Remove ads
絹で織った織物 ウィキペディアから
肌ざわりがなめらかで、美しい光沢があるため、古来から珍重されてきた。様々な色糸を用いたものは錦(にしき)と呼ばれた。
絹織物は、中国で創出されたもので、絹を生産している形跡が新石器時代遺跡(西陰村遺跡、河姆渡遺跡など)から幾度も発見されている[1][2]。刺繍が施されるようになった最も早期の事例は、中国にある戦国時代(紀元前3世紀~5世紀)の墓から発見されたものである。
中国漢の時代になると高価な貴重品としてシルクロードの主要な交易品目とされた。その製法は長い間秘密とされ、蚕を中国の国外に持ち出したものは死刑に処せられたとされる[3][2]。14世紀になると絹織物刺繍が最盛期となり、蘇州の宋錦、南京の云錦、四川省の蜀錦などの刺繍デザインが発展した。
強靭であることから、矢や銃弾を防ぐ用途にも使われた。日本では870年ごろから絹製の母衣と呼ばれる矢を防ぐ装備が身につけられた[7][8]。モンゴル帝国は西夏との1207年の最初の戦い後、矢が体に刺さらないよう絹製のシャツを着用していた[9][10]。
1881年、トゥームストーンの医師ジョージ・グッドフェローは、ルーク・ショートにより2回銃撃された賭博ブローカーを診察した際、絹製のハンカチによって銃弾が貫通しなかったことに気が付き[11][12]、1887年に銃弾に対する絹織物の防弾性について記事を書いた[13]。
1901年に作られた絹織物を何層にも重ねたベストは、スペイン王アルフォンソ13世を銃弾から救っている。また、1900年までギャングは防御用に800ドルのシルク製ベストを着こんでいた[14]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.