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日本の俳優 ウィキペディアから
1951年、東京都立九段高等学校を卒業し、俳優座養成所に2期生として入り[1]、1952年の三越劇場での芸術祭参加俳優座公演、内村直也作品『夜の訪問者』に本名で初舞台を踏む。また、同年9月の東映製作の『泣虫小僧』で映画にも初出演。1953年3月、養成所卒業とともに劇団新人会に入団する。同年、市川崑の抜擢により『青色革命』に出演[1]。
その後、1954年7月に退会して東宝と専属契約し[1]、数多くの作品に出演する。ところが1958年12月19日、交通事故を起こし、全治1カ月の重傷を負う。31日付で東宝から解約処分を受け、謹慎生活に入る。1959年秋、東宝に復帰し、同年10月の芸術座『がめつい奴』でまず舞台復帰を、1960年1月に公開の映画『サラリーマン・ガール読本 むだ口かげ口減らず口』で映画出演も再開する。また、芸名も本名から太刀川 寛とする。
1971年の和田嘉訓作品で未公開となった映画『脱出』を最後に東宝を退社し、フリーとなる。また俳優業の傍ら、1976年10月から広告会社・東京エージェンシーを経営している。
姉の太刀川瑠璃子は、スターダンサーズ・バレエ団創設者,昭和音楽大学副学長、小牧正英の元妻[6]。
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