アントニオ・カルロス・ザーゴ

ブラジルのサッカー選手、監督 ウィキペディアから

アントニオ・カルロス・ザーゴ

アントニオ・カルロス・ザーゴAntônio Carlos Zago, 1969年5月18日 - )は、ブラジルサンパウロ州プレジデンチ・プルデンチ英語版 出身の元サッカー選手、同指導者。元ブラジル代表。選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。

概要 アントニオ・カルロス・ザーゴ, 名前 ...
アントニオ・カルロス・ザーゴ
Thumb
SEパルメイラス監督時代(2010年)
名前
ポルトガル語 Antônio Carlos Zago
基本情報
国籍 ブラジル
イタリア
生年月日 (1969-05-18) 1969年5月18日(55歳)
出身地 プレジデンチ・プルデンチポルトガル語版
身長 187cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF (CB)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1992 サンパウロ 64 (4)
1992-1993 アルバセテ 12 (1)
1993-1995 パルメイラス 58 (5)
1996-1997 柏レイソル 24 (0)
1997-1998 コリンチャンス 12 (2)
1998-2002 ローマ 107 (2)
2002-2004 ベシクタシュ 56 (2)
2004-2005 サントス 7 (0)
2005-2006 ジュヴェントゥージ 52 (2)
2007 サントス 1 (0)
通算 393 (18)
代表歴
1991-2001 ブラジル 37 (3)
監督歴
2009-2010 サンカエターノ
2010 パルメイラス
2010 グレミオ・バルエリ
2011 モジミリン
2011 ヴィラ・ノヴァ
2012 アウダックス・サンパウロ
2013 ローマ (アシスタントコーチ)
2013-2015 シャフタール・ドネツク (アシスタントコーチ)
2015-2016 ジュベントゥージ
2017 SCインテルナシオナル
2017 フォルタレーザEC
2017-2018 ジュベントゥージ
2018-2019 レッドブル・ブラジル
2019 ブラガンチーノ
2020-2021 鹿島アントラーズ
2021- クラブ・ボリバル
1. 国内リーグ戦に限る。
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選手経歴

クラブ

1990年、サンパウロFCでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートする。そこで3年を過ごしたのちに、スペインアルバセテ・ブロンピエに移籍するも、1年でブラジルに戻り、サンパウロFCのライバルクラブであるSEパルメイラスで3年間プレーする。1996年には再び海を渡り、Jリーグ柏レイソルに移籍。日本ではアントニオ[1]の登録名で1年半プレーした。翌年シーズン途中で再び母国に戻り、コリンチャンスの選手となる。

1998年1月にはイタリアASローマに移籍し、2月11日のレッチェ戦でセリエAのデビューを果たす。ローマでは同胞のアウダイールらと共にDFラインの主力としてチームを支え、特に2000-01シーズンには主にワルテル・サムエル及びジョナタン・ゼビナと3バックを組み、左CBとしてチームの18年ぶりのスクデット獲得に貢献した。

2002年、5年間を過ごしたローマを退団。その後トルコベシクタシュJK、母国のサントスFCECジュヴェントゥージを経て、2007年にサントスで現役を引退した。

代表

1991年10月30日のユーゴスラビア戦で代表デビューを果たすと、1993年まで継続して招集される。その後は声がかからない時期が続くも、ASローマでの活躍を受けて1998年から2003年まで再び代表の一員としてプレー。コパ・アメリカ1999のメンバーにも選出され、優勝を経験した。

指導者経歴

母国のコリンチャンスでテクニカルディレクターを経験した後[2]、2009年6月にADサンカエターノの監督に就任。アウェーで古巣パルメイラスに歴史的勝利を飾るなど[3]、監督業として好スタートを切った。2010年2月にはそのパルメイラスの指揮官になる[4]も、成績は振るわず、3カ月で辞任した[5]

その後いくつかのクラブを転々としたのち、2013年1月に再びイタリアに渡りASローマのアシスタントコーチとなる。同年10月からはウクライナFCシャフタール・ドネツクミルチェア・ルチェスク監督のもと、アシスタントコーチを務めた。

2015年にはブラジルに戻り、監督業を再開。ECジュヴェントゥージを率いたのち、クラブ初の降格が決まったSCインテルナシオナウの指揮官に2016年12月12日に就任した。しかし、2017年5月28日に指揮官の座を下ろされた[6]。同年8月20日にはセリエCフォルタレーザECの新たな指揮官に就任する[7]と、セリエB昇格を果たした。フォルタレーザの指揮官を務めている同年10月26日に、フォルタレーザとの契約終了後には再びジュヴェントゥージを率いることが発表された。

2018年、オーストリアの大手企業「レッドブル・グループ」が経営するレッドブル・ブラジルの監督に就任。翌2019年に、当時セリエBにいたCAブラガンチーノ(現:レッドブル・ブラガンチーノ)と合弁し同チームの監督に異動。そして同リーグで優勝を果たし、セリエA昇格に導いた。シーズン後、契約は延長せず辞任[8]

2020年1月2日、J1リーグ鹿島アントラーズの監督に就任した[9]。初年度は5位とまずまずの成績を収めるが、2021年は8試合消化時点で勝ち点8の15位と低迷。4月14日、成績不振により解任された[10]

2021年7月14日、ボリビアクラブ・ボリバルのオーナーであるマルセロ・クラウレが自身のソーシャルメディア上でザーゴの監督就任を発表した[11]。なお、クラブ・ボリバルはシティ・フットボール・グループのパートナークラブとなっている。

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1990サンパウロセリエA211
1991211
1992222
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1992-93アルバセテプリメーラ121
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1993パルメイラスセリエA181
1994211
1995201
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996-J24050
199730060-60
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997コリンチャンスセリエA122
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1997-98ローマ3セリエA120
1998-99280
1999-00272
2000-01280
2001-02120
トルコ リーグ戦 トルコ杯オープン杯 期間通算
2002-03ベシクタシュ30スュペル・リグ312
2003-04250
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2004サントスセリエA70
200500
ジュベントゥージ301
2006221
2007サントス10
通算ブラジルセリエA 19511
スペインプリメーラ 121
日本J 240110
イタリアセリエA 1072
トルコスュペル・リグ 562
総通算 39416
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代表歴

  • 国際Aマッチ 37試合 3得点(1991年-2001年)[12]
さらに見る ブラジル代表, 国際Aマッチ ...
ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
199120
199231
199360
199400
199500
199600
199700
199830
1999120
2000102
200110
通算 373
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監督成績

さらに見る 年度, 所属 ...
年度所属クラブリーグ戦カップ戦
順位勝点試合勝利引分敗戦リーグ杯天皇杯
2020J1鹿島5位593418511GS敗退不参加
202115位88224--
J1通算--4220715--
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  • 2021年は解任時点の成績。

タイトル

クラブ

サンパウロFC
SEパルメイラス
  • カンピオナート・パウリスタ(1993, 1994)
  • カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(1993, 1994
  • トルネイオ・リオ=サンパウロ(1993)
SCコリンチャンス・パウリスタ
  • カンピオナート・パウリスタ(1997)
ASローマ
ベシクタシュJK
サントスFC
  • カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(2004
  • カンピオナート・パウリスタ(2007)

代表

ブラジル代表

監督

ブラガンチーノ

脚注

関連項目

外部リンク

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