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日本のサッカークラブ ウィキペディアから
鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、英: Kashima Antlers)は、日本の茨城県鹿嶋市、神栖市、潮来市、行方市、鉾田市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の1つ。
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒314-0021 茨城県鹿嶋市粟生東山2887[1][3] |
設立 | 1991年10月1日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 7050001020168 |
事業内容 | サッカークラブの運営、スタジアムの管理運営 |
代表者 | 代表取締役社長 小泉文明[2] |
資本金 | 22億5736万円 |
売上高 |
64億6200万円 (2024年1月期)[4] |
営業利益 |
▲3億1500万円 (2024年1月期)[4] |
経常利益 |
▲3億2600万円 (2024年1月期)[4] |
純利益 |
▲3億1100万円 (2024年1月期)[4] |
純資産 |
15億6500万円 (2024年1月期)[4] |
総資産 |
49億4300万円 (2024年1月期)[4] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 |
メルカリ 71.2% LIXIL 10.0% 日本製鉄 7.1% 鹿嶋市など自治体5市 5.0%[5] |
関係する人物 |
鈴木昌 大東和美 下妻博 |
外部リンク | https://www.antlers.co.jp/ |
特記事項:特記なき財務諸数値は2020年1月期決算による[4]。 |
1947年に創設された住友金属工業蹴球団が前身。Jリーグ加盟時の1991年10月に、地元5町村(茨城県鹿島郡鹿島町・神栖町・波崎町・大野村、行方郡潮来町)と43企業の出資により運営法人「株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー」が設立され、現クラブ名に改称。ホームタウンは設立当時の5町が合併して設立した鹿嶋市(旧・鹿島町および大野村)、神栖市(旧・神栖町および波崎町)、潮来市(旧・潮来町および牛堀町)に加え、2006年からは行方市、鉾田市が追加され、鹿行地域全域がホームタウンとなった。なお、Jリーグ発足当時、ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた(現在は広域ホームタウンに関する制限はなく、複数の市町村ないし都道府県全域としたチームが複数ある)。
ホームスタジアムは県立カシマサッカースタジアム、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンドである。
チーム名の「アントラー(antler)」は英語で「鹿の枝角」を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。クラブマスコットは鹿をモチーフにした「しかお」と、1997年3月2日に「しかお」と結婚したという設定の「しかこ」、1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したという設定の「アントン」である。
国内三大タイトルであるJ1リーグ(優勝8回)、Jリーグカップ(優勝6回)、天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会(優勝5回)の優勝回数はいずれもJリーグ発足以後、Jクラブの中で最多で、三大タイトルの累計で19冠を誇る。また、国内三冠(同年度内に国内三大タイトルを全て優勝)した初のクラブであり、J1リーグ三連覇を果たした唯一のクラブでもある。さらに、2018年のAFCチャンピオンズリーグ優勝も合わせて主要タイトル20冠、その他タイトルと合わせて合計35冠とカウントすることもある。
2016年のFIFAクラブワールドカップにおいて、準優勝を果たした。現行体制(32チーム参加)前では決勝に進出した初のアジアのクラブチームで、日本のクラブチームでは唯一である。
1993年のJリーグ発足から一度も降格経験がないクラブは、鹿島アントラーズと横浜F・マリノスだけである。またリーグ戦の最終順位においても、二桁順位になったのは2012年の11位のみであり、他の年は全て一桁順位で終えている。
1947年創部の住友金属蹴球同好会(1956年に住友金属工業蹴球団へ改称)が前身となり、1973年に日本サッカーリーグ(JSL)2部、1985年にJSL1部へ昇格した。なお、1975年に大阪市から鹿島製鉄所のある茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)に本拠地を移転した。
1989年にプロサッカーリーグ設立が具体化したのを受けて、1990年に住友金属工業(現・日本製鉄)の「2000年ビジョン」の指針が発端となって、鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部に所属していた住友金属工業蹴球団のプロリーグ参加を協会に要望した。これを受けて住友金属はプロリーグへの参加を申請するが、当時の住金蹴球団は日本サッカーリーグ (JSL) 2部所属であり、設立準備メンバーの一人であった川淵三郎が「住友金属さんが加盟できる確率はほとんどゼロなのです。99.9999%無理ですよ」と述べるほど参入の可能性は低かった[6]。しかし、川淵の(住金の参加を諦めさせる最後の手段であった)「観客席に屋根の付いた1万5000人収容のサッカー専用競技場を建設できるなら考えましょう」の発言[6] を受けて茨城県が県立カシマサッカースタジアムの建設を決定。これが逆転打となって初年度からのJリーグ加盟が承認された。
1991年、ブラジル代表で主将を務めたジーコが加入(川淵三郎によると、「当初、紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。
Jリーグ発足に伴い、クラブ名を「鹿島アントラーズ」に変更。
チームスローガン:Football Dream-いどむ-
2024年
チームスローガン:Football Dream-かける-
新監督に以前に町田やFC東京、C大阪など数多くのJリーグクラブを指揮したランコ・ポポヴィッチが就任。クォン・スンテが現役引退。ブレッシング・エレケが契約満了、アルトゥール・カイキがスポルチ・レシフェ、ディエゴ・ピトゥカがサントス、小川優介が琉球、昌子源が町田、キム・ミンテが湘南、沖悠哉が清水、広瀬陸斗が神戸へ完全移籍。荒木遼太郎がFC東京、中村亮太朗が清水へ期限付き移籍。山田大樹が岡山から復帰。関西学院大学から濃野公人を獲得。磐田より梶川裕嗣、CAタジェレスよりギリェルメ・パレジが完全移籍にて加入。ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァよりアレクサンダル・チャヴリッチが期限付き移籍にて加入[36][37]。4節では、川崎フロンターレにリーグ戦で2015年8月以来の勝利を収めた。[38] ルヴァン杯は3回戦で昇格組のFC町田ゼルビアにリーグ戦同様完敗をし、敗退となった。 7月、親善試合でブライトンと国立競技場で試合をし、1-5と大敗を喫した。10月6日、成績不振などの理由によりポポヴィッチ監督は解任となった。 今季も無冠となり8年連続となった。
ジーコが所属していたこともあり、ブラジルのサッカー界とも強いパイプを持つ。Jリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は「アジア人枠」を利用して獲得した韓国人選手以外はブラジル人と、2022年8月に初めてブラジル人選手以外になるナイジェリア人選手である。ジョルジーニョやレオナルド、ベベットなど、サッカー王国ブラジルでも代表として活躍するなど一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。また、クラブでは初めてブラジル人選手以外の外国籍選手となるナイジェリア出身のブレッシング・エレケを獲得した。
これまで数多くの日本代表選手を輩出している。
クラブの発展に貢献した人物を顕彰するために設けられた賞である。カシマサッカーミュージアムの中にある「THE HALL OF LEGEND」にて記念される。現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。
前述の外国籍選手と同様、外国籍監督も多くがブラジル人であり、ジーコの兄であるエドゥーや、ジーコと共にブラジル代表の「黄金の中盤(黄金のカルテット)」として活躍した一人であるトニーニョ・セレーゾなどがこのチームを指揮を執っている。なお、2024年現在までの日本人正監督は初代の監督である宮本征勝と2015年途中に就任した石井正忠、2017年途中に就任した大岩剛、2021年途中に就任した相馬直樹、2022年途中に就任した岩政大樹、2024年途中に就任した中後雅喜の6人で、外国籍監督の正監督は1994年から2021年まで全員ブラジル人だったが、2022年は初めての欧州国籍監督で、スイス人監督のレネ・ヴァイラーを招聘した。
監督 | 期間 | J/J1 | ルヴァン杯 | 天皇杯 | FXSC | 国内 | CWC | ACL | SBCS | A3C | 国際 | 合計 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
宮本征勝 | 1992年 - 1994年6月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
エドゥー | 1994年6月 - 1995年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
ジョアン・カルロス | 1996年 - 1998年7月 | 1 | 1 | 1 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | |
関塚隆 | 1998年7月、1999年8月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 監督代行 |
ゼ・マリオ | 1998年8月 - 1999年8月 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | |
ジーコ | 1999年8月 - 12月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 監督代行 |
トニーニョ・セレーゾ | 2000年 - 2005年 2013年 - 2015年7月 | 2 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 7 | |
パウロ・アウトゥオリ | 2006年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
オズワルド・オリヴェイラ | 2007年 - 2011年 | 3 | 1 | 2 | 2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | |
ジョルジーニョ | 2012年 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | |
石井正忠 | 2015年7月 - 2017年5月 | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | |
大岩剛 | 2017年5月 - 2019年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | |
ザーゴ | 2020年 - 2021年4月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
相馬直樹 | 2021年4月 - 12月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
レネ・ヴァイラー | 2022年 - 同年8月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
岩政大樹 | 2022年8月 - 2023年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
ランコ・ポポヴィッチ | 2024年 - 同年10月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
記録名 | 記録 | 試合 | 備考 | |
連続無敗記録 | J1 | 17試合 | 2009年 第3節 広島戦(カシマ) - 2009年 第19節 柏戦(カシマ) | |
---|---|---|---|---|
連勝記録 | J1 | 16連勝 | 1998年 2nd第5節 福岡戦(博多球) - 1999年 1st第3節 広島戦(国立) | |
連敗記録 | J1 | 8連敗 | 1999年 1st第13節 浦和戦(国立) - 1999年 2nd第4節 C大阪戦(カシマ) | |
最多得点試合 | J1 | 7 - 0 | 1997年8月9日 2nd第4節 名古屋戦(カシマ) | |
7 - 2 | 2005年8月24日 第20節 新潟戦(カシマ) | |||
7 - 0 | 2012年5月19日 第12節 札幌戦(カシマ) | |||
Jリーグ杯 | 7 - 1 | 1992年10月3日 GL第7節 名古屋戦(瑞穂球) | ||
7 - 0 | 1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦(カシマ) | |||
天皇杯 | 8 - 1 | 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦(愛媛) | ||
8 - 1 | 2021年6月16日 2回戦 YS横浜戦(水戸) | |||
国際大会 | 16 - 0 | 1999年10月23日 ACC 2回戦 バレンシア戦(ひたちなか) | クラブ最多得点記録 | |
最多失点試合 | J1 | 0 - 7 | 1995年5月3日 1st第13節 平塚戦(平塚) | クラブ最多失点記録 |
Jリーグ杯 | 3 - 4 | 1992年9月23日 GL第5節 横浜M戦(国立) | ||
1 - 4 | 1992年9月26日 GL第6節 清水戦(笠松) | |||
2 - 4 | 1997年3月8日 GL第1節 C大阪戦(カシマ) | |||
0 - 4 | 2003年11月3日 決勝 浦和戦(国立) | |||
2 - 4 | 2013年3月23日 GL第2節 対F東京戦(カシマ) | |||
1 - 4 | 2016年3月27日 GS第2節 対神戸戦 (ノエスタ) | |||
天皇杯 | 2 - 6 | 1994年1月1日 決勝 横浜F戦(国立) | ||
国際大会 | 1 - 4 | 1999年4月16日 ACWC 準決勝 全南戦(国立) | ||
3 - 4 | 2003年3月12日 ACL GL第2節 上海申花戦(スパチャラサイ) | |||
1 - 4 | 2009年3月11日 ACL GL第1節 水原三星戦(水原) | |||
3 - 4 | 2015年3月18日 ACL GL第3節 広州恒大戦(天河) | |||
2 - 4 | 2016年12月18日 FCWC 決勝 レアル・マドリード(横浜国際) | |||
0 - 4 | 2018年12月22日 FCWC 3位決定戦 リーベル・プレート(ザイード・スポーツシティ) | |||
最少被シュート数 | J1 | 0本 | 2009年11月8日 第31節 山形戦(カシマ) | リーグ初記録 |
2021年5月12日 第21節 名古屋戦(豊田ス) | ||||
国際大会 | 1999年10月23日 ACC 2回戦 バレンシア戦(ひたちなか) | クラブ初記録 |
J1リーグ戦通算勝利数 | ||
通算勝利 | 試合 | 備考 |
初勝利 | 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ) | |
---|---|---|
100勝 | 1997年4月12日 1st第1節 神戸戦(カシマ) | |
200勝 | 2001年11月17日 1st第14節 東京V戦(カシマ) | リーグ最速記録 |
300勝 | 2007年11月24日 第33節 浦和戦(埼玉) | リーグ最速記録 |
400勝 | 2014年3月8日 第2節 仙台戦(カシマ) | リーグ最速記録 |
500勝 | 2019年7月6日 第18節 磐田戦(カシマ) | リーグ最速記録 |
公式戦通算得点 | ||||
通算得点 | 試合 | 選手名 | 備考 | |
初得点 | 1992年9月5日 ナビスコ杯 GL第1節 横浜F戦(笠松) | 入井和久 | ||
---|---|---|---|---|
500得点 | 1997年9月27日 J 2nd第15節 横浜M戦(カシマ) | 室井市衛 | ||
1000得点 | 2002年12月15日 天皇杯 3回戦 東京学芸大戦(カシマ) | アウグスト | ||
1500得点 | 2009年4月22日 ACL GL第4戦 SAFFC戦(カシマ) | 野沢拓也 | ||
2000得点 | 2015年7月25日 J1 2nd第4節 F東京戦(カシマ) | 昌子源 | ||
J1リーグ戦通算得点 | ||||
通算得点 | 試合 | 選手名 | 備考 | |
初得点 | 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ) | ジーコ | ||
100得点 | 1994年5月18日 サントリー第17節 名古屋戦(カシマ) | サントス | ||
200得点 | 1995年8月16日 ニコス第2節 磐田戦(磐田) | 黒崎比差支 | ||
300得点 | 1996年10月30日 第27節 磐田戦(カシマ) | マジーニョ | ||
400得点 | 1998年4月11日 1st第5節 柏戦(国立) | 眞中靖夫 | ||
500得点 | 1999年9月23日 2nd第10節 市原戦(国立) | 長谷川祥之 | リーグ最速記録 | |
600得点 | 2001年9月29日 2nd第7節 名古屋戦(カシマ) | 中田浩二 | リーグ最速記録 | |
700得点 | 2003年10月18日 2nd第10節 清水戦(カシマ) | 相馬直樹 | リーグ最速記録 | |
800得点 | 2005年10月1日 第26節 千葉戦(カシマ) | アレックス・ミネイロ | リーグ最速記録 | |
900得点 | 2007年8月12日 第19節 甲府戦(小瀬) | 野沢拓也 | リーグ最速記録 | |
1000得点 | 2009年4月29日 第8節 神戸戦(カシマ) | 岩政大樹 | リーグ最速記録 | |
1100得点 | 2011年5月21日 第12節 浦和戦(埼玉) | 増田誓志 | リーグ最速記録 | |
1200得点 | 2013年4月6日 第5節 C大阪戦(カシマ) | 遠藤康 | ||
1300得点 | 2014年9月23日 第25節 仙台戦(ユアスタ) | 土居聖真 | リーグ最速記録 | |
1400得点 | 2016年6月11日 1st第15節 浦和戦(埼玉) | 鈴木優磨 | リーグ最速記録 | |
1500得点 | 2018年7月22日 第17節 柏戦(カシマ) | 土居聖真 | リーグ最速記録 | |
1600得点 | 2020年8月16日 第10節 神戸戦 (カシマ) | 荒木遼太郎 | リーグ最速記録 | |
1700得点 | 2021年11月7日 第35節 浦和戦 (カシマ) | 土居聖真 | リーグ最速記録 | |
1800得点 | 2024年4月13日 第8節 京都戦 (カシマ) | 濃野公人 | リーグ最速記録 | |
Jリーグ杯通算得点 | ||||
通算得点 | 試合 | 選手名 | 備考 | |
初得点 | 1992年9月5日 GL第1節 横浜F戦(笠松) | 入井和久 | ||
100得点 | 1999年6月19日 2回戦第2戦 G大阪戦(秋田陸) | 長谷川祥之 | ||
200得点 | 2007年10月13日 準決勝第2戦 G大阪戦(カシマ) | 本山雅志 | ||
300得点 | 2021年3月3日 GS第1節 鳥栖戦 (カシマ) | 和泉竜司 | ||
天皇杯通算得点 | ||||
通算得点 | 試合 | 選手名 | 備考 | |
初得点 | 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡(愛媛陸) | 長谷川祥之 | ||
100得点 | 2002年12月28日 準決勝 市原戦(長居) | エウレル | ||
200得点 | 2015年9月9日 2回戦 琉球戦(カシマ) | 杉本太郎 |
記録名 | 選手名 | 記録 | 試合 | 備考 | |
最年少出場 | J1 | 徳田誉 | 17歳3ヶ月29日 | 2024年6月16日 第18節 新潟戦 | |
---|---|---|---|---|---|
最年長出場 | J1 | ジーコ | 41歳3ヶ月12日 | 1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦 | |
最年少得点 | J1 | 徳田誉 | 17歳6ヶ月27日 | 2024年9月14日 第30節 広島戦 | |
最年長得点 | J1 | ジーコ | 41歳3ヶ月12日 | 1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦 | |
連続試合得点 | J1 | マルキーニョス | 7試合 | 2008年8月16日 第21節 東京V戦 - 10月1日 第26節 大宮戦 | |
シーズン連続得点 | J1 | 小笠原満男 | 17シーズン | 1999年 - 2015年 | |
シーズン最多得点 | J1 | アルシンド | 28得点 | 1994年 | |
リーグ得点王 | J1 | マルキーニョス | 21得点 | 2008年 |
記録名 | 選手名 | 試合 | 備考 | |
J1 | 4得点 | 柳沢敦 | 1998年4月4日 1st第4節 京都戦 | |
---|---|---|---|---|
3得点 | ジーコ | 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(Jリーグ開幕戦) | リーグ初記録 | |
アルシンド | 1993年6月19日 サントリー第11節 名古屋戦 | |||
長谷川祥之 | 1995年8月26日 NICOS第5節 G大阪戦 | |||
マジーニョ | 1997年4月12日 1st第1節 神戸戦 | |||
長谷川祥之 | 1997年9月20日 2nd第13節 平塚戦 | |||
柳沢敦 | 1998年5月5日 1st第11節 磐田戦 | |||
平瀬智行 | 2000年4月29日 1st第9節 神戸戦 | |||
鈴木隆行 | 2004年9月18日 2nd第5節 磐田戦 | |||
柳沢敦 | 2006年3月5日 第1節 広島戦 | |||
フェルナンド | 2006年9月24日 第24節 FC東京戦 | |||
野沢拓也 | 2006年12月2日 第34節 磐田戦 | |||
マルキーニョス | 2010年9月18日 第23節 大宮戦 | |||
ドゥトラ | 2012年10月6日 第28節 F東京戦 | |||
レアンドロ | 2017年9月16日 第26節 新潟戦 | |||
エヴェラウド | 2020年8月1日 第8節 大分戦 | |||
土居聖真 | 2021年5月15日 第14節 横浜FM戦 | |||
Jリーグ杯 | 3得点 | 長谷川祥之 | 1992年10月3日 第7節 名古屋戦 | |
ジーコ | 1992年10月11日 第9節 広島戦 | |||
黒崎比差支 | 1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦 | |||
天皇杯 | 3得点 | 黒崎比差支 | 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦 | |
増田誓志 | 2005年11月3日 4回戦 ホンダロック戦 | |||
遠藤康 | 2012年9月8日 2回戦 筑波大戦 | |||
中村充孝 | 2019年9月25日 ラウンド16 横浜FM戦 | |||
上田綺世 | 2021年6月16日 2回戦 YS横浜戦 | |||
国際大会 | 4得点 | 平瀬智行 | 1999年3月3日 ACWC 3回戦第2戦 サラワク戦 | |
3得点 | 長谷川祥之 | 1999年3月3日 ACWC 3回戦第2戦 サラワク戦 | ||
柳沢敦 | 1999年10月23日 ACC 2回戦第1戦 バレンシア戦 | |||
鈴木隆行 | 1999年10月23日 ACC 2回戦第1戦 バレンシア戦 | |||
マルキーニョス | 2008年3月12日 ACL GL第1戦 クルン・タイ・バンク戦 | |||
大迫勇也 | 2013年8月7日 SBCS サンパウロ戦 |
年度 | 試合 | 総観客 | 平均観客 |
1993 | 18 | 252,291 | 14,016 |
1994 | 22 | 369,862 | 16,812 |
1995 | 26 | 497,665 | 19,141 |
1996 | 15 | 230,789 | 15,386 |
1997 | 16 | 271,765 | 16,985 |
1998 | 17 | 260,866 | 15,345 |
1999 | 15 | 255,741 | 17,049 |
2000 | 15 | 262,603 | 17,507 |
2001 | 15 | 336,377 | 22,425 |
2002 | 15 | 323,855 | 21,590 |
2003 | 15 | 318,064 | 21,204 |
2004 | 15 | 263,777 | 17,585 |
2005 | 17 | 316,897 | 18,641 |
2006 | 17 | 262,365 | 15,433 |
2007 | 17 | 276,058 | 16,239 |
2008 | 17 | 335,140 | 19,714 |
2009 | 17 | 367,486 | 21,617 |
2010 | 17 | 356,430 | 20,966 |
2011 | 17 | 274,655 | 16,156 |
2012 | 17 | 261,484 | 15,381 |
2013 | 17 | 279,115 | 16,419 |
2014 | 17 | 300,310 | 17,665 |
2015 | 17 | 279,185 | 16,423 |
2016 | 17 | 324,759 | 19,103 |
2017 | 17 | 347,942 | 20,467 |
2018 | 17 | 330,376 | 19,434 |
2019 | 17 | 349,678 | 20,569 |
2020 | 17 | 104,402 | 6,141 |
2021 | 19 | 148,543 | 7,818 |
2022 | 17 | 274,729 | 16,161 |
2023 | 17 | 374,521 | 22,031 |
出典: “通算データ 年度別入場者数推移”. J.LEAGUE Data Site. 2024年6月13日閲覧。
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
茨城県立カシマサッカースタジアム | ||||
大会 | 入場者数 | 試合 | ||
J1 | 39,684人 | 2003年7月5日 | 1st第11節 | 磐田 |
---|---|---|---|---|
Jリーグ杯 | 19,127人 | 2019年10月13日 | 準決勝第2戦 | 川崎 |
CS | 40,115人 | 2001年12月8日 | 第2戦 | 磐田 |
ACL | 35,022人 | 2018年11月3日 | 決勝第1戦 | ペルセポリス |
国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ||||
大会 | 入場者数 | 試合 | ||
J1 | 56,020人 | 2023年5月14日 | 第13節 | 名古屋 |
Jリーグ杯 | 18,009人 | 1992年9月9日 | GL第2節 | V川崎 |
CS | 53,553人 | 1994年1月16日 | 第1戦 | V川崎 |
ACL | 11,951人 | 2011年5月3日 | GL第5戦 | 上海申花 |
ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更していたが、2010年シーズン以降はビジネス上の理由から毎年デザインを変更している。ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンから、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。11冠目以降の星は、従来の左袖につく。胸のスポンサーロゴの上部には、クラブスローガンである「FOOTBALL DREAM」が入れられている(1998年 - 、1997年のみ裾部分に入れられた)。
2018年アジアチャンピオンズリーグ(ACL)の優勝により20冠を達成したため、2019のユニホームからエンブレムの上に星が1つ増え2つになった。
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | LIXIL | LIXIL | 2011年 - | 1996年 - 2010年は「TOSTEM」表記 2012年 - 2015年は本来の企業ロゴとは異なるデザインのものを掲出。 |
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鎖骨 | メルカリ | mercari | 2018年 - | 左右とも掲出 |
背中上部 | イエローハット | (帽子マーク) | 1999年 - | 1995年 - 1998年は袖 1999年 - 2011年は「Yellow Hat」表記 |
背中下部 | 理想科学工業 | RISO | 2016年 - | |
袖 | 日本製鉄 | NIPPON STEEL | 2012年10月 - | 1992年 - 1994年、2000年 - 2012年9月は「SUMITOMO METALS」表記) 2012年10月 - 2019年3月は「NIPPON STEEL & SUMITOMO METAL」表記 |
パンツ前面 | カネカ | kaneka | 2021年10月 - | |
パンツ背面 | 高砂熱学工業 | 高砂熱学 | 2023年3月 - |
FP 1st | ||||
FP 2nd | ||||
FP Other | ||||
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
1992 | - | 解禁前 | - | 解禁前 | SUMITOMO METALS | - | 解禁前 | ennerre | |
1993 | Mizuno / ennerre | ||||||||
1994 | TOSTEM | ||||||||
1995 | Yellow Hat | ||||||||
1996 | TOSTEM | - | |||||||
1997 | UMBRO / ennerre | ||||||||
1998 | ennerre | ||||||||
1999 | Yellow Hat | - | |||||||
2000 | SUMITOMO METALS | ||||||||
2001 | |||||||||
2002 | NIKE | ||||||||
2003 | |||||||||
2004 | |||||||||
2005 | プロミス | ||||||||
2006 | |||||||||
2007 | |||||||||
2008 | - | ||||||||
2009 | 商船三井 | ||||||||
2010 | |||||||||
2011 | LIXIL | ||||||||
2012 | (帽子マーク) | ||||||||
2013 | NIPPON STEEL & SUMITOMO METAL | アイフルホーム | |||||||
2014 | |||||||||
2015 | |||||||||
2016 | RISO | ||||||||
2017 | |||||||||
2018 | mercari | ||||||||
2019 | NIPPON STEEL | ||||||||
2020 | - | ||||||||
2021 | merpay / kaneka | CONNECT | |||||||
2022 | kaneka | ||||||||
2023 | 高砂熱学 |
鹿島アントラーズが創設された1992年から、トップチームでの活躍を目指す選手たちの年代別選抜チームとして、第2種(U-18、高校生年代)の「ユース」、第3種(U-15、中学生年代)の「ジュニアユース」、第4種(U-12、小学生年代)の「ジュニア」が活動している。鹿島アントラーズのアカデミー出身の選手には、曽ヶ端準、野沢拓也、土居聖真、鈴木優磨らがいる。また、育成とサッカーの普及を目的に、幼稚園生以上を対象にした「スクールコース」が茨城県内を中心に17ヶ所で開催されている。
運営会社である株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーは、2006年からカシマサッカースタジアムの指定管理者になり、健康事業を目的としたスポーツプラザ「カシマウェルネスプラザ」の運営や茨城大学との提携によるスタジアムの利活用推進にも取り組んでいる。
ホームタウンの5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)のほかに、クラブ独自でフレンドリータウンとしてホームタウン周辺の12市町村と協定を結んでいる。サッカーを通じた地域連携を目的とし、ホームタウン周辺の市町村を対象に年1回ホームゲームへの市民招待やスタジアムでの観光PRイベントの開催、アカデミーのスクール校を開校するなど活動を展開している。
2011年、住友金属蹴球団のJリーグ参加を念頭に設立された法人・「株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー」が設立されて満20周年になるにあたり、当時の代表取締役社長の井畑滋は、2041年に予定される法人化50周年に向けた経営ビジョンとして「VISION KA41」を策定した。
「KA」とは、「鹿島アントラーズ」「鹿嶋市・鹿島郡」のイニシャルであるとともに、「経営」という意味も込められている。井畑は「2041年にどのような姿で(法人化)50周年を迎えるべきかを考えたものがこのビジョンです」として、次の5つのビジョンを策定した。
それを実現させるため、収益性と効率性の高いクラブ構造を着手するために、次に示す3点を重点的な項目として位置付けて強化を図っていくとした。
そして、経営がメルカリに譲渡された2021年に、これの改訂版である「VISION KA41 Update」が策定された。クラブは5つのテーマの基本的な方向性を踏襲しつつ、より具体的な定義をアップデートした内容にバージョンアップさせている。
さらに、その一つとして法人化35周年に当たる2026年ごろをめどとして、新スタジアムの建設構想の具体的な方針をまとめることも明らかにした。現在のカシマスタジアムは2011年の東日本大震災や、(鹿島灘の)塩害などにより、安全を維持するための管理・修繕費が膨らんでおり、数年前から新スタジアムの建設構想が上がっていた。
新スタジアムは別の場所に建設するか、現在のスタジアムの改修・建て替えかなどについてはこの構想発表の段階では、移設の場合の建設予定地も含め未定であるが、新スタジアムは防災・福祉・観光の機能、また周辺地域のまちづくりなどの開発なども視野に入れていくとしているほか、現在鹿嶋市粟生にあるクラブハウスを新スタジアムに移設し、現クラブハウスもアカデミーの活動拠点にする計画を持っている[47]。2022年8月には潮来市も新スタジアムを誘致することを表明した[48]。
2020年1月15日、eスポーツチーム設立を発表。併せて、2018-19シーズン時点で世界ランキング24位にランクしたウェブ・ナスリの加入も発表した。eスポーツが国内・海外共に年々成長・発展を続ける中で世界一のクラブを目指すため、新たな事業として取り組むとしている[50][51]。
春季キャンプは1998年より宮崎県宮崎市の宮崎県総合運動公園陸上競技場で行われている。また、1993年はイタリア、1994年は沖縄県、1995年から1997年まではブラジルで行われた。
「SOCIOメンバー」、「MEGAメンバー」、「フリークスメンバー」、「ファミリーメンバー」の4種類がある。その中でも「フリークスメンバー」が一般的な会員カテゴリで、会員数が最も多い。特典として月刊アントラーズフリークスの送付やホームゲームチケットの先行割引販売、グッズの割引販売、グッズ・チケットの購入時やホームゲーム来場時などに付与されるポイントシステムなどがある。
サポーター集団「IN.FIGHT」が、1991年の鹿島アントラーズ創設時から鹿島サポーターの中心として活動を続けている。
鹿島サポーターは熱狂的であるが、それが故にトラブルを引き起こすサポーターも一部存在している。
2008年9月20日、柏レイソル戦にて鹿島ゴール裏サポーターが、ピッチにいる柏の選手に向けてフラッグを振り回し、柏の選手を攻撃した。このことにより当該サポーターは無期限観戦禁止処分が課せられた[52]。
2021年10月2日、違反行為をした鹿島サポーターの処分を発表した。違反行為は、2日に行われたJ1リーグ第31節の横浜FC戦で発生。試合終了後に、南側ゴール裏のサポーターが選手が挨拶に向かった際に、サポーターがスタンド最前のセキュリティフェンスを乗り越えて横断幕の掲出や、運営スタッフに対して威嚇行為、会場運営の妨げになる行為を行った[53]。
2023年4月4日、同月1日にカシマスタジアムで行われたJ1リーグ第6節サンフレッチェ広島戦で違反行為をしていた鹿島サポーター1人にホームゲーム2試合の入場禁止(ホームゲーム入場禁止期間に開催されるアウェイゲームも含む)処分を下したと発表した。鹿島の発表によると、当該サポーターは鹿島が1-2で敗れた試合後、広島サポーターが陣取るアウェー専用シートのセキュリティエリアへ侵入し、会場運営の妨げになる行為をした[54]。同年9月12日、鹿島サポーター1名による違反行為が報告された。カシマスタジアムにて行われたJリーグYBCルヴァンカップ準々決勝セカンドレグ名古屋戦において、鹿島サポーター1名による運営スタッフに対する威嚇および暴行行為、会場運営の妨げになる行為を確認した。当該者には、ホームゲームおよびアウェイゲームへの無期限入場禁止処分を科したことも報告している[55]。更に4日後の9月16日、カシマスタジアムで開催されたJ1第27節C大阪戦において、試合の前半、メインスタンド内からピッチに向かってペットボトルを投げ込んだ鹿島サポーターが処分された[56]。
鹿島アントラーズの決算は、つぎのとおり。
年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
2005 | 3,156 | 1,045 | 690 | 401 | 1,020 | 3,155 | 2,342 | 1,368 | 723 | 1 | -17 |
2006 | 3,381 | 1,262 | 597 | 346 | 1,176 | 3,536 | 2,585 | 1,564 | 951 | -155 | -251 |
2007 | 3,983 | 1,667 | 636 | 503 | 1,177 | 3,805 | 2,850 | 1,736 | 955 | 178 | 162 |
2008 | 4,180 | 1,664 | 675 | 509 | 1,332 | 4,063 | 3,118 | 1,850 | 945 | 117 | 52 |
2009 | 4,408 | 1,655 | 774 | 507 | 1,472 | 4,303 | 3,253 | 1,913 | 1,050 | 105 | 32 |
2010 | 4,466 | 1,561 | 747 | 480 | 1,678 | 4,449 | 3,816 | 2,004 | 633 | 17 | 14 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2011 | 4,165 | 1,839 | 754 | 252 | 233 | 1,087 | 4,378 | 2,066 | 360 | 351 | 144 | 0 | 1,457 | -213 | -220 |
2012 | 4,160 | 1,935 | 720 | 247 | 270 | 988 | 4,238 | 1,888 | 358 | 302 | 173 | 0 | 1,517 | -78 | -68 |
2013 | 4,122 | 1,864 | 748 | 235 | 269 | 1,006 | 4,081 | 1,701 | 384 | 310 | 166 | 0 | 1,520 | 41 | 78 |
2014 | 4,003 | 1,831 | 788 | 222 | 266 | 896 | 3,975 | 1,562 | 314 | 295 | 159 | 0 | 1,645 | 28 | 21 |
2015 | 4,311 | 1,861 | 788 | 222 | 285 | 1,155 | 4,652 | 2,023 | 338 | 300 | 166 | 0 | 1,825 | -341 | -344 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2016 | 5,582 | 1,958 | 869 | 232 | 283 | 540 | 1,700 | 4,825 | 1,929 | 372 | 444 | 149 | 0 | 428 | 1,503 | 757 | 610 |
2017 | 5,228 | 1,917 | 894 | 537 | 276 | 699 | 905 | 5,367 | 2,382 | 400 | 336 | 165 | 0 | 483 | 1,601 | -139 | -138 |
2018 | 7,330 | 2,156 | 978 | 806 | 290 | 839 | 2,261 | 6,746 | 3,157 | 524 | 599 | 169 | 0 | 600 | 1,697 | 584 | 426 |
2019 | 6,768 | 2,303 | 996 | 775 | 257 | 842 | 1,595 | 6,673 | 2,936 | 518 | 377 | 178 | 0 | 620 | 2,044 | 95 | 3 |
2020 | 4,797 | 2,061 | 475 | 843 | 196 | 682 | 540 | 5,746 | 2,550 | 338 | 341 | 125 | 0 | 499 | 1,893 | -949 | -945 |
2021 | 6,603 | 2,511 | 581 | 578 | 239 | 695 | 1,999 | 6,545 | 2,868 | 425 | 469 | 145 | 0 | 534 | 2,104 | 58 | 8 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | その他 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2022 | 6,116 | 2,608 | 801 | 432 | 208 | 761 | 1,306 | 4,986 | 2,998 | 367 | 426 | 367 | 0 | 580 | 248 | 1,946 | -816 | -677 |
2023 | 6,462 | 2,418 | 1,201 | 333 | 259 | 893 | 1,358 | 4,780 | 2,532 | 368 | 378 | 446 | 0 | 693 | 363 | 1,997 | -315 | -311 |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
鹿島アントラーズは2002年に累積損失を一掃するため増資をした。それ以来、資本金は15億7千万円となっていた[57]。 2022年にメルカリおよびLIXILによる第三者割当増資引受[58] により、資本金は22億5736万円となった。
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
2005 | 2,113 | 320 | 1,792 | 1,570 |
2006 | 1,885 | 344 | 1,540 | 1,570 |
2007 | 2,337 | 635 | 1,702 | 1,570 |
2008 | 2,387 | 632 | 1,754 | 1,570 |
2009 | 2,471 | 684 | 1,787 | 1,570 |
2010 | 2,561 | 760 | 1,801 | 1,570 |
2011 | 2,142 | 562 | 1,580 | 1,570 |
2012 | 2,085 | 573 | 1,512 | 1,570 |
2013 | 2,139 | 549 | 1,590 | 1,570 |
2014 | 2,186 | 575 | 1,611 | 1,570 |
2015 | 1,921 | 654 | 1,267 | 1,570 |
2016 | 3,021 | 1,143 | 1,878 | 1,570 |
2017 | 2,667 | 927 | 1,740 | 1,570 |
2018 | 3,371 | 1,205 | 2,166 | 1,570 |
2019 | 3,984 | 1,815 | 2,169 | 1,570 |
2020 | 4,021 | 2,797 | 1,224 | 1,570 |
2021 | 4,936 | 3,757 | 1,179 | 1,570 |
2022 | 5,269 | 3,395 | 1,874 | 2,257 |
2023 | 4,943 | 3,378 | 1,565 | 2,257 |
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022、 2023
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
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