町田市
東京都の市 ウィキペディアから
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町田市(まちだし)は、東京都の多摩地域南部(南多摩地域)に位置する市。保健所政令市に指定されている。立川市や八王子市とともに多摩地域随一の商業都市である。
まちだし 町田市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都 | ||||
市町村コード | 13209-8 | ||||
法人番号 | 6000020132098 | ||||
面積 |
71.55km2 | ||||
総人口 |
432,376人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 6,043人/km2 | ||||
隣接自治体 |
八王子市、多摩市 神奈川県:横浜市、川崎市、相模原市、大和市 | ||||
市の木 | ケヤキ | ||||
市の花 | サルビア | ||||
市の鳥 | カワセミ | ||||
町田市役所 | |||||
市長 | 石阪丈一 | ||||
所在地 |
〒194-8520 東京都町田市森野二丁目2番22号 北緯35度32分48秒 東経139度26分19秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
東京都島嶼部を除いた東京都の本州側では最南部に位置する。東京都南多摩地域5市のひとつであるが、多摩川に面する他の4市(八王子市・日野市・多摩市・稲城市)とは多摩丘陵で隔てられ、東京都内の自治体で唯一境川に面し、相模野台地に範囲が及んでいる。
当市域が神奈川県側に突き出ている都県境(1943年の東京都制施行以前は府県境)となったのは1893年の三多摩移管(神奈川県から東京府への北多摩郡・西多摩郡・南多摩郡の移管)以降である。南東へ流れる境川の対岸の高座郡(相模原市や大和市)と東隣の都筑郡(川崎市麻生区柿生・岡上地区や横浜市青葉区・緑区)はどちらも神奈川県に残留となり、南多摩郡の南部(当市)が神奈川県側に突き出ている府県境となった。日本の自治体で唯一政令指定都市3市に隣接しているが、北東は川崎市(麻生区)、南東は横浜市(青葉区・緑区・瀬谷区)、南西は相模原市(全ての区)と、3市とも神奈川県内の自治体となっている。
東京都区部(東京23区)を除いた東京都内の市では八王子市に次いで2番目に人口が多く、南多摩地域や神奈川県県央地域の中心都市であり、相模原市や八王子市とは生活圏・経済圏を共有しているほか、総務省の「多様な広域連携促進事業」にもこれら2市と連携した取り組みが採択されている[1]。
小田急線とJR横浜線が交差する町田駅は多摩地域随一の利用者数を誇るターミナル駅であり、駅周辺は百貨店やファッションビルなどの大型商業施設や多数の飲食店などが集積する首都圏有数の繁華街・歓楽街として発展している。その賑わいと若者向け商業施設が集積することから、町田駅周辺は俗に「西の渋谷」と称されることもある[2][3]。1960年代以降東京のベッドタウンとして発達したが、現在も市内各所で農業が行われている。バブル経済期以後には、東京都区部からの私立大学の転入が進み、市内には現在も私立大学や一貫校が点在するなど、「若者の街」の色も見られる。
「町田」という地名の由来は諸説あり定かではないが、以下のようなものがある。
境川左岸に位置する。上流側のごく一部が関東山地に含まれるが、大半を多摩丘陵が占め、下流側に相模野台地が広がる[5]。最高地点は西端にある草戸山(標高364m)。低地は少なく、市域の南西端を流れる境川や、ほぼ中央を流れる鶴見川とその支流の恩田川沿いに限られる。ほぼ町田街道を分水嶺に、北側が多摩川水系および鶴見川水系、南側が境川水系である。
東京都区部の南西30 - 40km圏に位置し、1960年代初頭より東京都区部郊外のベッドタウンとして開発され発展した。町田駅を中心とした原町田地区は、小田急線沿線および横浜線沿線を代表する繁華街で、百貨店や専門店等が多く林立する一大商業ゾーンとして著しく発展している。国道16号・246号線や鎌倉街道などにより東西方向・南北方向との道路交通の便もよく、神奈川県北部も含んだ多摩地域南部(南多摩地域)の商業の中心地である。飲食産業はここ数年で立川市とともに成長している。また八王子市・多摩市・相模原市・横浜市北部(青葉区・緑区・旭区・瀬谷区など)・川崎市西部(麻生区・多摩区など)・座間市・大和市などを含む、商圏人口200万人とも言われる相武経済圏の中心的な役割を相模大野などとともに担っている。
立川を中心とする北多摩地域とは多摩丘陵や多摩川で隔てられていることや、都心部とは距離があること、古くから鎌倉街道や「絹の道」の中継点であった関係で、八王子市など同じ南多摩地域や、神奈川県の横浜市北部、川崎市西部、相模原市の「上段」地区などとの結びつきが強い。特に、相模原市の市街地は近接していることから、町田・相模原両市を併せて国の業務核都市に指定されており、業務など諸機能の立地促進が図られている[注釈 1]。
市内や近辺には大学や短大、高校など学校が多く、町田駅付近の繁華街は学生を中心とした若者の街に変わりつつある。若者向けの新しい商業施設は駅周辺のビルのテナントとしてだけでなく、駅周辺の商店街にも多く存在し、乾物屋などを中心とした町田街道絹の道以前からの活気ある商店街にも溶け込み、独特の雰囲気を持つ繁華街を作り上げている。
また町田駅周辺は、若者向けの衣料品店や飲食店、ゲームセンター、アニメ・漫画・ゲーム専門店などが多く、近隣では少ないメイド喫茶も出店されている。渋谷や原宿、秋葉原の様な文化を感じ、楽しむことができる[注釈 2]。
東部の玉川学園前駅周辺は、学校法人玉川学園が学校の建設費を賄うために開発した住宅街であり、幼稚園から大学まで一貫教育の玉川学園を中心とした学園都市とされている。正式な行政上の住所にも玉川学園が用いられている。
北西部の多摩境駅周辺は、多摩ニュータウンの西端に位置する。2000年代以降に大規模なロードサイド店舗が多数出店し、休日などに賑わうようになった。その影響で沿線道路では慢性的に渋滞が発生するようになったことから、市では渋滞の激しい区間を中心に車道の拡幅など対策を進めた[6]。
この他、南部(町田市鶴間)の南町田グランベリーパーク駅前には、大型商業施設のグランベリーパークがあり、市内唯一の映画館も存在する。同地には2017年まで大型商業施設「グランベリーモール」があったが、駅周辺の再開発事業によって閉鎖[7]され、2019年11月に新たな施設に生まれ変わった。
2000年頃から、新宿地区付近の「歌舞伎町浄化作戦」などの風俗営業規制強化により、新宿地区で営業していた風俗店が町田駅周辺の繁華街へ移転する動きがあり、2000年の犯罪発生件数(刑法犯認知件数)が9879件まで増加し(2018年現在2915 件に減少[8])、一部のマスコミからは「西の歌舞伎町」などと呼ばれるようになった[9]。これは周辺に風俗街のある繁華街が少なく、新宿から小田急線で30 - 40分程度という好立地による。しかし繁華街では風俗店と一般店舗が混在しており、客引きなどの迷惑行為が社会問題化した。
これに対し、市条例による客引き行為の部分規制や、後述する警察活動拠点の拡充、また地域住民による自主的な防犯活動として、住民パトロールや市民交番「セーフティボックス・サルビア」の設置[10][9]などが行われた[注釈 3]。その結果治安は改善の兆しをみせ、2018年の犯罪発生件数は2915件と、2000年当時の1/3以下にまで減少した[8]。
町田市の急速な人口増加や繁華街の賑わいにもかかわらず、町田警察署のほかに警察署の増設は行われず、警察官1人当たりの市民数は都内平均の2倍であった。その後、町田駅前繁華街などの発展にともない犯罪率も上昇し、警察官不足は深刻となった。
そのため町田警察署管内では、市北西部の忠生地域の警察活動拠点として、日本最大級の交番である忠生地区交番を忠生一丁目に設置した。また市北西部(堺地域)の相原町、小山町、小山ヶ丘の管轄を、新設の南大沢警察署(八王子市南大沢)に移管し、町田警察署の負担軽減を図ることとなった。
旧鎌倉街道沿いの旧宿場町(本町田の宿・一色地区や小野路宿など)や近代以降の原町田近辺など一部地域を除き、未開発の土地が多く残されていた。1960年代の旧公団・公社等による団地開発以来を発端として、小田急線などによる都心他へのアクセスの良さも注目されてベッドタウンとして急速に開発が進み、現在でも丘陵や斜面を宅地造成した一戸立て住宅の建売(駅至近では中高層マンション)などによる開発が盛んである。しかし、無計画に宅地造成がされた地区も多く、そういった場所では旧来からの狭い道路や行き止まりなどがあり、自動車がこれを避けて鎌倉街道や町田街道等の幹線道路へ集中するが、拡幅工事が未完了で未拡幅区間がボトルネックとなり、幹線道路への流入車が毎日のように渋滞を引き起こす。特に都県境部分では整備が遅れているほか、山や丘の両面から開発された場所の道路未接続も多い。
市内には、UR都市再生機構(旧・日本住宅公団)や東京都住宅供給公社の大規模団地を初めとした、大小様々な団地や集合住宅が点在する。これら団地の住民数は、町田市の人口総数の1割以上を占める。現在では団地住民の定住化と共に少子高齢化が進み、それら団地を中心とした学区域の小学校では合併[要曖昧さ回避]や廃校が行われると同時に、新興住宅地では新設も行われている。同時に、政策として「車椅子で歩ける街づくり」を進めるなど社会福祉が充実し、各地から視察団が訪れる。
1980年代からは、薬師台などに見られるように、土地区画整理事業により大手デベロッパーを中心とする景観を重視した計画的な宅地開発が行われ、21世紀に入り、景観法と町田市景観条例に基づき、市民、事業者、行政の協力による景観づくり[11] が重視されてきた。
世帯数及び人口は2020年7月1日現在[12]。なお、この他にURもみじ台団地や、都営金森住宅地区をはじめとした多数の都営住宅、民間のマンション群などの中・大規模集合住宅が市内各所に点在する。
なお、都市計画法における「一団地の住宅施設」上の名称は、町田木曽・藤の台・町田山崎を除いて団地名と同一であるほか、真光寺・鶴川は一団地の住宅施設ではなく都市計画に基づく団地である。
団地名 | 所在地 | 世帯数 | 人口総数 | 男 | 女 | 備考 | |
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JKK | 木曽住宅 | 木曽東四丁目 | 869 | 1,204 | 591 | 613 | 1963年(昭和38年)〜1964年(昭和39年)入居開始[13]。 賃貸(904戸)。数字のみの号棟及びロ号棟 |
JKK | 高ヶ坂住宅 | 高ヶ坂三丁目 | 766 | 1,089 | 568 | 521 | 1962年(昭和37年)入居開始[13]。 賃貸(832戸) |
JKK | 境川住宅 | 木曽東二・三丁目 | 2,224 | 3,399 | 1,670 | 1,729 | 1968年(昭和43年)〜1969年(昭和44年)入居開始[13]。 賃貸(2,238戸) |
JKK | 真光寺住宅 | 真光寺三丁目 | 140 | 237 | 109 | 128 | 1977年(昭和52年)入居開始[13]。 賃貸(138戸) |
JKK | 本町田住宅 | 本町田、南大谷 | 871 | 1,296 | 655 | 641 | 1964年(昭和39年)〜1965年(昭和40年)入居開始[13]。 賃貸(916戸) |
JKK | 町田木曽住宅 | 本町田、木曽東四丁目 | 4,442 | 7,054 | 3,475 | 3,579 | 1969年(昭和44年)〜1971年(昭和46年)入居開始[13]。 イ・ハ・ニ・ホ号棟は賃貸(4,330戸)、ト号棟は分譲(406戸) (「一団地の住宅施設」上の名称は木曽山崎) |
JKK | 森野住宅 | 森野一丁目 | 415 | 661 | 296 | 365 | 1963年(昭和38年)入居開始[13]。 賃貸(432戸) |
UR | 小山田桜台団地 | 小山田桜台 | 1,416 | 3,132 | 1,508 | 1,624 | 1983年(昭和58年)入居開始[13]。 一部は賃貸(487戸)、その他は分譲(1,131戸) |
UR | 鶴川団地 | 鶴川二・三・五・六丁目 | 2,481 | 4,302 | 1,962 | 2,340 | 1967年(昭和42年)入居開始[13]。 五丁目団地は賃貸(1,682戸)、 その他は一部を除き分譲(1,300戸) |
UR | 藤の台団地 | 藤の台 | 2,837 | 4,815 | 2,315 | 2,500 | 1970年(昭和45年)入居開始[13]。 1・3街区は賃貸(2,227戸)、2街区は分譲(1,199戸) (「一団地の住宅施設」上の名称は本町田第2) |
UR | 町田山崎団地 | 山崎町 | 3,531 | 6,073 | 2,806 | 3,267 | 1〜7街区は1968年(昭和43年)、第二団地は1976年(昭和51年)入居開始[13]。 分譲1街区(305戸)は建替により離脱、第二団地(8街区、260戸)は分譲、 その他は賃貸(3,920戸) (「一団地の住宅施設」上の名称は木曽山崎) |
団地合計 | 19,992 | 33,262 | 15,955 | 17,307 |
市域の大部分が多摩丘陵上に位置することもあり、町田駅から1 - 2kmほどの地区でも所々に自然が見られる。北西部から西部にかけての小山田・小野路地区、相原・大戸地区などは、田畑が随所に広がり、一部では畜産業も営まれる農業地域となる。また、市域中部の七国山、北西端の草戸山など、後述の北部丘陵など里山や山林も多く点在し、近隣の都市と比べで土地の自然利用率が高い。タヌキやアライグマなどの野生動物のほか、周辺の地域で数を減らし続けているムササビ、ニホンリス、カヤネズミなどの希少動物も見られる。また、相原地区にはイノシシが生息しており、近年は相原駅周辺や市街地などにも出没するようになったことから、2015年度より市が町田猟友会に委託し、罠による捕獲を進めている[14]。
一方で、町田の東京都区部へのアクセスが注目されて以来、現在まで不動産・住宅開発の進出も激しい。都市計画がない状態で進められた、旧来の地形を省みない開発や建設がかえって町並みの調和を破壊している地域も存在する。1990年代以降では、水害時に備えるための私有の洪水調整池を無理に埋め立てる手法や、谷戸上部の山地を切り開く手法で大規模マンション開発が行われた箇所が存在し、災害対策や日照権問題などそれ以前からの地元住民とトラブルが発生した事例も存在する。
近年では、市の大部分にあたる多摩丘陵のうち、市域北部の上小山田町から小野路町・野津田町までの地域(概ね芝溝街道と尾根幹線道路に挟まれた地域)を北部丘陵とし、自然保護と農業活性化を目的とした取り組みや休耕田の整備のほか、宅地開発の抑制などが行われている。
東京都(多摩地域)
神奈川県
町田市は市制施行以後、隣接自治体との境界変更を数度実施している。特に大和市・相模原市とは境川の河川改修によって生じた「川向こうの飛地」を解消するため、1999年(事業着手は1995年)から「行政境界変更事業」として複数回の境界変更を行ってきた[27]。
町田市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。また、土地区画整理事業が完了した区域等で町名地番整理が実施されている。
町名 | 設置年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前の町名 | 備考 |
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1964年6月1日 | 1964年6月1日 | 原町田、森野、南大谷、金森、高ヶ坂の各一部 | ||
原町田二丁目 | ||||
原町田三丁目 | ||||
原町田四丁目 | ||||
原町田五丁目 | ||||
原町田六丁目 | ||||
1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 原町田、本町田、南大谷の各一部 | ||
中町二丁目 | ||||
中町三丁目 | ||||
中町四丁目 | ||||
1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 森野の一部 | ||
森野二丁目 | ||||
森野三丁目 | 1966年7月1日 | 1966年7月1日 | 森野の一部 | |
森野四丁目 | 1966年7月1日 2007年12月1日(編入) |
森野、木曽町の一部 | ||
森野五丁目 | 1966年7月1日 | 森野の一部 | ||
森野六丁目 | 未実施 | |||
1966年7月1日 | 1966年7月1日 | 原町田、本町田、木曽町の各一部 | ||
旭町二丁目 | ||||
旭町三丁目 | ||||
2020年7月25日 | 2020年7月25日 | 本町田、金井町の各一部 | 三丁目は鶴川地域に属する | |
藤の台二丁目 | ||||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
1958年2月1日 | 未実施[注釈 4] | |||
南大谷一丁目 | 2024年7月15日 | 2024年7月15日 | 南大谷の一部 | |
南大谷二丁目 | ||||
南大谷三丁目 | ||||
南大谷四丁目 | 南大谷、本町田の各一部 | |||
南大谷五丁目 | 南大谷、玉川学園、東玉川学園の各一部 | |||
南大谷六丁目 | 南大谷の一部 | |||
南大谷七丁目 | ||||
1967年7月1日 | 1967年7月1日 | |||
玉川学園二丁目 | ||||
玉川学園三丁目 | ||||
玉川学園四丁目 | ||||
玉川学園五丁目 | ||||
玉川学園六丁目 | ||||
玉川学園七丁目 | ||||
玉川学園八丁目 |
町名 | 設置年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前の町名 | 備考 |
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1981年9月6日 | 1981年9月6日 | 成瀬の一部 | ||
東玉川学園二丁目 | ||||
東玉川学園三丁目 | 2024年7月15日 | |||
東玉川学園四丁目 | ||||
1964年6月1日 | 1964年6月1日 | 金森の一部 | ||
金森二丁目 | 2012年10月8日 | 2012年10月8日 | 金森、鶴間、小川の各一部 | |
金森三丁目 | ||||
金森四丁目 | ||||
金森五丁目 | ||||
金森六丁目 | ||||
金森七丁目 | ||||
2012年10月8日 | 2012年10月8日 | 金森、高ヶ坂、原町田2の各一部 | ||
金森東二丁目 | ||||
金森東三丁目 | ||||
金森東四丁目 | ||||
2016年7月18日 | 2016年7月18日 | 鶴間、小川の各一部 | ||
南町田二丁目 | ||||
南町田三丁目 | ||||
南町田四丁目 | ||||
南町田五丁目 | ||||
1975年4月10日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
鶴間二丁目 | ||||
鶴間三丁目 | ||||
鶴間四丁目 | 2016年7月18日 | 2016年7月18日 | 鶴間の一部 | |
鶴間五丁目 | ||||
鶴間六丁目 | ||||
鶴間七丁目 | ||||
鶴間八丁目 | ||||
1972年10月25日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域(一部を除く) | ||
小川二丁目 | ||||
小川三丁目 | 1974年3月20日 | |||
小川四丁目 | ||||
小川五丁目 | 2016年7月18日 | 2016年7月18日 | 鶴間、小川の各一部 | |
小川六丁目 | ||||
小川七丁目 | ||||
1968年10月16日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
つくし野二丁目 | ||||
つくし野三丁目 | ||||
つくし野四丁目 | ||||
1971年11月2日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
南つくし野二丁目 | ||||
南つくし野三丁目 | ||||
南つくし野四丁目 | ||||
1979年3月4日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
成瀬二丁目 | ||||
成瀬三丁目 | 1996年9月6日 | |||
成瀬四丁目 | 2014年7月21日 | 2014年7月21日 | ||
成瀬五丁目 | ||||
成瀬六丁目 | ||||
成瀬七丁目 | ||||
成瀬八丁目 | ||||
2014年7月21日 | 2014年7月21日 | 成瀬、高ヶ坂の各一部 | ||
西成瀬二丁目 | ||||
西成瀬三丁目 | ||||
1975年10月21日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域(一部を除く) | ||
成瀬台二丁目 | ||||
成瀬台三丁目 | ||||
成瀬台四丁目 | ||||
1975年10月21日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
南成瀬二丁目 | ||||
南成瀬三丁目 | ||||
南成瀬四丁目 | ||||
南成瀬五丁目 | ||||
南成瀬六丁目 | ||||
南成瀬七丁目 | ||||
南成瀬八丁目 | 1992年7月13日 | |||
1986年11月16日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域(一部を除く) | ||
成瀬が丘二丁目 | ||||
成瀬が丘三丁目 | ||||
2014年7月21日 | 2014年7月21日 | 高ヶ坂、成瀬、南大谷、原町田2の各一部 | ||
高ヶ坂二丁目 | ||||
高ヶ坂三丁目 | ||||
高ヶ坂四丁目 | ||||
高ヶ坂五丁目 | ||||
高ヶ坂六丁目 | ||||
高ヶ坂七丁目 | ||||
町名 | 設置年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前の町名 | 備考 |
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1958年2月1日 | 未実施 | |||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
1990年7月16日 | 1990年7月16日 | |||
金井二丁目 | 1991年10月12日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | |
金井三丁目 | 1994年1月15日 | |||
金井四丁目 | 1994年7月18日 | 1994年7月18日 | ||
金井五丁目 | ||||
金井六丁目 | ||||
金井七丁目 | ||||
金井八丁目 | ||||
2020年7月25日 | 2020年7月25日 | 金井町、大蔵町、玉川学園の各一部 | ||
金井ヶ丘二丁目 | ||||
金井ヶ丘三丁目 | ||||
金井ヶ丘四丁目 | ||||
金井ヶ丘五丁目 | ||||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
2020年7月25日 | 2020年7月25日 | 金井町の一部 | 一丁目・二丁目は町田地域に属する | |
1986年3月1日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
薬師台二丁目 | ||||
薬師台三丁目 | ||||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
2003年5月31日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
真光寺二丁目 | ||||
真光寺三丁目 | 1999年2月27日 | |||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
1999年2月27日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
広袴二丁目 | ||||
広袴三丁目 | ||||
広袴四丁目 | 2003年5月31日 | |||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
2010年7月19日 | 2010年7月19日 | 能ヶ谷町の全部及び大蔵町、鶴川1の各一部 | ||
能ヶ谷二丁目 | ||||
能ヶ谷三丁目 | ||||
能ヶ谷四丁目 | ||||
能ヶ谷五丁目 | ||||
能ヶ谷六丁目 | ||||
能ヶ谷七丁目 | ||||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
1988年11月27日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域(一部を除く) | ||
三輪緑山二丁目 | ||||
三輪緑山三丁目 | ||||
三輪緑山四丁目 | 1997年11月1日 | |||
1968年8月1日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
鶴川二丁目 | ||||
鶴川三丁目 | ||||
鶴川四丁目 | ||||
鶴川五丁目 | ||||
鶴川六丁目 | ||||
町名 | 設置年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前の町名 | 備考 |
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1958年2月1日 | 未実施 | |||
2009年7月1日 | 2009年7月1日 | 山崎町、木曽町、本町田の各一部 | ||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
2007年12月1日 | 2007年12月1日 | |||
木曽西二丁目 | 2012年2月18日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | |
木曽西三丁目 | ||||
木曽西四丁目 | 2007年12月1日 | 2007年12月1日 | ||
木曽西五丁目 | ||||
2007年12月1日 | 2007年12月1日 | |||
木曽東二丁目 | ||||
木曽東三丁目 | ||||
木曽東四丁目 | ||||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
2012年2月18日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
根岸二丁目 | ||||
1958年2月1日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域(一部を除く) | ||
1958年2月1日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域(一部を除く) | ||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
1978年6月9日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
忠生二丁目 | ||||
忠生三丁目 | ||||
忠生四丁目 | ||||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
1958年2月1日 | 未実施 | |||
1984年2月1日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | ||
小山田桜台二丁目 | ||||
町田市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 町田市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 町田市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
町田市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2005年に夜間人口(居住者)は404,449人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は364,091人で昼は夜の0.9倍の人口になる。夜間に比べて昼の人口は約4万人ほど減ることになる。通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者110,479人、市外から市内へ入る通勤者は56,854人と通勤者では市外へ出る通勤者のほうが多いが、学生では市外から市内へ入る通学生は28,920人で市内から市外に出る通学生15,653人と学生だけで見ると昼のほうが市内にいる学生は夜より多い。(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行 152 - 153ページ 国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる)
2001年2月1日、市は、社会のあらゆる領域で性差別を解消し男女の真の平等と参画を推進するため「男女平等参画都市宣言」を発表[35]。毎年2月に「まちだ男女平等フェスティバル」を開催しており、女性支援施設などによる講演会を行っている[36]。
町田市環境基本条例第16条に基づき、毎年の環境の状況及び環境施策について報告・公表している。「環境マスタープラン」と「アクションプラン」に基づき、精査、評価し市民に公表、周知することを目的としている[37]。
町田市内(小山ヶ丘地区を除く[注釈 5])で収集された家庭ごみは、これまで下小山田町の町田リサイクル文化センター内にある「町田市清掃工場」で処理されてきた。1982年に稼働を開始した同工場は施設の老朽化が進んでいることから建て替えが行われ、新施設の町田バイオエネルギーセンターは2021年10月25日より業務を開始し、2022年1月1日より処理施設の本稼働を開始した[38]。
町田市では、収納代理金融機関を公金収納取扱店と称しており、各金融機関店頭にもその旨表示されている。
他、上記市外店舗も対応。
この他、町田市に店舗のない東日本銀行(かつて市内にあった町田境川支店が、相模原市中央区に所在しているため)、川崎信用金庫、大東京信用組合、ハナ信用組合、東京都信用農業協同組合連合会、都内に本店または本所を置く各農業協同組合、東京都内および関東・南関東管内の郵便局も、町田市公金収納取扱店とされている。
市内に拠点のある以下の金融機関は、公金収納取扱店業務を返上している(ただし、eL-QR対応払込書での決済には対応している場合はある)。
東京地方裁判所立川支部の管轄。
市内で24時間365日救急を受け付けている二次救急指定医療機関は、町田市民病院、多摩丘陵病院、町田慶泉病院、南町田病院、町田病院、町田脳神経外科である。[41]
ゆうゆう窓口を併設し、かつ集配業務を行う郵便局は3局。ただし、郵便ポストへ投函された郵便物の収集に関しては、町田・鶴川管内は町田郵便局が、町田西管内は八王子市の八王子南郵便局が一括して行う。なお、忠生地域は管轄が3局に跨っているなど、旧来の町村域(現在の「地域」)分類と集配局の管轄域は一致しないため注意が必要。
かつて存在した図書館
上記の他、旧街道沿いを中心として神社仏閣·地蔵尊·道祖神などが点在している。
市内の薬師池公園及び円林寺に、大賀ハスの蓮田があることから、蓮や薬師池にちなんだ商品が多い。
など
※ なお、これら名産品の一部は、町田駅前の市関連名産品店「まちだ名産品の店 心和」や「町田ツーリストギャラリー(ぽっぽ町田1階)」のほか、町田市役所の庁舎内コンビニなどで購入することができる。
町田市内には多くの大学が点在している。
都立
私立
市立
私立
市立
私立
1968年の相原小学校大戸分校の閉校(後に大戸小学校が開校)以来、長年に亘って統廃合は行われなかったが、2001年から2003年にかけて主に忠生地域周辺で統廃合が行われている。いずれも大規模集合住宅の周辺に設置されている小学校で、団地住民の少子高齢化によるもの。一方で、2005年以降は小山ヶ丘地区周辺の人口増加に伴い、小学校が複数開校している。今後2025年度から2040年度にかけて、市内公立小中学校で大規模な統廃合と学区再編が計画されており、市立小学校は42校から26校に、市立中学校を20校から15校に減少する予定[47]。
近年行われた小学校の統廃合および新設の状況は以下の通り。
※ この他、小山田小学校は忠生第二小学校より改称したほか、忠生小学校は忠生第一小学校より改称した。
私立
都立
私立
自動車教習所
東京都区部までは電車利用で50分程度(市の中心駅である町田駅から新宿へは小田急小田原線の快速急行利用で約30分)。中東部を小田急線が、南部を東急田園都市線が、南西部と西部をJR横浜線が、北西部を京王相模原線が、いずれも市域の外縁部を通っている。町田駅では、北東~南西方向に走る小田急線と北西~南東方向に走るJR横浜線がほぼ直角に交差しているが、町田駅からはこの2路線4方向のどれに乗っても神奈川県に進入することになる。
良好な鉄道アクセスは市域の外縁部に集中しており、市域の中央部に鉄道空白地帯を多く抱えている。そのためバスが主要な交通手段として発達しており、運行本数が多い。特に山崎団地・藤の台団地から町田駅方面へは昼間でも頻繁に運行がなされており鉄道の空白を埋める役割を果たしている。
市南部・北西部の主要幹線道路については、幅員の狭いものが多く、路線バスも十分な運行本数が確保されていないこともあり、慢性的な渋滞が発生している。また、都心部への鉄道交通や市内のバス路線網が発達している一方で、同じ多摩地域の近隣都市へと移動する手段は整備が遅れている。そのため、多摩都市モノレールや小田急多摩線の市内延伸が構想されている。また高速道路については核都市広域幹線道路が市内を通ることが構想されているが[48][49]、こちらは具体化していない。
バブル期には鉄輪式リニアモーターカーによる(都営地下鉄大江戸線と同じ方式)ミニ地下鉄建設が検討されたことがある[50]。
日中の町田駅から東京・横浜方面への所要時間は以下のとおりである。なお、朝夕の通勤時間帯には5 - 15分程度所要時間が余計にかかる。
市内の路線バスは、神奈川中央交通グループが全域に渡って運行しており、他社の乗り入れは少ない。これは戦時中の陸運業統合の際、町田市は多摩ではなく神奈川県の相模のブロックに編入されたことが要因となっている[注釈 6]。
2012年からは、都内の一般路線としては初めて、神奈川中央交通の町田営業所に連節バスが導入された[51]。2021年には法政大学通学路線用に神奈川中央交通東(橋本営業所)と京王電鉄バスグループ(八王子営業所・高尾営業所[注釈 7])にも連節バスが配備された[52][53]。
町田市が運営するコミュニティバス・市民バスは、以下の3つが存在する[54]。詳細は各コミュニティバスの記事を参照のこと。
下記以外にも、相模原市の大野北地区コミュニティバス「ピンくる号」が市内の停留所に乗り入れている。
町田バスセンター・南町田グランベリーパーク駅から、羽田空港(神奈川中央交通東・京浜急行バス)および成田空港(神奈川中央交通東・神奈川中央交通西・京成バス)へ、それぞれ空港連絡バスが頻発して運行されている。
また、都市間高速バスとして、昼行高速バス(町田BC・南町田グランベリーパーク駅)は富士急ハイランド・河口湖駅行、東京ディズニーリゾート行(町田BCのみ)が、夜行高速バス(町田BC・町田TM)は富山・金沢行(町田TMのみ)、名古屋行(町田TMのみ)、京都・大阪行、神戸三宮行(町田TMのみ)がそれぞれ運行されている。
以前は和歌山駅行(和歌山バス)、奈良駅行(奈良交通)、盛岡駅行(岩手県交通)、三井アウトレットパーク・木更津駅行(神奈川中央交通東・小湊鉄道)、御殿場プレミアム・アウトレット行(神奈川中央交通東)、三重・伊勢神宮行(菰野東部交通)、広島行(中国バス)も運行されていた(和歌山駅行と奈良駅行と三重・伊勢神宮行きは路線再編により経由しなくなり、それ以外は路線自体が廃止された[55][56])
小説
映画・ドラマ
コミック・アニメ
ゲーム
市内にコミュニティFMラジオ局はないものの、隣接の相模原市に送信所を置く「FM HOT 839(旧・エフエムさがみ)」は町田市内でも受信でき、同局では町田市の広報番組も放送されている[73]。
町田市は、多摩ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられている。
2017年より、八王子に続いて多摩地域2番目のご当地ナンバーとして「町田ナンバー」の導入を検討していたが[75][76]、市民の理解が得られなかったことなどを踏まえて申請には至らず、導入が見送られている[77]。
多摩ナンバー割り当て地域
町田市が交付している原動機付自転車用ナンバープレートでは、2013年9月2日からデザインナンバープレートの交付が開始された。デザインには、薬師池公園をテーマに据えに、ランドマークである薬師池と池に掛かるたいこ橋、ツバキの花と市の鳥であるカワセミが描かれている。緑色・水色板は対象外で、従来の標識も選択できる[78]。
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