東大阪市
大阪府の市 ウィキペディアから
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東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府の中河内地域に位置する市。大阪市の東に位置し、市域の東側は生駒山地で奈良県と府県境を接する。
ひがしおおさかし 東大阪市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 大阪府 | ||||
市町村コード | 27227-2 | ||||
法人番号 | 8000020272272 | ||||
面積 |
61.78km2 | ||||
総人口 |
485,357人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 7,856人/km2 | ||||
隣接自治体 |
大阪市、大東市、八尾市 奈良県:生駒市、生駒郡平群町 | ||||
市の木 | クスノキ | ||||
市の花 | ウメ | ||||
市民の花 | キキョウ | ||||
東大阪市役所 | |||||
市長 | 野田義和 | ||||
所在地 |
〒577-8521 大阪府東大阪市役所本庁舎: 大阪府東大阪市荒本北一丁目1番1号 北緯34度40分46秒 東経135度36分03秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
中核市に指定されている。人口は約48万人であり、大阪市および堺市の両政令指定都市に次いで大阪府第3位の人口を擁する。大阪市の衛星都市・ベッドタウンであるとともに、大阪都市圏における中心都市の一角でもある。
ラグビーの聖地である東大阪市花園ラグビー場を擁する「ラグビーのまち」として、また技術力の高い製造業の中小企業が多数立地するものづくりのまちとして全国に知られる。
大阪平野の東部に位置する。市域の大半は平坦な低地で河川の多くは天井川であり、この地形的要因から1972年(昭和47年)の大東大水害では大きな被害を受けた。市内を流れる主な河川には長瀬川、恩智川、玉串川、第二寝屋川などがある。
市東部は生駒山系の山々が連なっており、豊富な自然が残されている。
市域は、令制国の河内国中部にあたる。古代にはこの一帯は河内湾と呼ばれる大阪湾の奥にある小さな湾であったが、次第に海から分離して湖となった。その湖が大和川を経て上流から運ばれてくる土砂が堆積したことによって徐々に陸地化したが、こうした経緯から湿地や、底に足がつきにくい水田(深田)が多く、また洪水に見舞われやすい土地であったが、早くから開けていた。
古代には豪族物部氏が本拠地を置き、物部守屋最期の地は、現在は市南西部にある衣摺(きずり)である。飛鳥時代には中国大陸への玄関口であった難波津との街道筋にあたり、沿道には多くの集落ができた。奈良時代になると、平城京と難波津を結ぶ街道が整備され、その街道筋にも多くの集落ができた。
平安時代になり、熊野詣や高野山参詣へ上皇や平安貴族が訪れるようになると、その街道として生駒山麓を辿る高野街道が利用された。この沿線にあたる市の東部には多くの集落が点在しており、今なお旧村として市内に静かな佇まいを残している。平安時代には、枚岡神社の勢力が大きく、それを背景とする水走氏が有力な領主として市東部を中心に活動した。
室町時代初期、河内守護に任ぜられた畠山氏が若江城を築き、河内を統治する拠点とした。以後、畠山氏の守護代である遊佐氏がこの城を治めるが、応仁の乱やその後も続いた家督争いによって衰え、城主は細川氏や遊佐河内守長教、三好氏など転々とする。最終的に城は織田信長の家臣となった三好義継の旧臣の若江三人衆が治め、石山本願寺攻めが始まると織田方の拠点とされ、織田信長もこの城で指揮を執るなどしたが、両者が和睦した後に廃城とされた。またこの付近は大坂夏の陣における若江の戦いの舞台としても知られ豊臣秀頼方の将木村重成の終焉の地でもあることで知られる。
江戸時代中期以降、中甚兵衛らの嘆願によって大和川の付け替え工事が行われると、新田開発が大坂の商人らによって積極的に推進された。また商品作物の栽培も盛んで、木綿の産地として名の知られた存在だった。
東大阪市の中央部は長い間、北にある深野池や西にある新開池、そこに注いでいる付け替え前の大和川のため長らく湿地帯で、東大阪市の市域で早くに開けたのは、確かにこれら大和川の流域と高野街道沿いの地域ではあるが、開発は遅れがちであった。室町時代以降、河内国の行政の中心であった若江城でさえ、四方を沼地に囲まれた難攻不落の平城として記録されている[1]。
1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風の暴風雨。強風により楠根小学校、弥刀村小学校の木造校舎が倒壊。児童らが下敷きとなり多くの死傷者を出した[2]。
定数は38人。
日本有数の中小製造業集積地であり、高い技術を持った町工場が多数集まっている。2002年12月に東大阪宇宙開発協同組合(現・宇宙開発協同組合SOHLA)を設立し人工衛星の開発を進めるなど、世界シェアを占める企業も多い。面積に対する工場の割合では全国1位。工場の数も大阪市や神奈川県横浜市などの政令指定都市を除くと1位である。
しかし近年は減少傾向であり、工場跡地に住宅が建てられるケースもある。2007年には製造品出荷額で隣市の八尾市に抜かれ、2011年のみ東大阪市が上位に返り咲いたものの[4]、その差は広まりつつある。
市内には近畿大学があり、地元製造業との産学連携に取り組んでいる[5]。
江戸時代には旧大和川の川床などにおける木綿栽培が行われ、大阪の繊維製品取引の中心である船場に近いという地の利があり、木綿を加工するための小規模な工業が発展していた。明治維新で家内的な木綿工業は一気に壊滅したが、残された技術が、現在の当地を支える原動力になっていった。生産機械のための機械作りやその部品作りである。
1958年、日本で初めての回転寿司店である元禄寿司が開店した町でもある(旧布施市:現在の近鉄布施駅付近)。
花園ラグビー場に隣接地に東大阪市が2020年12月に開設した東大阪立ウィルチェアスポーツコートは、障害者スポーツに幅広く対応している[6]。
平成22年(2010年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.83%減の509,533人であり、増減率は府下43市町村中26位、72行政区域中45位である。
東大阪市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 東大阪市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 東大阪市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
東大阪市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
高等学校(および相当校)以上について記載する。
(2012年12月時点)
※ 東大阪市内の郵便番号は以下の通り。
同位置に所在する乗換駅などをまとめると26の駅がある。比較的発展していた3市が合併して誕生した市であるので、中心的な役割を果たす駅は特定できない。
乗降人員は近鉄奈良線と近鉄大阪線が合流する布施駅が最も多く、近鉄百貨店東大阪店を中心に商業圏が広がっている。また、JTBパブリッシングが発行する「JTB時刻表」も布施駅を代表駅としている。また、旧枚岡市域では瓢箪山駅を市東部の玄関口と見る向きもある。東大阪市役所本庁の最寄り駅は荒本駅である。
以下のうち、Osaka Metro中央線と近鉄けいはんな線は一体的な運行系統となっており、当市にある長田駅を介して直通運転を行っている。
また、おおさか東線の高井田中央駅・JR河内永和駅・JR俊徳道駅はそれぞれOsaka Metro中央線高井田駅・近鉄奈良線河内永和駅・近鉄大阪線俊徳道駅と近接しており、それぞれ乗り換え可能となっている。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
近畿日本鉄道(近鉄)
大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)
高速バス
一般路線
南北方向には大阪府道2号大阪中央環状線、国道170号(大阪外環状線)、東西方向には中央大通と呼ばれる国道308号があり市内の大動脈となっている。
しかし、その他の道路は東西南北すべての方向において貧弱であり、主要地方道でも狭隘な道路(八尾茨木線の一部)や渋滞が激しい道路(八尾枚方線など)もあり、路線バスの運行にも影響がある。
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