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大阪府大阪市城東区・都島区にある西日本旅客鉄道・京阪電気鉄道・大阪市高速電気軌道の駅 ウィキペディアから
京橋駅(きょうばしえき)は、大阪府大阪市城東区新喜多一丁目及び都島区東野田町二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・京阪電気鉄道・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅である。
JR西日本の駅シンボルフラワーは「コスモス」である。駅名読みのアクセントは頭高型。
大阪市の繁華街にある乗換駅としては、キタ(大阪駅・梅田駅周辺)やミナミ(難波駅周辺)および天王寺(天王寺駅・大阪阿部野橋駅周辺)に次ぐ規模がある大阪市北東部・北河内方面の玄関口・ターミナル駅である。
京阪電気鉄道(京阪電車)の駅の中では京阪本線の起点駅である淀屋橋駅を抑えて最も利用者数が多い。超高層ビルが林立する大阪ビジネスパーク(OBP)とも隣接しているほか、大阪城からもほど近い。
駅名は大坂城の北西において寝屋川に架かる京橋(橋梁)に由来するが、当駅よりも天満橋駅や大阪城北詰駅のほうが京橋(橋梁)に近接する。
JR西日本の各線(後述)、京阪電気鉄道の京阪本線、Osaka Metroの長堀鶴見緑地線の3社の路線が乗り入れている。京阪電気鉄道の駅番号はKH04、Osaka Metroの駅番号はN22。事務管コードは▲610511[1]。
JR西日本の駅に乗り入れている路線は、当駅の所属線である大阪環状線[2]に、片町線(学研都市線)とJR東西線を加えた3路線である。1997年のJR東西線開業と引き換えに片町線は当駅 - 片町駅間が廃止されて当駅が終点となり、一部列車を除いて当駅起点のJR東西線と相互直通運転を行う現在の形態となった。また、特定都区市内制度における「大阪市内」エリアに属している。
JR西日本の駅番号は大阪環状線がJR-O08、片町線(学研都市線)・JR東西線がJR-H41。
以下に詳述するようにJR北口と京阪中央口は至近であり、京阪中央口からはコムズガーデンを介して地下鉄駅へつながる地下道があるため、3社の駅は雨天でも濡れずに相互に行き来することができる。
3社間に連絡改札はないため、乗り換えの際は一旦改札外に出る必要がある。
当駅所在地に鉄道が敷設されたのは、1895年8月に浪速鉄道が片町駅 - 四条畷駅間(現・片町線の一部区間)を開業させた時が最初であるが、駅は設置されなかった。当駅は、同年10月に大阪鉄道 (初代) が玉造駅 - 梅田駅(現・大阪駅)間(現・大阪環状線の一部区間)を延伸開業させた際に浪速鉄道との交点に設置したのが最初である。大阪鉄道の駅としては京橋(橋梁)に最も近接する駅であったことから、大阪鉄道は駅名に「京橋」を採用した。
浪速鉄道・大阪鉄道とも関西鉄道への譲渡を経て国有化され、それぞれ片町線・城東線の路線名が制定された後、1912年に片町駅の東側に京橋口乗降場が設けられ、城東線京橋駅と連絡するようになる。翌1913年には駅に格上げされて片町線京橋駅となった。
長らく片町線の終点で当駅の西隣にあった片町駅は、1997年のJR東西線の開業に伴い廃止された。それ以降は当駅が片町線の終点駅・JR東西線の起点駅となっている。
寝屋川に面した駅南口には、終戦の前日に当たる1945年(昭和20年)8月14日の第8回大阪大空襲(別名:京橋駅空襲)により駅構内で犠牲となった人を弔う慰霊碑と納経塔がある[5]。この空襲はアメリカ第20空軍により岩国、光、伊勢崎、熊谷、土崎とともに実施された[20]。
寝屋川を挟んで当駅の南側に広がっていた大阪陸軍造兵廠を攻撃目標としたものだったが[20]、投下された爆弾の一部が目標を逸れて当駅に着弾したものと考えられる[21]。
空襲時、城東線(現在の大阪環状線)の上下2列車の乗客らは、城東線ホーム(高架)を離れてその物陰となる片町線ホーム(地平)に避難していたが、数発の1トン爆弾が京橋駅に着弾した。そのうちの1発が高架上の城東線を突き抜けて片町線ホームに落下して爆発し、避難していた乗客らが爆弾の直撃を受けた。1947年(昭和22年)8月14日に慰霊碑が建立され、1955年(昭和30年)以来、毎年8月14日には慰霊祭が営まれている[22]。
他に大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、1945年(昭和20年)2月14日に空襲被害を受けた阪和線美章園駅(阿倍野区)がある。
1910年に京阪本線天満橋駅 - 五条駅(現在の清水五条駅)間が開業した際、東成郡鯰江村大字蒲生(現在の大阪市城東区蒲生一丁目)に蒲生駅が設置された(京阪パーキング京橋蒲生1丁目付近)。
蒲生駅とは別に、備前島橋(現在の備前島地下道の位置にあった。鯰江川の埋立に伴い1930年頃に撤去)の北詰、現在の川崎橋の南詰付近に初代「京橋駅」が設置された。備前島橋の南詰と京橋(橋梁)の北詰は近接しており、初代「京橋駅」は京橋(橋梁)に当時最も近接する駅だったが、天満橋駅と野田橋駅(後に片町駅と改称、蒲生駅改め2代目「京橋駅」である現在の京橋駅に統合されて廃止)に近すぎたため、開業後わずか8か月で廃止された。
1932年に旧蒲生信号所 - 守口駅間が複々線化された際、蒲生駅は北区東野田町七丁目(現在の都島区東野田町三丁目)へ移転し(京橋グランシャトービル付近)、2面2線の相対式ホームが設置された。
1949年に蒲生駅を京橋駅と改称し、1952年には上り構内に京阪スーパーマーケット京橋店が開店した。列車長の拡大につれてホーム長も京都方へ延長された(大阪方ホーム端に踏切が存在したため)が、1969年の再移転直前には京都方ホーム端が急カーブと上り勾配をミックスした形状になっており、列車運転上のネックになっていた。なお、高架駅移転直前の旧線路は寝屋川橋梁から上り2線位置を東に進み、大阪市立桜宮幼稚園付近で北東方向へ別れて現在Osaka Metro長堀鶴見緑地線が地下を通る道路を進み、現在の京橋公園北東端で東方向に急カーブして、グランシャトー北側道路に進入していた。
1969年に都島区東野田町二丁目の現在地へ移転して高架駅になったが、移転当初は上りは2番線のみ、下りは4番線のみ使用されていた。1970年の天満橋駅 - 旧蒲生信号所間複々線化完成によって4線使用されるようになり、同時に駅ビル内に京阪ショッピングモール(現、京阪モール)が開業した。駅ビルには、2002年10月のリニューアル当時「エスポート京橋」の愛称が付け加えられていたが、現在は使用されていない。
大阪市電の京橋停留場は戦前(大阪市電気局時代)と戦後(大阪市交通局時代)で設置場所が異なる。戦前の京橋停留場(初代)は京阪の初代「京橋駅」よりも京橋(橋梁)に近接していた。戦後の京橋停留場(2代目)は国鉄・京阪の京橋駅に近接していた。
JR 京橋駅 | |
---|---|
北口(京阪電鉄側) 2022年2月 | |
きょうばし Kyōbashi | |
所在地 | 大阪市都島区東野田3丁目2番7号 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
電報略号 | キハ |
駅構造 | |
ホーム | 各2面2線(計4面4線) |
乗車人員 -統計年度- |
114,494人/日(降車客含まず) -2023年- |
開業年月日 | 1895年(明治28年)10月17日[3] |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■大阪環状線 |
駅番号 | JR-O08 |
キロ程 | 6.5 km(天王寺起点) |
所属路線 | ■片町線(学研都市線)[* 1] |
駅番号 | JR-H41 |
キロ程 | 44.8 km(木津起点) |
所属路線 | ■JR東西線[* 1] |
駅番号 | JR-H41 |
キロ程 | 0.0 km(京橋起点) |
備考 | |
当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大阪環状線の大阪城公園駅・桜ノ宮駅・天満駅の3駅を管轄している。
相対式ホーム2面2線の高架ホームに大阪環状線の列車が、単式ホーム2面2線の地平ホームに片町線(学研都市線)とJR東西線の列車が停車する。一部の関空快速・紀州路快速は当駅で折り返す。
改札口は、大阪環状線ホームの北側にある北口(有人)、JR東西線ホームに接する南口(無人)、片町線(学研都市線)・JR東西線ホームの西側にある西口(無人)の3か所がある。最も大きな改札口は北口で、京阪京橋駅中央口と向かい合っており、かつ幅の広い京阪のガード下を通ることになるため、雨の日でも濡れずに互いの駅舎を行き来できる。
西口・南口改札は無人改札口であり(ただし一部時間帯は有人)、駅員の対応が必要なときは改札口コールシステムによるインターホン対応となる。みどりの窓口は北口にある。かつては西口にも窓口が存在したが、2014年1月31日をもって営業を終了し2月1日よりみどりの券売機プラスが稼動した。
片町線ホームは1955年に複線化された当時島式ホーム1面2線だったが、1970年の南口の開設により南口と大阪環状線ホームに直結する1番のりば(設置当初は片町行きホーム、JR東西線開業後は同線ホーム)が設けられたため、柵を設けて単式ホーム2面2線に変更された。
また、北口はかつて大阪環状線の東側にのみ向いており、4番乗り場への階段の上り口西側の待合室や便所、コインロッカー、吉野家などがある広場の所に改札口があった。吉野家のある辺りが出札口で入口はこの広場の東向きに、出口はこの広場の北に面してあった。西側(京阪京橋駅寄り)との間は、高架複々線化によって移設された京阪本線の旧線跡の大阪環状線の線路をくぐる通路でつながっているだけだった。もとは京阪の京橋駅も大阪環状線の東側にあったためだが、京阪の駅が高架化で西側に移転後も付近の商店に配慮して西側には入口を設けなかったといわれる。元々築堤であった現在の北口の1980年代以降の改修で西側にも通じるようになり、1990年の国際花と緑の博覧会(花の万博)開催に際して現在の姿になった。
国鉄型駅名標だった当時、ローマ字表記の下に所在地名の表記がなかったが、これは正確には城東区新喜多に位置してはいるものの、実際には大阪環状線ホームが都島区にまたがっているためである。
駅構内には空間的な制限によりエレベーターが少なく、各ホームの行き来には最大5回(環状線外回り⇔学研都市線上り)のエレベーターの乗り換えを強いられる。健常者では階段で1分足らずでホームの移動ができるが、車椅子でエレベーター5基を乗り継げばホームの移動に10分以上かかる。このことから、大東市の電動車椅子利用の男性が2016年9月8日、「憲法が保障する『移動の自由』を侵害している」として、JR西日本を相手取りエレベーター3基の新設などを求めて大阪地裁に提訴した[17]。
2017年8月10日、JR西日本はエレベーター3基の増設を含めた京橋駅のリニューアルを発表した[38][39]。完成すれば、すべてのホーム間移動が1回のエレベーター利用で可能となる。これを受け、原告の男性は2017年12月8日付けで訴訟を取り下げた[40]。
「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2014年3月15日から「大阪うまいもんの歌」(アメリカ民謡「ゆかいな牧場」の替え歌)が大阪環状線ホームの発車メロディとして使用されている[13]。飲食店や歓楽街がある当駅周辺の「うまい」「賑やかさ」といったイメージに因んでいる。
2017年8月10日付けのニュースリリースで、JR京橋駅リニューアル工事を開始すると発表。2013年度からの『大阪環状線改造プロジェクト』の一環として北口リニューアルと使いやすさ、分かりやすさ向上を目指したリニューアル工事が行われていた。
長年にわたり、都島区片町2丁目から城東区新喜多2丁目付近は片町線・JR東西線のホームが設けられているため、これが地区を南北に分断し、そこへ走る都市計画道路構想も着工が進んでいないことから、その地域の発展を阻害している状況が続いている。
そこで、片町線・JR東西線のホームを地下化し、踏切を撤去したうえで、都市計画道路の整備の推進と、交通渋滞の緩和と地域の分断化の解消、都市防災機能の向上、並びに別途に土地区画整理事業による道路の基盤整備や街区の再編を行うことで、土地利用の更新や宅地の有効利用を図り、都市の再生化を図ることを目的とした再開発計画が2000年ごろから、大阪市によって具体的に構想化されている[42]。
しかし、大阪市やJR西日本の財政的な問題からこれらの再開発の着工に至らない状態が続いていたが、京橋駅のイオン京橋店(2019年閉店)のオフィスビルへの改築など、都市再生緊急整備地域(2017年8月)指定を受けたことから、2021年7月、この立体交差事業再開へ向けて、大阪市が日本交通技術に調査検討業務を委託し、地下化のルートや工法についての再検討を行うことになった(履行期間:2022年3月31日)。今回の計画では、対象となる「新喜多」「馬の口」「鯰江」の3踏切を撤去し、約1.3㎞の区間を開削して地下化させて、従来の2面2線方式で地下ホームを整備するという計画がある[43]。
日中時間帯は1時間に12本(環状運転の普通/大和路快速/関空・紀州路快速がそれぞれ4本)停車するため、5分間隔となる。午前中はこれに加えてJRゆめ咲線(桜島線)直通普通が4本停車し、朝晩は本数が多くなる。当駅折り返しの関空・紀州路快速は4番のりばで乗客を降ろしたあと、天王寺寄りにある引き上げ線で折り返して(一部は森ノ宮電車区に入区している)3番のりばに入線する。
日中時間帯は1時間に8本(区間快速と普通電車がそれぞれ4本)が停車する。朝晩は当駅折り返しを含めて本数が多くなる。学研都市線の当駅折り返しの列車は1番のりばに到着後、地上の引き上げ線に入り、2番のりば(四条畷方面行き)に移る。ほかに、夜間時間帯に1本、当駅留置運用がある。
また、通常の当駅折り返し列車は学研都市線方面へ引き返すが、逆にJR東西線方面への引き返しも可能となっており、事故による輸送障害発生時などで当駅 - 放出駅間が運行できない場合には、上記の逆の順序でJR東西線方面への当駅折り返し列車が運行される。おおさか東線の延伸工事に伴う線路切り替え工事でも同様の列車が運行されていた。
JR東西線尼崎駅より先、 JR神戸線神戸方面、JR宝塚線(福知山線)宝塚方面に直通する列車は、当駅で直通先の列車種別に変更する。
← JR東西線 尼崎・西明石・ 宝塚 方面 |
→ 片町線 (学研都市線) 松井山手・木津・ 奈良 方面 |
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凡例 出典:不明 |
← 鶴橋・天王寺 方面 |
→ 大阪・西九条 方面 |
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凡例 出典:以下を参考に作成。 * 湯川徹二、「図-1 大阪環状線配線略図」、「特集 - 大阪環状線」、『鉄道ピクトリアル』、第59巻6号 通巻第819号 2009年6月号、電気車研究会、42頁。 * JR西日本公式ホームページ JRおでかけネット - 京橋駅 - 構内図。 ※ 2009年2月14日現在 |
改札口はJR京橋駅寄りの1階にある中央口、淀屋橋寄りの2階にある片町口、京阪モール3階にある京阪モール連絡口(営業時間内のみ)の3ヶ所である。さらに片町口側の1階にはエレベーター専用改札口(ここのみきっぷうりばはない)も設けられている。ホームは4階にあり、中央口からは出町柳方面行ホームへ直結するエスカレーターが設けられている。片町口からは大阪ビジネスパーク、JR京橋駅西口に通じるペデストリアンデッキがあり、雨の日でも濡れずに行き来できる。
← N:なにわ橋・中之島方面 Y:北浜・淀屋橋方面 ← |
→ 中書島 ・三条・出町柳 方面 |
|
凡例 出典:以下を参考に作成。 * 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』 第59巻第8号 通巻第822号 2009年8月 臨時増刊号、 「特集 - 京阪電気鉄道」、巻末折込「京阪電気鉄道線路配線略図」、2009.6.3現在 * 京阪電気鉄道公式ホームページ「おけいはん.ねっと」- 構内図 - 天満橋駅 (PDF) 、京橋駅 (PDF) |
当駅のデザインテーマは所在する都島区の区花に因んで「桜」である。コンコースに桜のタイル壁画が飾られている。長堀鶴見緑地線の京橋駅 - 門真南駅間の各駅は花・木がデザインテーマに選ばれている。ホームなどは、1996年以降に開業した駅と比べれば、比較的簡素なデザインとなっている。
島式ホーム1面2線を持つ地下駅。大正方に両渡り線がある。改札口は1か所のみ。
ホームは地下3階で、地下2階にコンコースがあり、そのコンコースが地下街のコムズガーデンに直結している。なお、当駅前後の長堀鶴見緑地線は、京阪本線がかつて走っていた跡地の道路の下を通っている。
PiTaPa、ICOCAなど各種カードの利用が可能である(相互利用が可能なIC乗車券はPiTaPaの項を参照)。
これらの乗降客数の合計は1日あたり約39万人となり、大阪市では梅田駅、難波駅、天王寺駅に次ぐ第4位となる。
2023年(令和5年)度の1日平均乗車人員は114,494人である。同社の駅では大阪駅、京都駅、天王寺駅、三ノ宮駅に次ぐ第5位で、特急が乗り入れない駅では最多である。2021年度に三ノ宮駅に抜かれるまでは4位であった。
JR東西線の開業(1997年)以降はやや減少傾向が見られたが、近年は横ばい傾向である。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
増加率 | 順位 | 定期利用状況 | 出典 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1日平均 | 定期率 | JR | 大阪府 | ||||
1988年(昭和63年) | 131,485 | 82,621 | 62.8% | [大阪府 1] | |||
1989年(平成元年) | 138,718 | 5.5% | 86,280 | 62.2% | [大阪府 1] | ||
1990年(平成 | 2年)166,315 | 19.9% | 93,514 | 56.2% | [大阪府 2] | ||
1991年(平成 | 3年)154,725 | -7.0% | 95,609 | 61.8% | [大阪府 3] | ||
1992年(平成 | 4年)157,792 | 2.0% | 97,831 | 62.0% | [大阪府 4] | ||
1993年(平成 | 5年)158,254 | 0.3% | 97,834 | 61.8% | [大阪府 5] | ||
1994年(平成 | 6年)158,103 | -0.1% | 97,081 | 61.4% | [大阪府 6] | ||
1995年(平成 | 7年)162,413 | 2.7% | 98,493 | 60.6% | [大阪府 7] | ||
1996年(平成 | 8年)161,033 | -0.8% | 97,517 | 60.6% | [大阪府 8] | ||
1997年(平成 | 9年)154,563 | -4.0% | 93,286 | 60.4% | [大阪府 9] | ||
1998年(平成10年) | 147,400 | -4.6% | 89,212 | 60.5% | [大阪府 10] | ||
1999年(平成11年) | 145,039 | -1.6% | 87,792 | 60.5% | [大阪府 11] | ||
2000年(平成12年) | 142,881 | -1.5% | 86,463 | 60.5% | [大阪府 12] | ||
2001年(平成13年) | 142,874 | -0.0% | 86,031 | 60.2% | [大阪府 13] | ||
2002年(平成14年) | 139,496 | -2.4% | 84,730 | 60.7% | [大阪府 14] | ||
2003年(平成15年) | 139,577 | 0.1% | 84,594 | 60.6% | [大阪府 15] | ||
2004年(平成16年) | 137,994 | -1.1% | 84,552 | 61.3% | [大阪府 16] | ||
2005年(平成17年) | 138,142 | 0.1% | 85,006 | 61.5% | [大阪府 17] | ||
2006年(平成18年) | 138,091 | -0.0% | 84,891 | 61.5% | [大阪府 18] | ||
2007年(平成19年) | 135,857 | -1.6% | 83,795 | 61.7% | [大阪府 19] | ||
2008年(平成20年) | 135,158 | -0.5% | 83,100 | 61.5% | [大阪府 20] | ||
2009年(平成21年) | 130,987 | -3.1% | 81,034 | 61.9% | [大阪府 21] | ||
2010年(平成22年) | 130,359 | -0.5% | 81,146 | 62.2% | [大阪府 22] | ||
2011年(平成23年) | 130,355 | -0.0% | 80,931 | 62.1% | [大阪府 23] | ||
2012年(平成24年) | 130,045 | -0.2% | 80,781 | 62.1% | [大阪府 24] | ||
2013年(平成25年) | 130,931 | 0.7% | 4位 | 81,820 | 62.5% | [JR 1] | [大阪府 25] |
2014年(平成26年) | 129,700 | -0.9% | 4位 | 80,779 | 62.3% | [JR 2] | [大阪府 26] |
2015年(平成27年) | 130,765 | 0.8% | 4位 | 81,023 | 62.0% | [JR 3] | [大阪府 27] |
2016年(平成28年) | 131,880 | 0.9% | 4位 | 81,547 | 61.8% | [JR 4] | [大阪府 28] |
2017年(平成29年) | 133,799 | 1.5% | 4位 | 82,682 | 61.8% | [JR 5] | [大阪府 29] |
2018年(平成30年) | 135,294 | 1.1% | 4位 | 84,352 | 62.3% | [JR 6] | [大阪府 30] |
2019年(令和元年) | 131,370 | -2.9% | 4位 | 82,326 | 62.7% | [JR 7] | [大阪府 31] |
2020年(令和 | 2年)94,147 | -28.3% | 4位 | 63,656 | 67.6% | [JR 8] | [大阪府 32] |
2021年(令和 | 3年)96,779 | 2.8% | 5位 | 63,306 | 65.4% | [JR 9] | [大阪府 33] |
2022年(令和 | 4年)109,194 | 12.8% | 5位 | 66,769 | 61.1% | [JR 10] | [大阪府 34] |
2023年(令和 | 5年)114,494 | 4.6% | 5位 | [JR 11] |
2022年度のある特定日における1日乗降人員は144,394人(乗車人員:71,271人、降車人員:73,123人)である。同社の駅では最も利用者数が多い。
各年度の1日あたりの利用状況は下表の通り。特定日利用状況は大阪府の、1日平均乗車人員は大阪市のデータである。
年度 | 特定日利用状況 | 1日平均 乗車人員 |
出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
乗車人員 | 降車人員 | 乗降人員 | 大阪府 | 大阪市 | ||
1966年(昭和41年) | 108,061 | - | - | [大阪府 35] | - | |
1967年(昭和42年) | 113,535 | [大阪府 36] | ||||
1968年(昭和43年) | 119,594 | [大阪府 37] | ||||
1969年(昭和44年) | 117,147 | [大阪府 38] | ||||
1970年(昭和45年) | 109,885 | [大阪府 39] | ||||
1971年(昭和46年) | 105,391 | [大阪府 40] | ||||
1972年(昭和47年) | 111,427 | [大阪府 41] | ||||
1973年(昭和48年) | 113,680 | [大阪府 42] | ||||
1974年(昭和49年) | 117,326 | [大阪府 43] | ||||
1975年(昭和50年) | 114,876 | [大阪府 44] | ||||
1976年(昭和51年) | 117,292 | [大阪府 45] | ||||
1977年(昭和52年) | 108,448 | [大阪府 46] | ||||
1978年(昭和53年) | 104,278 | [大阪府 47] | ||||
1979年(昭和54年) | 105,772 | [大阪府 48] | ||||
1980年(昭和55年) | 102,046 | [大阪府 49] | ||||
1981年(昭和56年) | 101,394 | [大阪府 50] | ||||
1982年(昭和57年) | 98,697 | 98,762 | 197,459 | [大阪府 51] | ||
1983年(昭和58年) | 100,126 | 101,272 | 201,398 | [大阪府 52] | ||
1984年(昭和59年) | 99,958 | 100,131 | 200,089 | [大阪府 53] | ||
1985年(昭和60年) | 100,376 | 100,539 | 200,915 | [大阪府 54] | ||
1986年(昭和61年) | 104,604 | 104,460 | 209,064 | [大阪府 55] | ||
1987年(昭和62年) | 103,767 | 105,812 | 209,579 | [大阪府 56] | ||
1988年(昭和63年) | 104,022 | 105,694 | 209,716 | [大阪府 57] | ||
1989年(平成元年) | 108,061 | 107,922 | 215,983 | [大阪府 1] | ||
1990年(平成 | 2年)114,757 | 116,281 | 231,038 | [大阪府 2] | ||
1991年(平成 | 3年)- | [大阪府 3] | ||||
1992年(平成 | 4年)122,790 | 123,980 | 246,770 | [大阪府 4] | ||
1993年(平成 | 5年)- | [大阪府 5] | ||||
1994年(平成 | 6年)- | [大阪府 6] | ||||
1995年(平成 | 7年)120,502 | 121,751 | 242,253 | [大阪府 7] | ||
1996年(平成 | 8年)- | [大阪府 8] | ||||
1997年(平成 | 9年)- | [大阪府 9] | ||||
1998年(平成10年) | 100,632 | 108,520 | 209,152 | [大阪府 10] | ||
1999年(平成11年) | - | [大阪府 11] | ||||
2000年(平成12年) | 99,327 | 103,705 | 203,032 | [大阪府 12] | ||
2001年(平成13年) | - | 103,910 | [大阪府 13] | [大阪市 1] | ||
2002年(平成14年) | 97,037 | 101,202 | 198,239 | 101,187 | [大阪府 14] | [大阪市 1] |
2003年(平成15年) | 100,150 | 103,705 | 203,855 | 101,497 | [大阪府 15] | [大阪市 1] |
2004年(平成16年) | 97,560 | 100,249 | 197,809 | 99,143 | [大阪府 16] | [大阪市 1] |
2005年(平成17年) | 97,225 | 99,965 | 197,190 | 98,918 | [大阪府 17] | [大阪市 1] |
2006年(平成18年) | 95,031 | 98,763 | 193,794 | 97,942 | [大阪府 18] | [大阪市 1] |
2007年(平成19年) | 93,436 | 96,957 | 190,393 | 98,261 | [大阪府 19] | [大阪市 1] |
2008年(平成20年) | 90,571 | 93,217 | 183,788 | 95,988 | [大阪府 20] | [大阪市 1] |
2009年(平成21年) | 89,643 | 92,120 | 181,763 | 93,667 | [大阪府 21] | [大阪市 1] |
2010年(平成22年) | 90,127 | 90,624 | 180,751 | 92,168 | [大阪府 22] | [大阪市 1] |
2011年(平成23年) | 88,447 | 90,358 | 178,805 | 91,775 | [大阪府 23] | [大阪市 1] |
2012年(平成24年) | 89,746 | 91,596 | 181,342 | 91,391 | [大阪府 24] | [大阪市 1] |
2013年(平成25年) | 87,173 | 89,249 | 176,422 | 94,682 | [大阪府 25] | [大阪市 1] |
2014年(平成26年) | 87,533 | 89,759 | 177,292 | 92,839 | [大阪府 26] | [大阪市 1] |
2015年(平成27年) | 87,997 | 89,844 | 177,841 | 92,934 | [大阪府 27] | [大阪市 1] |
2016年(平成28年) | 84,996 | 87,550 | 172,546 | 93,950 | [大阪府 28] | [大阪市 1] |
2017年(平成29年) | 87,703 | 89,705 | 177,408 | 93,888 | [大阪府 29] | [大阪市 1] |
2018年(平成30年) | 86,519 | 88,440 | 174,959 | 93,880 | [大阪府 30] | [大阪市 1] |
2019年(令和元年) | 85,795 | 87,974 | 173,769 | 93,092 | [大阪府 31] | [大阪市 2] |
2020年(令和 | 2年)67,221 | 68,477 | 135,698 | 65,395 | [大阪府 32] | [大阪市 3] |
2021年(令和 | 3年)66,517 | 68,013 | 134,530 | 67,830 | [大阪府 33] | [大阪市 4] |
2022年(令和 | 4年)71,271 | 73,123 | 144,394 | 75,691 | [大阪府 34] | [大阪市 5] |
2023年11月7日の1日乗降人員は33,272人(乗車人員:16,923人、降車人員:16,349人)である。他の地下鉄と接続しない長堀鶴見緑地線の駅では最も利用者数が多い。
各年度の特定日における利用状況は下表の通りである。なお1995年度の調査については、1996年に行われている(会計年度上1995年度となる)。
年度 | 調査日 | 乗車人員 | 降車人員 | 乗降人員 | 出典 | |
---|---|---|---|---|---|---|
府 | メトロ | |||||
1990年(平成 | 2年)11月 | 6日11,095 | 10,607 | 21,702 | [大阪府 2] | |
1995年(平成 | 7年)2月15日 | 13,744 | 13,860 | 27,604 | [大阪府 7] | |
1998年(平成10年) | 11月10日 | 17,386 | 16,847 | 34,233 | [大阪府 10] | |
2007年(平成19年) | 11月13日 | 16,145 | 16,157 | 32,302 | [大阪府 19] | |
2008年(平成20年) | 11月11日 | 16,695 | 16,657 | 33,352 | [大阪府 20] | |
2009年(平成21年) | 11月10日 | 16,118 | 16,113 | 32,231 | [大阪府 21] | |
2010年(平成22年) | 11月 | 9日15,935 | 15,837 | 31,772 | [大阪府 22] | |
2011年(平成23年) | 11月 | 8日15,590 | 15,770 | 31,360 | [大阪府 23] | |
2012年(平成24年) | 11月13日 | 16,163 | 16,181 | 32,344 | [大阪府 24] | |
2013年(平成25年) | 11月19日 | 15,739 | 15,756 | 31,495 | [大阪府 25] | [メトロ 1] |
2014年(平成26年) | 11月11日 | 16,174 | 16,194 | 32,368 | [大阪府 26] | [メトロ 2] |
2015年(平成27年) | 11月17日 | 17,097 | 16,999 | 34,096 | [大阪府 27] | [メトロ 3] |
2016年(平成28年) | 11月 | 8日17,041 | 17,029 | 34,070 | [大阪府 28] | [メトロ 4] |
2017年(平成29年) | 11月14日 | 18,195 | 18,549 | 36,744 | [大阪府 29] | [メトロ 5] |
2018年(平成30年) | 11月13日 | 17,860 | 17,723 | 35,583 | [大阪府 30] | [メトロ 6] |
2019年(令和元年) | 11月12日 | 17,668 | 17,624 | 35,292 | [大阪府 31] | [メトロ 7] |
2020年(令和 | 2年)11月10日 | 15,136 | 15,150 | 30,286 | [大阪府 32] | [メトロ 8] |
2021年(令和 | 3年)11月16日 | 14,823 | 14,902 | 29,725 | [大阪府 33] | [メトロ 9] |
2022年(令和 | 4年)11月15日 | 15,875 | 15,866 | 31,741 | [大阪府 34] | [メトロ 10] |
2023年(令和 | 5年)11月 | 7日16,923 | 16,349 | 33,272 | [メトロ 11] |
上述の通り、最初に設置された現在の大阪環状線の駅が駅名に「京橋」を採用し、これに追従するかたちで片町線の駅が開業、京阪本線の駅が改称した経緯があり、当駅よりも京橋(橋梁)側へ路線が西伸する片町線(現在はJR東西線)と京阪本線においては、京橋駅が京橋(橋梁)の最寄駅ではない状態にある。
駅の西側は江戸時代には京街道沿いに相生西町・相生東町・野田町といった町が形成され、大坂の玄関口として賑わった場所である。駅の東側は歓楽街になっている。
ペデストリアンデッキの大阪城京橋プロムナードによって、寝屋川の対岸に位置するオフィス街の大阪ビジネスパークと結ばれており、最寄駅のひとつとなっている。そのため、当駅周辺はサラリーマンで賑わっており、関西ローカルのテレビ番組では北口界隈が街頭インタビューで登場することが多い。
当駅周辺には大阪シティバスの路線が乗り入れており、京阪駅付近に「京橋駅前」、JR駅南側に「京橋駅南口」、北側に「京橋北口」停留所が設置されている。
京橋北口停留所は東行(門真南・花博記念公園北口方向)は大阪環状線ガード西側の1箇所で、西行(大阪駅・天満橋方向)は大阪環状線ガード東側と西側(京橋公園。ニッセイ京橋ビルの向かい側)の2箇所ある。57号系統は毛馬中央公園行が西側のみに停車(京橋駅前行は停留所なし)、31・36号系統の西行は両方に停車する。
全ての種別が京橋駅より淀屋橋・中之島側で各駅に停車する。
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