日産自動車
神奈川県横浜市西区にある自動車メーカー ウィキペディアから
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日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ、英: NISSAN MOTOR CO.,LTD.[3])は、神奈川県横浜市西区に本社を置く、日本の多国籍自動車メーカー。同社の筆頭株主であるルノー、三菱自動車工業の3社で「ルノー・日産・三菱アライアンス」を形成する[4][5] [6][7]。また、三菱自動車工業の筆頭株主でもある[8]。
神奈川県横浜市のグローバル本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
機関設計 | 指名委員会等設置会社[1] |
市場情報 | OTC Pink NSANY |
略称 | 日産 |
本社所在地 |
日本 〒220-8686 神奈川県横浜市西区高島一丁目1番1号(日産自動車グローバル本社) 北緯35度27分48.54秒 東経139度37分34.12秒 |
本店所在地 |
〒220-8623 神奈川県横浜市神奈川区宝町2番地 北緯35度28分50.21秒 東経139度39分50.07秒 |
設立 |
1933年(昭和8年)12月26日 (自動車製造株式会社) |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 9020001031109 |
事業内容 | 自動車産業 |
代表者 | 内田誠(取締役兼代表執行役社長兼CEO) |
資本金 |
6058億1373万4035円 (2022年3月31日現在) |
発行済株式総数 |
42億2071万5112株 (2022年3月31日現在)[2] |
売上高 |
連結:8兆4245億8500万円 単独:2兆4093億4800万円 (2022年3月期)[2] |
経常利益 |
連結:3061億1700万円 単独:△2084億4500万円 (2022年3月期)[2] |
純利益 |
連結:2155億3300万円 単独:△1143億8700万円 (2022年3月期)[2] |
純資産 |
連結:5兆295億8400万円 (2022年3月期)[2] |
総資産 |
連結:16兆3714億8100万円 (2022年3月期)[2] |
従業員数 |
連結:13万1719人 単独:2万3525人 (2023年9月30日現在) |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人 |
主要株主 | ルノー(15.0% 相互所有) |
主要子会社 |
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関係する人物 | |
外部リンク |
www |
北アメリカなどの国では高級車ブランドのインフィニティ(Infiniti)を展開している。春光グループの春光会、芙蓉グループの芙蓉懇談会の会員企業である[9] [10]。日経平均株価及びTOPIX Large70の構成銘柄の一つ[11] [12]。
1990年代後半から日産が経営危機に陥ったことを契機に、フランスのルノーと資本提携を結び、ルノーは同社の筆頭株主としてカルロス・ゴーンを送り込んでリストラなどの経営再建を図った。そのため、ルノーが日産の発行済み株式の約44%を所有して日産に対し強い議決権を持つに至り、日産に役員を送り込むなどしており、両社はさまざまな経営資源を融通し合うことで競争力を高めるアライアンス関係にあった。しかし、2023年(令和5年)以降はルノーから日産への出資比率は15%に引き下げられ、対等な資本関係となった[13]。日産の関連会社には、委託製造会社である日産車体、モータースポーツと特装車やカスタムカーを担う日産モータースポーツ&カスタマイズなどがある。
国外では高級車の「インフィニティ」ブランドを展開しており、過去には新興国向けの低価格車ブランド「ダットサン」での展開も行っていたほか、ルノーの車種を「日産」ブランドで販売している(ルノー・ジャポンは日産グローバル本社屋内に籍を置く)。海外では特にSUVと小型車、ピックアップトラックに強みを持っており、日産の2021年(令和3年)のグローバル販売台数は382万台、グローバル生産台数は338万台である。
2010年(平成22年)の世界販売台数は400万台の大台を突破し、日本の自動車メーカーとしてはトヨタ自動車に次いで第2位となった[14]。2017年(平成29年)の上半期には、ルノー、三菱自動車と合わせた世界販売台数でグループ第1位を獲得した。ここ数年での国内の登録車台数において本田技研工業に次いで第3位となっている。
女性活躍推進に優れている企業を選定・発表している経済産業省と東京証券取引所との共同企画である「なでしこ銘柄」に第一回(2012年度)から連続して選定されている(2017年度まで)[15][16]。
日本の自動車メーカーではいち早く電動化技術に対応し、2022年(令和4年)7月以降、日本国内向け二次電池式電気自動車は日産リーフをはじめ、日産アリア、日産サクラの3車種に上る。
また、日産独自のシリーズハイブリッドシステムである、e-POWERを様々な車種に搭載している。
1905年に、鮎川義介が最先端技術であった鋳物技術の習得へ渡米した際に、米国工業の頂点に自動車工業があると見たことに端を発する。
義介の帰国後、大叔父の井上馨の斡旋により、親戚の久原家、貝島家、藤田家、三井家の出資を受け、1910年に福岡県戸畑市(現在の北九州市戸畑区)において戸畑鋳物株式会社(現在のプロテリアル、旧日立金属)を創設し、義介が専務技師長となり鋼管製造の傍ら、1924年には農業用・工業用・船舶用石油発動機製造販売へ事業を発展させた。戸畑鋳物東京製作所(深川)を新設し1929年(昭和4年)に自動車用マレブル鋳鉄製造を始める一方で、久原家が興した久原鉱業の社長に就任して同社を改組し、1928年に日本産業株式会社(略称、日産)とした。後の日本産業コンツェルンの基となる。
戸畑鋳物株式会社の傘下として、1931年にダット自動車製造株式会社を収めるものの、1933年(昭和8年)ダット自動車製造株式会社が、株式会社石川島自動車製作所と合併し自動車工業株式会社(現在のいすゞ自動車)を設立するに際して、戸畑鋳物株式会社がダットサンの商標と製造権、および、大阪工場を無償で譲り受け、日本産業株式会社の出資を加えて同年12月に、新ためてダットサンの製造のために自動車製造株式会社を設立する。同社を、翌1934年(昭和9年)に日産自動車株式会社と改称したのが、興りである。
1936年(昭和11年)9月14日、自動車製造事業法に基づき豊田自動織機製作所とともに政府から自動車製造許可を受けた[17]。
なお、先の自動車工業株式会社は、橋本増治郎が1911年に設立した快進社がルーツであり、1914年に誕生したダット号が初の自動車の開発・製造であった。しかし、ダットサンの知財と大阪工場を得たのは日産であった。
創業期より先進技術の吸収に積極的で、日産自動車は日本フォードや日本ゼネラル・モータースなみの大型乗用車を製造するため、1936年にアメリカのグラハム・ペイジから設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため、1952年にイギリスのオースチンと技術提携している。
1958年には、当時世界で最も過酷なオーストラリア大陸一周ラリーに自社開発のダットサン・210型で出場してクラス優勝を飾り、1960年には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」、「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。
1966年8月1日には、経営難に陥ったプリンス自動車工業を通産省主導により合併。スカイライン、グロリアなどの車種と、中島飛行機・立川飛行機の流れを汲む人材を戦列に加えた。またプリンス自動車工業の宇宙開発事業を承継し宇宙航空事業部を発足させた。1968年には富士重工業とも資本業務提携を行っている。
1973年(昭和48年)の米国環境庁(EPA)の燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板およびボディの防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆鋼板(同社では「デュラスチール」と命名)、エンジンの燃焼制御技術の開発からCAD/CAM、産業用ロボットの開発まで、「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきた。
しかし、その反面、戦時中に自動車の配給を独占していた「日本自動車配給株式会社」が戦後に解散となった際、日本国内各地の地元の有力ディーラーの大半がトヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)に組織化されたために販売力でハンデがついてしまい、技術面では「技術の日産」と評されるほどに優位を保っていた反面、販売面ではマーケティングと販売戦略で業界トップとなったトヨタには及ばず、1980年代以降は更にトヨタとの差は広がった。
1980年代には「1990年までに技術世界一になっている」という名の下、全車種を対象に、エンジンをはじめ、シャシやサスペンションの設計目標と、走行実験におけるハンドリング評価基準の大幅な底上げなどに力を注いだ「901活動」が行われており、日本車の商品力向上に大きく貢献したことでは一定の評価を受けている。
1980年代後半のバブル経済(バブル景気)時代には、K10型マーチをベースにしたパイクカーの第一弾として限定1万台で発売され2か月で予約完売となったBe-1や、当時日本唯一の3ナンバー専用の高級車であったY31型シーマや、当時はデートカーとして人気となったS13型シルビアなどをヒットさせ、「Be-1効果」や「シーマ現象」なる流行語まで生みだし、「901活動」のもとで開発されたR32型スカイラインやZ32型フェアレディZなどのスポーツ系車種をはじめとしてP10型プリメーラなどのセダン系車種なども高い評価を得るなど存在感を示していた。しかし、1991年(平成3年)のバブル経済崩壊以降に開発・発売されたU13型ブルーバード(特にEEX/SSS系の4ドアセダン)やC34型ローレル、B14型サニー(同B14型ルキノクーペを含む)、S14型シルビア、R33型スカイライン(同R33型GT-Rは除く)、R11型プレセア、N30型ルネッサなどの車種は終始、販売不振に終わり、低迷の兆しは見え始めていた。
バブル崩壊の影響で、高価格で収益性の高いシーマやセドリック、グロリアなどの高級車の販売が減少した上に、もともと商品企画(いわゆるマーケティング)や販売戦略が不得意な上にヒット車種を数多く出せないこと、さらに過激な組合運動に足を引っ張られ、抜本的なコスト削減もままならないまま財務内容はますます悪化の一途を辿り、「901活動」でコスト上昇を招いた走行実験部やデザイン部を中心としたリストラを断行してもなお1998年(平成10年)には約2兆円もの有利子負債を抱え、経営危機に陥ってしまう。その中でも、A32型セフィーロ、E50型エルグランド、K11型マーチ、C23型バネットセレナ(のちのセレナ)などがコンスタントに販売台数を伸ばして日産を支えていた。しかしながら、R34型スカイラインGT-RやZ32型フェアレディZ、S15型シルビアを始めとしたスポーツカーも後継機を世に送り出すこともなく生産中止となった。
その後、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた日本国内シェアで、ホンダの後塵を拝するようになり、国内シェア第3位に転落した。
継続的な販売の不振により、2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月に、フランスの自動車メーカーのルノーと資本提携(ルノー=日産アライアンス)を結び、同社の傘下に入り更生を図ることとなった。
提携内容は、ルノーが6430億円(約50億ユーロ/330億フランスフラン/54億USドル)を出資し、日産自動車の株式36.8%、および日産ディーゼル工業の株式22.5%を取得するとともに、日産自動車の欧州における販売金融会社も取得するというものだった。
当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさや労働組合の抵抗などを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。 同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)であったルイ・シュヴァイツァーの指示により同社副社長のカルロス・ゴーンが新たな最高経営責任者(CEO)に就任した。ゴーンらのチームは、同年10月19日に発表した「日産リバイバルプラン(NRP)」のもとリストラを進めた。
ルノーから資金や人員が注入されると同時に、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場、京都府宇治市の日産車体京都工場の乗用車製造ライン、愛知県名古屋市港区の愛知機械工業港工場の生産拠点の閉鎖、資産の売却や人員の削減とともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入れの見直しなどによってコストを削減した。また、これに先立って外国企業の影響を避けるため、宇宙航空事業部が石川島播磨重工業に、富士重工業の株式がゼネラルモーターズにそれぞれ売却され、IHIエアロスペースが設立された。
更に、車種ラインアップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行ったことで販売台数を伸ばし、2003年6月には当初の予定から前倒しで負債を完済した。
ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からはルノーの取締役会長兼CEO(PDG)も兼任している。2013年11月までは、ゴーンCEOの指揮の下で日産自動車生え抜きの志賀俊之が最高執行責任者(COO)を務めていた(現在は日産社内でのCOO職は設けていない)。
2008年には、サブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機や原油高騰による不況の中、世界販売台数は0.9%増加し、アメリカでは自動車販売台数が18%減少の中、日産は10.9%減にとどまった。
2007年春に、企業誘致に熱心な横浜市の「横浜みなとみらい21(MM21) 地区」66街区に本社社屋の建設を着工し、2009年8月2日に「横浜グローバル本社」として竣工した。同年8月7日に、長らく本社のあった東京・東銀座から移転(登記上の本店は、横浜市神奈川区の横浜工場のまま)。当初は、2010年をめどに移転する予定であったが、2009年に横浜開港150周年を迎えるのを機に1年前倒しとなった。この本社立地にあたり、神奈川県から施設整備等助成制度及び横浜市から企業立地等促進特定地域における支援措置を受けることができた。新社屋は建築家谷口吉生の設計によるものとなっている。
なお、東京・東銀座の旧・本社社屋は、読売新聞グループ本社と読売新聞東京本社が建て替えに伴う間の仮本社として2010年9月から2014年1月まで使用していた。この建物は、今後三井不動産が2015年1月の完成を目途に一部改修したうえで、同社の本社機能の一部を移転させるとしている。これは現在の三井不動産本社がある中央区日本橋室町の「三井別館」が、再開発事業により取り壊されるためである[18]。
2014年には、2018年までにルノーとの部品共通化を7割まで拡大すると発表した[19]。
三菱自動車工業との共同開発で軽自動車の販売をしておりミニキャブ→クリッパー、ekワゴン→デイズとして販売している。
2015年度、2010年代の営業利益のピークを迎える。北米市場の売り上げ増が拡大の原動力となっていたが、内情はモデルチェンジのサイクルを伸ばし、インセンティブの積み増しによる薄利多売が支えていたもので、ピークアウトした2016年度以降はインセンティブの効果も薄れ営業利益が激減していった。モデルチェンジのサイクル延長は、カルロス・ゴーン代表取締役の方針によるものだったとされ、代表取締役が離脱(後述)した後は各国の投入する車種群の見直しが進められた[20][21]。
2016年4月に三菱自動車の燃費偽装問題が発覚した事に関連し、5月12日に日産が2370億円で三菱自動車の発行済み株式の34%を取得し筆頭株主となり、戦略的アライアンスを締結すると共に、三菱自動車の再建を支援すると発表した[22][23]。同年10月20日に日産が2370億円で三菱自動車工業の発行済み株式の34%を取得し筆頭株主となり、ルノー・日産アライアンスに加わったことを発表した。2017年9月15日に発表した新6ヶ年計画では三菱を含めてさらにアライアンスを強化し、アライアンス全体のパワートレインの共通化を従来の1/3から3/4に拡大するとしている[24]。
2017年1月、ディー・エヌ・エー(DeNA)と提携し「自動運転タクシー」の開発を進めると発表した(2017年度より「Easy Ride」として実証実験も開始[25][26])。
2017年9月29日まで、同社の日本国内の全6工場で生産した21車種について完成検査の一部を未認定の検査員が行っていたことが明らかになり、新車販売を一時停止する事態となった[27]。同年10月6日、新車の完成検査を無資格の従業員が行っていた問題を受け、乗用車など38車種、計約116万台のリコール(回収・無償修理)を国土交通省に届け出た。
筆頭株主のルノーから派遣されたカルロス・ゴーンが代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を2017年3月まで務めた。同年4月からは会長に専念、また2005年4月よりルノーの取締役会長兼CEO(PDG)も兼任してきたが、2018年11月19日、金融商品取引法違反容疑で逮捕された(後述)。日産自動車は同月22日に開かれた臨時取締役会で、同代表取締役のグレッグ・ケリーとゴーンの代表取締役会長職の解任を決議した[28]。
2019年2月3日、イギリス北東部のサンダーランド工場で計画していたSUV「エクストレイル」の次期モデル生産を撤回すると発表した。欧州向けを九州の工場で製造するとみられる[29]。
2020年5月28日に発表した2019年度決算で日産自動車は1992年決算以来27年ぶりの巨額の赤字決算に転落した(総額6712億円)[30]。これと同時に事業構造改革計画「NISSAN NEXT(ニッサン ネクスト)」を発表し、コスト削減、過去の過度な値引きに依存した販売体制・老朽車種の刷新、電動化への対応を打ち出した[31]。翌2020年度決算では新型コロナウィルス(COVID-19)の影響により減収減益になってしまったものの、2019年度決算時に掲げた、損益分岐点の引き下げ、生産能力の削減、新型車の導入に成功した[32]。業績は依然予断を許さない状況にあるが、快方に向かっている。
2020年7月15日、新CIが導入され、ブランドロゴが19年ぶりに一新された(詳細は後節)。また、同年8月1日から10月23日まで体験型エンターテインメント施設「NISSAN PAVILION Yokohama(ニッサンパビリオン)」を横浜みなとみらい地区(61街区)に期間限定開設した[33][34]。
2022年10月、ルノー、日産の両社は共同声明を発表し、資本関係の見直しとの引き換え条件に、ルノーが欧州で計画する電気自動車(EV)新会社に日産も出資を検討していることを明らかにした[35]。ルノーは現在、日産株43%を保有しているが、資本関係上の「不平等」を疑問視する声は根強く、このため、日産が出資比率の引き下げを改めて要請。ルノーが日産株を15%まで下げ、日産が持つルノー株の15%にそろえるのを軸に協議を進めると伝えられている[35]。
2023年2月6日、日産とルノーは出資比率を15%の対等に揃えることなどを柱とした新たな提携で合意したと発表した[36]。
名前 | 任期 | 注 | |
---|---|---|---|
初代 | 鮎川 義介(あいかわ よしすけ) | 1933年12月 - 1939年 5月 | 1967年2月13日死去 |
2代 | 村上 正輔(むらかみ まさすけ) | 1939年1942年 2月 | 5月 -|
3代 | 淺原 源七(あさはら げんしち) | 1942年1944年 9月 | 3月 -|
4代 | 工藤 治人(くどう はると) | 1944年1945年 6月 | 9月 -1963年10月死去 |
5代 | 村山 威士(むらやま たけし) | 1945年 | 6月 - 1945年10月|
6代 | 山本 惣治(やまもと そうじ) | 1945年10月 - 1947年 5月 | |
7代 | 箕浦 多一(みのうら たいち) | 1947年1951年10月 | 5月 -|
8代 | 淺原 源七(あさはら げんしち) | 1951年10月 - 1957年11月 | 3代目社長の復帰 1970年8月23日死去 |
9代 | 川又 克二(かわまた かつじ) | 1957年11月 - 1973年11月 | 元同社相談役 1986年3月29日死去 |
10代 | 岩越 忠恕(いわこし ただひろ) | 1973年11月 - 1977年 6月 | 1981年3月19日死去 |
11代 | 石原 俊(いしはら たかし) | 1977年1985年 6月 | 6月 -2003年12月31日死去 |
12代 | 久米 豊(くめ ゆたか) | 1985年1992年 6月 | 6月 -現日蘭協会・(社)日本自動車会議所 顧問 2014年9月10日死去 |
13代 | 辻 義文(つじ よしふみ) | 1992年1996年 6月 | 6月 -2007年2月11日死去 |
14代 | 塙 義一(はなわ よしかず) | 1996年2000年 6月 | 6月 -元同社相談役名誉会長 2015年12月18日死去 |
15代 | Carlos Ghosn(カルロス ゴーン) | 2000年2017年 3月 | 6月 -三菱自動車前会長、同社前会長 ルノー社長兼会長兼任 2018年11月に東京地検特捜部に金融商品取引法違反の容疑で逮捕 |
16代 | 西川 廣人(さいかわ ひろと) | 2017年2019年 9月 | 4月 -日本自動車工業会前会長 同社代表執行役最高経営責任者 |
代行 | 山内 康裕(やまうち やすひろ) | 2019年 | 9月 - 2019年12月同社代表執行役最高執行責任者 |
17代 | 内田 誠(うちだ まこと) | 2019年12月 - | 同社専務執行役員兼東風汽車有限公司総裁 |
名前 | 任期 | 注 | |
---|---|---|---|
初代 | 川又 克二(かわまた かつじ) | 1973年 - 1983年 | 元社長 |
2代 | 石原 俊(いしはら たかし) | 1985年 6月 - 1992年 6月 | 元社長 |
3代 | 久米 豊(くめ ゆたか) | 1992年 6月 - 1996年 6月 | 元社長 |
4代 | 辻 義文(つじ よしふみ) | 1996年 6月 - 1999年 6月 | 元社長 |
5代 | 塙 義一(はなわ よしかず) | 1999年 6月 - 2003年 6月 | 代表取締役CEO兼務(1999年 - 2001年) 元社長 |
共同 | 小枝 至(こえだ いたる) | 2003年 6月 - 2008年 6月 | カルロス・ゴーンと共同会長(2003年 - 2008年) 同社副社長兼務 退任後同社相談役 元名誉会長 |
6代 | Carlos Ghosn(カルロス ゴーン) | 2003年2018年11月 | 6月 -同社代表取締役社長兼CEO兼務(2003年 - 2017年) 小枝至と共同会長(2003年 - 2008年) 三菱自動車前会長 ルノー社長兼会長兼任 2018年11月に東京地検特捜部に金融商品取引法違反の容疑で逮捕 |
年度 | 台数(単位:千台) | 市場占有率(%) |
---|---|---|
1999 | 2,530 | --- |
2000 | 2,633 | --- |
2001 | 2,597 | --- |
2002 | 2,771 | 5.0 |
2003 | 3,057 | 5.3 |
2004 | 3,389 | 5.6 |
2005 | 3,569 | 5.6 |
2006 | 3,483 | 5.4 |
2007 | 3,770 | 5.4 |
2008 | 3,411 | 5.5 |
2009 | 3,515 | 5.5 |
2010 | 4,185 | 5.8 |
2011 | 4,845 | 6.4 |
2012 | 4,914 | 6.2 |
2013 | 5,188 | 6.2 |
2014 | 5,318 | 6.2 |
2015 | 5,423 | 6.2 |
2016 | 5,626 | 6.1 |
2017 | 5,770 | 6.2 |
2018 | 5,516 | 6.0 |
2019 | 4,930 | 5.8 |
2020[67] | 4,052 | 5.3 |
2021 | 3,876 | 4.9 |
年 | 月 | 日本 | 米国 | カナダ | メキシコ | 欧州 | 中国 | その他 | 海外販売 | グローバル販売 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2021年1月[68] | 2021 | 1 | 43,211 | 70,458 | 5,159 | 17,762 | 28,336 | 146,245 | 50,001 | 317,961 | 361,182 |
2021年2月[69] | 2021 | 2 | 50,079 | 86,062 | 6,938 | 18,056 | 29,825 | 75,628 | 47,233 | 263,742 | 313,821 |
2021年3月[70] | 2021 | 3 | 69,121 | 129,033 | 12,985 | 21,040 | 52,171 | 130,479 | 60,456 | 406,164 | 475,285 |
2021年4月[71] | 2021 | 4 | 28,339 | 97,527 | 9,128 | 17,444 | 31,241 | 128,297 | 46,680 | 330,317 | 358,656 |
2021年5月[72] | 2021 | 5 | 29,796 | 110,947 | 9,269 | 17,172 | 28,861 | 111,096 | 41,469 | 318,814 | 348,610 |
2021年6月[73] | 2021 | 6 | 31,397 | 89,674 | 9,392 | 17,450 | 31,077 | 114,605 | 45,757 | 308,048 | 339,445 |
2021年7月[74] | 2021 | 7 | 32,969 | 80,297 | 9,200 | 16,420 | 26,148 | 95,783 | 46,168 | 274,131 | 307,100 |
2021年8月[75] | 2021 | 8 | 30,702 | 66,291 | 8,662 | 16,846 | 20,653 | 113,166 | 45,256 | 270,874 | 301,576 |
日産自動車のロゴマークはもともと「ダットサン」で使われていたもので、吉崎良造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなか じょうざぶろう)がシボレーのマークにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書かれていたのが前身である[注釈 1]。なお、1937年に制定された社章=記章、株券等に使用していた=は、日の丸の真中に一本の横棒を挿入し、周囲を“日”を抽象化したもので囲ったもので、日立や日本興業銀行の社(行)章と類似していることから、発足時からの「日産・日立・興銀」の関係も表していた、とされている。
その後、文字を筆記体のカタカナで「ニッサン」[注釈 2] と書き直し日産コンツェルン全体の社紋として統括企業に普及するが、戦後の財閥解体とともに日産自動車のみの社紋としてローマ字表記の「NISSAN」に変更となった。
創業50周年を迎えた1983年には、アメリカのペンタグラム社が制作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、さらに2001年には、1999年以降のルノー傘下になってからのゴーン体制下でデザインが社内コンペで検討され、立体的なものとなったロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、2001年にフルモデルチェンジしたシーマ(F50型)、プリメーラ(P12型)から採用されて現在に至る。ちなみに、このとき採用されたロゴのサンプルは現在でもゴーンのオフィスに飾られているという。
企業フォントはTBWA開発の「NISSAN AG(Akzidenz Groteskの日産バージョン)」とモリサワ「新ゴ」の組合せ、車名バッジはG10型ブルーバードシルフィからNE-01というフォントに基本的に統一されている。
カタカナの車名ロゴは、2001年にロゴマークおよび指定フォント(書体)が一新された後も、1983年の創業50周年を機に米ペンタグラム社が製作した指定フォント(書体)が引き続き使用されていたが、2007年5月にマイナーチェンジして発売されたラフェスタ(B30後期型)、新規車種として発売されたデュアリス(J10型)以降から、新たに製作された指定フォント(書体)に一新されている。
赤・白・青のトリコロールは、日産自動車のコーポレートカラーとして日産ディーラーの各販売会社の店頭看板やレースカーのボディデザインなどとして古くから親しまれている。日産自動車がスポンサーとなっている横浜F・マリノスのチームカラーとしても起用されている。
そのほか、日産ディーラーの各販売会社の大型看板(NISSAN Blue Stage, NISSAN Red Stage, NISSAN Red & Blue)の「NISSAN」の指定フォント(書体)は、1983年に米ペンタグラム社が製作した指定フォントを引続き使用していたが、2007年から、日本国内の日産販売会社各店のレッド/ブルーの色分けを中止してからは、2001年に一新されたロゴマーク及び指定フォントへ変更されたVI(ビジュアルアイデンティ)への変更が順次進められ、大型看板も2001年以降の指定フォントを中央に配し、赤い線を上部に、グレーの線(線内中央に白文字で日産ディーラーの各販売会社名を表示)を下部に配した新しい大型看板に更新された。2020年7月のCI変更に伴い、大型看板が販売会社名の表示を無くした赤背景・白文字のCIへ順次更新されている。
21世紀の生産・販売戦略として導入した生産方式。顧客の注文に基づく詳細な生産指示書を関係工程に指示し生産する方法で、これにより受注から納車までの時間が最短で3日という迅速な生産を実現した。現在、インフィニティブランドを取り扱う栃木工場などに導入されている。
日産では1960年代以降、以下のような規則でエンジン型式を定めている。例外もあり、ルノーと共同開発したM9R型エンジンや、OEM供給を受けている車種へ搭載している他社製エンジンなどはこの規則が適用されない[77]。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
---|---|---|---|---|
エンジン系列名 | 排気量(100cc未満は四捨五入) | バルブ機構 | 燃料供給方式 | 過給器 |
なお、3 - 5はVQxxHR系(「VQxxDE」に対する"High Revolutions"、つまり高回転仕様特有の記号)やHR14DDe(e-POWERの発電専用エンジン)のように例外も存在する。
A | 10 | なし | なし | なし |
---|---|---|---|---|
Aシリーズ | 1000cc | OHV | キャブレター | 自然吸気 |
CA | 18 | なし | i | なし |
---|---|---|---|---|
CAシリーズ | 1800cc | SOHC | シングルポイントインジェクション | 自然吸気 |
SR | 20 | D | E | T |
---|---|---|---|---|
SRシリーズ | 2000cc | NEO VVL | EGI マルチポイントインジェクション | シングルターボ |
VQ | 23 | D | E | なし |
---|---|---|---|---|
VQシリーズ | 2300cc | DOHC | EGI マルチポイントインジェクション | 自然吸気 |
YD | 25 | D | D | Ti |
---|---|---|---|---|
YDシリーズ | 2500cc | DOHC | NEO Di | インタークーラー付ターボ |
TD | 27 | なし | なし | T |
---|---|---|---|---|
TDシリーズ | 2700cc | OHV | 分配型噴射ポンプ | シングルターボ |
VK | 56 | V | D | なし |
---|---|---|---|---|
VKシリーズ | 5600cc | VVEL | DIG | 自然吸気 |
RB | 26 | D | E | TT |
---|---|---|---|---|
RBシリーズ | 2600cc | DOHC | EGI マルチポイントインジェクション | ツインターボ |
HR | 12 | D | D | R |
---|---|---|---|---|
HRシリーズ | 1200cc | DOHC | DIG | スーパーチャージャー |
VQ | 37 | V | HR(特殊) | なし |
---|---|---|---|---|
VQシリーズ | 3700cc | VVEL | ハイ・レボリューション/ハイ・レスポンス | 自然吸気 |
MR | A8(特殊)[注釈 9] | D | E | なし |
---|---|---|---|---|
MRシリーズ | 1800cc(特殊) | DOHC | EGI マルチポイントインジェクション | 自然吸気 |
BR | 06 | D | E | T |
---|---|---|---|---|
BRシリーズ | 660cc | DOHC | EGI マルチポイントインジェクション | シングルターボ |
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
1970年代までに開発された車種には3桁の数字が割り当てられ、モデルチェンジのたびに百の位を増やしていった。各型式初代の百位は「0」で、表記されないため2桁となる。車種の増加に伴い数字の重複が起こり、識別のためアルファベット1文字が付与される場合があった。
同一型式で、エンジン型式や排ガス規制年度に変更があり、新たに型式指定[79]を受けた場合は一の位を増やしていく。
モデルチェンジした際に最初のアルファベットが変わることがある(例:スカイラインは5代目まで「C」、6代目から10代目まで「R」、11代目以降は「V」)。
型式10位の数字
基本的には奇数が乗用系、偶数が貨物およびバス等業務系。現在でも型式10位の付番法則は踏襲されている。
1980年発表のE23型キャラバン/ホーミー、F30型レパード、C31型ローレル以降はアルファベット1文字に2桁の数字を合わせ、モデルチェンジの度に一の位を変えることになった。そのため、同一車種でエンジン・車体形状などの変更、シャーシを共有した異なる車種の場合は、型式名の前(排ガス記号・ハイフンの後)にアルファベットが加えられている。これは車両によってバラバラだが(プラットフォームを共有する車種間で文字の意味が揃えられていることはある)、下記の仕様については共通のアルファベットが割り当てられる。
現行規定への変更後にモデルチェンジした車種で、上記のアルファベットが割当されていなかった場合、アルファベット割り当てた上で一の位を「0」(ブルーバードは「1」)から振り直した。アルファベットがある車種は、流用した上で「1」から開始している(サニー:B11 - 、ローレル:C31 - 、キャラバン/ホーミー:初代がE20→E21→E22のため、E23 - )が、スカイラインは「R」に変えて0から(R30)、フェアレディZは「Z」に変えて1(Z31[注釈 10])から始めるなど、特例も多い。
規定変更以後の新規車種は原則として「0」からとなっているが、ティアナ(J31)やティーダ(C11)、ノート(E11)、セフィーロ(A31)のように、既に使用された型式と重複する場合は「1」から振る場合もある(それぞれJ30型マキシマ、C10型スカイライン、後者はE10型チェリー、A30型グロリアと重複するため)。
レアケースとして、ジューク(型式:F15)や、マツダOEMのラフェスタハイウェイスター(社内型式:B35)、小型CUVのキックス(型式:P15)のように、「5」からスタートしている車種もある(前者は過去にF10、F11が2代目チェリーとして存在し、中者は初代・B30型と、後者はプリメーラ(P10 - P12)と区別するため)。ラニア(藍鳥)は愛称が変わったものの、ブルーバード(藍鳥)の「系譜」を引き継いでいる(U14→U15)。2007年に登場したGT-Rも、スカイラインGT-Rの型式を引き継いで連番(BNR34→R35)となっている。
ノートやノート オーラの場合、上記の法則通りに記述すると、通常、e-POWERの4WD車はHNE12(E12)、HNE13(E13)/HFNE13(E13オーラ)となるが、この車種に限っては、SNE12、SNE13/SFNE13となっている。(同じハイブリッドの4WD車でも、T32型エクストレイル・V37型スカイラインでは上記の法則通りそれぞれHNT32、HNV37となっている)
マツダ・ボンゴのOEMに切り替えられたバネットは、3代目を「S20型」(マツダ型式SS/SE)、4代目を「S21型」(同SK)とする日産独自の社内呼称が与えられ、小型貨物としての「2」が受け継がれている。
軽自動車については、ベース車両(共同開発の場合は製造元の車両)に準じた型式のほかに社内型式が設定されるが(車検証に記載されるのは前者)、前者はベース車両のアルファベット(スズキ製)もしくは数字(三菱自動車工業製)の一部分が変わり、後者は「○(この部分にはアルファベットが入る)A0」からスタートして○A1、○A2・・・といった具合にモデルチェンジごとに数字部分が増えていく。例として、ベース車両であるスズキ・MRワゴン(初代)の「MF21S」に対してモコは「MG21S」ならびに社内型式「SA0」、MRワゴン(2代目)の「MF22S」に対してモコは「MG22S」ならびに社内型式「SA1」、MRワゴン(3代目)の「MF33S」に対してモコは「MG33S」ならびに社内型式「SA2」・・・という具合である。共同開発の場合も日産自体が生産していない限りは同様の法則で、製造元の三菱・eK(3代目)と三菱・eKスペースの「B11W」「B11A」に対してデイズとデイズルークスは「B21W」「B21A」ならびに社内型式「AA0」「BA0」・・・となる。
ただし、電気自動車であるリーフに限っては登録車でありながら上述の法則からはやや外れ、軽自動車の社内呼称型式に似た「ZE0」(初代)(=Zero Emission 0)→「ZE1」(2代目)が与えられている。
座間工場でノックダウン生産されていたフォルクスワーゲン・サンタナは、他の日産車と同じような「M30」という型式が与えられた。
日産の「総合研究所」(基礎研究・開発)は追浜地区(横須賀市夏島町)にある。[80] 1982年にそれまで鶴見地区、荻窪地区に分かれていた技術拠点を統合して、神奈川県の丹沢山塊の大山の麓(厚木市岡津古久)に「日産テクニカルセンター」(NTC:商品・技術開発、デザイン開発、生産技術開発、外製部品の購買)を開設して、その30周年時点(2012年)には従業員が9500人であった。[81]
また、2007年には日産テクニカルセンター近くの青山学院大学厚木キャンパス跡地(厚木市森の里青山)に「日産先進技術センター」( NATC:先行技術開発、基礎研究開発)を開設した。[82] これは上記の総合研究所、横浜本社だけでなく、新しくインド・チェンナイ、米国デトロイトおよびシリコンバレー、ロシア・モスクワの拠点とも連携して先進技術の開発を進める。[83]
車両のプルービンググラウンド(走行試験路)には、栃木試験場、茂木試験場、追浜試験場、北海道陸別試験場がある。
海外には、日産テクニカルセンター・北米(設計・技術開発および商品開発、実験、在ミシガン州デトロイト北西郊外のファーミントン・ヒルズ)、日産テクニカルセンター・メキシコ(設計・技術開発・購買およびアフターセールス)、日産デザイン・アメリカ(車両のデザイン)がある。[84]
2007年2チャネル体制を廃止した。そのため系列がなくなり、日産全店舗で全車種が買えるようになった。
チャネル廃止に伴いディーラーのデザインにレッド/ブルーの色分けを中止し新しいVI(ビジュアルアイデンティティー)の採用を開始した。海外の日産販売店の世界共通VIをベースにしているが、和のイメージも取り入れられている[88]。看板は日産の現行CIが付き、"NISSAN"の文字も全体的に以前より横長で、"S"の中央部分が左上から右下への一直線となった現行ロゴとなった。
2007年頃まで日産販売店各店舗はレッドステージ店・ブルーステージ店を含めてこのVIにリニューアルされた。また、店舗の多くに掲げられていた「NISSAN Red&Blue」・「NISSAN Red Stage」・「NISSAN Blue Stage」の大型看板も変更となり、白地に「NISSAN」の現行ロゴを中央に配し、上部に赤線、下部にグレー線(グレー線には中央に白文字で販売会社名〈「○○日産」・「日産プリンス○○」・「日産サティオ○○」のいずれか〉を記載)を記した新しい大型看板に変更された。大型看板については長野日産自動車 柳原店のように、「NISSAN」ロゴではなく日産のCIとなる場合もある。
栃木日産自動車 上三川店のように日産のCIやロゴを2020年7月からの現行仕様に更新した販売店もあり、新CI店舗では大型看板が赤の背景に白のCIとなり、CIの下に表記されていた販売会社名を廃止。ショールームの外側上部のレイアウトについても、左側に黒文字の「NISSAN」ロゴ、中央に大型看板と同じ赤背景の白CI、右側に2段で販売会社名と小さく店舗名(長崎日産自動車のように、店舗名が営業所名表記の場合がある)が配置される。
商用、社用の特装車は「Biz NISSAN」ブランドによって「商用車プロショップ」で販売している。
販売会社の社名は、系列を分けていた名残で統合後もそのままになっているが、合併などで各都道府県内に1社のみとなった場合は原則として「○○日産自動車」となる。一部地域では地名が日産の後に付いた「日産○○販売」という販売会社も存在する(例:日産大阪販売)。
地域によっては一部系列の販売会社が存在しないところがあり、このような地域では日産店が代わりにその系列の車種を取り扱うことがあった。また、販売会社の資本系列(日産店が後発の系列の販売会社を経営することが多かった)の関係で、異系列の車種を斡旋販売することもあった。そのため、広告では各系列の代表的な車種名を入れて「○○販売会社」と表現していた(例:日産店の場合は「ブルーバード販売会社」)。
ラジオ番組
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
テレビ朝日系
テレビ東京系
ラジオ・その他
男女で定年が異なる(55歳と50歳)ことが男女雇用機会均等法(1972年)制定前の1966年の時点でも民法90条(公序良俗違反)により違法と認められたもの。
死亡した被害者と3名の加害者のうち1人が日産の工場社員で同期であり、事件発覚前に加害者を擁護するような行動があったため批判された。
2007年3月下旬、全国の販売子会社を再編する際に販社側の債務超過を増資などで解消したことに対し、利益を得たとして600億円を超える追徴を受けた[98]。
2009年、日産が女性2人を派遣の期間制限のない専門業務と偽って最大3年の制限を超えて派遣労働者を受け入れていた件について、東京労働局が是正指導したと、首都圏青年ユニオンが記者会見で公表した。製造工程以外の派遣で自動車大手が是正指導を受けるのは初めてであった。労働局は直接雇用を含む雇用確保を求めたが、日産側は雇用関係にないとして組合の団体交渉を拒否し、申告した一人は5月末で雇い止めされた[99]。また日産を解雇された5人が、偽装請負・偽装派遣によって長年正社員のように働かせられた挙げ句に解雇されたとして訴えを起こしている[100]。多くの原告は、正社員として一旦直接雇用したのち、再び派遣社員に戻す「地位のキャッチボール」をされていたという。しかし横浜地裁は「違法性はない」として2014年に原告の訴えを退けた[101]。
2017年8月、追浜工場の検査ラインから正式発表前のZE1型リーフの画像がTwitter上に漏洩。画像を投稿したのは取引先の部品メーカー社員の男性。日産は神奈川県警に告訴し、2018年6月15日に神奈川県警は男性を不正競争防止法違反(営業秘密侵害)と偽計業務妨害の疑いで書類送検した[102]。
2017年9月29日、国土交通省の立ち入り検査によって、日産の完成検査を無資格者が行っていたことが発覚。一カ所に留まらず日産の6工場で常態的に行われており、また偽装用の判子も用意するなど周到に行われていた。この結果OEM供給を含む日本で販売した38車種116万台がリコールとなり、新車販売とCM放送は中断された[注釈 29]。しかしこの件が発覚しても日産はすぐに謝罪会見を行わず、4日後に開いた会見では社長の西川が謝罪の言葉を口にしたものの、「無資格であっただけで品質には問題は無い」と頭を下げることはなかった[103]。さらに10月18日、この問題を指摘された後の10月11日まで湘南工場で資格のない従業員に検査を行わせていたことが発覚。この検査はハンドルを回して角度を確認する工程で、日産では安全性を確認したとしていて新たなリコールは行わないとした[104]。
しかし10月19日、指摘を受けた後の無資格検査が湘南工場に留まらず、追浜工場、栃木工場、日産自動車九州でも行われていたと判明。ここに至り西川社長も頭を下げて謝罪、国内向け新車全ての販売を自主停止した[105]。また11月2日に、9月の国交省の立ち入り検査の際現場作業員が事実と異なる供述をしていたことも判明した[106]。さらに同日、日産が生産再開準備完了を報告した工場に国交省が立ち入った際、福岡の2工場と神奈川の1工場で完成検査の手順が整っていなかったなど複数の不備が発覚、異例の再検査となった[107]。
問題になった完成検査は日本国内向け車のみに適用されるもので、大別して(1)保安基準検査と(2)型式検査に分かれる。(2)型式検査の方法は各企業で異なるものの、国土交通省に申請し認可を受けた方法である必要があり、また(1)保安基準検査の基準と手法は全社共通である。完成検査員は、各企業内で「当該検査に必要な知識及び技能を有する者のうちからあらかじめ指名された者(=資格取得者)」が行う必要があった[108]。この事件により、日本の自動車生産を円滑にしていた型式指定検査制度は大きく揺らぎ、経済提携や自由貿易協定の交渉に悪影響が出ることが予想される[109]。
一方で佃モビリティ総研の佃義夫所長は、国内の販売が減少状況で、メーカーがこの(点検)手順を費用のみがかかる形式的な行為だとしていたと分析している。また、韓国の中央日報は、他国には無い不必要な上に十分に監督されるわけでもない規制が問題の一端を提供したのだとして、日本が不要な規制を設けていたことを批判した[110]。
2018年7月9日、複数の工場で、新車の出荷前に行う排気ガス性能の検査結果を改ざんしていたことが判明。出荷前に車の性能をチェックする「完成検査」の中で、数百台から数千台に1台の割合で車を選んで実施する「抜き取り検査」という工程。そこで行われる排ガス性能の測定で、思わしくない結果が出た場合、都合のいい数値に書き換える不正が国内の複数の工場で行われていた[111]。
2018年12月7日、追浜工場とグループ会社オートワークス京都の製品出荷前の完成検査工程のうち、ブレーキ、ハンドル、スピードメーターなど6項目において、全ての車を検査する全数検査の中でブレーキの制動力をかさ上げするなどの不正が発覚した。ブレーキ検査では各工場の検査員のうち1人だけが不正をしていた。安全性能を満たさない可能性があるとして、2017年11月7日から18年10月25日までに上記の工場で生産された11車種、約15万台のリコールを届け出した[112]。
2024年3月7日、下請け業者への支払代金を減額したのは下請法違反に当たるとして、公正取引委員会から再発防止を勧告された。2021年1月から2023年4月の約2年間に部品メーカーなど下請け36社を対象に、一度決まった支払代金から計30億円超を減額したと認定した。減額幅は日産と下請け間で協議して決め、覚書も交わしていた。違法な商慣行は数十年前から常態化していたとみられ、公取委は社長を中心とする順法管理体制を整備するよう日産側に求めた[113][114][115]。減額の総額1956年の下請法施行以来、最高額となる[113]。日産は違反を認めており、2024年1月末に業者側へ減額分を全額支払ったという[114]。
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