Loading AI tools
日本のサッカーリーグ ウィキペディアから
1994年のJリーグは、リーグ戦が3月12日に開幕、11月19日に日程を終了し、11月26日、12月2日にチャンピオンシップを行った。リーグの優勝クラブはサントリーシリーズがサンフレッチェ広島、ニコスシリーズがヴェルディ川崎で、チャンピオンシップにより決定された年間総合優勝はヴェルディ川崎。
シーズン | 1994 |
---|---|
優勝 | ヴェルディ川崎 |
ACC出場 | ヴェルディ川崎 |
試合数 | 264 |
ゴール数 | 841 (1試合平均3.19) |
得点王 | オッツェ(市原・30得点) |
最大差勝利ホーム試合 | |
名古屋 7-2 浦和(サントリー第5節・3月26日) | |
最大差勝利アウェー試合 | |
広島 0-5 V川崎(サントリー第7節・4月6日) 広島 1-6 平塚(NICOS第5節・8月27日) 名古屋 1-6 横浜M(NICOS第19節・11月9日) | |
最多得点試合 | |
名古屋 7-2 浦和(サントリー第5節・3月26日) 清水 5-4 浦和(NICOS第12節・9月21日) 浦和 3-6 横浜M(NICOS第22節・11月9日) | |
最多観客動員 | |
55,125人 - 浦和 - V川崎(NICOS第11節・9月17日) | |
最少観客動員 | |
7,854人 - 浦和 vs 広島(サントリー第4節・3月23日) | |
平均観客動員 | 19,598人 |
← 1993 1995 → |
1994年シーズンのJリーグのクラブは以下の通り。前年に導入された準会員制度に基づき、ジャパンフットボールリーグからベルマーレ平塚とジュビロ磐田が新たに正会員としてリーグに加わったため、全部で12クラブとなった。
基本的に前年のレギュレーションを踏襲している。リーグは2ステージ制で行われ、12クラブが各ステージごとにホーム・アンド・アウェー2回戦各22試合×2ステージ=44試合(総試合数132試合×2ステージ=264試合)を戦った。
試合は、リーグ戦全試合を完全決着方式で開催し、前後半90分で決着が付かない場合、前後半15分ずつのVゴール方式による延長戦を行い、それでも決着が付かない場合はPK戦を行う。「90分勝利」「Vゴール勝利」「PK戦勝利」に優劣は与えず、純粋に勝利数のみで順位が決定する。各ステージの1位(ステージ優勝者)同士が2回戦制のJリーグチャンピオンシップを戦い、勝者が年間優勝、敗者が年間2位となる。なお、年間順位の3位以下は、チャンピオンシップに出場しなかった10クラブの間で「年間勝利数→得失点差→総得点」の順で定めた。
それぞれのステージならびにチャンピオンシップは冠スポンサー大会とされ、第1ステージを「サントリーシリーズ」、第2ステージを「日本信販・NICOSシリーズ」とそれぞれ称して行った。また、チャンピオンシップについてもサントリーが冠スポンサーとなり「サントリー・チャンピオンシップ」の名称で開催された。
前年より2か月早い3月12日開幕になったことで、前年の過密スケジュールが若干緩和された。土曜日の開催に特化し、水曜日の開催は極力減らすように日程が組まれた。サントリーシリーズは6月15日まで行われ、その後FIFAワールドカップアメリカ大会のための2ヶ月中断を挟んでNICOSシリーズは8月10日から11月19日の間で行われた。
サントリーチャンピオンシップは11月26日・12月2日に開催された。
サントリーシリーズは3年目を迎えたスチュワート・バクスターの戦術が浸透した広島が開幕6連勝を飾るなど勢いに乗る。しかし、第7節のV川崎戦に0-5で大敗し、清水に首位を明け渡す。清水は第9節の広島との直接対決でも3-1と快勝し、第4節からの連勝を9まで伸ばす。ところが、第13節の鹿島戦にPK戦で敗れると、そこから4連敗と失速し、再び広島が首位となる。そして、天王山となった第19節の清水vs広島戦では2-1で広島が勝利し優勝に前進、広島は第21節の磐田戦の勝利で初優勝を果たす。
この年のトピックとしては、W杯終了後に始まったNICOSシリーズにおいて、ブラジル代表のレオナルドがジーコの引退した鹿島へ、ユーゴスラビア代表のドラガン・ストイコビッチが名古屋へ、そしてドイツ代表のギド・ブッフバルトが浦和へそれぞれ加入するなど、W杯本大会を経験した各国の代表選手が続々とJリーグに加入したことが挙げられる[1]。NICOSシリーズでは、前年王者のV川崎に対し、サントリーシリーズでは下位に低迷しつつも、攻撃的なサッカーでリーグに旋風を巻き起こした平塚[2]との優勝争いとなったが、地力を発揮したV川崎が2年連続で制した。
NICOSシリーズにおいて、浦和と清水は本来の本拠地(浦和=浦和市駒場陸上競技場、清水=清水市日本平球技場)が改修工事のため使えなかったため、それぞれ埼玉県大宮サッカー場、静岡県草薙総合運動場陸上競技場を暫定本拠地とした。また、広島は登録上の本拠地は広島スタジアムのままながら、ホームゲームの過半数を広島ビッグアーチで開催し、事実上本拠を移転した。
サントリーシリーズ開催期間:3月12日 - 6月15日
|
ニコスシリーズ開催期間:8月10日 - 11月19日
|
上位2チームの順位はJリーグチャンピオンシップの結果により確定する。
順位 | クラブ名 | 勝 | 負 | 得点 | 失点 | 差 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ヴェルディ川崎 | 31 | 13 | 91 | 47 | +44 | ニコスシリーズ優勝 | |
サンフレッチェ広島 | 29 | 15 | 71 | 57 | +14 | サントリーシリーズ優勝 | |
3 | 鹿島アントラーズ | 27 | 17 | 89 | 68 | +21 | |
4 | 清水エスパルス | 27 | 17 | 69 | 56 | +13 | |
5 | ベルマーレ平塚 | 23 | 21 | 75 | 80 | -5 | |
6 | 横浜マリノス | 22 | 22 | 73 | 61 | +12 | |
7 | 横浜フリューゲルス | 22 | 22 | 67 | 60 | +7 | |
8 | ジュビロ磐田 | 20 | 24 | 56 | 69 | -13 | |
9 | ジェフユナイテッド市原 | 19 | 25 | 69 | 85 | -16 | |
10 | ガンバ大阪 | 15 | 29 | 66 | 82 | -16 | |
11 | 名古屋グランパスエイト | 15 | 29 | 56 | 82 | -26 | |
12 | 浦和レッドダイヤモンズ | 14 | 30 | 59 | 94 | -35 |
Jリーグチャンピオンシップについてはサントリーが冠スポンサーとなり、サントリー・チャンピオンシップの名称で開催された。
1994年11月26日 第1戦 | サンフレッチェ広島 | 0 - 1 | ヴェルディ川崎 | 広島市 |
14:38 | 公式記録 | 北澤豪 35分 | 競技場: 広島ビッグアーチ 観客数: 42,316 人 主審: アルベルト・テハダ |
1994年12月2日[‡ 1] 第2戦 | ヴェルディ川崎 | 1 - 0 | サンフレッチェ広島 | 新宿区 |
19:02 | ラモス瑠偉 80分 | 公式記録 | 競技場: 国立競技場[‡ 1] 観客数: 50,512 人 主審: ゾラン・ペトロヴィッチ |
合計スコアが2-0となり、ヴェルディ川崎が年間王者に決定。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.