玉造稲荷神社
大阪市中央区の神社 ウィキペディアから
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玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)は、大阪市中央区玉造にある神社。旧社格は府社。登記上の宗教法人名称は稲荷神社(いなりじんじゃ)。
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。
豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の天正4年(1576年)の戦火で荒廃してしまっていたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿や高殿(舞台)が再建された[1]。しかし、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失した。
元和5年(1619年)、江戸幕府の大坂城代内藤信正や氏子らの寄進によって再建された。社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年(1789年)、東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた[1]。豊臣時代に引き続いて徳川時代も大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。
江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。文久3年(1863年)11月の大坂大火(新町焼)で焼失するが、1871年(明治4年)に再建される。
現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。現在の社殿は1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲で焼失した後、1954年(昭和29年)10月に再建されたものである。1986年(昭和61年)、創祀二千年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。
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