別府市
大分県の市 ウィキペディアから
大分県の市 ウィキペディアから
別府市(べっぷし)は、大分県の東海岸の中央部に位置する市である。大分県では大分市についで2番目に人口が多い。1924年(大正13年)市制施行。
別府温泉で有名であり、毎年800万人を超える観光客が訪れてきた観光都市。また国際観光温泉文化都市、国際会議観光都市に指定されている。温泉が市内各地で湧出し、源泉数は2300ヶ所以上で、日本の総源泉数の約1割を占め、湧出量も日本最多である[注 1]。温泉は観光や、市民生活だけでなく、古くは明礬の生産から、地熱発電、湯治、医療、温泉熱を利用した花き栽培・養魚業、最近では温泉泥を利用した美容法まで、様々な産業に幅広く利用されている。
経済圏では大分都市圏(別大都市圏)に属する。隣接する大分市とは、市街地が高崎山により分断されている。その間の約7kmは九州で特に交通量の多い区間の1つであり、6車線の別大国道(国道10号)により結ばれている。また、市内に4ヶ所あるJR日豊本線の各駅から大分市中心部まで、10分から30分程度の距離であり、大分市のベッドタウンとしての役割も担っている。
特別都市建設法による財政的優遇措置を得ている事もあり、大分県の市の中では津久見市と並んで平成の大合併における合併・編入がなかった。
別府市は大分県東部のほぼ中央からやや北寄りの別府湾最奥部に位置する。
東側の海岸を除く3方向が山に囲まれており、これらは全て第四期の火山である[1]。特に、市域西部の火山は新しく[1]、鶴見岳では噴気活動も見られる[注 2]。鶴見岳以外にも由布岳、大平山(扇山[おうぎやま])を中心にした連山が見られ、この西部には大分百景の1つに選ばれた由布川峡谷(東山付近)、および阿蘇くじゅう国立公園の指定域が存在するため、森林も多い。
これに対して、市域の東部は別府湾に流れ込む朝見川・春木川・境川などの河川により形成された、扇状地と下流部の沖積平野から成る。この東西約5km、南北約10kmほどの地域に主要な市街地が形成された。扇状地の北部および南部は、地殻変動により東西を横切るように短い断層が多数分布し、市街地はそれらの断層に挟まれた窪んだ地形に立地している。海抜高度がゼロの海岸線から数百メートル~1000メートルを超える市域西部までの距離が短いため、市内の東西方向を中心に坂道が多い。
市域を南北に貫通する形で海岸線沿いを国道10号、中央部を東九州自動車道が通る。また、別府国際観光港(別府港)を起点として、鶴見岳や由布岳の南側を、大分県道11号別府一の宮線(九州横断道路)が通る。なお、鉄道は市の海岸線沿いをJR九州の日豊本線が通る。これに加えて、別府港へは船便も就航している。
瀬戸内海式気候に分類され、平均気温は16.4 ℃、平均年間降水量は1644.6 mm(1981年-2010年の平均値)[2]。大分県内においても、特に別府市の海岸部は、夏季に旱魃が発生し易い地区として知られる[3]。
一方、市域西部の高原・山岳では標高が500~1000m以上と高いこともあり、市域東部の市街地より気温が低く、冬季には積雪や路面の凍結等も見られる。例えば、別府の街中では32℃の真夏日でも、鶴見岳の山頂付近(標高1300m)では9~10℃低い23℃といった具合である[4]。
源泉数と湧出量は、日本一として知られ、その源泉数は約2600本と日本国内の源泉数の約9パーセントを占め、それらの合計湧出量は102 (kL/分)に達する[5][注 3]。なお、自然湧出した源泉だけではなく、源泉井の掘削手法として上総掘りを導入した結果として、源泉掘削が容易になった事と[6]、北九州地方だけでなく、関西から船で別府港に来る観光客などが増加した結果[6]、20世紀に大規模な温泉業と観光業が盛んになった。また、2010年代には韓国や台湾など海外から訪れる外国人観光客が増加したが、2020年2月以降は新型コロナウイルス感染症の拡大によりインバウンド需要がほぼ消滅、現在に至っている[7][8]。
1956年時点で15大字から成っていた。
|
|
1965年から中心部で住居表示を実施した。
|
|
住居表示を実施している地区以外では、以下の町名が用いられている。
これらの町名は通称であり、正式には大字を用いている。例として、御幸の場合、他自治体と同様な地番表記は「別府市大字鉄輪x番地」と表記し、日常的に用いられる通称住所は「別府市御幸y組」と表記される。また、一部の町は同名の住居表示実施地区がある場合がある[9]。 2024年より、これらの地域に対し、順次住居表示を実施していく方針となった。通称町名を使用する「二重住所」による問題を解消し、地方行政システムの全国統一に対応するためとしている。[10]
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
官選 | ||||
1 | 神澤又市郎 | 1924年9月26日 | 1928年5月28日 | |
2 | 平山茂八郎 | 1928年5月29日 | 1932年5月28日 | |
3 | 1932年5月28日 | 1935年6月3日 | ||
4 | 永野清 | 1935年8月30日 | 1935年9月8日 | 死去 |
5 | 小野廉 | 1935年9月23日 | 1938年4月11日 | |
6 | 内藤晴三郎 | 1938年7月11日 | 1942年7月10日 | |
7 | 平山茂八郎 | 1942年9月24日 | 1942年10月19日 | |
8 | 末松偕一郎 | 1942年10月20日 | 1946年10月19日 | |
9 | 脇鉄一 | 1946年11月13日 | 1947年4月4日 | |
公選 | ||||
10 | 脇鉄一 | 1947年4月5日 | 1951年4月4日 | |
11 | 1951年4月25日 | 1955年4月12日 | ||
12 | 荒金啓治 | 1955年5月2日 | 1959年4月29日 | |
13 | 1959年4月30日 | 1963年4月29日 | ||
14 | 1963年4月30日 | 1967年4月29日 | ||
15 | 1967年4月30日 | 1971年4月29日 | ||
16 | 1971年4月30日 | 1975年4月29日 | ||
17 | 脇屋長可 | 1975年4月30日 | 1979年4月29日 | |
18 | 1979年4月30日 | 1983年4月29日 | ||
19 | 1983年4月30日 | 1987年4月29日 | ||
20 | 中村太郎 | 1987年4月30日 | 1991年4月29日 | |
21 | 1991年4月30日 | 1995年4月29日 | ||
22 | 井上信幸 | 1995年4月30日 | 1999年4月29日 | |
23 | 1999年4月30日 | 2003年4月29日 | ||
24 | 浜田博 | 2003年4月30日 | 2006年4月10日 | |
25 | 2006年5月22日 | 2007年4月29日 | ||
26 | 2007年4月30日 | 2011年4月29日 | ||
27 | 2011年4月30日 | 2015年4月29日 | ||
28 | 長野恭紘 | 2015年4月30日 | 2019年4月29日 | |
29 | 2019年4月30日 | 2023年4月29日 | ||
30 | 2023年4月30日 | 現職 |
別府市は1968年1月1日に「別府市民憲章」を制定した[12]。
2015年12月の市議会で、別府市が同年10月に市内の遊技場(パチンコ店、競輪場)13箇所で5日間調査して、発見した受給者25人に文書で指導し、期間中に再び店にいた9人の医療費を除く生活保護の支給を1-2ヶ月停止した事、また、受給開始時にパチンコ店に出入りしないという誓約書を求めた事が明らかになった。生活保護受給者の比率が3.3パーセントと、平均的な日本の自治体の2倍近くに上る別府市では、1990年以前から年1回ペースで調査を実施していた。これに対しては、賛否両論があり[13][14][15]、弁護士ら約140人が組織した「生活保護支援九州・沖縄ネットワーク」が、「指導や処分は違法」「過度の制約を課し著しく不適切」として中止を申し入れ、意見書を提出した[16][17]。また、初鹿明博衆議院議員も国会で質問主意書による質問を行った[18][19]。一方、別府市に寄せられた200件超の意見のうち、8割以上が停止措置を支持する内容であった[15]。
この問題について厚生労働省は、生活保護法ではパチンコ等への支出は明確には禁じられておらず、支給停止は不適切との見解を大分県に伝達し、2016年2月に大分県は別府市に是正を求めた。これを受けて別府市は2016年度より停止措置の中止を決定したが、巡回調査は継続し、ギャンブルをする受給者を発見した場合は指導を実施すると決定した[14][15]。これに対して、「生活保護支援九州・沖縄ネットワーク」の事務局長を務める弁護士は、生活保護受給者は公衆の面前で、何ら違法性の無い行為にまで行政から干渉されても仕方ないという誤ったイメージを与えられ萎縮させられるため、不適切だとの見解を示した[20]。
(2023年5月17日現在[21])
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
岩屋毅 | 自由民主党 | 9 | 選挙区 |
別府温泉の歴史の節も参照のこと。
明治以前 | 明治初年 - 明治22年 [注 5] |
明治22年 4月1日 町村制施行 |
明治22年 - 明治33年 | 明治34年 - 明治45年 | 大正元年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和30年 | 昭和31年 - 現在 | 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
別府村 | 別府村 | 別府村 | 明治26年4月11日 町制 別府町 |
明治39年4月1日 別府町 |
大正13年4月1日 市制 別府市 |
別府市 | 別府市 | 別府市 | 別府市 |
朝見村 | |||||||||
浜脇村 | 浜脇村 | 浜脇村 | 明治26年4月11日 町制 浜脇町 | ||||||
田野口村 | |||||||||
亀川村 | 亀川村 | 御越村 | 御越村 | 明治34年11月1日 町制 御越町 |
大正14年1月1日 改称 亀川町 |
昭和10年9月4日 別府市に編入 | |||
平田村 | |||||||||
内竈村 | 内竈村 | ||||||||
古市村 | |||||||||
野田村(竈門荘) | 野田村 | ||||||||
立石村(朝見荘) | 明治11年 改称 南立石村 |
石垣村 | 石垣村 | 石垣村 | 石垣村 | ||||
東畑村 | 東山村 | ||||||||
椿村 | |||||||||
山野口村 | |||||||||
捏山村 | |||||||||
南石垣村 | 南石垣村 | ||||||||
中石垣村 | |||||||||
北石垣村 | 北石垣村 | ||||||||
北鉄輪村 | 鉄輪村 | 朝日村 | 朝日村 | 朝日村 | 朝日村 | ||||
南鉄輪村 | |||||||||
鶴見北中村 | 鶴見村 | ||||||||
鶴見原中村 | |||||||||
天間村 | 天間村 | 南端村 (一部) |
南端村(一部) | 南端村(一部) | 南端村(一部) | 南端村(一部) | 昭和31年8月1日 別府市に編入 | ||
南畑村(一部) | 南畑村(一部) | ||||||||
小浦村(一部) | 平道村(一部) | 豊岡村 (一部) |
明治31年3月19日 町制 豊岡町(一部) |
豊岡町(一部) | 豊岡町(一部) | 昭和29年3月31日 日出町(一部) | |||
小坂村(一部) | |||||||||
大分郡内成村 (一部) |
大分郡内成村 (一部) |
大分郡 石城川村 (一部) |
大分郡石城川村 (一部) |
大分郡石城川村 (一部) |
大分郡石城川村 (一部) |
昭和29年10月1日 大分郡挾間村 (一部) |
昭和30年4月1日 町制 大分郡挾間町 (一部) |
(2005年国勢調査による)
観光業が盛んであるため、宿泊業などの観光産業や小売業を中心として第三次産業就業者の割合が8割を超えている点が特徴である。第一次産業と第二次産業就業者の割合は少ない。また製造業も菓子類や土産品などの食品製造が中心であるため、製造品出荷額が118億円、従業者1人当たり出荷額も923.5万円(2005年経産省工業統計)と極めて低い。
ただ、国指定の伝統的工芸品である別府竹細工の伝統工芸士には、18人が認定されている[29]。
なお、別府市は農業は盛んと言い難いものの、2013年現在、主力産品としてバンペイユが挙げられる[30]。しかし、2013年現在、日本全体で見ると、熊本県がバンペイユの収穫量の96.5パーセントを占めており[31]、別府市は日本におけるバンペイユの主産地ではない。
(雇用人員数上位4社)
上記全ての店舗が、比較的市内中心部に近い位置に所在している。
括弧内は別府市内の店舗数。
中心商店街はほぼ全域が中心市街地活性化事業の計画区域に含まれており、2012年頃までに順次改装・再整備されていった。現在、活性化事業により空き店舗を改装した交流・イベント施設「platform」が中心商店街内のあちこちに点在し、これらをメイン会場に、2009年4月11日から6月14日までの間「別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界」が、2012年10月6日から12月2日までの間「別府現代芸術フェスティバル2012 混浴温泉世界」開催された。また北浜地区を中心として各種飲食店も密集しており、九州では有数の規模の歓楽街を形成している。
市内に本店または支店を置く銀行、信託銀行、信用金庫、信用協同組合、労働金庫、農業協同組合、証券会社は以下の通りである。
市内に一般営業窓口を置かず、ATMのみを設置する金融機関。
かつて市内にATMではなく、支店を設置したが、撤退した主な金融機関。
高度経済成長期の人口増加を経て、1980年代から1990年代前半にかけては大きく減少したものの、1990年代後半より人口減少は鈍化し、以降はほぼ停滞している。
別府市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 別府市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 別府市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
別府市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
|
|
|
|
最寄り空港は大分空港。福岡空港、北九州空港とを結ぶバス路線については#高速バスを参照。
※市の中心駅は別府駅。
なお、1900年から1972年には大分駅前から亀川駅前まで、路面電車の大分交通別大線が存在した。また湯治客向けに別府-御越(現:亀川)間の鉄道が計画され[39]温泉廻遊鉄道(別府温泉鉄道)を設立し麻生太吉や伊藤伝右衛門など有力者が名を連ねていたが実現しなかった(1911年6月免許[40]、1916年10月免許失効[41])[42]。
高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道
両社とも各主要系統は概ね20分から30分毎に運行されている。また、主要系統が重複する別府駅 - 別府北浜 - 観光港 - 亀川間や別府駅西口 - 市役所北口 - 光の園間などは日中概ね10分毎以上の運行がある。
近年は原油高高騰により、宇和島運輸フェリーの三崎航路とソレイユエクスプレス(瀬戸内海汽船系)柳井・広島・呉・松山航路が廃止(広島・徳山方面は高速バスで代替)、関西汽船が1往復に減便される(松山方面の航路全廃)等の動きが出てきている。
別府市内には、泉質を異にした源泉が数百箇所で湧出している。それらは歴史の異なる8箇所の温泉地を中心に分布しており、これらを総称して別府八湯と呼んでいる[注 6]。
別府三勝は大正時代に選定された物で、現在では志高湖以外は一般的な観光地ではない。
別府八景は、1930年に選定された物で、現在では一般的な観光地ではない場所もある。また、別府市近隣の観光地を含む。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.