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カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
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ジュニーニョ(Juninho)こと、カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル(Carlos Alberto Carvalho Dos Anjos Junior、1977年9月15日 - )は、ブラジル出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード/攻撃的MF。

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経歴
ブラジル・バイーア州サルヴァドール生まれ。彼の父と12歳年上の長兄もプロサッカー経験者であり、特に長兄のゼ・カルロスはブラジル代表にも選出された[1]。
幼い頃よりECバイーアの下部組織で育ち、ジュニオール所属だった1995年にトップチーム監督のオタシリオに抜擢されてプロとしてのキャリアをスタートさせる[2]。攻撃的MFとして試合に出場するようになった2年目の1996年にはU-20ブラジル代表に招集された[2]。2000年にパルメイラスへと移籍。FCバルセロナから獲得を打診されたが、チームもジュニーニョも不調に陥った2002年はバルセロナへの移籍話も立ち消え[1]、パルメイラスはその歴史上初めて全国選手権2部降格が決まった。
2003年は日本のJ2・川崎フロンターレに期限付き移籍。川崎はこの前年にCRフラメンゴのサンドロ・ヒロシの獲得に動いていたが、視察した試合で対戦相手にいたジュニーニョにオファーの対象を変えた[1]。初年度の2003年は28得点を挙げ、J2得点ランク2位。
2004年[3] には川崎へ完全移籍し37得点を挙げJ2得点王に輝き、川崎フロンターレはJ1昇格した。シーズンオフには、スペインのレアル・ベティスからのオファーもあったが残留した。
2007年には31試合で22得点を挙げ、J1では初となる得点王に輝いた。J1・J2双方での得点王獲得はエメルソン以来2人目。
2008年3月、日本の生活環境の良さや子供たちへの教育を挙げ、日本へ帰化の意思があると報じられ、本人もこれを認めたが[1][4]、日本語での会話が流暢でないことやブラジル代表で親善試合に4試合出場していたことが理由となり、日本への帰化を断念した[5]。2011年限りで川崎との契約を満了[6]。2012年、鹿島アントラーズに移籍した。2013年シーズンをもって契約満了となり退団が決定した。2014年末、Jリーグ功労選手賞を受賞[7]。
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個人成績
その他の国際公式戦
- 2012年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- 2013年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
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記録
タイトル
クラブ
- ヤマザキナビスコカップ:1回(2012年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:2回(2012年, 2013年)
個人
脚注
関連項目
外部リンク
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