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1966年のNHK大河ドラマ第4作。源平合戦において源氏を率いた源義経の生涯を描いた ウィキペディアから
『源義経』(みなもとのよしつね)は、1966年1月2日から同年12月25日にかけてNHKで放送された4作目の大河ドラマ。源平合戦において源氏を率いた源義経の生涯を描いた。
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原作は村上元三の歴史小説『源義経』。脚本も村上が担当しているが、この場合は自らの文学作品を脚色しているため、オリジナル作品というわけではない[1]。生まれ落ちて間もなくの、母常磐や兄たちとの雪中の逃避行から、衣川館で自害し、兄頼朝が奥州を征服するまでを描く。
源義経を演じた尾上菊之助は史上最年少での主演(放送開始時23歳)。なお、この記録を更新したのは奇しくも39年後の大河ドラマ『義経』で源義経を演じた滝沢秀明である(放送開始時22歳)[2]。
前年放送の『太閤記』で大きな反響を呼んだ緒形拳が本作でも続けて起用され、武蔵坊弁慶役で出演した。『太閤記』に続いて2作連続で演出を務める吉田直哉は、その多忙さから本作に関することは全てプロデューサーの合川明に任せたが、弁慶役に緒形を起用することにはこだわった[3]。緒形は、『太閤記』の主演に抜擢されたとはいえまだ新人の部類であり、その新人を1年で放り出すのは無責任であるという吉田の親心と、前年に秀吉を演じた男が弁慶を演じることで(前年の『太閤記』が教科書のように見られたことへの危惧から)フィクションであることを強調したかったという狙いがあった[3]。原作・脚本の村上元三は市村竹之丞、プロデューサーの合川明は三國連太郎をそれぞれ推薦したが、最終的には、現場を預かる吉田の意思を尊重するということで合川が村上を説得し、緒形に決定した[3]。なお、市村は本作では平知盛役で出演している。前作『太閤記』では第1話の冒頭に東海道新幹線を出すという斬新な演出を見せた吉田だったが[4]、『太閤記』を作りきって歴史ドラマに現代劇を持ち込むやり方に限界を覚え、「神話的英雄」を描く方向で義経を題材とし、歌舞伎や映画のスターを主役級に起用したという[3]。なお、17代目中村勘三郎が後白河法皇を演じたシーンも撮影されたが、編集の段階でカットされたため、本編には未登場となっている。
初回視聴率32.5%。最高視聴率32.5%。平均視聴率23.5%。
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音楽を担当した武満徹にとって、琵琶の使用は1962年の映画『切腹』に次いで最初期の経験であった。
琵琶の演奏は鶴田錦史が担当。鶴田錦史は武満と共同作業で琵琶の新しい奏法を次々と開発し、この『源義経』および映画『怪談』(1964年東宝映画、小林正樹監督)の『耳なし芳一』(同じく平家物語による)をきっかけとして、琵琶曲『壇ノ浦』を作曲した。現代邦楽の琵琶における重要なレパートリーとなっている。
また、この共同作業により琵琶の楽器法を学んだ武満は、映画『暗殺』(1964年松竹映画、篠田正浩監督)、さらに映画『怪談』、そして現代音楽の純音楽作品として『エクリプス』を経て『ノヴェンバー・ステップス』の作曲へと繋がってゆく。劇伴をきっかけに邦楽・洋楽の二人の作曲家がそれぞれ大作を生み出した稀有な例である。
本作のオープニングテーマ曲は、CDに収録されているものに比べ、後述の第33回に放送された時のものは後半の旋律が異なる他、CDより曲自体が短くなっている。また、総集編のオープニングはさらに短く、クレジットはスタッフのみである(キャストのクレジットは本編後に流れ、オープニングとは別の曲が使われている)。
特記がない限りウェブサイト「NHKクロニクル」の「NHK番組表ヒストリー」で確認[5]。
放送回 | 放送日 | 題 | |||
---|---|---|---|---|---|
第一話 | 1966年1月2日 | 鞍馬の火祭 | |||
第二話 | 1966年1月9日 | 悲母観音 | |||
第三話 | 1966年1月16日 | 五条の橋 | |||
第四話 | 1966年1月23日 | 初冠 | |||
第五話 | 1966年1月30日 | 熊坂はやて | |||
第六話 | 1966年2月6日 | 北国の王者 | |||
第七話 | 1966年2月13日 | 一字金輪仏 | |||
第八話 | 1966年2月20日 | 風さわぐ | |||
第九話 | 1966年2月27日 | 治承の春秋 | |||
第十話 | 1966年3月6日 | 鐘鳴りわたる | |||
第十一話 | 1966年3月13日 | 天馬 | |||
第十二話 | 1966年3月20日 | 黄瀬川の陣 | |||
第十三話 | 1966年3月27日 | 鎌倉日和 | |||
第十四話 | 1966年4月3日 | 鳥渡る | |||
第十五話 | 1966年4月10日 | 木隠れの陣 | |||
第十六話 | 1966年4月17日 | 動乱の都 | |||
第十七話 | 1966年4月24日 | 副将の座 | |||
第十八話 | 1966年5月1日 | 仏の矢 | |||
第十九話 | 1966年5月8日 | 出陣の歌 | |||
第二十話 | 1966年5月15日 | 丹波越え | |||
第二十一話 | 1966年5月22日 | 福原攻め | |||
第二十二話 | 1966年5月29日 | 一ノ谷 | |||
第二十三話 | 1966年6月5日 | 都大路 | |||
第二十四話 | 1966年6月12日 | 院の御所 | |||
第二十五話 | 1966年6月19日 | 公家雀 | |||
第二十六話 | 1966年6月26日 | あずさ弓 | |||
第二十七話 | 1966年7月3日 | 嵐 | |||
第二十八話 | 1966年7月10日 | 屋島攻め | |||
第二十九話 | 1966年7月17日 | 扇の的 | |||
第三十話 | 1966年7月24日 | 渦潮 | |||
第三十一話 | 1966年7月31日 | 海つばめ | |||
第三十二話 | 1966年8月7日 | その前夜 | |||
第三十三話 | 1966年8月14日 | 壇ノ浦 | |||
第三十四話 | 1966年8月21日 | 落日 | |||
第三十五話 | 1966年8月28日 | 堀河屋形 | |||
第三十六話 | 1966年9月4日 | 腰越状 | |||
第三十七話 | 1966年9月11日 | 暗雲 | |||
第三十八話 | 1966年9月18日 | 鎌倉の空 | |||
第三十九話 | 1966年9月25日 | 星月夜 | |||
第四十話 | 1966年10月2日 | 堀河夜討 | |||
第四十一話 | 1966年10月9日 | 大物ヶ浦 | |||
第四十二話 | 1966年10月16日 | 冬の頼り | |||
第四十三話 | 1966年10月23日 | 吉野の雪 | |||
第四十四話 | 1966年10月30日 | 去りにし人の | |||
第四十五話 | 1966年11月6日 | 隠れみの | |||
第四十六話 | 1966年11月13日 | 北陸路 | |||
第四十七話 | 1966年11月20日 | しずのおだまき | |||
第四十八話 | 1966年11月27日 | 安宅の関 | |||
第四十九話 | 1966年12月4日 | 陸奥の空 | |||
第五十話 | 1966年12月11日 | 星流る | |||
第五十一話 | 1966年12月18日 | 高館 | |||
第五十二話(最終話) | 1966年12月25日 | 雲のゆくえ | |||
平均視聴率 23.5%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ[7]) |
本作の収録に使用されていた2インチVTRは非常に高価で長期保管にも不向きな大型サイズだったため、放送終了後に他番組の収録用に使い回されるされるのが一般的であったことから、本作のマスターテープも他作品への転用に伴う上書き消去によって大半の映像が失われてしまった。通常放送回は第1話・第33話・最終回しか残っていないとされるが、これでも1960年代の大河ドラマ作品の中では一番現存映像が多い。映像資料用として保管していたと思われる。また、第3回の五条大橋でのシーンの撮影風景を収録した映像がカラーで現存している。
総集編が完全な形で現存している最古の作品であると同時に、モノクロ作品では唯一総集編のVHS及びDVDが市販されている作品である。前述の現存している通常放送回は映像ソフト化されていないが、2009年2月及び同年11月から12月に掛けて『時代劇専門チャンネル』で放送された。
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