八王子市
東京都の市 ウィキペディアから
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はちおうじし 八王子市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都 | ||||
市町村コード | 13201-2 | ||||
法人番号 | 1000020132012 | ||||
面積 |
186.38km2 | ||||
総人口 |
577,292人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 3,097人/km2 | ||||
隣接自治体 |
町田市、多摩市、日野市、昭島市、福生市、あきる野市、西多摩郡檜原村 神奈川県相模原市 | ||||
市の木 | イチョウ | ||||
市の花 | ヤマユリ | ||||
市の鳥 | オオルリ | ||||
八王子市役所 | |||||
市長 | 初宿和夫 | ||||
所在地 |
〒192-8501 東京都八王子市元本郷町三丁目24番1号 北緯35度39分59秒 東経139度18分58秒 八王子市役所(事務棟10F・議会棟6F) | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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ウィキプロジェクト |
2015年(平成27年)に、東京都で初めて中核市に指定されている。2022年時点で23区を除く東京都内の全自治体のなかで最も人口が多い。
東京府(現在の東京都)において、東京市(現在の東京23区)に次いで2番目に早く市制を施行した市である。 推計人口は57万8986人[1]。面積は奥多摩町に次いで、東京都の市区町村で2番目に広い。
古く戦国時代には後北条氏および徳川氏から軍事拠点として位置づけられて城下町となり、江戸時代には甲州街道の宿場町(八王子宿)として栄えた。絹織物産業(多摩織)・養蚕業が盛んであった為に「桑の都」及び「桑都(そうと)」という美称が北原白秋の作詞した八王子市歌に織り込まれているのを始め、西行の歌と伝えられる「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」という歌もある[2]。明治以降、山梨県や長野県、群馬県(桐生市)、栃木県(足利市)などから鉄道により八王子に生糸が集積され、絹織物に加工された。絹織物や生糸は横浜鉄道(現在のJR横浜線)で横浜港に輸送され、当時の貴重な外貨獲得源として世界中に輸出された。
明治時代には南多摩郡の郡役所所在地となり、 1917年には東京府内で東京市に次ぎ2番目に市制を施行した。以降は多摩地域の行政と商業の中心都市として、国や東京都の出先機関、商業施設や商店街などが集積する都市となっている。また、東京都心から約40キロメートルという近さもあり、高度成長期以降はベッドタウンとして発展していった。市の南東部の京王相模原線沿線(南大沢駅、京王堀之内駅)には、日本最大のニュータウンである多摩ニュータウンとJR横浜線沿線には八王子ニュータウン(みなみ野シティなど)が広がっている。かつて八王子駅を中心に多摩地域最大の商業・交通の拠点として栄え、特に駅北口には複数の百貨店が進出していた。しかし、1960年代以降の織物産業の衰退や、多摩地域における立川駅や町田駅の発展とともに次第に八王子の繁華街としての相対的な地位は低下し、2012年に北口駅ビル(八王子ナウ)に入居していたそごう八王子店の閉店により、市内の百貨店は全て撤退したが、閉店した八王子そごうが同年、JR東日本のショッピングセンターであるセレオ八王子に転換されるなど、大型商業施設のリニューアルや新規出店によって近年、小売業の年間商品販売額は増加傾向にある。かつて「織物の街」として栄えた名残で、 八王子駅北口の中町には、全盛期からはかなり規模を縮小したものの、多摩地域唯一の花街(中町・黒塀通り)が残っている。
1960年代後半以降、中央大学や東京都立大学などが、広大な土地を求めて大学のキャンパスを都心から本市郊外に複数移転している。そのため、市内に大学・短期大学・高専が23校存在し、外国人留学生約3,100人を含む約11万人の学生が学ぶ全国有数の大学都市でもある。
市の西部には高尾山が位置し、東京都心からアクセスしやすいことから年間を通じて多くの観光客・登山客が訪れる。古くから修験道の霊山としても知られている。 高尾山の登山客数は年間約300万人と世界一を誇る[3]。ミシュラン観光ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」での3つ星評価などの影響もあり、外国人観光客も多い。2020年には東京都内で初めて 「霊気満山 高尾山〜人々の祈りが紡ぐ桑都(そうと)物語〜」として文化庁が認定する「日本遺産」に認定された[4][5]。
1986年に国土交通省より業務核都市と定められ、2007年4月に東京都初の保健所政令市に、2015年4月1日には東京都初の中核市に移行した。また、八王子駅周辺や南大沢駅周辺が都心等拠点地区にも指定されている。
市の南部で隣接している町田市や相模原市とは生活圏・経済圏を共有しているほか、総務省の「多様な広域連携促進事業」にもこれら2市と連携した取り組みが採択されている[6]。
八王子市は東京都の島嶼部を除く地域の南西部、東京都心から約40キロメートルに位置している。多摩丘陵にあり、河川浸食による開析が著しく、谷が樹枝状に分布する複雑な地形となっている[7]。下恩方町、裏高尾町、上川町、美山町などに土砂災害特別警戒区域が約900か所ある[PR 1]。
市域全体を概観すると、まず地形は山地・丘陵を三方の周縁とし、東へ流れる浅川を中心に、八王子盆地と呼ばれる東に開けた半盆地状の複合扇状地をなしている。その扇状地はかつて桑畑として利用されたが、現在では住宅地や工業用地として転用され、ほとんど見ることができない。西部の山地に源を発する浅川は市の中央部付近で南浅川と合流して市の中心域を流れ、川口川と合流。日野台地のせり出しを受けて東南に下り、山田川、湯殿川と合流して東京都日野市へと向かう。その他の主要河川である北部の谷地川、南東部の大栗川はそれぞれ市の外で多摩川に合流する。中心部の標高は海抜100m (メートル)前後である(市内最高所は醍醐丸=上恩方町、標高862.7m、最低所は大栗川=大塚、標高63.0m)[PR 2]。
交通では、中世から近世・近代に至るまで東西を走る甲州街道と、川越・桐生・日光(日光脇往還)など関東北西部、小田原・鎌倉・横浜(浜街道)など南西部・南東部を結ぶ街道が交差する交通の要衝であり、江戸時代には、甲州街道の宿場町として栄えた。
現在、東京都心から山梨県甲府市を経て長野県塩尻市へ至る国道20号(甲州街道)と、神奈川県横浜市から埼玉県川越市方面へと向かう国道16号(東京環状)、そして東京都青梅市を経て甲府へ至る国道411号(滝山街道、青梅街道)の交点である。また、八王子ジャンクションにより、中央自動車道と首都圏中央連絡自動車道(圏央道)との交点ともなっている。
鉄道輸送においてはJR中央本線と横浜線 、八高線の交点であり、またJR貨物八王子総合鉄道部や京王電鉄の始発駅2駅がある。明治44年の『訂正鉄道唱歌』東海道編の東神奈川駅の箇所には「八王寺」と書かれている。
関東山地の一部である高尾山や陣馬山等標高500mから900m弱の山々を西端として、小河川を挟んで第四紀層の上総層群で形成されている各丘陵が舌出している。 北部では、多摩川及びその支流の秋川と川口川の間に加住丘陵があり、谷地川により加住北丘陵および加住南丘陵とに分けられている。 両加住丘陵の東端は標高を下げながら南東部の日野台地へと続く。 加えて川口川と浅川の上流部である北浅川との間に川口丘陵、北浅川と南浅川との間には恩方丘陵・元八王子丘陵・舟田丘陵、南浅川と湯殿川の間に子安丘陵が舌出し、湯殿川以南の小比企丘陵の南部は多摩丘陵へと連なる。 標高200mほどの各丘陵の西部は関東山地の東縁に連なる。市域は関東山地と関東平野とを隔てる八王子構造線に跨っており、その名称の由来ともなっている。
森林面積は8,582haで、市域全体の約46%を占める[PR 3]。
年間平均気温は約15℃〜16℃。山間部以外の地域でも標高がやや高く、内陸部の小盆地であるため、寒暖の差が激しく、中央高地式気候の特徴が見られる。非山間部にある市の中心部における冬の最高気温は東京都区部の中心部に比して平年値で1℃程度低く、最低気温は5℃ほど低い。反対に夏の最高気温は2-3℃ほど高いこともある。1月の平均最低気温は-1.8℃で、より北にある埼玉県さいたま市(-1.1℃)や群馬県前橋市(-0.5℃)よりも低いが、アメダス地点のある市街地はヒートアイランドの影響を受けているために郊外はさらに気温が低くなる。また、湿度が0%になることもある。
南岸低気圧による降雪や積雪は内陸にあることで海からの暖気の影響が少ないために東京都区部の中心部よりも多く、2014年2月には市の中心部でも60cm以上積もった。気温の低い日には東京都区部の中心部では雨であっても市内では雪になることがあり、八王子駅前に各局報道陣が集結して「東京で降雪」という報道がされるのは八王子市民にとって毎度お馴染みのことである。だが、それはあくまでも南岸低気圧による降雪の時のみであり、冬型の影響による降雪は日本海で発生した雪雲は関東山地を超えることができないために八王子では極めてまれである。
観測地点(標高123m)における最高気温は39.9℃(1997年7月5日)。最低気温は-12.0℃(1960年1月25日)[PR 4]。市内最高地点(標高862.7m)はこの限りではない。
八王子市(八王子地域気象観測所)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.9 (67.8) |
24.0 (75.2) |
26.6 (79.9) |
32.2 (90) |
37.1 (98.8) |
38.1 (100.6) |
39.3 (102.7) |
39.3 (102.7) |
39.2 (102.6) |
32.7 (90.9) |
26.7 (80.1) |
26.0 (78.8) |
39.3 (102.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.3 (48.7) |
10.3 (50.5) |
13.7 (56.7) |
19.1 (66.4) |
23.6 (74.5) |
26.0 (78.8) |
30.1 (86.2) |
31.4 (88.5) |
27.1 (80.8) |
21.5 (70.7) |
16.4 (61.5) |
11.7 (53.1) |
20.0 (68) |
日平均気温 °C (°F) | 3.4 (38.1) |
4.5 (40.1) |
8.0 (46.4) |
13.3 (55.9) |
18.1 (64.6) |
21.4 (70.5) |
25.4 (77.7) |
26.4 (79.5) |
22.6 (72.7) |
16.9 (62.4) |
11.1 (52) |
5.9 (42.6) |
14.7 (58.5) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.8 (28.8) |
−0.9 (30.4) |
2.7 (36.9) |
7.7 (45.9) |
12.9 (55.2) |
17.4 (63.3) |
21.5 (70.7) |
22.4 (72.3) |
18.8 (65.8) |
13.0 (55.4) |
6.4 (43.5) |
0.8 (33.4) |
10.1 (50.2) |
最低気温記録 °C (°F) | −8.7 (16.3) |
−8.8 (16.2) |
−8.1 (17.4) |
−2.0 (28.4) |
2.6 (36.7) |
10.0 (50) |
13.3 (55.9) |
15.4 (59.7) |
7.9 (46.2) |
2.4 (36.3) |
−2.3 (27.9) |
−7.6 (18.3) |
−8.8 (16.2) |
降水量 mm (inch) | 54.1 (2.13) |
46.1 (1.815) |
102.9 (4.051) |
114.1 (4.492) |
124.7 (4.909) |
172.0 (6.772) |
188.3 (7.413) |
212.5 (8.366) |
264.4 (10.409) |
230.8 (9.087) |
80.1 (3.154) |
53.1 (2.091) |
1,643 (64.685) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.5 | 4.9 | 9.2 | 9.2 | 10.0 | 12.7 | 12.5 | 10.4 | 12.2 | 10.5 | 7.2 | 4.9 | 108.3 |
平均月間日照時間 | 201.1 | 179.7 | 174.9 | 179.3 | 176.0 | 119.7 | 145.1 | 177.3 | 128.0 | 132.4 | 157.0 | 184.2 | 1,954.5 |
出典1:平年値(年・月ごとの値) | |||||||||||||
出典2:観測史上1〜10位の値 |
八王子市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。八王子市に編入された旧町村は、旧・由木村域を除き、従来の大字を廃して町が設定され、字区域が廃止されている。
2002年(平成14年)から、市役所各事務所の管轄区域は廃止されたが、市の統計などでは現在でも事務所別に分類されている。一方、『八王子市都市計画マスタープラン』では、それらを基にした6地域に分類されている。
本庁旧管内 | |||||
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町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1917年9月1日 | 1968年8月1日 | 横山町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 八日町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 八幡町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 八木町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 追分町の全部 | |||
1967年7月1日 | 1967年7月1日 | 千人町の一部 | |||
千人町二丁目 | 1967年7月1日 | 1967年7月1日 | 千人町の一部 | ||
千人町三丁目 | 1967年7月1日 | 1967年7月1日 | 千人町の一部 | ||
千人町四丁目 | 1967年7月1日 | 1967年7月1日 | 千人町の一部 | ||
1917年9月1日 | 1971年2月1日 | 日吉町の全部 | |||
1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 元本郷町の一部 | |||
元本郷町二丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 元本郷町の一部 | ||
元本郷町三丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 元本郷町の一部 | ||
元本郷町四丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 元本郷町の一部 | ||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 平岡町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 本郷町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 大横町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 本町の全部と元横山町の一部 | |||
1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 元横山町、新町の各一部 | |||
元横山町二丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 元横山町の一部 | ||
元横山町三丁目 | 1970年3月1日 | 1970年3月1日 | 元横山町、田町の各一部 | ||
1917年9月1日 | 1970年3月1日 | 田町、元横山町の各一部 | |||
1917年9月1日 | 1970年3月1日 | 新町の一部 | |||
1969年5月1日 | 1969年5月1日 | 明神町の一部 | |||
明神町二丁目 | 1969年5月1日 | 1969年5月1日 | 明神町の一部 | ||
明神町三丁目 | 1969年5月1日 | 1969年5月1日 | 明神町の一部 | ||
明神町四丁目 | 1969年5月1日 | 1969年5月1日 | 明神町の一部 | ||
1970年3月1日 | 新町、元横山町の各一部 | ||||
1968年3月1日 | 1968年3月1日 | 子安町の一部 | |||
子安町二丁目 | 1968年3月1日 | 1968年3月1日 | 子安町、北野町の各一部 | ||
2004年8月14日 | 北野町の一部 | ||||
子安町三丁目 | 1968年3月1日 | 1968年3月1日 | 子安町の一部 | ||
子安町四丁目 | 1968年3月1日 | 1968年3月1日 | 子安町の一部 | ||
1917年9月1日 | 1968年8月1日 | 東町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年8月1日 | 旭町、子安町の各全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年8月1日 | 三崎町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年8月1日 | 中町の全部 | |||
1917年9月1日 | 1968年5月1日 | 南町の全部 | |||
1917年9月1日 | 未実施 | ||||
1917年9月1日 | 未実施 | ||||
1917年9月1日 | 未実施 | ||||
1917年9月1日 | 未実施 | ||||
1917年9月1日 | 未実施 | ||||
1917年9月1日 | 未実施 | ||||
1972年7月1日 | 1972年7月1日 | 台町の一部 | |||
台町二丁目 | 1972年7月1日 | 1972年7月1日 | 台町の一部 | ||
台町三丁目 | 1972年7月1日 | 1972年7月1日 | 台町の一部 | ||
台町四丁目 | 1972年7月1日 | 1972年7月1日 | 台町の一部 | ||
1943年7月1日 | 未実施 | ||||
1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町、大和田町の各一部 | |||
暁町二丁目 | 1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町の一部 | ||
暁町三丁目 | 1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町、左入町、尾崎町の各一部 | ||
1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町の一部 | |||
中野山王二丁目 | 1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町、左入町の各一部 | ||
中野山王三丁目 | 1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町の一部 | ||
1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町、元横山町の各一部 | |||
中野上町二丁目 | 1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町の一部 | ||
中野上町三丁目 | 1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町の一部 | ||
中野上町四丁目 | 1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町、元横山町の各一部 | ||
中野上町五丁目 | 1977年10月1日 | 1977年10月1日 | 中野町の一部 | ||
1974年4月1日 | 1982年3月1日 | 大和田町1の全部と北野町の一部 | |||
大和田町二丁目 | 1974年4月1日 | 1974年4月1日 | 大和田町の一部 | ||
大和田町三丁目 | 1974年4月1日 | 1974年4月1日 | 大和田町、明神町の各一部 | ||
大和田町四丁目 | 1974年4月1日 | 1974年4月1日 | 大和田町の一部 | ||
大和田町五丁目 | 1974年4月1日 | 1974年4月1日 | 大和田町の一部 | ||
大和田町六丁目 | 1974年4月1日 | 1974年4月1日 | 大和田町の一部 | ||
大和田町七丁目 | 1974年4月1日 | 1974年4月1日 | 大和田町の一部 | ||
1977年10月1日 | 大和田町、元横山町、中野町の各一部 | ||||
1960年6月8日 | 1974年4月1日 | 富士見町の全部と大和田町、大谷町の各一部 | |||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1965年2月21日[† 1] | 未実施[† 2] | ||||
加住事務所旧管内 | |||||
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町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
滝山町二丁目 | 1956年10月1日 | 未実施 | |||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1993年1月31日 | 1993年1月31日 | 左入町、谷野町の各一部 | |||
みつい台二丁目 | 1993年1月31日 | 1993年1月31日 | 中野町、左入町、谷野町の各一部 | ||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
丹木町二丁目 | 1956年10月1日 | 未実施 | |||
丹木町三丁目 | 1956年10月1日 | 未実施 | |||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
加住町二丁目 | 1956年10月1日 | 未実施 | |||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
石川事務所旧管内 | |||||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1943年7月1日 | 未実施[† 1] | ||||
1943年7月1日 | 未実施 | ||||
1943年7月1日 | 未実施 | ||||
1943年7月1日 | 未実施 | ||||
1943年7月1日 | 未実施 | ||||
1988年6月1日[† 2] | 未実施[† 1] | ||||
久保山町二丁目 | 1988年6月1日[† 2] | 未実施[† 1] | |||
1943年7月1日 | 未実施 | ||||
1977年xx月xx日 | 未実施[† 1] | ||||
元八王子事務所旧管内 | |||||
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町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
元八王子町二丁目 | 1956年10月1日 | 未実施 | |||
元八王子町三丁目 | 1956年10月1日 | 未実施 | |||
恩方事務所旧管内 | |||||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
川口事務所旧管内 | |||||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
浅川事務所旧管内 | |||||
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町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1960年10月1日 | 未実施 | ||||
1960年10月1日 | 未実施 | ||||
1960年10月1日 | 未実施 | ||||
1960年10月1日 | 未実施 | ||||
1960年10月1日 | 未実施 | ||||
1960年10月1日 | 未実施 | ||||
1982年11月1日 | 未実施[† 1] | ||||
横山事務所旧管内 | |||||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1956年10月1日 | 1979年3月1日 | 並木町の全部 | |||
1981年3月1日 | 1981年3月1日 | 散田東町の一部 | |||
散田町二丁目 | 1981年3月1日 | 1981年3月1日 | 散田東町、散田町、山田町の各一部 | ||
散田町三丁目 | 1981年3月1日 | 1981年3月1日 | 散田東町、散田町の各一部 | ||
散田町四丁目 | 1981年3月1日 | 1981年3月1日 | 散田東町、散田町の各一部 | ||
散田町五丁目 | 1981年3月1日 | 1981年3月1日 | 散田町、めじろ台1、めじろ台4の各一部 | ||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1968年5月1日 | 未実施[† 2] | ||||
めじろ台二丁目 | 1968年5月1日 | 未実施[† 1] | |||
めじろ台三丁目 | 1968年5月1日 | 未実施[† 1] | |||
めじろ台四丁目 | 1968年5月1日 | 未実施[† 2] | |||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1995年2月18日 | 1995年2月18日 | 長房町の一部 | |||
城山手二丁目 | 1995年2月18日 | 1995年2月18日 | 長房町、元八王子町2の各一部 | ||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
館事務所旧管内 | |||||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
由井事務所旧管内 | |||||
---|---|---|---|---|---|
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
2008年3月29日[† 1] | 1997年2月1日 | 片倉町の一部 | |||
2004年12月4日 | 片倉町の一部 | ||||
西片倉二丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 1997年2月1日 | 片倉町の一部 | 6〜13番街区 | |
2002年2月2日 | 片倉町の一部 | 1〜5番街区 | |||
2004年1月31日 | 片倉町の一部 | 14〜33番街区 | |||
2006年12月16日 | 片倉町の一部 | 34・35番街区 | |||
西片倉三丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 1997年2月1日 | 片倉町の一部 | ||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
2008年3月29日[† 1] | 1997年2月1日 | 片倉町、宇津貫町の各一部 | |||
みなみ野二丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 2002年2月2日 | 片倉町、宇津貫町の各一部 | 1〜3・5〜8番街区 | |
2003年2月8日 | 宇津貫町の一部 | 4・9〜20番街区 | |||
みなみ野三丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 1998年1月31日 | 小比企町、片倉町、宇津貫町の各一部 | ||
2000年2月5日 | 宇津貫町の一部 | ||||
2001年2月3日 | 宇津貫町の一部 | 6・13〜21番街区 | |||
みなみ野四丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 1999年1月30日 | 宇津貫町の一部 | ||
2000年2月5日 | 小比企町、片倉町、宇津貫町の各一部 | ||||
2001年2月3日 | 宇津貫町の一部 | 1・2・5番街区 | |||
2003年2月8日 | 宇津貫町の一部 | 18・19・21〜24番街区 | |||
2004年1月31日 | 宇津貫町の一部 | 3・4・6〜15・20番街区 | |||
みなみ野五丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 1997年2月1日 | 大船町、小比企町、片倉町、宇津貫町の各一部 | ||
みなみ野六丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 1997年2月1日 | 小比企町、片倉町、宇津貫町の各一部 | ||
2008年3月29日[† 1] | 1997年2月1日 | 片倉町、宇津貫町の各一部 | |||
2004年12月4日 | 片倉町、宇津貫町の各一部 | ||||
兵衛二丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 2004年12月4日 | 宇津貫町の一部 | ||
2005年10月8日 | 宇津貫町の一部 | ||||
2006年12月16日 | 宇津貫町の一部 | ||||
2010年6月19日 | 宇津貫町の一部 | ||||
2008年3月29日[† 1] | 2005年10月8日 | 宇津貫町の一部 | 1〜3・5〜14・16〜28番街区 | ||
2006年12月16日 | 宇津貫町の一部 | 15・29〜33番街区 | |||
七国二丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 2005年10月8日 | 宇津貫町の一部 | ||
七国三丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 2006年12月16日 | 大船町、宇津貫町の各一部 | ||
七国四丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 2004年12月4日 | 大船町の一部 | ||
2005年10月8日 | 大船町、宇津貫町の各一部 | ||||
七国五丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 2002年2月2日 | 大船町、宇津貫町の各一部 | 25〜32番街区 | |
2004年1月31日 | 大船町、宇津貫町の各一部 | 14〜24番街区 | |||
2006年12月16日 | 大船町、宇津貫町の各一部 | 1〜13番街区 | |||
七国六丁目 | 2008年3月29日[† 1] | 1999年1月30日 | 宇津貫町の一部 | 7・8・15〜17番街区 | |
2000年2月5日 | 宇津貫町の一部 | 9〜14・19〜24番街区 | |||
2001年2月3日 | 宇津貫町の一部 | 38〜40番街区 | |||
2002年2月2日 | 宇津貫町の一部 | 41番街区 | |||
2003年2月8日 | 宇津貫町の一部 | 2〜6・25〜32・34〜37番街区 | |||
2005年10月8日 | 宇津貫町の一部 | 1・43〜51番街区 | |||
2006年12月16日 | 宇津貫町の一部 | 42番街区 | |||
北野事務所旧管内 | |||||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1989年10月1日 | 1989年10月1日 | 中山、高嶺町、打越町の各一部 | |||
北野台二丁目 | 1989年10月1日 | 1989年10月1日 | 中山の一部 | ||
北野台三丁目 | 1989年10月1日 | 1989年10月1日 | 中山、鑓水、片倉町、高嶺町の各一部 | ||
北野台四丁目 | 1989年10月1日 | 1989年10月1日 | 中山、片倉町、高嶺町、打越町の各一部 | ||
北野台五丁目 | 1995年2月18日 | 1995年2月18日 | 片倉町、打越町の各一部 | ||
1956年10月1日 | 未実施 | ||||
1983年10月1日 | 1983年10月1日 | 高嶺町、打越町、長沼町の各一部 | |||
絹ケ丘二丁目 | 1983年10月1日 | 1983年10月1日 | 高嶺町、打越町の各一部 | ||
絹ケ丘三丁目 | 1983年10月1日 | 1983年10月1日 | 下柚木、中山、高嶺町、打越町の各一部 | ||
1992年8月1日 | 中山の一部 | ||||
由木事務所旧管内 | |||||
---|---|---|---|---|---|
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1964年8月1日 | 未実施 | ||||
下柚木二丁目 | 1996年6月15日[† 1] | 未実施[† 2] | |||
下柚木三丁目 | 1994年11月xx日 | 未実施[† 3] | |||
1964年8月1日 | 未実施 | ||||
上柚木二丁目 | 1996年6月15日[† 1] | 未実施[† 2] | |||
上柚木三丁目 | 1994年11月xx日 | 未実施[† 3] | |||
1964年8月1日 | 未実施 | ||||
1964年8月1日 | 未実施[† 3] | ||||
1986年2月3日 | 1986年2月3日 | 下柚木字十二号・字十三号・字十四号の各一部 | |||
南陽台二丁目 | 1986年2月3日 | 1986年2月3日 | 下柚木字二号・字十二号・字十三号、堀之内字二十一号・字二十二号の各一部 | ||
1999年1月30日 | 下柚木の一部 | ||||
南陽台三丁目 | 1986年2月3日 | 1986年2月3日 | 下柚木字二号・字十三号、堀之内字十九号・字二十一号・字二十二号の各一部 | ||
1999年1月30日 | 堀之内の一部 | ||||
1964年8月1日 | 未実施 | ||||
堀之内二丁目 | 1996年6月15日[† 1] | 未実施[† 2] | |||
堀之内三丁目 | 1996年6月15日[† 1] | 未実施[† 2] | |||
由木東事務所旧管内 | |||||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1964年8月1日 | 未実施 | ||||
1964年8月1日 | 未実施 | ||||
未実施[† 3] | |||||
未実施[† 3] | |||||
南大沢事務所旧管内 | |||||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
1964年8月1日 | 未実施 | ||||
鑓水二丁目 | 1994年11月xx日 | 未実施[† 3] | |||
1996年6月15日[† 1] | 未実施[† 3] | ||||
南大沢二丁目 | 1996年6月15日[† 1] | 未実施[† 2] | |||
南大沢三丁目 | 1994年11月xx日 | 未実施[† 3] | |||
南大沢四丁目 | 1994年11月xx日 | 未実施[† 3] | |||
南大沢五丁目 | 1994年11月xx日 | 未実施[† 2] | |||
1964年8月1日 | 未実施[† 3] | ||||
1996年6月15日[† 1] | 未実施[† 2] | ||||
別所二丁目 | 未実施[† 2] | ||||
多摩ニュータウンは八王子市から多摩市、稲城市、町田市にまたがる大規模ニュータウンで、八王子市においては東京都、東京都住宅供給公社およびUR都市機構によって主に市南東部の南大沢駅・京王堀之内駅周辺で開発が進められた。1971年に多摩市において最初の入居が行われ、八王子市では1976年に入居が始まった[PR 5]。事業方式は土地区画整理事業および新住宅市街地開発事業で、公的な開発は2006年をもって終了したものの、その後も民間主導で開発が進められてきており、2016年現在22万人[PR 6]が居住している。一方で同年の高齢化率は22.2%[PR 6]で、高齢化率は全国平均より低い。
多摩ニュータウン開発で建設された住宅団地は以下の通りである。
人口は約57.75万人で、日本の市町村の中で第24位、20の政令指定都市を除くと第4位で、東京都内の市町村では第1位(23区を含む市区町村全体では第6位)。
八王子市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 八王子市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 八王子市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
八王子市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
2010年時点の夜間人口(居住者)は580,053人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は578,039人で、昼は夜の0.997倍の人口となり、昼夜間人口はほぼ1:1である。通勤者・通学者で見ると、市内から市外へ出る通勤者107,885人、市外から市内へ入る通勤者74,401人と市内から市外へ出る通勤者が多い。一方、学生では市内から市外に出る通学生17,348人、市外から市内へ入る通学生48,820人と市外から市内へ入る通学生が圧倒的に多い[PR 7]。 八王子市は区部への通勤者が多いベッドタウンという人口流出の面と、市内に多くの大学と企業を抱えることから通学先、勤務先として人口流入の面の両面があり、区部からの通勤者・通学者が12,417人である。 八王子市役所によると、11万人の学生と5千人の教員が八王子市に通っている[PR 8]。
北条氏照は城を築いた深沢山に、牛頭天王の8人の王子神である「八王子権現」を祀り、八王子城と名づけた。 この城名が市名の由来である[PR 9]。また、異説として日吉大社及びその神体山である八王子山と密接なつながりがある山王社が多摩地域に多く存在しており、深沢山にも元々山王社が建っていて八王子山とも称され、そこに城を築いたために八王子城と命名されたとする説もある(八王子城跡には現在も「山王台」と呼ばれる場所がある。また、日吉大社が祀る山王権現と八王子権現も密接なつながりがあるとされている)[8]。
八王子城が豊臣秀吉の小田原征伐によって落城すると、この地方は後北条氏の旧領全域とともに徳川家康が転封された。交通の要衝であるため、江戸を甲州口から守るための軍事拠点としての役割も担った。 徳川家康が武田家の遺臣を召抱えて組織した八王子千人同心の根拠地となったのはそのためである。
江戸時代には関東各地の直轄領(御料)を支配する代官18人が駐在することとなり、武田家旧臣の大久保長安が代官頭を務めてこの地方の開発と甲州街道の整備にあたった。 その結果、八王子横山十五宿は甲州街道中で最大の宿場町として、また多摩地域の物資の集散地として栄えた。
1889年(明治22年)町制施行し、(神奈川県南多摩郡八王子町)として始まり、後に神奈川県から東京府に編入した。
幕末の開国後、明治維新期以降は織物産業が繁栄し、江戸時代からの宿場町を中心に街も発展した。 特に生糸・絹織物については市内で産するだけでなく、遠くは群馬県や秩父地方、山梨県、長野県からも荷が集まり、輸出港である横浜に運ぶための中継地としても機能していた。 八王子と横浜を結ぶ神奈川往還は後に民俗史・郷土史研究者から「絹の道(シルクロード)」と呼ばれ[9]、絹の道資料館はこうした歴史を伝える。
1917年(大正6年)には、東京府内で東京市に次ぎ2番目に市制を施行した。1940年(昭和15年)12月1日に立川市が市制施行するまでは、東京多摩地域で唯一の「市」であった。2017年(平成29年)には市制施行100周年を迎えて様々な記念事業が行われた。
なお、八王子市が市制施行した当時の東京市は東京15区であり、現在の東京23区に属する地域のうち、豊多摩郡(現:渋谷区・中野区・杉並区、および新宿区の一部[注釈 1])、荏原郡(現:品川区・大田区・世田谷区・目黒区)、北豊島郡(現:豊島区・北区・荒川区・板橋区・練馬区)、南足立郡(現:足立区)、南葛飾郡(現:葛飾区・江戸川区、および墨田区の一部[注釈 2]と江東区の一部[注釈 3])は東京市編入前であり郡制を敷いていた。
1946年(昭和21年)3月1日、八王子市役所などに昭和天皇の行幸(昭和天皇の戦後巡幸)があった[10]。 1960年代以降は、伝統産業であった織物など繊維産業の衰退により、市の郊外には北八王子工業団地などの工業団地に企業誘致が進み、また宅地開発により多摩ニュータウンなどの大規模な住宅団地が建設された。 その後は都心のキャンパスが手狭になった上に工場等制限法で近隣での拡張が困難になった大学の移転が相次ぎ[11]、学園都市と呼ばれるようになり、産学共同研究が盛んとなった。 市の西部の高尾山、陣馬山などの山々は観光地やハイキングコースとして人気があり、また中村雨紅の生誕地にある「夕やけ小やけふれあいの里」や、東京都内で初めての道の駅である「道の駅八王子滝山」なども行楽客を集めている。
2015年4月1日に中核市に指定された。これは東京都の市では唯一である[12][PR 10]。石森孝志八王子市長は「いずれ政令指定都市になることを目指す」としている[13]。
2012年、東京都は八王子の繁華街である旭町、東町、寺町、中町、三崎町、南町ならび横山町を都迷惑防止条例に基づき、客引きやスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[14]。 さらに2019年には同じ地区を暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定[15]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科される[16]。
首長の代数(歴代)の数え方は何種類もあるが、本節では a, b を添える形で書き分けながら解説する。表示欄では「代a」「代b」という名で2種類を記載した。a は就任のあるたびにカウントする方式に基づく代数であり、b は同一人物による連続就任をカウントしない方式に基づく代数である。八王子市は a の方式を採っているが(他の例:弘前市、浜松市)、b の方式を採る自治体も多く(例:京都市、大垣市)、a と b の違いを認識しないまま単純に比較すると誤解が生まれる。なお、返り咲きがあろうとも同一人物を1カウントとする方式もあるが、現状、八王子市は該当しない。官選・公選等を完全に区別して捉え、切り換わった時点で一から数え直す方式もあるが、八王子市はこれを採用していない。
代a | 代b | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
官 選 市 長 | |||||
- | - | 1917年(大正6年)9月1日[PR 12] | 1917年(大正6年)12月14日[注釈 4] | 八王子町が市制を施行する前日に町長(第10代八王子町長)を退任し、八王子市の発足に伴って市長臨時代理者に就任[PR 12]。同年12月14日付で市長に就任した[PR 12]。 | |
1 | 1 | 1917年(大正6年)12月14日[PR 12] | 1921年(大正10年)12月13日[PR 12][注釈 5] | 初代市長として1期4年を満了。 | |
2 | 2 | 1922年(大正11年)2月16日[PR 12] | 1925年(大正14年)2月25日[PR 12] | 任期中3年目に病死。 | |
3 | 3 | 1925年(大正14年)5月26日[PR 12] | 1929年(昭和4年)5月25日[PR 12] | 1期満了。 | |
4 | 4 | 1929年(昭和4年)7月8日[PR 12] | 1929年(昭和4年)11月4日[PR 12] | 普通選挙法の施行後に行われた市議会議員選挙が敗北に終わったため、責任を取る形で就任後4か月足らずで辞任。 | |
5 | 5 | 1929年(昭和4年)12月11日[PR 12] | 1933年(昭和8年)12月10日[PR 12] | 1期4年を満了。2期目を目指すも選任されず。 | |
6 | 6 | 1934年(昭和9年)1月16日[PR 12] | 1938年(昭和13年)1月15日[PR 12] | 1期4年を満了。 | |
7 | 7 | 1938年(昭和13年)1月22日[PR 12] | 1942年(昭和17年)1月21日[PR 12] | 1期目4年を満了。 | |
8 | 1942年(昭和17年)1月27日[PR 12] | 1942年(昭和17年)3月25日[PR 12] | 市議会混乱の責を負い、任期初頭で辞任。 | ||
(9) | 1942年(昭和17年)5月9日[PR 12] | 1942年(昭和17年)9月1日[PR 12] | 次代市長就任までの空位は関谷自らが市長臨時代理として埋めた[PR 12][注釈 6]。 | ||
10 | 8 | 1942年(昭和17年)9月1日[PR 12] | 1945年(昭和20年)9月12日[PR 12] | 第10代には軍人市長の擁立が図られるも、人選を巡って紆余曲折があり、3番目に推挙された深沢が就任した。 これといった実績が無いうえに八王子空襲の視察すら行わない姿勢が住民の怒りを買い、辞任に追い込まれた。 | |
11 | 9 | 1945年(昭和20年)10月29日[PR 12] | 1947年(昭和22年)4月4日[PR 12] | 八王子最後の官選市長。官選から公選への移行に伴い、任期満了を待たずして退任する[PR 12]。 | |
公 選 市 長 | |||||
12 | 9 | 小林 吉之助 | 1947年(昭和22年)4月5日[PR 12] | 1951年(昭和26年)4月4日[PR 12] | 八王子初の公選市長として就任。2期目4年を満了。 |
13 | 1951年(昭和26年)4月23日[PR 12] | 1955年(昭和30年)4月2日[PR 12] | 3期目4年を満了? | ||
14 | 1955年(昭和30年)4月30日[PR 12] | 1957年(昭和32年)2月6日[PR 12] | 4期目の2年目を前に不祥事で辞任。 | ||
15 | 10 | 1957年(昭和32年)2月25日[PR 12] | 1961年(昭和36年)2月23日[PR 12] | 1期4年を満了。 | |
16 | 11 | 1961年(昭和36年)2月24日[PR 12] | 1965年(昭和40年)2月23日[PR 12] | 1期目4年を満了。 | |
17 | 1965年(昭和40年)2月24日[PR 12] | 1969年(昭和44年)2月23日[PR 12] | 2期目4年を満了。 | ||
18 | 1969年(昭和44年)2月24日[PR 12] | 1973年(昭和48年)2月23日[PR 12] | 3期目4年を満了。4選を目指すも病気で断念。 | ||
19 | 12 | 1973年(昭和48年)2月24日[PR 12] | 1977年(昭和52年)2月23日[PR 12] | 1期目4年を満了。 | |
20 | 1977年(昭和52年)2月24日[PR 12] | 1981年(昭和56年)2月23日[PR 12] | 2期目4年を満了。 | ||
21 | 1981年(昭和56年)2月24日[PR 12] | 1983年(昭和58年)12月26日[PR 12] | 3期目の途中、収賄容疑で引責辞任。 | ||
22 | 13 | 1984年(昭和59年)1月30日[PR 12] | 1988年(昭和63年)1月27日[PR 12] | 1期目4年を満了。 | |
23 | 1988年(昭和63年)1月29日[PR 12] | 1992年(平成4年)1月28日[PR 12] | 2期目4年を満了。 | ||
24 | 1992年(平成4年)1月29日[PR 12] | 1996年(平成8年)1月28日[PR 12] | 3期目4年を満了。 | ||
25 | 1996年(平成8年)1月29日[PR 12] | 2000年(平成12年)1月28日[PR 12] | 4期目4年を満了。多選を批判され、5選は断念。 | ||
26 | 14 | 2000年(平成12年)1月29日[PR 12] | 2004年(平成16年)1月28日[PR 12] | 2000年(平成12年)1月23日、58歳で初当選。1期目4年を満了。 | |
27 | 2004年(平成16年)1月29日[PR 12] | 2008年(平成20年)1月28日[PR 12] | 2004年(平成16年)1月25日、62歳で再選。2期目4年を満了。 | ||
28 | 2008年(平成20年)1月29日[PR 12] | 2012年(平成24年)1月28日[PR 12] | 2008年(平成20年)1月27日、66歳で3選。3期目4年を満了し、引退。 | ||
29 | 15 | 2012年(平成24年)1月29日[PR 12] | 2016年(平成28年)1月28日[PR 12] | 2012年(平成24年)1月22日、54歳で初当選。1期目4年を満了。 | |
30 | 2016年(平成28年)1月29日[PR 12] | 2020年(令和2年)1月28日[PR 12] | 2016年(平成28年)1月24日、58歳で再選。2期目4年を満了。 | ||
31 | 2020年(令和2年)1月29日[PR 12] | 2024年 (令和6年) 1月28日 | 2020年(令和2年)1月26日、62歳で三選。2024年1月28日に3期目4年を満了し、引退。 | ||
19 | 12 | 2024年(令和6年)2月29日[PR 13] | (現 職) | 2024年 (令和6年) 1月21日初当選。 |
※当日有権者数:468,256人 最終投票率:38.66%(前回比:7.20pts)
以上の出典[PR 14]。
2008年4月1日時点の市職員数(短期契約職員を除く)は2,909人である[PR 15]。職員数は2010年度までに2,897人とすることを目標として削減を進めており、同規模の地方自治体と比べると市民1人当たりの職員数は少なくなっている[PR 16]。
2015年4月1日時点[PR 17]
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太字は「拠点事務所」=19時まで開庁
2016年度の当初予算規模は約4,098億円である[PR 19]。市債残高はピークであった2000年度の3,184億円から年々減り続け2015年度末時点で2,085億円[PR 20] となり、1,099億円減少している。単年度の歳入における地方債依存度は年々低下し、2015年度では3.6%であった。市債の発行目的は主に小中学校の校舎建設や都市計画事業、住民税の減税補填の費用で、施設整備などの投資的経費の減少により地方債の発行が抑制された。2015年度の歳入に占める自主財源の比率は52.4%である。市の基金(貯金)は2005年度93億円であったが年々増加しており、2015年度で235億円となっている。
2001年度のラスパイレス指数は105.0で指定都市を除く全市区町村の中では8番目に高く、東京26市中では7番目に高かったが、給与の引き下げなどの対策によって2015年度は97.8と大幅に低下し東京26市中で26位と大きく改善された。2005年度(平成17年度)決算における歳出に対する人件費比率は20.3%、2015年度決算における歳出に対する人件費比率は14.4%とこちらも年々縮減される傾向にある。
2001年から地球温暖化対策して「はちおうじ省エネ国」事業を開始。希望する家庭に電気使用量などチェックシートで毎月点検できるようにした。2009年1月にイメージキャラクター名が「えこちゃん」に「えこちゃん」の頭の上に乗っているドングリの愛称が「グリちゃん」に決定する[17]。2010年8月に八王子環境フェスティバルなどで流されていた省エネ国テーマソングが市のホームページで公開された[PR 21]。テーマソングの製作は市役所職員がすべて行いボーカルには初音ミクを使った[18]。
2004年から有料化、個別収集開始。優良集合住宅集積所認定制度創設や学生にゴミ分別のマナーなど向上のために市内の大学・短大・高専で構成される八王子市学園都市推進会議と連携している[PR 22]。
下水処理は市町村の事業であるが、多摩地区の多く市では東京都下水道局への委託を進めている。高度な設備による水質改善や大規模処理による経済性という利点があるためである。
本市の場合は、浅川沿いの北野下水処理場にて処理を行っていた。段階的に都への委託が進み、2021年1月をもって完了した。
都の処理は多摩川沿いの八王子水再生センターで行われている。
候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 |
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東村邦浩 | 当 | 55 | 公明党 | 現 | 48,016票 |
両角穣 | 当 | 55 | 都民ファーストの会 | 現 | 41,541票 |
滝田泰彦 | 当 | 35 | 都民ファーストの会 | 新 | 39,275票 |
清水秀子 | 当 | 65 | 日本共産党 | 現 | 31,935票 |
伊藤祥広 | 当 | 48 | 自由民主党 | 新 | 26,519票 |
鈴木玲央 | 落 | 39 | 自由民主党 | 新 | 22,239票 |
安藤修三 | 落 | 37 | 民進党 | 新 | 21,446票 |
滝沢景一 | 落 | 51 | 無所属 | 元 | 6,947票 |
岡村幹雄 | 落 | 60 | 諸派 | 新 | 2,597票 |
明神町に、多摩地域全域を管轄している東京地方裁判所八王子支部および東京家庭裁判所八王子支部が所在していたが、これらを立川市に移転するとの方針が国から提示され[PR 24][PR 25]、2009年4月20日に移転された。地家裁と同じ庁舎にあった八王子簡易裁判所は地家裁移転後も引き続き同じ庁舎内で業務を行っていたが、2011年に同じ敷地内に庁舎を新設し移転した。旧庁舎取り壊し後の跡地には、2019年に八王子税務署が移転、2021年にAOI八王子病院(移転前の名称は南八王子病院)が移転してきた。
なお、同じ敷地内には八王子法務総合庁舎があり、東京地方検察庁八王子支部が地方裁判所・家庭裁判所と同時に立川市に移転した後も八王子区検察庁が引き続き入居している。八王子法務総合庁舎は2020年から大規模改修工事が進められており、2022年の竣工後には東京法務局八王子支局、八王子労働基準監督署が移転する予定である。また不動産登記申請書などの保存期間延長に伴い、東京法務局の集中書庫(面積約3030平方メートル)も庁舎内に新設される予定である[19]。
消防は市町村の責任業務であるが、本市は多摩地域の多くの自治体と同様に東京消防庁へ業務を委託している。以前は多摩地域は全域が第8方面とされていたが、1990年に第9方面が新設され、方面本部は本市の小宮出張所に置かれた。更に首都直下地震とNBC災害を鑑み、2013年3月に消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)が市内に配備された。2017年12月、消防救助機動部隊の敷地内において、消防方面訓練場、消防救助機動部隊隊舎、受援拠点などが整備された総合的な消防防災施設である東京消防庁南多摩防災施設として新たに運用を開始した[21]。
多摩地区の保健所は基本的には都が設置しているが、保健所政令市である本市と町田市はそれぞれ独自に保健所を設置している。
2023年5月末日時点で、市民の平均年齢は42.32歳。高齢者人口は155,051人で、総人口比は27.64%である[PR 28][PR 29]。2004年1月1日時点、市内最高齢者は男103歳、女107歳である。2005年4月1日の時点で独居老人は7,212人、寝たきり人口は601人である。独居老人は増加しているが、寝たきり人口は減少している[PR 30]。
八王子市の設置運営する公立図書館は「八王子市図書館」と称し、中央図書館(本館に相当)および3つの図書館(分館に相当)、5つの市民センター図書館(分室に相当)がある[24][25][26]。
2006年、市制90周年を記念して日本国外の都市と友好都市交流を開始した[PR 33]。 その後2017年に市制100周年を記念し、当市出身で第二次世界大戦終戦直後のドイツで治療に尽力した医師の肥沼信次と関係が深いドイツのヴリーツェン市と友好交流協定を結んだ[PR 34][PR 35]。
上記のうち苫小牧市と日光市は千人同心のゆかりの地である。苫小牧は、江戸時代末期、北辺警備と勇払原野の開拓に千人同心が参加したこと、日光は、千人同心が東照宮の火の番を勤めていた縁で、姉妹都市となった[PR 36]。また寄居町と小田原市は戦国大名の北条氏一族が治めていた城があった縁や、近年の圏央道の開通に伴い結び付きが強くなった事から姉妹都市締結となった[PR 37]。
第3次産業が、事業所数・従業者数ともに全体の約8割を占める(2000年年国勢調査)[PR 38]。
(産業別事業所数上位5位まで。カッコ内は構成比。2001年(平成13年)10月1日時点)[PR 38]
(産業別就業者数上位5位まで、単位・人。カッコ内は構成比。2001年(平成13年)10月1日時点)[PR 38]
農家の戸数は2005年時点で1,435戸で減少傾向にあり、販売農家が全体の約40%を占める[PR 39]。八王子市農業協同組合(JA八王子)が、八王子市全域の農協業務を執り行っている。 東京都にある養蚕農家23戸のうち10戸が八王子市にある。 西部の山地・丘陵の農地では、ニホンザル、イノシシなどの獣害対策が課題となっており、ボランティアによる駆除活動が行われている。2007年には道の駅八王子滝山内に農産物直売所「ファーム滝山」がオープンし、地産地消を推進する拠点となっている[28]。
農業粗生産額は 27 億円である。内訳は以下のとおりである。
農地面積は 957ha(市域全体の約5.1%)で、内訳は以下のとおりである。
(単位:人)
(単位:万円)
北八王子工業団地には、各種計測機器などの精密機器製造業の他、交通の利便性により、各社の物流拠点がある[PR 41]。北八王子工業団地のほかには、東浅川工業団地、狭間工業団地、八王子繊維工業団地、下恩方工業団地、美山工業団地、北野工業団地がある[PR 42]。
機業地であった歴史を受け継ぎ、絹織・ニット製品・染色業などの工場も多い。
八王子市の小売業の年間商品販売額は、多摩地区第1位(2014年)[PR 43]であり、町田市、次いで立川市、武蔵野市がこれに続く。
中心市街地では、駅前にJR東日本最大級の駅ビル[29]である八王子駅北口駅ビル(セレオ八王子北館)や八王子駅南口駅ビル(セレオ八王子南館)、八王子オクトーレ、京王八王子駅ビル(京王八王子ショッピングセンター)、サザンスカイタワー八王子、ヨドバシカメラ八王子店、ドン・キホーテ八王子駅前店、八王子オーパなどの大型店がある。過去には大型店舗の撤退などもあったが、大型店舗のリニューアルや新規出店が進んでいる。商業地域および近隣住宅地域ではマンションの建築が盛んであり、人口も右肩上がりで甲州街道沿いの歩行者数も増えている。
一方、市の郊外には三井アウトレットパーク 多摩南大沢やぐりーんうぉーく多摩、イーアス高尾、コピオ長房[30]、スーパービバホーム八王子多摩美大前店[31]、フォルテ八王子[32]等に代表される郊外型大規模ショッピングセンターが複数出現しているため、市郊外や新宿駅・立川駅などの周辺に買い物客が流れている傾向がある[33][34][35]。また、多くの大学が立地しているが市内各所に点在しているため、市中心部の八王子駅周辺ほか八王子市南部の南大沢駅周辺で買い物する学生も多い。
中心市街地の活性化を図るため、1997年には八王子駅北口再開発(八王子スクエアビル)、2003年には八日町第2地区再開発(ビュータワー八王子)、続いて2010年には八王子駅南口再開発(サザンスカイタワー八王子)とJR東日本により八王子駅南口駅ビル(セレオ八王子南館)が竣工した。2018年には、住友不動産がJR貨物の所有地を活用し共同開発した八王子駅南口の複合施設の一部をイオンモールが借りて商業施設「八王子オーパ」を開業した[36]。
今後も、中央自動車道八王子インター隣接のイオンモール八王子インターチェンジ北[37]、八王子駅北口「旭町・明神町地区」再開発(一部は多摩地域最大のコンベンションセンター「東京たま未来メッセ」として開業済)[38]、八王子医療刑務所移転後用地活用計画[39]、八王子西インターチェンジ近接の川口土地区画整理事業(流通・産業拠点整備)[40]等が事業予定されている。
指定金融機関はみずほ銀行。
1960年代後半以降、大学の移転が相次ぎ、国内有数の学園都市として整備されている。中央大学多摩キャンパスの開設を契機に全国の大規模総合大学が郊外移転をするようになった。1980年代以降、図書館・文化ホールなどの社会教育施設の整備が進んだが、市の行財政改革により、施設の仕様や、運営の見直しが進んでいる。 市の郊外にあたる丘陵地帯には大学が点在し、市域には23の大学・短期大学・高等専門学校がある。
小泉内閣が進めた構造改革特別区域構想に伴い、2003年4月「不登校児童・生徒のための体験型学校特区」に認定され、2004年4月「小中一貫校」である八王子市立高尾山学園が開校した。加えて2005年11月「情報産業人材育成特区」にも認定され、2006年7月「株式会社立デジタルハリウッド大学八王子制作スタジオ」が開校した。
2004年4月から、市立の小学校・中学校に学校選択制度が導入された。小学校では指定校と隣接校から、中学校は市内全域のすべての学校から、通学する学校を選択することができる。
2011年4月から市内全域で小中一貫(連携)教育を実施している[PR 44]。 八王子市立高尾山学園は、情緒的要因による不登校児童・生徒を対象とした学校である[44]。不登校特例校に指定されている[45]。
市立第五中学校には、都内在住・在勤の、学齢を越えた義務教育未修了者を対象に夜間学級が開設されている。
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八王子市内には、2016年(平成28年)6月時点で 70の小学校がある[PR 45]。
行財政改革により、市立の社会教育施設の一部は財団法人八王子市学園都市文化ふれあい財団が運営している[PR 47]。また、2004年9月に「だれもがいつでも多様に学び豊かな文化を育むまち」をスローガンに、八王子市域23の大学・短期大学・高等専門学校・企業と連携した「八王子学園都市大学(いちょう塾)」が開学した。
1990年代以後に設立された施設は、その大半が複合施設となっており、一部は商業施設と共用している。 1962年開館の市民会館は、施設の老朽化により、2011年サザンスカイタワー八王子への移転した[PR 48]。
2003年10月、隣接する神奈川県津久井郡相模湖町・藤野町(ともに現在は相模原市の一部)との間に、公の施設の相互利用協定を結び、両町の図書室や文化施設について、八王子市民の利用が可能になった[PR 49]。2006年3月、相模湖町の相模原市編入に伴い、相模原市内の図書館についても八王子市民の利用が可能になった。また、2007年10月には町田市、2008年4月には「京王線沿線7市図書館連携」が始まり、府中市、調布市、日野市、多摩市、稲城市の図書館についても八王子市民の利用が可能になった。加えて2008年8月には、あきる野市との間にも図書館の相互利用が開始した。
東京都高尾自然科学博物館は、都立唯一の自然史博物館であったが、2004年3月31日、施設の老朽化などの理由により閉館した。博物館事業は八王子市に移管され、跡地に「TAKAO 599 MUSEUM」が2015年8月11日開館した[PR 50]。
りそな銀行・東京工科大学と共同し2006年〜2009年まで約10校の小学校でゲームとWebを利用した「先導的教育情報化推進プログラム」を実施した[PR 51]。
この他に、八王子市で多摩都市モノレール線の八王子延伸ルート実現を推進している[PR 52]。LRT(次世代型路面電車)も検討されているが[46]、勾配などの地形の制約を解決できず、見送り状態となっている[47]。
八王子はバス路線の発達した街であり、主要駅発着のバス路線の数は多い。また市域も広いため、直接鉄道で結ばれていない隣接地域へのアクセスに路線バスが活用されている。市を東西に貫く甲州街道を境にして、主に北側の路線を西東京バスが、南側の路線を京王電鉄バスが運行している。また、南大沢など市東南部の多摩ニュータウン地区では神奈川中央交通と、京王電鉄バス子会社の京王バスが運行している。かつては西武バスや都営バス、立川バスも市内で一般路線を運行していた。陣馬高原下方面の大久保バス停より先などでは自由乗降区間となっている。
2002年に中心市街地の渋滞緩和と、駅周辺地域での乗降客増加を図るため、神奈川中央交通を除く各社線とも八王子駅から半径1km圏内の停留所間の運賃を100円均一とした。
長きにわたり、市の北西部と北東部を直接に結ぶバス路線がなかったが、2003年には八王子市コミュニティバス「はちバス」北西部コースが運行を開始した(運行は西東京バスへ委託)。2004年には新たに南東部の既存路線外を補完する東部コース、2011年には高尾駅とさくら台団地・松子舞団地を結ぶ南西部コースの運行を開始した。
JR・京王八王子駅より、以下の行先の高速バスがある(カッコ内は経由地)。中央自動車道には元八王子バス停があり、高速路線バスを利用できるが、市の中心部からは離れている。
東京運輸支局八王子自動車検査登録事務所が、市内(滝山町1丁目270番地の2)に所在し「八王子ナンバー」が交付される。1985年2月4日に東京陸運事務所多摩支所(「多摩ナンバー」を交付)の管轄区域を分割して開設された。
観光産業振興の一環として、2003年11月29日市内在住の演歌歌手・北島三郎に、2004年11月25日に八王子車人形五代目家元西川古柳に、2006年11月に市内で育った羽生善治に[PR 54]、八王子観光大使を委嘱した。また、2016年2月24日に10のグループ、団体、個人、ゆるキャラに[PR 55]八王子観光PR特使を委嘱した。
高尾山は観光客の集客力は高いが、資源や特産物に乏しい[PR 57]。「食による町おこし」[PR 57]、八王子いちょう祭り大作戦、八王子名品・名店発掘によるまちおこし事業、八王子是市民の会など多くの活動によって振興が検討・計画・実行されている。
八王子ゆかりのロックバンド
八王子市の特徴は、全国でも有名なロックバンドを日本一を誇るまちと言われている。そのような、日本でも有名なロックバンドを更に多く輩出すること目指して、八王子発のロックバンドなどを中心に「HACHIOJI ROCK DREAM」が同実行員委員会の主催において、JR八王子駅北口付近のライブハウスなどを会場にしたサーキットイベントを毎年3月上旬に開催している。
主な八王子ゆかりのあるロックバンド
Open Embedded Software Foundation (OESF) が Android City Initiative活動[50]の先駆けとして、2011年4月1日に 八王子市と八王子商工会議所連携のもと設立された「首都圏情報産業特区・八王子」構想推進協議会(サイバーシルクロード八王子)と提携し、「Android City 八王子」というコミュニティを立ち上げた。
市では、都市景観・自然景観そのものを観光資源ととらえ、市内におけるテレビ・映画・CMなどのロケ利用促進を目的とするフィルムコミッション制度を設けている。これは、市の観光課が窓口となり、観光協会や大学などの各団体と連携して、市内における撮影の誘致や円滑な進行を補助するものであり2004年1月にスタートした。市の観光課によると、前年2003年に放映されたテレビドラマ『ハコイリムスメ!』では高尾山が舞台となり全国に紹介されたため観光客が3割増加したという。2004年放映のテレビドラマ『白い巨塔』では、市役所本庁舎が劇中の裁判所として登場したが、このドラマ撮影はフィルム・コミッション制度活用の一例である。市では、今後撮影候補地のデータベース化など、情報提供体制の充実をはかり、撮影の積極的誘致につとめる、としている[PR 58]。
ジュニアユース(中学生部門)
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