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『平安京エイリアン』(へいあんきょうエイリアン)は、1979年夏に東京大学の理論科学グループ(略称:TSG)が開発した固定画面アクションゲーム。
ジャンル | 固定画面アクション |
---|---|
対応機種 |
アーケード (AC) TK-80BS(TK-80) PC-8001 (PC80) MZ-80K/C(MZ-80) |
開発元 |
TSG (東京大学理論科学グループ) |
運営元 | 電気音響[注 1] |
デザイナー | TSG |
人数 | 1 - 2人(交互プレイ) |
メディア |
TK-80,PC80,MZ-80:カセットテープ AC:業務用基板 (14.09キロバイト) |
稼働時期 |
AC 1980年1月 TK-80, PC80, MZ-80 1980年 |
デバイス |
4方向レバー 2ボタン[注 2] |
システム基板 | デュアル |
CPU | Z80 (@ 1.934 MHz) |
サウンド | モノラル |
ディスプレイ |
ラスタースキャン 縦モニター 256×224ピクセル 60.00Hz |
最初はApple II版として、その後TK-80BS版が作成され、それを基としてPC-8001版、MZ-80K版が続いて開発された。これらは1979年11月の駒場祭で公開された。このうち、TK-80BS版が1980年2月に工学社「I/O」にてプログラムリストとして掲載された。追って1980年4月より「I/O」の「カセット・サービス」にてTK-80BS版と合わせ、それまで未公開であったMZ-80K/C版及びPC-8001版が販売開始となった。
一方、アーケードゲームとしての開発も平行で進められ、1979年10月のアミューズメントマシンショーでの発表、1980年1月には日本の電気音響からアーケードゲームとしてオリジナルより先に稼働開始された。
プレイヤーは検非違使を操り、平安京に侵入したエイリアンを殲滅するという内容。穴を掘り、エイリアンを落とし、埋めるという単純なルールではあるが、それまでの攻めのゲームと違ってプレイヤーが敵に対して行うことは「待ち」であり、非常に戦術的な要素を持っていた[1]。また当時は東大生が開発したゲームということが各メディアで取り上げられ、話題となった[2]。
1979年10月、アミューズメントマシンショーで発表。
1980年1月、電気音響からリリースされた。テーブル筐体の定価は59万円であった[3]。
べっこう飴ボタンは廃止され、検非違使(プレイヤー)が3人の設定となった。
1979年夏、最初に作成されたApple II版を基として作成された。
1980年2月号、工学社「I/O」にプログラムリストが掲載された。
1980年4月号より工学社「I/O」紙上の「カセット・サービス」にて通信販売でのパッケージ販売が開始された。
べっこう飴ボタンが存在する。
1980年4月号より工学社「I/O」紙上の「カセット・サービス」にて通信販売でのパッケージ販売が開始された。
1981年3月、工学社「マイコンゲームの本1」(1981年3月)にプログラムリストが掲載された。
べっこう飴ボタンは廃止され、検非違使(プレイヤー)が3人の設定となった。
プレイヤーの分身である検非違使を、碁盤目状の通路上で操作し、穴を掘って敵であるエイリアンを埋めていく。
通路は縦横方向のみで構成されており、幅はどこでも1マス。必ずしも碁盤目のように張り巡らされているわけではなく、L字型や行き止まりになる部分も存在する。検非違使もエイリアンも通路の外に出ることはできない。
検非違使は直接的な攻撃手段を持たず、可能なのは「穴を掘る」「穴を埋める」行為のみである。対応するボタンを押すと、検非違使の進行方向に向かって穴を掘る。穴はボタンを押すごとに最大5段階まで拡張され、最大の大きさになったときのみ、エイリアンを穴に落とすことができる。検非違使は穴を作ったらその上を通ることはできない。エイリアンが段階に関わらず穴の上を通ると、その穴は消滅してしまう。
エイリアンは穴に落ちただけでは撃退できず、埋める行為をして通路の状態に戻したときに初めて撃退できる。穴を埋める行為も5段階に分かれている。エイリアンは穴に落ちてから一定時間経過すると這い上がって通路上に復活し、穴も消えてしまう。また、通路上の他のエイリアンと穴の中のエイリアンが接触すると、時間経過に関わらず一瞬で穴から救出されてしまう。完全に埋められたあとのエイリアンは復活できない。
検非違使がエイリアンに接触するとミスになり、残機が減る。再開時のエイリアンの数は、ミス直前の数になる。
以上のルールの上で、すべてのエイリアンを撃退するとステージクリアとなる。
2人プレイでは「1人ずつの交互プレイ」及び「2人で同時(協力)プレイ」があり、前者をPart1、後者をPart2として選択できる。
穴に落ちたエイリアンを埋めると得点になり、落としてから埋めるまでの間が短いほど高得点になる。エイリアンは面が進むたびに4匹、6匹、8匹と増加し、一定時間で穴から脱出するほか、仲間のエイリアンが接触すれば助けられる。1ラウンドで一定時間が経過するとエイリアンが16匹に増殖し、事実上のタイムアウトになる。エイリアンに噛まれるとミスとなるが、その際には検非違使が昇天するという演出がある。
ハイスコアを出すと、この頃から定着しつつあったネームエントリーが可能になる。文字の選択方法はただカーソルを動かすのでなく、検非違使を動かして文字のある道を通過するという、凝った演出になっている。
エリアは格子状の路地であるため、これを応用したさまざまなテクニックが生まれた。これらは当初、マイコン雑誌「I/O」に掲載される程度のメディア露出しかなかったため、マイコン少年の間でしか話題にならなかったが、すがやみつるの漫画『ゲームセンターあらし』に取り上げられたことで(漫画にも「I/O」からの出典が明記されている)、よく知られる存在となった[注 3]。
1980年にLSIゲームとして発売された。1990年にゲームボーイ、1995年にスーパーファミコン、1999年にWindowsに移植された。また、2001年には携帯電話ゲームとして各種携帯電話キャリアにて配信された他、2003年にはリメイク版として『平安京エイリアンDX』がiアプリにて配信された。また2017年にはSteam配信による新規移植のWindows版として『平安京エイリアン for Windows』がリリースされている。
No. | タイトル | 発売日 | 対応機種 | 開発元 | 発売元 | メディア | 型式 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 平安京エイリアン | 1980年 |
LSIゲーム | 学研 | 学研 | 内蔵ゲーム | - | |
2 | エイリアン | 1981年 |
VIC-1001 | ハル研究所 | コモドール | 64キロビットロムカセット | VIC-1906 | |
3 | 平安京エイリアン | 1990年1月14日 1990年4月 |
ゲームボーイ | ライブプランニング | メルダック | 256キロビットロムカセット[4] | DMG-HAA DMG-HA-USA |
リメイク版 |
4 | ニチブツアーケードクラシックス2 平安京エイリアン |
1995年12月15日 |
スーパーファミコン | 日本物産 | 日本物産 | ロムカセット | SHVC-AAEJ | リメイク版 |
5 | 平安京エイリアン | 1999年9月2日 |
Windows | ハイパーウェア | ハイパーウェア | ダウンロード | - | アーケード版の移植 |
6 | 平安京エイリアン | 2001年1月26日[5] |
mova503i (iアプリ) |
ジー・モード | ジー・モード | ダウンロード (GET!!プチアプリ) |
- | アーケード版の移植 |
7 | 平安京エイリアン ツメカエ用 | 2001年3月26日[6] |
iアプリ | ジー・モード | ジー・モード | ダウンロード (GET!!プチアプリ) |
- | アーケード版の移植 |
8 | 平安京エイリアン | 2001年6月[7] |
J-SH07 (Javaアプリ) |
ジー・モード | ジー・モード | ダウンロード (ゲームマーケット) |
- | アーケード版の移植 |
9 | 平安京エイリアン | 2001年10月16日[8] |
ezplus | ジー・モード | ジー・モード | ダウンロード (GameFinder) |
- | アーケード版の移植 |
10 | 平安京エイリアンDX | 2003年11月17日[9] |
mova505iシリーズ (iアプリ) |
ジー・モード | ジー・モード | ダウンロード (GET!!プチアプリ) |
- | リメイク版 |
11 | 平安京エイリアン for Windows | 2017年10月13日[10] |
Windows | マインドウェア | マインドウェア | ダウンロード (Steam) |
- | リメイク版、アレンジモードあり |
1979年、週刊朝日の「デキゴトロジー」という人気コラムで、大学サークルが開発したビデオゲームを紹介するシリーズがあった。東工大のゲームが紹介され、次に東大が取材された。記者はまず東大マイコンクラブ(TSGとは別の団体)に行ったが、同サークルが見せたゲームは記者が想定するレベルを満たしていなかった。そこでTSGに取材を申し入れたが、TSGは当時ゲームについて何も取り組んでいなかった。
急遽、学生会館ロビーでアイディア出しを行い、河上達(ソニー → 俯瞰工学研究所)が平安京エイリアンのアイディアを出した。取材時にはアイディアの説明をおこない、これが週刊朝日に掲載された。しかしこの時点では紙の上のアイディアだけで、プログラムにはなっていなかった。その後サークルのメンバーがApple II、言語はBASICでプログラムを作り上げると記事を見たナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)、セガ、そして電気音響(村田製作所により買収)の3社からオファーが入り、具体的な商品化案を持ってきた電気音響から翌年発売された。開発にあたったTSGのメンバーは荒川隆志、田畑光敏、河上達、武重有正(本ゲーム開発後、株式会社ハイパーウェア設立、武重本家酒造)、島田啓一郎(ソニー)達である。
当初のアイデアは、「マンションのリビングにゴキブリが這い回っているところに、ごきぶりホイホイを仕掛けて退治する」というものだったという。ただし、それだとプレイヤーの自由度が大きすぎるので、フィールドを碁盤の目とし、当時は映画『エイリアン』が封切り直後だったためにメンバーから「どうしてもエイリアンを出したい」という意見があり、ゴキブリをエイリアンに、ごきぶりホイホイを落とし穴に変更。フィールドも碁盤の目のような町ということで、いくつか名前が挙がった中から平安京となり、ゲームの大枠が固まった[13]。
パソコン版の開発当時は「口裂け女」が流行っており、エイリアン回避策として「口裂け女」のべっこう飴に関する俗説を基にした「べっこう飴ボタン」が設けられた。べっこう飴ボタンはエイリアンに飴をあげるボタンで、エイリアンと接触したときにタイミングよくボタンを押すとエイリアンが飴を舐めてしばらく動かなくなるのでその間に逃げられるという効果があった。べっこう飴は3個まで使え残機の代わりを成していた。ところが当時のアーケードゲームの機材は1レバー3ボタンという構成に対応していなかったため、アーケード版では「べっこう飴ボタン」は削除され[14]、他のゲーム同様に「3回死んだらゲームオーバー」という条件に変更された。
アーケード版の移植を担当した電気音響は東京大田区に本社があった、音響部品やアーケードゲームを製造していた企業だった。1982年9月、村田製作所が電気音響株式会社の55%の株式を取得し、傘下におさめた。1989年4月には村田製作所に吸収合併され、消滅した。本作の権利はアーケード版の移植の際に電気音響が買い取ったため、村田製作所に吸収合併された後はしばらく権利が宙づり状態になっていたが、その後、武重有正が経営するハイパーウェアという企業に権利が移管された[14]。なお、電気音響の次回作『ダンシングクイーン』にTSGは関係していない。CPUはZ80、アーケードゲーム基板はセガ(後のセガ・インタラクティブ)『ヘッドオン』(1979年)のコピー品を使用している。ただし元々の基板がコピー品ゆえ容易にコピーが可能で、結果として実際に世の中に出回った基板の大半は、「コピー品のコピー品」とでも言うべき他社製の基板となってしまった。そのため、電気音響製の純正品は現存数が少ない[13]。
項目 | キャラクタ | 音楽 | 操作性 | 熱中度 | お買得度 | オリジナリティ | 総合 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
得点 | 2.68 | 2.67 | 2.81 | 2.66 | 2.66 | 2.78 | 16.26 |
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