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京都市中京区にある郷士の邸宅、新撰組の屯所 ウィキペディアから
2024年(令和6年)現在も八木源之丞の子孫が継承している[1]一方、歴史的建築物として一般に公開されている[2]。芹沢鴨が暗殺された際に付いたとされる刀傷など、新選組にかかわる遺構がある。
八木家の始祖は八木又兵衛。壬生村の郷士。越前の戦国大名・朝倉義景の子[3]。八木家のウェブサイトでは、「但馬国で八木安高により起こった」としている[4]。源頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと伝わる[4]。室町時代に京の壬生に移ったとする[4]。
八木邸のある壬生の地は水が豊かで農耕に適した土地であり、京都でも有数の農業地帯であった[5]。八木邸は小高い場所に建てられた。幕末には江戸浪士の宿所となる[4]。
文久3年(1863年)2月23日、浪士組として上洛した近藤勇と試衛館一門の7名、及び芹沢鴨、新見錦、平山五郎、平山重助、野口健司らが投宿した[6]。その後、浪士組の江戸への引き上げの際に残った芹沢鴨、近藤勇ら13名はそのまま八木邸に残り、同年3月16日「松平肥後守御領新撰組宿」と八木家右門柱に表札が掲げられる。同年9月18日芹沢鴨、平山五郎ら4名が八木邸奥座敷にて暗殺される[7]。
※ 現在の八木家は和菓子店を営み、見学者には「屯所餅」が出される[2]。
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