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高遠町
日本の長野県上伊那郡にあった町 ウィキペディアから
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高遠町(たかとおまち)は、長野県中部の上伊那郡に属した町。高遠藩の城下町であった。
2006年(平成18年)3月31日、高遠町は(旧)伊那市、長谷村と合併して(新)伊那市となり消滅した。なお、旧町域には市町村の合併の特例に関する法律(合併特例法)に基づく地域自治区が2016年3月30日を期限として設置された。
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地理

中央構造線が通る、南アルプスと伊那山地に挟まれた山間の土地。
隣接していた自治体
歴史
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
江戸時代には高遠藩の城下町であった。高遠石工と呼ばれた石工職人が、全国各地で仏像、建築物などの石製品を作った。
- 1875年(明治8年)1月23日 - 高遠城下東部の武家町16町(田中町、花畑町、元厩脇町、馬場町、横町、久保川町、下夕町、板町、新屋敷町、宮下町、荒町、大屋敷町、北村町、若宮町、殿坂町、郭内町)と地方の板町村が合併して東高遠町となる。高遠城下西部の町方10町(高砂町、本町、袋町、中町、新町、梅町、横町、霜町、清水町、鉾持町)と地方の鉾持村が合併して西高遠町となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、西高遠町、東高遠町の区域をもって高遠町が発足。当時は旧伊那市域にも村しかなく、上伊那郡唯一の町だった。
- 1956年(昭和31年)9月30日 – 長藤村、三義村と合併し、改めて高遠町が発足
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 藤沢村を編入
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 河南村を編入
- 2006年(平成18年)3月31日 - 伊那市、長谷村と合併し、改めて伊那市が発足、高遠町廃止
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庁舎
高遠町役場は1966年(昭和41年)に建設された鉄骨鉄筋コンクリート地上4階、地下1階建て、延べ床面積1756平方メートルの建物だった[1]。合併後は伊那市高遠町総合支所の庁舎として使用された[1]。
2018年(平成30年)11月26日、高遠町総合支所は庁舎老朽化のため高遠町保健センターに仮移転した[2]。
旧庁舎は伊那市の倉庫として使用されていたが、2023年(令和5年)9月から解体工事が開始された[1]。高遠町総合支所の新庁舎は2025年(令和7年)3月完成予定である[1]。
- 2018年より高遠町総合支所が仮入所する高遠町保健センター
町歌
『高遠町町歌』は馬島律司作詞、松井芒人補作、中田喜直作曲で、町制100周年を記念して制定された。1974年に公募し、入選した馬島の詞を、松井が修正し、中田が曲をつけた。松井の補修は徹底しており、元の歌詞が著しく変わっていたという[3]。
在来種そば
→「高遠そば」を参照
地域
教育
施設
- 高遠高等学校
- 高遠町文化センター・高遠町図書館
- 高遠なつかし館
- 旧馬島家
交通

- 一般国道
- 都道府県道
名所・旧跡・観光

名物
出身者
- 秋山理敏 - 駐パナマ特命全権公使
- 青山善充 - 法学者
- 伊沢修二 - 教育者(東京音楽学校(現東京藝術大学)初代校長)
- 伊沢多喜男 - 東京市長
- 池上秀畝 - 日本画家
- 伊東月草 - 俳人
- 伊藤公介 - 衆議院議員
- 大森陽一 - 特許技監
- 大和岩雄 - 大和書房・青春出版社創業者
- 春日千春 - テレビプロデューサー(大映テレビ)
- 春日豊 - 歴史学者(名古屋大学名誉教授)
- 北原文雄 - 化学者(東京理科大学名誉教授)
- 北原巌男 - 外交官
- 北原覚雄 - 農芸化学者(京都大学教授、東京大学教授)
- 北原安定 - 元電電公社副総裁
- 北原由夫 - 歌人
- 坂本天山 - 砲術家
- 島村利正 - 小説家
- 高橋白山 - 漢学者、教育者
- 豊島恕平 - 医師・実業家・政治家
- 中村弥六 - 政治家
- 西村竜馬 - サッカー選手
- 横山正彦 - 経済学者(東京大学名誉教授)
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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