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大阪府庁所在地 ウィキペディアから
大阪市(おおさかし)は、大阪府中部に位置する市。大阪府の府庁所在地および近畿地方で最多の人口を有する市であり、政令指定都市に指定されている。市域内には日本屈指の華やかな摩天楼、繁華街を据える。
おおさかし 大阪市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 大阪府 | ||||
市町村コード | 27100-4 | ||||
法人番号 | 6000020271004 | ||||
面積 |
225.34km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
2,791,907人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 12,390人/km2 | ||||
隣接自治体 |
豊中市、吹田市、摂津市、門真市、大東市、東大阪市、守口市、八尾市、堺市、松原市 兵庫県尼崎市 | ||||
市の花 | サクラ、パンジー | ||||
市の歌 | 大阪市歌(1929年制定) | ||||
大阪市役所 | |||||
市長 | 横山英幸 | ||||
所在地 |
〒530-8201 大阪府大阪市北区中之島一丁目3番20号 北緯34度41分38秒 東経135度30分08秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
行政区位置図は#行政区参照 | |||||
ウィキプロジェクト |
西日本および近畿地方の首位都市であり、経済・文化・交通の中心都市。東京に次ぐ日本第2の都市として機能しており、東京23区を除く市区町村別の人口では横浜市に次ぐ第2位。また、近隣の京都市や神戸市と共に、世界有数の経済規模を誇る京阪神大都市圏の都市中枢を成す。市域は24の行政区からなり、市庁所在地は北区中之島。市域に多数の河川や堀を有し、歴史的にも港湾機能や河川交通が発達していたことから「水都」の異名を持つ。
古墳時代から江戸時代に至るまで、日本経済の中心として機能してきた。また古代よりアジア広域からヒトやモノを惹き付けてきた都市であり、現代においても国際社会から世界有数の住みよい街と評され、求心力を保持している[1]。現在では、商都として商業や国際観光などが盛んな[2]、アジア屈指の世界都市である。
大阪の都市としての源流は、古代に遡る。日本書紀によると、第15代応神天皇が行宮として難波大隅宮を整備したとされている。その後の第16代仁徳天皇は難波高津宮を皇居とし、その後国内流通の中心である住吉津や難波津が開港したことで、都市として本格的なスタートを切った。後に日本国の都として難波宮が整備される。これは天皇の住まい、政治、儀式の場を明確な構造として持つ初の宮城であり、後の宮にも採用された。また、難波宮から日本という国号とともに元号の使用が開始された。なお、その後の度重なる遷都により、首都は現在の奈良・京都などに移ったため、その後は主に商都として歩むことになる。
市域を中心(首位都市)として、大阪都市圏/阪神都市圏/京阪神大都市圏を形成。大阪市の市内総生産は約19兆円で[3]、国内では東京区部に次ぐ規模であり、政令指定都市(以下、政令市)中最大である。これは、北海道、兵庫県など1つの道府県の県内総生産に次ぐ規模であり約370万人の人口を持つ横浜市の約1.5倍の市内総生産である[4]。また、京阪神大都市圏としては圏内総生産約80兆円、世界7位の経済規模を有する[5]。夜間人口は約277万人(全国2位)、人口密度は政令指定都市中1位(全市町村中5位)、昼間人口は市外から多くの通勤・通学者が流入するため約354万人(全国1位)である(いずれも東京23区は除く)。面積は、政令市(全20市)の中では川崎市、堺市、さいたま市に次ぎ4番目に小さい。これは横浜市のおよそ半分、名古屋市の3分の2程度であるが、行政区が24区と政令市中最多であるため、面積が10km2に満たない行政区が多い。近年では都心回帰が顕著で、大阪都心6区や都心9区を中心に人口が増加しており、西区では人口密度が2万人/km2を超えている[6]。
古代より瀬戸内海・大阪湾に面した立地から、住吉津や難波津などの港を持ち、港湾都市、国内流通の中心として栄え水の都と称された。中世には、渡辺津や浄土真宗の本山であった石山本願寺が置かれ、寺内町として商工業が発展。近世初期には豊臣秀吉が大坂城を築城し、城下町が整備された。江戸時代には天領となり、経済・交通・金融・商業の中心地として発展。世界初の先物取引市場である堂島米市場が置かれ、当時の経済の中心であった米の中央市場として機能した。大坂は経済の中心地として天下の台所と称され、商業の町で豊かな町人文化(上方文化)を育んだ。江戸や京とともに三都に数えられた。
明治期に入ると、東洋紡など繊維工業を中心とした工業都市へと発展し(→船場の繊維問屋街)、「東洋のマンチェスター」「煙の都」と称された。 大正初期に池上四郎が第6代大阪市長に就任すると、大阪市は急速な発展を遂げる。1925年に第2次市域拡大を行い、人口は当時の東京市を上回る211万人に到達。面積・人口・工業出荷額で一時的に国内1位[7][8]、欧米の大都市に次ぐ人口世界6位の大都市へと成長した[9]。この当時の繁栄を極めた大阪は大大阪時代と呼ばれた[10][11][12][13]。1923年には都市計画学者である關一が第7代大阪市長に就任。關は堺筋に代わる市のメインストリートとして、御堂筋の拡張整備を行い[14]、その地下に日本初の公営地下鉄である大阪市営地下鉄(現:Osaka Metro)御堂筋線(梅田駅 - 心斎橋駅間)を建設するなど、現在につながる大阪の都市インフラを作り上げた。他方、古来より卸売業を中心に商業活動も活発であり、道修町(薬種)、松屋町(玩具)、本町・船場(繊維)など市内各所に江戸時代からの歴史を持つ問屋街が発達している。
現代では商都として、日本国内はもとよりアジアを中心に世界から訪問者が訪れる国際集客都市として、主に商業が繁栄。梅田・北新地を中心としたキタや、難波・心斎橋を中心としたミナミといった日本屈指の繁華街を有している。他にも天王寺や新世界、京橋、上本町、十三など複数の繁華街を擁し、阿倍野・天王寺エリアにあるあべのハルカスは日本初のスーパートール(高さ300m以上のビル)である。中之島・淀屋橋や北浜界隈の伝統的なオフィス街には、金融街が形成されている。北浜の一部界隈は戦前から旧住友財閥(住友グループ)各社が拠点を構えるていることから「住友村」とも呼ばれている。また、梅田・堂島・中之島一帯や、京橋に近い大阪ビジネスパーク (OBP) には超高層ビルが林立しており、華やかな都市景観(スカイライン)が見られる。大阪市役所が所在する中之島や、大阪府庁が所在する大手前周辺には、官公庁や公的機関が数多く立地している。
イギリスの調査機関、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる「最も住みやすい都市」ランキング(2019年度版)において、大阪市は、ウィーン、メルボルン、シドニーに次ぐ世界4位、アジア1位の都市と評価され、2023年度版でも、ジュネーブ、トロントに次ぐ世界10位、アジア1位の都市と評価されている[1]。評価理由としては、合理的な都市設計、治安、物価、高度な教育・医療・交通、テロの脅威の少なさ、などが挙げられている。アメリカのシンクタンクが発表している世界都市ランキング「2020 Global Cities Index(世界都市の指標)」において、世界7位の都市と評価された[15]。 イギリスのシンクタンクが発表した2024年9月の報告書「The Global Financial Centres Index(世界金融センター指標)」によると、世界44位の金融センターと評価されている[16]。一方で高度経済成長期以降に、東京一極集中の影響で東京に本社を移転させた大企業も相次いだ[17]。大阪と東京の2本社体制を採っている企業の中でも実質的な本社機能を東京に置く場合も多い。
大阪市の人口は、国勢調査では1920年の第1回調査で1,252,972人と全国2位だったが、1925年4月に第2次市域拡張を実施し、同年10月の第2回調査で2,114,804人(旧市域:1,331,984人、新市域:782,820人)と全国1位になった。第2回調査で1,995,567人だった東京市はそれでもまだ大阪市の旧市域より約66万人多く、飽和状態の旧市域ではなく宅地開発の余地がある新市域の増加分で逆転した形である。このことは1932年に市域拡張を実施して大阪市を抜き返した東京市にも当てはまる。第2次市域拡張以降の大阪市の人口は著しい増加が続き、1940年の第5回調査で3,252,340人とピークに達した。
戦災によって1945年11月の人口調査で1,102,959人と激減したが、1965年の第10回調査で3,156,222人にまで回復した。以降はドーナツ化現象によって再び減少に転じ、1978年には横浜市に抜かれ全国3位に転落。2000年の第17回調査で2,598,774人にまで減少した。しかし21世紀に入ると都心回帰により再び増加に転じ、2020年の第21回調査で2,752,412人となっている[20]。
2015年から2020年の増減を行政区別で見ると、大阪都心6区は全て増加(西・北・中央の3区は増減率10%以上、福島・天王寺・浪速の3区は増減率5%以上)となっており、都心回帰が顕著である。周辺の区は東成・淀川・阿倍野・都島・城東・東住吉・鶴見・東淀川・西淀川の9区が増加(東成区は増減率5%以上)、住吉・港・此花・旭・生野・平野・住之江・大正・西成の9区が減少(西成区は増減率マイナス5%未満)となっており、南部の減少傾向が顕著である[21]。旭・生野・西成の3区は1965年から、大正区は1970年からそれぞれ減少が続いており、特に西成区は1960年のピーク時から概ね半減している。
大阪市は自然動態(出生-死亡)が減少する一方、社会動態(転入-転出)は増加しており、2017・2018年共に大阪市は全国2位(市町村別)の人口増となっている[22]。また、2020年の人口移動報告(外国人を含む)によると、大阪市は16,802人の転入超過(転入者が転出者を上回る)となり、同年の東京23区(13,034人の転入超過)を上回り、市町村別で全国最多となった[23]。
近年、都心部では、オフィスビルの容積率が緩和されたためオフィスビルの建て替えが進み、老朽化したオフィスビル跡地での高層マンションの建設が増加した。その結果人口も増加し、都心部の小学校などでは教室の数が足りず増築工事などを行っている小学校もある[24]。北区では、さらなる児童数の増加を見越して、令和6年度に中之島小中一貫校が新設される。
大阪市は一世帯当たりの人員が約1.91人であり、政令指定都市の中で最も少なくなっている[25]。
大阪市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大阪市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 大阪市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大阪市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
古くからの港湾都市であるが、難波津・住吉津といった古代の海港は土砂の堆積により衰退し、渡辺津という河港に姿を変えた。河港であることは豊臣・徳川の両政権によって水運の発達した大坂市街が形成されても変わらず、再び海港となるのは1897年の大阪港第一次修築工事以降、実質的に20世紀以降である。
江戸時代には人口で京を抜いて江戸に次ぐ第2の都市となり、江戸と並んで経済の中心を担った。現在も京都市・神戸市・堺市とともに近畿大都市圏(京阪神)の中心市である。阪神工業地帯の一角を担い、市内総生産は約19兆円となっている。
瀬戸内海の東端である大阪湾の最奥部に面する。市の南端を流れる大和川を除いて、市域を流れる河川の多くは淀川水系であるが、1704年の大和川付替え以前は大和川も淀川水系であり、大量の土砂が堆積して形成された低地が大阪平野である。
大阪平野の形成以前から市域の中央やや東寄りに存在する台地が上町台地で、南北に細長く伸びる上町台地の西側に難波砂堆、北側に天満砂堆といった微高地が形成されている。
上町台地および付随する難波砂堆・天満砂堆を境にして、西側の低地は大阪海岸低地、東側の低地は河内低地とも区分される。大阪海岸低地は三角州性の低地、河内低地は河内湖が陸地化した潟湖性の低地となる。
最高点は鶴見区の鶴見新山(T.P.37.5m)、最低点は西淀川区の大阪市立大和田小学校内(T.P.-2.21m)[26]。北から南へ低くなる上町台地の北端に位置する大坂城本丸が長らく大阪市の最高点だったが[27]、1970年に昭和山(大正区)、1983年に鶴見新山がそれぞれ「造山」された。一方、地下水の過剰摂取により、昭和初期から中期にかけて地盤沈下が深刻化し、市域の北西部に海抜ゼロメートル地帯が広がっている[28]。
大阪市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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瀬戸内海式気候となり、年間を通して温暖であるが、夏は非常に蒸し暑く、全国有数の酷暑地帯である。大阪湾に西面し、日中は海風が吹くが、夜間の陸風は風速が弱く風向もばらつきが大きい[29] ため、特に夜が寝苦しい。年平均熱帯夜日数は本土の官署では鹿児島市(55.8日)・神戸市(46.8日)に次いで3番目に多い41.5日で、7月から8月にかけての1か月以上は平年値でも熱帯夜となっている。なお、近隣の神戸地方気象台(旧・神戸海洋気象台)は1999年に山麓の高台から海岸の低地へ移転し、熱帯夜日数が増加した経緯がある[30]。一方、大阪管区気象台は海から離れた上町台地に所在している。8月の平均気温は29.0℃であり、都道府県庁所在地の中では、那覇市(最暖月は7月)と並んで最も高い。
大阪市(大阪管区気象台、標高23m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.1 (66.4) |
23.7 (74.7) |
25.2 (77.4) |
30.7 (87.3) |
32.7 (90.9) |
36.1 (97) |
38.4 (101.1) |
39.1 (102.4) |
36.4 (97.5) |
33.1 (91.6) |
27.9 (82.2) |
24.5 (76.1) |
39.1 (102.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.7 (49.5) |
10.5 (50.9) |
14.2 (57.6) |
19.9 (67.8) |
24.9 (76.8) |
28.0 (82.4) |
31.8 (89.2) |
33.7 (92.7) |
29.5 (85.1) |
23.7 (74.7) |
17.8 (64) |
12.3 (54.1) |
21.3 (70.3) |
日平均気温 °C (°F) | 6.2 (43.2) |
6.6 (43.9) |
9.9 (49.8) |
15.2 (59.4) |
20.1 (68.2) |
23.6 (74.5) |
27.7 (81.9) |
29.0 (84.2) |
25.2 (77.4) |
19.5 (67.1) |
13.8 (56.8) |
8.7 (47.7) |
17.1 (62.8) |
平均最低気温 °C (°F) | 3.0 (37.4) |
3.2 (37.8) |
6.0 (42.8) |
10.9 (51.6) |
16.0 (60.8) |
20.3 (68.5) |
24.6 (76.3) |
25.8 (78.4) |
21.9 (71.4) |
16.0 (60.8) |
10.2 (50.4) |
5.3 (41.5) |
13.6 (56.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −7.5 (18.5) |
−6.5 (20.3) |
−5.2 (22.6) |
−2.6 (27.3) |
3.5 (38.3) |
8.9 (48) |
14.8 (58.6) |
13.6 (56.5) |
10.4 (50.7) |
3.0 (37.4) |
−2.2 (28) |
−4.5 (23.9) |
−7.5 (18.5) |
降水量 mm (inch) | 47.0 (1.85) |
60.5 (2.382) |
103.1 (4.059) |
101.9 (4.012) |
136.5 (5.374) |
185.1 (7.287) |
174.4 (6.866) |
113.0 (4.449) |
152.8 (6.016) |
136.0 (5.354) |
72.5 (2.854) |
55.5 (2.185) |
1,338.3 (52.689) |
降雪量 cm (inch) | 0 (0) |
1 (0.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
1 (0.4) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 6.4 | 7.3 | 10.3 | 10.0 | 10.4 | 12.3 | 11.3 | 7.8 | 10.6 | 9.2 | 7.0 | 7.1 | 109.7 |
平均降雪日数 (≥0 cm) | 4.7 | 5.5 | 1.9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.8 | 13.9 |
% 湿度 | 61 | 60 | 59 | 58 | 61 | 68 | 70 | 66 | 67 | 65 | 64 | 62 | 63 |
平均月間日照時間 | 146.5 | 140.6 | 172.2 | 192.6 | 203.7 | 154.3 | 184.0 | 222.4 | 161.6 | 166.1 | 152.6 | 152.1 | 2,048.6 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年[31]、気温極値:1883年-現在[32]) |
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出典:気象庁[33][注 1] |
大阪府
上町台地は約12万年前の間氷期(リス・ウルム間氷期)に海底に堆積した地層である。そこには河内湾より一回り大きな上町海が存在した。気候が涼しくなり始めた約11万年前に陸地が現れ始めた。この出来たばかりの陸地にはナウマンゾウやヤベオオツノジカやムカシニホンジカの群れがやってきていた。氷期に移り変わる約7万年前には、上町海が退いて古大阪平野が広がり、そこには針葉樹と広葉樹が混じる林が繁り、その木々の間を川が丘陵から低地へと網目状になって流れ下っていた。この川を渡るゾウやシカの群れの足跡の化石として残っている。ゾウの遺体としては臼歯が1個であるが、足跡化石は千個以上見つかっている[34]。大阪で最も古い旧石器は、大阪市平野区の長原遺跡から出土した石器群110数点で、約3万数千年前の後期旧石器時代の初期と考えられる。それは、これらの石器の出土層より上位層の火山灰層が姶良Tn火山灰であったことから年代の推定ができる。石器群はサヌカイト製の2 - 3センチメートルの小石器と削器・掻器などの加工具であった[35]。
縄文海進により大阪湾が発生、南部から突き出た上町台地を砂嘴とする半島ができ、東部は河内湾となる。縄文時代中期には既に人が集住し、漁撈・採集などの生活を営んでいたことが、森之宮付近の遺跡から明らかになっている。弥生時代になると半島は砂州となり河内湾は淡水化、やがて河内湖となる。河内湖周辺は自然環境に恵まれており、農耕の発展により大規模集落が出現し、海運や大陸との交易の拠点となる。
大阪湾の奥、淀川・大和川の河口に突き出た上町台地が大阪市の町の原点である。天忍日命を始祖とする大伴氏や天忍人命を始祖とする津守氏が本拠を置いた場所であり、応神天皇は行宮として難波大隅宮(なにわのおおすみのみや)を置き、仁徳天皇は難波に都を定め宮居を難波高津宮(なにわのたかつのみや)[注 2] とし、欽明天皇の難波祝津宮(なにわのはふりつのみや)も営まれた。また、飛鳥時代に入ると孝徳天皇や聖武天皇の難波宮(なにわのみや)などが営まれた。難波宮で大化の改新が行われ、以後、日本という国号の使用とともに元号の使用が始まったとされる。後には難波京が置かれ、古代に住吉津や難波津、中世に渡辺津と大阪平野や奈良盆地の政治勢力の瀬戸内海における港湾都市、国内流通の中心であり、首都や副都が置かれた。律令国では摂津国の範囲。
中世には京都に政治の拠点が移動したため、その瀬戸内海の外港の地位も大輪田泊や神崎などに移ったが、その間も四天王寺や住吉大社周辺は宗教的な要地として、また渡辺津は熊野や住吉巡礼の拠点・淀川河口の拠点としてある程度栄えていた。南北朝時代には後村上天皇の皇宮(住吉行宮)が約10年間、住吉大社宮司の津守氏の住之江館(正印殿)に置かれ、次の長慶天皇もここで即位。その後蓮如により上町台地突端に石山本願寺が開かれ、全国の浄土真宗の本山となった。その寺内町では商工が発展した。
織田信長によって破壊された石山本願寺の跡地に、豊臣秀吉が大坂城を築いて再び政治の中心となり、同時に大規模な城普請で人と物資が集まって再び経済の中心地(本格的に日本経済の中心になったのは近世中期ごろからである)となった。しかし、1615年の大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣氏も滅ぼされた。1619年、大坂城下は江戸幕府の天領となり復興、幕府の派遣した大坂町奉行が支配するところとなる。江戸はまだ出来たばかりで商品生産力がない上、参勤交代で大名・家来などによって大消費地となった。大坂城以前から自治都市を形成し、朱印船貿易で活躍した豪商末吉孫左衛門などを輩出した平野郷の平野商人の平野や、京都伏見商人の伏見はその後、平野町、伏見町として大坂の町名に残るものとなる。江戸へは当時の工業都市である京などから大坂を経由して菱垣廻船・樽廻船で物資が運ばれた。淀屋などが活躍した中之島周辺にはさらに各藩の蔵屋敷が集積し、北前船も入港して、大坂は「天下の台所」として経済・商業の中心的役割を担った。付随して、裕福になった町人により、文楽をはじめとした様々な文化が生み出された。また河川・運河とそれに架かる橋の多さから、江戸の「八百八町」や京都の「八百八寺」に対して「八百八橋」と称された。
明治時代から昭和時代初期は、政府が造幣局や砲兵工廠を置き、金属工業や繊維産業を中心に商社・卸売・新聞など様々な商工業が発展し「東洋一の商工地」と称され、多くの企業が勃興した。メセナが活発に行われた阪神間の「阪神間モダニズム」と呼ばれた時代には、六大都市の一つとして幕末から明治時代当初にかけて明治政府による藩債処分などの影響により大打撃を与えられていた大阪市だが再び日本の中心の一つとなった。関東大震災後には、周辺の東成郡・西成郡全域の編入と東京からの移住者(横浜や名古屋や神戸にも移住者あり)も加わって大阪市は、1932年の東京市の市域拡張までの間、日本最大の都市となり、世界でも第6位となった。そのため、「大大阪」と称されたこともあった。しかし、昭和10年代より政府が戦時統制を敷き、文化・芸術・教育・産業その他あらゆる分野の中枢を東京に集めたことで[要出典]、相対的地位は低下していった。
2004年から2005年にかけて、大阪市において、カラ残業・ヤミ年金・ヤミ退職金・ヤミ専従など様々な職員厚遇問題が明らかとなった。これを受けて、大阪市福利厚生制度等改革委員会が設けられ、2012年から本格的な改革が行われるようになった[60]。
大阪市の市本庁舎地下1階には、職員労組の本部事務所が複数入居している。勤務時間中に職場を離れて、政治活動に参加していた職員もいた。しかし、大阪維新の会の橋下徹はこれを問題視。橋下徹は「職務と政治活動が区別できないのなら、まずは建物から出て行ってもらう」と述べ、退去を求めた。職員労組の事務所の賃料は、家賃もコンビニなどの業者と比べて6割減免されていた[61][62]。
職員の外郭団体への天下りが、2011年には全国で最多となっていた[63]。しかし、大阪維新の会(当時)橋下徹は、2012年に外郭団体などへの天下りを原則禁止とする職員基本条例を制定。「大阪市から300万円以上の補助金」などを受ける団体などに、市の職員は原則再就職できなくなった[64]。
選挙区 | 会派名 |
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北区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
都島区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
福島区および此花区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
中央区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
西区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
港区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
大正区および西成区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
公明党大阪府議会議員団 | |
天王寺区および浪速区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
西淀川区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
淀川区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
公明党大阪府議会議員団 | |
東淀川区 (2) | 無所属 |
公明党大阪府議会議員団 | |
東成区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
生野区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
旭区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
城東区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
自由民主党大阪府議会議員団 | |
鶴見区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
阿倍野区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
住之江区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
住吉区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
公明党大阪府議会議員団 | |
東住吉区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
平野区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
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大阪市は、大阪都市圏および京阪神大都市圏における都市中枢地区として、神戸とともに経済の中心地の一つを成す。大阪市の市内総生産は約20兆円[70]、京阪神大都市圏のGRP(域内総生産)は約80兆円に及び、トルコやサウジアラビアといった地域大国と呼ばれる国家のGDP(国内総生産)に匹敵する。また、都市圏経済規模としては世界7位の規模を有する[71]。
大阪は長い歴史の中で、主に商人や町人による民間資本で発展してきた、日本では珍しい大都市である。日本では他に堺や博多が該当し、海外ではニューヨークやアムステルダム、シンガポールなどがこれに該当する。このような経済における歴史的背景は、自由闊達・自主独立・進取果敢・反骨精神といった、大阪の豊かな都市精神や商人町人文化を形成する一因となった。
大阪市は、課税総面積に占める商業地区の割合が約13%で全国の大都市の中で首位であり(2位の東京区部の約6%を大きく上回る)、歴史的にも商いが盛んであったことから、日本の商都と呼ばれている。大阪で生まれた住友、三菱などの財閥系企業や都市銀行が、企業合併や日本政府の要請に応じる形で本社を東京に移すにつれ、経済の中心地としての影響力は低下したものの、日本第二の都市としての地位は健在である(詳しくは「東京一極集中」を参照)。
阪神工業地帯の中核都市として、明治・大正期には「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほどの工業都市であったが、高度経済成長期以後は工場の郊外・海外への移転が相次ぎ、現在では大阪市の総生産額における製造業の割合は1割程度である。此花区や住之江区、西淀川区などの西部臨海区には大規模工場が多く立地する一方、東成区や城東区、生野区などの東部内陸区には中小企業の工場が多く立地する。これら中小企業には、高度な技術力を有している企業も数多く存在し、日本経済の影の主役ともいわれている。
現在の経済活動で大きな割合を占めるのは、伝統的に盛んな分野である卸売・小売りであり、市内総生産の約4分の1を創出している。その他には科学技術・サービス、情報通信などの分野が盛んである[72]。
近年では国際観光産業が大きく興隆し、2019年度には都市別外国人訪問者数で世界25位、都市渡航先者数で世界12位を記録するなど、世界的な競争力を有している。また、この分野におけるさらなる競争力強化のため、市は大阪府と共同で、此花区の夢洲にてカジノを含む統合型リゾート (大阪IR) の誘致を行っている。
大阪市は世界44位、アジア太平洋地域14位の金融センター(2024年9月/Z/YenG社調査)との評価を受ける[16] 一方、国際化の遅れが課題である。市は都市政策として国際金融都市構想を掲げ、国際金融の育成を目指している。
不動産業も大阪の重要な産業の一つであり、商業用不動産投資額において世界31位(2020年/JLL社調査)の規模を有する。また同社の2019年の調査において、商業用不動産モメンタム(不動産市場の成長)において世界1位の都市と評価された[73]。これら不動産投資をはじめ、不動産開発などの多くは大阪都心6区および9区に集中している。
また、iPS細胞に代表されるような医療産業も世界的な競争力を有しており、再生医療、医薬品、医療ツーリズムなどを含めたライフサイエンス産業の興隆が今後期待されている。
大阪の利用空港である関西三空港(関西国際空港・大阪国際空港・神戸空港)の総旅客数は約5177万人(2019年)、海港である阪神港湾のコンテナ取扱量は約532万TEU(2019年)である。いずれも世界上位に位置するが、首位級の都市と比較すると依然開きがある。
フォーチュン・グローバル500における、世界的大企業の本社数(2020年/フォーチュン誌調査)において、大阪からは7社がランクインしており、これは都市別で世界11位である。以下には大阪に本社を置く主な企業を挙げる。
中央省庁の近畿地方を管轄する出先機関(地方支分部局)の多くが、中央区大手前界隈に集積している。
大阪市は以下の24区から構成される。区の数は政令指定都市では最も多い。
コード | 区 | 設置日 | 推計人口 | 面積 | 人口密度 | 設置理由 |
---|---|---|---|---|---|---|
27102 | 都島区 | 1943年4月1日 | 109,249人 | 6.08km2 | 17,969人/km2 | (旧)北区と旭区より分区 |
27103 | 福島区 | 1943年4月1日 | 83,255人 | 4.67km2 | 17,828人/km2 | (旧)北区と此花区と西淀川区より分区 |
27104 | 此花区 | 1925年4月1日 | 63,613人 | 19.30km2 | 3,296人/km2 | 西区と(旧)北区より分区 |
27106 | 西区 | 1889年4月1日 | 113,260人 | 5.21km2 | 21,739人/km2 | 市制施行時に設置 |
27107 | 港区 | 1925年4月1日 | 80,319人 | 7.86km2 | 10,219人/km2 | 西区と(旧)北区より分区 |
27108 | 大正区 | 1932年10月1日 | 59,603人 | 9.43km2 | 6,321人/km2 | 港区より分区 |
27109 | 天王寺区 | 1925年4月1日 | 87,268人 | 4.84km2 | 18,031人/km2 | 東区と南区より分区 |
27111 | 浪速区 | 1925年4月1日 | 84,573人 | 4.39km2 | 19,265人/km2 | 南区より分区 |
27113 | 西淀川区 | 1925年4月1日 | 96,487人 | 14.21km2 | 6,790人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
27114 | 東淀川区 | 1925年4月1日 | 176,536人 | 13.27km2 | 13,303人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
27115 | 東成区 | 1925年4月1日 | 87,220人 | 4.54km2 | 19,211人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
27116 | 生野区 | 1943年4月1日 | 127,282人 | 8.37km2 | 15,207人/km2 | 東成区と住吉区より分区 |
27117 | 旭区 | 1932年10月1日 | 89,992人 | 6.32km2 | 14,239人/km2 | 東成区より分区 |
27118 | 城東区 | 1943年4月1日 | 167,970人 | 8.38km2 | 20,044人/km2 | 東区と東成区と旭区より分区 |
27119 | 阿倍野区 | 1943年4月1日 | 112,159人 | 5.98km2 | 18,756人/km2 | 東成区と住吉区より分区 |
27120 | 住吉区 | 1925年4月1日 | 152,498人 | 9.40km2 | 16,223人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
27121 | 東住吉区 | 1943年4月1日 | 129,058人 | 9.75km2 | 13,237人/km2 | 東成区と住吉区より分区 |
27122 | 西成区 | 1925年4月1日 | 105,947人 | 7.37km2 | 14,375人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
27123 | 淀川区 | 1974年7月22日 | 187,536人 | 12.64km2 | 14,837人/km2 | 東淀川区より分区 |
27124 | 鶴見区 | 1974年7月22日 | 111,266人 | 8.17km2 | 13,619人/km2 | 城東区より分区 |
27125 | 住之江区 | 1974年7月22日 | 116,699人 | 20.68km2 | 5,643人/km2 | 住吉区より分区 |
27126 | 平野区 | 1974年7月22日 | 185,396人 | 15.28km2 | 12,133人/km2 | 東住吉区より分区 |
27127 | 北区 | 1989年2月13日 | 147,556人 | 10.34km2 | 14,270人/km2 | (旧)北区と大淀区が新設合併 |
27128 | 中央区 | 1989年2月13日 | 117,165人 | 8.87km2 | 13,209人/km2 | 東区と南区が新設合併 |
梅田を中心とするキタや、難波や心斎橋を中心とするミナミが大阪の2大繁華街として挙げられる。梅田は百貨店面積で日本第1位、同売上高で東京・新宿に次ぐ第2位であり、日本屈指の繁華街を形成している。またミナミは心斎橋・難波・道頓堀・千日前などの繁華街が地理的に統合し、一体的かつ広域的な巨大商業エリアを形成している。
大阪駅や北新地駅・私鉄・地下鉄の各駅を含む大阪・梅田駅は大阪における鉄道交通の要所であり、1日約240万人が利用する一大ターミナルである。これは、東京の新宿駅・渋谷駅・池袋駅に次いで世界第4位である(詳しくは「梅田地区の鉄道駅」を参照)。新大阪駅、梅田駅、淀屋橋駅、心斎橋駅、難波駅、天王寺駅などの主要駅をOsaka Metro(旧・大阪市営地下鉄)御堂筋線が南北に結んでいる。
かつては大阪市内にも大学は数多く所在したが、市域が狭い上に、工場等制限法の影響も受け、大きなキャンパス用地確保のために郊外へ移転した大学が多い(大阪大学・関西大学・近畿大学など)。そのため他の大都市に比べて、市内の大学数は少ない。大学生数も、大阪府下の吹田市、東大阪市より少ない。
最近になり大学の誘致・連携を推進する大阪市は、大阪府内45大学の連合組織大学コンソーシアム大阪、それに関西社会人大学院連合との間で連携協定を結び、2007年10月から大阪駅前第2ビル内に活動拠点「キャンパスポート大阪」を提供している。
★はメインキャンパス ☆は学部が置かれているキャンパス
25の大学が、社会人への講義のために、便利な大阪都心にサテライトキャンパスを設置している。
大学とは異なり、広大なキャンパスを必要としないため、交通の便から市内に専修学校は多数ある。大阪市内においては大学の学生数より専修学校専門課程(専門学校)の生徒数の方が多い。大阪市立3校、私立163校(うち休校7校)の専修学校がある。大阪府専修学校一覧#大阪市参照。
大阪市の小学校・中学校・高等学校の数は、以下の表の通り(2020年度学校基本調査による)。
設置者 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
大阪市立 | 297校(4分校) | 130校(1分校) | 22校 |
国立 | 2校 | 2校 | 1校(2校舎) |
大阪府立 | - | - | 39校 |
私立 | 7校 | 25校 | 37校 |
学校名のリストおよび各学校の記事については、各区記事および大阪府小学校一覧・大阪府中学校一覧・大阪府高等学校一覧を参照。
大阪市では2021年度まで市立の高等学校を設置していた。
大阪市では歴史的経緯から市立の実業系高等学校を主に設置していたが、普通科系の市立高等学校も設置し、大阪府立高等学校とは異なった方向での特色化・個性化を図る教育活動を行っていた。2000年代以降には市立高校の統廃合・再編も検討されるようになった。既存校の統廃合による市立中高一貫校の設置方針が具体化し、2008年度には大阪市立中高一貫校の大阪市立咲くやこの花中学校・高等学校が開校した。また大学との連携で7年教育を行う「新商業高等学校」の設置方針も具体化され、従来の商業系高等学校3校を統合する形で、2012年度には「新商業高等学校」にあたる大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校が設置された。さらに2000年代から工業高等学校の改編による「総合技術高校」設置の構想が検討され、2020年には「新工業系高等学校」として市立工業系高等学校3校を統合改編することが打ち出された[75]。また2017年には普通科系高等学校の再編による「新普通科系高等学校」の構想が打ち出された[76]。
一方で2010年代以降、大阪市立高校を府立に移管する構想が打ち出され、大阪市・大阪府の両教育委員会で検討された。大阪市立の高等学校は2022年4月1日付で大阪府に移管され、移管時点で存在していた市立高等学校22校は大阪府立高等学校となった。
大阪市教育委員会が検討していた「新普通科系高等学校」は大阪市が設置を準備した上で、大阪府移管と同時の2022年度に大阪府立桜和高等学校として開校した。また構想中の「新工業系高等学校」については、大阪府教育委員会が計画を引き継いで具体化させる形で、府立高校として再編設置することを検討している。
以下に参考として、2021年度まで大阪市立だった高等学校のリストを記す。2021年以前に閉校となった大阪市立の高等学校については大阪府高等学校の廃校一覧#大阪市を参照。
大阪市には国立1校、大阪府立16校・1分校の特別支援学校が設置されている。
大阪市では特別支援教育の各分野ともに、市としての長い教育実践や研究を有していた。視覚障害教育・聴覚障害教育では、1899年に五代五兵衛が設置した大阪盲唖院が1919年に大阪市に移管され、後年の大阪市立盲学校(現在の大阪府立大阪北視覚支援学校)、大阪市立聾学校(現在の大阪府立中央聴覚支援学校)へとつながっている。また知的障害教育の分野では、1940年に設置された大阪市立思斉学校(現在の大阪府立思斉支援学校)は日本で初めての知的障害児対象の学校でもある。
しかし大阪市および大阪府の方針により、大阪市立特別支援学校12校は2016年4月1日付で大阪府に移管されることになった。
以下に参考として、大阪市内に立地する特別支援学校の名称を列記する。なお、☆印は2015年度まで大阪市立で、2016年度に大阪府立に移管された学校を示す。
Dは地上デジタルテレビジョン放送<IDはリモコンキーID>、AM・FMはラジオ放送のことを指す。全局とも本社は大阪市内にある。民放局の社名は関西テレビとテレビ大阪を除き、全てキー局の親会社にあたる新聞社名が入った社名となっている。
市役所最寄り駅は淀屋橋駅・大江橋駅。Osaka Metro御堂筋線が市内交通における大動脈として機能しており、新大阪駅-梅田駅-難波駅-天王寺駅といった重要駅を南北に結んでいる。また、在阪の大手私鉄5社の主要ターミナル駅は全て御堂筋線の駅と接続している。
ここではまたは1日平均乗降人員が20万人を越えている駅、または3路線以上が乗り入れかつ1日平均乗降人員が10万人を超えている駅を記す。
このほか、2013年3月に廃止された大阪市営バスの赤バスの代替として、区が民間事業者に委託し運行しているバス路線がある[77]。
市域の大部分を大阪シティバスが運行しているが、この経緯については当該項を参照のこと。乗車方法は後乗り前降り後払いで運賃は均一制だが、一部で異なる方式を採用している事業者や路線もある。大阪シティバスの一部路線と北港観光バスを除き非接触型ICカードのPiTaPaとICOCA[注 4] が利用できる。
また、広範な連絡として、大阪駅と名古屋駅を結ぶ名神ハイウェイバスや、首都圏などと大阪市内(梅田、難波地区など)を含む京阪神地区を結ぶ高速路線バス、ツアー形式の貸切バス(ツアーバス)が多数運行されている。
高速路線バスについては、市内では主に以下の地点に発着する。
市内の幹線道路は、南北に走る路線を「筋(すじ)」、東西に走る路線を「通(とおり)」の愛称が付いている。
代表的な「筋」
代表的な「通」
当市内に空港は存在しないものの、当市近隣に関西三空港が存在する。関西三空港のうち、最寄は北摂にある国内線専用の基幹空港の大阪国際空港(伊丹空港)である。泉州沖には国際空港である関西国際空港がある。神戸沖には神戸空港があり、国内線の一部幹線が就航している。かつては、大阪市は大阪国際空港の地元自治体の連合である大阪国際空港周辺都市対策協議会(現:10市協)に所属していたが、現在は脱退している。
施設名の後の「重要文化財」は国指定の重要文化財を示す。
ほか多数
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