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第4師団の前身は大阪鎮台。創設時の歩兵連隊は、第8、第9、第10及び第20連隊からなる。創設間もない鎮台時代から佐賀の乱・萩の乱・西南の役に従事。隷下連隊は江戸や地方と違って士族や農民が少なく商人の割合が高い大阪連隊だったが、西南の役では示現流で斬り込んで来る薩摩武士相手に多大な損害を出すも奮戦し、明治天皇直々にその勇敢勇戦さを賞されている。
日清戦争時には遼東半島に上陸、同地の警備に当たる。日露戦争時には小川又次を師団長として、南山の戦い、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加した。
1932年(昭和7年)11月、陸軍特別大演習実施。師団司令部が大本営となる。同月10日から16日まで昭和天皇が行幸、司令部が宿泊先となる[3]。
1937年(昭和12年)2月、師団は満洲に駐屯し、まもなく盧溝橋事件が勃発。日中戦争では華北や満蒙を転戦した。 この間の1939年(昭和14年)3月1日、枚方市の禁野火薬庫で大爆発が発生した際には歩兵1個大隊、工兵1個中隊、救護班4班を急派して消火、救援活動が行われている[4]。 1940年(昭和15年)7月には中支に派遣され、漢水作戦、予南作戦、江北作戦等に参加。1941年(昭和16年)9月には、第一次長沙作戦に従事。
この後、師団は大本営直轄となり、来るべき南方作戦に備えて部隊の集結と再編成を行った(編制を4単位制師団から、3単位制に移行。篠山の歩兵第70連隊は第25師団に編入された)。
1941年(昭和16年)12月8日勃発の太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦では、フィリピン攻略作戦に参加し、第2次バターン半島攻略作戦に従事。第4師団はコレヒドール島上陸に成功し同攻略戦の勝利に大きく寄与した。その後内地帰還し復員。1943年(昭和18年)9月、再度動員されスマトラ島警備やビルマ方面を担当する第15軍の隷下に入りタイに移動。同国のランパンにおいて終戦を迎えた。
鉄道唱歌の東海道第1集57番に「三府の一に位して 商業繁華の大阪市 豊太閤の築きたる 城に師団は置かれたり」と歌われた第4師団司令部は、大阪城本丸に置かれていた。前身の大阪鎮台本営も本丸に置かれ、1885年(明治18年)より本丸に移築された和歌山城二の丸御殿の一部(紀州御殿)に入り、第4師団創設以降も司令部は紀州御殿に入っていた。1918年7月1日、兵器部が大阪陸軍兵器支廠内仮事務所を閉鎖し司令部内に移転し事務を開始[5]。
1931年(昭和6年)に大阪城天守の再建と同時進行で本丸南東角に新庁舎(写真右の建物)が建設され、移転した。これは、昭和御大典記念事業として大阪市が本丸の公園化および天守再建を計画したことによる。同年11月6日に大手前公園(1924年開園)と本丸を合わせ大阪城公園が開園。司令部庁舎の建設には市民からの募金のうち80万円が充てられた。設計は第4師団経理部によるもので、欧州の古城を模した重厚なロマネスク様式である。紀州御殿は大阪市に移管され、1932年(昭和7年)の陸軍特別大演習の際に昭和天皇の行幸があり、翌年に天臨閣と改称された。
1935年(昭和10年)に、大阪に中部防衛司令部が設置されることになり、第4師団がその編成を担当することになった。師団司令部庁舎の一部を模様替えして部屋を用意し[6]、8月4日に中部防衛司令部が業務を開始した[7]。
1940年(昭和15年)に中部防衛司令部が中部軍に拡大改組すると、第4師団司令部は二の丸南曲輪(現在の豊國神社鎮座地)に移転することになった。大坂城の東側には当時東洋最大と謳われた大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)もあり、大戦末期の1945年(昭和20年)8月14日にアメリカ陸軍航空軍から集中的な爆撃を受けた。工廠の大半は壊滅し、城郭も石垣の一部が崩落する等の被害が出たが、司令部庁舎は頑丈なつくりであったため大きな被害を受けることなく大戦を生き抜き、天守と共に大坂城本丸の二大建造物かつ貴重な戦争遺跡として残っている。なお司令部庁舎は最終的には、1945年2月1日に旧中部軍を改編し編成された第15方面軍(兼中部軍管区)司令部となり、敗戦を迎えている。
敗戦後は占領軍に接収され、1947年(昭和22年)に占領軍の失火により天臨閣が焼失したが、司令部庁舎は1948年(昭和23年)から1958年(昭和33年)まで大阪市警視庁(のち大阪府警察本部。現在は大手前に移転)、1960年(昭和35年)から2001年(平成13年)まで大阪市立博物館(現在は大阪歴史博物館に改称され大手前に移転)として使用された。その後長らく使用されていなかったが、2017年(平成29年)にレストラン等が入居するミライザ大阪城に改修され、同年10月19日にオープンした。
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