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福島県から群馬県に至る一般国道 ウィキペディアから
国道401号(こくどう401ごう)は、福島県会津若松市から群馬県沼田市に至る一般国道である。
本国道は、会津若松市の国道49号交点から福島県南会津郡桧枝岐村や群馬県利根郡片品村を経由しながら南西方向に進み、沼田市の国道17号交点までを結ぶ路線である。途中、南会津郡桧枝岐村 - 利根郡片品村間は延長23.6 kmの未開通(分断)区間となっており、区間には尾瀬の高原が広がっている。国道401号分断区間の群馬側末端が利根郡片品村大字戸倉にある大清水まで、福島県側は南会津郡檜枝岐村にある国道352号重複線上の福島県道1号沼田檜枝岐線分岐点にある[1]。
一般国道の路線を指定する政令[2][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
会津若松市から大沼郡会津美里町高田地内までは明治時代前半、三島通庸県令の会津三方道路整備から外れたこの区間を、柳津町軽井沢銀山と会津若松市を結ぶ「銀山新道」として整備した歴史を持つ。
群馬県・福島県にまたがる尾瀬は、古くから三平峠から沼山峠まで沼田街道が通じていて、交易路として利用されてきた[5]。尾瀬の道路開発は明治時代の頃から構想されてきたが、道路開発は環境破壊を伴うものであり、それを阻止してきたのは尾瀬の自然環境を3代に渡って守り続けてきた平野長蔵・長英・長靖の努力によるところである[6]。大正時代には電源開発のために尾瀬が水力発電所に必要なダム建設地の標的になり、長蔵と長英がこれを阻止してきた[7]。昭和期の太平洋戦争後、尾瀬の美しい自然風景が全国に広く知れ渡るようになり、尾瀬を訪れる観光客が増えていったことから、対策として古来からある沼田街道を拡幅して、尾瀬まで車が乗り入れることを可能とする道路開発が行われ、昭和40年代までには沼山峠・三平峠・鳩待峠までの車道整備工事が進められてきた。道路が尾瀬湿原まで差し迫って来る中、1971年(昭和46年)になって尾瀬の長蔵小屋の3代目である長靖は、環境庁長官の大石武一に直談判してこの状況を伝え、尾瀬の道路建設工事中止を訴えた[5]。大石は自らの足で現地を視察して確認し、建設推進派の田中角栄や、群馬・福島・新潟3県の知事らに対抗して、道路建設中止を決断した[5]。
1981年(昭和56年)4月30日の第4次一般国道改正に伴い一般国道401号へ指定されたものであるが、2007年(平成19年)に尾瀬国立公園が誕生して国立公園化され、尾瀬の未開通区間には車道が通らないことが最終的に確定された[5]。
群馬県と新潟県・福島県にまたがる越後山脈越えの一般国道には、国道405号、国道353号、国道17号、国道291号、国道401号があり、当路線である国道401号は、その中で最も東に位置し、群馬県と福島県が接する県境を通るところの唯一の国道である[18]。地形が急峻な場所を通過することから、三国トンネルを擁する国道17号を除いて、国道401号を含む他の国道4路線はすべて未開通区間となっている[19]。国道401号の未開通区間には、新潟県・群馬県・福島県にまたがる盆地で、国立公園にも指定されている尾瀬の湿原が広がっており、貴重な高山植物などの尾瀬の自然環境保護のために、永続的に国道がつながらないことが確定している[20]。
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