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東庄町
千葉県香取郡の町 ウィキペディアから
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東庄町(とうのしょうまち)は、千葉県の北東部に位置し、香取郡に属する町。町名は、中世の荘園である東荘(東庄)にちなむ。
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地理
千葉県北東部、香取郡の東端に位置し、県庁所在地である千葉市から約55キロメートルの距離である。東京都の都心から80 - 90キロメートル圏内である[1]。都市雇用圏における神栖都市圏に含まれており、通勤率は、神栖市へ14.5%、香取市へ12.4%(いずれも平成22年国勢調査)。利根川を境に茨城県と接している。
関東平野に含まれ、下総台地の東端に近い丘陵地帯を挟む。北側に利根川沿いの低地、南側に九十九里平野の北辺を含む。西北端にあたる笹川地区周辺のみ平坦地であり、大部分が台地である。標高は、平均で海抜40 - 50メートル。最高56.5メートル。各所に谷津田が入り組むように刻まれている。九十九里平野北部への農業用水の供給を目的とした大利根用水(用水路)が流れる。
難読地名
- 羽計(はばかり)
- 稲荷入(とうかいり)
隣接する自治体
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歴史
要約
視点
古くは、香取海に面した重要な地であり、古代においては陸奥国へ通じる交通の要衝であった。平安時代中期、長元2年(1029年)の平忠常の乱で房総一帯が平忠常の支配下に入り、当町の中央部に残る大友城跡を忠常の居城に比定する説もある。乱は数年後には平定され、忠常は降伏したが子孫たちは処刑されることもなく千葉氏と称して房総一帯に繁栄した。その重要な根拠地として東庄があり、源頼朝に重臣として仕えた千葉常胤の第六子胤頼は、東氏を称して東庄を根拠地とし戦国期に至るまで歴代にわたって繁栄し、その総鎮守として東大社が崇敬された。この神社の沿革は古代に遡るもので、平安時代末期以来20年に1度の銚子外川浜までの神輿行列が渡御する神幸祭が今なお続けられている。
近世に入り、東氏もここで没落し、徳川氏の関東入国後天正検地が行われた。当地には後の小見川藩初代藩主松平家忠が藩主となった上代藩が短期間おかれただけで家忠以後大名は配置されず、幕府直轄地や大名、旗本の小規模領地が複雑に入り組んで配置され幕末に及んだ。江戸末期には「天保水滸伝」のような事件が発生するなど、この地に博徒が横行したが、その一方、学問も盛んで江戸後期には平田篤胤が逗留したこともある。また旧笹川村からは林半兵衛のような和算家も輩出されている。
明治維新後、笹川村、神代村、東城村、橘村が形成され、商業、水産や農業が盛んとなった。1931年(昭和6年)には国鉄成田線が笹川駅まで延伸され、同8年(1933年)には下総橘駅を経て松岸駅まで開業した。当時茨城県側からは渡し船で当地と連絡しており、交通、教育、商取引の面で関係が深かった。その後、1955年(昭和30年)7月には合併により当町「東庄町」が誕生。1971年(昭和46年)3月に、当町と利根川対岸の神栖市にまたがる塩害防止と水資源確保を目的とした全長約1キロメートルの河口堰である利根川河口堰が完成した。また対岸の神栖市や鹿嶋市などで、昭和30年代から鹿島臨海工業地帯の開発が行われ、それに伴う人口増により当町内にも住宅団地が造成されるなど、現在も利根川対岸の茨城県との関係が深い。
郷土史
当地には鹿之戸村があった(旧笹川村範囲)が、これはもともと鹿之渡であり、鹿島神宮の神鹿が、香取神宮との往来の際にここを通過したからだといわれている。春日大社に鹿嶋神の分霊を勧請したときも分霊を鹿にのせてここを通過したとも。源頼朝が鹿島神宮に自ら参拝したときには、当地の東氏の館に宿泊したといわれている。鹿島神宮から南下して、直線距離で一番近い利根川の渡河点は東氏の居城とされた森山城・須賀山城跡にあたる。
古くは、高望王の子で千葉氏の祖平良文がここに拠点の一つを置いていたとされる。また、千葉常胤もここを下総国府台、佐倉、千葉などと並んで、拠点の一つにしていた。常胤は六男の胤頼にここを与えたが、その後もここは千葉氏の求心力のある土地であり続けた。笹川村の鎮守である笹川諏訪神社の宮司家は香取大宮司家と親戚であった。また同神社に隣接する延命寺は鹿島神宮寺の末寺であり、この土地が古くから鹿島・香取両神宮と縁が深かったことが窺える。室町時代におきた隣郡の鹿島氏の内紛では、当主の鹿島義幹が一時、東氏を頼って逃げてきている。重複するが、千葉氏との関わりがこの土地は強く、須賀山城跡の側にある東福寺は実質的な最後の千葉宗家当主であった、千葉邦胤が灌頂会を行った寺である。
沿革
- 1955年(昭和30年)7月20日 - 笹川町・橘村・神代村・東城村の1町3村が合併し、東庄町が発足。
- 1956年(昭和31年)4月15日 - 櫻井地区が干潟町へ編入。
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 東庄町の一部を干潟町へ編入。
- 1965年(昭和40年) - 国道356号が制定。
- 1971年(昭和46年)1月 - 利根川河口堰が竣工。
- 1979年(昭和54年)4月 - 防災行政無線運用開始(当時の夕方のチャイムは「夕焼け小焼け(鐘系)」)。
- 2000年(平成12年)4月 - 防災行政無線放送等変更。
- 2007年(平成19年)11月13日 - 東洋合成工業千葉工場(東庄町工業団地)にて爆発事故が発生。2人死亡。重軽傷者数名。
- 2015年(平成27年)7月20日 - 防災行政無線の夕方のチャイム「みたみわれ(ギター調)」放送開始。
- 2017年(平成29年)3月31日 - 過疎地域に指定。千葉県内の過疎地域市町村は、当町のほかは全て房総半島南部(長南町・大多喜町・勝浦市・鴨川市(旧天津小湊町)・南房総市・鋸南町)であり、県北部の過疎地域は当町が唯一である。
行政区域変遷
- 変遷の年表
- 変遷表
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人口
平成27年(2015年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、6.61%減の14,152人であり、増減率は千葉県下54市町村中43位、60行政区域中49位。
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東庄町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 東庄町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 東庄町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
東庄町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 人口1,000人当たり職員数7.00人(千葉県内町村中最少。千葉県内町村の平均は9.44人)
- ラスパイレス指数97.5(千葉県内市町村の平均は100.5)
- 人口一人当たり人件費・物件費等決算額90,186円(千葉県内市町村の平均は112,960円)
- 人口一人当たり地方債現在高301,250円(千葉県内市町村の平均は334,430円)
首長
立法
県政
- 千葉県議会
- 選挙区:香取郡で一つの選挙区をなす。
国政
経済

産業
基幹産業は第一次産業が盛んである。
金融機関
地域
人口1,000人当たりの犯罪件数が5.58件(平成19年)と千葉県内で最も少ない。千葉県平均は17.28件。
教育
中学校
- 東庄町立東庄中学校
小学校
幼稚園
- 東庄町立神代幼稚園
- 東庄町立笹川幼稚園
- 東庄町立橘幼稚園
- 東庄町立石出幼稚園
- 東庄町立東城幼稚園
児童福祉施設
- 私立
- 神代保育園
- 笹川中央保育園
- 橘保育園
交通
鉄道路線

バス路線

東庄町内で運行されているバス路線は、東京方面を結ぶ高速バスと、隣街から町内を結ぶ一般路線バスが運行されている。
高速バス
※太字は、東庄町内に停車する主な高速バスの停留所を示す。また、「利根ライナー号(佐原ルート)」は、佐原駅 - 銚子駅間の途中バス停で乗降可能。
道路
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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡・観光スポット
- 東大社
- 利根川河口堰
- 諏訪大神
- 大友城跡
祭事・催事
- 左右大神の神楽 4月第1土曜
- 諏訪神社春季例祭(笹川の神楽) 4月第1土曜
- 東大社春季例祭 4月8日
- 雲井岬つつじまつり 4月中旬 - 5月中旬
- 諏訪大神相撲大会 7月最終土曜日
- 東大社やぶさめ神事 10月20日
- 東庄ふれあいまつり 11月3日(過去に林家ペー・パー子夫妻が司会を務めていた地域イベント)
- 諏訪大神の相撲大会
- 諏訪大神祭礼の山車
名物・名産
文化財
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著名な出身者
東庄町を舞台・ロケ地とした作品
脚注
関連項目
外部リンク
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