北澤豪

日本の元サッカー選手 (1968-) ウィキペディアから

北澤豪

北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。元サッカー日本代表。現在は日本サッカー協会参与、フットサル委員長、日本障がい者サッカー連盟会長[2]國學院大學客員教授[3]三桂所属のタレントサッカー解説者としても活躍している。

概要 北澤 豪, 名前 ...
北澤 豪
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第31回東京国際映画祭にて(2018年10月)
名前
愛称 キーちゃん、中盤のダイナモ
カタカナ キタザワ ツヨシ
ラテン文字 KITAZAWA Tsuyoshi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1968-08-10) 1968年8月10日(56歳)
出身地 東京都町田市
身長 170cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1984-1986 修徳高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1991 本田技研 51 (14)
1991-2002 読売/東京ヴェルディ[注 1] 285 (43)
通算 336 (57)
代表歴2
1991-1999[1] 日本 58 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2002年12月31日現在。
2. 1999年6月6日現在。
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選手時代

要約
視点

クラブ

小学生時代は町田SSS、町田市の町田JFC、中学時代は読売ジュニアユースに在籍[4]修徳高等学校に進学後はユースとの掛け持ちを認められず部活動に専念、1985年に全国高校サッカー選手権出場、翌1986年に高校総体ベスト8進出に貢献した。卒業後は宮本征勝監督の勧誘もあり本田技研工業サッカー部に入部した(同い年で同期就職に古川昌明黒崎久志)。1990-91シーズンの日本サッカーリーグで得点王に輝いた。

1991年に古巣である読売クラブに倉田安治と一緒に移籍。JSLカップ決勝で対戦した本田技研戦では決勝点を挙げた[5]。Jリーグでは三浦知良ラモス瑠偉ビスマルクらと共にヴェルディ黄金時代を支える主力選手の1人となり、アイドル的な人気を誇った。1994年にはベストジーニスト賞にも選ばれている[6]。Jリーグ開幕戦となったマリノス戦では日本代表の合宿での怪我の影響で[7]、後半からの出場となったが[8][9]、第2節のジェフ戦でJリーグ初ゴールを挙げた[8]。同年のJリーグカップ決勝、清水エスパルス戦では決勝ゴールを決めて優勝に貢献した[10]。1994年、サンフレッチェ広島とのチャンピオンシップ第1戦で決勝ゴールを奪うなど[11]、優勝に貢献した。1995年頃、スポルティング・リスボンへの移籍話もあったが、クラブが難色を示したことで移籍には至らなかったという[12]

1997年元旦、第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝のサンフレッチェ広島戦では決勝ゴールを決めて優勝した。1999年3月27日1stステージ第4節の鹿島アントラーズ戦で決めた約35メートルの位置からのゴールは、本人が現役時のベストゴールに挙げるとともに、Jリーグ30周年「J30ベストアウォーズ ロングシュート/ミドルシュート部門」にノミネートされた[13]

2002年出場機会を減らして引退を決断。終盤に、翌年横浜F・マリノスの監督の就任が決定していた、岡田武史から移籍のオファーが届いたが、膝の調子が芳しくなくオファーを断り引退を決断した。同年の7月27日には清水エスパルス戦で現役最後の得点を挙げた。1998年限りでラモス瑠偉三浦知良柱谷哲二ら黄金期を知る選手たちが退団したの後もチームを牽引していたが、晩年は出場機会に恵まれなくなったものの、旺盛な闘志と豊富な運動量を誇るプレースタイルから、中盤の“ダイナモ”と称された[14]。Jリーグでは通算264試合に出場、41ゴールを挙げた[4]。2003年6月21日に国立競技場で開催された引退試合には多くのファン、プレーヤーなどが集まった。

Jリーグ開幕後はスタメン選手は11以下の背番号という決まりがあったため8番をつけた(固定背番号制になっても8を着用)が、好んで付けていたのは、憧れを抱いていた戸塚哲也が付けていた背番号14だった[15]

日本代表

1991年4月4日のスパルタク・モスクワとの親善試合で代表デビューを飾り、同年6月のキリンカップでは2得点を決め、日本の初優勝に貢献するなど、レギュラーを務めていたが、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選前の合宿中に負傷して以降は控えに回った[7]。最終予選の第4戦の韓国戦では先発出場して勝利、しかし最終戦のイラク戦(ドーハの悲劇)では出場機会が訪れなかった[7]1998年FIFAワールドカップ・フランス大会では、(前年のアジア最終予選では4試合で先発出場、ジョホールバルの歓喜と言われる、ワールドカップアジア第3代表決定戦のイラン戦で先発出場して勝利[16])、アジア予選突破に貢献したにも関わらず、本大会直前のフランス合宿中に三浦知良と共にメンバーから「ポジションがない」という理由で外された[14]。1991年から1999年までの間に日本代表に選出され、Aマッチ59試合に出場した[4]

第1回FIFAフットサル世界選手権出場の為に(自身と同い年の野田知1名除き)本田技研の選手によって構成されたフットサル日本代表にも選出されており[17]、グループリーグの対カナダ戦で宮本監督の期待に応え2得点を挙げている。

引退後

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四ツ木駅前に設置されている北澤豪の足型レリーフ。

引退後はサッカー解説者を務める傍ら2003年4月からはJFAアンバサダーとして、若年層へのサッカーの普及活動にも積極的に取り組んでいたが、多忙のためか2006年3月に同職を退任している。現在はフットサルチーム監督の他、日本サッカー協会特任理事兼国際委員、サッカースクールフットボールコミュニケーションアカデミー主宰、国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーター。カンボジアアフリカ大陸の難民にサッカーの文化を広めようとサッカー教室・講演などを行っている。また、人気サッカーゲーム「ウイニングイレブン」シリーズにて、実況を長年務めるジョン・カビラと共に解説を長年務めている。

三桂に所属している点からTBS色・関口宏ファミリーが濃いと思われがちだが、引退当初はNHK衛星テレビに出演。その後は読売グループ繋がりで日本テレビへの出演が多く、スポーツ報知の専属評論家も務めている。2004年4月改編から、日本テレビ系のスポーツニュース番組『スポーツMAX』(2005年10月から『スポんちゅ』と改名)月曜日のコメンテーター及び『ズームイン!!サタデー』のコメンテーターとして出演。2006年10月からの『スポんちゅ』の後番組『NEWS ZERO』にも引き続き出演している。また、WOWOWの海外サッカー中継の解説や絵本「ぼく(わたし)と魔法のスパイク」を執筆するなど幅広い活躍をしている。

2012年4月、日本フットサルリーグ(Fリーグ)のCOO補佐に就任。同年5月には日本スポーツ振興センターによる「NAASH スポーツ・ジャパン・アンバサダー」にも就任。2012年6月、日本サッカー協会理事に就任。2016年4月には新たに設立された日本障がい者サッカー連盟会長に就任している[2]

エピソード

現役時代、ヴェルディのチームメートのみならず、他のチームの選手の間でも、髪はかつらではないかという噂になっていた。1996年のJOMO CUP Jリーグドリームマッチ開催時のロッカールームにおいて、三浦知良がふざけて「ズレてるよ」と北澤に言ったところ、他の選手たちはやはり噂は本当だったのかと、信じ込んだという[18]

ヴェルディと同じ、味の素スタジアムをホームグランドとするFC東京からオファーを受けたことがあったが、同じホームグランドを使用しているFC東京に移籍することはヴェルディを裏切ることになると考え残留した[13]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1987-88本田13JSL1部0000
1988-897000
1989-9022400
1990-91221010
1991-92読売142024150293
1992V川崎-J-11122133
19933561132399
199440931214511
19954011-304311
1996284155524811
199782910020311
19983450030375
1999J12843132347
200040100050
2001東京V2300000230
200241200061
通算日本J1 2654136928932959
日本JSL1部 711651||||||||
総通算 33657||||||||||||
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その他の公式戦

個人タイトル

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 58試合 3得点(1991年 - 1999年)[1]
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ
出場得点
199120
1992111
199340
199471
1995141
199650
1997110
199830
199910
通算 583
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出場

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No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1991年06月02日日本の旗山形県山形県総合運動公園陸上競技場 タイ○1-0横山謙三キリンカップ
2.1991年07月27日日本の旗長崎県長崎県立総合運動公園陸上競技場 韓国●0-1日韓定期戦
3.1992年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アルゼンチン●0-1ハンス・オフトキリンカップ
4.1992年06月07日日本の旗愛媛県愛媛県総合運動公園陸上競技場 ウェールズ●0-1キリンカップ
5.1992年08月22日中華人民共和国の旗北京 韓国△0-0ダイナスティカップ
6.1992年08月24日中華人民共和国の旗北京 中華人民共和国○2-0ダイナスティカップ
7.1992年08月26日中華人民共和国の旗北京 北朝鮮○4-1ダイナスティカップ
8.1992年08月29日中華人民共和国の旗北京 韓国△2-2(PK4-2)ダイナスティカップ
9.1992年10月30日日本の旗広島県広島県立びんご運動公園陸上競技場 アラブ首長国連邦△0-0アジアカップ
10.1992年11月01日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 北朝鮮△1-1アジアカップ
11.1992年11月03日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 イラン○1-0アジアカップ
12.1992年11月06日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム 中華人民共和国○3-2アジアカップ
13.1992年11月08日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 サウジアラビア○1-0アジアカップ
14.1993年03月07日日本の旗福岡県東平尾公園博多の森陸上競技場 ハンガリー●0-1キリンカップ
15.1993年03月14日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アメリカ合衆国○3-1キリンカップ
16.1993年10月21日カタールの旗ドーハ 北朝鮮○3-0ワールドカップ予選
17.1993年10月25日カタールの旗ドーハ 韓国○1-0ワールドカップ予選
18.1994年07月08日日本の旗愛知県名古屋市瑞穂公園陸上競技場 ガーナ○3-2パウロ・ロベルト・ファルカンアシックスカップ
19.1994年07月14日日本の旗愛知県神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 ガーナ○2-1アシックスカップ
20.1994年09月27日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 オーストラリア△0-0国際親善試合
21.1994年10月03日日本の旗広島県みよし運動公園陸上競技場 アラブ首長国連邦△1-1アジア大会
22.1994年10月05日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム カタール△1-1アジア大会
23.1994年10月09日日本の旗広島県広島県立びんご運動公園陸上競技場 ミャンマー○5-0アジア大会
24.1994年10月11日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム 韓国●2-3アジア大会
25.1995年01月06日サウジアラビアの旗リヤド ナイジェリア●0-3加茂周インターコンチネンタル選手権
26.1995年01月08日サウジアラビアの旗リヤド アルゼンチン●1-5インターコンチネンタル選手権
27.1995年02月15日オーストラリアの旗シドニー オーストラリア●1-2国際親善試合
28.1995年02月21日香港の旗香港 韓国△1-1ダイナスティカップ
29.1995年02月23日香港の旗香港 中華人民共和国○2-1ダイナスティカップ
30.1995年02月26日香港の旗香港 韓国△2-2(PK5-3)ダイナスティカップ
31.1995年05月21日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 スコットランド△0-0キリンカップ
32.1995年05月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 エクアドル○3-0キリンカップ
33.1995年06月03日イングランドの旗ロンドン イングランド●1-2アンブロカップ
34.1995年06月06日イングランドの旗リバプール ブラジル●0-3アンブロカップ
35.1995年06月10日イングランドの旗ノッティンガム スウェーデン△2-2アンブロカップ
36.1995年08月06日日本の旗京都府京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 コスタリカ○3-0国際親善試合
37.1995年08月09日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ブラジル●1-5サン・スパークカップ
38.1995年09月20日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 パラグアイ●1-2デサント・アディダスマッチ
39.1996年02月10日オーストラリアの旗ウォロンゴン オーストラリア○4-1国際親善試合
40.1996年02月14日オーストラリアの旗メルボルン オーストラリア●0-3国際親善試合
41.1996年02月19日香港の旗香港 ポーランド○5-0カールスバーグカップ
42.1996年02月22日香港の旗香港 スウェーデン△1-1(PK4-5)カールスバーグカップ
43.1996年05月29日日本の旗福岡県東平尾公園博多の森球技場 メキシコ○3-2キリンカップ
44.1997年02月09日タイ王国の旗バンコク タイ△1-1キングスカップ
45.1997年02月13日タイ王国の旗バンコク スウェーデン●0-1キングスカップ
46.1997年03月15日タイ王国の旗バンコク タイ●1-3国際親善試合
47.1997年03月25日オマーンの旗マスカット マカオ○10-0ワールドカップ予選
48.1997年03月27日オマーンの旗マスカット ネパール○6-0ワールドカップ予選
49.1997年06月15日日本の旗大阪府長居陸上競技場 トルコ○1-0キリンカップ
50.1997年06月25日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ネパール○3-0ワールドカップ予選
51.1997年10月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アラブ首長国連邦△1-1岡田武史ワールドカップ予選
52.1997年11月01日大韓民国の旗ソウル 韓国○2-0ワールドカップ予選
53.1997年11月08日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 カザフスタン○5-1ワールドカップ予選
54.1997年11月16日マレーシアの旗ジョホールバル イラン○3-2(延長V)ワールドカップ予選
55.1998年03月01日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 韓国○2-1ダイナスティカップ
56.1998年03月07日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 中華人民共和国●0-2ダイナスティカップ
57.1998年04月01日大韓民国の旗ソウル 韓国●1-2ワールドカップ記念試合
58.1999年06月06日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ペルー△0-0フィリップ・トルシエキリンカップ
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得点

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#開催日開催地会場相手結果大会
11992年11月06日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム 中華人民共和国○3-2アジアカップ
21994年10月09日日本の旗広島県広島県立びんご運動公園陸上競技場 ミャンマー○5-0アジア大会
31995年08月06日日本の旗京都府京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 コスタリカ○3-0国際親善試合
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サッカー以外での受賞歴

  • ベストジーニスト(協議会選出部門:1994年)
  • アクアピースゴールデンハート賞(2001年) ※アクアピースネットワーク主催[19]
  • 人権擁護功労賞法務大臣表彰状(ユニバーサル社会賞)受賞(2019年)

出演

テレビ番組

ラジオ番組

CM

ゲーム

ディスコグラフィ

参加作品

  • 16 Voices - 『ひとり ひとつ』(2015年10月1日)[20]

脚注

  1. 1992年から1998年まではヴェルディ川崎

出典

関連項目

外部リンク

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