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観世 栄夫(観世榮夫;かんぜ ひでお、1927年〈昭和2年〉8月3日 - 2007年〈平成19年〉6月8日)は、シテ方観世流能楽師、俳優、オペラ演出家。一時喜多流に転流して後藤得三の芸養子となり、後藤 栄夫(ごとう ひでお)の名で活動したが、その後後藤との芸養子を解消して観世流に復帰していた。
能楽師・観世雅雪(7代観世銕之丞)の次男として観世銕之丞家に生れる。父及び観世華雪、喜多六平太、喜多実、後藤得三に師事。東京音楽学校本科能楽専攻中退[1]。
オペラにおいては、1955年に二期会『修善寺物語』の演技指導を皮切りに、1957年の二期会『炭焼姫』の演出を務め、以降、二期会、日本オペラ協会、藤原歌劇団、東京室内歌劇場等において2006年まで演出を手掛けた[2]。
1958年、能楽界を離脱。現代演劇、映画、TVドラマ、舞踊などに活躍するが、前年に没した兄観世寿夫の遺言(意向)もあり1979年に能楽に復帰。京都造形芸術大学教授も長く務めた。
妻は谷崎潤一郎の養女(潤一郎の妻・松子の連れ子)・恵美子。ドキュメンタリードラマ『終戦の日の荷風と潤一郎』(1984年、朝日放送)で谷崎役を演じたこともある。1997年芸術選奨文部大臣賞、1998年モービル音楽賞、2001年勲四等瑞宝章受章[3][4]。
2007年5月2日、運転中に八王子市の中央高速道路で自動車事故を起こし、同乗していた能楽プロデューサーの荻原達子を亡くした。かねてから病気治療中だったが、仕事上の仲間を失った衝撃も重なり、約1ヶ月後に大腸がんのため死去。79歳没。没後に自伝と評伝が公刊された。
「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めていた[5]。
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