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この項目では、愛知県の企業について説明しています。その他の用法については「山中」をご覧ください。 |
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株式会社ヤマナカは、愛知県名古屋市中村区に本社を置く企業。同県を地盤として岐阜県・三重県にスーパーマーケットを展開する。名古屋証券取引所メイン市場単独上場銘柄である。
生鮮食料品に強みを持ち、名古屋市を中心とする地域にドミナント出店する地域密着型の展開をしている[3]。
初期の出店は名古屋市を中心とする愛知県西部の尾張地区への出店が主体であったが[4]、1976年(昭和51年)4月19日に[5]「S.C.アイリス」に出店して三重県に進出し[6]、1979年(昭和54年)5月21日に豊橋市に本拠を置くマルイと合併して[7]東三河と静岡県西部へも進出したほか[8]、2001年(平成13年)11月9日に岐阜フランテ館を開店し[9]、隣接する岐阜県にも進出した[広報 3]。
不採算店舗を閉店させる一方、高級スーパー「フランテ」を設立し随時出店するなど、引き続き地域密着型の経営を行っている。
愛知郡鳴海町(現・名古屋市緑区鳴海町)出身の中野富七が[6]、奉公先「カネ平」から独立して1922年(大正11年)2月7日に名古屋市中区正木町で「カネ平支店・中野商店」として食品店を開いたのが始まりである[8]。
この創業当初から卸売市場での買参権を持っていたことを活かして卸値で小売りを行っていたとされる[10]。
順調に業容を拡大したことから、1926年(大正15年)に「山中・中野商店」へ屋号を変更して名実ともに独立した[8]。
1935年(昭和10年)2月20日に名古屋市中区正木町233番地で資本金1万1000円で「合資会社 山中中野商店」を設立して法人化したが[11]、1936年(昭和11年)8月20日に解散した[12]。
昭和10年代には、鱒のみりん漬け加工を開始したが、戦時体制下で材料の入手が困難となったことから、この食品加工事業は大きく発展せずに終えることになった[10]。
1941年(昭和16年)には横堀町に初の支店を開設した[13]。
第2次世界大戦中は食料品の小売り事業がほとんど行えなくなったことから、配給業務に携わることになった[14]。
戦後は配給の傍ら、骨董品などの販売も行った[15]。
1947年(昭和22年)に乾物や果物などの食料品の販売を再開し、1948年(昭和23年)に野菜の販売も再開した[16]。
1951年(昭和26年)3月に合資会社ヤマナカ商店を設立して改めて法人化し[17]、1952年(昭和27年)7月10日に[13]売場面積132m2の名古屋市で初の総合食料品店を開業した[18]。
この総合食料品店化に際して、当時の地元で当時高いブランド力を持ち、テリトリー制をとっていた敷島製パンの特約店となり、販売品目に加えることに成功した[19]。
1955年(昭和30年)に精肉部門を開設し[20]、1957年(昭和32年)7月1日に[13]資本金200万円で株式会社ヤマナカに改組し[14]、同年にセルフセクション方式を導入した店舗へと改装した[21]。
また、同年9月に[22]御座候の指導を受けて今川焼きの「東海道」の販売を開始した[20]。
1960年(昭和35年)12月3日に「ヤマナカフードセンター」としてセルフサービス方式を導入して名古屋市内初のスーパーマーケットを開業した[21]。
1962年(昭和37年)3月24日に2号店の庄内店を開設して[21]スーパーマーケットのチェーン展開を開始し[23]、1963年(昭和38年)4月25日に春日井市鳥居松に春日井店を開設して名古屋市外へ初めて出店した[24]。
1965年(昭和40年)2月1日に[25][26]岡田屋(後のジャスコ)共にたつきビルの地下に開店し[27]、ショッピングセンターへ初めて出店した[28]。
1968年(昭和43年)10月10日に[25]ヤマナカが初めてデベロッパーとなったネイバーショッピングセンターとして(初代)小幡店を開設した[29]。
その後、デベロッパーとなったショッピングセンターの出店を進めていった[28]。
岡崎市のたつきビルに招聘されて出店する際に岡田屋(後のジャスコ)と一緒になり[27]、1969年(昭和44年)8月7日にジャスコと業務提携をし[30]、店舗開発や仕入れなど幅広い業務を共同で行うこととなった[31]。
1970年(昭和45年)6月6日に「一号館」・「かぎや商店」・「川口屋スーパーチェーン」・「サワムラヤ」・「マルイ」と共に「中部スーパーマーケット本部(メザック)」を設立し[32]、当社内に本部を置いて食料品の共同仕入・出店調整・人材育成などを行うスーパーマーケットグループを結成した[33]。
さらに、同年10月26日「中部スーパーマーケット本部(メザック)」と「首都圏スーパーマーケット連邦」・「ユニオン」・「八百半デパート」・「ベニマル」共に「日本スーパーマーケット連合」として当時の日本で最大のスーパーマーケットグループを結成した[34]。
1971年(昭和46年)10月に西尾市の「サンエー」を吸収合併した[35]。
1973年(昭和48年)2月12日に名古屋市千種区内山町3-9の千種ステーションビルに本部を移転した[36]。
1974年(昭和49年)8月に自由が丘店で夜間営業を開始した[37]。
1979年(昭和54年)8月にジャスコとの業務提携を解消した[38]。
1979年(昭和54年)5月21日に東三河と静岡県西部に13店舗を展開していた[8]豊橋市の「マルイ」と合併した[7]。
1989年(平成元年)にいせや(後のカインズ)と業務提携をし[39]、カインズのフランチャイズ第1号となり[40]、1991年(平成3年)5月に「カインズホーム」1号店の[41]春日井西店を開店した[42]。
また、1991年(平成3年)4月12日に[43]大型食品スーパーに衣料品売り場や専門店などを併設したアップスケール型の新型ネイバーフッドショッピングセンター「アルテ」1号店として「アルテ岡崎北店」を開店した[44]。
1997年(平成9年)11月21日に「フランテ」1号店として「八事フランテ」を開店した[45]。
リーマンショックによる経済状況の変化に対応するため、チラシを廃止して従来より約20%安くする常時低価格(EDLP)を実現するディスカウント店の1号店として「ザ・チャレンジハウス太平通店」を2009年(平成21年)7月4日に開業した[46]。しかし2021年に同業態から撤退することを発表した[47]。
2010年(平成22年)11月には新ポイントカードのグラッチェカードを導入し、2011年(平成23年)2月には名古屋市港区のしおなぎ生鮮加工センターを稼動させるなど、顧客の囲い込みや経費節減を見据えた戦略も並行して進めている[48]。
八事フランテ(名古屋市天白区)
ヤマナカつるまい店(名古屋市中区)
ヤマナカ
300坪から450坪の売り場面積を持つ食品スーパー[55]。
アルテ
食料品売場の他、衣料品売場や専門店を併設する大型のスーパー(GMS)[56]。
フランテ館
ヤマナカとフランテの中間的存在の食品スーパー[55]。高質・こだわり商品も多く取り揃える[56]。
なお、「フランテ」と「フランテ館」は品揃えが多少異なる。[要出典]
フランテ
フランテ(Frante)は、上質商品を揃えた[57]高級食品スーパー[58]。標準の売り場面積は450坪である[59]。語源はフランス語のFrais(最新の・新鮮な)とEnchante(はじめまして)を合わせた造語で[広報 13]、新しい出会いと新しい発見という意味を込めている[60]。
フランテ ロゼ
フランテ ロゼ(Frante rosée)は、通常のフランテよりランクを高くした新業態で、[要出典]コンセプトは「潤いとおいしさを提供するお店」。1号店は覚王山で[61]、現在は他に八事、白壁もあり、合計3店舗を置いている[広報 14]。大型、中型などの区別はない。なお、「ロゼ」とはフランス語で「水滴」を表す「rosée」のことである[注釈 1][広報 13]。
過去の店舗ブランド
ザ・チャレンジハウス
チラシを廃止して従来より約20%安くする常時低価格(EDLP)を実現するディスカウント型の店舗[46]。
2021年7月に撤退の方針が示され[47]、最後まで残った江南店[47]が2021年8月29日に閉店となったため消滅した。
食育
2005年(平成17年)からファイブ・ア・デイ協会に加盟し[62]、栄養士による栄養相談や食事バランスガイドなどの食育活動を行っている[63]。
おかえりやさい
環境保護の一環として名古屋市内の店舗や施設から出る生ごみを堆肥化し、それを用いて栽培した野菜のブランドで2009年(平成21年)から名古屋市内の一部の店舗で発売している[64]。
日本チェーンストア協会
中野富彦が中部支部長や食品衛生委員長、常務理事を歴任した後副会長兼組織委員長のまま死去した[65]。
オール日本スーパーマーケット協会
加盟企業の中ではサミットや関西スーパーマーケット、とりせんと並ぶ売上高上位であるため、同協会では無投票で役員を務めることになっている[66][67]。
前社長の中野富彦の長男中野義久が[69]、先代社長の急死後に社長に就任[70]。
同時に会長に就任した小出長徳は[70]、1961年(昭和36年)1月に中野家の長女との婚姻とともに入社した創業家の一員である[71]。
2010年(平成22年)3月21日付で代表取締役会長を退任し、取締役相談役になった[72]。
- ヤマナカ本部(名古屋市中村区)
- 大府東海物流センター(東海市)
- しおなぎ生鮮加工センター(名古屋市港区) - 精肉や鮮魚の加工を行なう[48]。
- ヤマナカ冷凍物流センター(名古屋市港区)
総店舗数61店[注釈 2][広報 15]のうち、大半の57店を愛知県内に出店している。なお、岐阜県には2店舗、三重県には1店舗出店している[注釈 3][注釈 4]。
かつて存在していた店舗
愛知県
名古屋市
中区
- 売場面積14m2[73]
- 食料品店として開業した当社の創業店舗[73]。
- (2代目)正木店(中区正木町1-74[74]、1960年(昭和35年)7月10日開店[13])
- 売場面積132m2[18] → 260m2[74]
- 名古屋市内初の総合食料品店として開業し[13]、1960年(昭和35年)12月3日にセルフサービス式を導入して名古屋市内初のスーパーマーケットとなった[21]。
- 製餡事業の売店[73]。
北区
- 売場面積660m2[82]
- 平安店(2002年(平成14年)10月19日開店[83]) - 2011年(平成23年)4月23日にザ・チャレンジハウス平安へ業態転換[84]。
守山区
- 売場面積594m2[82]
- (初代)小幡店(守山区大字小幡東島前34[25]、1968年(昭和43年)10月10日開店[25])
- 売場面積825m2[25]
- ヤマナカ初のネイバーショッピングセンターとして開設した[29]。
- 跡地に元町珈琲守山小幡の離れ、カーブス名鉄小幡駅前、とろろ屋小幡店がオープンした。[要出典]
- 四軒家店(守山区白山1-101[86]、1977年(昭和52年)9月開店[87] - 2015年(平成27年)5月10日閉店)
- 売場面積1,551m2[86]
- 2015年(平成27年)11月14日に四軒家フランテへ業態変更しオープン[広報 17]。
千種区
- 売場面積759m2[82]現在は富士見台フランテ
- 千代ヶ丘店(1980年(昭和55年)3月20日開店[88])
- 「猪子石土地区画整理組合」の造成地の一角に、名古屋コミュタスが開発した3階建てのショッピングセンターの核店舗として1階部分に出店[89]。
- 現在はアオキスーパー[要出典]
名東区
- 敷地面積約7,990m2[91]、ショッピングセンター売場面積3,660m2[91]、駐車台数約150台[91]。
- ボーリング場を改装した「猪子石ショッピングセンター」にあかのれんと共に核店舗として出店していた[91]。
- 1987年(昭和62年)11月25日に「アスティ開発」がデベロッパーとなった「猪子石ライフタウン アスティ」(千種区京命1-1-32)にあかのれんアスティ店(約2,960m2)と共に核店舗としてヤマナカアスティ店(約2,060m2)を出店した[92]。
昭和区
- 売場面積528m2[25]
- 現在はマンションに建て替えられた[要出典]
緑区
- 売場面積1,848m2[99]
- 当社が開発したショッピングセンターにジャスコが出店[101]。
- (現在は宝マンション)[要出典]
- 売場面積1,911m2[103]
- 上新電機なども出店する近隣郊外型ショッピングセンター(敷地面積18,545m2、延床面積9,160m2、売場面積7,886m2)として開設した[103]。
- 白土フランテ館へ業態転換。
中川区
- 当社初の支店として開設した[13]。
- アルテ太平通(中川区八家町3-28[104]、1998年(平成10年)4月15日開店[105] - 2009年(平成21年)6月30日閉店)
- ホームセンター「コアラ太平通店」を併設[105]、2009年(平成21年)7月4日にザ・チャレンジハウス太平通へ業態転換[46]。
- 2021年(平成23年)7月16日にグラッチェタウンの核店舗としてヤマナカ太平通店として新装開店[106]。
- 売場面積1,297m2[107]
- 現在はゲンキー富船店[要出典]
- 売場面積710m2[96]
- 初代店舗が道路拡幅に伴って閉店したため、全面的に建て替えられて開設された[108]。
- アルテ新中島(1991年(平成3年)11月29日開店[109])
- 敷地面積約8,135m2[109]、延べ床面積約16,305m2[109]、駐車台数約700台[109]。
- 2006年(平成18年)9月23日に「新中島フランテ館」へ業態転換[110]。
- 2022年(平成24年)3月4日にヤマナカ新中島店として新装開店[111]。
尾張地区
春日井市
- 売場面積528m2[25]
- 当社のスーパーマーケット3号店で[78]、名古屋市外進出1号店として出店した[24]。
- 売場面積420m2[74]
- 当社のスーパーマーケット4号店として開店した[78]。
- 建替えて[広報 20]、2007年(平成19年)10月5日に勝川フランテとして開業した[115]。
- 売場面積2,000m2[116]。
- 跡地にビー・アンド・ディー宮町店、オンセブンデイズ如意申店がオープンした。[要出典]
- ヤマナカホームセンター春日井西店(1991年(平成3年)5月開店[42] - 2003年(平成15年)10月閉店)
- 売場面積1,200m2[117]。
- 跡地に平和堂春日井宮町店がオープンした。[要出典]
- 売場面積1,469m2[118]。
- (2代目)味美店(2000年(平成12年)11月23日開店[119] - 2010年(平成22年)10月25日閉店)
- 2010年(平成22年)10月30日にザ・チャレンジハウス味美へ業態転換したが[120]、2016年(平成28年)5月にザ・チャレンジハウスから再び標準業態店舗のヤマナカ味美店に業態転換した[広報 22]。
- 売場面積948m2[87]。
- アオヤマとの共同出店[98]
瀬戸市・尾張旭市
- 売場面積792m2[99]
- ジャスコ瀬戸店の食品売り場として出店[101]。※ 現存するイオン瀬戸みずの店とは異なる[要出典]
- 共栄店(1978年(昭和53年)11月開店[87] - 2010年(平成22年)9月14日閉店[要出典])
- 売場面積1,080m2[87]
- 2010年(平成22年)9月18日にザ・チャレンジハウス共栄へ業態転換したが[122]、2016年(平成28年)10月にザ・チャレンジハウスから再び標準業態店舗のヤマナカ共栄店に業態転換した[広報 22]。
- 売場面積1,072m2[26]
- ヤマナカ三郷ショッピングセンターとして開業[100]、2010年(平成22年)10月9日にザ・チャレンジハウス三郷へ業態転換したが[122]、2016年(平成28年)10月にザ・チャレンジハウスから再び標準業態店舗のヤマナカ三郷店に業態転換した[広報 22]。2022年12月31日閉店。現在はカネスエ中井田店。[要出典]
尾張北部地区
- 一宮フランテ館へ業態転換[要出典]
- 江南店(1995年(平成7年)10月6日開店[129] - 2021年8月29日閉店)
- 2010年3月9日にヤマナカとしての営業を終了し、2010年3月13日にザ・チャレンジハウスに業態転換したものの、2021年8月29日に閉店した。跡地には2022年2月24日にカネスエ江南西店が開店した。[要出典]
知多地区
- 売場面積1,485m2[96]。
- 跡地に1992年(平成4年)10月23日にアルテ東海が開店した[130]。
- 新舞子店(1985年(昭和60年)11月開店[131])
- 跡地に1994年(平成6年)9月9日にアルテ新舞子が開店した[131]。
- 売場面積1,491m2[95]。
旧愛知郡
- 日進フランテ館(愛知郡日進町栄1-201[132]、1992年(平成4年)4月24日開店[133] - 2015年(平成27年)2月1日閉店)
- 敷地面積約8,614m2[133]、延べ床面積約10,472m2[133]、駐車台数約400台[133]。
- 1階が食品売り場で、2階が衣料品売り場、3階にクリニックや文化教室が入居して開業した[133]。
- 跡地にフィール日進店がオープンした。[要出典]
- ヤマナカホームセンター日進店(1992年(平成4年)4月24日開店[133][134] - 2000年閉店)
- アルテ日進店に併設のカインズホーム日進店として開業[135]。
- 現在は、コパンアトレ日進。[要出典]
西三河地区
西尾市
- 売場面積約1,600m2[99]
- 敷地面積約6,929m2[141][140]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋2階[140]、延べ床面積約21,664m2[141] → 約22,275m2[140]、店舗面積約10,790m2[141](当社店舗面積約3,300m2[141]) → 店舗面積約11,460m2[140](当社売場面積約1,499m2[140])、駐車台数約550台[141] → 約1,300台[140]。
- ユニー(約7,490m2[141] → 約6,090m2[140])と共に核店舗として出店していた[141][140]。
- 地元主導型ショッピングセンター「ファミリータウン・ミカ」に出店[142]。
- 跡地を建て替えて2014年(平成26年)3月21日にヴェルサウォーク西尾がオープンした[143]。
- ヤマナカは、近隣に2014年(平成26年)6月14日に西尾寄住店を開店している[144]。
東三河地区
豊橋市
- 売場面積413m2[148]
- 旧マルイ南栄店[149]。
- 売場面積521m2[148]
- 旧マルイ東田店
- 敷地面積約3,948m2[151]、鉄骨造地上2階建て塔屋1階[151]、延べ床面積約4,650m2[151]、店舗面積約2,788m2[151](当社店舗面積約1,428m2[151])、駐車台数約400台[151]。
- エビスヤ(約1,360m2)と共に核店舗として出店していた[151]。
- 大清水店(豊橋市大清水町字大清水138[153]、1977年(昭和52年)12月15日開店[153] - 2000年(平成12年)10月閉店)
- 敷地面積約5,898m2[153]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[153]、延べ床面積約1,780m2[153]、店舗面積約4,682m2[153](当社売場面積約659m2[153])、駐車台数約200台[153]。
- 敷地面積約12,144m2[154]、鉄骨造1階一部2階建て[154]、延べ床面積2,803m2[154][152]、店舗面積約1,997m2[154]当社店舗面積約938m2[154])、駐車台数約100台[154]。
- 旧マルイマルヨ店[149]。
- 跡地には、2001年(平成13年)11月2日に豊橋フランテ館が開店した[9]。
- 駐車台数約75台[155]。
- 現在はビデオインアメリカ殿田橋店。[要出典]
- 売場面積588m2[158]
- 売場面積498m2[159]。
- 現在はセリア小池店。[要出典]
- 売場面積438m2[87]。
- 売場面積2,886m2[163]
- 2005年(平成17年)10月に二川フランテ館へ業態転換[広報 19]。
田原市
- 敷地面積約2,394m2[165]、鉄骨造地上3階建て塔屋1階[165]、延べ床面積約5,271m2[165]、売場面積約4,359m2[165](当社売場面積約1,157m2[165])、駐車台数約190台[165]。
- 白木屋がデベロッパーとなった「ショッピングプラザ シロキヤ」にオーバヤシ(約2,035m2)と共に核店舗として出店し[165]、1階フロアの約半分を占めていた[167]。
- 旧マルイ田原店[149]、近隣に1995年(平成7年)4月1日に(2代目)田原店が開店した[166]。
静岡県
- 敷地面積約2,454m2[170]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[170]、延べ床面積約11,609m2[170]、店舗面積約8,262.8m2[170](当社店舗面積353m2[87])。
- ニチイ浜松ショッピングデパートの地下1階に食品スーパーを出店していた[171]。
三重県
鈴鹿市
- 敷地面積約33,550m2[180]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[180]、延べ床面積約22,092m2[180]、売場面積約11,888m2[180](当社売場面積約1,487m2[180])、駐車台数約1,600台[180]。
- 「S.C.アイリス」がデベロッパーとなった「S.C.アイリス」に[180]、開業時点では衣料品のニチイ[5](約4,270m2[180])や家具のタカラヤなどとの共同出店で当社が食品を担当していた[5]と共に核店舗として出店していた。
- 出店していた「S.C.アイリス」は、1996年(平成8年)3月22日に増床し、「売場面積5,576m2、駐車台数1,155台」となった[181]。
- 出店していたショッピングセンターの閉館に伴い、閉店した。[要出典]
- 敷地面積約8,199m2[182]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[182]、延べ床面積約5,576m2[182]、売場面積約5,154m2[182](当社売場面積約3,028m2[182])、駐車台数約505台[182]。
- ショッピングセンター「スズカエース」(鈴鹿エース)にあかのれん(約2,126m2)と出店していた[182]。
- 閉店後はオークワの「プライスカット」が入ったもののこちらも閉店した。[要出典]その後ぎゅーとらが開店したものの、ぎゅーとらも2020年(令和2年)2月18日をもって閉店[183]。同年夏に施設全体が閉鎖され、10月から解体が始まった[184]。
- 白子店(鈴鹿市、1978年(昭和53年)12月開店[87] - 閉店時期不明)
- 売場面積897m2[87]
- 磯山店(鈴鹿市磯山町、開店時期不明 - 2020年(令和2年)2月18日閉店[185])
- 1993年(平成5年)10月15日に増床し、当社初のオープンモール型ショッピングセンターの「アルテ磯山」として新装開店し[186]、2011年(平成23年)9月にザ・チャレンジハウスへ業態転換した[広報 27]。閉店後、跡地はバローグループが運営するホームセンターの「プロサイト鈴鹿磯山店」になった[187]。
津市
- ホームセンター部分のみの閉店で、スーパーマーケットは当社が営業を継続している。
- 跡地にはDCMカーマ(現:DCM)津新町店が入居。[要出典]
連結子会社
- プレミアムサポート株式会社 - スポーツクラブの運営およびメンテナンス事業
- 株式会社アイビー - 生花販売
- サンデイリー株式会社 - 食料品製造
持分法適用関連会社
- アスティ開発株式会社 - 不動産管理
- 新安城商業開発株式会社 - 不動産管理
過去の関連会社
- アスティスポーツ株式会社 - スポーツクラブ運営
- 株式会社健康デリカ - デリカ事業とファーストフード店運営
- ヤマナカ商事株式会社 - 保険代理業
出典
広報資料・プレスリリースなど一次資料
『第67期第2四半期 四半期報告書』 ヤマナカ、2023年10月24日。pp6
『第66期 有価証券報告書』 ヤマナカ、2023年6月15日。pp4
『第66期 有価証券報告書』 ヤマナカ、2023年6月15日。pp7
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“会社概要 | 株式会社ヤマナカ”. 株式会社ヤマナカ | 生活全般を豊かにするライフクオリティの創造を常に追求 (2022年4月3日). 2023年10月16日閲覧。
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