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シルヴィア (歌手)
日本の歌手 (1958-2010) ウィキペディアから
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シルヴィア(本名:松田 理恵子(まつだ りえこ)、1958年3月21日 - 2010年11月28日[1])は、日本の歌手。
来歴
大阪府布施市(現:東大阪市)の出身。血液型AB型。実業団のバレーボール選手セッターで活動後、佐川満男、中村泰士に師事[2]。1978年2月、佐川満男が大阪・北新地[3]で経営するクラブ「ルーマハウス・アスク」の店で歌っているところを、過去に発売されて不発だった「別れても好きな人」をカラオケブームの中、男女デュエットでもう一度売り出したいと考えていたロス・インディオスのリーダー棚橋静雄の元に紹介され[4][5]、ロス・インディオスに初代女性ボーカリストとして参加。当時20歳で、ポップス志向だったことと、ロス・インディオスのメンバーが最大で20以上違い、近くても8歳も年の差があることから、半年限定、「別れても好きな人」1曲だけの参加という約束で[4]、ロス・インディオス&シルヴィアとして参加するも、1979年にリリースされたデビュー曲「別れても好きな人」がミリオンセールスとなり、一躍スター歌手となり、半年の予定が3年在籍。1983年に菅原洋一と歌ったデュエット曲「アマン」がヒット。これを転機にひとり立ちしてソロ歌手としても活動を始める。
ソロ活動はイベントやディナーショーが中心で、自身のヒット曲を観客の1人とデュエットするコーナーのほか、彼女の音楽的ルーツであるブラジル音楽も取り入れ、ボサノバの「イパネマの娘」やナラ・レオンが日本のCMのために録音した「あの日からサウダージ」の日本語訳も歌う。
その後、東京プリンやエド山口とのコミカルなデュエット曲を発売した。生前最後のレコードは「愛の街 稲城」(クラウンレコード)であり、友人であるシンガーソングライターの塚本正治より「唄」という楽曲を提供され、練習中だった。
2009年(平成21年)5月にステージⅣまで進行した肺癌が見つかる。手術が不可能な状態で、入退院を繰り返しながら放射線治療などを受けてきた[1]。2010年(平成22年)11月28日に東京都港区の病院で、前夫の長男である歌手の中山貴大に看取られ死去。52歳没。
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代表曲
- 別れても好きな人(1979.9)オリコン最高4位,90.0万枚
- それぞれの原宿(1980.12)オリコン最高43位,6.4万枚
- うそよ今夜も(1981.7)オリコン最高95位,0.6万枚
- 雨にしのんで(1982.3)作曲は来生たかお
- おもい手(1982.9)(以上、ロス・インディオス&シルヴィアとして)
- アマン(菅原洋一とのデュエット)(1982.11)オリコン最高134位
- 愛のキャラバン(1983.8)作詞・作曲は谷村新司(ソロデビュー曲)
- Let's Dream(1988.9)日立建機イメージソング
- 離婚適齢期(1992.5)
- 二股の女(東京プリンとのデュエット)(1999.3)(えんか!!えいべっくす)
- ムードコーラス命です。(エド山口とのデュエット)(2003.6)(日本コロムビア)
- 能登空港(三輪一雄とのデュエット)(2006.6)「能登空港」
- 東京の男が好きなんか(2007.1)カップリングに「別れても好きな人」ハワイアンバージョンを収録(徳間ジャパン)
- 愛の街 稲城(クラウン)
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NHK紅白歌合戦出場歴
CM
- 「味の素のほんだし」
- 「たかの友梨ビューティクリニック」
- 「さつま小鶴」
ラジオ番組
- 「シルヴィアの別れても好きな曲」(アール・エフ・ラジオ日本、毎週土曜日17時40分から17時55分)
テレビドラマ出演
グラビア
関連項目
- 篠原裕明 - テレビ東京の政治部記者。小学生の時に、シルヴィアの熱烈なファンとして『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)に出演した。
出典
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