エミル・コスタディノフ

ブルガリアのサッカー選手 ウィキペディアから

エミル・コスタディノフ

エミル・コスタディノフЕмил Костадинов、Emil Kostadinov、1967年8月12日 -)は、ブルガリアの元サッカー選手。ポジションはMF(攻撃的MF)、FW

概要 エミル・コスタディノフ, 名前 ...
エミル・コスタディノフ
Thumb
名前
本名 エミル・ルブチョフ・コスタディノフ
Emil Lubtchov Kostadinov
ラテン文字 Emil Kostadinov
ブルガリア語 Емил Костадинов
基本情報
国籍  ブルガリア
生年月日 (1967-08-12) 1967年8月12日(57歳)
出身地 ソフィア
身長 177cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MFFW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1990 CSKAソフィア 119 (36)
1990-1994 FCポルト 114 (43)
1994 デポルティボ・ラ・コルーニャ 9 (2)
1995-1996 バイエルン・ミュンヘン 27 (7)
1996-1997 フェネルバフチェSK 25 (11)
1997 UANLティグレス 9 (2)
1998 CSKAソフィア 11 (4)
1998-1999 1.FSVマインツ05 4 (1)
代表歴
1988-1998 ブルガリア 70 (27)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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経歴

コスタディノフは1985年CSKAソフィア選手経歴を始めると、1980年代後半にはフリスト・ストイチコフリュボスラフ・ペネフらと共に、ブルガリアリーグ優勝3回、ブルガリアカップ優勝3回、1988-89シーズンのUEFAカップウィナーズカップ準決勝進出に貢献した。1990年ポルトガルFCポルトへ移籍すると、2度のリーグ優勝(1992年、1993年)に貢献した[1]。1994年にはスペインデポルティボ・ラ・コルーニャでプレーした。

1995年にはドイツのバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍[2]UEFAカップ1995-96優勝に貢献した[3]。しかしフランツ・ベッケンバウアー会長は、「代表では活躍しているが、チームでは実力を25パーセントしか発揮していないと。」嘆き[2]、レンタル期限は延長されなかった。UEFAカップ1995-96決勝、第2戦では先発起用されると、1得点を挙げて優勝に貢献した。

ブルガリア代表としては1988年12月24日に行われたUAE代表戦でデビューを飾り、この試合で初得点を決めた[4]FIFAワールドカップ・アメリカ大会予選では、1993年11月13日フランスパリパルク・デ・プランスで行われた最終戦のフランス代表戦において、37分にクラシミール・バラコフのコーナーキックから同点となるヘディングシュートを決め、試合終了間際の89分にはリュボスラフ・ペネフのパスから決勝点を決め本大会出場に導いた(パリの悲劇[1][5]

1994年の本大会においても7試合にフル出場し[4]、同国の過去最高の成績となる4位に貢献。1996年UEFA EURO '961998年FIFAワールドカップ・フランス大会にも出場し[4]、1998年6月24日に行われたワールドカップグループリーグ最終戦、スペイン代表戦(試合は1-6でブルガリアの敗退)が代表として最後の試合と得点となった[3][4]。代表での通算成績は国際Aマッチ70試合出場27得点[4]

ワールドカップ終了から1年後の1999年1.FSVマインツ05に在籍したのを最後に現役を引退した。引退後は2000年から2001年2006年から2009年にかけて古巣のCSKAソフィアでテクニカルディレクターを務めた[3]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 70試合 27得点(1988年-1998年)[6]
さらに見る ブルガリア代表, 国際Aマッチ ...
ブルガリア代表国際Aマッチ
出場得点
198811
198971
199041
199163
199273
199352
1994124
199563
1996114
199764
199851
通算7027
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個人タイトル

  • ブルガリア年間最優秀選手賞 1回(1993年)

脚注

外部リンク

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