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日本のサッカークラブ ウィキペディアから
AC長野パルセイロ(エーシーながのパルセイロ、葡: AC Nagano Parceiro)は、日本の長野県長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村、佐久市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
AC長野パルセイロ | |||
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原語表記 | AC長野パルセイロ | ||
呼称 | AC長野パルセイロ | ||
クラブカラー | オレンジ[1] | ||
創設年 | 1990年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J3リーグ | ||
昨季リーグ順位 | J3 14位(2023) | ||
クラブライセンス | (J2) | ||
ホームタウン | 長野県長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、小布施町、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村、佐久市[1] | ||
ホームスタジアム | 長野Uスタジアム | ||
収容人数 | 15,515[1] | ||
運営法人 | 株式会社長野パルセイロ・アスレチッククラブ[1] | ||
代表者 | 今村俊明[2] | ||
監督 | 髙木理己 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 未上場 |
本社所在地 |
日本 〒381-0021 長野県長野市屋島3300[1] |
設立 | 2007年1月15日[3] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 6100001005263 |
事業内容 | サッカークラブの運営他 |
代表者 | 今村俊明 |
資本金 | 1億円[4] |
売上高 | 6億7,500万円 (2019年12月期)[4] |
営業利益 | ▲2,800万円 (2019年12月期)[4] |
経常利益 | ▲2,800万円 (2019年12月期)[4] |
純利益 | ▲2,800万円 (2019年12月期)[4] |
純資産 | 2,000万円 (2019年12月期)[4] |
総資産 | 9,300万円 (2019年12月期)[4] |
決算期 | 12月期 |
外部リンク | https://parceiro.co.jp/ |
1990年創設の長野エルザサッカークラブが前身。2007年に現名称に変更した。ACはAthletic Clubの略[1]、「パルセイロ」(parceiro)はポルトガル語で「パートナー」の意味であり、地域社会とクラブがパートナーとして共生する「地域密着協働型スポーツクラブ」を目指すことを意味している[1]。運営会社は株式会社長野パルセイロ・アスレチッククラブである[1]。
クラブカラーのオレンジは長野県旗の色であり、紺と共に長野県国体選抜チームのユニフォームカラーでもある[5]。クラブエンブレムは旧称の「エルザ」に由来する雌ライオンに、長野のシンボルであるリンゴの花を対で組み合わせて「パートナー」の意味を表している[5]。ホームスタジアムは南長野運動公園総合球技場(長野Uスタジアム)(詳細は#スタジアムを参照)、練習場は千曲川リバーフロントスポーツガーデン、千曲市サッカー場である[1]。
ホームタウンは準加盟承認時は長野市1市であった[6] が、Jリーグに入会した2013年11月に長野地域・北信地域にある4市と埴科郡・上高井郡・下高井郡・上水内郡・下水内郡の10町村を加えた15市町村(長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村)が[1]、2016年6月に佐久市が追加され、16市町村となった[7]
1990年、長野県長野南高等学校サッカー部OBを中心に長野エルザサッカークラブとして発足。1996年、北信越フットボールリーグに昇格。1999年に県リーグに降格するも翌年北信越リーグに再昇格すると、松本、金沢、JAPANサッカーカレッジ(JSC)らと争い、2002年に初優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下「地決」)に初出場している。2004年には全国社会人サッカー選手権大会(以下「全社」)、天皇杯に初出場するが、いずれも初戦で敗れた。
2005年、支援組織として「Athle-nagano」が発足。2006年、「長期的視野に立ち、地元出身者を活かし、高いレベルの指導者により、選手を育成しながらJを目指したい」という考えから、イラン代表元監督のヴァルデイル・ヴィエイラが監督に就任。要田勇一、貞富信宏の2人のプロ契約選手の獲得や、天然芝グラウンド(千曲川リバーフロントスポーツガーデン)への練習拠点の移転、クラブハウスの設置、更には選手が半日就労後に行う2部練習の体制等を発表するなど、ヴィエイラの方針に則った練習環境の整備が行われた。
2007年1月15日に運営組織を株式会社化。また商標登録の関係から新たなクラブ名を公募し、名称を長野エルザサッカークラブからAC長野パルセイロへ改称。2008年2月には長野市、千曲市、須坂市、中野市の4市や競技団体など30団体で構成する「ホームタウンながの推進協議会」が発足した。
2008年は北信越リーグおよび第44回全社で優勝したが、第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会はグループリーグ3位で敗退。翌2009年は北信越リーグで2位に終わり、JFL昇格はならず。ヴィエイラがシーズン終了後に退任した。
2010年、コーチの薩川了洋が監督に就任。JSCから移籍してきた諏訪雄大や宇野沢祐次の活躍もあり、北信越リーグを無敗(12勝2分)で制す。9月の鈴木政一(ジュビロ磐田元監督)の強化本部長就任を経て、第46回全社、第34回地決をともに準優勝し、同年12月8日に日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFLへの入会が承認された[8]。
JFL初年度のリーグ戦は最少失点(27失点)、13試合連続無敗(前期第16節 - 後期第9節(東日本大震災で順延となった8月17日の前期第4節と8月21日の前期第5節も含む))といった記録を残し、SAGAWA SHIGA FCに次ぐ2位の成績を収めた。
長野県サッカー選手権大会(天皇杯長野県予選)は決勝で松本山雅FCにPK戦で敗れた。
2月にJリーグ準加盟の審査を受け[9]、同年7月23日にJリーグ準加盟クラブとして承認された[6][10]。なお、ホームスタジアムとして登録した南長野運動公園総合球技場(南長野)がJリーグ規格に満たないため、J2ライセンスの申請をせず、J2・JFL入れ替え戦への出場は見送られた。2012年シーズンはV・ファーレン長崎に次ぐ2年連続の2位。
第92回天皇杯は県予選決勝から出場、アルティスタ東御を下し8年ぶり2回目の長野県代表として出場(パルセイロに改名後は初)し、1回戦で北海道代表札幌大学に天皇杯での初勝利を収め、2回戦もJ1・札幌にPK戦で勝利した。なお、JFL・横河武蔵野FCにPK戦で敗れた。
シーズン終了後に薩川が監督を退任した。
元徳島監督の美濃部直彦が監督に就任。開幕5連勝でリーグ戦をスタートし、一時3位に後退するも第9節から第32節まで24試合連続無敗(そのうち第26節から第32節まで7連勝)を記録。第26節終了時にカマタマーレ讃岐に代わって首位に浮上し、第32節ブラウブリッツ秋田戦に勝利して初のJFL優勝を決めた。同年11月19日には日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[3]。本年7月27日の第22節を最後に南長野が改修工事に入り、8月11日の第24節より佐久総合運動公園陸上競技場(佐久陸)でホームゲームを開催した。
第93回天皇杯は2回戦でJ1・名古屋に勝利。3回戦でJ2・北九州にPK戦で勝利してベスト16に進出した。なお、4回戦はJ1・横浜FMに延長戦の末敗れた。
美濃部体制2年目。藤田信、平島崇、堤隆裕、鯨岡佑太、保戸田春彦、木下正貴、小川裕史が退団した一方、甲府から元日本代表の伊東輝悦、栃木SCから勝又慶典、町田から向慎一を完全移籍で獲得。シーズン途中には山田晃平を長崎から期限付き移籍で獲得した。
リーグ戦は2位の成績でJ2・J3入れ替え戦に回ったが、1分1敗の成績でJ2・21位の讃岐に敗れてJ2昇格を逃した。
第94回天皇杯はアマチュアシード枠で出場。2回戦でJ2・千葉に敗れた。
美濃部体制3年目。旗手真也、野澤健一、高野耕平が引退、松尾昇悟、川邊裕紀、田中恵太、下村悠太、畑田真輝、川鍋良祐がチームを去った。補強は、長崎から金久保彩、相模原から菅野哲也、盛岡から土井良太、京都から内野貴志を完全移籍で、岡山から仙石廉を期限付き移籍で獲得。鮫島晃太の期限付き移籍期間が延長され、山田晃平が期限付き移籍から完全移籍に移行した。
リーグ戦開幕直前に福岡から光永祐也を期限付き移籍で獲得。リーグ戦開幕後は、パク・ゴンが福岡から、近藤祐介が北九州から、金信泳が釜山アイパークから加入、ムリロ・アルメイダを大分から(7月2日契約解除)、小山内貴哉を札幌から期限付き移籍で獲得した。一方で、吉田実成都がMIOびわこ滋賀へ移籍、平岡将豪が沼津、高慶汰が盛岡へ期限付き移籍、井上寛太が退団した。また、8月5日、美濃部が健康上の問題を理由に監督を辞任。後任には衛藤元がヘッドコーチから昇格した。
リーグ戦は、昨年同様昇格争いをしていたが3位となり昇格はならなかった。また、シーズン最終戦にてマスコットキャラクター「ライオー」がお披露目された。第95回天皇杯は2回戦でJ1・神戸に敗れた。
シーズン終了後、衛藤が監督を退任、大橋良隆、諏訪雄大が引退、鮫島晃太、高橋駿太、土井良太、金信泳、向慎一、伊東輝悦、光永祐也、小山内貴哉が退団した。
監督に福岡のヘッドコーチだった三浦文丈が就任。補強は、群馬から夛田凌輔、大分から阪田章裕、荒田智之、岐阜から関田寛士、横浜FMから天野貴史、長崎から東浩史、柏から三浦龍輝、松本から塩沢勝吾を完全移籍で、長崎から碓井鉄平、愛媛から渡辺亮太を期限付き移籍で獲得。期限付き移籍から高慶汰、平岡将豪が復帰、仙石廉が期限付き移籍から完全移籍に移行した。
開幕後、ジョニー・レオーニがFCル・モン=シュル=ローザンヌ(スイス3部)から加入。橋本英郎がC大阪から、コンハードがトンベンセFC(ブラジル3部)から期限付き移籍で加入。一方、平岡将豪がいわきFCへ、パク・ゴンが群馬へ、近藤祐介が相模原へ、金久保彩が鹿児島へ、高慶汰がブリオベッカ浦安へ期限付き移籍。碓井鉄平が長崎へ復帰。リーグ戦は昨年と同じ3位。
第96回天皇杯は長野県予選決勝で松本大学にPK戦で勝利し天皇杯本戦に出場。2回戦でJ1・名古屋に勝利した。なお、3回戦はJ2・横浜FCに延長戦の末敗れた。
シーズン終了後、三浦が監督を、神野が強化部長を退任した。金永基(現役引退)、山田晃平、ジョニー・レオーニ、鹿児島へ期限付き移籍していた金久保彩、相模原へ期限付き移籍していたが近藤祐介が契約満了で、渡辺亮太、橋本英郎、コンハードが期限付き移籍期間満了で退団、三浦龍輝が磐田、仙石廉、夛田凌輔が栃木へ完全移籍、期限付き移籍していた高慶汰(浦安)、パク・ゴン(群馬)、平岡将豪(いわきFC)は完全移籍で退団した。
新監督に昨年まで鹿児島の監督だった浅野哲也が就任。また元監督の美濃部直彦がGMに就任した。補強は、北九州から阿部伸行、新井純平、寺岡真弘、鹿児島から武田大、富山から三上陽輔、岡山から小林秀征、京都から岩沼俊介、國領一平、名古屋から元日本代表明神智和、Y.S.C.C.横浜から野崎雅也を完全移籍で、東京Vから大木暁を期限付き移籍で獲得。
開幕後、京都産業大学の前田悠斗が新加入、水戸から萬代宏樹を期限付き移籍で、山口から岡本英也を完全移籍で獲得した。
開幕2連勝で第2節終了時に暫定首位となるも、直後に連敗しJ2昇格圏となる2位以内から脱落、結果的に昇格圏に入ったのは第2節終了時のみとなった。11月9日、第30節のアウェー藤枝戦に2-4で敗れ、同節終了時に2位に浮上した秋田との勝点差が残り4試合で13に開いたため、この時点で2018年のJ2リーグへの昇格の望みが絶たれ、最終的に5位となった。
第97回天皇杯は2回戦でJ1のFC東京にPK戦の末勝利、3回戦でJ2の岡山にも勝利しベスト16に進出、ラウンド16(4回戦)でJ1の磐田に敗退。
浅野体制2年目。
開幕後第13節を終えて2勝6分4敗(第4節は試合なし)と低迷し、6月12日に浅野が監督を退任。ヘッドコーチの阪倉裕二が監督に就任し第14節から指揮を執るも、J3加入後最低となる10位でリーグ戦を終える。シーズン終了後、監督の阪倉とGMの美濃部が退任した。
開幕から5戦目まで未勝利(3分2敗)、第6節讃岐戦でシーズン初勝利の後、第8節、第9節と連勝し10位まで浮上したものの、第10節から8戦勝ちなし(3分5敗)で、第14節終了時から第17節まで最下位となる。後半戦初戦となる第18節からシーズン初の3連勝で最下位は脱出したものの、その後第21節からの9試合で2勝しか出来ず、第29節終了時に同シーズンの3位以下が決定、翌年のJ2リーグ昇格を逃した。ただし第27節以降最終節までは8戦負けなし(6勝2分)、特に第30節から最終節までは5連勝と巻き返し、勝点49の9位で終えた。
横山が監督を続投。補強は、八戸から、三田尚希、熊本から、佐野翼を完全移籍で獲得し、東洋大学から、坪川潤之が入団。前半戦は第3節以降4位と6位の間を推移、第13節からの4連勝で第17節終了時に3位浮上、後半戦に入ると、第20節、第22節、第23節終了時に2位に立ち、第26節以降は相模原と2位争いとなり、第31節からは2位を維持、最終節で勝利すれば自力で2位となるところであったが、長野Uスタジアムでは過去長野が未勝利の岩手に0-2で敗れ、3位相模原が勝利したため逆転で3位となり、J2昇格を逃した。
横山体制3年目。明治大学から、2016年の青森山田のキャプテン、住永翔が入団、補強は、群馬から宮阪政樹、讃岐から森川裕基、甲府から金園英学、徳島から秋山拓也そして栃木から榊翔太を獲得し、岩沼俊介や遠藤元一ら6名が契約満了で退団した。開幕戦の勝利後4連続引き分け→3連敗→引き分けで8試合勝利なしとなり一気に12位まで順位を下げた後、第11節から4連勝を含む7戦負けなし(5勝2分)、前半戦終了となる第15節時点ではJ2昇格圏の首位富山2位福島と勝点差5の7位、後半戦初戦のアウェー宮崎戦の勝利で6位まで浮上したものの、続く第17節から8試合勝利なし(3分5敗)となり第23節には9位まで低下、第24節岐阜戦に敗れ、同節終了時点で残り5試合(第26節は長野は試合なし)で2位宮崎との勝点差が16となりJ2昇格の可能性が消滅した4日後の10月28日、監督の横山が退任となり、コーチの吉澤英生が後任監督に就任[11]。吉澤就任以降の5試合は2勝3分負けなしで終えたものの最終順位は9位のままであった。シーズン終了後、吉澤も監督を退任[12]。
監督に、前YS横浜監督のシュタルフ悠紀リヒャルトが就任[13]。
開幕戦と第3節終了時点で2位になったのがシーズン最高順位で、第8節から5試合勝利なし(3分2敗)になるなどし、第14節終了時点では10位にまで順位を落とす。その後後半戦は6-8位を推移し、第31節アウェー信州ダービー松本戦に敗れた時点で、同シーズンのJ2昇格の可能性が完全に消滅。
最終結果は14勝10分10敗の勝点52の8位となった。
天皇杯は県予選決勝で松本に敗れたため、本大会出場とはならなかった。
シュタルフ体制2年目。
シーズン序盤は好調で、第10節の松本山雅との信州ダービーを制し、首位に浮上。しかしそこから大不振に陥り、第11節の沼津戦から第19節岐阜戦まで9戦勝利なし(3分6敗)で、昇格争いから脱落。8月末の時点で11位とJ2昇格が難しい順位となり、8月28日に成績低迷のためシュタルフ監督を解任[14]。後任に鳥取や今治を指揮した髙木理己が就任[15]。終盤6試合は無敗だったが、最終的に13勝11分14敗の14位となり、前年から順位を落とす。昇格組の奈良クラブとFC大阪にはホーム・アウェイとも無得点で全敗した(4戦合計0-8)。
天皇杯は神戸に2回戦で敗れ敗退。
髙木体制2年目。
ホームスタジアムは南長野運動公園総合球技場(長野Uスタジアム)である。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムはAC長野パルセイロの年度別成績一覧#年度別入場者数を、南長野の改修に関しては南長野運動公園総合球技場#改築工事に至る経緯を参照のこと。
2005年に前身の長野エルザジュニアユースとして設立。2013年現在U-15長野県ユースサッカーリーグ・トップ1部に所属し、同年第22回長野県クラブユースサッカー選手権大会(U-15)で優勝した。
U-10(小学校3・4年)、U-12(小学校5・6年)世代を対象にパルセイロサッカースクールを、U-6(年中・年長)、U-8(小学校1・2年)を世代を対象に信濃グランセローズと共同で設立したNico Sports Academy(ニコスポーツアカデミー)での指導を行なっている。また上記とは別に、長野市を中心とした北信、東信地域の幼稚園、保育所、小学校などでの指導も行なっている。
「AC(Athletic Club)」の名前の通り当クラブはJリーグ百年構想による総合型地域スポーツクラブを目指しており、サッカークラブ以外に下記のスポーツクラブが「パルセイロ」として活動している。前述の通りパルセイロのブランドネーム、チームカラーであるオレンジ、クラブエンブレムの「エルザ」のロゴマークを共有している。
AC長野パルセイロアイスホッケーチーム。2008年にまず中学生のチームを立ち上げ、現在はU-12(小学生)、U-16(中学生)、U-18(高校生)及び社会人チームと各年代層のカテゴリ-のチームを有している。[16]。
2016年4月に「信陽食品バドミントンクラブ」がAC長野パルセイロ・バドミントンクラブに名称を変更した。現在男子チームがバドミントン日本リーグのチャレンジリーグ(3部リーグ)に参戦中、2部である日本リーグへのステップアップを目指している。
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | ホクト | HOKTO | 2015年 - | 2011年 - 2014年は袖 |
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鎖骨 | 長野都市ガス | 長野都市ガス | 2023年 - | 左側に表記 2010年 - 2014年は胸 2008年 - 2009年・2015年は袖 2016年 - 2022年は背中上部 |
炭平グループ | 炭平 | 2021年 - | 右側に表記 2013年 - 2014年、2017年 - 2020年は袖 2013年 - 2014年は「炭平グループ」表記 | |
背中上部 | マナテック | MANATEC | 2023年 - | 2016年 - 2022年は背中下部 2016年 - 2017年は「松田・南信」表記 |
背中下部 | 栗田病院 | 栗田病院 | 2023年 - | 2018年 - 2022年は鎖骨左側 |
袖 | 不二越機械工業 | FM― fujikoshi | 2023年 - | |
パンツ前面 | 信濃毎日新聞 | 信濃毎日 | 2007年 - 2008年 2010年 - | |
パンツ背面 | なし | - | - |
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
2005 | - | 解禁前 | YAWATAYA ISOGORO | 解禁前 | - | サニーヘルス | 解禁前 | DELL'ERBA | |
2006 | AOKI' | MISUZU みすずコーポレーション | |||||||
2007 | - | 信濃毎日 | |||||||
2008 | 長野都市ガス | ||||||||
2009 | Mj エムジェーマガジン | 根元八幡屋礒五郎 | 長野平青学園 | ||||||
2010 | 長野都市ガス | SUZUKI 株式会社鈴木 SUZUKI CO.,LTD. | 信濃毎日 | ||||||
2011 | HOKTO | ||||||||
2012 | |||||||||
2013 | 炭平グループ | DUELO | |||||||
2014 | |||||||||
2015 | HOKUTO | - | 長野都市ガス | ||||||
2016 | 長野都市ガス | 松田・南信 | Densen 株式会社デンセン | PENALTY | |||||
2017 | 炭平 | ||||||||
2018 | 栗田病院 | トヨタユー・グループ | MANATEC | ||||||
2019 | |||||||||
2020 | - | - | |||||||
2021 | 炭平 | - | |||||||
2022 | |||||||||
2023 | 長野都市ガス | MANATEC | 栗田病院 | FM― fujikoshi |
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