藤春廣輝

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

藤春 廣輝(ふじはる ひろき、1988年11月28日 - )は、大阪府東大阪市出身のプロサッカー選手FC琉球所属。ポジションディフェンダー(左サイドバック)。

概要 藤春 廣輝, 名前 ...
藤春 廣輝
名前
本名 藤春 廣輝
愛称 ハル
カタカナ フジハル ヒロキ
ラテン文字 FUJIHARU HIROKI
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1988-11-28) 1988年11月28日(36歳)
出身地 大阪府東大阪市
身長 175cm
体重 60kg
選手情報
在籍チーム FC琉球
ポジション DF (SB)
背番号 4
利き足 左足
ユース
2004-2006 東海大学付属大阪仰星高校
2007-2010 大阪体育大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2011-2023 ガンバ大阪 313 (12)
2024- FC琉球 35 (0)
通算 313 (12)
代表歴2
2016  日本U-23(OA) 2 (0)
2015-2016 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月5日現在。
2. 2015年11月17日現在。
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来歴

要約
視点

プロ入り前

東大阪市立孔舎衙東小学校東大阪市立孔舎衙中学校卒業。小学、中学時代は地元のクラブでプレーした。高校は東海大仰星高等学校(現・東海大大阪仰星高等学校)に進学、2年次にインターハイなどに出場したが、全国的には無名に近い選手だった。

2007年大阪体育大学に進学。2008年には総理大臣杯大学サッカーを制して大学日本一となったチームだったが、大学生活の中で2008年と2010年の2シーズンは関西学生リーグ2部での戦いを余儀なくされた。その中でもサイドバックとして4年次には2部リーグでアシスト王やベスト11に輝くなど攻撃的なスタイルで活躍した[1]

ガンバ大阪

2011年、J1リーグガンバ大阪に入団した[2]。3月1日、ACLグループリーグ第1節・メルボルン・ビクトリー戦で公式戦初出場を果たす。5月15日、J1第11節・アビスパ福岡戦で初のスタメン出場。10月22日、J1第30節・モンテディオ山形戦でJリーグ初得点を挙げた。シーズン終盤は下平匠からレギュラーの座を奪うなど、1年目ながら存在感を示した。

2012年は、下平の移籍により開幕からレギュラーで起用されると、リーグ戦全試合フル出場を果たした。しかし、チームは極度の不振に陥りJ2に降格した。

2013年、J1クラブからオファーを貰うもG大阪に残留[3]。この年、フィールドプレイヤーではチーム唯一の公式戦全試合スタメンフル出場。リーグ戦では30節から32節にかけて3試合連続得点を記録、J2全チームのフィールドプレイヤー唯一のリーグ戦42試合にフル出場し、クロス成功率もリーグトップの数字を記録[4]。G大阪のJ2優勝とJ1昇格に貢献し、同年度の日刊スポーツ 提供「黄金の脚賞」を受賞した。

2014年、開幕当初こそスタメンで起用されたが、後半戦は新加入の米倉恒貴や両サイドバックをこなせるオ・ジェソクの後塵を拝す形になった。それでも、スタメンで起用されたシーズン終盤の天皇杯では安定したプレーを発揮した。

2015年のG大阪ではシーズン通してスタメンを確保し、CS準決勝浦和レッズ戦では延長後半に決勝ゴールを挙げる活躍を見せた。

2017年、4月16日の第7節セレッソ大阪との3年ぶりの大阪ダービーで先制ゴールを決めた。 

2019年、4月14日の第7節浦和レッズ戦で前半に左鎖骨を骨折し途中退場を余儀なくされた。6月26日のルヴァンカップPO第2戦V・ファーレン長崎戦で後半開始から途中出場し、復帰を果たしたが、6月29日の第17節松本山雅FC戦で再び負傷し、戦線離脱を余儀なくされた。9月14日、第26節サガン鳥栖戦でスタメン出場で復帰を果たした。

2022年、自身の怪我などで開幕から出遅れたことや同ポジションには黒川圭介の存在などもあり、復帰後もなかなか出場時間を増やせずにいることもあるが黒川とポジション争いをしながら、チームの主力として再び存在感を発揮している。

2023年は黒川にポジションを奪われる形となり、リーグ戦を含めた公式戦でベンチ外になることも多かった。黒川の出場停止に伴い、8月6日の川崎戦で11ヶ月ぶりにリーグ戦のピッチに立ち、フル出場しチームの勝利に貢献する[5]。シーズン終了後に契約満了によりルーキーから13年在籍したG大阪を退団。この年のリーグ戦は黒川の累積警告による出場停止で起用された1試合と、最終節に途中出場した2試合のみ、ルヴァンカップ3試合、天皇杯1試合の計6試合のみの出場となった。12月28日、FC琉球への完全移籍が発表された[6]

日本代表

2015年3月19日、サッカー日本代表メンバーに初選出され、27日のチュニジア戦でフル出場しA代表デビューを果たした。その後の東アジアカップ20152018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選にも召集され、日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチからは左サイドの駆け上がりとセンタリングを評価された[7]

2016年6月14日、リオデジャネイロオリンピックに出場するU-23サッカー日本代表オーバーエイジ枠に内定したことが発表された[8]。本戦ではグループリーグ3試合中2試合にスタメンフル出場[9][10][11]。しかし、コロンビア戦で65分にオウンゴールを献上し[12]、その後日本が2点ビハインドを追いついたが試合は引き分けに終わり[13]、チームは3戦目のスウェーデン戦はベンチスタートになり出場機会はなかった。当試合で日本は勝利したものの[14]、コロンビアに勝ち点で及ばずグループリーグで敗退した[15]

人物・エピソード

  • ラグビー選手の木津武士山中亮平は高校時代の同級生である。
  • 大学時代にガンバ大阪以外のJクラブ2チームの練習に参加していたが、2010年の関西SUL天皇杯で対戦したG大阪から評価され、入団を決めた[16]
  • 関西2部リーグ所属だった大体大から藤春を含む3人の選手が2011年度、Jリーグ入りを果たした。川西翔太は同じくG大阪に、村田和哉セレッソ大阪に入団した[17]
  • 2011年、G大阪の公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画「GAMBA TV アウォーズ」において、ベストプレー賞とやっちゃちゃ~賞の二冠に輝いた。2013年にはMVPを受賞した。

所属クラブ

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010大体大5---2020
2011G大阪15J11110020131
201243412050411
2013J2424-20444
2014J12504050340
20153204120381
20162925020362
20173324030402
20182505010310
20191725000222
20202601020290
20211901020220
20221804121242
202320301060
2024琉球J33503000380
2025
通算日本J1 271838227133611
日本J2 424-20444
日本J3 3503000380
日本 --2020
総通算 3481241231142015
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その他の公式戦
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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2019G大234J32020
通算日本J3 2020
総通算 2020
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国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2011G大阪1510
2012450
2015110
201650
201710
202120
通算AFC 250
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その他の国際公式戦

出場歴

タイトル

クラブ

大阪体育大学
ガンバ大阪

個人

  • Jリーグ・優秀選手賞(2016年

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点(2015年)
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日本代表国際Aマッチ
出場得点
201530
201600
通算 30
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出場

脚注

関連項目

外部リンク

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