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宮崎県の市 ウィキペディアから
日南市(にちなんし)は、宮崎県南部にある市。伊東氏飫肥藩の城下町として繁栄した「九州の小京都」と称される飫肥(おび)や、風光明媚な日南海岸国定公園などを擁する歴史と自然あふれる観光の街である。 東は太平洋の日向灘に面する[1]。
にちなんし 日南市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 宮崎県 | ||||
市町村コード | 45204-1 | ||||
法人番号 | 6000020452041 | ||||
面積 |
535.49km2 | ||||
総人口 |
47,015人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 87.8人/km2 | ||||
隣接自治体 | 宮崎市、串間市、都城市、北諸県郡三股町 | ||||
市の木 | おびすぎ(飫肥杉) | ||||
市の花 | つわぶき | ||||
市の鳥 | かわせみ | ||||
日南市役所 | |||||
市長 | 髙橋透 | ||||
所在地 |
〒887-8585 宮崎県日南市中央通一丁目1-1 北緯31度36分07秒 東経131度22分43秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 市の木・花・鳥はいずれも旧日南市のもの。 | ||||
ウィキプロジェクト |
鰐塚山系の山地に囲まれている。市の面積の約78パーセントは森林であり、その多くは特産の飫肥杉で占められている。森林セラピー基地認定地域。
市内を東西を貫く形で酒谷川(さかたにがわ)が流れる。この川は河口付近で広渡川(ひろとがわ)と合流し、太平洋に注ぐ。
日南市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 日南市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 日南市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
日南市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
日本海流の影響により温暖な気候で、雨量も豊富である。また、夏から秋にかけては頻繁に台風が接近し、大きな被害を受けることもある。
油津特別地域気象観測所(日南市油津、標高3m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 26.3 (79.3) |
24.7 (76.5) |
27.5 (81.5) |
30.0 (86) |
33.0 (91.4) |
34.5 (94.1) |
37.5 (99.5) |
38.1 (100.6) |
36.2 (97.2) |
32.5 (90.5) |
29.9 (85.8) |
24.3 (75.7) |
38.1 (100.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 13.6 (56.5) |
14.6 (58.3) |
17.3 (63.1) |
21.2 (70.2) |
24.6 (76.3) |
26.6 (79.9) |
30.8 (87.4) |
31.5 (88.7) |
28.9 (84) |
24.9 (76.8) |
20.4 (68.7) |
15.7 (60.3) |
22.5 (72.5) |
日平均気温 °C (°F) | 8.9 (48) |
10.0 (50) |
12.9 (55.2) |
16.9 (62.4) |
20.6 (69.1) |
23.4 (74.1) |
27.2 (81) |
27.8 (82) |
25.3 (77.5) |
20.9 (69.6) |
15.9 (60.6) |
10.9 (51.6) |
18.4 (65.1) |
平均最低気温 °C (°F) | 4.6 (40.3) |
5.6 (42.1) |
8.5 (47.3) |
12.6 (54.7) |
16.8 (62.2) |
20.6 (69.1) |
24.4 (75.9) |
24.9 (76.8) |
22.3 (72.1) |
17.4 (63.3) |
12.0 (53.6) |
6.6 (43.9) |
14.7 (58.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −5.1 (22.8) |
−4.6 (23.7) |
−2.7 (27.1) |
0.1 (32.2) |
7.4 (45.3) |
12.5 (54.5) |
16.7 (62.1) |
17.5 (63.5) |
11.6 (52.9) |
4.4 (39.9) |
−0.7 (30.7) |
−4.8 (23.4) |
−5.1 (22.8) |
降水量 mm (inch) | 83.9 (3.303) |
132.5 (5.217) |
193.2 (7.606) |
236.7 (9.319) |
247.6 (9.748) |
564.7 (22.232) |
310.4 (12.22) |
230.8 (9.087) |
307.1 (12.091) |
227.8 (8.969) |
137.0 (5.394) |
92.1 (3.626) |
2,763.8 (108.811) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 7.2 | 9.0 | 12.3 | 11.8 | 11.8 | 18.3 | 12.7 | 13.8 | 13.6 | 9.8 | 9.0 | 6.5 | 135.7 |
% 湿度 | 63 | 65 | 67 | 70 | 74 | 82 | 80 | 80 | 78 | 73 | 71 | 66 | 72 |
平均月間日照時間 | 169.3 | 151.5 | 161.1 | 166.7 | 167.3 | 109.3 | 188.8 | 202.4 | 154.9 | 161.0 | 154.0 | 165.1 | 1,951.4 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1949年-現在)[2][3] |
戦国期は、天然の良港油津(あぶらつ)港を扼す飫肥城を巡って、戦国大名の伊東氏と島津氏の100年以上にわたる国盗りの舞台となった。江戸時代は一貫して伊東氏飫肥藩5万7千石の城下町として繁栄した。
市としての歴史は1950年1月1日の南那珂郡飫肥町、吾田町、油津町および東郷村の4町村の合併から始まる。この合併協議においては、城下町としての歴史と文化を色濃く残す商業の中心・飫肥町と、古くから漁師町として知られ、漁業や海運業を中心とした活気ある港町・油津町の、双方の住民の意識や性格の相違、庁舎設置の主導権争いなどが原因で何度も協議が決裂しそうになった。それでも協議を続け、新庁舎を両町の中間であり、新市の中央にある吾田町に置くなど、双方が歩み寄ったことでようやく調印できる段階にまでこぎつけた。しかし、新市名の協議で油津町は「油津市」、飫肥町は「飫肥市」を提案した事でまたしても両町が対立。再び協議の決裂が起こりかねない状況になった。その際、他にも「日向市」や「吾平津市」など様々な意見が出されたものの、結局古くから一部で用いられており、日向国(宮崎県の旧国名)、日本の「日」とその南にあるということで「南」の2文字を取って「日南市」に落ち着いた。つまり、この市名そのものが合併の苦難や当時の住民の志を象徴するものとなっている。なお、この合併は昭和の大合併のさきがけになったとされ、当時はまだ珍しかった市町村合併での成功例として参考とすべく多くの市町村が当地を視察に訪れたという。
その後、南那珂郡細田町および鵜戸村(1955年2月11日)、南那珂郡榎原村(一部は南郷町に編入)および酒谷村(1956年4月1日)の編入合併を経た。
平成の大合併の流れに沿い、2004年8月に住民発議により隣接する南那珂郡北郷町および南郷町と『日南市・北郷町・南郷町合併協議会』を設置し、合併の検討を進めた。しかし、両町の住民投票による賛成過半数を受け合併の調印まで行なったにもかかわらず、北郷町議会が合併議案を否決したため計画が頓挫し、2005年5月に協議会を解散した。その後、両町の議会が改選され合併賛成派が多数を占めたことや北郷町の町長選挙で合併賛成派の候補が当選したことなどから、2007年9月28日に合併協議会を再設置。2009年3月30日に合併し、(新)日南市を設置する。新たな日南市の区域は、江戸時代の飫肥藩から清武郷(おおむね宮崎市南部にあたる地域。清武町#近世を参照)を除いた範囲とほぼ同じとなっている[4]。
定数:19[9]
主要な産業である。特にカツオの一本釣り漁による水揚げ量は日本一で、2021年に日本農業遺産に認定された。カツオの刺身を醤油ダレで味わう「かつおめし」が郷土料理となっている[10]。
王子製紙日南工場があり、企業城下町としての一面も併せ持つ。この他にも自動車用冷間鍛造部品メーカーのニチワ本社も立地する。
ここでは、それぞれの地区に属する町や大字についても記述する。
人口…約18,800人。 市庁舎や消防署、警察署が立地し、日南市発足当初から行政の中心地区である。もとが田園地帯で用地確保がしやすかったことから、住宅地が造成されて人口も市内で最も多い。ここ数年、様々な郊外型商業施設の出店が加速し、商業の中心としての役割も担っている。
吾田村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
のちに、区画整理や住居表示実施により以下の町が発足した。
人口…約5,700人。 日南市の中で面積が最も小さい地区。かつて「東洋一のマグロ漁港」と言われた油津港を中心とした港町であり、往時を偲ぶ観光地としても脚光を浴びている。サーフィンスポットとして有名な梅ヶ浜がある。
市内最大の商店街や日南山形屋、サピア日南ショッピングセンターなどを擁す古くからの商業集積地だが、サピアは核テナント寿屋日南店の撤退以後精彩を欠き、アーケード街・商店街のシャッター街化も認められ、前述の吾田地区に押されつつあるのが現状である。
かつて油津町は、全域で大字を設置していなかったが、のちに吾田村平野の一部を編入し油津町の大字とした。日南市発足時、大字のない部分は大字油津となり、平野は吾田地区の平野と統合された。
のちに、区画整理や住居表示実施により以下の町が発足した。
人口…約6,400人。 江戸時代まで飫肥藩の城下町として繁栄した。1977年に九州・沖縄地方で最初の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け城下町らしい景観と飫肥城を復元をするために大規模な改修を行った。現在は日南の観光地区の役割を果たしている。
飫肥村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
のちに、住居表示実施により以下の町が発足し、2大字が消滅した。
人口…約5,000人。 吾田地区の北にあり、農業が盛んな地区である。 東九州自動車道のインターチェンジの建設予定地でもあり、田が比較的多い。
東郷村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
以後、町名設置は行われず現在に至る。
人口…約1,000人。日南市の北東部にある。市内で最も人口の少ない地区。漁業や地形を生かしてポンカンの栽培が盛んである。中心部には鵜戸神宮があり、多くの参拝客が訪れる。また、地質の違いによってできた鬼の洗濯岩、世界で唯一イースター島から複製を認められたモアイ像が設置されているサンメッセ日南がある。サンメッセ日南にモアイ像がある理由だが、イースター島において、1992年から3年かけて日本のモアイ修復チームが倒れていた15体のモアイ(アフ・トンガリキ)を立ち上げた。この奉仕と友情に対し、ラパヌイ(イースター島)の長老会と島民が、日本で復元することを許可したためである。サンメッセ日南では、7体のモアイ象(アフ・アキビ)を完全復刻している。高さ5.5メートル、重さ1体18~20トン[11]
園内には、世界の珍しい昆虫の展示やユネスコ本部より直接許可のパネル、蝶の地上絵、売店、レストラン・ファーストフード店などがある。
台風や大雨の際には土砂崩れなどが起こりやすいことから生活道路である国道220号が通行止めになり一時孤立することもある。
鵜戸村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
以後、町名設置は行われず現在に至る。
人口…約1,200人。 日南市の中で最も西にある地区。山沿いのため降水量が多い。道の駅酒谷や日本の棚田百選にも選ばれた坂元棚田、キャンプ場など自然を生かした観光地が多い。
酒谷村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
以後、町名設置は行われず現在に至る。
人口…約4,200人。 日南市の南部に位置。旧榎原村の一部であった大窪地区も含む。沿岸には大堂津港や大堂津海水浴場がある。農業が盛んで早期水稲で栽培された米や極早みかん、スイートピーが特産である。また、みやざき地頭鶏の生産も盛んである。
細田村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
のちに、榎原村の一部を編入し、以下の大字が当地区として扱われるようになる。
また、日南市発足直後に町名設置が行われ、のちに、住居表示が実施された。
人口…約4,700人。
旧日南市の北側に位置する地区。林業やスイートピーなどの栽培を中心とした農業を基盤産業とする。
日南市に合併した際に、それまでの大字が引き継がれ、大字の前に「北郷町」を冠するようになった。
人口…約11,000人。 旧日南市の南側に位置する地区。漁業が盛んである。
日南市に合併した際に、それまでの町・大字が引き継がれ、大字の前に「南郷町」を冠するようになった。
海岸沿いを南北に国道220号が走り、県庁所在地である宮崎市や南の串間市と結ぶ。この路線は風光明媚な日南海岸を通るため観光路線としても重要な道路であるものの、陸地側・海岸側の双方が断崖絶壁であり災害に非常に弱い。このため、北郷町を経由して宮崎市と連絡する内陸側のルートとして県道日南高岡線が1993年2月4日までに整備された。西隣の都城市との連絡には国道222号があり、市内を東西に走る。2つの国道は港のある油津地区で交わる。この他に都井岬・幸島(串間市)方面を海岸沿いに走る国道448号が南郷地区で国道220号から分岐する。
高速道路については、東九州自動車道の日南北郷IC - 日南東郷IC間が2018年3月11日に開通[12]し、宮崎市方面の清武南IC - 日南北郷IC間は2023年3月25日に開通した。また、日南東郷IC以南の区間については国道220号日南・志布志道路(東九州自動車道に並行する一般国道自動車専用道路)として建設される方針であり、2018年3月現在では日南市内の日南東郷IC - 油津IC(仮称)間のみが事業化されているが、油津IC(仮称)以南は事業化されておらず基本計画に留まっている。
加えて、東九州自動車道の清武JCT - 末吉財部IC間(日南市内の全区間を含む)は新直轄方式で整備が行われているため、日南市内のインターチェンジに料金所は設置されておらず、無料での通行が可能となっている。
この区間は国道220号、県道27号、28号の土砂災害・津波災害時の代替路として建設されており、内陸に12本のトンネルを掘削、13本の橋を架けて建設している。この区間で最長となる「猪八重トンネル」は長さ4,858mとなり、開通後、道路用トンネルとしては加久藤トンネルに次いで宮崎県内で2位、九州で第3位の長さとなる予定。
油津地区に県南最大の港である油津港(特定港)を有するが、漁船や貨物船の利用がほとんどで、油津港からの定期旅客船の発着はない。ただし、南郷地区にある目井津港からは近くにある大島との定期旅客船があり、大島に住む住民や観光客、釣り客を中心に利用されている。同じく南郷地区の外浦港(地方港湾)は海中観光船が発着している。
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