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日本の鉄道会社 ウィキペディアから
近畿日本鉄道株式会社(きんきにっぽんてつどう、英: Kintetsu Railway Co., Ltd.)は、大阪府・京都府・奈良県・三重県・愛知県の2府3県[注釈 1]で鉄道事業を行っている会社である。一般的には略して近鉄(きんてつ、Kintetsu)と呼ばれている(「社名」の節も参照)。日本の大手私鉄の一つで、JRグループを除く日本の鉄道事業者(民営鉄道)の中では最長の501.1 km[6]の路線網を持つ。近鉄グループホールディングスの子会社である。
近鉄本社ビル | |
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査役設置会社[1] |
略称 | 近鉄、近鉄電車 |
本社所在地 |
日本 〒543-8585 大阪府大阪市天王寺区上本町6丁目1番55号 北緯34度39分56.1秒 東経135度31分15.3秒 |
設立 |
2014年(平成26年)4月30日 (近畿日本鉄道分割準備株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 5120001183629 |
事業内容 | 鉄軌道事業、索道事業 他 |
代表者 | 代表取締役社長 原恭 |
資本金 | 1億円(2024年3月31日現在)[2] |
売上高 |
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営業利益 |
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経常利益 |
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純利益 |
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純資産 |
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総資産 |
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従業員数 |
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決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 近鉄グループホールディングス 100% |
主要子会社 | |
関係する人物 | #関連する人物の節を参照 |
外部リンク |
https://www.kintetsu.co.jp/ (ホームページ) https://www.kintetsu.jp/ (企業・採用) |
特記事項:2015年4月1日に「近鉄グループホールディングス株式会社」と「近畿日本鉄道分割準備株式会社」を軸とした分割再編を行った。 |
近畿日本鉄道の母体ともいえる大阪電気軌道(大軌)は、1910年(明治43年)9月16日に大阪と奈良を結ぶ路線を敷設すべく奈良軌道として設立され、同年10月に大阪電気軌道へ改称した。大軌以前の大阪 - 奈良間の鉄道路線は関西本線(大和路線)や片町線(学研都市線)とも間にある生駒山地を迂回するルートを通っていたため、岩下清周(大軌2代目社長)の発案で両都市を直線的に結ぶために生駒山を貫通するトンネルを建設することを計画する。そして大阪電気軌道や工事を請け負った大林組が倒産しかけるほどの難工事の末に生駒トンネルを完成させ、1914年(大正3年)に最初の路線である上本町駅(現在の大阪上本町駅) - 奈良駅(現在の近鉄奈良駅)間を開業した(現在の奈良線)。
その後、1927年(昭和2年)には天理・橿原神宮方面への路線網を確立した。同年に伊勢を目指すため参宮急行電鉄(参急)を設立し、1931年(昭和6年)に宇治山田まで開通、大阪から伊勢神宮への日帰り参拝を可能とした(現在の大阪線・山田線)。さらに、伊勢電気鉄道(伊勢電)の合併、関西急行電鉄(関急電)の設立により、1938年(昭和13年)には名古屋へのルートを確立した(現在の名古屋線)。
戦時中の陸上交通事業調整法により周辺の鉄道会社と次々に合併し、さらに、大阪電気軌道は参宮急行電鉄や関西急行電鉄などと統合して、1940年(昭和15年)に関西急行鉄道(関急)へ再編され、1府4県に総延長437kmの路線を有する一大私鉄となった。1943年(昭和18年)には現在の近鉄南大阪線などを経営していて、既に関急の資本下に置かれていた大阪鉄道(大鉄)を合併し、この時点で現在の近畿日本鉄道の原型となる路線網が確立された。
1944年(昭和19年)には国からの強い要請を受け、長い歴史を有する南海鉄道(南海)と新設合併する形で今に至る近畿日本鉄道(近鉄)が発足、資本金2億3147万円、総延長約630kmの路線を有する日本最大の民営鉄道会社となった。この時点では上本町・名古屋・天王寺・難波の4営業局体制であった。
だが、こうして国からの要請に応える形で発足した近畿日本鉄道である[7]が、その天王寺営業局は元大阪鉄道の社員、難波営業局は元南海鉄道の社員をそのまま引き継いだような形となった[注釈 2] ため、いかにも無理矢理まとめたという印象が当初から強く、特に南海は大軌・関急との資本上・沿革上の接点がほとんどなかったのを、強引に戦時体制の名でつないだようなものであり、戦後の労働運動の高まりとともに、難波営業局では分離運動が盛り上がった。一般の利用客の間でさえ、旧南海鉄道の路線については近畿日本鉄道に併合されていた時期でも従来通り「南海」「南海電車」と呼び続けていた。なお大鉄は、昭和初期には既に大軌の傘下となっていて、大軌の路線との直通運転も行っていた。
そのため、会社発足4年目の1947年(昭和22年)に難波・天王寺営業局管轄の旧・南海鉄道の路線を、旧・南海の系列会社で現在の南海高野線高野下駅 - 極楽橋駅間と鋼索線極楽橋駅 - 高野山駅間を運営していた高野山電気鉄道が改称した南海電気鉄道へ譲渡し、関西急行鉄道時代の路線網に復することになった。
その後、奈良電気鉄道(奈良電)や信貴生駒電鉄、三重交通の鉄道線を承継した三重電気鉄道(三重電)などの合併により[注釈 3]、1965年(昭和40年)には現在の路線網がほぼ完成した。
第二次世界大戦の終戦3年目に当たる1947年(昭和22年)10月には、早くも上本町駅 - 近鉄名古屋駅間に有料特急の運転を開始している。これは日本における有料特急列車の戦後初の復活であり、現在の近鉄特急の元となった。翌1948年(昭和23年)には特急の山田線直通運転を再開し、1958年(昭和33年)には2階建て車両を連結した10000系「ビスタカー」が登場した。
元伊勢電気鉄道・関西急行電鉄の路線により成立した名古屋線は軌間1,067mmの狭軌であり、近畿日本鉄道の主流となる元大阪電気軌道・参宮急行電鉄によって建設された大阪線・山田線などといった路線群は軌間1,435mmの標準軌であって線路幅が異なっていたため、名阪間の直通客は途中の伊勢中川駅で乗り換えを強いられていた。この問題については、第2次世界大戦後に名古屋線の改軌が計画され、橋梁架け替えに伴う線路移設などと併せて準備工事が徐々に進められていたが、1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風による被災を機に、当時の社長であった佐伯勇の判断で改軌工事が復旧工事と同時進行で当初の計画を前倒しして実施されることになった[注釈 4]。この復旧・改軌工事は、最も手間の掛かる枕木の交換作業などの準備が前もってかなりの規模で進められていて、かつ架け替え工事中であった揖斐川・長良川・木曽川の各新橋梁が台風で致命的な被害を受けずに済んだという幸運も手伝って、被災からわずか2か月後の同年11月27日に名古屋線および神戸線(現在の鈴鹿線)の工事が完了し、さらに同年12月には新造の10100系ビスタカー2世による名阪間直通特急の運転が開始された。
1970年(昭和45年)に大阪の千里丘陵で日本万国博覧会(大阪万博)が開催されることになり、万博来場者を奈良や伊勢志摩など沿線観光地へ誘致する計画を立て、孤立路線だった志摩線の改良と鳥羽線建設による直通化に取り組み、同年3月に完成させた[注釈 5]。さらに同月には、難波線も完成し、1947年(昭和22年)6月1日の南海分離以来となる悲願の難波乗り入れを自力で果たした。
特急列車網も整備され、1988年(昭和63年)には「アーバンライナー」、1990年(平成2年)には「さくらライナー」、1994年(平成6年)「伊勢志摩ライナー」、2013年(平成25年)「しまかぜ」、2020年には「ひのとり」などといった、特色・個性あふれる車両を登場させている(その他の車両の登場年は年表参照)。
2009年(平成21年)3月20日には大阪難波駅まで延伸開業した阪神なんば線との相互直通運転により、奈良方面から西宮・神戸方面への乗り入れを開始した(当該路線の記事および「他社線との直通運転」の節も参照)。
2010年(平成22年)9月16日に、創業100周年を迎えた。また、2014年(平成26年)4月30日に最初の営業区間である上本町 - 奈良間の開業から100周年を迎えた。
2015年(平成27年)4月1日に、これまでの(旧)近畿日本鉄道を近鉄グループホールディングスに社名変更した上で、会社分割により鉄軌道事業を近畿日本鉄道分割準備(2014年4月20日設立)に、不動産事業を近鉄不動産に、ホテル・旅館事業を近鉄ホテルシステムズ、流通事業を近鉄リテールサービスにそれぞれ継承させ、持株会社制に移行した[8][9]。鉄軌道事業を継承した近畿日本鉄道分割準備は(新)近畿日本鉄道に社名変更し[8]、近鉄グループホールディングス傘下の事業会社となった。
本表では現在の近畿日本鉄道の母体会社である大阪電気軌道の創業より記述する。阪堺鉄道(南海鉄道)・河陽鉄道(大阪鉄道)などの創業についてはそれぞれの記事を参照のこと。
また、特急列車の歴史は「近鉄特急史」を、第二次世界大戦後のダイヤの変遷は「近畿日本鉄道のダイヤ変更」を、各路線の歴史は各路線ごとの項目を参照のこと。公式サイトの「近鉄ストーリー」も参照のこと。
営業している路線のほとんどが近畿地方にあり、近畿日本鉄道を社名としているが、近畿地方ではない愛知県にまで(2017年までは岐阜県にも[注釈 1])及ぶ路線網を有している。
近畿日本鉄道が発足した当時の社長種田虎雄は、「ゆくゆくは、民営の日本鉄道をつくりたいと思っていた。そのためには、小田急と静岡電鉄[注釈 9]とを結び、この両線を延長して名古屋鉄道に連絡し、さらに、これと近畿日本鉄道を結ぶという構想を持っていた。」[57]という、近畿地方の範囲を超えた日本の私鉄経営に関する雄大な構想を持っていた。
近畿日本鉄道が発足した直後の略称は「近鉄」と呼ばず[注釈 10]「日本鉄道」[注釈 11]、「近畿日本」や「近日」と称し、社名を冠した駅名も1944年6月の発足後1970年2月までは「近鉄○○」でなく「近畿日本○○」となっていた[注釈 12]。これは、元々滋賀県の近江鉄道が「近鉄」(おうてつ・きんてつ)の略称を使用していたため、誤解を防ぐ観点から使用しにくかったからではないかといわれている。しかし「近鉄」の愛称も早くから使われ、1948年には「近畿日本鉄道百貨店」を「近鉄百貨店」と改称し、1949年に発足した近畿日本鉄道出資のプロ野球球団は「近鉄パールス」を名乗った。1950年には近畿日本鉄道自身の略称も「近鉄」とした[注釈 11]。なお、傍系の旅行会社近畿日本ツーリストには、近畿日本航空観光と日本ツーリストの合併によるため「近畿日本」の名が残っている。また、近鉄レンタリースは2017年12月20日まで近畿ニッポンレンタカーという商号であった[58]が、この場合は近畿日本鉄道の「近畿」とニッポンレンタカーの「ニッポン」である[注釈 13]。一方、近畿車輛や奈良近畿日産自動車(奈良県下の日産ブルーバード販売会社。現・奈良日産自動車)、南海軍を前身とするプロ野球球団グレートリング(略称:近畿。現:福岡ソフトバンクホークス)[注釈 14]は「近畿日本」とはしなかった事例である。
在阪私鉄では「○○電車」の呼び名が浸透しており、近鉄でも大阪周辺では「近鉄電車」と呼称することもある。他社線からの乗換案内では、JR西日本では「近鉄電車」、JR東海では「近鉄線」と呼称される(京都駅では、JR西日本が管轄する在来線側では「近鉄電車」、JR東海が管轄する新幹線側では「近鉄線」両方の表示が見られる)。
近鉄本社や近鉄百貨店などに書かれていた「近鉄」の文字は、1967年3月まで「鉄」を「金」編に「失」でなく「矢」にした物(「鉃」、元は「鏃」を意味する字)にしていた。「金を失う」が「金が矢のように集まる」になるという縁起担ぎが理由であったが、後にその看板を見た小学生が「鉄」の字を間違って覚えてしまうと沿線住民などから指摘され、正式な表記に直している。なお、現在の四国旅客鉄道(JR四国)を除いたJR各社も同じような理由により、ロゴでは「鉄」の字を「鉃」にしている。
英文社名は以前は Kinki Nippon Railway Co., Ltd. であったが、2003年6月28日から Kintetsu Corporation に変更した[注釈 8]。同時期に和文・英文の会社名ロゴのデザインも変更された[18]。2015年4月1日の近鉄グループホールディングス発足を機に再度英文社名が変更され、Kintetsu Railway Co., Ltd. となった。この表記は、乗務員の制帽及び駅員の制帽及び職帽の帽章にも用いられている。駅員は一時期「近鉄ステーションサービス」に分社化していたときは「Kintetsu Station Service」の表記だった。
大阪電気軌道時代には大阪を象徴する澪標と奈良の「奈」を組み合わせた社章を使用していたが、名古屋などへの延伸や会社の合併で路線網が拡大した関西急行鉄道時代には新体制への節目として関西の「関」を図案化した社章に変更した。現社章への変更も南海鉄道との合併で近畿日本鉄道が発足した際に検討され、社内外から提案された200もの候補から選定されたものである[59]。全体の図形がコロナを発する日輪と転動驀進する車輪をかたどり、内側の図形が社名の頭文字「近」と「人」の文字を図案化して「人の和」を表現している[60]。近鉄タクシー、養老鉄道、伊賀鉄道など、一部のグループ会社ではこの社章をベースに変更を加えた社章を使用している[59]。
この社章は鉄軌道事業を継承した(新)近畿日本鉄道に引き継がれ、持株会社となった近鉄グループホールディングスには新たなシンボルマークが制定されている。傾きの異なる2つの図形によって会社の理念である「静と動」を具現化し、またその形状から近鉄の「K」をも表現している[59]。
ロゴタイプ(和文・英文)は近鉄グループ経営改善計画の一環で2003年(平成15年)に制定された「近畿日本鉄道株式会社」「KINTETSU CORPORATION」の二種類[18]がベースとなっている。
大阪府東南部から三重県中部に至る紀伊半島の付け根を横断して、大阪市・京都市・名古屋市といった政令指定都市を始め、近畿地方の大阪府東南部・奈良県・京都府南部、東海・中部地方の愛知県西部・三重県の各都市、それら地域沿線の伊勢神宮を始めとする神社仏閣など、京都、奈良、吉野、飛鳥や伊勢志摩といった観光地を結ぶ路線網を持つ[注釈 1]。関西(近畿圏)以外の大手私鉄が発達している他の大都市圏(この場合、中京圏)にまで路線網がまたがる大手私鉄は近鉄が唯一である。それらを結ぶ多数の特急列車が行き交い、私鉄最大の特急ネットワークを形成している(「列車」の節および「近鉄特急」の項を参照)。
総営業キロ程は、JRを除く日本の鉄道事業者(民営鉄道)中最長の501.1km[61][6]で、続く463.3kmの東武鉄道(東武)[62]、444.2kmの名古屋鉄道(名鉄)[63]とともに400km以上の路線網を擁する日本の大手私鉄の一つとなっている(各キロ程は2017年4月1日現在)[注釈 15]。
近鉄の保有路線は、線路の幅(軌間)別では標準軌(1,435mm軌間[注釈 16])、狭軌(1,067mm軌間)の2つに分けられる。かつては特殊狭軌(762mm軌間)も有していた。
近鉄の直系母体である大軌は、路面電車と同じ軌道線扱いで開業したため、同様の形で先行して開業していた阪神電気鉄道・箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄)・京阪電気鉄道などと同じ標準軌を採用したが、同社が他社を買収して組み込んだ路線の多くは、国有鉄道(鉄道院→鉄道省→日本国有鉄道〈国鉄〉)線と貨車の直通運転を行っていた関係で、国鉄と同じ狭軌を採用した(名古屋線系統各線や田原本線のように、標準軌化した路線もある)。かつて有していた762mm軌間の特殊狭軌線は軽便鉄道の流れを受け継いだものであるが、下津井電鉄線が廃止された1991年以降、日本では近鉄が三重県の三岐鉄道に譲渡した北勢線、四日市あすなろう鉄道に移管した内部・八王子線、それに専用鉄道を一般営業路線にした黒部峡谷鉄道本線程度しか存在していない。
電化方式は基本的に1500V直流電化の架空電車線方式となっているが、けいはんな線はOsaka Metro中央線と相互直通運転を行う関係で750Vの第三軌条方式、かつて有していた特殊狭軌各線は三重交通時代の流れを受け継いで750Vの架空電車線方式となっている。
なお、田原本線や生駒鋼索線のように他の近鉄各線とは徒歩連絡となる路線はあるが、他の近鉄線と互いに乗り継ぐ際、徒歩連絡ではなく他社の鉄道線やバス路線を介さなければならないほどの孤立路線[注釈 17]は、葛城索道線を除き存在しない。ただし過去には、鳥羽線開業以前の志摩線が他の近鉄の路線群と離れ、国鉄参宮線を介さなければ乗り継ぐことができない孤立路線となっていた。
関西・中部エリアの大手私鉄では唯一、JRグループ旅客2社(JR西日本・JR東海)の在来線管内を直接結んでいる[注釈 18]。それと関連して、近鉄名古屋駅と京都駅はともに東海道新幹線の乗換駅であり、前者はリニア中央新幹線、後者は北陸新幹線[68] の乗換駅になる予定である。なお、近畿地方の大手私鉄で新幹線駅と接続する私鉄は近鉄のみとなっている[注釈 19]。
京都・大阪・名古屋の3都市に自社路線を持ち、これら3都市の地下鉄事業者(京都市営地下鉄・Osaka Metro・名古屋市営地下鉄)との乗換駅がある。関西の大手私鉄で、名古屋市の地下鉄事業者との乗換駅があるのは近鉄だけである。
阪急電鉄を除く大阪市内に路線を保有する全ての鉄道事業者との乗換駅(直通運転を含む)がある[注釈 20]。
なお、事業規模が大きいため組織上、大阪線の新青山トンネル西坑口を境に、大阪側を「大阪統括部」、名古屋側を「名古屋統括部」として管理している。過去には「営業局」[注釈 21]「輸送統括部」と称していた。
旅客案内上では路線名ではなく方面名で案内される事が多い。
路線名の前のアルファベットは駅ナンバリングの路線記号[33]。
ただし、近畿日本鉄道では「鉄軌道事業」ではなく、「付帯事業」のうちの「その他の事業」に分類している。奈良県に所在。
近畿日本鉄道における廃止路線は、すべて他社を合併したことにより生まれた路線で、その廃止理由も既存路線と並行していることなどから、乗客・貨物が減少していたことによるものが大半である。なお、近畿日本鉄道の直系前身である大阪電気軌道(大軌)および関西急行鉄道(関急)時代に廃線になったものも含める。
近畿日本鉄道発足時に旧南海鉄道から継承した路線。ただし松江線は近畿日本鉄道発足後に開業した。いずれも、旧関西急行鉄道と旧南海鉄道の路線を分離するため、高野山電気鉄道を改めた南海電気鉄道へ1947年6月1日に譲渡された。詳しくは「南海電気鉄道#路線」を参照。
単なる高架化などは除く。日付は竣工日。
複数の都市の地下鉄事業者(大阪市・京都市)と直通運転を行っている大手私鉄は近鉄が唯一である。また、複数の地下鉄事業者の路線に直通運転を行っているのは近畿地方では近鉄のみである[注釈 26]。
列車運行管理システムとして、難波線・奈良線・京都線・橿原線・大阪線(大阪上本町 - 西青山間)・天理線・信貴線・生駒線・田原本線・南大阪線・道明寺線・長野線・御所線と阪神電気鉄道の阪神なんば線(桜川 - 大阪難波間)にはKOSMOSを、名古屋線・大阪線(一部除く)・山田線・鳥羽線・志摩線・湯の山線・鈴鹿線と養老鉄道の養老線(桑名 - 播磨・下深谷間)にはKRONOSを供用している。このほか、けいはんな線にも列車運行管理システムが導入されている(名称不明)[88][89]。
近鉄の路線には各駅に停車する普通のほかに、速達を目的とした列車種別が設定されている。
特急は近鉄の列車種別のうちで最上位の列車である。近鉄の看板列車であり、特に近鉄特急と呼称される。
多数の特急列車が大阪・名古屋・京都などの各都市や伊勢志摩、吉野などの観光地を結んでおり、その本数・運行頻度は日本の私鉄で最大である。「私鉄王国」と呼ばれる関西の中でも、奈良県と三重県では近鉄の路線網の方がJRより発達しており、存在感と利便性で勝る。近鉄名古屋線と関西線(名古屋地区)や、近鉄奈良線と大和路線などの競合路線はいずれも近鉄が優位に立っている。
近鉄の特急は走行路線・停車駅区別のための列車愛称を持たない。例えば、2012年3月19日まで運転されていた近鉄名古屋駅 - 大阪難波駅間のうち近鉄名古屋駅 - 鶴橋駅間を途中ノンストップで運行する特急は「名阪ノンストップ特急」と系統の通称で呼ばれていた。
対して、特急に使用される車両は「ひのとり」「アーバンライナー」「ビスタカー」「伊勢志摩ライナー」「しまかぜ」「さくらライナー」などの愛称を持つ。
特急は全車座席指定席であり、利用するには運賃とは別に特急料金が必要である。近鉄の特急料金には指定席の料金が含まれる。特急料金は特別急行券の購入によって支払う。なお、近鉄特急の中でも、「しまかぜ」には通常の特別急行券のほかにしまかぜ車両券が、「ひのとり」にはひのとり特別車両券が必要となる。また、「青の交響曲」(青のシンフォニー)や「あをによし」も特別車両券が必要となる。ビスタEXやしまかぜなどに連結されている個室には通常の特別急行券のほかに個室券が必要となる。すなわち、しまかぜの個室に乗車する際は、乗車区間の普通運賃に加え、特別急行券、しまかぜ車両券、個室券が必要となる。
種別カラーは快速急行と同じ赤だが、駅のLCD・LEDタイプの発車標では特急の種別表示に白い縁取りをすることで快速急行と区別している。
駅到着時の車内自動放送で流すチャイムは「汎用チャイム」と「駅別チャイム」の2種類に大別される。「駅別チャイム」は主な駅に設定されている。「近鉄特急#車内チャイム」を参照。
詳しくは、各種別および各路線の記事を参照のこと。
近鉄は、特急料金の必要な列車のほかに、運賃のみで利用可能な速達列車を以下の線区に設定している[注釈 28]。設定されている列車種別は次の通りである。
なお、公式には案内していないものの、終着駅にて種別変更した上で行先を変える列車も多数設定されている(以下の「鮮魚運搬専用車両」など)[75]。
上記列車種別のほかに、一般客は利用ができない魚介類行商人のための団体専用列車として「鮮魚列車」が宇治山田駅 - 大阪上本町駅(復路は松阪駅まで)間に設定されていたが、2020年3月13日で運転を終了した[91]。同年3月16日以降は通常の快速急行に鮮魚運搬専用車両としてラッピング車両「伊勢志摩お魚図鑑」を連結して運行している[92]。
京都線では1998年3月に快速急行の運転が開始された(それまでは臨時列車としての設定はあった)が、利用者数が乏しく急行と誤乗するケースが多かったため、2003年3月のダイヤ変更を機に廃止された。
2012年3月19日までは大阪線・山田線の大阪上本町駅 - 松阪駅間で「区間快速急行」(SUBURBAN RAPID EXPRESS) という種別が運転されていた。
また、1980年代の一時期に、「高速」という種別が上本町駅 - 鳥羽駅間に存在していた。「伊勢志摩号」という愛称名が付いている臨時列車で、長距離用通勤車(2600系など)か団体専用車20100系を使って運行されていた。乙特急よりも停車駅が少ない(ただし甲特急よりは多い)にもかかわらず、特急料金は不要であった。しかし、停車駅が少ないため近距離・中距離客が利用できず、長距離客は特急料金を払ってでも乗り心地の良い特急を利用するため、利用者数が伸びず数年で廃止された。
これらのほか、全線区で各駅に停車する「普通」 (LOCAL) も運転されている。
列車種別は先頭車両前面の通過標識灯や種別表示器(方向幕)で識別できる。
通過標識灯の点灯パターンは以下の通りである。阪神直通列車の場合は阪神桜川駅を境に切り替わる。
電車の行先表示に方向幕が普及した高度経済成長以後も、関西の大手私鉄では行先標を好んで使用し、駅の売店でもミニサボが発売されている程であった。
現在の近鉄が発足するまでは合併前の雑多な形式が混在し、規格統一のため運転台機器が1970年代半ばに統一されたが、行先標についても同時期にデザインが統一されている(行先標統一は1981年の阪急が有名だが、近鉄はそれより前である)。これら行先標や車側の種別表示灯(けいはんな線を除く)は、1990年代までに種別表示器に置き換えられた。
歴代の全デザインを解説する事は困難なため、ここでは主要幹線を中心とした、上記統一後のみ説明する。
JRを除く関西の私鉄としては、ダイヤ変更(ダイヤ改正)の頻度が比較的多く、おおむね毎年3月に規模の大小関係なしにダイヤ変更が実施される(時刻表も同時期に刊行される)。1993年には、京都線近鉄宮津駅の開業・志摩線複線化工事の進捗・同年10月の伊勢神宮式年遷宮における輸送対応に伴って9月にもダイヤ変更が実施された。なお、近鉄では長年「ダイヤ改正」ではなく「ダイヤ変更」という言い方を使用していたが、2007年以降2009年まで毎年3月に実施したものには「ダイヤ改正」という言葉を用いている(同年7月に伊賀線が再度ダイヤを変えた時のみ従来どおり「ダイヤ変更」を用いた)。
阪神なんば線の開業にともない行われた2009年3月のダイヤ改正では、近鉄奈良線以外の近鉄線内では小規模な改正に留まったものの、実際は阪神なんば線の直通運転が開始された関係上、阪神電気鉄道・山陽電気鉄道・阪急電鉄(神戸線・今津線系統のみ)・神戸電鉄でも同時にダイヤ改正を行うなど、かなり大規模なものになっている。
2012年3月のダイヤ変更では、ゼロベース=白紙から需要に合わせたダイヤに見直し、運転本数の大幅な削減を主な柱とした合理化によって50億円程度のコストダウンを行った。2010年10月16日には、急行の停車駅を増やすなどして準急を廃止[93]、準急を中心に運転本数を減らす[94] などという報道があったが、この時点では近鉄からは新しいダイヤについての正式な発表はなく、準急の廃止・削減については決定事項ではないことが発表されていた[95]。特急列車関係では時間帯や季節に応じて料金を割り引くサービスを導入する予定としている[94]。ダイヤについては2012年1月にこの白紙変更の正式な内容が発表され、大阪線における快速急行と区間快速急行の種別統合や特急の名阪間ノンストップ運転の中止(名阪甲特急全列車が津駅に停車)、その他の路線でも昼間時間帯の一般列車を中心に大幅な減便を行った。
2014年は3月にダイヤ変更が実施されず[96]、同年9月21日に奈良線の八戸ノ里駅 - 瓢箪山駅間の上り線の高架化が完成したのに合わせて、例年より半年遅れでダイヤ変更が実施された[97]。2016年以降は1年半 - 2年間隔でのダイヤ変更が行われている。
大晦日から正月にかけては、毎年終夜運転(越年ダイヤ)が実施されている[注釈 29]。特に近鉄大阪線や名古屋線に関しては宇治山田駅(一部五十鈴川駅・鳥羽駅・賢島駅)発着の特急が大幅に増発されるが、1990年代後半以降は以前と比較して縮小傾向になっている。また、南大阪線に関しても大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅間の特急が大幅に増発される。これらを総じて「越年特急」とPRしていることが多い[98]。特急の本数が通常時より多くなり、通常ダイヤでは停車しない桜井駅にも停車する。この越年特急のPRとして、過去には近鉄にまつわる著名人をCMで出演させた時期もあった。1999年(平成11年)の初詣PRでは、近鉄バファローズ投手(当時)の大塚晶則が「背番号11」にちなんで登場した。
近鉄は近畿・東海地方に広大な路線を保有しているが、その中には不採算路線も保有している。このため、大手私鉄の中では比較的早くからワンマン運転を行って経費削減を図ってきた。1990年代頃から長期不況による乗客の減少が目立ち、支線のほとんどがワンマン化されたほか、南大阪線や山田線のような幹線でも、普通列車に関しては輸送量が少なく2両編成の列車も多いため、ワンマン運転が行われつつある(ただし、一部の列車においては現在も車掌が乗務するツーマン運転が行われている)。このような現象は近鉄に限らず、近年の大手私鉄や神戸電鉄・能勢電鉄といった大都市近郊の私鉄にも共通して見られるものである。さらに採算性の厳しい路線(伊賀線や養老線)においては、上下分離方式(経営は近鉄グループホールディングス子会社の伊賀鉄道・養老鉄道が行い、施設はそれぞれ伊賀市、養老線管理機構が保有)の形式を採っている。
ワンマン運転を行う路線のうち、名古屋線 - 山田線 - 鳥羽線 - 志摩線の系統のみは、無人駅においてドアカット(1両目後乗り・前降り)を実施した上で、運転士が運賃精算を行う(駅員配置駅のみすべてのドアが開く)方式が採用されていた。しかし、ICカードの導入にあわせてドアカットは廃止され、無人駅でも、すべてのドアが開くようになった。それ以外の路線では、ワンマン運転開始後も無人駅においてすべてのドアを開けており、運転士は運賃精算などに一切関わらず、完全に利用者の良心に任せる姿勢(信用乗車方式)であるが、時々不正乗車対策として無人駅のホーム上に臨時で係員を配備し、有人駅同様の集札・発券対応を行うこともある。
2009年3月20日の阪神なんば線開通により、正式駅名が「大阪難波」「大阪上本町」に変更されるまで、名古屋輸送統括部(大阪線の西青山駅以東)では難波行きと上本町行きの場合は、「大阪難波行き」などと「大阪」を強調する意味で用いられていた(大阪輸送統括部の管轄路線では「大阪」の冠名を用いることはほとんどなかった)。大阪阿部野橋行きは正式駅名が「大阪阿部野橋」のため、すべての場合において「大阪阿部野橋行き」と案内される。
大手私鉄だけではなく在阪私鉄では珍しく、車掌は終着駅に着く際は「終点」や「終着」ではなく「この電車はこの駅までです」とアナウンスする。これは終端駅到着時にも使われていたが、名古屋輸送統括部管内や南大阪線系統(旧・天王寺営業局管内)では、終端駅到着時に限りこのフレーズが省かれることや稀に奈良線系統で「終点」とアナウンスすることもあった。2010年代以降は、大阪阿部野橋駅や京都駅などの終端駅に到着する前に「大阪阿部野橋、阿部野橋、終点です」もしくは「まもなく、京都、京都、終点です」とアナウンスする(車掌による放送および、日本語による車内自動放送)。英語による車内自動放送でも、"This is the final stop for this train."とアナウンスするほか、終端駅に着く前に"This is the final stop, Osaka-Abenobashi: station number F1."もしくは"We will soon arrive at the final stop, Kyoto: station number B1."とアナウンスする。
日本語による列車の案内放送は、「奈良行き快速急行」のように、基本的に「行先・種別」の順であるが、阪神直通列車は大阪難波駅到着直前に「この電車は阪神直通○○行き○○(種別)です」や「この電車は阪神直通の○○行き○○(種別)です」とアナウンスする(稀に「この電車は阪神○○行き○○(種別)です」や「この電車は○○行き○○(種別)です」とアナウンスすることもある)。また、「普通」は大阪輸送統括部管内のみ「各駅停車」と案内される。名古屋輸送統括部管内では「普通電車」と案内されるが、車掌によっては「各駅停車」の表現も使われている。阪神直通列車の自動放送では「この電車は阪神直通○○行き○○(種別)です」で統一、英語でも"This train is the (train type) bound for Hanshin (destination) direct."とアナウンスされる。
列車の運転取りやめは「運休」ではなく、「運転取り消し」と案内している。運転取りやめをあらわす略号は一般的に「ウヤ」が使用されるが、近鉄では宇治山田駅と紛らわしいため「トケ」を用いている。
東花園・大和西大寺など途中駅から運転する列車に関しては、大抵の鉄道会社では「当駅始発」としているが、近鉄の駅掲出時刻表には「当駅仕立」として表記している(大阪輸送統括部管内のみ。名古屋輸送統括部では2010年3月改正より表記されず。同管内では駅掲出の時刻表には網掛けで○番線より発車という表記となる。)。
2016年3月から車掌のタブレット端末(パナソニック製TOUGHPAD FZ-B2[99])の操作による車内自動放送を奈良線・京都線系統や全線の特急列車に本格的に導入した(ただし特急には既に車内放送が自動化されていたが、この時に4か国語の自動放送を開始)[33]。2017年春からは名古屋線・大阪線・南大阪線系統においても車内自動放送システムを展開する[100]。なお、自動放送の声優は、日本語が有田洋之、英語がダヴィーナ・ロビンソンである。
国鉄との連絡運輸や近傍の他事業者の駅との区別のために、大和、河内、伊勢、志摩、伊賀などの旧国名や会社略称である「近鉄」(前述の通り1970年以前は「近畿日本」)を冠称とした駅名が複数存在するが、伊賀神戸駅や伊勢若松駅などごく一部の例外を除いて長らく路線図や方向板・方向幕・案内放送では一切省略されてきた(ただし、南大阪線・吉野線などの旧・天王寺営業局管内の駅の旧国名については、路線図では記載されていた。河内松原駅・大和上市駅など)[101]。これについて、路線図は2004年3月以降、旧国名や会社名を含む正式な駅名に変更され、続いて案内放送などは同年6月1日以降、河内長野駅・伊賀神戸駅・伊賀上野駅を除き以下のように変更された。
なお、大阪阿部野橋駅・大阪難波駅・大阪上本町駅の「大阪」についても、旧国名と同様の扱いとなっている[注釈 30]。
冊子型の『近鉄時刻表』の行先表示欄の駅名は、2008年号まで旧国名・会社名とも省略された従来の表記が残っていたが、2009年号は会社名のみ略した表記に変わっている。
出典[103]
出典[103]
昭和40年代半ばまで、車両に所属検車区を表す銘板が取り付けられており、所属区の頭文字が刻印されていた。東花園検車区と富吉検車区は所属区の銘板取り付け中止後に開設されたため、略号は制定されていない。
近鉄では運転士と車掌は同じ職場に所属する[104]。
近鉄では駅業務を近鉄ステーションサービスに委託していた時代、業務円滑化・採算性向上のため全線を8管区に分割し管区支配人制を導入した。その後、同社が近鉄に合併されてからも管区支配人制度は続けられており、現在では各輸送統括部担当課と駅長との間に位置するポストとされている。また、管区支配人は駅長と兼務しているため、管区支配人を兼務している駅には副駅長が配置されている。近鉄では駅長室の入口には、駅長・副駅長・首席助役と当務の助役の職名と氏名の書かれた表札がそれぞれ掲げられている。2010年9月時点での管轄及び駅長所在駅[105] は以下の通り。
2022年時点では、大阪統括部の192駅を20駅管区で、名古屋統括部の94駅を8駅管区で管理している。
大人普通旅客運賃(小児半額・端数は10円単位で切り上げ)。2023年4月1日改定[53]。
キロ程 | 運賃(円) | キロ程 | 運賃(円) | キロ程 | 運賃(円) |
---|---|---|---|---|---|
1 - 3 | 180 | 56 - 60 | 1,070 | 141 - 150 | 2,310 |
4 - 6 | 240 | 61 - 65 | 1,140 | 151 - 160 | 2,430 |
7 - 10 | 300 | 66 - 70 | 1,210 | 161 - 170 | 2,560 |
11 - 14 | 360 | 71 - 75 | 1,290 | 171 - 180 | 2,710 |
15 - 18 | 430 | 76 - 80 | 1,370 | 181 - 190 | 2,860 |
19 - 22 | 490 | 81 - 85 | 1,450 | 191 - 200 | 3,000 |
23 - 26 | 530 | 86 - 90 | 1,530 | 201 - 210 | 3,130 |
27 - 30 | 590 | 91 - 95 | 1,600 | 211 - 220 | 3,280 |
31 - 35 | 680 | 96 - 100 | 1,670 | 221 - 230 | 3,410 |
36 - 40 | 760 | 101 - 110 | 1,740 | 231 - 240 | 3,560 |
41 - 45 | 830 | 111 - 120 | 1,880 | 241 - 250 | 3,690 |
46 - 50 | 910 | 121 - 130 | 2,040 | ||
51 - 55 | 1,000 | 131 - 140 | 2,170 |
吉野線・志摩線・湯の山線の各線内またはこれらの路線と他の路線にまたがる区間の場合は、これらの路線の乗車キロ数の合計に応じて下表の金額を加算する。
乗車キロ程 | 加算額(円) |
---|---|
1 - 10 | 20 |
11 - 30 | 30 |
31 - | 40 |
伊勢市駅 - 宇治山田駅間を通って鳥羽線にまたがる区間の場合は、鳥羽線内の乗車キロ数に応じて下表の金額を加算する(鳥羽線内だけまたは鳥羽線と志摩線の駅間だけを乗車する場合は加算しない)。
乗車キロ程 | 加算額(円) |
---|---|
1 - 6 | 10 |
7 - 12 | 20 |
13 - | 30 |
けいはんな線内または同線と他の路線をまたがる区間の場合は、けいはんな線内の乗車キロに応じて下表の金額を加算する。
乗車キロ程 | 加算額(円) |
---|---|
1 - 3 | 40 |
4 - 6 | 60 |
7 - 10 | 70 |
11 - 14 | 90 |
15 - 18 | 110 |
19 | 130 |
鋼索線の運賃は下表の通り
線区 | 普通運賃(円) | |
---|---|---|
生駒鋼索線 | 宝山寺線または山上線のみ | 290 |
宝山寺線・山上線をまたがる場合 | 500 [106] | |
西信貴鋼索線 | 560 |
沿線の少子高齢化で利用者が減少する中でも、消費税率引き上げに伴う運賃改定を除き1995年9月以来運賃を据え置いてきたが、新型コロナウイルス感染症流行の影響による利用者の減少、設備投資の強化、老朽化した一般車両の更新(シリーズ21以来となる新型一般車両の投入[107])などを理由に[108]、2023年4月1日に運賃を改定した。運賃改定申請に対し、沿線自治体である奈良県の荒井正吾知事が2022年7月の公聴会の場で運賃値上げについて意見を述べ[109][110]、2022年9月2日に「令和10年3月31日までの期限を設け、運賃改定後の令和5年度から3年間(令和7年度まで)の総収入と総括原価の実績を確認する」という条件を付して[111]、運賃改定が国土交通大臣に認可された[53]。
運賃は、乗車経路通りキロ程を計算し算出するのが原則であるが、近鉄には以下のような特例が存在する。
現在の近鉄には定期券と生駒鋼索線(宝山寺駅でのみ可能)のみ途中下車制度が存在する。2001年2月にスルッとKANSAIが導入されるまでは、鉄道線でも途中下車指定駅(上本町・布施・生駒・大和西大寺・田原本・大和八木・橿原神宮前・伊勢中川・近鉄四日市・桑名)や長距離乗車券(制度廃止直前時点では片道運賃が1400円を超える区間の乗車券)で途中下車が可能であった。なお当時の長距離乗車券は有効期間が片道2日であったが、途中下車制度廃止時に1日に統一されている。
阪神電気鉄道との連絡運輸(大阪難波接続)は、次の区間で行っている[113]。
範囲外を利用する場合は降車駅または生駒駅中間改札での精算となる。ただし、必要な残額がある各種交通系ICカードを利用する場合は、山陽電気鉄道(大阪難波・西代経由)、阪急電鉄(大阪難波・高速神戸経由)、能勢電鉄(大阪難波・高速神戸・川西能勢口経由)、神戸電鉄(大阪難波・新開地経由)、神戸市交通局(大阪難波・新開地・谷上経由)、大阪市高速電気軌道(大阪難波・高速神戸・天神橋筋六丁目経由)、北大阪急行電鉄(大阪難波・高速神戸・天神橋筋六丁目・江坂経由)の各駅を含め、そのまま改札を通過できる。
京都市交通局との連絡運輸(竹田接続)は、次の区間で行っている[114]。
範囲外を利用する場合は降車駅または生駒駅中間改札での精算となる。ただし、必要な残額がある各種交通系ICカードを利用する場合は、京阪電気鉄道京津線・石山坂本線(竹田・御陵経由)の各駅を含め、そのまま改札を通過できる。
大阪市高速電気軌道との連絡運輸(長田接続)は、次の区間で行っている[115]。連絡定期券はICカード「ICOCA」のみでの発売である。
範囲外を利用する場合は降車駅または生駒駅中間改札での精算となる。ただし、必要な残額がある各種交通系ICカードを利用する場合は、阪急電鉄(天神橋筋六丁目経由)、北大阪急行電鉄(江坂経由)、阪神電気鉄道(天神橋筋六丁目・高速神戸または新開地経由)、山陽電気鉄道(天神橋筋六丁目・高速神戸または新開地・西代経由)、能勢電鉄(天神橋筋六丁目・川西能勢口経由)、神戸電鉄(天神橋筋六丁目・新開地・湊川経由)、神戸市交通局(天神橋筋六丁目・新開地・谷上経由)の各駅を含め、そのまま改札を通過できる。なお、大阪線伊賀上津駅以東の各駅からけいはんな線を経由して、大阪市高速電気軌道の各駅までの利用では交通系ICカードでの乗車はできない[116]。
以下の駅で行っている[117]。
このうち、大阪市高速電気軌道との連絡運輸は2020年12月8日発売分からICカード「ICOCA」による連絡定期券のみとなる[118]。
以下の各項目を参照。
このほかに天理教信者の参拝向けに販売する普通割引切符があるが、天理教教会および天理教本部限定販売である。
また、乗車カードとしてPiTaPaが使える路線(鋼索線を除く全線)でJR西日本のICカード「ICOCA」およびこれらと相互利用可能なICカード(TOICA・manaca・Suica・PASMO・Kitaca・SUGOCA・nimoca・はやかけん[23])が利用可能である。かつては志摩線に一部利用できない駅があったが2015年8月1日に志摩線全駅と西信貴鋼索線でこれらのICカードが利用可能となった[123]。
さらに、自社でのICOCA・ICOCA定期券(JR西日本・京阪・阪神・南海・大阪地下鉄・京都地下鉄各社局との連絡定期券も)が発売されている(一部の路線・区間を除く)[21][124]。2013年3月23日からは近鉄とJR東海のIC連絡定期券も発売が開始されており[125]、2014年3月14日には南海電気鉄道との河内長野連絡ICOCA連絡定期券も発売を開始した(南海ではPiTaPa連絡定期券として発売)[126]。また、2014年9月21日には名古屋鉄道とのIC連絡定期券も発行を開始し[127][128]、2017年には京都市交通局との竹田連絡ICOCA連絡定期券も発売を開始した[129]。
なお、スルッとKANSAIとJスルーでカードに印字される符号はKTである。
駅の入場券の発売額は以下の通り(2023年4月1日現在[130][131]。小児半額・端数は10円単位で切り上げ)。ただし、JR西日本やJR東海との共同使用駅(改札内で行き来が可能な駅)である津駅・松阪駅・伊勢市駅・吉野口駅・柏原駅については、発売額が他の近鉄の駅と異なる(小児半額、端数は10円単位で切り捨て)。
なお、JRとの改札分離に伴い、2020年3月18日に鳥羽駅[132]、同8月30日に桑名駅の入場券料金を変更[133]した。
自動改札機の導入開始はきわめて早く、現在主流の磁気乗車券方式のものは1969年に試験導入が始まっており、これが本格実用化のきっかけとなった。その後1971年4月より、大阪阿部野橋駅など19の駅でサイバネ規格対応の自動改札機の本格導入が開始された[134]。また、それ以前にも光学読み取り式自動改札の試験が大阪阿部野橋駅で行われている[注釈 31]。
しかしながら、近鉄には奈良や三重を中心にローカル駅や無人駅が多いという実情から、40年以上経った2022年現在でも全線全駅での自動改札の導入は行われていない。またスルッとKANSAIの導入も遅れ、結局は青山町駅以西の一部支線を除いたエリアでの導入となっていた。一方で、他の関西私鉄では導入されなかったJスルーにも近鉄グループの近鉄バスとともに対応していた。さらに、東海エリアの駅に関しては2000年代前半まで主要駅を除いて自動改札が存在していなかったが、2007年4月のICカード「PiTaPa」導入を機にこれらの駅の大半でも自動改札の導入が実施され、これらの駅では2枚対応改札(赤い改札)が導入された。またICカードに限れば、2018年3月現在、生駒鋼索線と葛城索道線を除く全線全駅で利用可能である。
改札機のメーカーは、大阪線系・南大阪線系がオムロン(オムロンソーシアルソリューションズ)、奈良線・京都橿原線系が東芝(東芝インフラシステムズ)、名古屋線系が日本信号製と分けられている。
2007年11月28日に近畿日本鉄道は、鉄道向け自動改札システムの開発・実用化に関して、電気・電子・情報・通信分野における世界最大の学会であるIEEE(アメリカ電気電子学会)より、「IEEEマイルストーン」に認定され、同システムを共同で研究・開発してきた、大阪大学・オムロン・阪急電鉄と共に受賞したと発表した[134]。前述した自動改札機の試験導入が行われた大阪阿部野橋駅には、受賞記念の銘板が設置されている。
ICカードを用いた乗降(改札通過処理)については前述の通りだが、精算やチャージについてはすべての駅では対応しておらず、都市近郊の駅でも一部の駅でこれらの処理ができず、閑散区間に至っては主要駅でしか扱っていない。そのため、十分な残額が無いままで無人駅などへ乗車した場合、その駅での降車ができないケースがある。
精算機についてはPiTaPa導入開始以降、都心部や近郊区間の駅を中心にICカード対応のタイプへの置き換えが進んでおり、この機械ではICカードの精算やチャージが可能となっている。チャージに関してはこのほかにも、改札内のICカードチャージ機、改札外のICカード対応切符券売機で対応している。また2016年からは、関西私鉄(かつPiTaPa導入社局)で初めて券売機でICカードの残額を利用してきっぷを購入することができるようになった[135]。
物販支払いにおけるICカードの対応については、コンビニ型店舗「K PLAT」で「PiTaPa」(iDも利用可能)が、「ファミリーマート」(「am/pm」から転換)では、「ICOCA」や「TOICA」「manaca」など同カードと相互利用可能なICカードや、「楽天Edy」などが使用可能となっている。一方で、小型店舗、キオスク型店舗が中心の「Pocket Plat」については、「PiTaPa」に対応していた古市駅の店舗を除いてICカードに対応していなかったが、2013年度中に、旧「K PLAT」の店舗を含め、ファミリーマートへの転換(愛称:「近鉄エキファミ」)が進められ、転換が完了した店舗からファミリーマートが導入している各電子マネーおよびPiTaPaが随時使用可能になった。その他の業種の店舗でも駅ナカを中心に導入が進められており、自動販売機でも対応している物がある。
ホームに設置されている発車標(列車発着案内表示器)のタイプに関しては、1980年頃までは行灯式や字幕式、それ以降2000年頃まで設置されたものは反転フラップ式(ソラリー式)が主流であった。しかし一部の主要駅では発光ダイオード (LED) や液晶ディスプレイ (LCD) タイプのものに交換され、さらに奈良線系統においては2009年3月の阪神なんば線開通に伴い、表示する情報量が格段に増えることなどからLCDタイプのものへの交換が一部の駅を除いて行われた。このLCDタイプは奈良線以外では大阪阿部野橋駅や桃山御陵前駅を皮切りに主要駅を中心に順次設置されている。なお都心部やその近郊区間での下位種別しか停車しない駅などではほとんどが列車の通過到着を知らせるだけのLED一段タイプのものであるほか、閑散区間の駅や支線の駅に至っては全く設置されていない場合がほとんどである。このほか、生駒ケーブルなどでは昔ながらの行灯式が現在でも使用されている。なお、字幕式の発車標は河内長野駅での2020年1月30日の使用終了をもって全て姿を消した[136]。
また、近鉄特有のものとして、主にターミナル駅のホーム階段付近やコンコース、改札などに設置されている各方面別の発車案内を表示するブラウン管式や液晶式の表示装置が存在する。早い所では1970年代から設置されていたもので、長らくブラウン管式が使用されていたが、2000年代に入ってから大半が液晶式に交換され、ブラウン管式表示装置は橿原神宮前駅での2016年の使用終了をもって全て姿を消した。液晶式表示装置も最新タイプのLCD式に交換が進み、従来のタイプは大和西大寺駅にしか残っていない。また、この液晶式表示装置はダイヤの乱れなどが発生した時に、運行情報を表示する機能も導入されている。このほか、一部の主要駅では列車運行情報専用(平常運転時は旅客案内用)の液晶ディスプレイが設置されている[137]。
発車標は、全列車を表示するもののほかに、大阪難波駅や近鉄名古屋駅などでは特急のみ表示するものも設置されている。また、特急停車駅ではホームに乗車位置の案内表示器が設置されており、発車標と同様にソラリー、LED、LCDが混在する[注釈 32]。さらに、各方式で号車番号のみ表示するもの、発車時刻の「分」と号車番号を表示するもの、発車時刻・行先・号車番号を表示するものがある。なお、発車標での特急の表示は2013年のダイヤ変更まで一部の駅を除いて使用車種にかかわらず「特急」のみであったが、このダイヤ変更以降は全ての駅でしまかぜ・アーバンライナー・伊勢志摩ライナー・さくらライナーに限り使用車種の名称が併記されるようになった(後に登場した青の交響曲・ひのとり・あをによしも同様)。
発車標をはじめ、方向幕・駅名標などにおける、固有名詞のローマ字表記については、近年大手私鉄各社で小文字を利用した表記方法(例:「Ōsaka」「Kyōto」「Nagoya」など)が広がる中、南海電気鉄道と同様に、すべて大文字表記(例:「ŌSAKA-NAMBA」「KINTETSU-NARA」など)の、鉄道掲示規程に準じた表記方法となっていた[注釈 33] が、これは2015年8月より実施の駅ナンバリング導入に際し小文字混じりの表記に一斉に切り換えられた[注釈 34]。なお、2000年代以降に設置された案内サインの多くには、日本語・英語のほかに簡体字およびハングルでの案内が印字されており、また2009年以降近鉄奈良線を皮切りに更新された案内板・駅名標からユニバーサルデザインのピクトグラムや、イワタとパナソニック(松下電器産業)が共同開発[138] したユニバーサルデザイン対応フォント「イワタUDゴシック」が採用されている[注釈 35]。2015年8月から2016年4月にかけて駅ナンバリングの導入、及び主要駅の案内サインや行先表示装置、駅・車内放送における多言語対応の充実に伴い、再度駅の案内板のリニューアルが行われ、シンプルでかつ文字サイズが幾分大きめになったデザインに変更されている。また、LCDタイプの発車標では、英語表記を小さいフォントで日本語の下に配置していたもの(鶴橋駅の画像を参照)から、主要駅29駅[注釈 36]においては『日本語』と『英語(頭文字のみ大文字、以下小文字。駅ナンバリング込み)』とを交互表示させるものになった。ただし、主要駅以外では従来の表示形式のままである。
方面を示す看板は、基本的に前述の「旧国名・会社略称を冠した駅名の扱い」に記した案内放送、方向幕、発車標の通り、旧国名を冠した駅名は旧国名を冠し、「近鉄」を冠した駅名は「近鉄」を省略して表記を行い、途中で乗り換えることで行くことができる駅も表記している(日本語・英語ともに)。2015年ごろからは路線記号とラインカラーを組み合わせたものとなっている(公式英語サイト内の"Boarding a Train: Confirming the train type and platform"に記載)[139]。広大な鉄道網を有するだけあり、駅によっては地区名もしくは都市名で示す場合もある。大阪地区においては山田線・鳥羽線・志摩線の各駅を示す意味で「伊勢志摩方面」の地区表記を用い、名古屋地区や伊勢志摩地区においては大阪上本町駅・大阪難波駅・阪神電鉄の神戸三宮駅を示す意味で「大阪・神戸方面」の都市表記を用いる[140]。
バリアフリー対応のため、特急停車駅など主要駅、都心部や近郊区間の駅ではエレベーターやエスカレータ、スロープ、障害者対応トイレなどの設置が逐次進められている。しかし、前述の通り所有駅数が多いという実情から、閑散駅ではなかなか対応が進まないのが現状である。近年では中之郷駅のように、一旦エスカレータが設置されたものの、その後の乗降客減少と駅無人化によって利用停止、解体された事例も発生している。
トイレは大半の駅で設置されている。水洗式や障害者対応トイレの整備が進められている一方で、利用者が比較的多いにもかかわらず汲み取り式のままの駅も多数残存する。また、三重県を中心に閑散区間の駅で駅員配置駅だったものが無人駅化される際に、清掃・維持費用の観点からトイレそのものを撤去したケースも複数存在する。しかし、これらに該当する駅が多かった北勢線・養老線・伊賀線が経営分離されたことで、近鉄としての水洗化率・トイレ設置率は大幅に向上している。また、主要駅を中心に温水洗浄便座の設置など改良も行われている。
なお、2023年度から2025年度にかけて約100駅のトイレを改修するとともに、トイレを設置している全駅において洋式便器を1つ以上設置し、全ての洋式便器に温水洗浄便座を設置する方針を明らかにしている[141]。
トイレットペーパーは、ほぼ全駅のトイレに設置されている。このうち、関西エリアでトイレットペーパーの設置が進んだのは2008年冬頃からであり、それ以前は関西エリアでは紙の備え付けはされず、別途入口付近の自販機で購入する方式を採っていた。東海エリアでは以前からローカル駅においてもロール式が備え付けられていた。
ほとんどの特急停車駅においては特急券は有人窓口、自動券売機など、何らかの形で常時発売されている。これらの駅では定期券も発売されている場合が多いが、観光地の駅や山間部の駅などでは必ずしもその限りではない。また、本線格の路線においては速達種別の停車駅や特に利用客の多い駅、学生利用の多い駅などに有人の定期券・特急券発売窓口を設置している。2010年のダイヤ変更で特急停車駅となった西ノ京駅は唯一の例外で、同駅ではこれまで有人の切符販売窓口が未設置だったこと、特急停車にあたって「定期券・特急券自動発売機」(後述)の設置もされなかったこと、加えて特急が停車するのが観光需要のある日中のみであることから、発売時間も同駅に特急が停車する時間帯のみに設定していた。同駅は2021年9月に駅員の常駐が取りやめになったことに伴い「特急券自動発売機」が設置されている。また、定期券についてはローカル駅などで事前予約による販売のみを行う駅も存在する。
最近では「定期券・特急券自動発売機」の設置が進められている。この機械の導入により、これまでの有人窓口と比べて販売時間が大幅に拡大した(基本的に早朝から深夜まで購入可能)ものの、新規の通学定期券やバス連絡定期券、各種割引きっぷが買えなくなるデメリットも発生している。特急停車駅ではない駅の中にはこの機械の設置に替えて有人窓口の営業時間を大幅縮小、または廃止、臨時営業とする駅も出てきている(機械の代替設置を行わず、特急券・定期券類が完全に買えなくなった駅も存在する)。また、2008年10月には自動発売機の整備と有人窓口の廃止縮小を軸とした販売窓口の一斉整理が全線で行われ、それ以降も自動発売機の設置と有人窓口の営業時間縮小、廃止が少しずつ進められている。2021年に入って、新型コロナウイルス感染症の流行による急激な利用客減少に対応した合理化により、特急停車駅においても常時無人化される事例が出てきている。
大半の特急停車駅やある程度の乗降客がある駅にはコンコース・ホーム上などに駅売店「Pocket Plat」を、ターミナル駅などにはコンビニタイプの売店「K PLAT」が営業している。かつては「365」というブランドで展開しており、現在でも一部の駅の自動販売機コーナーなどにその名残りがある。また、最近ではターミナル駅でのエキナカ事業の拡充に取り組んでおり、大和西大寺駅や京都駅、大阪難波駅などでは「Time's Place」という様々な業種の店舗が立ち並ぶようになっている。しかし、その一方では乗降客の減少した駅での店舗廃止も進めている。売店の営業は近鉄が直営として、近鉄グループの近鉄リテールサービス(現・近鉄リテーリング)に運営委託という形を取っているが、以前(「365」時代)は近鉄観光による運営であった。
2013年3月には近畿日本鉄道とファミリーマートの業務提携と、「K PLAT」、「PocketPlat」の2013年度中のファミリーマートへの順次転換が発表された(愛称:「近鉄エキファミ」)。転換後は近畿日本鉄道がファミリーマートのフランチャイジーになる[142]。ファミリーマートへの転換が完了した店舗では、買物での支払いにICOCAやTOICA・manaca・PiTaPaなどの各種交通系ICカードや、iD・楽天Edyなどが使用可能になった(「ICカードの対応」節も参照)。特に駅ホームのキオスク型店舗でICカードが使用可能になるのは近鉄としては初めてのケースとなる。
なお、かつてあったコンビニエンスストアのam/pm(現在はファミリーマートに統合・移管済)は、関西圏では近鉄がフランチャイジーを行っていた。
奈良県内では近鉄グループのケーブルテレビ局、「近鉄ケーブルネットワーク (KCN)」がケーブルテレビ・インターネット事業を行っており、それの宣伝を兼ねる目的で、奈良県内の主要駅やスタジオにもっとも近い東生駒駅には主にBS放送やCS放送(スカパー!)の専門チャンネルが映る多数のテレビを壁状に配置し、様々なチャンネルを同時に視聴できるようにしたテレビモニターが設置されている。基本的に音は出ないが、高の原駅や大和西大寺駅などに設置されているものは中央に大型のハイビジョンテレビが据えられ(主にNHK奈良放送局総合テレビが放映されている)、これのみスピーカーから音声が発信されている。特徴的な設置物であるがゆえに待ち合わせに利用されるケースも見受けられる。このほか、三重県内でも津駅と久居駅にZTV、宇治山田駅にiTVのテレビモニターが設置されている。
駅掲出の時刻表及び駅配布のポケット時刻表は長らく、けいはんな線を除いて独特の形式を採用しており、主な行先ごとに枠を作って大分類し、さらにそれを種別ごとに分類して時刻の「分」を縦書きで記入したものであった(駅によっては行先と種別の順序が逆になることがある)。1990年代までは1日に1本しかないような列車に対しても枠が分けられるなどかなり厳格な運用がされていたが、のち類似の種別や行き先は一纏めにされ、その上で色分けしたり略号を付けたりして区別されることが多くなり、他の鉄道の形式にも幾分近くなった。なお、他社でも1990年頃までは南海電気鉄道でも、2003年までは京阪電気鉄道でも、この体裁が採用されていた。
2022年4月23日の南大阪線系統を対象としたダイヤ変更から、駅掲出時刻表の体裁が一新[注釈 37]され、他社と同様に列車発車順の横書き形式に変更された。それ以外の奈良線・大阪線・名古屋線などの標準軌路線においてはその時点では変更されなかったが、同年12月17日のダイヤ変更からは標準軌路線の全駅でも、列車発車順の横書き形式に変更され、これにより近鉄独特の主要行先・列車種別ごとの形式はほぼ廃止された[注釈 38]。なお、駅掲出の時刻表は、全駅とも公式ウェブサイトで閲覧できる。
また、駅配布のポケット時刻表は、大阪地区と名古屋地区で体裁が異なっていた。さらに大阪地区においても布施駅や京都線は休日ダイヤが表面になっていた(それ以外の路線は平日ダイヤが表面)。2020年3月以降の大阪地区では一部の駅[注釈 39]でポケット時刻表独自の体裁から駅掲出時刻表をそのまま印刷したものに変更された。なお、スマートフォンの普及により「近鉄アプリ」や公式ウェブサイトで時刻表を検索できることや、コロナ禍による経費節減などの理由により2021年7月2日をもってポケット時刻表は配布終了になった(ただし、駅によっては独自に時刻表を紙に印刷して配布している場合もある)。
時刻表では、「当駅から乗客扱いを始める列車」については「当駅始発列車」ではなく「当駅仕立列車」という独特の用語で表現される。なお、2022年12月17日ダイヤ変更からは「当駅始発列車」に表記を改めている。
以下では近鉄と同業他社との関係(グループを含む)を記す。なお、この他にも大分県への近鉄グループ進出を巡り、福岡県を拠点とする西日本鉄道(西鉄)とも対立していた時期もあった。
近鉄が多く路線を保有する奈良県および三重県においては、近鉄はJRよりはるかに運転速度・規格・本数などで勝っている面が多い。また、四日市駅と近鉄四日市駅、奈良駅と近鉄奈良駅など、同県のある地区にJRと近鉄の2社の代表駅がそれぞれ別の場所に設けられている場合、それぞれの沿線人口の違いもあり、JRの駅前は閑散としているのに対して、近鉄の駅前は繁華街に近いというのが一般的である[注釈 40]。そのほか、官庁の出先機関や市役所、企業の支店・営業所なども近鉄の駅を利用する方が便利というケースが多い。日本国有鉄道(国鉄)時代から国有鉄道の意義が低く、近鉄の意義が沿線住民には高かったからである。
これは、同地区の国鉄線を建設したのが元々関西鉄道・参宮鉄道などといった私鉄であり、鉄道国有法に基いてそれを国有化した後は一地方路線扱いとしてほとんど投資がなされなかったため、国鉄時代には近鉄と並行する関西本線・奈良線などは都市近郊路線にもかかわらず、非電化・単線の時代が長く続いているといった状況となったからである[注釈 41]。これに対して、近鉄の元となる大阪電気軌道・参宮急行電鉄は、始めから高規格の高速運転を行う路線として主要路線を建設し、さらに買収路線(伊勢電気鉄道を買収した名古屋線、奈良電気鉄道を買収した京都線など)を含めて何度も複線化・線形改良などを行い、速達列車を多く設定したため、輸送において国鉄よりはるかに優位に立つことができた。
国鉄分割民営化後は、JR西日本が大和路線・奈良線・おおさか東線・和歌山線・桜井線(万葉まほろば線)といった「アーバンネットワーク」の一部路線で近鉄との対抗として大和路快速などの速達列車を設定したり[注釈 42]、JR東海が名古屋駅 - 鳥羽駅間に快速「みえ」を走らせたりするなど、国鉄時代に比べて大きく改善されているが、それでも、列車本数等で近鉄が有利である区間が多い。
そのため、奈良・三重両県において近鉄グループは、鉄道やバス(奈良交通・三重交通)などの交通事業、不動産やホテル・百貨店などの付帯事業において強い影響力を持ち、両県では「近鉄王国」と称されているほど、県民にとって近鉄グループは生活に欠かせないものとなっている。一例として、古くから皇室関係の奈良・三重方面への移動には京都や近鉄名古屋駅から近鉄を利用することが多く、このことからお召し列車の運行実績も他私鉄に比べて多い[注釈 43]。また、毎年1月4日の内閣総理大臣の伊勢神宮参拝に関しても慣例的に近鉄特急が利用される。
また、両県においては交通事業のほかに、近鉄百貨店に代表される流通事業、KCN(近鉄ケーブルネットワーク)や奈良テレビ放送に代表される通信・サービス事業、近鉄不動産に代表される不動産・開発事業、都ホテルズ&リゾーツ(奈良ホテル(2019年3月31日に都ホテルズ&リゾーツを脱退、翌4月1日よりJRホテルグループ・JR西日本ホテルズに単独加盟)・志摩観光ホテルなど)に代表される観光・レジャー事業など、近鉄グループ各社の影響を大きく受けている。
他には南都銀行や柿の葉寿司本舗たなか、また三重テレビ放送や百五銀行・赤福など、グループ企業ではないものの、近鉄との関わりの強い企業も非常に多い。
近鉄京都線は奈良電気鉄道(以下 奈良電)を合併したことから始まるが、奈良電は京阪電気鉄道(以下 京阪)と当時の大阪電気軌道の両者がほぼ同額を出資する形で設立された。1953年9月に近畿地方を襲った台風13号による被害で、奈良電は経営悪化に陥っていた。その際、京阪と合併するという案が出されている。しかし、これを京阪側は淀屋橋延長線(淀屋橋駅 - 天満橋駅)の建設工事による巨額投資を行ったため不可能だとして拒否していた。その時期を見込んで京阪寄りだった奈良電の経営権を取得し、京都への進出を図った近鉄だったが、京阪側はこの事態に反発した。しかし、近鉄は株式の取得を進め、関西電力会長だった太田垣士郎の斡旋を経て、1963年10月1日に奈良電は近鉄に合併された。当時の近鉄社長である佐伯勇は、京阪の社長だった村岡四郎が英断を下して「持株も譲っていい、そのかわり奈良電を一流にたて直しなはれ」という言葉をかけられたと述べている[143]。なお、大久保駅など新田辺駅以北の近鉄京都線沿線[注釈 44]のバス路線が京阪系列の京阪バス・京都京阪バス等により運行されているのは、近鉄への株式譲渡の際、京都 - 奈良間のバス事業免許は京阪側に引き渡すという条件によるものである。
国鉄への対抗意識から、関西私鉄の多くが国鉄の駅との連絡に消極的であったのに対し、近鉄は大軌子会社の参急発足の頃から、積極的な連絡を図ろうとした。その名残で特に三重県には、津駅・松阪駅・伊勢市駅といった、JRと近鉄が同じ構内を共同で管理する駅が存在する。
さらに名古屋線などの前身である伊勢鉄道(後の伊勢電気鉄道)、南大阪線などの前身である大阪鉄道、吉野線の前身である吉野鉄道などといった会社も、元々は「国鉄と貨物の連携輸送を行うこと」を目的に設立されたことから[注釈 45]、それらの会社が建設した路線にも桑名駅や柏原駅・吉野口駅など、JRの駅へ乗り入れている駅がいくつか存在している。
他にも鶴橋駅や近鉄名古屋駅のように、JR線との乗り換え改札口を設けている駅もある。一方で近年は、桜井駅や京都駅のように、JRと改札が分離された事例もある。また近鉄四日市駅は、かつて国鉄四日市駅に近接していたが、名古屋線の付け替え(いわゆる「善光寺カーブ」の解消)により、独自の駅に分離した。
加えて、スルッとKANSAIの導入には最初は消極的であったり、JR西日本の「Jスルーカード」が、近鉄の鉄道路線(青山町駅以西の「スルッとKANSAI」対応線区に準ずるが、けいはんな線を除き、道明寺線が含まれる)や近鉄バス(北摂地区を除く)でも利用可能だった(2009年3月1日で自動改札機・自動精算機での利用を停止。以後は自動券売機での乗車券への引き換えのみ可能)という関係もある。
近鉄特急も近鉄京都駅、近鉄名古屋駅では遠方からの利用客を考慮して東海道新幹線の接続を意識したダイヤを設定している。
2009年11月から近鉄グループと東急グループの東急不動産(2011年4月26日にあべのキューズタウンを開業)の共同企画として行われている天王寺・阿倍野地区のイメージ向上を目指す「Welcoming(ウェルカミング)アベノ・天王寺キャンペーン」に、翌年2010年5月より天王寺ミオなどJR西日本グループも参加している[144]。
2012年5月10日には、近鉄グループの鉄道車両メーカーである近畿車輛にJR西日本が資本参加し、人事交流や車両の共同開発などを目的とした、業務・技術提携が締結された[145][146]。
2012年夏には、JR西日本で発売された「夏の関西1デイパス」では鶴橋駅または京都駅から生駒駅までの往復乗車券と生駒鋼索線(生駒ケーブル)の乗車券が引き替えできるオプションが用意された。これ以降も季節ごとに、近鉄のオプション乗車券引き替えが選択可能な「関西1デイパス」が順次発売されている。
さらに、近鉄・JR西日本と近畿日本ツーリストの3社共同企画として、「近鉄電車&山陽新幹線で行く! 九州、伊勢志摩」の旅行商品の販売キャンペーンも行われている[147]。
近鉄でのIC定期は、京阪電気鉄道同様にPiTaPaではなく、JR西日本のICOCAで発行されることになった。2012年12月1日に発売を開始し、JR西日本・京阪・阪神各社との連絡定期券も同時に発売開始した[21][124](阪神ではPiTaPa連絡定期券として発売)。さらに2013年3月23日からは、JR東海とのICOCA連絡定期券も発売開始し(JR東海ではTOICA連絡定期券として発売)、2014年3月14日には南海電気鉄道とのICOCA連絡定期券も発売を開始している(南海ではPiTaPa連絡定期券として発売)[126] ほか、9月21日には名古屋鉄道とのICOCA連絡定期券も発売を開始した[127]。
後にJR東海が展開する「うましうるわし奈良」キャンペーンにも協力しており、近鉄の駅構内や車内において、同キャンペーンの広告を2社共同で出稿しているものもある。
2013年10月には、近鉄・JR西日本と南海の3社共同企画として、「高野(紀北)・熊野&伊勢志摩 ぐるり旅」キャンペーンが、各社の沿線情報タブロイド紙(「近鉄ニュース」「西Navi」「NATTS」)に掲載された[148]。
他社線との直通運転の過去の事例で前述したように、名古屋鉄道(名鉄)との間では、かつて名古屋線が狭軌であった時代に、新名古屋駅と近畿日本名古屋駅(いずれも当時の駅名)とを結ぶ地下連絡線を通り、名鉄 - 近鉄間両社直通の臨時観光列車の相互乗り入れをしていたこともあった。その後、相互乗り入れは中止したが、現在も近鉄名古屋駅の地下コンコース内には、名鉄名古屋駅への連絡改札口が設けられている。
しかしその一方、名鉄との間では、一時期激しく対立したこともあった。戦前では伊勢電を巡る争いが最も大きなものであったが、戦後の高度経済成長期には石川県における北陸鉄道支援を名鉄が行った際に、近鉄では北陸鉄道に対抗するバス路線の敷設を目論んで北陸日本交通との名義で会社を設立しようとしたり(これは後に同社を合併して近鉄の子会社化した北日本観光自動車のバス路線網拡大へ方針転換するが、当時の運輸省の方針で却下された)、近鉄が大垣から岐阜・羽島への新線敷設を計画した(「養老鉄道養老線」を参照)のに対抗して、名鉄が岐阜から養老・羽島に至るモノレール建設を発表(後に羽島線の建設へ変更)したという事例がある。
また、伊勢湾にフェリー航路を新設するに当たっては、営業免許を巡って両社共激しく競合したが(当時の新聞紙上では「伊勢湾海戦」と報道された)、これも当時の運輸省の仲裁により、伊勢湾フェリーが両社折半で設立されることになった(現在は両社の手を離れて第三セクターとして運営)。
さらには、1964年に開通した名神高速道路を走る高速バス路線である名神ハイウェイバスにおいて、国鉄バス(現在はJRバスとしてジェイアール東海バス・西日本ジェイアールバスが共同運行)以外に多数の民間会社による運行計画が乱立したため、運輸省の調整により、近鉄を中心とした日本高速自動車(現在の名阪近鉄バス、当時は阪神・南海も出資)と、名鉄を中心とした日本急行バス(当時は京阪・阪急・近江鉄道なども出資、その後名古屋観光日急から名鉄観光バスを経て、現在は名鉄バスへ移管)の2社が設立される事態となった。
これらの対立・競合状態が解消して、協力関係に入ったのは安定成長期の中頃に入った1980年代のことだった。近鉄の駅構内や車内広告、および「近鉄時刻表」などにおいて、主に博物館明治村・リトルワールドや、中部国際空港行き空港特急「ミュースカイ」など名鉄グループの広告が、また名鉄の駅構内や車内広告、および「名鉄時刻表」などにおいては、主に志摩スペイン村など伊勢志摩地区の観光広告や、近鉄名阪特急「アーバンライナー」など、近鉄グループの広告が相互に掲載されるようになるなど、名鉄と完全に相互協力関係にある。
その後1997年から2006年までの間、南海電気鉄道と共に3社の鉄道路線・およびグループ各社の交通機関も利用可能であった、乗り放題切符「3・3・SUNフリーきっぷ」も発売されていた。2013年3月23日には「交通系ICカード全国相互利用サービス」開始により、近鉄で発行しているICカード乗車券「PiTaPa」「ICOCA」を名鉄線で、名鉄で発行しているICカード乗車券「manaca」を近鉄線で、それぞれ利用することが可能となった。また、2014年9月21日には両社のIC連絡定期券も発行を開始した[127][128]。
2012年6月にはリニア中央新幹線開業に向けての名古屋駅周辺の再整備により、近鉄名古屋駅と名鉄名古屋駅の統合化を検討していることが明らかになった[149]。しかし2020年11月、コロナ禍による影響に伴い、2022年に予定していた着工の延期が名鉄によって示されている[150]。
近鉄のプロ野球事業は、公式には1949年結成の「近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ)」からとされているが、既述の通り1944年の発足から1947年までは旧・南海鉄道を合併していたため、南海軍(1938年発足。のちの南海ホークス・福岡ダイエーホークス、現在の福岡ソフトバンクホークス)を改めた「近畿日本軍」が近鉄の球団経営史の嚆矢となる。
戦後、近畿日本軍は社章「大いなる和」にちなみ「グレートリング」と改称。1947年6月のシーズン途中、近鉄から南海電気鉄道の分離発足(歴史の節参照)に伴い、同球団は近鉄から南海の傘下に移り、同社の社章「羽車」にちなみ、「南海ホークス」と改称した[注釈 46][注釈 47]。
1949年、グレートリングを所有したこととプロ野球人気がきっかけとなり、近鉄は再び球団経営を検討し、今度は自力で新たにパールスを発足させた。その球団経営も当時の山口昌紀社長の手により「球団は回収の見込みがない経営資源」と見なされ、2004年のオリックス・ブルーウェーブ(大手リース会社オリックス傘下)との統合により55年の歴史に幕を下ろし、統合球団「オリックス・バファローズ」への出資・スポンサー協力も2007年シーズンをもって終了、名実ともにプロ野球事業から撤退した(「プロ野球再編問題 (2004年)」も参照)。
なお、かつて近鉄が運営していた球団である近畿グレートリング(近畿日本ホークス[注釈 46])と近鉄バファローズは、球団経営母体がそれぞれソフトバンクグループとオリックスとなった現在でも、パシフィック・リーグのオリックス主管の公式戦のイベント試合「OSAKAクラシック」として、京セラドーム大阪において年間1カード3試合程度、近鉄、南海時代の復刻ユニフォーム着用試合を行っている。
1929年に設立された大軌ラグビー部を源流とする社会人ラグビーチーム「花園近鉄ライナーズ」は、昭和40年代に日本選手権で3度優勝するなど古豪として知られる。
かつてはラグビーの聖地とも称される近鉄花園ラグビー場を所有しており、プロ野球事業からの撤退後はラグビー部の運営に力を入れるようになった。花園ラグビー場は2019年ラグビーワールドカップ開催に備えて、2015年に施設を東大阪市に譲渡[注釈 48] して「東大阪市花園ラグビー場」として運営されているが、引き続き近鉄はライナーズの本拠地としての使用、並びに東大阪市のラグビーの普及・啓蒙のための支援活動を実施している。これについては「東大阪市花園ラグビー場#市営化を巡って」の項を参照。
バス事業、旅行業など多くは子会社化していたが、2015年4月の会社再編まで直営していたものとして、高速道路のサービスエリアにおけるレストラン事業があった。下記の各サービスエリア(6箇所7店舗、移管時点)で運営していたが、会社再編後は近鉄リテールサービス(近鉄リテーリングに社名変更)に移管された[8]。後に浜名湖・尼御前・刈谷を除いて撤退している[151][152][153][154]。
第111期有価証券報告書によると、近畿日本鉄道労働組合が組織されており、日本私鉄労働組合総連合会に加盟している[6]。
小田急電鉄・京浜急行電鉄・西武鉄道などと同様に、原則労働組合は列車運行のストライキを行わない方針を採っている(集改札ストライキはあり)。1980年代後半当時のテレビニュースやストライキ情報では、ストライキを予定していた近鉄が集改札スト(鉄道の営業は行うが駅での改札や乗車券類の発売などの業務を一切行わない戦術。なお、ストライキ中の乗車券は車掌が車内で発売する体制を採っていた)に変更すると「戦術ダウン」と報道されることもあった。また、名阪ノンストップ特急の利用者が低迷した時代は、それに関してのみ例外として運休とされていたことがあった[注釈 49]。
ただし、戦後に組合が発足した当初は争議に積極的で、他社が収束した後も独自にストを行ったこともあった。特に1958年の春闘では激しく対立し、全面ストを含む41日に及ぶ争議となったが、並行する他社の路線がほとんどないなどの理由で、利用者からは強い反発を受け「沿線住民を無視できない」という理由でストを中止した。翌1959年、組合は対話を尊重する方針を打ち出し、秋の伊勢湾台風被害から労使一体で再建に取り組む過程でこの路線がさらに固まった。その後十年間にこの方針が組合の基調となり今日に至っている[155]。
カッコ内は就任期間。代数は大阪電気軌道設立から数える[156]。
事業会社発足後
カッコ内は就任期間。代数は公式には存在しないので就任順に掲載[156]。
事業会社発足後
以下の人物は元・百貨店部(現・近鉄百貨店)出身者である。
近鉄百貨店や近畿日本ツーリスト・近鉄エクスプレスなど近鉄グループ企業各社については、「近鉄グループホールディングス」を参照のこと。
放送局は「関連するメディア」の節を参照のこと。
近鉄はJRと並ぶ大規模な鉄道事業者ではあるが、テレビやラジオの番組スポンサーになった経験は少ない方である。近鉄が提供する番組は、かつて全国ネットでも放送された一社提供の紀行番組「真珠の小箱」が代表的で、この番組に関しては45年間の長きに亘り放送されたが、この番組も2004年に終了した(ただし2009年度に、サンテレビにて、近鉄提供で「真珠の小箱」が再放送された)。なお「真珠の小箱」やバファローズ関連の番組が放送されていた頃は、近鉄車内の吊り広告で「今月の近鉄提供番組案内」が紹介されていた。
ほかに独立U局の奈良テレビ放送や三重テレビ放送が製作し、TXN系列のテレビ大阪やテレビ愛知などで放送された、近鉄沿線の奈良大和路・伊勢志摩を取り上げた、単発の旅番組を提供したことがあった。
2011年10月現在、同社の提供番組は、テレビ大阪の水曜日22:54からの「天気予報」や、奈良テレビ放送で毎晩放送されている「天気予報」(平日と土日では放送時間が異なる)など、またラジオではラジオ大阪の金曜日15:00頃(2016年10月現在、木曜日13:05頃)からの「ほんまもん!原田年晴です」内の「ぐるり近鉄沿線情報」のコーナー枠のみであり、あとはスポットCMの放映が中心である。同様に近鉄グループの各企業も、テレビCMにはあまり積極的ではない。なお阪神なんば線の開業前後からは、サンテレビでもスポットCMが放映された。
以下に掲載するすべてのテレビ・ラジオ番組はすでに終了している番組である。
近鉄に関係する事物が登場する作品(近鉄提供番組については前節参照)、近鉄が撮影協力やタイアップして宣伝に関わったテレビ番組、映画作品は以下のようなものがある。
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