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山梨県の市 ウィキペディアから
北杜市(ほくとし)は、山梨県の北西部、国中地方に位置する市。山梨県内の自治体としては最も面積が広く、最北端にあたる。
ほくとし 北杜市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 山梨県 | ||||
市町村コード | 19209-1 | ||||
法人番号 | 7000020192091 | ||||
面積 |
602.48km2 | ||||
総人口 |
42,936人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 71.3人/km2 | ||||
隣接自治体 |
甲府市、韮崎市、南アルプス市、甲斐市 長野県:茅野市、伊那市、南佐久郡川上村、南牧村、諏訪郡富士見町、原村 | ||||
市の木 | アカマツ | ||||
市の花 | ヒマワリ | ||||
市の鳥 市の昆虫 市の小動物 |
フクロウ オオムラサキ ヤマネ | ||||
北杜市役所 | |||||
市長 | 大柴邦彦 | ||||
所在地 |
〒408-0188 山梨県北杜市須玉町大豆生田961-1 北緯35度46分35秒 東経138度25分25秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
平成の大合併により、北巨摩郡に所属する8町村のうち小淵沢町を除き、長坂町・高根町・大泉村・白州町・武川村・須玉町・明野村の7町村が合併して生まれた市である。残った小淵沢町も後に同市へ編入されたことにより北巨摩郡も消滅した。
市名である「北杜」は、植物の「ヤマナシ」を意味する「杜」から、「山梨県(杜)の北部」という意味をこめて命名された[1]。「北杜」は合併に先立つ2001年、地域の高等学校が統合された際の新校名として採用されていた過去がある(山梨県立北杜高等学校)[1]。ただし、「山梨」の由来は「山をならす」が転化したという説が有力で、「ヤマナシ」説は弱い(山梨郡#「山梨」の地名の由来と歴史を参照)。
新市名公募では「八ヶ岳」「北杜/北斗」「峡北」「南八ヶ岳」「北巨摩」が上位5件であったが、「地域が限定される名称は除く」「山岳(川)の名称は冠さない」「難解な名称は除く」という条件から「北巨摩」「峡北」「北杜」の3件に絞られ、その中から住民意向調査で最多となった「北杜」が採用された[2]。公募1位だった「八ヶ岳」が選考過程で外れたことについては多くの意見が合併推進協議会に寄せられ、「八ヶ岳」を市名候補に戻すことを求める署名も1200筆以上集まっていた[3]。
八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳といった山々に囲まれ、市域のおよそ3分の1が八ヶ岳南麓の冷涼な山岳高原地からなっているため、高原観光によって支えられている街である。 市内にはアウトレットモール、牧場といった観光スポットが存在し、夏場には観光客が多くみられる。 南アルプスからの湧水によるウイスキー製造、日本一長いといわれる日照時間や映画にも登場したヒマワリ畑などでも知られている。 また市域には八ヶ岳連峰の最高峰である赤岳が含まれ、赤岳は山梨県の北端でもある。
北杜市のうち八ヶ岳南麓の高原地帯は七里岩と呼ばれる台地状の地形を形成しており、旧長坂町・高根町・大泉村・小淵沢町地区はその台地上に位置している。 一方、台地の下には南部の釜無川流域に旧白州町・武川村地区が、東部の須玉川・塩川流域に旧須玉町・明野村地区が位置している。
清里高原は避暑地として有名であり、「八ヶ岳高原線」とも称されるJR小海線は鉄道最高地点を走る(市内では清里駅が最も高い駅で、隣の野辺山駅に次いで全国2位である)。
七里岩は釜無川流域地域と須玉川・塩川流域地域の間を遮るように細く突き出しており、また七里岩の上部と下部とは急峻な断崖によって阻まれている。それゆえ七里岩台上、釜無川流域、須玉川・塩川流域の三つの地域の境界には、改良が施された国道141号線を例外として、曲がりくねった道が多く存在している。そのため冬期においては積雪や凍結により、各地域間の移動に困難を伴うことが多い。
気候は標高差が非常に大きいので旧町村単位で大きく異なるが、全般に一部を除き積雪も少なく、日照時間が長い太平洋側式の内陸性気候という共通した特徴を持っている。旧高根町の清里高原など標高1000mを超える八ヶ岳山麓地域は、亜寒帯湿潤気候に属し、清里駅付近の1月の平均気温は約-4度、8月は約20度[5]、厳冬期には-20℃前後まで下がるなど北海道並みの気候である一方、標高500m前後と市内でも最も低い市役所近辺や旧明野村の中心集落地域は、より甲府盆地の気候に近くなる。市内で唯一アメダスの気温観測が行われている地点は旧大泉村にあり、標高が867mほどであるが、斜面にあるために冷気がたまりにくい斜面温暖帯のため、標高のわりには比較的温和であり、一概に冬の寒さは標高に比例するというわけではない。特に放射冷却時においては逆転層により標高の低い方が冷え込むことも多い。全般に八ヶ岳南麓斜面に位置する地域よりも西側の旧小淵沢町のほうが寒さが厳しい。夏季は標高の低い南東部では盆地特有の暑さもあるが、それ以外は冷涼である。
国による「次世代省エネルギー基準」によると、旧小淵沢町が最も寒く北東北地方並の気候で、それに次いで旧長坂・高根・大泉・白州・武川の各町村が南東北地方並の気候、旧明野村は日本一の日照時間を誇ることもあり東京などと同様の気候に分類されている(小淵沢町#気候の項目より)。気象はさらに異なり、同一町村内においても天候の違いや降雨量・降雪量の多寡が生じることもしばしば見られる。また、旧小淵沢や旧大泉村や旧長坂町では強い冬型の気圧配置の時に際し雪雲が流れて込むことがあり、案外雪日数は多い。
大泉(1991-2020)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.2 (61.2) |
20.6 (69.1) |
23.1 (73.6) |
28.3 (82.9) |
31.1 (88) |
35.4 (95.7) |
35.4 (95.7) |
36.5 (97.7) |
33.3 (91.9) |
29.1 (84.4) |
24.0 (75.2) |
19.0 (66.2) |
36.5 (97.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 4.7 (40.5) |
6.0 (42.8) |
10.1 (50.2) |
16.0 (60.8) |
20.8 (69.4) |
23.5 (74.3) |
27.3 (81.1) |
28.7 (83.7) |
24.2 (75.6) |
18.5 (65.3) |
13.1 (55.6) |
7.6 (45.7) |
16.7 (62.1) |
日平均気温 °C (°F) | −0.2 (31.6) |
0.6 (33.1) |
4.3 (39.7) |
9.8 (49.6) |
14.8 (58.6) |
18.4 (65.1) |
22.2 (72) |
23.1 (73.6) |
19.1 (66.4) |
13.3 (55.9) |
7.7 (45.9) |
2.5 (36.5) |
11.3 (52.3) |
平均最低気温 °C (°F) | −5.0 (23) |
−4.6 (23.7) |
−1.1 (30) |
4.1 (39.4) |
9.5 (49.1) |
14.2 (57.6) |
18.5 (65.3) |
19.1 (66.4) |
15.1 (59.2) |
8.8 (47.8) |
2.8 (37) |
−2.2 (28) |
6.6 (43.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −14.4 (6.1) |
−14.2 (6.4) |
−10.7 (12.7) |
−7.3 (18.9) |
−1.5 (29.3) |
5.7 (42.3) |
10.2 (50.4) |
9.7 (49.5) |
3.6 (38.5) |
−2.0 (28.4) |
−6.4 (20.5) |
−11.8 (10.8) |
−14.4 (6.1) |
降水量 mm (inch) | 40.9 (1.61) |
41.9 (1.65) |
77.3 (3.043) |
82.4 (3.244) |
96.5 (3.799) |
135.1 (5.319) |
155.5 (6.122) |
127.3 (5.012) |
171.1 (6.736) |
138.6 (5.457) |
48.0 (1.89) |
32.2 (1.268) |
1,146.8 (45.15) |
平均月間日照時間 | 205.7 | 196.3 | 205.7 | 211.9 | 210.7 | 158.1 | 163.0 | 194.2 | 150.2 | 166.3 | 187.0 | 195.6 | 2,249.2 |
出典:気象庁[6] |
市内には街道が通っているが、それぞれの街道沿いの村々は七里岩の断崖によって遮られていたため、土木技術・輸送技術が進歩を見る近現代まで、地域としての結び付きは同じ街道を抱く村同士のものに限定されていた。 そのため当市は大きく3つに分けることが出来る。
高根町は佐久甲州街道が走り、八ヶ岳・塩川流域両地域との結びつきがある。 実際、このように区分された3つの地域は、それぞれ内部において合併以前から結びつきが強く、町村組合を形成し病院や学校などの共同運営にあたっていた。
市街地は各町村役場(現在は北杜市役所の支所)周辺を中心に形成され、北杜市としての市街地の連続性は極めて低い。市内にはいくつか鉄道駅が存在しているが、駅前に市街地と呼べる状況が存在しているのは小淵沢駅、長坂駅、清里駅だけである。日野春駅は七里岩の狭まった部分に位置しているため駅前の土地が不足しており、駅前を走る主要地方道17号茅野北杜韮崎線の拡幅にも困難をきたしている。また甲斐小泉駅・甲斐大泉駅は周囲には中小規模の集落が存在しているのみである。
ただし市街地が点在している当市においても、長坂駅から中央自動車道長坂インターチェンジを経由し旧高根町役場に至るまでの地域は例外的で、比較的市街地が連続している。八ヶ岳の等高線に沿って東西になだらかな地形を形成しているこの地域は、近年になって主要地方道32号長坂高根線を代表とする長坂インター周辺の道路整備が進み、その周辺に県内大手スーパーマーケットやホームセンター・ドラッグストアとロードサイド店舗の出店が相次いだため、長坂インターチェンジ周辺が、北杜市としての実質的な市街中心部・中心商店街の役割を担っている。
町名以下の大字については下記の通り。
当市は北巨摩郡8町村が合併し山梨県内最大の面積をもつ。 そのため、住所の表記には、上記のように旧町村名からくる「町名」を付している。 しかし、合併特例区や地域自治区といった法所定の住民自治機構は設置されていない。
2010年2月1日現在:49,314人(明野町4,921人 須玉町6,660人 高根町9,813人 長坂町9,319人 大泉町5,001人 小淵沢町6,129人 白州町4,118 武川町3,356)
北杜市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 北杜市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 北杜市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
北杜市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
当市の大部分の区域はかつて、甲斐国巨摩郡逸見筋(へみすじ)に属していた。 逸見の地は古代より良馬の産地として知られており、逸見牧(へみのまき)と呼ばれる牧が存在していた。 この地に赴いた源清光は「逸見」の名を冠し、「逸見清光」を名乗った。
戦国時代には武田氏の信濃侵攻における拠点となり、軍用道路として整備されたと言われる棒道と伝わる自然道が長坂町 - 小淵沢町にある。
山梨県の発足及び巨摩郡の分割により、山梨県北巨摩郡に属することになった。 「逸見筋」の名前は公式には使用されなくなり、「甲斐(峡)の北部」という意味の「峡北」という言葉が使われるようになる。 峡北という名称は北杜市成立まで、北巨摩郡と韮崎市の総称として広く用いられた。逸見筋という呼称は明治初期にはまだ住民の間に残っていたようで、請願書などに「甲斐国山梨県北巨摩郡逸見筋○○村」といったような表記が用いられていた例が散見される。
終戦直後の食糧難、引揚者の生計確保といった目的で、大東豊・篠原・女取(小淵沢町)、小泉・蕪(長坂町)、大開・大泉帰農・泉原・石堂・油川(大泉村)、清里(高根町)などの八ヶ岳南麓をはじめとする高原地帯に入植が行われた。 1947年(昭和22年)10月14日、山梨県に昭和天皇の戦後巡幸が行われた。この際、予定になかった天皇と開拓帰農者との交流が企画され、小淵沢駅にお召し列車が停車した際に、天皇が下車して地域の開拓の代表者に労わりの言葉をかけることがあった[7]。 しかし開拓者の生活は厳しく、離農者が後を絶たなかった。 その後国民生活が安定してくると、開拓地では酪農や高原野菜の栽培などが行われるようになり、さらにはペンションなど高原観光も進展し、今では当市の経済を支える重要な位置を占めるようになった。
市発足前(2001年)に廃校となった県立須玉商業高等学校(現・北杜高等学校)の校舎をほぼそのまま利用したものが暫定市庁舎として用いられている。正式な市庁舎の位置などは今後決定されることとなっているが、暫定市庁舎を恒久的に利用するということにうやむやのうちに決まりつつある[要出典]。暫定市庁舎は韮崎市との境界に近い須玉町の南端にあるため、当市の中心地である八ヶ岳南麓地域からは、「市役所は市の中心部に設置すべきだ」として暫定市庁舎の恒久使用を既成事実化することに反発している[要出典]。
北杜市の財政力指数は0.44(2012年度)であり、全国市町村の平均0.49よりやや低い数値となっている。また、実質公債費比率は15.5%(2012年度)と、市債の発行に県知事の許可が必要となる18%は下回っているものの、全国市町村の平均9.2%を大きく上回っている。これは、おもに合併以前の旧町村において作られた借金が合併後まで影響しているものである。 このため、市は財政の健全化を最重要課題と位置づけ力を入れており、最近では市債残高の減少、基金の積み増しなど財政状況に改善が見られる。 なお、北杜市は赤字団体であると評されることがあるが、実際には実質収支が赤字に陥ったことは無い。
合併以前の各町村における財政力指数の値は以下の通りである(2003年度の数値)。
現在の市域が成立したのは2006年であるため、データは当時の北杜市と小淵沢町の数値を合計したものである。(出典:総務省「統計でみる市区町村のすがた2006」)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 中谷真一 | 45 | 自由民主党 | 前 | 125,325票 | ○ |
比当 | 中島克仁 | 54 | 立憲民主党 | 前 | 118,223票 | ○ |
辺見信介 | 57 | NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で | 新 | 4,826票 |
現在の市域が成立したのは2006年であるため、データは当時の北杜市と小淵沢町の数値を合計したものである。(出典:総務省「統計でみる市区町村のすがた2006」)
北杜市は、市立山梨甲陽病院と市立塩川病院という2つの市立病院が存在し、これは山梨県では唯一の例であり、合併した旧町村の組合から引き継ぐ形で存在している(山梨甲陽病院は旧長坂町・高根町・大泉村・小淵沢町の4町村による組合立、塩川病院は旧須玉町・明野村による組合立)である。 しかし、人口規模が小さい自治体に2ヶ所も市立病院があることは、医療サービスの向上につながる反面、市の財政を圧迫する一因ともなっている[要出典]。
ブルーベリーの生産量が多いことで知られている。 特に、山梨県北杜市・東京都小平市・茨城県つくば市が「日本三大ブルーベリー」の地として有名である。また、国内最大級となる豆苗専用の植物工場がある。
1998年(平成10年)、当時の高根町は、清里の別荘地の水道料金について、一般家庭の3倍以上に値上げしたため、反発した別荘所有者が高根町を訴えた。 第一審では別荘所有者側敗訴の判決が出されたが、2003年(平成15年)の控訴審では別荘所有者側が勝訴。 高根町側が上告したものの、2006年(平成18年)の上告審でも別荘所有者側勝訴の判決が出され、1998年(平成10年)に改正された別荘所有者の値上げ分の料金については無効とされた(ただし判決では、夏の一時期にしか水道を使用しない別荘の住民に対し、水道施設の維持管理等の理由により一般住民よりも割増した水道料金を課すことについては、自治体の裁量により認められるとしている。)。 第一審:甲府地判平成13年11月27日判時1768号38頁。控訴審:東京高判平成14年10月22日判時1806号3頁。上告審:最判平成18年7月14日民集60巻6号2369頁。
市役所の所在する須玉地区には駅がない。特急列車の大半が停車する小淵沢駅が実質的な玄関口となっている。
当市の主要道路は、甲府より至る甲州街道が韮崎を要に3つに分岐して、各々が並行する形で市内を貫いている。1つは釜無川に沿う甲州街道(現国道20号線)、2つ目は八ヶ岳南麓の台地である七里岩上を走る逸見路(へみじ)および、信州往還(現主要地方道17号線)、3つ目は塩川に沿う佐久甲州街道(現国道141号線)である。
(韮崎市を含めた峡北地域では、一般県道は600番台の数字が用いられる。)
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