三ツ沢公園球技場
横浜市神奈川区にある球技場 ウィキペディアから
横浜市神奈川区にある球技場 ウィキペディアから
三ツ沢公園球技場(みつざわこうえんきゅうぎじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区の三ツ沢公園内にある球技場。命名権により「ニッパツ三ツ沢球技場」(ニッパツみつざわきゅうぎじょう)ともいう。施設は横浜市が所有し、横浜市緑の協会・スポーツ協会グループが指定管理者として運営管理を行っている。
三ツ沢公園球技場 ニッパツ三ツ沢球技場 | |
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施設情報 | |
所在地 | 神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢西町3-1 |
位置 | 北緯35度28分8.96秒 東経139度36分13.48秒 |
開場 | 1955年 |
拡張 | 1964年 |
所有者 | 横浜市 |
運用者 | 横浜市緑の協会・スポーツ協会グループ(指定管理者) |
グラウンド | #天然芝 |
照明 | 4基 (鉄塔式) |
大型映像装置 | あり (富士通フロンテック製。日本宝くじ協会寄贈) |
使用チーム、大会 | |
横浜FC(Jリーグ) 横浜スポーツ&カルチャークラブ(Jリーグ) 横浜F・マリノス(Jリーグ) 横浜キヤノンイーグルス(ジャパンラグビーリーグワン) 横浜フリューゲルス(1993-1998年) | |
収容人員 | |
15,454人 | |
アクセス | |
当項目を参照。 |
1955年の第10回国民体育大会(神奈川国体)に備えて整備された球技場で、「日本におけるサッカー専用スタジアムのはしり」という言及がなされている[1]。
なお、横浜市に本社を置く自動車部品メーカーの日本発条が命名権(ネーミングライツ)を取得しており、2008年3月から「ニッパツ三ツ沢球技場」の呼称を用いている(後述)。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)、ジャパンラグビートップリーグや全国高等学校サッカー選手権大会やその神奈川県大会決勝、全国高等学校ラグビーフットボール大会の神奈川県大会決勝などでも使用されており、特にJリーグでは横浜FCと横浜スポーツ&カルチャークラブ (Y.S.C.C.) がホームスタジアムとして登録しているほか、横浜F・マリノス(合併前の横浜マリノス・横浜フリューゲルスを含む)がホームゲームを多く開催している。
1955年開場。1964年の東京オリンピックサッカー競技の会場としても使用された[2]。その後は日本サッカーリーグ(JSL)で古河電気工業サッカー部、日産自動車サッカー部、全日空横浜サッカークラブなどが試合を開催した[3]。これ以外でもアマチュアサッカーやラグビーの試合で頻繁に使用され、同球技場は神奈川県や東日本でのサッカー・ラグビー大会の開催地として重用された。
1991年にJリーグの発足と横浜マリノス(前身は日産自動車)・横浜フリューゲルス(同全日空横浜)の参加が決まると、横浜市内を本拠地[注 1] とする両チームのホームスタジアムとして三ツ沢球技場が選定され、当時のJリーグ(現在のJリーグ ディビジョン1(J1))規格を満たす約15,000人を収容できるスタジアムとして、リーグ発足の1993年に増築された。
三ツ沢球技場は1998年3月には同年10月の第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)の主会場として[注 2]、かつ2002年6月の2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の開催予定地として[注 3]横浜国際総合競技場(2005年から「日産スタジアム」)が完成したのに伴い、マリノス・フリューゲルス両チーム共に2つのスタジアムを併用する体制となった。1998年は国体開催に向けた芝生保護や各種準備の関係で横浜国際での試合開催が制限され、三ツ沢球技場での開催が半数近くに及んだが[注 4]、10月になって同年限りで両チームが合併することが発表され、サポーターからの強い反発を呼んだ。11月7日、三ツ沢で開催されたフリューゲルスのJリーグ最終主催試合ではゲルト・エンゲルス監督や選手達が合併反対の意思を表明し、エンゲルス監督は観客席のサポーターに対して日本語でチームの救援と存続を訴えたが、これは叶わなかった[注 5]。
1999年、前項で述べた合併により横浜F・マリノス(横浜FM)が発足し、国体終了に伴い横浜国際の使用制限も解除されると、同年の横浜FM主催試合はJリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ、ナビスコ杯)を含めて三ツ沢では1試合もなかった。2000年以降は2002年W杯や2001年開催のコンフェデレーションズ杯の準備のために横浜国際の使用が再び制限され、かつ観客動員が少ないと見込まれる水曜開催のリーグ戦やナビスコ杯などで三ツ沢での開催例が復活したが[注 6]、年間席(シーズンチケット)販売の増加を含め経営規模の拡大が必要な横浜F・マリノスにとって1万5千人規模の三ツ沢は小さすぎ、大半の主催試合は横浜国際[注 7] で行われるようになった。2007年に行われた横浜ダービー(後述)でもF・マリノス主催試合は日産スタジアムで行われた。
但し現在も三ツ沢球(ニッパツ)を、マリノスは平日開催が多いJリーグカップの予選リーグ、およびリーグ戦においても日産Sの芝生の保護・管理のため春・秋の年3-4試合程度は開催されている他、神奈川県サッカー協会が主管となる天皇杯では現在に至るまでF・マリノスの初戦が概ね行われている。
一方、フリューゲルスの存続を求めたサポーターの活動から1999年に発足し、奥寺康彦をゼネラルマネージャーに迎えた[注 8]横浜FCは、元フリューゲルス関係者と共に「聖地」三ツ沢への思い入れが強く[注 9]、かつF・マリノスと比較して小規模な経営が必要だった事情もあり、三ツ沢球技場を中心とした試合開催を進める事になった。年明けの日本フットボールリーグ(JFL)参加が決まり、競技場確保が難航した1999年は12試合中3試合のみだったが[注 10]、2000年以降は三ツ沢球技場での主催試合開催が安定して行えるようになり[注 11]、2001年のJ2参入後も変化はなかったが、2002年はW杯の練習会場で三ツ沢球技場が指定されたため、三ツ沢陸上競技場での試合開催も行われた。2006年には横浜FCがJ2優勝とJ1昇格を決めた後の最終戦が三ツ沢球技場で行われ、城彰二の引退セレモニーも合わせて開催された。
2007年、J1に昇格した横浜FCは経営上の判断もあり、三ツ沢球技場での主催をJ1リーグ17試合中9試合に抑え、ホーム開幕戦となった横浜FM戦(横浜ダービー)では三ツ沢開催にこだわったものの、一方でシーズン最終戦を含む6試合を準本拠地の位置づけで日産スタジアムで開催した(残り2試合は国立)。横浜FCはホーム開幕戦とシーズン最終戦では勝利したが、年間成績では18チーム中最下位に終わり、翌年からのJ2降格が決まった。
2003年、日本の社会人ラグビーの全国リーグとしてジャパンラグビートップリーグが開始されると、三ツ沢球技場はその試合会場の一つとして使用されるようになった。以後、ほぼ全てのシーズンで年1-2試合が開催されている[注 12]。
2008年、横浜市は日本発条との間で5年間の命名権売却契約を結び、Jリーグ開幕前の3月1日から「ニッパツ三ツ沢球技場」(略称:ニッパ球)と呼ばれる事となった。契約金額は初年度の年間7000万円から徐々に下落し、2013年からの再契約では年間4000万円となり、契約期間も3年間に短縮されたが、2016年2月28日まではこの名称が引き続き使用される事になった[注 13]。
横浜FCは2007年シーズンこそ日産スタジアムと併用する状態であったが、以降は日産スタジアムの使用は2008-2010年までの各1試合のみとなり[注 14]、本拠地登録も当球技場に一本化された。一方、横浜F・マリノスはJ1リーグ戦の3試合[注 15] とナビスコ杯の2-3試合[注 16] をニッパツ三ツ沢球技場で行うが、主な試合会場は日産スタジアムであり、試合数からも「横浜F・マリノス=日産、横浜FC=ニッパツ三ツ沢」の住み分けが事実上成立している。
2009年、横浜市は当球技場の改修に着手し、2010年のJリーグ開幕前に竣工させた。総工費3億2800万円[4] の同工事により、収容人員で1万5400人となり、Jリーグが定めたJ1規格を満たした。これにより、横浜FCが将来J1に復帰しても三ツ沢をそのままメインスタジアムとして使用できる体制が整った。
一方、全日空横浜クラブの元選手により1986年に発足した横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C. / YS横浜)は関東サッカーリーグ以降当球技場でホームゲームを開催しており(JFLでは神奈川県立保土ヶ谷公園サッカー場と併用)、J3リーグ発足時以降は当球技場をホームスタジアムとして登録。Jリーグ3クラブのホームスタジアムとなった。なお、横浜F・マリノスは2016年以降、本拠地登録を日産スタジアムに一本化しているが、リーグカップ戦を中心に主催試合を開催することがある。
2021年にジャパンラグビートップリーグがジャパンラグビーリーグワンに改称。(D1は1シーズンにつき16試合開催)以後、横浜キヤノンイーグルス主催試合が5試合程組まれている。(残りは秩父宮・大分)
2007年にネーミングライツ導入が決定され、ばね製造の日本発条が命名権を年間8000万円、5年契約で取得したことにより、2008年3月より愛称が「ニッパツ三ツ沢球技場」、略称が「ニッパツ」「ニッパツ球技場」となった[7]。Jリーグにおける英語表記は "NHK Spring Mitsuzawa Football Stadium"となっている[8]。2013年から3年契約、2016年から5年契約と更新されており、現在の契約は2026年2月28日まで。
なお、Jリーグ公式ウェブサイトのスタジアムガイド では略称表記を「ニッパ球」としていたが、2015年より「ニッパツ」に改めている。この理由について同球技場を本拠とする横浜FCは、横浜市内に ニッパ という会社があり、ネーミングライツにおいて支障をきたしており、混乱を招く一因となっていたためとしている[9]。
スタジアムのキャパシティーは前述したとおりJ1基準の15000人を満たしているが、Jリーグクラブライセンス制度「B等級」[注 17] の条件である「観客席の3分の1相当に屋根を敷設すること」と、「トイレ(洋便器)を一定数確保すること」の条件を満たしていない。本球技場の場合、屋根は全く設置されておらず、トイレは最低限(収容人員1000人当たり、洋便器5台・男性の小便器8台)の3割ほどしか満たせていないという[13]。同様の事例は全国に存在するが、2014年の時点でも横浜市からは改善案が示されておらず、当時のJリーグ専務理事の大河正明は「改修できないのなら、新スタジアムの構想を含めて考えてもらわないといけない」との指摘があった[13]。これに対し、球技場を管理する横浜市環境創造局は、屋根の敷設には建設費が高額になるうえ、公園利用への影響も大きいとして「Jリーグ側の要望も高まっていることは理解できるが、一つの部署で決められるものではない」としており、整備の見通しは示していなかった[13]。
2019年12月、横浜FCが2020年J1に昇格するにあたって、当時の横浜市長・林文子を表敬訪問した際、三浦知良が「雨の日はサポーターがびしょ濡れになるので、そこを協力してもらえれば」と、客席の屋根敷設を要望した[14]。その後、林は2020年度横浜市予算案に改修調査費を盛り込むことを明言している[15]。改修検討は2020年度から2021年度にかけて継続して行われているが、横浜市会の予算第2特別委員会の質疑で、市当局者が「既存のメインスタンドに屋根だけを掛ける方法は困難」なため、「メインスタンドの建て替えや球技場全体の建て替えなど幅広く検討していく必要がある」と答弁した上で、小林一美副市長が「(三ツ沢)公園全体のリニューアルも含め、さまざまな選択肢を幅広に検討していきたい」と述べている[16]。
2022年6月1日、横浜市は横浜市会の常任委員会に「三ツ沢公園球技場を含む公園の再整備に向けた基本的な考え方(案)」を提示し、三ツ沢公園内に新たな球技場を建設する方針を示した[17][18]。現在の球技場の敷地で建て替えた場合、屋根を設けると日照の時間が少なくなり芝生の生育の観点から球技場の稼働も減ることから、三ツ沢公園の施設全体の見直しを踏まえるもので、三ツ沢公園内にある補助陸上競技場、青少年野外活動センター、第2テニスコートなどの敷地に新たな球技場を建設した上で現在の球技場も活用し(補助陸上競技場は現位置付近に再整備しテニスコートは第3テニスコートで増設の予定)、他の老朽化した施設のリニューアルを含めた公園の再整備を行うこととしている。建設費については、横浜市会の常任委員会における環境創造局の答弁で「構想段階であり、(費用の)具体化には至っていない。他都市の事例を見ても球技場建設は大きな事業のため、いろいろな意見を伺いながら進めていきたい」としている[18]。
2022年10月14日、横浜FCの親会社であるONODERA GROUPが、前述の「三ツ沢公園球技場を含む公園の再整備に向けた基本的な考え方(案)」に呼応して、同社が事業主体となって三ツ沢公園内に新球技場を整備し、完成後に横浜市に寄付するという事業提案を行ったことを公表した[19]。寄贈条件として「新スタジアムの施設名称を『ONODERAスタジアム』とすること」「(指定管理者として) 60年間の管理運営をONODERA GROUPまたは子会社が行うこと」「管理運営期間中の使用料・賃貸料を無償とすること」等を合わせて提案したという。しかしその後の検討の結果、法規制や事業採算性などの面で事業提案の内容を実現させることが困難だとして、2023年6月23日付でONODERA GROUPがこの提案を取り下げたことを表明した[20]。
横浜市は、三ツ沢公園に隣接した横浜市立市民病院の施設が老朽化し、原位置での改築が困難なことから移転計画策定を行い、その有力候補地として、球技場に隣接した軟式野球場および古河電気工業所有地(当時は同社の社宅が存在)が挙げられたことが明らかになった[21]。病院側としては、「現在地から約500mの移動で済む」「横浜駅からより近くなり、交通の利便性が高まる」「病院と公園が一体となった災害対策機能の向上が図れる」ことを移転候補地とした理由として掲げている。同球技場を本拠地とするYSCC横浜の理事長・吉野次郎は「ニッパツ球技場は横浜市内のサッカーの聖地であるのに、わざわざそこに病院を移設する狙いがなぜあるのか」とする疑念を抱いており、「(病院が球技場の近くに移転することが)決まった以上は、球技場と病院が共存していく形をとるしかない。球技場に屋根を付けたり、患者さんが試合を観戦できる部屋を整備するなどの改修が必要ではないか」と述べている。一方の市民病院を運営する横浜市病院経営局もこの反対意見を受け止めてはいるが、「サッカーは週末開催がほとんどであるため、平日の外来とは重ならない。病院の施設についても、建物構造や設備で防音対策を取る」としている。
2014年9月に策定された「横浜市立市民病院再整備基本計画[22]」では、軟式野球場及び古河社宅跡地への新築移転を前提に、スポーツ観戦などによる歓声等の対策として、外壁はコンクリート厚15cm以上を確保し、窓は開口面積の調整や遮音性能の高いサッシ等による減音を施すとしている。一方、具体策については触れられていないものの、「適切な療養環境を維持しつつ試合観戦にも影響が出ないように配慮していきます」と説明している。
2020年5月1日にスタジアムのバックスタンド裏に横浜市立市民病院が移転開院した[23]。
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