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ラモン・メディナベージョ

アルゼンチンのサッカー選手 ウィキペディアから

ラモン・メディナベージョ
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ラモン・メディナベージョ(Ramón Ismael Medina Bello, 1966年4月29日 - )は、アルゼンチンエントレ・リオス州グアレグアイスペイン語版出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元アルゼンチン代表

概要 ラモン・メディナベージョ, 名前 ...
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経歴

リーベル・プレートでキャリアをスタート、1993年にはゴールを量産してアルゼンチン年間最優秀選手賞を受賞した。

1994年に現役アルゼンチン代表選手として横浜マリノスに移籍、マリノスのアルゼンチン遠征で、直前まで所属していたリーベル・プレートとのフレンドリーマッチに後半から出場し、ゴールを決めるデビュー[1]。マリノスでは同じアルゼンチン出身のラモン・ディアスグスタボ・サパタと共に元リバー・プレート所属のリーバープレートトライアングルを形成した[1]。1994年3月12日の浦和レッズ戦でJリーグ初出場、初ゴール[2]、8月17日の鹿島アントラーズ戦で決めたゴールは、Jリーグ1000ゴール目のメモリアルゴールとなった[3]。1995年の1stステージではヴェルディ川崎と最終節まで優勝を争ったが、マリノスは最終節で鹿島アントラーズと対戦、この試合で決勝ゴールを決め、マリノスは優勝を決めた[4]。この年はJリーグで21ゴールを決めるなど[5] 、Jリーグでは通算70試合36ゴールの成績を残した[2]

マリノス退団後はリーベル・プレートに複帰、1996年のインターコンチネンタルカップユベントス戦ではベンチ入りするなど、ベンチ要員とて、1996年のリベルタドーレスカップ、リーグ優勝や1997年のスーペルコパ・スダメリカーナなどを制した。

アルゼンチン代表では1994年W杯・アメリカ大会の予選では5試合に出場し、4ゴールを決め、本大会出場に貢献[1]、マリノス所属時に出場したワールドカップでは、グループリーグのブルガリア戦、ラウンド16のルーマニア[6]でいずれも途中出場した。

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プレースタイル

ラボンバというニックネームがつくほど、強烈な右足からのシュートが代名詞であったが[1]、左足でも同じく強烈なシュートを放ち得点を量産、強引な突破からシュートへ持ち込むパターンを最も得意としていた[7]

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

その他の公式戦

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 17試合 4得点(1991年-1994年)[8]
さらに見る アルゼンチン代表, 国際Aマッチ ...

タイトル

クラブ

ラシン・クルブ
リーベル・プレート
横浜マリノス
タジェレス・デ・コルドバ

代表

アルゼンチン代表

脚注

関連項目

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外部リンク

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