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かつて大阪府大阪市にあった行政区 ウィキペディアから
東区(ひがしく)は、1989年(平成元年)まで大阪府・大阪市にあった区。現在の大阪市中央区北部・東部に相当する。
東を大阪環状線、南をおおむね長堀通・安堂寺橋通・順慶町通、西を西横堀川(阪神高速1号環状線北行き)、北を土佐堀川・大川・寝屋川に囲まれた、ほぼ長方形の区域であった。郵便番号は東部が540、西部が541。
大阪のシンボルである大坂城や江戸時代から大阪経済の中心地であった船場の大半を管轄していたため、歓楽街のイメージがある南区に対して、ステータス(社会的地位)としての「東区」にこだわる者が現在でも年配者を中心に多い。東区役所の跡地には大阪産業創造館が建っている。
1879年(明治12年)の郡区町村編制法施行により大阪府東区が発足。1889年の市制施行により、そのままの区域と名称で大阪市の下部組織へ移行したが、決して東区が吸収されたわけではなかった。現在のような行政区ではなく、東京市、京都市の区と共に法人格を有し(明治44(1911年)9月市政改正勅令)、選挙で議員を選ぶ独自の「区会(区議会)」を持ち、明治23年(1890年)学事通達により学校設置区(当初は高等小学校、後に実業学校を設置)でもあり、中等教育と財産区を併せ持った性格の法人区であった。
しかし、1940年(昭和15年)4月の地方税法改正により区の独自課税権(徴収権)を奪われ、区立の実業学校「高等東女学校」(現・大阪市立東高等学校)の維持管理ができなくなり、1943年9月太平洋戦争時下、時局の重大性に鑑み、大阪市政の運営とこれの発展向上に寄与するため」「区有財産の大阪市への寄付に関する議案」区会が可決[1]、更には同年11月には、区議会が解散を決議、法人区としての53年の歴史を終えた[1][2]。
1989年(平成元年)2月13日、南区と統合されて中央区となり、110年に及ぶ歴史の幕を閉じた。
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