サッカーブルガリア代表
ブルガリアの男子サッカーナショナルチーム ウィキペディアから
サッカーブルガリア代表(サッカーブルガリアだいひょう、ブルガリア語: Национален отбор по футбол на България, 英語: Bulgaria national football team)は、ブルガリアサッカー連合(BFU)によって構成される、ブルガリアのサッカーのナショナルチームである。本拠地は首都・ソフィアにあるヴァシル・レフスキ国立競技場。
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国または地域 | ブルガリア | |||
協会 | ブルガリアサッカー連合 | |||
FIFAコード | BUL | |||
愛称 |
Лъвовете / Lavovete (The Lions) | |||
監督 | イリアン・イリエフ | |||
最多出場選手 | スティリアン・ペトロフ(105試合) | |||
最多得点選手 |
ディミタール・ベルバトフ フリスト・ボネフ(48得点) | |||
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初の国際試合 |
1924年5月21日対オーストリア 0-6 | |||
最大差勝利試合 |
1957年11月3日対ノルウェー 7-0 1968年10月14日対タイ 7-0 1982年10月14日対マルタ 7-0 | |||
最大差敗戦試合 |
1933年5月21日対スペイン 0-13 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 7回(初出場は1962) | |||
最高成績 | 4位 (1994) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 2回 | |||
最高成績 | グループリーグ敗退 (1996, 2004) | |||
歴史
FIFAワールドカップは1962年大会で本大会に初出場以降、1974年大会まで4大会連続で本大会出場を果たすがいずれも0勝で一次リーグ敗退となった。1986年大会で3大会ぶりの本大会出場を果たし、0勝2分1敗のグループ3位で16強入りした。1994年大会では予選最終戦でフランスと敵地で対戦し、後半アディショナルタイムに決勝ゴールを挙げ、相手のフランスがほぼ手中にしていた本大会出場権を奪取した(パリの悲劇とも呼ばれる)。本大会ではフリスト・ストイチコフらの活躍もあってアルゼンチンとドイツにも勝利し、4位となった。その後は1998年大会でも本大会出場を果たしたものの、グループステージで敗退した。以降は2022年カタール大会まで6大会連続で予選敗退となっている。
通算18試合目の1994年大会のギリシャ戦でワールドカップ通算初勝利を挙げている。勝利を逃した連続試合数17は史上最高記録でもある。
UEFA欧州選手権には1996年イングランド大会、2004年ポルトガル大会と2度出場しているが、いずれもグループリーグで敗退している。1968年イタリア大会は記録上は予選敗退だが、決勝大会が4チームで行われたため、グループステージを勝ち抜いて唯一となるベスト8入りを果たし、準々決勝でも優勝したイタリアにホームの第1戦で勝利するなど好結果を残した。
成績
FIFAワールドカップ
UEFA欧州選手権
バルカン・カップ
歴代監督
ディミタル・ペネフ 1991-1996
フリスト・ボネフ 1996-1998
ディミタル・ディミトロフ 1998-1999
ストイコ・ムラデノフ 2000-2001
プラメン・マルコフ 2002-2004
フリスト・ストイチコフ 2004-2007
スタニミル・ストイロフ 2007
ディミタル・ペネフ 2007
プラメン・マルコフ 2008
スタニミル・ストイロフ 2009-2010
ローター・マテウス 2010-2011
ミハイル・マダンスキ 2011
リュボスラフ・ペネフ 2011-2014
イヴァイロ・ペテフ 2015-2016
ペタル・フブチェフ 2016-2019
クラシミール・バラコフ 2019
ゲオルギ・デルメンジエフ 2019-2020
ヤーセン・ペトロフ 2021-2022
ゲオルギ・イワノフ 2022
ムラデン・クルスタイッチ 2022-
歴代選手
→詳細は「Category:サッカーブルガリア代表選手」を参照
GK
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DF
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歴代記録
出場数ランキング 水色は現役代表選手
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得点数ランキング 水色は現役代表選手
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脚注
関連項目
外部リンク
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