宮崎市
宮崎県庁所在地 ウィキペディアから
宮崎県庁所在地 ウィキペディアから
宮崎市(みやざきし)は、宮崎県の南東部にある市。宮崎県の県庁所在地及び県内で人口が最多の市で中核市に指定されている。
みやざきし 宮崎市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 宮崎県 | ||||
市町村コード | 45201-7 | ||||
法人番号 | 6000020452017 | ||||
面積 |
643.57km2 | ||||
総人口 |
394,448人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 613人/km2 | ||||
隣接自治体 | 日南市、西都市、小林市、都城市、児湯郡新富町、東諸県郡国富町、綾町、北諸県郡三股町 | ||||
市の木 | クスノキ | ||||
市の花 | ハナショウブ | ||||
市の花木 シンボルマーク マスコット |
ツバキ 宮崎市CIマーク ミッシちゃん | ||||
宮崎市役所 | |||||
市長 | 清山知憲 | ||||
所在地 |
〒880-8505 宮崎県宮崎市橘通西一丁目1番1号 北緯31度54分28秒 東経131度25分13秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
フェニックス・シーガイア・リゾート、青島、プロ野球・プロサッカーキャンプといった数多くの観光資源を持つ観光都市でもあり、九州・沖縄地方では福岡市、北九州市、熊本市、鹿児島市、大分市に次いで6番目に人口が多い。1998年(平成10年)から中核市となる。
宮崎平野の南端に位置し、中央を大淀川が流れ、日向灘に注いでいる。南部が鰐塚山地の一部で山深い以外は、主に市街地となっている沖積平野と、洪積台地が大半を占める。
年平均気温は18 ℃前後。年降水量はたいてい2,000mmを超えており、年によっては3,000mmを超えることもあるなど、極めて多い水準にある。また日照時間も年間2,000時間を割り込むことはほとんどない。平均気温の高さ・年降水量多さ・年日照時間長さにおいて、いずれも全国の県庁所在地では概ね3位以内である。全体的に、九州以外の住人が一般的にイメージする「九州の気候」に最もよく当てはまる気候と言える。宮崎市の気象台では霜の観測はあるが、青島以南の沿岸部は無霜地帯である。
3月中旬から4月にかけてはすっきりしない天気が続く。天気は変わりやすく、低気圧が日本海を通過するとフェーン現象によって季節外れの高温になり、夏日~30℃近くまでになることがある。
5月下旬から7月上旬にかけて梅雨となり、梅雨末期は大雨に見舞われることがある。都市化が顕著でないため熱帯夜も多くなく、南西風が卓越しフェーン現象の影響を受けやすい7月が暑さのピークで、8月の平均気温は福岡市と比べて1℃近くも低い。猛暑日日数も福岡市より少ないため、夏の暑さは九州の中では穏やかな方といえる。
9月前半の残暑に続いて台風の襲来する季節となる。梅雨に匹敵する雨のシーズンで、台風がはるか南にある段階から湿った東風で強い雨が続くのは宮崎特有の現象である。11月は爽やかな秋晴れとなる。
西風の強い乾燥した晴れが多い。九州各地(鹿児島市など九州南部も含む)が雪に見舞われた時でも宮崎市のみは晴れていることが多い(九州山地が雪雲を妨げるため)。太平洋側の中でも、南関東沿岸部や山間部を除く静岡、山間部を除く近畿中南部や山陽地方、四国などと同様、冬型気圧配置の下での降雪はほとんどない地域といえる。冬の雪は降雪そのものを観測しない年も多い。積雪は極稀で1cm以上の積雪を観測した回数はわずか数回である。昭和戦後期の1961年以降では3回(1975年1 - 2月、1987年2月、2005年12月)のみである。記録的な寒波に見舞われた2005年12月22日に1cmの積雪を観測したが、1cm以上の積雪は約20年ぶりで、12月の積雪は60年ぶりのことであった[2]。日中は暖かい一方で、特に冬型が緩んだ翌朝は放射冷却で最低気温が氷点下になることがあり、冬日は東京都心よりもずっと多い。過去に大阪や福岡、長崎、鹿児島のように冬日が1日も観測されなかった年はない(2018年まで)[注釈 1]。春が近い晩冬では曇りや雨が目立ってくる。
宮崎地方気象台(宮崎市霧島、標高9m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 25.1 (77.2) |
25.4 (77.7) |
28.1 (82.6) |
31.7 (89.1) |
34.3 (93.7) |
36.2 (97.2) |
38.2 (100.8) |
38.0 (100.4) |
36.9 (98.4) |
32.7 (90.9) |
30.3 (86.5) |
25.6 (78.1) |
38.2 (100.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 13.0 (55.4) |
14.1 (57.4) |
17.0 (62.6) |
21.1 (70) |
24.6 (76.3) |
26.7 (80.1) |
31.3 (88.3) |
31.6 (88.9) |
28.5 (83.3) |
24.7 (76.5) |
19.8 (67.6) |
15.0 (59) |
22.3 (72.1) |
日平均気温 °C (°F) | 7.8 (46) |
8.9 (48) |
12.1 (53.8) |
16.4 (61.5) |
20.3 (68.5) |
23.2 (73.8) |
27.3 (81.1) |
27.6 (81.7) |
24.7 (76.5) |
20.0 (68) |
14.7 (58.5) |
9.7 (49.5) |
17.7 (63.9) |
平均最低気温 °C (°F) | 3.0 (37.4) |
4.0 (39.2) |
7.4 (45.3) |
11.7 (53.1) |
16.3 (61.3) |
20.1 (68.2) |
24.1 (75.4) |
24.5 (76.1) |
21.4 (70.5) |
15.8 (60.4) |
10.1 (50.2) |
5.0 (41) |
13.6 (56.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −7.5 (18.5) |
−6.6 (20.1) |
−4.1 (24.6) |
−1.5 (29.3) |
3.1 (37.6) |
9.2 (48.6) |
16.0 (60.8) |
16.4 (61.5) |
9.7 (49.5) |
2.6 (36.7) |
−2.7 (27.1) |
−7.2 (19) |
−7.5 (18.5) |
降水量 mm (inch) | 72.7 (2.862) |
95.8 (3.772) |
155.7 (6.13) |
194.5 (7.657) |
227.6 (8.961) |
516.3 (20.327) |
339.3 (13.358) |
275.5 (10.846) |
370.9 (14.602) |
196.7 (7.744) |
105.7 (4.161) |
74.9 (2.949) |
2,625.5 (103.366) |
降雪量 cm (inch) | 0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 6.6 | 8.1 | 11.5 | 11.2 | 11.4 | 17.2 | 12.8 | 13.1 | 13.6 | 9.2 | 8.1 | 6.1 | 128.9 |
平均降雪日数 | 1.3 | 1.1 | 0.1 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 1.0 | 3.6 |
% 湿度 | 66 | 67 | 68 | 70 | 74 | 82 | 78 | 80 | 80 | 76 | 74 | 69 | 74 |
平均月間日照時間 | 192.6 | 170.8 | 185.6 | 186.0 | 179.7 | 119.4 | 198.0 | 208.6 | 156.5 | 173.6 | 167.0 | 183.9 | 2,121.7 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1886年-現在)[3][4] |
南の古くからの市街地で城ヶ崎(じょうがさき)と隣接する中村と、北の小さな街の花ヶ島(はながしま)・江平(えひら)がその中間に位置する県庁の置かれた上別府村の市街化によって繋がり、南北に細長い連続した市街地となった。この最初の市域を核として市街地が拡大した。さらに1960年代からは平和が丘を皮切りに市街地を弧状に取り囲むようにニュータウンが次々と開発され、人口増加の受け皿となった。
宮崎市の地名を参照のこと。
室町時代の1551年(天文20年)、太田七郎左衛門忠延が大淀川の右岸河口付近(南側)にある城ヶ崎という地域に町を開いた。この城ヶ崎は赤江港を控えた商人の町として上方との交易が盛んに行われ、俳句などの町人文化が発達した。江戸時代の城ヶ崎と赤江港は伊東氏飫肥藩領内の北東部に立地しており、日向国における商人街、江戸・上方との物流交易拠点として、伊東氏飫肥藩と共に廃藩置県まで室町時代以上に繁栄した。それ以外の地域は農村であり、天領や他藩の飛び地が複雑に入り組んだ辺境の地であった。
1871年の廃藩置県で美々津(みみつ)県と都城(みやこのじょう)県が誕生した時は、大淀川が県境で、現宮崎市域は県境地帯であった。しかし1873年に美々津県と都城県東部が合併し、県の中央部に県庁を置く必要から、宮崎郡上別府村に県庁が置かれ、宮崎県が誕生した。1876年に宮崎県は鹿児島県に合併されて県庁が支庁となり、翌1877年(明治10年)に西南戦争が勃発すると、旧士族の一部が薩摩士族の西郷隆盛一派に加わり、薩摩士族の敗北によって、宮崎県側も巻き込まれる形で混乱し疲弊した。1879年には旧宮崎県が宮崎、那珂、児湯、臼杵、諸県の5郡に分けられ、宮崎支所は廃止され、宮崎郡と那珂郡の郡庁となった。
1883年に飫肥藩士の川越進らによる分県運動によって宮崎県が再置を成し遂げると、再び宮崎県庁が宮崎郡上別府村に設置され、1889年の町村制施行で宮崎町が誕生し、後に宮崎市となる。こうして、地理的に県の中心部に位置し、広い宮崎平野を後背地とする宮崎市は、県庁を中心として発展していくこととなった。
1 | 大迫元繁 | 1924年8月28日 | 1927年10月21日 |
2・3 | 川越壮介 | 1927年12月20日 | 1935年2月26日 |
4 | 柿原政一郎 | 1935年7月11日 | 1937年6月7日 |
5 | 根井久吾 | 1937年6月7日 | 1940年12月29日 |
6 | 青木善祐 | 1941年1月21日 | 1945年1月20日 |
7 | 和田一次 | 1945年2月2日 | 1945年6月27日 |
8 | 萱嶋高 | 1945年6月29日 | 1945年12月8日 |
9 | 二見甚郷 | 1945年12月10日 | 1947年3月26日 |
10 - 11 | 荒川岩吉 | 1947年4月6日 | 1955年4月22日 |
12 - 14 | 有馬美利 | 1955年4月30日 | 1966年7月4日 |
15 - 17 | 清山芳雄 | 1966年8月21日 | 1978年8月20日 |
18 | 中村隆則 | 1978年8月21日 | 1982年8月20日 |
19 - 21 | 長友貞藏 | 1982年8月21日 | 1994年1月10日 |
22 - 25 | 津村重光 | 1994年2月6日 | 2010年2月5日 |
26 | 戸敷正 | 2010年2月6日 | 2022年2月5日 |
27 | 清山知憲 | 2022年2月6日 | 現職 |
宮崎東諸県広域市町村圏協議会
2006年1月1日に田野町・佐土原町・高岡町を、2010年3月23日に清武町を編入し、各町には編入と同時に合併特例区が設置された。合併特例区は5年後地域自治区に移行する。またそれ以外の地域でも2006年1月1日から、旧町村あるいは中学校の校区を基本にして地域自治区が設置された。
地域自治区
地域コミュニティ税は、宮崎市が制定した条例に基づいて2009年4月に創設された地方税。
宮崎市の総人口(約37万人)のうち約16万人に対して、市民税の均等割額に年額500円を上乗せされるかたちで課税。これを宮崎市地域コミュニティ活動基金として積み立て、市内の地域自治区(2005年以前の宮崎市域に16地区)、合併特例区(3地区)に人口などに比例して配分する。各地域自治区・合併特例区は地域活動の経費として基金を活用する。
当初は2008年4月創設の予定であったが、市民への周知不足を理由に開始時期を1年延期した。清武町では平成23年度(2011年度)から導入される予定であった[10] ため対象外とされた。
2010年1月の市長選では、地域コミュニティ税が争点のひとつとなった。「コミュニティ税の廃止」を公約に掲げて当選した戸敷正氏は6月議会に地域コミュニティ税の廃止条例案を提出したが継続審査となり、9月議会も同じ扱いであった。しかし、12月議会では14日の市民経済委員会が廃止条例案を7対6の賛成多数で可決し16日の本会議は賛成が反対を大幅に上回り、廃止が決まった。この結果、地域コミュニティ税は導入後2年で廃止されることになり、廃止に伴う減収8,000万円は、今後一般財源から捻出する予定となっている。
宮崎市郡医師会関連施設
赤江、木花、住吉、瓜生野地区を中心にトマト・ピーマン・キュウリをはじめとする促成栽培、旧田野町・清武町では冬季に「大根やぐら」を用いた大根栽培や食品加工が盛ん。マンゴーも名物の一つになっている。青島地区では漁業が中心。
宮崎東諸地域は宮崎SUNテクノポリス圏域に指定されているものの、メインは旧清武町・国富町・旧佐土原町で印刷業を除き宮崎市においては大規模な工業は行われていない。産業構成は第二次産業の占める割合が極端に小さいのが特徴。
市と周辺地域による小売業とともに、大都市からの交通の便が悪いことから卸売業も発達している。また観光都市であるためにサービス業も大きなウエイトを占める。近年は情報産業を積極的に誘致している。
提携解消
宮崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 宮崎市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 宮崎市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
宮崎市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
宮崎学園都市開発整備事業により、宮崎大学は附属幼・小・中を除き1984年〜1988年にかけて霧島・船塚の旧キャンパスから順次市南部の木花台に移転した。木花から清武町にかけては高等教育機関が集中し新しい文教地区が形成されている。宮崎大学の旧キャンパスには宮崎県立図書館、宮崎県立美術館、宮崎県立芸術劇場(以上旧農学部跡地・宮崎県総合文化公園)、宮崎公立大学(旧教育学部跡地)・南九州大学宮崎キャンパス(旧農学部跡地)が新たに立地し、宮崎大学を郊外移転した意味が市民団体から問われている。
中等教育については、2003年から県立高校の普通科の合同選抜が廃止され、市内の普通科高校を自由に志望することが可能となった。伝統的に公立高校が強い風土であるが、県内の私立の中高一貫校の台頭や県外の有名私立高校へ頭脳の流出が続いており、その対策として2007年宮崎県立宮崎西高等学校に附属中学校を併設した。
国立
公立
私立
公立
私立
国立
県立
市立
私立
旧宮崎市域 | |
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旧佐土原町域 | 旧高岡町域 |
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旧田野町域 | 旧清武町域 |
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宮崎県を放送区域(県域放送)とする地上波テレビ局はいずれも宮崎市内に本局舎があり、田野町の鰐塚山に送信所(宮崎親局)が設置されている。
宮崎市内の地上デジタルテレビ放送およびFMラジオ放送は、主に宮崎親局の放送波を受信することで視聴されている。しかし、地理的な要因などで親局のテレビ電波を直接受信できない世帯も存在するため、市内に設置された6つの中継局(青島局[20]・折生迫局[21]・宮崎内海局[22]・平和が丘局[23]・佐土原局[24]・高岡局[25])によってカバーが行われている。また、宮崎サンシャインエフエムの送信所(親局)はシェラトン・グランデ・オーシャンリゾートの屋上に設置されている。
放送局名 | コールサインなど | 周波数(宮崎親局) |
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宮崎サンシャインFM | JOZZ0AJ-FM | 76.1 MHz |
JOY FM エフエム宮崎 | JOMU-FM[26] | 83.2 MHz |
NHK宮崎FM放送 | JOMG-FM[27] | 86.2 MHz |
MRTラジオ(FM補完局) | (MRT宮崎FM) | 90.4 MHz |
宮崎市をサービスエリアとするケーブルテレビは下記の2社である。両社ともに地上デジタル放送の区域外再放送を実施しており、宮崎県の地上波テレビにおいて不足している系列局の補完を行っている。
宮崎交通が市内および近隣市町村の路線バスを一手に受け持っている。かつてはJR九州バスの宮林線・日肥線があったが現在ではどちらも廃止され、宮崎交通に譲渡されている。
九州自動車道・宮崎自動車道を経由して宮崎市と九州内各都市を結ぶ以下の高速バスがある。かつては東九州自動車道経由の高速バスや京阪神と宮崎を結ぶ夜行高速バスもあったが、これらは現在ではすべて消滅した。
愛称名 | 運行会社 | 運行区間 |
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フェニックス号 | 宮崎交通 JR九州バス 九州産交バス 西日本鉄道 |
福岡市(天神高速BT・博多BT・呉服町)・基山町・久留米市・八女市・八代市 - 人吉市 - 宮交シティ・宮崎駅 |
サンマリンライナー | 南九州観光バス | 福岡市(キャナルシティ博多)・益城町 - 清武・南宮崎駅前・宮崎駅東口・阿波岐原・佐土原待機所 |
みとシティライナー | 美登観光バス | 福岡市(キャナルシティ博多)・八代市(新八代駅) - 南宮崎駅前・宮崎駅東口・生目・高岡・佐土原駅前 |
なんぷう号 | 宮崎交通 九州産交バス |
熊本市(熊本駅前・桜町BTほか)・益城町 - 氷川町 - 人吉市 - えびの市 - 小林市 - 都城市 - 田野東 - 清武 - 宮交シティ・宮崎駅 |
B&Sみやざき号 | 宮崎交通 産交バス JR九州バス |
八代市(新八代駅) - 宮交シティ・宮崎駅 |
ブルーロマン号 | 宮崎交通 長崎県交通局 |
長崎市(長崎駅前・昭和町)・諫早市・大村市 - 清武・宮交シティ・宮崎駅 |
休廃止路線
市の道路網の特徴として、大淀川が市街地を分断する形で流れており、交通路が限られてしまうため、その橋の周辺では渋滞が頻繁に発生する。特に大淀川を渡って市街地に入り込む市街地を通過するだけの交通を減少させるべく、内環状線と外環状線が整備中である。
宮崎市に在住した人物(すでに移住した人物、故人も含む)
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