燥減量化を行っている。
2013年4月現在、京都市のごみ収集は有料で一般ゴミは黄色の専用ゴミ袋を市内のコンビニ・スーパーマーケット・小売店で購入し、それにゴミを入れてごみ収集指定日に道路上の指定場所に出す。これらのゴミ袋は5リットル・10リットル・20リットル・30リットル・45リットルの6種類が用意されている。なお一般ゴミは市内3ヶ所の「クリーンセンター(ごみ焼却処理場)」で焼却されこの熱を利用して廃棄物発電が行われていて入札により売電されている。焼却灰は伏見区醍醐に有る最終処分場「エコランド音羽の杜」に埋め立てられる。
ビン・カン・ペットボトルとプラスティックトレイ・プラ包装材は資源ゴミは透明の専用ゴミ袋の使用が義務付けられていて、それぞれ週1回資源ゴミ専用指定場所に出すことになっている。ビン・カン・ペットボトルは伏見区横大路に有る「南部クリーンセンター」に隣接する知的障害者対象就労継続支援B型事業所『京都市横大路福祉工場』でアルミ缶・スチール缶・ペットボトルに分別されリサイクル業者に払い下げられる。プラスティックトレイ・プラ包装材は知的障害者対象生活介護事業所『京都市横大路学園』でプラスティックトレイ・プラ包装材に分別されリサイクル業者に払い下げられる。 また横大路地区には業務用廃棄物の「魚アラリサイクルセンター」が有り魚粉飼料に加工され、市民や業務用から集められた「使用済みテンプラ油」のバイオディーゼル燃料に加工する工場も有り、加工された燃料は一部のゴミ収集車に使用されている。古紙類の回収は民間の古紙回収業者が充実しているなどとして、京都市としてリサイクルを行っておらず、このため市民は独自に民間の古紙回収業者を頼るか、燃えるごみとして出す必要がある[107]。ただし地域での自主的な集団回収に毎年最大10000円(古紙類のみを回収する場合。その他の品目も回収する場合は最大15000円)の助成金を交付している[108]。
市外局番は、大部分の地域は「075」(京都MA)。ただし、右京区嵯峨樒原、嵯峨越畑では「0771」(亀岡MA)。京北室谷町では「0771」(園部MA)[* 15]。伏見区醍醐一ノ切町、二ノ切町および三ノ切町では「077」(大津MA)。西京区大原野出灰町では「072」(茨木MA)。京北室谷町を除く旧京北町域は京都市への編入後、2011年12月1日をもって「0771」(亀岡MA)から「075」(京都MA)へと変更された。
京都市には40校を超える大学・短期大学のキャンパスがあり、多様な高等教育機関が集積する学生のまちとしても知られている[109]。大学相互の結びつきを深め、また、経済界との連携を強めるため設立された日本最大の大学間連携組織、大学コンソーシアム京都があるのも特徴的である。2003年(平成15年)以降、毎年10月上旬に京都学生祭典が開催されている。
この他、アメリカの大学も積極的に京都で活動を行っている。1989年(平成元年)9月に設立された京都アメリカ大学コンソーシアム(Kyoto Consortium for Japanese Studies、略称:KCJS)は、アメリカの13大学[* 16] からなる組織であり、日本研究を志すアメリカの大学生が毎年約40~50名来日している[110]。また、スタンフォード大学は、KCJSに参加すると共にスタンフォード日本センターを同志社大学今出川キャンパスに設置している[111]。大学共同利用機関法人として国際日本文化研究センターと総合地球環境学研究所がある。また、2015年9月に京都市と公益財団法人大学コンソーシアム京都の協働により京都学生広報部が創設され、京都での学生生活の魅力をPRしている[112]。
近畿圏各地からは出発地によってJR・私鉄各線を使い分けるが、京都駅周辺はJR・近鉄、四条河原町周辺は阪急・京阪のターミナルと、主に二箇所に分散している。また京都市内を発着地とする中長距離バス路線は、多くが京都駅をターミナルとしている。
東海道新幹線・山陽新幹線沿線からは、大阪市内や神戸市内と比べて近畿三空港との距離が離れている(最も近い伊丹空港から京都駅までリムジンバスで約50分)。その一方、東海道新幹線で名古屋以西を走る全ての列車(「のぞみ」を含む)が京都駅に停車することから、新幹線が航空機に対して圧倒的に優位に立っている。
京都府内に空港は存在しないが、かつてはIATA都市コード UKY が設定されていたほか、空港外のチェックイン施設(シティエアターミナル、CAT)が設置されていたこともある[113]。
京都駅が事実上の中央駅として機能している。なお、京阪および阪急の路線は京都駅を通らず、市内に独自のターミナル駅を設けている。
市域には、事実上の同一駅や近隣に接する駅の場合でも運営社局によって駅名が相違している事例がいくつかある。
ICカード乗車券はJR西日本ではICOCAおよび相互利用カード(ICOCAの項を参照。電子マネー機能はPiTaPaは利用不可)、嵯峨野観光鉄道を除く私鉄・地下鉄各線では PiTaPa・ICOCAおよび相互利用カードが利用可能(嵐電は専用の「らんでんカード」がある)。また、JR西日本各線および近鉄線ではJスルーカード(現在は自動券売機でのみ対応)、叡電・嵯峨野観光鉄道を除く私鉄・地下鉄各線ではスルッとKANSAIカードに対応している。
市内の移動は路線バスがメインとなる。観光シーズンになると積み残しが続出する状況のルートもあり、渋滞が悪化して所要時間が読めなくなることから、鉄道各社線との乗り継ぎ利用でそれらのリスクを最小限に抑える利用方法が推奨されている[114]。
京都市交通局(市バス)・京阪グループ・阪急バス・西日本ジェイアールバスなどとの間では、従来より回数券の共通化を行っており、地下鉄割引券込みの物も販売されていた。現在では、ICカードなどで市バス・京都バス・地下鉄の乗継割引が行われる。市バス・京都バス(それぞれ一部路線除く)および地下鉄全線が乗り放題の「地下鉄・バス一日(二日)券」が発売されている(他にも市バス・京都バスの均一区間専用の「バス一日券」、市外発の市内各線フリーきっぷ込みの割引きっぷ類などもあり)。
運行地域は、市バスが旧市街地中心で、京阪京都交通は西京区、および西京区・亀岡方面から旧市街地への乗り入れ、京都バスが右京区嵯峨地区と左京区岩倉・鞍馬・大原地区および両方面から旧市街地への乗り入れ、京阪バスが山科区と伏見区醍醐および両方面から旧市街地への乗り入れと比叡山方面、阪急バスが西京区(洛西ニュータウン)、西日本JRバスが旧京北町および北区小野郷・中川地区、右京区梅ケ畑地区から旧市街地への乗り入れとなっているが、一部競合区間が存在する。
この他に、伏見区向島地区を運行する近鉄バス、西京区(桂坂ニュータウン・洛西ニュータウン)を運行するヤサカバス、京都女子大学と京都駅八条口・四条河原町を結ぶプリンセスラインバス、旧京北町を中心に運行する京北ふるさとバス、京都駅とらくなん進都内を巡回する京都らくなんエクスプレス、旧京北町と南丹市を結ぶ南丹市営バス、北大路駅と北区雲ケ畑地区を結ぶ雲ケ畑バスなどがある。
乗車方法は主に後乗り前降り後払いで、運賃は旧市街地周辺は均一制(主に230円)。均一区間外は整理券による区間制となっている。
京都駅と名古屋駅を結ぶ名神ハイウェイバスや、首都圏などと京都を含む京阪神地区を結ぶ多くの高速路線バス、ツアー形式の貸切バス(ツアーバス)が運行されている。京都市内を発着地とする高速バス路線の多くは京都駅をターミナルとしている。詳しくは京都駅の高速バス欄を参照。
また大阪市内を発着地として名神高速道路を経由するバス路線のうち、京都駅に発着しない路線では、伏見区の深草バスストップ(京都深草)を京都の玄関口と位置づけているものがある。詳しくは当該項目を参照。
駐輪スペースを確保できれば、自転車や原付含む自動二輪の方が柔軟な移動ができる。
近年、地球温暖化防止の観点から見直されたこともあってレンタサイクルが急増しており、宿泊客に対してこれらの便宜をはかる宿泊施設も増加している。また、ベロタクシーの日本発祥の地でもある。
主要地方道の越境路線のみ記載。
旧市街地では、平安京造成時の都市計画の名残で、東西・南北に通じる街路をもってあたかも碁盤の目状に区切られており、街路はすべて固有の名称がある[* 19]。 なお、街路名に付される「通り」の送り仮名「り」は付けないのが通例である。
市内の中心部など旧市街地では、街路(通り)の名称が場所を表すために用いられる。また、多くの交差点名が交差する通り名を合成したものとなっており場所を示す地名として通用している。
主に碁盤の目状に区切られた街路を持つ地域では、街路名の交差とその地点からの東西南北を指すことによって位置を示す方法が一般的に用いられる。
先ず当該地が面している街路名を示し、次にその街路と直近で交差する街路名を示したうえ、その交差点から見た当該地の位置を東西南北で示す。北に向かう場合は上ル/上る(あがる)、南へは下ル/下る(さがる)[* 20]、東西に向かう場合はそれぞれ東入(ひがしいる)、西入(にしいる)と表記する。 交差点と交差点のちょうど中間地点では、どちらの交差点を基準とするかによって二通りの表記が可能である。また、原則では近い方の交差点を基準とするものの、大通りなどの大きな交差点がある場合はそれを優先することもある。
この表記は、公的な住所(所在地)にも含まれる。一例をあげると、京都市役所の所在地は「京都市中京区寺町通御池上ル(公的には「上る」) 上本能寺前町488番地」となり、寺町通に面し御池通から北に向かった地点を「寺町通御池上ル」で表し、その後ろに町名の「上本能寺前町」と番地を示す。なお、この表記方法は1889年(明治22年)の市制施行時から市域であった場所の大部分[* 21] において、住民基本台帳や不動産登記などにおける公的な表記として用いられるものである。
一方、公的な表記ではない場合、町名や番地は省略し、街路名と方向のみにより表記することが通例であるが、近年、街路名と方向による伝統的な表記では、インターネットの地図サイトやカーナビゲーションで検索できないという理由で、街路名を含まない町名と番地だけで住所を表記する事例も増えている[115]。 しかし町域が狭く、膨大な数の町名がある京都では、町名と番地だけの表記では直感的な場所の把握が困難である。例えば、「四条河原町」交差点周辺は繁華街として知られているが、町名の「下京区真町」では理解しづらい。
また、同一区内に多数組の同一町名が存在し、町名のみで場所を特定できないことも多い。例えば中京区内に「亀屋町」は5箇所あり、さらには下京区にも2箇所、上京区にも4箇所ある。このような同一町名は中京区内だけでも32組もある。これらは一つの町の飛び地ではなく、関係のないまったく別の町である。ただし、同じ町名でもそれぞれ郵便番号が異なるため、7桁の郵便番号を記載すれば、街路名がなくとも郵便物は配達される。
交差点の名称は、交差する2つの街路名を合成したものが用いられることが多い。どちらの通りを先に呼称しても意味は通じるが、多くの場合どちらかの通りを先に呼ぶものが固有名詞化している。たとえば「四条河原町」と「河原町四条」は同一地点を指すが「四条河原町」と呼ばれ、交差点やバス停の名称も「四条河原町」である。ただし、どちらの通りを先に呼称するかについて定説は無く、道路上の交差点名の表記では「五条大宮」である一方、バス停の名称は「大宮五条」であるなど不一致がみられる例もある。
一方で、街路名を由来としない交差点名も少なくない。一例として、四条通と東大路通の交差点は「祇園」、西大路通と丸太町通の交差点は「円町」、今出川通と東大路通の交差点は「百万遍」と呼称しているが、これは都市計画による新たな街路が敷設された場合に、交差点名として伝統的な地名を採用したものが多い。
市内に観光地が散在し、2000年以降は年間4〜5千万人台の観光客が訪れる。2020年(令和2年)の通勤通学目的以外の宿泊客数は531万人、うち外国人宿泊者数は45万人だった。近年は英米の旅行情報誌などで旅行先としての認知が進む[118][119]。国際会議の開催も日本国内では東京に次いで多く[120]、国際会議観光都市に指定されている。
観光大使の任命などを内容とする京都観光サポーター制度が京都市により実施されている。
相互協力団体として「京都市内博物館施設連絡協議会」があり、市内の博物館・美術館などのうち約200館で組織している。また、比較的大規模で公立の4館が「京都ミュージアムズ・フォー」の名で連携事業を行っている。
74品目を京都市は伝統産業として指定し[121]、そのうち経済産業大臣指定伝統的工芸品と17品目が重複、その他から京の手しごと工芸品を選んでいる。
古くは京都が日本の政治・文化の中心となっていて、第二次世界大戦の戦災から免れたことから、国宝の約20%、重要文化財の約14%が京都市内に存在する。
1994年(平成6年)に、近隣の宇治市内と滋賀県大津市内に所在するものを含め、17件の文化財が世界遺産に登録された。
例年行われるイベントには、皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会や全国高等学校駅伝競走大会、京都マラソンなどがあり、ロードレースの陸上競技の人気が比較的高い[122]。日本初の駅伝の記念碑がある。
また、トップアスリートや優秀な指導者などのスポーツ関係者に対して、京都市スポーツ賞や京都スポーツの殿堂による表彰が行われている。殿堂入りの人数では野球やラグビー関係者が多い[123]。
スポーツに関する神社もあり、白峯神宮や下鴨神社の雑太社などが挙げられる。
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