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福島県の市 ウィキペディアから
会津若松市(あいづわかまつし)は、福島県会津地方東部にある市。会津地方の中心都市である。計量特定市に指定されている。1899年(明治32年)に市制施行。
あいづわかまつし 会津若松市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
市町村コード | 07202-8 | ||||
法人番号 | 9000020072028 | ||||
面積 |
382.97km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
111,216人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 290人/km2 | ||||
隣接自治体 | 郡山市、喜多方市、耶麻郡猪苗代町、磐梯町、河沼郡会津坂下町、湯川村、岩瀬郡天栄村、南会津郡下郷町、大沼郡会津美里町 | ||||
市の木 | アカマツ | ||||
市の花 | タチアオイ | ||||
市の鳥 | カッコウ | ||||
会津若松市役所 | |||||
市長 | 室井照平 | ||||
所在地 |
〒965-8601 福島県会津若松市東栄町3番46号 北緯37度29分41秒 東経139度55分47秒 会津若松市役所本庁舎(2022年5月) | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
会津若松市の在る会津盆地は、盆地床が「あいづだいら (会津平)」とも呼ばれ、他に喜多方や坂下などがある。また、会津盆地から北の飯豊山地を越えると山形県の米沢(米沢盆地)、東は猪苗代を経て奥羽山脈を越えると中通り地方の郡山 (郡山盆地)、西には野沢などを経て越後山脈を越えると新潟県下越地方の新潟市(越後平野)が位置しており、各地とは磐越自動車道や国道、JR磐越西線などによって結ばれ、観光を通じてそれぞれの都市との交流も活発である。会津盆地の南には会津高原と呼ばれる山間地が広がっており、尾瀬などの観光地が点在している。市域の西側を阿賀川が流れているほか、市の東側は猪苗代湖に面している。
江戸時代には会津藩(会津松平氏)23万石の城下町として盛えた[1]。毎年300万人近くの観光客が訪れ、鶴ヶ城や飯盛山などの「武家文化・歴史観光」、市街地を中心とした歴史的建造物や飲食店、資料館などの「まちなか観光」、東山温泉や芦ノ牧温泉などの「温泉観光」、猪苗代湖西岸などの「自然観光」を柱としている[1]。また、こづゆなどの文化的な特色、赤べこなどに代表される伝統工芸などでも知られる。
会津若松市は2013年(平成25年)2月にスマートシティを施政方針に掲げ[2]、平成30年情報通信月間総務大臣表彰を受けた[3]。スマートシティの先進事例として、2022年(令和4年)6月にデジタル田園都市国家構想推進交付金 Type3に採択され、デジタルサービスの実装を目指している[2]。
会津若松市は、福島県西部一帯を占める会津地方の中心都市で、市街地は会津盆地の南東部に位置する。市域全体では、市街地の南に広がる広大な山地も市域に含まれ、最南端は芦ノ牧温泉などのある大戸岳周辺まで市域に収める。東側は猪苗代湖の約3割が市域に含まれ、猪苗代町や郡山市と接する。北、西は喜多方市など、会津盆地内の市町村と隣接する。
東西に国道49号、磐越自動車道、JR磐越西線が通っており、南北も国道121号などの道路、会津鉄道会津線などによって周辺地域と結ばれている。これらの会津地方の東西を結ぶ道路と南北を結ぶ道路は会津若松市で交差しており、鉄道でもJR磐越西線、只見線、会津鉄道会津線が集まる会津地方の交通の要衝になっている。
市域の北部、西部、中心部周辺は会津盆地の南東部にあたり、市街地、商業地、住宅地などのほか、水田が広がる。また、市の南部から北部に阿賀川が流れており、市域東部、南部からは湯川、溷川(不動川)、古川などが流れる。市の東部は猪苗代湖に面しているほか、市の南部には山地が広がる。
1920年の国勢調査開始移行、1930年代にかけて人口は減少しているがその後は増加に転じ、1990年代まで増加を続けていた。
会津若松市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 会津若松市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 会津若松市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
会津若松市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
豪雪地帯に指定されているが、太平洋側の気候と日本海側の気候の接点に位置しており、さらに内陸盆地の気候の特性も加わった複雑な気候である[4]。
年間日照時間の平均値は1,613時間(NEDO日射量データベース)で、市内ではメガソーラーが稼働している[4]。また、市東部の山間地は年間を通じて風向がほぼ一定で、年間平均風速6m以上の風が観測されることから風力発電所が稼働している[4]。
若松特別地域気象観測所(標高212m、会津若松市材木町)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 13.1 (55.6) |
20.2 (68.4) |
23.5 (74.3) |
30.5 (86.9) |
35.6 (96.1) |
36.4 (97.5) |
37.3 (99.1) |
38.5 (101.3) |
37.1 (98.8) |
31.3 (88.3) |
25.7 (78.3) |
20.9 (69.6) |
38.5 (101.3) |
平均最高気温 °C (°F) | 2.9 (37.2) |
4.0 (39.2) |
8.9 (48) |
16.6 (61.9) |
22.7 (72.9) |
26.0 (78.8) |
29.2 (84.6) |
30.8 (87.4) |
26.1 (79) |
19.5 (67.1) |
12.2 (54) |
5.7 (42.3) |
17.1 (62.8) |
日平均気温 °C (°F) | −0.3 (31.5) |
0.1 (32.2) |
3.7 (38.7) |
10.1 (50.2) |
16.2 (61.2) |
20.5 (68.9) |
24.0 (75.2) |
25.2 (77.4) |
20.8 (69.4) |
14.1 (57.4) |
7.4 (45.3) |
2.2 (36) |
12.0 (53.6) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.4 (25.9) |
−3.5 (25.7) |
−0.7 (30.7) |
4.3 (39.7) |
10.3 (50.5) |
15.9 (60.6) |
20.1 (68.2) |
20.8 (69.4) |
16.6 (61.9) |
9.8 (49.6) |
3.3 (37.9) |
−0.9 (30.4) |
7.7 (45.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −14.4 (6.1) |
−15.2 (4.6) |
−11.9 (10.6) |
−4.6 (23.7) |
−1.2 (29.8) |
6.9 (44.4) |
9.1 (48.4) |
10.3 (50.5) |
4.8 (40.6) |
−1.5 (29.3) |
−5.9 (21.4) |
−14.4 (6.1) |
−15.2 (4.6) |
降水量 mm (inch) | 102.4 (4.031) |
69.2 (2.724) |
77.5 (3.051) |
63.1 (2.484) |
75.8 (2.984) |
108.6 (4.276) |
196.4 (7.732) |
139.1 (5.476) |
124.0 (4.882) |
112.6 (4.433) |
75.5 (2.972) |
108.7 (4.28) |
1,253 (49.331) |
降雪量 cm (inch) | 121 (47.6) |
90 (35.4) |
41 (16.1) |
3 (1.2) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
1 (0.4) |
72 (28.3) |
328 (129.1) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 19.0 | 16.1 | 16.6 | 12.0 | 11.4 | 12.2 | 15.2 | 12.6 | 12.4 | 12.4 | 15.1 | 18.3 | 173.2 |
平均降雪日数 (≥1 cm) | 19.1 | 16.3 | 7.7 | 0.6 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.3 | 10.1 | 54.2 |
% 湿度 | 82 | 79 | 74 | 67 | 67 | 73 | 79 | 77 | 79 | 80 | 83 | 84 | 77 |
平均月間日照時間 | 78.0 | 99.0 | 144.0 | 172.0 | 201.2 | 165.3 | 156.9 | 195.1 | 141.8 | 122.1 | 89.1 | 67.1 | 1,631.6 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1953年-現在)[5][6] |
市内一箕町にある大塚山古墳は4世紀後半に造営されたものである。出土品の三角縁神獣鏡は畿内で鋳造されたものと同一と推定されている。
都市としての会津若松市の起源は、1384年(至徳元年)の、蘆名直盛による黒川城(若松城)築城に遡る。以降、城下町「黒川」は、戦国大名蘆名氏の領国支配の拠点として、また当時奥州最大の都市として発展を遂げていった。
1589年(天正17年)、伊達政宗のもとで勢力を拡大する伊達氏が蘆名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地とした。しかし翌1590年(天正18年)、豊臣秀吉の奥州仕置により黒川は伊達氏から取り上げられ、代わって蒲生氏郷が入封した。氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。なお「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。7層の天守(現存する5層の復元天守は寛永年間に改築されたものを元にしている)を有するこの城は、氏郷の幼名にちなみ、また蒲生家の舞鶴の家紋にちなんで鶴ヶ城と名付けられ、また築城と同時に城下町の開発も実施した。具体的には、旧領の日野、松阪の商人の招聘、定期市の開設、楽市・楽座の導入、手工業の奨励等により、江戸時代の会津藩の発展の礎を築いた[7][8]。 氏郷の死後、上杉景勝が入封するが、関ヶ原の戦いで徳川家康に敵対して敗れ、米沢へ移封となった。その後、蒲生秀行、加藤嘉明などの領主を経て、1643年に徳川秀忠の子保科正之が入封して会津松平家の祖となり、以後若松は会津藩の城下町として栄えた。
1862年(文久2年)、会津藩主松平容保は京都守護職に任ぜられ、尊王攘夷派志士の取り締まりや京都の治安維持を担ったが、長州藩を筆頭とする倒幕派(後に明治政府軍となる)の恨みを買うことになった。1868年(慶応4年)に戊辰戦争が勃発すると、会津藩は攻撃の対象とされた(会津戦争)。明治政府軍は若松城下にまで侵攻し、白虎隊の自刃などの悲劇が起き、城下町の大半が灰燼に帰した。
戊辰戦争で敗れた結果、会津若松は明治政府の直轄地となり、民政局が設置された。翌1869年に民政局が廃止されて若松県が設置され、県庁は最初、大町の融通寺に、次に旧若松城本丸に置かれた。明治4年7月14日(1871年8月29日)の全国的な廃藩置県により、引き続き若松県が設置され、会津若松は若松県の県庁所在地となった。しかし、1876年(明治9年)8月21日には若松県、福島県(1876年以前)、磐前県の3県が合併されて現在の福島県が成立し、これ以降は福島県に入れられている。
1889年、北会津郡若松町となり、1899年、県内初の市制施行により「若松市」となった。この年の人口は3万0,488人であった。1890年に私立会津中学校が開校。後に県立に移管され福島県立会津中学校となり、現在の福島県立会津高等学校に至る。1899年(明治32年)7月15日、岩越線(現在の磐越西線)が若松駅(現在の会津若松駅、1917年(大正6年)4月21日に改称)まで開通する。磐越西線は1914年(大正3年)11月1日に新津まで全通した。
1908年、日露戦争に伴って新設された第13師団の歩兵第65連隊が若松に置かれ、現在の会津若松市立第二中学校の敷地が衛戍地とされた。同連隊は1925年の宇垣軍縮に伴って廃止され、代わって第2師団の歩兵第29連隊が仙台から移動する。その後、1937年の日中戦争を契機に歩兵第65連隊も復活した。歩兵第65連隊は南京攻略戦などに参加。歩兵第29連隊はガダルカナル島の戦いに投入され大きな損害を受けている。
1902年(明治35年)1月1日開業の会津電力株式会社により電力の供給が開始されたほか、1929年(昭和4年)4月1日には水道給水が開始された。また、1934年(昭和9年)3月5日の東京への電話開通など、この時期には近代化が進む。また、1932年(昭和7年)10月19日に御薬園(会津松平氏庭園)、1934年(昭和9年)12月28日には若松城址が国の史跡に指定されたほか、1937年(昭和12年)4月1日には現在の市役所庁舎が完成している。
太平洋戦争では会津若松は空襲を免れた。1946年には、神明通りが開通、1947年には会津若松商工会議所の設立が認可。同年、市内に昭和天皇の戦後巡幸[9]、1953年10月3日には会津まつりが開催されるなど、戦後復興を遂げていく。
1955年には周辺の7村を編入し、この時に市名を「若松市」から現在の「会津若松市」に変更した。市名の変更は、福岡県の若松市(1914年市制。現在の北九州市若松区)との混同の回避を目的として行われたもので、先に市制を敷いた市が改名した、唯一の例である。改名前には、電信・電話・郵便等において両市が混同されることが多く、郵便物にいたっては日平均50通、多い日では100通もの誤配があったという(『町村合併の記録』福島県総務部地方課 (1958) )。福岡県の若松市は、1963年2月10日に門司市・小倉市・戸畑市・八幡市と合併されて北九州市となったため、福岡県の「若松市」は消滅したが、会津若松市はその後も「会津」を頭に付けた市名のまま現在に至っている。
1961年には人口が10万人を突破し、1965年から住居表示実施により、順次、旧町名が新町名に変更される。また、1965年9月17日には鶴ヶ城の天守閣再建工事が落成する。1989年には会津若松市観光公社が設立され、観光業も発展していく。
その後は1993年4月14日には会津大学が開校し、1992年10月29日に会津若松ICを含む区間が開通していた磐越自動車道が1997年10月1日に全線(いわき - 新潟)開通し、交通網の充実が図られた。
2011年3月12日の福島第一原子力発電所事故により、原発所在地である大熊町の町役場の機能が会津若松に移転した(大熊町役場会津若松出張所)。
1965年(昭和40年)から住居表示実施により、順次、旧町名が現在の新町名に変更されていった。旧町名のうち、1877年(明治10年)までに成立していた町で、1889年(明治22年)に北会津郡若松町として合併した町を列記する。
大町竪町、大町一之町、大町ニ之町、大町ニ之竪、大町三之町、大町原之町、大町三四之竪、大町四之町、大町名子屋町、道場小路町、原之町、紺屋町、甲賀町、馬場上一之町、馬場下一之町、馬場一之竪町、馬場上ニ之町、馬場下二之町、馬場二之竪町、馬場上三之町、馬場下三之町、馬場三之竪町、馬場上四之町、馬場下四之町、馬場四之竪町、馬場上五之町、馬場下五之町、馬場名子屋町、大工町、博労町、上四之町、本六日町、上一之町、上六日町、上二之町、下野伏町、上五之町、行人町、中六日町、上野伏町、屋敷町、本郷町、竪三日町、寺町、東名子屋町、五軒町、横三日町、鳥居町、槻木町、阿弥陀町、愛宕町、浄光寺町、台之町、南横町、天寧寺町、徒之町、滝沢町、千石町、蚕養町、桂林寺町、老町、赤井町、諏訪四ツ谷、当麻町、当麻中町、善久町、針屋町、川原町、材木町、融通寺町、七日町、北小路町、西名子屋町、針屋名子屋町、上大和町、中大和町、下大和町、後之分町、栄町字郭内、栄町字栄町一丁目、栄町字栄町二丁目、栄町字新栄町、栄町字栄町三丁目、栄町字栄町四丁目、栄町字本三之丁、栄町字本一之丁、栄町字融通寺町口、栄町字川原町口、栄町字米代二之丁、栄町字米代四之丁、栄町字十八蔵、栄町字割場、栄町字追手前、栄町字塀内、栄町字本二之丁上、栄町字天寧寺町口、栄町字宝積寺通、栄町字内小田垣、栄町字鶴ヶ城、新横町、片柳町、南町
なお、会津若松市では公式の町名はすべて「まち」と読み、「ちょう」は使用しない。
(旧若松町長) | 海老名季昌 | |
初代 | 秋山清八 | 1899年7月26日 - 1902年3月26日 |
2代 | 齋藤庸 | 1902年5月15日 - 1903年9月23日 |
3代 | 佐治幸平 | 1903年11月26日 - 1906年9月15日 |
4代 | 松本時正 | 1906年10月15日 - 1912年10月10日 |
5代 | 小野木源次郎 | 1912年12月25日 - 1914年6月18日 |
6代 | 秋山清八 | 1914年7月29日 - 1915年5月7日 |
7,8代 | 松本時正 | 1915年6月21日 - 1922年5月15日 |
9代 | 松江豊寿 | 1922年12月27日 - 1925年11月12日 |
10代 | 佐藤佐吉 | 1926年7月28日 - 1926年11月28日 |
11代 | 穴澤義弘 | 1927年2月16日 - 1931年2月15日 |
12代 | 佐藤佐吉 | 1931年6月29日 - 1933年6月27日 |
13代 | 須藤素 | 1933年10月7日 - 1934年12月6日 |
14代 | 佐瀬剛 | 1935年2月22日 - 1939年2月21日 |
15代 | 鈴木寅彦 | 1939年5月1日 - 1941年9月18日 |
16代 | 高山輝義 | 1942年7月1日 - 1945年11月5日 |
17代 | 江花静 | 1945年12月11日 - 1947年4月4日 |
18代 | 小日山武夫 | 1947年4月15日 - 1948年2月14日 |
19代 | 横山武 | 1948年3月28日 - 1952年3月27日 |
20代 | 村井八郎 | 1952年3月28日 - 1956年3月27日 |
21-23代 | 横山武 | 1956年3月28日 - 1968年3月27日 |
24-26代 | 高瀬喜左衛門 | 1968年3月28日 - 1980年3月27日 |
27代 | 桜木幸次 | 1980年3月28日 - 1983年5月9日 |
28代 | 猪俣良記 | 1983年6月26日 - 1987年6月25日 |
29代 | 早川広中 | 1987年6月26日 - 1991年6月25日 |
30-31代 | 山内日出夫 | 1991年6月26日 - 1999年3月31日 |
32-34代 | 菅家一郎 | 1999年4月25日 - 2011年8月6日 |
35-37代 | 室井照平 | 2011年8月7日 - |
これらは、いずれも会津若松合同庁舎内にある。
会派名 | 議席数 | 議員名 |
---|---|---|
市民クラブ | 11 | 平田久美、柾谷奈津子、小倉孝太郎、髙橋義人、清川雅史、石田典男、中川廣文、長谷川純一、小畑匠、大竹俊哉、戸川稔朗 |
フォーラム会津 | 5 | 笹内直幸、内海基、長郷潤一郎、古川雄一、渡部認 |
公明党 | 3 | 大島智子、奥脇康夫、大山亨子 |
創風あいづ | 3 | 吉田恵三、村澤智、横山淳 |
立憲連合 | 3 | 丸山さよ子、松崎新、高梨浩 |
(2人以下の会派) | 3 | 原田俊広(日本共産党会津若松市議団) 成田芳雄(夢クラブ) 譲矢隆(社会民主党・市民連合) |
※2024年1月24日現在。
※2024年1月24日現在。
中心市街地のメインストリートは中央通りや神明通りなどがある。神明通りは商店街であり、このメインストリートを軸に中小の商店が列んでいる。しかし、全国規模の郊外型大型店の相次ぐ進出により、市街地中心部では空き店舗が目立つようになった。そのような中で、中心市街地のひとつである七日町通りでは、市からの補助金制度を作り古い街並みの保存や復旧に取り組むことで、新たな観光資源としての町づくりを行なっている。
(以下の生産額は、すべて2006年度のもの)
スーパーマーケットは、神明通りに本社があるリオン・ドールをはじめ、ヨークベニマル、コープあいづ、コンビニエンスストアはセブン-イレブンをはじめ、ファミリーマート、ローソンが出店している[18]。かつては百貨店(中合会津店)が存在したが、2010年2月28日で閉店している。
福島第一原子力発電所事故のために市内に設立された大熊町立学校の分校。
当地は会津盆地の交通の中心でもあり、陸奥国の南の要衝であった。
代表駅である会津若松駅は、市街地の北部に設置されている。
路線バスは、市内では会津乗合自動車(会津バス)グループ1社のみにより運行されており、会津若松駅前には路線バスのバスターミナルがある。そのほか観光客などに向けたバスとして、会津若松駅、七日町、鶴ヶ城、御薬園、東山温泉、飯盛山などを結ぶまちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)が運行されている。
会津若松市拠点の主なタクシー会社
市内に空港は無い。 会津若松市から利用される空港
詳しくは福島県内の通りを参照されたし。
会津若松は長い歴史と風土から伝統ある文化を持ち、現在では会津若松の観光産業をも担っている。
会津若松市は、その歴史的経緯、文化的特色から観光業が盛んで、多くの観光客が訪れる。 2005年以降、会津ディスティネーションキャンペーンなどの観光キャンペーンが行われており、新宿駅や上野駅からJR東北本線、磐越西線などを経由する直通の特急列車"あいづ"号を運行するなどしている。
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