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大阪市北区中之島にある美術館 ウィキペディアから
国立国際美術館(こくりつこくさいびじゅつかん)は、大阪市北区中之島にある、独立行政法人国立美術館が管轄する美術館である。収蔵品は第二次世界大戦以後の国内外の現代美術が中心だが、現代美術以外の企画展なども開催している。設立は1977年(昭和52年)。当初は大阪府吹田市の万博記念公園にあったが、2004年(平成16年)に現在地へ移転した。
設計者は建築家シーザー・ペリ。大阪市立科学館に隣接する敷地に、美術館としての機能を果たす主要部分を全て地下に収めたユニークな建物で、エントランス・講堂、レストラン、ミュージアムショップなどは地下1階に、展示室及び収蔵庫は地下2・3階にある。展示室のうち、企画展(現代美術に限らず、新聞社主催の様々な展覧会が開催される)は地下3階で、所蔵作品展(および、現代美術の若手など重要な作家を紹介する企画展シリーズ)は地下2階で行われている。
主に1945年以降の国内外の現代アートを国内最大規模の約8,000点所蔵しており、年に数回魅力あるテーマで展示替えをする所蔵作品展では、現代美術を語る上で重要な作家や作品を紹介している。
1970年(昭和45年)、大阪府吹田市で日本万国博覧会が開催された際、世界各国から集められた美術品を展覧するため、日本庭園とお祭り広場の間に川崎清設計による「万国博美術館」が建設された[2]。石井幹子も照明デザイナーとして携わり傾斜屋根に自動調光システムを組み込み自然光を巧みに取り込み、展示室には天井つり装置・作品を掛けやすい壁の特殊ネット・固定ショーケース・自由に動かせる展示パネルを設け幅広く作品を展示しやすい構造も意識された[3][2]。
美術展示プロデューサーと館長には富永惣一が就任し東洋と西洋を区別せず全世界的観点から美術史を展望する形として東西の表現を並列に配置し比較対照する展示方法をとり、有史以前から6世紀ごろまでの原始美術を扱う「創造のあけぼの」、シルクロードを通じた東西世界の文化交流の影響を扱う「東西の交流」、仏教・キリスト教の宗教美術を扱う「聖なる造形」、絵画が芸術活動の主体となった中国宋時代以降・日本鎌倉時代以降・西欧ルネサンス以降の作品を扱う「自由への歩み」、1890年代から現代にかけての近現代美術を扱う「現代の躍動」の5つの部門から構成され野外にも現代美術作品を配し44カ国から計719点を作品保護による入れ替えを行いつつ展示し期間中延べ1,775,173人が入場した[2]。1971年1月に全展示作品の返却を終了し[2]、9月に日本万国博覧会記念協会に継承された。
万博終了後のパビリオン取り壊しの最中、この建物は美術館としての再利用を期待して残された。当初はこれを利用して大阪府立現代美術館とする案もあったが[4]、紆余曲折の上、国立の美術館が開設されることとなった。これが1977年に開館した国立国際美術館である。
世界の現代美術を体系的に収集し、多くの企画展を開催してきたが、建物の老朽化と収蔵スペースの狭隘化に伴い万博記念公園から大阪市の中心地である中之島に新館を建設して移転することとなり、2004年1月休館、建物は取り壊され駐車場となった。国立国際美術館は2004年11月、中之島において再開館し現在に至っている。
ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、マックス・エルンスト、藤田嗣治、国吉康雄ら戦前の代表的な作家の作品がいくつかある以外は、全て戦後の作品である。1978年に大橋化学工業の創業者で現代美術コレクターでもあった大橋嘉一のコレクションから、具体美術協会の作品など828点を遺贈されている。
地下1階のエントランスには建物と一体型の作品がある。これらは万博公園にあった旧館から引き継いでいる。
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