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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
福永 泰(ふくなが やすし、1973年3月6日 - )は東京都町田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
桐蔭学園時代は林健太郎と同級生で、戸倉健一郎や長谷部茂利は1学年上[2]、1学年下には栗原圭介と松川友明が在籍していた。 李国秀監督の元、高校2年時には背番号8をつけ、全国高校サッカー選手権に出場。準々決勝で前橋商業にPK戦の末敗れたものの、5得点の活躍[2]。
ドリブルとキープ力が持ち味[1]で、FWからボランチまでこなすプレーヤーとして活躍[2]。テスト生(トレーニー契約)として1995年に浦和レッドダイヤモンズに入団[3]、ファーストステージ途中からデビュー。シーズン後半はFWとして、この年のレッズの躍進を支える原動力となり、浦和のエース福田正博とのコンビネーションは「フクフク・コンビ」[1]と呼ばれた。
1996年は福田の怪我により、開幕戦ではFWとして出場し、序盤の3試合で4ゴールをあげた[4]。その後は怪我人が続出したこともあり、ボランチとして試合に出場した。
1997年はギラン・バレー症候群により長期欠場を余儀なくされた[2]。1998年には心機一転し、背番号10となる[2]。
2002年にはベガルタ仙台に移籍。チームの戦術にフィットして開幕5連勝の原動力となったが、同年4月14日の古巣・浦和戦で左膝前十字靭帯損傷の重傷を負う[5]。翌年に復帰するが、7試合の出場に留まり、現役続行を目指しリハビリを続けたものの負傷が完治せず2004年に引退を表明した[2]。
その後はサッカー解説者や芸能人女子フットサルチーム「ミスマガジン」の監督を務めた[6]。2009年に母校・青山学院大学サッカー部のコーチに就任し、2015年には監督を務めた。
2016年よりベガルタ仙台のトップチームコーチに就任した[7]。契約満了により2018年限りでコーチを退任した[8]。
2019年6月から浦和レッドダイヤモンズのユースコーチに就任 [9]、 2023年からは浦和レッドダイヤモンズのジュニアユースコーチに就任[10]した。
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