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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
川西 翔太(かわにし しょうた、1988年10月28日 - )は、奈良県奈良市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・カマタマーレ讃岐所属。登録ポジションはミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
愛称 | ショータ | |||||
カタカナ | カワニシ ショウタ | |||||
ラテン文字 | KAWANISHI Shota | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1988年10月28日(36歳) | |||||
出身地 | 奈良県奈良市 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | カマタマーレ讃岐 | |||||
ポジション | FW (ST) / MF(DH) | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2011-2014 | ガンバ大阪 | 25 | (6) | |||
2014 | →モンテディオ山形 (loan) | 26 | (6) | |||
2015-2016 | モンテディオ山形 | 60 | (1) | |||
2017-2020 | 大分トリニータ | 60 | (4) | |||
2019-2020 | →FC岐阜 (loan) | 56 | (18) | |||
2021 | FC岐阜 | 26 | (13) | |||
2022- | カターレ富山 | 31 | (7) | |||
2023 | →カマタマーレ讃岐 (loan) | 17 | (2) | |||
2024- | カマタマーレ讃岐 | 27 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年11月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
地元の奈良FCで本格的にサッカーを始める。2004年、青森県の強豪高である青森山田高校にサッカー留学。2年次の2005年にはインターハイ制覇を経験。3年次にはストライカーとして司令塔のベロカル・フランクら共に青森山田の攻撃サッカーを支えた。
2007年に関西に戻って大阪体育大学に進学(同期に藤春廣輝、村田和哉など)。2008年にはチームは関西学生リーグ2部所属ながら総理大臣杯を勝ち進み、決勝戦では川西が2ゴールを挙げ、大体大にとって22年ぶりとなる優勝に貢献した。2010年9月5日、天皇杯2回戦でガンバ大阪と対戦。2-6の大差で敗れはしたもののJクラブ相手から1ゴールを決めた。同年10月には、練習生として参加していたG大阪・京都サンガF.C.の選手として関西SULでプレーした。
2011年、J1・ガンバ大阪に入団[1]。同年4月24日、J1第7節のサンフレッチェ広島戦でリーグ戦初出場を果たし、初得点も決めた。11月19日のJ1第32節アルビレックス新潟戦では2点ビハインドの状況から2得点を挙げる活躍を見せた。しかし、11月29日の練習中に右けい腓骨々幹部骨折の重傷を負い、全治6カ月と診断された。2012年11月、約1年ぶりに公式戦復帰を果たした。
2014年シーズンはモンテディオ山形へ期限付き移籍[2]。シーズン中盤から2シャドーの一角としてレギュラーの座を掴み、山形のJ1昇格に貢献した。
2015年、山形に完全移籍[3]。同年は自身にとって3年振りのJ1でのプレーとなったが、リーグ戦23試合に出場したものの得点を挙げることはできずチームのJ2降格を食い止める事はできなかった。翌2016年はキープ力と前線からのプレスを買われボランチに転向し[4]、リーグ戦37試合に出場。
2017年、大分トリニータに完全移籍[5]。シーズン途中からボランチとしてレギュラーに定着し[6] 前年と同じく37試合に出場した。
大分2年目の2018年は、チーム内競争の激化の影響を受け[7] 先発機会は4試合と前年と比べ出場機会を減らしていたが、同様にメンバーに入っていない選手達と「チャンスが来たときにちゃんとやれるよう腐らずにやろう」と言い合いながら共に練習を過ごした他[8]、チームメイトの修行智仁からは「こういうときこの状況のためにお前が入ってるんやぞ」と声を掛けられていた[7][8]。チームがJ1昇格争いを演じていた第41節・金沢戦にて、スコア1-1の後半21分に9試合振りの出場を果たす。同41分に松本怜からのパスを受けると「ゴールまでのイメージができていた」と相手ペナルティエリアの左隅付近からドリブルで切り込み[7]、決勝点となるゴールを奪う活躍を見せた。
2019年より、FC岐阜に期限付き移籍で加入[9]。リーグ戦22試合の出場でチーム得点ランキングトップの8得点を記録したが、チームはJ2最下位に終わりJ3リーグ降格の憂き目に遭うこととなった。翌年も期限付き移籍期間を延長し岐阜に残留[10]。自身初のJ3でのプレーとなったがリーグ戦全試合に出場し、プロ入り後初の2ケタ得点を達成した。
2021年、岐阜に完全移籍[11]。チームは2年連続でJ2昇格を果たせなかったが、前年を更に上回る13得点を記録。28歳時に受賞した藤本憲明(2017年)を5歳上回り、史上最年長となる33歳でのJ3得点王受賞となった[12]。
2023年7月3日、カマタマーレ讃岐に期限付き移籍[14]。
2024年、讃岐に完全移籍[15]。
キープ力のあるドリブルと裏へ抜けるスピード、シュート力が武器のフォワード[1]。大学時代にはトップ下やサイドハーフのポジションもこなした[16]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 大体大 | 20 | - | - | - | 3 | 3 | 3 | 3 | ||
2010 | 10 | - | - | 2 | 5 | 2 | 5 | ||||
2011 | G大阪 | 18 | J1 | 8 | 4 | 1 | 0 | 2 | 1 | 11 | 5 |
2012 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
2013 | J2 | 15 | 2 | - | 1 | 0 | 16 | 2 | |||
2014 | 山形 | 29 | 26 | 6 | - | 5 | 1 | 31 | 7 | ||
2015 | J1 | 23 | 0 | 5 | 0 | 4 | 4 | 32 | 4 | ||
2016 | 18 | J2 | 37 | 1 | - | 2 | 1 | 39 | 2 | ||
2017 | 大分 | 48 | 37 | 2 | - | 0 | 0 | 37 | 2 | ||
2018 | 23 | 2 | - | 1 | 0 | 24 | 2 | ||||
2019 | 岐阜 | 5 | 22 | 8 | - | 1 | 0 | 23 | 8 | ||
2020 | 10 | J3 | 34 | 10 | - | - | 34 | 10 | |||
2021 | 26 | 13 | - | 0 | 0 | 26 | 13 | ||||
2022 | 富山 | 18 | 29 | 7 | - | 1 | 0 | 30 | 7 | ||
2023 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | ||||
讃岐 | 48 | 17 | 2 | - | - | 17 | 2 | ||||
2024 | 10 | 27 | 5 | 0 | 0 | 2 | 2 | 29 | 7 | ||
通算 | 日本 | J1 | 33 | 4 | 6 | 0 | 6 | 5 | 45 | 9 | |
日本 | J2 | 160 | 21 | - | 10 | 2 | 170 | 23 | |||
日本 | J3 | 135 | 37 | 0 | 0 | 3 | 2 | 138 | 39 | ||
日本 | 他 | - | - | 5 | 8 | 5 | 8 | ||||
総通算 | 334 | 62 | 6 | 0 | 24 | 17 | 358 | 79 |
その他の公式戦
FC岐阜
カターレ富山
カマタマーレ讃岐
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