西都市
宮崎県の市 ウィキペディアから
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西都市(さいとし)は、宮崎県の県央地域に位置する市。日本最大級の古墳群である国の特別史跡・西都原古墳群や、日向国主伊東氏の居城都於郡城で知られる。
さいとし 西都市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 宮崎県 | ||||
市町村コード | 45208-4 | ||||
法人番号 | 4000020452084 | ||||
面積 |
438.79km2 | ||||
総人口 |
27,087人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 61.7人/km2 | ||||
隣接自治体 | 宮崎市、児湯郡高鍋町、木城町、新富町、西米良村、東臼杵郡美郷町、椎葉村、東諸県郡国富町 | ||||
市の木 | ヤマモモ | ||||
市の花 | ミツバツツジ | ||||
市の鳥 | ウグイス | ||||
西都市役所 | |||||
市長 | 橋田和実 | ||||
所在地 |
〒881-0015 宮崎県西都市聖陵町二丁目1番地 2021年7月以降の市庁舎(2023年8月撮影) 北緯32度06分31秒 東経131度24分05秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
宮崎県で6番目の面積を持つ市であり、市域の7割が山岳地帯である。
市を北西から南東に向かって、一ツ瀬川が貫流している。上流部では無数の小川が渓谷を刻み、それらの流れが集まって、九州最大の貯水量を誇る一ツ瀬ダム(米良湖)となっている。下流は宮崎平野が広がり、園芸農業、畜産業が盛んであるほか、西岸の洪積層台地には西都原古墳群が広がる。
中心市街地は都萬(つま)神社の南方に広がる妻(つま)地区。
西都(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 25.1 (77.2) |
25.1 (77.2) |
27.5 (81.5) |
31.4 (88.5) |
34.0 (93.2) |
35.2 (95.4) |
38.4 (101.1) |
38.2 (100.8) |
36.4 (97.5) |
32.0 (89.6) |
29.4 (84.9) |
24.6 (76.3) |
38.4 (101.1) |
平均最高気温 °C (°F) | 13.2 (55.8) |
14.2 (57.6) |
17.0 (62.6) |
21.3 (70.3) |
24.9 (76.8) |
27.0 (80.6) |
31.5 (88.7) |
32.3 (90.1) |
29.3 (84.7) |
25.0 (77) |
20.1 (68.2) |
15.1 (59.2) |
22.6 (72.7) |
日平均気温 °C (°F) | 6.8 (44.2) |
8.3 (46.9) |
11.6 (52.9) |
16.0 (60.8) |
19.9 (67.8) |
22.8 (73) |
26.8 (80.2) |
27.4 (81.3) |
24.5 (76.1) |
19.5 (67.1) |
14.0 (57.2) |
8.7 (47.7) |
17.2 (63) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.1 (34) |
2.6 (36.7) |
6.3 (43.3) |
10.7 (51.3) |
15.1 (59.2) |
19.2 (66.6) |
23.0 (73.4) |
23.6 (74.5) |
20.7 (69.3) |
14.7 (58.5) |
8.7 (47.7) |
3.0 (37.4) |
12.4 (54.3) |
最低気温記録 °C (°F) | −7.1 (19.2) |
−7.7 (18.1) |
−4.0 (24.8) |
0.5 (32.9) |
6.5 (43.7) |
11.5 (52.7) |
14.9 (58.8) |
16.5 (61.7) |
10.2 (50.4) |
3.2 (37.8) |
−2.3 (27.9) |
−5.9 (21.4) |
−7.7 (18.1) |
降水量 mm (inch) | 70.3 (2.768) |
96.1 (3.783) |
166.3 (6.547) |
202.4 (7.969) |
237.0 (9.331) |
507.1 (19.965) |
340.4 (13.402) |
272.8 (10.74) |
321.5 (12.657) |
166.0 (6.535) |
99.4 (3.913) |
68.1 (2.681) |
2,547.3 (100.287) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 6.0 | 7.1 | 10.7 | 10.3 | 10.9 | 16.3 | 11.5 | 12.4 | 12.3 | 8.0 | 7.6 | 5.6 | 118.6 |
平均月間日照時間 | 184.1 | 169.3 | 184.0 | 186.2 | 177.7 | 111.2 | 187.3 | 199.3 | 153.0 | 175.0 | 162.7 | 177.5 | 2,067.3 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[1] |
合併時の大字は以下のとおり。
その後、以下の大字が新たに発足した。
1970年代、中心部の妻地区で町名設置が行われた。
その後、1990年代前後(詳細は不明)に以下の町名が設置された。
記紀によると、天照大神の孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は日向の高千穂峰に降臨した。その後、居を構えたのが現在の西都市であったとされる[要出典]。
西都市は日本最大の古墳集積地帯である。
律令期には現在市の中心部となっている妻(つま)地区に日向国国府、日向国分寺、国分尼寺が置かれ、日向国の中心地として栄えた。室町時代~戦国時代には日向国主伊東氏が市南部に都於郡城を構え本拠地とし、領国経営の拠点とした。天正遣欧少年使節主席正使としてヨーロッパに渡った伊東マンショは、都於郡城で生誕した伊東氏の一族である。薩摩国の島津氏からの侵略により伊東氏が一時衰退した際、都於郡城には島津義久が入城し、豊臣秀吉の九州征伐、高城の戦いにおける前線基地となったが、島津氏は根白坂の戦いにおいて豊臣秀吉に完敗し日向国から放逐され、都於郡城は戦後廃城となった。
江戸時代は、穂北に幕府の番所が設けられ妻・穂北(ほきた)地区は幕府の天領となり、三財(さんざい)・三納(みのう)・都於郡(とのこおり)地区は佐土原藩に組み入れられた。この時期には伊東氏飫肥藩領の赤江・城ヶ崎地区(現宮崎市赤江地域自治区)が、日向国の江戸・上方との交易本拠地としての性格を備え、西都地区は日向国の物流拠点としての機能を次第に失ったようである。また、市の中心に横たわり、市名の由来でもある西都原(さいとばる)台地は、古代より斉殿原(さいとのはる)と呼ばれていたが、江戸時代に西都原(「さいとのはる」から「さいとばる」へ)の呼称が定着したとされる。 児湯郡東米良村の一部は米良山であった。米良山は元和年間(1615年-1624年)に人吉藩の属地とされ、廃藩置県(1871年)の際には人吉県(後に八代県、球磨郡の一部の扱い)となり、1872年に美々津県(宮崎県の前身)児湯郡に移管された。その為、1872年まで現在の西都市寒川、尾八重、中尾、八重、銀鏡、上揚の各地区は球磨郡(当時の球磨郡)の寒川谷村、猪窪谷村、岩井谷村、尾八重谷村、椎葉谷村、鳥巣谷村、東八重谷村、銀鏡谷村、登山谷村、杖山谷村、浜砂谷村、横平谷村であった。その後、美々津県(上記の通り宮崎県の前身)に移管されて児湯郡寒川村、尾八重村、中尾村、八重村、銀鏡村、上揚村となった後、児湯郡東米良村の一部になり、後に西都市の一部となって現在に至っている。
近代以降は宮崎 - 妻・杉安(すぎやす)間に鉄道(後の国鉄妻線・1984年廃止)が敷設され一ツ瀬川流域の農産物・木材の集散地として栄えた。1955年(昭和30年)に児湯郡妻町・上穂北村が合併し、西都町が置かれ、1958年(昭和33年)に三納村・都於郡村を統合し市制施行、1962年(昭和37年)に三財村・東米良村を合併し現在の市域を持つに至った。1960年代には一ツ瀬ダムが建設され、この時期に西都市の人口は5万人を超え、杉安地区の一ツ瀬河畔は日向の嵐山と呼ばれ屋形船が行き交った。
1980年代前半には市街地再開発等が行われ、一時期は地方小都市における再開発成功事例として注目を集めるも、その後の過疎化・少子高齢化の進展、郊外型店舗の進出によって、現在中心市街地は衰退しつつある。その他、寒川(さぶかわ)地区は限界集落となってしまい、現在は全く居住者がいなくなってしまっている。寒川地区に居住者がいたことは寒川地区の人々の暮らしぶりを記録した映画『寒川』でのみ知ることができる。この映画は限界集落の現状を隈なく記録している。
宮崎都市圏の拡大・道路等の整備によって西都市南部では宮崎市のベッドタウン化がわずかながら見られるが、人口は減少傾向にある。
2001年(平成13年)に東九州自動車道の西都IC - 宮崎西IC間が開通し、2010年(平成22年)には高鍋IC - 西都IC間が開通した。
本市と西米良村で選挙区をなす。定数は1人。近年選出の議員は以下のとおり[3]。
農林畜産業が中心。
西都市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 西都市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 西都市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
西都市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
最寄の民間供用空港は宮崎空港である。
市内に鉄道路線はない。そのため、JR時刻表(交通新聞社発行)には、中心駅が西都(妻)バスセンターと記載されている。最寄駅は、佐土原駅(宮崎市佐土原町)、日向新富駅(新富町)、高鍋駅(高鍋町)。いずれも九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線。市中心部より各駅まで車で30分弱。
路線 | 運行経路 | 運行日 |
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平野・石尾線 (専門学校経由も含む) |
パオ - 松本 - 笠原 - 札の元 - 九流水 - 平野・石尾 | 月曜日・水曜日・木曜日・土曜日 |
長谷線 | パオ - 宮の下 - 鳶野・法蓮寺 - 樫野 - 竹の内 - 札の元 - 長谷 | 火曜日・金曜日 |
山田・上沖線 | パオ - 中村 - 青山 - 鹿野田 - 潮 - 筑後 - 都於郡町 - 三財支所 - 山田・上沖 - 中山 | 月曜日・木曜日 |
岩爪線 | パオ - 中村 - 青山 - 鹿野田 - 潮 - 筑後 - 池の端 - 黒貫 - 岩爪 | 火曜日・金曜日 |
長園線 | パオ - 中村 - 青山 - 鹿野田 - 潮 - 筑後 - 池の端 - 長園 | 水曜日・土曜日 |
長園通学線 | 長園線と同じ。 | 月曜日 - 土曜日 |
岩井谷・並木線 | 並木 - 小野 - 岩井谷 - 三財支所入口 - 藤田 - 青山下 - 中村 - バスセンター | 火曜日・金曜日 |
加勢・小豆野線 (デマンド型乗合タクシー) |
小豆野 - 加勢 - 三財支所入口 - 藤田 - 青山下 - 中村 - バスセンター | 月曜日・木曜日 |
穂北線 (銀鏡・尾吐) |
パオ - 下水流 - 立野 - 杉安峡 - 診療所前 - 一ノ瀬 - 尾吐 | 月曜日 - 土曜日 |
竹尾・平原線 (デマンド型乗合タクシー) |
平原公民館 - 竹尾 - 穂北 - 童子丸 - バスセンター | 火曜日・金曜日 |
春日・大口川線 (デマンド型乗合タクシー) |
春日公民館 - 大口川北 - 城平 - バスセンター | 火曜日・金曜日 |
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