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チャイナエアライン

台湾の航空会社 ウィキペディアから

チャイナエアライン
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チャイナエアライン繁体字中国語: 中華航空、ちゅうかこうくう、英語: China Airlines)は、台湾[2]最大手の航空会社フラッグ・キャリア)。中国語の略称は華航(フォアハン)。

概要 IATA CI, ICAO CAL ...
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概要 中華航空股份公司, 各種表記 ...
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CAL Park - チャイナエアラインの本社 (新)
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チャイナエアラインの本社 (旧)
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概要

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尾翼に大きく描かれた梅のロゴ

チャイナエアラインIATA2レターコードCIICAO3レターコードCAL;コールサイン:Dynasty;台北証券取引所:2610)は台湾桃園市に本社を置く台湾の航空会社である。

正式名称は、中国語圏で「中華航空公司」、大韓民国で「중화항공」(中華航空)、日本を含めた他の地域においては「チャイナ エアラインChina Airlines)」であるが、現在も一部案内や報道では、日本における登記上の名称である「中華航空」と呼称される場合もあり、公式ウェブサイトでも「チャイナ エアライン(中華航空)」とページタイトルを付けている。なお、名称が似ている中国国際航空Air China、エア・チャイナ)は中華人民共和国民用航空局(中国民航)系の航空会社であり全く関係がない。

社名の「中華(China、チャイナ)」は台湾の国号、「中華民国」(Republic of China)に由来する。これは設立当時は台湾の政府、中華民国が自身を中国を唯一代表する政府と主張していたためである。英語の社名に「China」と入っていることから、中華人民共和国の航空会社だと誤解されるとして社名変更を呼び掛ける動きがあるが、改名にかかるコストが約40億円かかると試算されており、また台湾独立の動きとして中国の反発を招き、社名変更後に中国からの圧力によって運航に支障がでる可能性も指摘されている[3]。一方で、新塗装の貨物機では、従来は前方に印字されていた社名の「CHINA AIRLINES」のロゴが従来よりも文字が小さくなり尾部に移され、代わりに胴体の前方に描かれた「CARGO」の「C」の文字の中に台湾本島のイラストが組み込まれ、中国の航空会社に間違えられるのを避けるようなデザインとなった[4]

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歴史

要約
視点

1959年12月、中華民国空軍退役軍人らによって「中華航空公司」が設立された[5]

当時、中華民国(台湾)のフラッグキャリアは民航空運公司(CAT)であった。民航空運公司は1946年アメリカOSS(のちのCIA)の後押しで「民航空運隊」の名で設立された。
国共内戦で国民党軍が敗れて台湾に逃れた際、当時の中国のフラッグキャリアであった中国航空公司(中航)と中央航空公司(央航)の2社の従業員は旅客機とともに集団で共産党軍に投降し(両航事件)、中華民国は民航空運隊以外の航空会社を喪失した。民航空運隊は台北から各国への海外路線を運営し、1955年には外資色を薄めて「民航空運公司」と改称したが、米軍およびCIAのための運送や諜報なども行うなど米軍色が色濃かった。中華民国交通部および国防部空軍司令部は、CATとは違い外国勢力の影響の及ばない、中華民国のみが影響を行使できるフラッグキャリアの設立を意図し、中華航空公司の創設につながった。

当初は水陸両用機PBY-5Bを利用した台北 - 日月潭の不期便運航からスタートし、金門馬祖への軍事物資や人員の輸送、軍幹部の輸送により会社の規模を拡大した。

1962年よりDC-3、DC-4、YS-11を導入し、本格的に民間航空輸送業務を開始。同年10月に開始した台北 - 花蓮線は中華航空で初めての定期路線となった。

1966年にはサイゴン(現・ホーチミン)線、1967年には東京・大阪・沖縄線が就航し、アジアにネットワークを拡大。

1970年には自社初のジェット機であるボーイング707を導入、台北 - 東京 - サンフランシスコ線に就航し、台湾のフラッグキャリアとしての地位を確立。

1983年、バンコク経由アムステルダム線を開設。台湾の航空会社で初めてのヨーロッパ路線となる。

1991年、中国政府による「一つの中国」政策により、定期便の就航が継続できない地域への航空路確保を目的に、和信グループとの合弁でマンダリン航空を設立。

1993年より台湾証券取引所に上場した。

機体の塗装は、かつては真ん中に中華民国の国旗(青天白日満地紅旗)が、他の国家の航空会社と同様に、小さく描かれていた。しかし中国共産党が、香港返還後の中国領土となった香港国際空港への乗り入れを盾に圧力をかけたため、1995年より中華民国の国花であるの花弁をトレードマークとして採用している。

同時に機体の社名表記は「中華航空公司」から「CHINA AIRLINES」へと変更されたが、「華航」という印影のデザインは残されている。呼出符号として用いられる「ダイナスティDynasty)」は、英語の「王朝」という意味で、機内誌・各種サービスの名称にも使われる。

2003年、54年間凍結されていた中国大陸行き直行便を運航。初めは上海行き春節チャーター便にて、2008年より各地に定期便として就航。

2006年、本社を台北市から桃園空港に隣接するCAL Parkへ移転。台北市のオフィスは台北支店として存続。

2010年9月14日に、航空連合スカイチームへの加盟に調印、2011年9月28日に正式加盟[6][7]。これを記念して、スカイチーム特別塗装を施したボーイング747-400(機体記号:B-18211[8])、エアバスA330-300(B-18311)を運航している。同時に1995年から利用されていたロゴが若干変更された[9]。(2010年にエンジン不調があったボーイング747-400(機体記号Bー18214)は10月に運航再開しスカイチームロゴをつけていたが2012年に完全塗装変更した)

2016年12月1日からは、行政院の決定に基づき、11月22日に解散を決めたトランスアジア航空が運航していた路線のほとんど(金門澎湖線を除く)を引き継くことになった[10][11]

航空券の座席予約システム(CRS)は、アマデウスITグループが運営するアマデウスを利用している[12]

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日本との関係

要約
視点

日本への運航便

機材などは変更となる場合がある。正確な情報は公式サイトを参照。

さらに見る 便名, 路線 ...

コードシェア

日本との歴史

  • 1967年4月1日に、初の日本路線となる羽田-伊丹-台北/松山線を就航。
  • 1972年の日台断交につき、日本路線を運休[13]
  • 1974年4月には、伊丹-台北線運休[14]
  • 1975年10月1日に、東京-台北線、東京経由米国行きの便を再開[13]
  • 2002年、東京での発着空港を、羽田空港から成田空港に移転。(詳細後述)
  • 2006年7月1日、関西-台北/桃園線に就航。大阪就航は32年ぶり[13][14]
  • 2010年1月21日、宮崎-台北/桃園線に就航。
  • 2010年10月31日、羽田-台北/松山線に就航[15]
  • 2011年4月28日、ニューヨーク-大阪-台北/桃園線に就航。
  • 2012年3月25日、鹿児島・静岡-台北/桃園線に就航[16][17]
  • 2012年4月16日、富山-台北/桃園線に就航。
  • 2013年3月21日、高松-台北/桃園線に就航[18]
  • 2013年5月13日より、石垣-台北/桃園線に就航。
  • 2013年5月25日、静岡-嘉義線のチャーター便就航[19]
  • 2013年10月11日、松山(愛媛)-台北/松山線のチャーター便就航[20]
  • 2015年10月26日、福岡-高雄線、熊本-高雄線に就航[21][22]
  • 2025年10月28日、台南-関西線に就航。台南空港からの日本路線は初めて[23]
  • 2017年1月10日より、羽田-台北/松山線に加え、日本航空(JAL)とチャイナエアラインが日台間を結ぶすべての便に於いて、双方でコードシェアを開始[24]。次の段階として、貨物便やマイレージサービス、日台双方の国内線にもコードシェアの拡大を予定している。
  • 2020年3月18日、日本路線を運休。
  • 2022年5月4日、羽田-台北/松山線の定期便運航を再開。使用機材はエアバスA321neo型機[25]
  • 2020年9月、関西、福岡、名古屋-台北/桃園線の運航を再開[26]
  • 2022年8月23日から、新千歳-台北/桃園線を再開[27]
  • 2023年9月18日から、熊本-台北/桃園線に新規就航[28]
  • 2023年1月4日から、広島-台北/桃園線の運航を、週4便で再開。
  • 2024年1月1日から、那覇-高雄線の運航を週3便で再開。
  • 2024年3月30日から、名古屋-台北/桃園線を1日2便に増便。
  • 2024年5月7日から、鹿児島-台北/桃園線の運航を週2便で再開。
  • 2025年4月15日から、福岡-高雄線の運航を開始予定。
  • 2025年5月28日より、石垣-台北/桃園線の定期運航を再開予定。

日本航空との提携

チャイナエアラインは、日本では日本航空と提携している。ただし、日本航空はワンワールド加盟会社であり、チャイナエアラインはスカイチーム加盟会社であるため、アライアンスをまたいだ提携ということになる。これは、スターアライアンスメンバーで、日台間で提携している全日本空輸(ANA)とエバー航空に対抗する目的もある。なお、台湾のスターラックスがワンワールド加盟を予定しており、その際に日本航空との提携に変化が生じる可能性が高い。

2010年10月31日から、羽田-台北/松山線でコードシェアを開始し、2017年1月10日には、旅客と貨物分野における提携をさらに強化し、両社が運航する日本と台湾間の全路線、全便についてコードシェアを実施[29][30]。2018年9月4日より、札幌、福岡、鹿児島発着の地方、離島路線7路線においてコードシェア運航を開始した[31]

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サービス

要約
視点

建築デザイナー陳瑞憲中国語版のもと、2015年より「Next Gen」と題したリブランディングプロジェクトを実施しており、客室の内装、食器、アメニティから制服、小物に至るまで、全デザインとコンセプトの統一を図り、台湾を代表する航空会社として、台湾の生活美における文化創造力を国際舞台にアピールするとしている。近年新コンセプト「Next Gen」によりデザインされたボーイング777-300ER、エアバスA350-900XWBのインテリアや機内食器は、独iFデザイン賞やグッドデザイン賞を獲得している[32]

2018年1月現在、Skytrax社による航空会社レーティングにおいて4ツ星の評価[33]や、米グローバルトラベラーマガジン社の北アジアベストエアラインを5年連続受賞するなど[34]、サービスに関して世界から高い評価を得ている。

機内食

医食同源の元に機内食メニューが考案されており、ビジネスクラスでは、トンポーロー魯肉飯などの中華料理日本料理を選択することも可能な路線があり、ウェブサイトのE-メニューから事前予約を受け付けている。

また、飛行時間が1時間半を超える路線と、台北-香港間では、基本的にホットミールが提供されており、食のタブーに配慮した、精進料理や各種宗教料理、子供向け料理も、事前リクエストが可能となっている。

客室乗務員

台湾-日本間のフライトでは、就航開始時より原則すべての便に日本人乗務員が乗務しており、日本語対応ができる台湾人クルーも多く在籍している。

女性クルーの制服は1962年の制定時より、チャイナドレスをイメージモデルとして採用している。近年はピンクや紫をメインとした制服が人気であったが、2015年8月1日から14代目となる先進的なデザインの新制服へと変更となった。

なお、約120名の日本人クルーが成田ベースとして所属しているが、勤務体系や労働条件は台湾本社所属の乗務員とは大きく異なり、日台路線中心の乗務を行っている。[5][35]

マイレージ

マイレージサービス「ダイナスティ・フライヤー」(華夏哩程酬賓計畫と呼ばれるプログラムが提供されている。スカイチーム加盟各社のほか、マンダリン航空ハワイアン航空と提携している。特典は家族や他人への譲渡[5]が可能である。アメリカン・エキスプレスのポイントを同プログラムのマイルに転換することも可能である。

貨物部門

2014年現在、21機の貨物専用のボーイング747-400F型機が台北―成田、関西―シカゴ等、世界33空港に就航し、毎週91便の貨物便を運航している。 ワイドボディ、長距離路線を多く保有する旅客機の貨物スペースも活用し、台北をハブとしたネットワークで4大陸を結ぶ。日系キャリアを大きく引き離す取扱い国際貨物量129万6千トンを誇り、IATA国際航空カーゴキャリアとして第6位にランキングされている[36]

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就航都市

さらに見る チャイナエアライン 就航都市(2020年1月現在) ...
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機材

要約
視点

チャイナエアラインが発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は09で、航空機の形式名は747SP-09, 747-209B, 747-409, 737-809 などとなる。

運用機材

さらに見る 機材, 保有数 ...

退役機材

※年代順


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事故・トラブル

要約
視点

日本国内で発生した事故

1994年4月26日台北・中正国際空港(現:台湾桃園国際空港)発県営名古屋空港行きの中華航空140便(エアバスA300-600R型機・登録番号B-1816)が、名古屋空港にて着陸復行(ゴーアラウンド)を試みた際に自動操縦の着陸復行モードが解除されずに操縦ミスも重なって失速し、腹打ちになる形で墜落した。折り返しの便の燃料も積んでいた機体は大破し爆発。乗客乗員271人のうち264人が死亡し、生還した7人も重傷を負う大惨事となった。本事故は日本国内では日本航空123便墜落事故に次ぐ規模の事故であり、エアバスA300型機でも3番目の死者数を出す惨事であった。なお中華航空はこの事故を受け、翌1995年に日本での呼称を「チャイナエアライン」へ改めた。

2007年8月20日午前10時35分頃、台北/桃園沖縄/那覇行きのチャイナエアライン120便(ボーイング737-800型機・登録記号B-18616)が那覇空港へ着陸後、41番スポットに到着時に右翼エンジン付近から燃料漏れが発生、爆発炎上した。事故機には乗客157名(日本人23名・幼児2名を含む)、パイロット2名、及び客室乗務員6名(日本人乗務員1名を含む)の計165名が搭乗していたが、幸い死者は出なかった。

安全への取り組みと課題

かつては中華民国軍から転籍したパイロット・整備士が多数在籍し、民間航空機との操作や設計思想の違いから、ヒューマンエラーによる事故が頻発しており、1986年2月16日に起きた澎湖諸島付近での墜落事故以来、数度に渡る死亡事故を起こしていた時期があった。同社が現在までに起こした事故による死者は計749人である[50]

1990年代から2000年代前半までの中華航空・チャイナエアラインには「華航四年大限」と呼ばれるジンクスがあった。それは「チャイナエアラインでは4年ごとに大規模な死亡事故が発生する」というものであり、この頃の安全性における評判は極めて芳しくないものであった。

このジンクスに該当する事故は以下の通りである。

しかしながら、航空機の安全性・信頼性の向上、パイロットの自社養成、外部航空会社から整備部門の責任者を招聘、日本航空を退職したパイロットの雇い入れなど安全性の向上に努めており、2002年のCI611便空中分解事故以降、チャイナエアラインは2024年現在まで20年以上に渡り一切の死亡事故を起こしていない(上述した那覇空港での120便事故でも、乗客乗員全員が脱出に成功し生還している)。

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関連会社

チャイナエアライングループの関係する主な企業は以下の通りである[51]

など

出典

関連項目

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外部リンク

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