甲府市
山梨県庁所在地 ウィキペディアから
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甲府市(こうふし)は、山梨県の国中地方に位置する市。山梨県の県庁所在地及び県内で人口が最多の市で、中核市、保健所政令市、中枢中核都市に指定されている。
こうふし 甲府市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 山梨県 | ||||
市町村コード | 19201-5 | ||||
法人番号 | 1000020192015 | ||||
面積 |
212.47km2 | ||||
総人口 |
186,063人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 876人/km2 | ||||
隣接自治体 |
甲斐市、山梨市、笛吹市、北杜市、中央市、中巨摩郡昭和町、南都留郡富士河口湖町、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡身延町 長野県南佐久郡川上村 | ||||
市の木 | カシ | ||||
市の花 | ナデシコ | ||||
市の鳥 | カワセミ | ||||
甲府市役所 | |||||
市長 | 樋口雄一 | ||||
所在地 |
〒400-8585 山梨県甲府市丸の内1丁目18番1号 北緯35度39分44秒 東経138度34分06秒 甲府市役所 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
2000年(平成12年)11月1日に特例市に指定され、2019年(平成31年)4月1日に中核市の条件たる人口20万人以上には及ばないものの、施行時特例市から中核市に移行。人口は約18.7万人。
市域は山梨県の中央を南北に三日月形に縦断しており、市街中心部は甲府盆地の中央北寄りに位置する。山梨県は首都圏整備法上の首都圏に属する県であり、 その位置関係から中部地方の名古屋よりも、関東地方の東京への志向性が強い。
甲府という名称は、1519年(永正16年)に甲斐国の守護大名武田信虎が、居館を石和(現在の笛吹市石和町)、次いで川田(現在の甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(現在の武田神社・甲府市古府中町)へ移した際に、甲斐国の府中という意味から甲府と命名したことに始まるものである。
ただし府中とは、国の中心都市という程度の意味である[1]。歴史上の甲斐国の府中(律令制に基づく国衙の所在地)がここだったことはなく、それはおそらく現在の笛吹市内である。
戦国時代には大名領国を形成した武田氏の本拠地となり、武田氏滅亡後は徳川氏や豊臣系大名浅野氏の甲斐国経営の中心となり、国中地域や甲斐国の政治的中心地と位置付けられる。江戸時代には江戸の西方の守りの要として重要視され、また甲州街道の宿場町としても栄えた。近年では、宝石研磨産業が盛んである。
市域は甲府盆地の中央部を南北に縦断する形で位置しており、周囲を奥秩父山塊、御坂山地、南アルプスなどの山々に360度囲まれたその地形を1939年(昭和14年)の一時期、市内に住んだ太宰治は、著書「新樹の言葉」の中で、「シルクハツトを倒(さか)さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない」と表現した[2]。市街中心部の標高は約250mから300mであるが、市域全体の標高差は大きく、最低部は市域南部の笛吹川付近の標高約245m、最高部は市域最北端、長野県川上村との境界にある金峰山の標高2,599mと実に標高差は2,350mに達する。市域北側の大半は秩父多摩甲斐国立公園に属し、奇岩と渓谷美で知られる御岳昇仙峡(国の特別名勝)は山梨県を代表する観光地である。
国土地理院地理情報によると甲府市の東西南北それぞれの端は以下の位置。
北端と東端は大弛峠のすぐ近く、南端は女坂峠の近く、西端は甲斐市立敷島北小学校の北にある、荒川の右岸。
また、2010年国勢調査基準による人口重心は相生3丁目付近にある。
北端 北緯35度52分33秒 東経138度39分28秒 ↑ | 人口重心 北緯35度39分14.09秒 東経138度34分4.32秒 | |
西端 北緯35度41分50秒 東経138度31分25秒← | 市役所 北緯35度39分21秒 東経138度34分02秒 | 東端 →北緯35度52分23秒 東経138度39分40秒 |
↓ 南端 北緯35度30分07秒 東経138度37分01秒 | ||
甲府市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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盆地の中に位置するため夏と冬、そして1日の寒暖の差が非常に激しい内陸性気候となっている。年間降水量は日本の中では少ない方である。気候は中央高地式気候に区分されるが、夏季には日本有数の酷暑となり、たびたび猛暑日に見舞われ最高気温がニュースになることも少なくない。しかし、2010年以降は近隣の甲州市勝沼(アメダス)の方が高くなる回数が増えてきている。最低気温も標高のわりに高めで近年は関東内陸の地点と同等の熱帯夜が観測される事も珍しくない。市内の甲府地方気象台では、2013年8月10日の最高気温40.7°Cをはじめ、40°C以上の最高気温を計4回[3]観測している。
冬季は周囲の高い山脈が北方からの寒気の流入を防ぎ、朝晩は冷え込むものの、日中は比較的暖かい。朝晩は放射冷却現象の影響で冷え込むが、標高が比較的高いわりには平均最低気温は高い。同気象台で1921年1月16日に観測された氷点下19.5°Cが甲府での最低気温であるが、近年は温暖化・都市化により冬季の最低気温は上昇傾向が続き、氷点下10°C以下は1986年1月7日の氷点下10.0°Cを最後に観測されていない。日中は日照時間も多いために比較的気温が上がり温暖で、2月の平均最高気温は温暖な大阪市より高い。真冬日はほとんど観測されない。基本的に雪は少なく、冬型気圧配置下の降雪はほとんどない一方、稀に南岸低気圧による突発的大雪となることがあり、1998年1月15日には1894年から観測史上最深となる49cm、さらに2014年2月15日には最深積雪を大幅に更新する114cmの豪雪(これは1981年の五六豪雪で記録した山形市の113cmを上回る記録)に見舞われた(平成26年豪雪を参照)。
甲府市飯田(甲府地方気象台、標高273m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.2 (68.4) |
25.4 (77.7) |
28.8 (83.8) |
33.1 (91.6) |
35.2 (95.4) |
38.3 (100.9) |
40.4 (104.7) |
40.7 (105.3) |
38.0 (100.4) |
33.8 (92.8) |
29.6 (85.3) |
24.9 (76.8) |
40.7 (105.3) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.1 (48.4) |
10.9 (51.6) |
15.0 (59) |
20.7 (69.3) |
25.3 (77.5) |
27.8 (82) |
31.6 (88.9) |
33.0 (91.4) |
28.6 (83.5) |
22.5 (72.5) |
16.7 (62.1) |
11.4 (52.5) |
21.0 (69.8) |
日平均気温 °C (°F) | 3.1 (37.6) |
4.7 (40.5) |
8.6 (47.5) |
14.0 (57.2) |
18.8 (65.8) |
22.3 (72.1) |
26.0 (78.8) |
27.1 (80.8) |
23.2 (73.8) |
17.1 (62.8) |
10.8 (51.4) |
5.4 (41.7) |
15.1 (59.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.1 (28.2) |
−0.7 (30.7) |
3.1 (37.6) |
8.4 (47.1) |
13.7 (56.7) |
18.3 (64.9) |
22.3 (72.1) |
23.3 (73.9) |
19.4 (66.9) |
13.0 (55.4) |
5.9 (42.6) |
0.3 (32.5) |
10.4 (50.7) |
最低気温記録 °C (°F) | −19.5 (−3.1) |
−17.2 (1) |
−11.4 (11.5) |
−4.6 (23.7) |
−0.6 (30.9) |
5.4 (41.7) |
12.6 (54.7) |
13.2 (55.8) |
6.0 (42.8) |
−1.8 (28.8) |
−6.0 (21.2) |
−11.7 (10.9) |
−19.5 (−3.1) |
降水量 mm (inch) | 42.7 (1.681) |
44.1 (1.736) |
86.2 (3.394) |
79.5 (3.13) |
85.4 (3.362) |
113.4 (4.465) |
148.8 (5.858) |
133.1 (5.24) |
178.7 (7.035) |
158.5 (6.24) |
52.7 (2.075) |
37.6 (1.48) |
1,160.7 (45.697) |
降雪量 cm (inch) | 9 (3.5) |
11 (4.3) |
1 (0.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
1 (0.4) |
23 (9.1) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 4.7 | 5.2 | 9.0 | 8.3 | 8.9 | 12.0 | 12.3 | 10.4 | 10.8 | 9.7 | 6.1 | 4.9 | 102.2 |
平均降雪日数 | 5.9 | 5.9 | 3.6 | 0.3 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.1 | 3.5 | 19.4 |
% 湿度 | 55 | 52 | 55 | 57 | 62 | 69 | 72 | 70 | 71 | 71 | 67 | 60 | 64 |
平均月間日照時間 | 209.1 | 195.4 | 206.3 | 206.1 | 203.9 | 149.9 | 168.2 | 197.0 | 150.9 | 159.6 | 178.6 | 200.9 | 2,225.8 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1894年-現在)[4][5] |
甲府市(甲府地方気象台)1961 - 1990年平均の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 8.4 (47.1) |
9.6 (49.3) |
13.5 (56.3) |
19.8 (67.6) |
24.2 (75.6) |
26.6 (79.9) |
30.1 (86.2) |
31.7 (89.1) |
27.0 (80.6) |
21.1 (70) |
16.0 (60.8) |
10.7 (51.3) |
19.9 (67.8) |
日平均気温 °C (°F) | 2.0 (35.6) |
3.4 (38.1) |
7.0 (44.6) |
13.3 (55.9) |
17.8 (64) |
21.3 (70.3) |
24.8 (76.6) |
25.9 (78.6) |
21.9 (71.4) |
15.5 (59.9) |
9.8 (49.6) |
4.1 (39.4) |
13.9 (57) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.5 (25.7) |
−2.0 (28.4) |
1.4 (34.5) |
7.8 (46) |
12.3 (54.1) |
17.2 (63) |
21.3 (70.3) |
22.0 (71.6) |
18.1 (64.6) |
11.0 (51.8) |
4.5 (40.1) |
−1.4 (29.5) |
9.1 (48.4) |
出典:理科年表 |
古関(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 15.8 (60.4) |
22.8 (73) |
24.9 (76.8) |
31.0 (87.8) |
33.1 (91.6) |
36.6 (97.9) |
37.8 (100) |
38.6 (101.5) |
36.0 (96.8) |
30.7 (87.3) |
25.2 (77.4) |
21.8 (71.2) |
38.6 (101.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 6.2 (43.2) |
8.1 (46.6) |
12.3 (54.1) |
18.1 (64.6) |
22.8 (73) |
25.4 (77.7) |
29.4 (84.9) |
30.6 (87.1) |
26.2 (79.2) |
20.0 (68) |
14.5 (58.1) |
8.8 (47.8) |
18.5 (65.3) |
日平均気温 °C (°F) | 0.3 (32.5) |
1.9 (35.4) |
5.8 (42.4) |
11.4 (52.5) |
16.0 (60.8) |
19.6 (67.3) |
23.4 (74.1) |
24.2 (75.6) |
20.3 (68.5) |
14.2 (57.6) |
8.2 (46.8) |
2.8 (37) |
12.3 (54.1) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.9 (25) |
−3.0 (26.6) |
0.4 (32.7) |
5.4 (41.7) |
10.4 (50.7) |
15.1 (59.2) |
19.1 (66.4) |
19.8 (67.6) |
16.1 (61) |
10.1 (50.2) |
3.8 (38.8) |
−1.3 (29.7) |
7.7 (45.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −11.3 (11.7) |
−11.6 (11.1) |
−9.6 (14.7) |
−4.8 (23.4) |
−0.6 (30.9) |
7.9 (46.2) |
11.6 (52.9) |
12.2 (54) |
5.1 (41.2) |
−0.1 (31.8) |
−3.4 (25.9) |
−8.7 (16.3) |
−11.6 (11.1) |
降水量 mm (inch) | 56.8 (2.236) |
58.7 (2.311) |
121.8 (4.795) |
127.6 (5.024) |
128.1 (5.043) |
152.1 (5.988) |
171.5 (6.752) |
182.3 (7.177) |
309.1 (12.169) |
224.6 (8.843) |
90.3 (3.555) |
58.4 (2.299) |
1,681.3 (66.193) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.0 | 5.1 | 9.1 | 8.5 | 9.5 | 11.2 | 11.0 | 9.3 | 11.0 | 10.0 | 6.5 | 4.8 | 100.9 |
平均月間日照時間 | 169.0 | 162.9 | 183.2 | 198.2 | 205.1 | 151.0 | 168.9 | 195.1 | 137.6 | 132.8 | 142.3 | 159.1 | 2,004.8 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[6] |
中央 | |||||
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東部(酒折・和戸・住吉) | |||||
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南部(小瀬・大里・旧中道/上九一色) | |||||
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南西部(国母・貢川) | |||||
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北部(緑が丘・湯村・千塚) | |||||
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北部山地(積翠寺・昇仙峡エリア) | |||||
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2015年の国勢調査では、県庁所在地では鳥取県鳥取市を上回る46位の人口となっている。
甲府市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 甲府市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 甲府市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
甲府市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
市域に旧石器時代の遺跡は見られないが[注釈 1]、相川河床からは県内で二例目となるナウマンゾウの臼歯化石が発見されている。
縄文時代の遺跡は荒川上流域にあたる市域北部の山間地域から中部の沖積低地にかけて散在し、同じく山間地である早川流域や芦川流域と共通した特徴を持つ。山梨県内においては縄文早期からの遺跡が盆地南部の曽根丘陵(旧中道町域)や八ヶ岳山麓など山麓、丘陵地域を中心に分布しており、丘陵地形の未発達な市域では縄文遺跡は少ないが、市域北部の山間部では早期からの遺跡や遺物が見られる。
市域南部の低地への本格的な定住は弥生時代以降であると考えられている。弥生中期の高町遺跡は同時期に特徴的な集落遺跡で、祭祀遺構や遺物、墓域などが見られず、短期間に存続した小規模な集落遺跡が分布する特徴を持ち、市域南部の低地へ進出した勢力の拠点集落であると考えられている。市域南部の低地は長年の洪水による土砂の堆積や市街化により遺跡分布の把握が不十分であるが、微高地上に立地する上石田の上石田遺跡は安定した定住痕跡が見られ、内陸部の河川・湖沼における漁業に用いられた土錘なども出土している。
弥生時代の遺跡では隣接する甲斐市大下条に弥生中期から後期の金の尾遺跡が所在し、山梨県内ではじめて発見された大規模弥生集落として知られる。甲府市域では把握が不十分であるものの弥生時代の遺構には乏しく、断片的に発見されている遺物が中心となっている。 弥生後期では荒川扇状地の榎田遺跡が同時期の集落遺跡として知られ、住居跡や方形周溝墓などが検出されている。榎田遺跡の遺物は自然堤防や微高地上に分布し、東海系や北陸系などの様々な特色をもった土器が発見されていることから、複数経路で導入されたと考えられている。また、榎田遺跡からは水田跡などは検出されていないが、増坪遺跡から炭化米が発見されている。
甲府盆地における古墳文化の流入は東海地方経由での波及が考えられており、弥生以来の方形周溝墓群などが分布する盆地南部の曽根丘陵において定着した。 古墳の築造は4世紀にはじまり曽根丘陵では有力首長層の古墳が出現し、4世紀後半には畿内のヤマト王権の影響を受けた前方後円墳である甲斐銚子塚古墳を最大に古墳中期まで栄えた中道勢力が台頭する。5世紀代に中道勢力が衰退すると古墳の築造は盆地各地へ広まり被葬者層も拡大し、6世紀代には市域を含む盆地北部など各地で中小規模の古墳が築造され、横穴式石室も出現する。
市域を含む盆地北部では出土遺物の特徴として、弥生以来の中央高地特有の土器と東海地方特有のS字かめの混在状態が見られ、市域東部の和田町・川田町では4世紀中半代の方形周溝墓が分布する桜井畑遺跡があるが、前期古墳は和戸町に所在していたという琵琶塚古墳が知られ、古墳時代は現存していないものの銅鏡の出土した前方後円墳である可能性が考えられてい。その他の前期古墳は乏しく、本格的な古墳の出現は古墳後期にはじまる。
6世紀には湯村の万寿森古墳が笛吹市八代町の荘塚古墳とともに盆地最古の横穴式石室を持つ円墳として知られ、市域東部の里垣・甲運地区や西部の湯村・千塚など山麓地域を中心に中小規模の群集墳が分布している。このころには盆地北西部において甲斐市竜王新町の赤坂台古墳群など盆地北西部勢力が台頭するが、千塚の加牟那塚古墳(かむなづかこふん)は盆地北西部勢力の盟主墳と考えられており、6世紀後半代の甲府盆地では盆地北西部勢力と笛吹市八代町の姥塚古墳を盟主墳とする八代勢力の対立構造が想定されている。
また、盆地北縁において活動した渡来人に関連する遺跡が分布しているが、市域では横根町から桜井町にけての横根・桜井積石塚古墳群が渡来人が群集墳であると考えられている。
律令制下には巨麻郡、山梨郡に属する。古代甲斐国の有力豪族は早くから畿内王権と関わりをもち、甲府盆地東部では仏教文化を導入し、寺本廃寺(笛吹市)など古代寺院が建立されているが、甲府市域には川田町の川田瓦窯跡や桜井町の上土器遺跡など近隣の森林資源を活かした土器や瓦を生産していた施設があり、甲斐国分寺をはじめ盆地東部の古代寺院へ屋根瓦が供給されていたと考えられている。
また、市域にも和戸町の桜井畑遺跡には8〜9世紀の小規模寺院跡が発見されており、盆地西部へも仏教文化が浸透していた。また、霊山として知られる市域北端の金峰山には山岳信仰を示す信仰遺跡があり、平安時代中期には末法思想の影響から上積翠寺町の一の森山頂などで経塚造営が行われた。
平安時代後期には常陸国から配流された源清光の子孫が甲斐盆地各地に進出し、その一族は甲斐源氏として発展する。市域では板垣郷に拠った板垣氏や一条郷に拠った甲斐一条氏、飯田氏、塩辺氏、小松氏らが勢力基盤とした。一条氏や板垣氏ら甲斐源氏の一族が治承4年(1180年)には源頼朝の挙兵に呼応して活躍するが、頼朝によって排斥されて勢力は衰亡する。
また、平安後期には盆地各地で荘園が成立し、甲府市小瀬町周辺に成立した稲積荘には、甲斐源氏の一族である加賀美氏や小笠原氏らが進出する。中世には市域南部の低湿地の開発が進んだ。
戦国時代には甲斐一国ら乱国状態となるが、守護武田氏による国内統一が進められ、武田信昌は甲府市川田町に川田館を構え、笛吹川旧流路を挟んで対岸の笛吹市石和町市部には石和宿が存在していた。
永正16年(1519年)には武田信虎が古府中に躑躅ケ崎館を築き、家臣団を集住させて新たに城下町が形成された。古府中は信虎・晴信(信玄)・勝頼と3代にわたり、戦国大名化した武田氏の領国支配の本拠地となる。また、永正17年(1520年)に信虎は躑躅ヶ崎館の詰城として要害山城を築城している。
永正18年(1521年)2月には駿河国・今川氏の家臣である福島正成が駿州往還から甲斐へ侵攻する福島乱入事件が発生する。福島勢は南アルプス市戸田の富田城を落すと甲府へ侵攻する。信虎は10月16日に荒川沿いの甲府市飯田町一帯にあたる飯田河原の戦いで福島勢を撃退すると、さらに11月23日には甲斐市島上条の上条河原の戦いで福島勢を破り、甲斐から駆逐する。なお、福島勢の甲府侵攻に際して信虎は正室の大井夫人を要害山城へ退避させ、同年11月3日に要害山城で嫡男・晴信(信玄)が生まれている。
天正9年(1581年)には武田勝頼が巨摩郡穴山郷(韮崎市中田町中條)に新府城を築き府中移転を試みるが、天正10年(1582年)3月の織田・徳川連合軍の武田領侵攻により武田氏は滅亡する。武田氏の滅亡後、甲斐一国と信濃諏訪郡は織田家臣の河尻秀隆が統治し、秀隆は甲斐統治の本拠を岩窪館(甲府市岩窪町)に置いた。
同年6月の本能寺の変により発生した一揆により秀隆は横死し、武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生する。天正壬午の乱では三河国の徳川家康と相模国の北条氏直が甲斐へ侵攻し、家康ははじめ甲府市城東の尊躰寺・甲府市北新の一条信龍屋敷に本拠を起き、のち新府城に本拠を移し、八ヶ岳南麓・七里岩台上で後北条氏と対峙した。同年10月に徳川・北条同盟が成立すると、後北条氏は甲斐から撤兵し、甲斐は徳川家康が領した。
一条小山の甲府城築城は徳川氏の関東転封に伴い、豊臣氏の大名である加藤氏、浅野氏等に引き継がれる。 甲府城は慶長5年(1600年)に完成し、城下町も建設されて新府中(下府中)が形成され、内郭部には武家が集住し、外郭部には町人地となる。古府中(上府中、元府中)には商人町や職人町となる。 甲府城下町は上府中26町、下府中23町で構成され、中心は人口の集中する下府中であった。町政は町奉行のもと、町人を代評する町年寄にあたる検断が町政運営を担い、各町を代表する長人(名主)がその指揮に従った。
江戸時代には徳川家康の9男徳川義直、徳川家光の弟の徳川忠長、家光の三男の徳川綱重、六代将軍となる徳川家宣等徳川氏の一族が領主となった。例外として五代将軍徳川綱吉の側用人である柳沢吉保・吉里父子が領主となった。甲府は各支配者により整備され城下町として発展するが、享保9年に将軍吉宗の主導する享保の改革の一環として甲斐一国の幕府直轄領化が実施され、甲府勤番城の守護と城下の政務を担うと、武家人口の低下や在方経済の伸長の影響を受けて、江戸中期には甲府の人口は減少している。
近世後期には城下の大通りを幕絵で飾る甲府道祖神祭礼が開始され、歌川広重をはじめとする人気浮世絵師が幕絵を手がけた。
明治には初代公選知事として赴任した藤村紫朗が、殖産興業と並行して甲府市街の開発を行い、勧業製糸場をはじめ「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築で統一された諸施設が整備された。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
官選 | ||||
1 | 若尾逸平 | 1889年8月24日 | 1890年6月3日 | |
2 | 高木忠雄 | 1890年7月11日 | 1896年7月10日 | |
3 | 1896年7月13日 | 1897年9月28日 | ||
4 | 石原彦太郎 | 1897年11月6日 | 1898年6月18日 | |
5 | 小林薫作 | 1898年9月19日 | 1904年9月18日 | |
6 | 1904年9月20日 | 1906年6月18日 | ||
7 | 若尾民造 | 1906年7月24日 | 1907年3月5日 | |
8 | 加藤平四郎 | 1907年4月20日 | 1913年4月29日 | |
9 | 1913年5月13日 | 1915年8月17日 | ||
10 | 名取忠愛 | 1916年1月15日 | 1919年6月25日 | |
11 | 堀信次 | 1919年10月23日 | 1922年6月19日 | |
12 | 名取忠愛 | 1922年9月23日 | 1923年3月14日 | |
13 | 石井淳雄 | 1923年7月31日 | 1927年7月30日 | |
14 | 成島治平 | 1927年10月8日 | 1931年8月8日 | |
15 | 新海栄治 | 1931年8月24日 | 1935年8月26日 | |
16 | 斎木逸造 | 1935年8月27日 | 1939年9月11日 | |
17 | 新海栄治 | 1939年9月12日 | 1943年9月11日 | |
18 | 野口二郎 | 1943年9月12日 | 1946年2月27日 | |
19 | 今井茂右衛門 | 1946年3月18日 | 1947年3月10日 | |
公選 | ||||
20 | 今井茂右衛門 | 1947年4月5日 | 1947年9月3日 | |
21 | 川村茂久 | 1947年10月10日 | 1948年12月25日 | |
22 | 山本達雄 | 1949年2月25日 | 1953年2月22日 | |
23 | 鷹野啓次郎 | 1953年2月23日 | 1957年2月22日 | |
24 | 1957年2月23日 | 1961年2月22日 | ||
25 | 1961年2月23日 | 1965年2月22日 | ||
26 | 1965年2月23日 | 1968年11月11日 | ||
27 | 秋山清 | 1968年11月29日 | 1971年2月24日 | |
28 | 河口親賀 | 1971年4月25日 | 1975年4月24日 | |
29 | 1975年4月27日 | 1979年4月26日 | ||
30 | 1979年4月27日 | 1983年4月26日 | ||
31 | 原忠三 | 1983年4月27日 | 1987年4月26日 | |
32 | 1987年4月27日 | 1991年4月26日 | ||
33 | 山本栄彦 | 1991年4月27日 | 1995年4月26日 | |
34 | 1995年4月27日 | 1999年4月26日 | ||
35 | 1999年4月27日 | 2002年12月19日 | ||
36 | 宮島雅展 | 2003年2月3日 | 2007年2月2日 | |
37 | 2007年2月3日 | 2011年2月2日 | ||
38 | 2011年2月3日 | 2015年2月1日 | ||
39 | 樋口雄一 | 2015年2月2日 | 2019年2月1日 | |
40 | 2019年2月2日 | 2023年2月1日 | ||
41 | 2023年2月2日 | 現職 | ||
2021年(令和3年)時点の甲府市の財政力指数は0.77である。
実質公債費比率は2006年(平成18年)時点では20.8パーセントと新規公債を自由に発行できる18パーセントを超えており、公債を発行するには山梨県の許可が必要であった[13]。その後公債費比率は減少し、2021年(令和3年)時点で7.6パーセントになっている[14]。
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中谷真一 | 45 | 自由民主党 | 前 | 125,325票 | ○ |
比当 | 中島克仁 | 54 | 立憲民主党 | 前 | 118,223票 | ○ |
辺見信介 | 57 | NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で | 新 | 4,826票 |
(通称:山梨ジュエリーミュージアム)
かつて、甲府市の中心市街地はJR甲府駅を中心に賑わいを見せていた。特に南口にある丸の内地区と中央地区は山梨県庁や甲府市役所といった行政施設をはじめ、百貨店やオフィスビル、多くの商店街が現在も立ち並んでいる。
戦前は「甲府会館」や「岡島百貨店」などの老舗店舗が軒を連ね、戦後は平和通りの整備と共に「甲府西武」や「ダイエー」が進出し、駅北口も丹下健三設計の「山梨文化会館」が開業するなど整備が行なわれていった。中心市街地の全盛期は1980年代であり、「かいじ国体」や「こうふ博'89」開催に関連して甲府駅の改修とあわせて「エクラン」が開業し、「山交百貨店」の新築や「パセオ」の開業、「かすがもーる」の整備などバブル景気の波に乗り地価も上昇し、中心部は順調に発展していく。
しかし、バブル景気が終焉を迎えた1990年代に入ると状況は一変、右肩上がりだった地価は急激に下がるとともに中心街の売上げも急激に落ち込む。さらにこの時期から郊外にショッピングセンターが相次いで開業し、中心街の客足を次々と奪っていったためその影響から中心街に多くある商店街がシャッター通り化した。大型店舗も例外ではなく、1998年(平成10年)には「甲府西武」が、1999年(平成11年)には「ダイエー」から業態転換していた「トポス」が閉鎖した。このように目に見える衰退が続いたことから2000年(平成12年)にPHP研究所が発行するTHE21の特集「全国自治体ランキング」において最下位の評価を受けている。
衰退の原因として駐車場不足とストロー化現象が挙げられている。駐車場については中心街は建物がひしめき合っている状況で、商業施設はおろか官公庁ですら駐車場の確保が困難な状況に陥っている。確保しているところもほとんどが有料駐車場であり、無料で駐車できる郊外型ショッピングセンターに太刀打ちできずにいる。一部公共施設や店舗は一定金額の買い物をすれば無料券が配布されるが、駐車時間などの制約があるため周辺施設へ立ち寄ることは難しい。ストロー化現象については比較的東京に近いこともあり、中央本線の特急列車(あずさ・かいじ)や中央高速バスを利用すれば、短時間で東京(特に新宿)へ行けるようになった。双方の競争が激化して本数増発や運賃・料金値下げを繰り返したため、より東京に行きやすい環境になっており、休日には日帰りで東京へ買い物へ出かける者が多い。
休日になると活性化策として商工会や商店街は無料送迎バスの運行や、大学生が運営する四菱まちづくり総合研究室(よつびし総研)などと組んでのイベントで集客を図ろうし、甲府市中心市街地活性化基本計画などによる再開発が行われていたが、2014年(平成26年)に甲府バイパス沿いにあったグランパークが閉鎖。活性化基本計画が一段落した2019年(令和元年)9月に山交百貨店が閉店し、中心部にあったココリはイオンの支援を受けていたが2020年(令和2年)11月ににイオンが撤退。そして2023年(令和5年)2月に岡島百貨店がこれまでの店舗を閉鎖するなど、既存施設の撤退・閉店が相次いでいる。一方でグランパーク跡地は2015年(平成27年)10月にケーズデンキとなり、山交百貨店も施設をヨドバシカメラが購入してヨドバシ甲府として2022年(令和4年)4月にオープン、岡島百貨店も2023年(令和5年)3月よりココリで営業を再開するなど、閉店後代替施設がすぐ入居する状況となっている。
江戸時代には甲州街道の宿場町として、江戸と京都を結ぶ内陸ルートの幹線の一角であった。又、富士山南麓に当たる駿河国への交通路としては駿州往還(身延街道、河内路)や中道往還、若彦路が、信濃国への街道は隣の韮崎市から佐久往還・諏訪往還が分岐していた。
山梨県内には空港がないので、現状では甲府市との往来に定期航空便を利用する場合は近隣都県にある空港を利用する。
甲府駅から公共交通機関を用いた場合、空港連絡バスが直通する羽田空港と成田空港、直通する交通機関こそないものの鉄道から空港連絡バスの1回の乗り継ぎで行くことが出来る信州まつもと空港や富士山静岡空港を利用することになる。
市の中心駅となる駅:甲府駅
系統や行先などについては各運行会社や甲府駅バスターミナルの記事を参照。
主に山間地域の住民向けに買い物や通院で利用できるよう、コミュニティバスが運行されている[16]。
運行会社や本数などについては当該項目を参照。
2027年開業を目標にリニア中央新幹線の計画(一部は実験線として建設中)があり、このうち山梨県内の停車駅が甲府市南部の大津町周辺で固められているが[17]、中心部(甲府駅周辺)からリニア駅建設予定地まで距離があることから新たな公共アクセス手段が計画されている。山梨県ではライトレール(LRT)やデュアル・モード・ビークル(DMV)などいくつかの交通手段が検討されてきたが[18]、 安価に整備できかつ輸送量が確保できるバス・ラピッド・トランジット(BRT)での導入が最適であるとの方針を固めている[18](なお、山梨県リニア課の資料によるとLRTは今後の可能性案として有力視されているBRTと共に併記されている)。
さらに、BRTを導入する場合、バス専用道路と公共車両優先システム(PTPS)の二通りが検討されている[19]。このうちPTPSについては甲府駅から山梨交通敷島営業所間ですでに導入されていることから実績があり、また専用道路方式と比較しても安価であることが利点であるが、ラッシュ時間帯は中心部の慢性的な渋滞に対処できないうえ、マイカー利用者に対して信号をバス優先にするシステムに理解を得られるか懐疑的な点が挙げられている[19]。 一方で専用道路方式はPTPSと比較し割高になるが定時性が確保できる利点もある。また甲府駅の近くからリニア駅の近くまで荒川が流れており、ここの右岸河川敷を利用し専用道にする構想でまとめられている[18]。2018年7月現在は、新潟BRTに雰囲気が近い国道358号改良案が優先検討されているが、具体的な国道改良案は発表されていない。また、国道改良案では朝夕の渋滞が解消できるのか、などの疑問を抱く声が山梨県公式サイト内の意見投稿に寄せられている[20]。なお、山梨経済同友会と山梨大学によるチームではモノレール・ライトレール・BRTの順で、整備維持コストがかかる程経済効果も高くなるという分析結果をまとめた[21]。
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甲府市域には、寺社は武田氏により保護され、城下町整備において計画的に創建や移転が行われたため数多くの寺社が分布しており、現在では武田氏に関係する歴史的観光資源としても機能している。代表的なものでは、浄土宗の甲斐善光寺、時宗寺院の一蓮寺、臨済宗寺院の円光院、長禅寺、東光寺、法泉寺、曹洞宗寺院の、大泉寺や恵雲院、日蓮宗寺院の信立寺がある。
伝統工芸では宝石研磨や印鑑彫刻、印伝が主なもので、特に宝石産業は甲府の半独占産業でもある。また、水晶細工と印伝は、経済産業省の伝統的工芸品に指定されている。
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