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西尾市
愛知県の市 ウィキペディアから
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愛知県中央部を北から南へ流れる矢作川流域の南端にある。抹茶の産地(西尾茶)として、また「三河の小京都」として知られる。人口は愛知県第9位である。
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名称
市名の由来
1564年に御剱八幡宮に奉納した鰐口の銘文には「三川國吉良庄西尾御剱鰐口酒井雅楽助政家寄進」とあり、この銘文がこれまで「西尾」の地名の初出とされていたが、2009年(平成21年)9月に横浜国立大学名誉教授の有光友學が発表した『今川義元書状』(江川文庫所蔵)に「西尾之御事」「西尾城」という記述があり、書状の内容から吉良氏が今川氏に反乱を起こした際のものとみられている。吉良氏の反乱は天文18年(1549年)と弘治元年(1555年)の2度あり、書状の日付は「十月廿三日」で、この時期に反乱の佳境だった弘治元年のものと判断されている。現時点では西尾の地名が歴史に現れる最初の史料になっている。
このほか、『三河物語』には、徳川家康による桶狭間の戦い後の三河統一戦で「西尾の城を得」と記載されている。また、今川氏真判物に「永禄四年酉年、六月十一日、西尾走廻」とある。
なお、かつては同じ愛知県内に類似した名称である尾西市(2005年に一宮市に編入され消滅)があったが、こちらは「尾張地方の西」という意味で、当市の名称との歴史的な繋がりは全く無い。
三河三都とは
西尾商工会議所は「豊橋・岡崎・西尾で、三河三都なり」と主張している。1932年(昭和7年)発行の『西尾町史 第3巻』の序文に、「吉田岡崎と共に参河三市としてその繁栄を誇りたり」という記述が見える。吉田は豊橋市のこと、岡崎は岡崎市のことである。いずれも1932年(昭和7年)以前に市制施行していたが、当時の西尾町は市制施行前であり、参河三市という表現はおかしなものである。また、豊橋出身の夏目重蔵の三河名所図絵(江戸末期)に、三都流行、吉田岡崎西尾は本国鼎の如く、各其繁盛を争う、という記述もあると、西尾町史に紹介されている。
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地理
地形
山地
- 主な山
河川
- 一級河川
- 二級河川
- 北浜川
- 二の沢川
- 朝鮮川
- 矢崎川
- 準用河川
- 堀割川

島嶼
- 有人島
- 無人島
地名
→「西尾市の地名」を参照
人口
2018年12月時点で、西尾市には約1万人の外国人が居住しており、市民全体の約6%に当たる[1]。
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西尾市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 西尾市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 西尾市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
西尾市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
隣接している自治体
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歴史
要約
視点
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古代においては、西尾市中心部(八ツ面山の西側)にあたる地域は幡豆郡熊来郷と呼ばれていた。古墳時代中期に築造された、吉良町にある三河最大級の前方後円墳・正法寺古墳は、対岸の宝塚1号墳(三重県松阪市)と類似した形状をしており、伊勢湾や三河湾の海上交通で覇権を得た豪族によるものと考えられる[4][5][6]。
平安時代に荘園・吉良荘が置かれ、矢作川(現矢作古川)を境に、西条と東条に分けられた。鎌倉時代、13世紀に足利氏宗家第3代足利義氏が、承久の乱の恩賞として額田郡を領有し、鎌倉幕府の三河守護等として東海道矢作東宿(愛知県岡崎市明大寺町)に拠点を構え、地頭を務めた吉良荘の西条城(現西尾城)に庶長子吉良長氏を、東条城にその弟の吉良義継をそれぞれ置き、ここに吉良氏が発祥した。その後、足利氏宗家第四代足利泰氏の七男一色公深が吉良荘一色に分立され一色氏が、吉良長氏二男の今川国氏が今川荘に分立され今川氏が、それぞれ発祥するなど、足利氏支流の分立がなされた。室町時代には、東条・西条の両三河吉良氏は相伴衆とされた。
応仁の乱時や戦国時代、吉良氏は西条吉良氏と東条吉良氏に分かれて対立し、享禄2年(1529年)、岡崎城の松平清康により、東条吉良氏の分家荒川義広の居城・尾島城(小島城)が攻め獲られた。吉良氏はやがて庶流の駿河守護今川義元に隷属するようになる。義元の死後は、岡崎城の徳川家康から攻撃を受けるようになる。永禄4年(1561年)には、東条城の正面にあたる深溝城(額田郡幸田町深溝)を居城とする深溝松平家松平好景が善明堤の戦いで討たれるが、その後家康家臣の酒井正親が西条城を奪い、西尾城と改称した。同年の藤波畷の戦いでは西条吉良氏家老の富永忠元が討たれた。その後東条城の西条吉良氏・吉良義昭は降伏して岡崎に移され、東条城には東条松平家が入った。また義昭の兄吉良義安は、東条吉良氏を継いでいたが、徳川家康と親しく、義昭の逃亡後、家康に許されて東条西条の吉良氏を統一した。
江戸時代には、西尾藩や大多喜藩小牧陣屋等が置かれた。2011年に編入合併した幡豆町や吉良町には、旗本となった吉良家がかつて持っていた知行、八箇村3000石の領地が飛び地の形で点在していた。ただ赤穂事件で義央が討ち取られた後、1703年に吉良家は改易となり、旧吉良領の八箇村は、西尾藩のほか大多喜藩や沼津藩などの飛び地、寺社領、天領といった様々な領主が統治することになり、その後江戸期を通じで吉良氏は統治に関与していない。
産業では、1564年に愛知県内最古の塩田・白浜吉田塩田が作られるなど、古くから製塩が盛んで、良質とされた饗庭塩は矢作川を上り岡崎城下の塩座や、さらには足助街道、三州街道を通り、遠く信州塩尻宿(長野県塩尻市)まで運ばれた。
沿革
- 中世〜江戸期
- 1527年 - 久麻久神社本殿(国の重要文化財)が再建される。
- 1561年 - 酒井正親が西尾城主。
- 1585年 - 徳川家康の命により西尾城が改修される。
- 1601年 - 本多康俊が表高2万石で西尾藩主となる。
- 1605年 - 矢作川の新川掘割工事が完成し、米津側が本流となる。
- 1635年 - 平坂港が三河五港の一つに指定される。
- 1638年 - 藩主の太田資宗により西尾城総構えの工事に着手し、井伊直好が藩主であった1657年に完成する。
- 1707年 - 宝永地震による津波で、寺津、平坂が大きな被害を受ける。
- 1764年 - 松平乗祐(和泉守・大給松平)が入封する。
- 1823年 - 寺津八幡社神職の渡辺政香が、八幡書庫をつくる。
- 明治〜市制施行前
- 1869年3月 - 藩主の松平乗秩が版籍奉還の願書を出し、同年6月19日に許可される。
- 1871年7月14日 - 廃藩置県により西尾藩は西尾県となる。
- 1871年11月15日 - 西尾県は額田県に併合される。
- 1871年12月10日 - 西尾郵便局が設置される。
- 1872年3月 - 西尾城が解体される。
- 1872年11月27日 - 愛知県となる。
- 1876年6月17日 - 平坂村に郵便受取所(現・平坂郵便局)が設置される。
- 1878年 - 西尾城が廃城となる。
- 1879年 - 西尾警察署が設置される。
- 1883年5月24日 - 棉祖神を祀る天竹神社が建てられる。
- 1884年 - 西尾二等電信分局が設置される。
- 1891年10月28日 - 濃尾地震による津波で奥田新田の堤防が決壊し、死者60名が出る。
- 1899年 - 雲母坑での事故により、千年以上続いた八ツ面山での雲母採掘が中止される。
- 1904年12月16日 - 寺津村に郵便受取所(現・西尾寺津郵便局)が設置される。
- 1908年5月6日 - 岩瀬弥助が私立図書館の岩瀬文庫を開館する。
- 1909年3月24日 - 愛知県幡豆郡立農蚕学校(鶴城丘高等学校の前身)が創立される。
- 1910年 - 現在の市域内で電話が開通する。
- 1911年10月30日 - 西尾鉄道(開業時は西三軌道)の西尾〜岡崎新駅が開業する。
- 1914年10月30日 - 西尾鉄道が、西尾〜平坂臨港間(のちの名鉄平坂支線)を開業する。
- 1915年 - 北浜川(北浜悪水路)が完成する。
- 1918年2月22日 - 西尾町立西尾高等女学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
- 1919年4月1日 - 愛知県立蚕糸学校(鶴城丘高等学校の前身)が設立され、翌年3月31日に農蚕学校を併合する。
- 1920年4月16日 - 室場郵便局が設置される。
- 1926年4月1日 - 愛知県立西尾中学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
- 1926年9月1日 - 三河鉄道(現在の名鉄三河線)が大浜港から、中畑・平坂・寺津を経由して神谷まで開業する。
- 1928年10月1日 - 碧海電気鉄道が西尾まで開業する。
- 1932年4月19日 - 上永良神明社の大椎の木が国の天然記念物に指定される。
- 1933年5月21日 - 福地郵便局が設置される。
- 1933年9月21日 - 室戸台風で奥田新田、西奥田新田、南奥田新田の堤防が決壊する。
- 1935年10月1日 - 米津郵便局が設置される。
- 1941年6月1日 - 米野郵便局が設置される。
- 1942年4月1日 - 蚕糸学校を西尾実業学校に改称する。
- 1943年5月16日 - 西尾鶴城郵便局が設置される。
- 1943年12月16日 - 戦争による金属資材(レール)供出のため、名古屋鉄道(名鉄)西尾線(初代)の西尾〜岡崎新駅が休止される。
- 1944年12月7日 - 東南海地震により、現在の市域で死者32名が出る。
- 1945年1月13日 - 三河地震により福地村、三和村を中心に甚大な被害を受ける。死者765名。
- 1948年4月1日 - 学制改革により西尾高等女学校を愛知県立幡豆高等学校に、西尾中学校を愛知県立西尾高等学校に、西尾実業学校を愛知県立西尾実業高等学校に改組する。
- 1948年9月1日 - 西尾中町郵便局が設置される。
- 1948年10月1日 - 愛知県立幡豆高等学校と愛知県立西尾高等学校が合併して愛知県立西尾高等学校となる。
- 市制施行後
- 1955年4月 - 岩瀬文庫が西尾市に移管されて西尾市立図書館岩瀬文庫となる。
- 1958年10月 - 市内の電話が自動化される。
- 1959年9月26日 - 伊勢湾台風により市内が災害激甚地指定を受ける。死者20名、負傷者309名。
- 1960年2月1日 - 市章を制定する[7]。
- 1960年3月27日 - 名鉄平坂支線が廃止される。
- 1962年3月1日 - 西尾永楽町郵便局が設置される。
- 1968年11月 - 市内の7農協(福地農協を除く)が合併し西尾市農業協同組合が発足する。
- 1975年3月 - 憩の農園が開園する。
- 1976年4月5日 - 愛知県立西尾東高等学校が開校する。
- 1988年5月1日 - 西尾簡易裁判所が廃止される。
- 1989年7月2日 - 名鉄西尾駅付近の高架化が完成し、西尾駅と西尾口駅が高架駅となる。
- 1991年4月 - 愛知県議会議員選挙の選挙違反事件で、市議会正副議長ら市議会議員が多数逮捕される。同年9月8日、議会定数の半数を超える17名の補欠選挙を行う。
- 1994年 - 西尾市バラ園が憩の農園に隣接して開園する。
- 1994年11月27日 - 中学生いじめ自殺事件が発生し、日本全国に波紋が広がる。
- 1995年12月26日 - 森下万歳(三河万歳)が国の重要無形民俗文化財に指定される。
- 1999年6月7日 - 岩瀬文庫旧書庫と旧児童館(現・西尾市立図書館おもちゃ館)が国の登録有形文化財に登録される。
- 1999年12月1日 - 西尾市内の一部でケーブルテレビ放送が始まり、「西尾幡豆チャンネル」が開局する。
- 2000年4月1日 - 西尾市および幡豆郡3町の5農協が合併し、西三河農業協同組合(JA西三河)が発足する。
- 2001年4月1日 - 西尾市および幡豆郡3町のごみやし尿処理、水道事業、広域計画の3組織を統合した西尾幡豆広域連合が発足する。
- 2003年4月2日 - 西尾市岩瀬文庫が古書博物館としてリニューアルオープンする。
- 2004年1月16日 - 西尾市・幡豆郡3町任意合併協議会を解散する。
- 2004年4月1日 - 名鉄三河線碧南〜吉良吉田間の廃止に伴い、市内の4駅が廃止される。
- 2004年4月1日 - 愛知県立西尾実業高等学校を総合学科高校に改編し愛知県立鶴城丘高等学校に改称する。
- 2005年4月1日 - 西尾市、一色町、吉良町の6漁協が合併し、西三河漁業協同組合(JF西三河)が発足する。
- 2009年 - 新庁舎完成。
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自治体域の変遷
要約
視点
- 1906年5月1日 - 次のような大合併が行われた。
- 1924年 - 平坂村が町制を施行し平坂町になる。
- 1929年4月1日 - 寺津村が町制を施行し寺津町になる。
- 1932年9月1日 - 室場村が花明、家武、平原の3村を編入する。
- 1952年12月1日 - 西尾町が福地村の一部(小焼野)を編入する。
- 1953年12月15日 - 西尾町と平坂町の一部(田貫、中畑)が合併。市制を施行して西尾市が発足する。
- 1954年8月10日 - 西尾市が幡豆郡平坂町、寺津町、福地村、室場村を編入する。
- 1955年1月1日 - 西尾市が幡豆郡三和村を編入する。
- 1955年4月1日 - 西尾市が碧海郡明治村大字米津および南中根を編入する。
- 1977年4月1日 - 市町村合併の際、合併された旧町村の役場に設置した市役所の支所が廃止される。
- 2003年8月28日 - 西尾市・幡豆郡3町任意合併協議会を設置する。以降の協議では合併方式を巡り紛糾する。
- 2011年4月1日 - 西尾市が幡豆郡一色町、吉良町、幡豆町を編入する。これに伴い、幡豆郡は消滅する。
市域における自治体の変遷
幡豆郡3町の編入合併
周辺自治体との合併は検討されてきたが、長い間実現には至らなかった。2010年8月27日、榊原康正市長が中心となって合併協議を進め、幡豆郡3町(一色町・吉良町および幡豆町)との合併調印式が行われた。翌年の2011年4月1日、各町は当市に編入合併した。
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行政
市長
- 市長:中村健(2017年7月5日就任)
- 歴代市長
市役所
- 市役所出張所
- 寺津出張所(寺津公民館内)
- 広域行政
旧西尾市と旧幡豆郡3町で、ゴミ処理などの広域連合を設置していた。国の消防広域化構想では、人口30万人以上の要件に満たないため、さらに近隣との広域化が必要とされている。西三河の4広域行政圏域の中では、合計人口16万余と最も人口が少ない。国政の選挙区では、岡崎市・幸田町と同一だが、ケーブルテレビではKATCH(碧海五市)に後発加入した。
財政
2019年度(平成31年度)当初予算案[10]
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議会
西尾市議会
→詳細は「西尾市議会」を参照
愛知県議会
- 2019年愛知県議会議員選挙
- 2015年愛知県議会議員選挙
- 2011年愛知県議会議員選挙
- 選挙区:西尾市選挙区(旧西尾市)
- 定数:2人
- 投票日:2011年4月10日
- 当日有権者数:82,763人
- 投票率:54.36%
- 2011年愛知県議会議員選挙
衆議院
- 選挙区:愛知12区(岡崎市、西尾市)
- 任期:2024年10月27日 - 2028年10月26日
- 投票日:2024年10月27日
- 当日有権者数:442,431人(岡崎市309,870人、西尾市132,561人)[13]
- 投票率:58.05%(岡崎市56.45%、西尾市61.8%)
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施設
要約
視点




国家機関
- 厚生労働省
- 愛知労働局西尾公共職業安定所
- 財務省
- 国税庁
- 名古屋国税局西尾税務署
- 法務省
- 名古屋法務局西尾支局
警察
消防
本署(矢曽根町)の他に、西分署(楠村町)と北出張所(米津町)、東出張所(米野町)がある。消防車はポンプ車9台(うち水槽付き3台)、はしご車1台、化学車2台など、救急車は計4台が各署・出張所に配置されている。
- 本部
- 消防署
- 西尾市消防署
- 分署
- 出張所
- 北出張所(西尾市米津町天竺桂36-1)
- 東出張所(西尾市米野町松葉内7-1)
- 消防団
医療
- 主な病院
郵便局
局名の後にある5桁の番号は取扱局番号。
- 西尾郵便局(21006) - 集配局
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図書館
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対外関係
姉妹都市・提携都市
国外
- 姉妹都市
- フレンドシップ相手国
2005年に開催された愛知万博では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われた。名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をそれぞれフレンドシップ相手国として迎え入れた[14]。
国内
- 提携都市
- その他
経済


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第一次産業
- 農業
- 西尾茶 - 碾茶(抹茶の粉に挽く前の原材料)の生産は、日本全国生産量の約20%を占めトップクラスである。西尾の抹茶も参照。
- 花卉園芸 - コチョウランなど洋ランの生産高は日本一を誇り、バラやカーネーションなどの他、観葉植物や植木栽培も盛んである。
- 水産業
第二次産業
- 工業
第三次産業
- 主な商業施設
- アミカ西尾店
- イエローハット西尾店
- ヴェルサウォーク西尾(アピタ西尾店)
- エディオン吉良店
- DCM吉良店・シャオ店
- 業務スーパー一色店
- ケーズデンキ西尾店
- コメリ一色店
- シャオドミーシャオ店
- 中京テレビハウジングプラザ西尾会場
- ドミー一色店・吉良店・寺津店
- にぎわい市場マルス西尾店
- MEGAドン・キホーテUNY吉良店
- ビッグママ(2018年倒産)
- フィールAELU
- ヤマナカ西尾下町店
本社を置く企業
→「Category:西尾市の企業」も参照
- 上場企業
金融
西尾銀行協会に加盟する金融機関は以下の通り(五十音順)。
教育


高等学校
- 愛知県立西尾高等学校
- 愛知県立西尾東高等学校
- 愛知県立鶴城丘高等学校(旧称:西尾実業高等学校)
- 愛知県立一色高等学校
- 愛知県立吉良高等学校
中学校
小学校
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その他各種学校
- 西尾市立佐久島しおさい学校
- 西尾高等家政専門学校(専修学校。学校法人白百合学園が運営)
- 西尾市立看護専門学校
- 西尾市医師会准看護学校
- 愛知県立にしお特別支援学校
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交通
要約
視点
鉄道
- 名古屋鉄道(名鉄)
- 西尾線:(安城市)- 米津駅 - 桜町前駅 - 西尾口駅 - 西尾駅 - 福地駅 - 上横須賀駅 - 吉良吉田駅
- 蒲郡線:吉良吉田駅 - 三河鳥羽駅 - 西幡豆駅 - 東幡豆駅 - こどもの国駅 -(蒲郡市)
- 市の中心となる駅:西尾駅
- かつては西浦駅や蒲郡駅(いずれも蒲郡市)まで優等列車が走っていた。
- 西幡豆駅辺りからこどもの国駅は、名古屋方面から東海旅客鉄道の新快速を利用の上、蒲郡駅で名鉄蒲郡線に乗り換えた方が早く着く事が多くなっている。また三ケ根駅や相見駅までパークアンドライドで向かうことも可能。
- その他東海道新幹線が豊橋駅 - 三河安城駅間で約 1km にわたって当市北部を通過している。
- 知立バイパスの安城西尾ICがある南中根町付近からは、南桜井駅(安城市)が近いほか、和泉工業団地東バス停から南桜井駅、桜井駅、碧海古井駅、安城更生病院(碧海古井駅から西へ約1km)方面へあんくるバスが出ている。
- 隣接市町村への連絡
- 名鉄西尾線(新安城 - 吉良吉田)
- 西尾駅から新安城駅へは昼間帯で毎時4本、そのうち2本は吉良吉田駅から西尾駅を経由して名鉄名古屋駅方面へ直通する急行列車となっている。西尾 - 吉良吉田間は昼間帯には普通列車の運行がないため急行もこの区間では各駅に停車する。
- 名鉄蒲郡線(吉良吉田 - 蒲郡)
路線バス
- 名鉄東部交通バス - 自治体がバス運行補助金を拠出し、名鉄東部交通が運行している。運行頻度は毎時1-2本程度で、設定のない時間帯もあるが、西尾-西尾市民病院は路線の重複があるため、昼間帯の運行頻度はやや多い。
- 一色線:西尾市民病院 - 西尾 - 深池 - 福地 - 憩いの農園口 - 市子 - 一色大宝橋 - 三河一色
- 西尾 - 西尾市民病院(昼間帯と朝夕の一部) - 総合体育館西尾東高校前(朝1本往路のみ)の運行が延長され、三河一色→一色渡船場→一色大宝橋は昼・夕の2本のみ運行。
- 岡崎・西尾線(三和小学校前・高須経由):西尾 - 西尾市民病院 - 総合体育館・西尾東高校前 - 三和小学校前 - 中島 - 高須 - 藤田医大岡崎医療センター - 岡崎駅西口
- 岡崎・西尾線(室場・下青野経由):西尾 - 西尾市役所前 - 高河原 - 室場 - 永良 - 中島 - 下青野 - 藤田医大岡崎医療センター - 岡崎駅西口 - 芦池橋 - 東岡崎
- 朝の一部と最終は岡崎駅西口止まり。
いずれの運行状況も平日のもの。
- ふれんどバス
- 名鉄三河線碧南 - 吉良吉田間の鉄道廃止に伴い、2004年4月1日より運行開始した代替バスで、旧沿線区間の西尾市など2市2町によるふれんどバス運行協議会が、名鉄バス東部に運行を委託している。運行頻度は毎時1-2本で、碧南と吉良吉田で鉄道路線に連絡している。但し名鉄東部交通バス路線とは運賃体系が異なる。西尾市内には西小梛から刈宿まで9つの停留所が設置されている。
- 2005年4月1日に西尾市関係分として、 西小梛、楠村、刈宿の3停留所を増設、寺津大明神を寺津二ッ家と改称し、巨海と共に移設した。
- 碧南駅 - 西小梛 - 平坂郵便局前 - 平坂小南 - 平坂港前 - 楠村 - 寺津二ッ家 - 寺津神社前 - 巨海 - 刈宿 - 一色高校西 - 吉良吉田駅 - 吉良高校
- 六万石くるりんバス(コミュニティバス)
- 一色地区コミュニティバス「いっちゃんバス」
吉良地区や幡豆地区にコミュニティバスは存在しない。
道路

- 国道
- 主要地方道
- 一般県道
- 愛知県道291号米津碧南線
- 愛知県道292号幸田石井線
- 愛知県道294号西尾小川線
- 愛知県道299号南中根小垣江線
- 愛知県道301号西尾新川港線
- 愛知県道303号平坂福清水線
- 愛知県道308号米津平坂線
- 愛知県道309号刈宿住崎線
- 愛知県道310号花蔵寺花ノ木線
- 愛知県道312号荻原巨海線
- 愛知県道313号荻原一色線
- 愛知県道315号下横須賀大島線
- 愛知県道316号富好新田宮崎鳥羽線
- 愛知県道317号西尾幡豆線
- 愛知県道318号宮迫今川線
- 愛知県道319号西尾環状線
- 愛知県道320号幸田幡豆線
- 愛知県道321号東幡豆蒲郡線
- 愛知県道383号蒲郡碧南線
- 愛知県道476号一色港線
- 愛知県道479号熊味岡崎線
- 市内の主な通り名
- その他
海上交通

道の駅
- にしお岡ノ山 - 2009年11月開業。
港湾
名所・旧跡・観光スポット
名所・旧跡
- 主な城郭
- 東条城
- 八面城 - 荒川城(荒川義広)とも呼ばれる。
- 西尾城
- 室城 - 東条吉良氏の宿老と言われた”富永氏”の東条城へ通じる街道筋の防衛拠点として築いた城(現在は城跡として残っている) 別名「牟呂城」とも。
- 岡山陣屋 - 高家吉良氏の陣屋。「吉良陣屋」とも。
- 姫山陣屋 - 岡山陣屋の支城。市指定史跡[17]。
- 主な寺院
→詳細は「西尾市の寺院一覧」を参照
- 金蓮寺 - 金蓮寺は源頼朝が三河守護安達盛長に建てさせた「三河七御堂」の一であるとの伝承があるが、現存する弥陀堂は頼朝の時代よりはやや下った鎌倉時代中期の建立である。阿弥陀堂は国宝に指定されている。
- 華蔵寺 - 吉良家の菩提寺。吉良家代々の墓や、吉良義央寄進の経蔵や自身の木像などがある。
- 花岳寺 - 東条城主・吉良氏の菩提寺として創建された。本堂は1684年(貞享元年)に、吉良義央から姉・光珠院の菩提を弔うために寄付された祠堂金を元に再建されたもので国の登録有形文化財に登録されている。義央遺品の「後柏原天皇宸翰御消息」は国指定重要文化財[18]。
- 実相寺 - 西条城主・吉良氏の菩提寺。
- 勝楽寺 - 1337年(延元四年)に足利尊氏によって創建されたと伝わる。本尊の子安地蔵菩薩は、後白河法皇の御作ともいわれる。
- 長圓寺 - 板倉勝重の菩提寺。
- 養寿寺 - 806年(大同元年)、勤操阿闍梨(ごんそうあじゃり)が建立した堂をその起源とする。1683年(天和3年)建立の鐘楼門を始め、江戸期の建造物が数多くある。3月最終土日に行われる涅槃会は「矢田のおかげん」としてつとに知られる[19]。
- 西福寺 - 鐘楼は愛知県指定有形文化財。
- 専長寺
- 源徳寺 - 清水の次郎長が建てた吉良仁吉の墓所がある。
- 福泉寺 - 尾崎士郎の場所がある。
- 東向寺
- 不退院 - 八面城主・荒川義広とその妻市場姫(徳川家康の異母妹)の菩提寺、鳥居忠吉(鳥居元忠の実父)[注釈 1]の菩提寺。キユーピー創業者中島董一郎本家の菩提寺。
- 宝珠院
- 紅樹院
- 安休寺 - 一色有義が創建。一色氏発祥之地碑がある。
- 主な神社
- 久麻久神社本殿 - 市内に久麻久神社は八ツ面町と熊味町の2か所あるが、国の重要文化財に指定された本殿は八ツ面町にあり、鰐口・棟札2枚・厨子が附[注釈 2]指定を受けている。延喜式式内社で、幡豆郡熊来郷と読みは同じである。
- 上永良神明社の大椎の木 - 樹齢約1000年と推定される樹高8m、根囲20m、胸高囲7mの椎の巨木で、神明社の大シイの名称で国の天然記念物に指定されている。
- 天竹神社 - 1883年(延元四年)に創建された「綿の神様」を祭る国内で唯一の神社で、全国の綿業者らの信仰を集める[20]。799年(延暦18年)に天竺(インド)人だと名乗る綿の種を持った青年が小船で漂着した故事から、青年を棉祖神として祀る。毎年10月の第4日曜日に、漂着の故事にちなんだ船みこしの奉納や、地元の保存会員による綿打ちの儀式が営まれる棉祖祭が開かれる。江戸時代の書物に幡豆郡天竺村が綿栽培の発祥地であると記されていた。
- 瀬門神社
- 寺津八幡社
- 幡頭神社 - 本殿は重要文化財。
- 諏訪神社 - 三河一色諏訪神社とも称される。例祭は8月26日・27日であり、26日には三河一色大提灯まつりと呼ばれる大提灯を献灯する祭りが催される。
- 主な史跡
観光スポット
- 西尾市岩瀬文庫 - 実業家の岩瀬弥助が1908年に私設図書館として創設した。のちに西尾市に移管されて公立図書館として使用され、2003年に博物館となった。幅広い分野の書籍が約8万冊収蔵されている。旧書庫と旧児童館(現・西尾市立図書館おもちゃ館)は国の登録有形文化財に登録されている。また収蔵品の後奈良天皇宸翰般若心経(ごならてんのうしんかんはんにゃしんぎょう)は国の重要文化財に指定されている。
- 西尾市憩いの農園西尾市バラ園 - 西尾市憩いの農園は植木・観葉植物・盆栽などや、園芸資材を産地直売方式で展示即売する大規模な緑化木ショッピングセンターで、他にも農・海産物など地域の特産品も扱う。また西尾市バラ園は、憩いの農園の西に併設され200種以上のバラが楽しめる。
- 三河工芸ガラス美術館 - ガラス工芸を扱った私設美術館で、2002年版の『ギネス世界記録』に掲載された巨大万華鏡があり、体験工房ではステンドグラスや万華鏡などのガラス工芸が体験できる。
- 愛知こどもの国 - 1974年開園の児童遊園地。園内のゆうひが丘を走るミニSLのこども汽車は、軌間が762mmのナローゲージとも呼ばれ、2編成とも開園に際して、福島県にある協三工業で新しく造られたものである。これがきっかけとなり、全国の遊園地やテーマパークに向けて、ミニSLが数多く新造されることになった。
- 吉良温泉 - 沿岸一体は三河湾国定公園に含まれる風光明媚な地にある。宮崎海水浴場(吉良ワイキキビーチ)が近くにあり中京圏のリゾート地としても知られる。沖には梶島が位置している。
- 尾崎士郎記念館 - 吉良町出身である尾崎士郎の記念館。ゆかりの品々を展示。
- 平原の滝
- 佐久島
- 一色さかな広場
- 抹茶ミュージアム 和く和く
- 尚古荘
文化


主な祭事
- 西尾祇園祭(西尾まつり)
- 7月中旬の週末を含む3日間にわたり開催され、様々な行列が市中を練り歩く等のイベントが開催される。かつては伊文神社単独での「祇園祭」が催行されていたが、のちに同祭にあわせて神輿を出すスタイルとなった[21]。1980年代中ごろには「西尾祭り音頭(歌:小山茉美)」のEPレコードが市役所等で販売されている。
- 西尾町史[22]によると、1820年(文政3年)の年中行事記に「6月15日 祭礼」「6月16日 神輿還御」との記載があるとしている。
- てんてこ祭り
- 毎年1月3日に熱池(にいけ)町八幡社で行われる豊作祈願の神事。赤装束の厄男が太鼓の拍子に合わせて、腰に結んだ男根をかたどる大根を振る。県の無形民俗文化財に指定されている。
- 貝吹のかぎ万燈
- 毎年8月14日に貝吹町の万燈山で行われる旧盆の行事[23]。万燈山の斜面に108基の草木を積んだ「すずみ」と呼ばれる松明を焚き、鉤(かぎ)状に炎を映し出す[23]。鍵万燈とも表記。市の無形民俗文化財に指定されている[23]。
- 西尾・米津の川まつり
- 米津町の米津橋下流で矢作川に灯籠を流し、戦没者や三河地震で犠牲になった人らの霊を弔う[23]。花火も行われる[23]。
- 森下万歳(三河万歳・御殿万歳)
- 太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)の二人が一組になり、祝言を謡いながら舞ったり言葉の掛け合いをする伝統芸能(万歳)で、西尾のものは発祥地の名から森下万歳と呼ぶ。一般に三河万歳とも呼ばれる。森下万歳の発祥は鎌倉時代と言われ、江戸時代には幕府から優遇されて元旦の江戸城の開門の儀式も勤めた。新年を祝う芸能でもあったが、他の地域に伝承する万歳と違って門付けではなく、大名などの屋敷内の座敷で披露されたことから御殿万歳(演目や種類を御殿万歳と呼ぶ地域もあるが、西尾の場合は万歳形態そのものを指す)とも呼ばれる。
- 安城市、西尾市、幸田町の3地域による三河万歳連合保存会によって保護されている。1995年12月26日、国の重要無形民俗文化財に指定された。
- 鳥羽の火祭り
- 毎年2月第2日曜日に鳥羽神明社で行われる火祭り。竹やカヤで作った「すずみ」と呼ばれる、高さ5メートルの2本の松明を燃やし、中心にある「神木」と「十二縄」を取り出す速さを競う。すずみの燃え方で1年の天候や豊凶を占う[24]。2004年2月6日、国の重要無形民俗文化財に指定された。
- 三河一色大提灯まつり
- 毎年8月26日・27日に三河一色諏訪神社で行われる祭礼。大提灯を吊るすことで知られ、提灯の大きさは小さいものでも長さ約5.91m、直径約3.64m。大きいものになると長さ約10m、直径約5.60mにもなる[25]。
- 茶祖奉告祭
- 上町の紅樹院で明治時代に京都から種を取り寄せて茶園を開いた「茶祖・足立順道師」の位牌の前に抹茶と煎茶をいれてささげた後に読経する献茶式などを行い、特産の茶の出来栄えを先人に報告する[26]。
民俗芸能
- 棒の手
- 農民が自衛のため棒を使う武術として江戸時代に始まったといわれ、愛知県内の各地に伝わる。田貫町の鎌田流は古式を大切に受けついでおり、六尺棒の棒さばきが毎年10月の第3日曜日に披露される。県の無形民俗文化財に指定されている。
郷土食
- 三河一色えびせんべい
- 大量に捕れるアカエビ、サルエビ、モギエビ(この地方では三種を総称してアカシャエビと呼ぶ)などの季節のエビと、バレイショでんぷんに塩や砂糖などの調味料を加えて混ぜ合わせ、熱した鉄板に並べて上下から挟み込んで焼き上げる煎餅の一種[27]。旧一色町中心に最盛期の昭和40年代は100社以上の業者が生産していた[27]。
- 饗庭塩
スポーツチーム
- バレーボール
出身著名人
歴史上の人物
政財界
学界・教育界
芸能
スポーツ選手
その他・文化人
その他
脚注
外部リンク
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