Remove ads
日本の視聴者参加型番組 (1946-) ウィキペディアから
『NHKのど自慢』(エヌエイチケイのどじまん)は、日本放送協会(総合・ラジオ第1・FM)の公開視聴者参加の生放送生オケ番組、音楽番組である。1946年の放送開始以来、長きにわたって放送されている長寿番組である。
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
姉妹番組として、1999年4月から2004年3月までNHK衛星第2テレビで放送された『BSジュニアのど自慢』、および『アニソンのど自慢』・『バーチャルのど自慢』・『こどものど自慢』、2020年11月から不定期に放送されている特別編『NHKのど自慢〜おうちでパフォーマンス〜』についても本項で後述する。
日本各地の都市(年に一度国外からの場合もある)を巡回し、アマチュア(原則)出場者が、書類審査、会場での予選審査を経て本番組に出場し、持ち歌を歌い、採点され競うものである。
毎回書類審査と会場での予選審査を勝ち上がった20組の出場者が自慢ののどとパフォーマンスを披露し、ゲスト審査員2人を交えた審査により、チャンピオンと熱演賞(審査員特別賞)が1組ずつ表彰される(以前は18組や22組や25組の頃もあった。また、海外公演は25組もしくは30組が出場する)[注 1]。
1947年から1970年3月までの番組名は「のど自慢素人演芸会」。当初は素人芸の面白さを引き出す番組を目指し合格者のパフォーマンスのみを放送していたが「テスト風景も入れたら面白い」との声もあり合格者に限らず放送するようになりその後落語や声帯模写といった話芸を披露する出場者も加えるようになった[1]。また現タイトルとなってからも、1970年代前半頃までは歌以外の芸を披露する者が稀に見られた。
高度経済成長の時期を経て生活が豊かになるとともに音楽状況が一変し、世代によって好まれる歌に大きな差異が生じた時期には、若者からの出場希望者が減ったこともあった[注 2]。その後、再び若者の出場希望者が増加したのは、カラオケボックスの普及が影響しているとされる[2]。
出場者は様々で[注 3]、中にはプロ歌手を目指す者やアマチュアバンドのメンバーもいる。また、日本人のみに留まらず、在日外国人(黒人演歌歌手として、後にプロデビューを果たしたジェロなど)や日系南米人、交換留学生などが出場することもある。年に一度行われるグランドチャンピオン受賞者を中心に、後にプロ歌手やタレントとしてデビューした者もいる(後述)。
予選会を「NHKのど自慢予選会」として全出場者の歌を放送することもある。基本的には会場となる各地の放送局のみでの放送であるが、NHK BSプレミアムで「NHKのど自慢予選会」として放送することもある(2012年9月15日深夜(同年9月16日未明)に千葉県木更津市での予選会の模様が放送された)。またNHK以外での放映したケースでは、地域のケーブルテレビ局エリア(大阪狭山市・市制施行30周年記念事業の一環として2017年7月16日分予選)などの例もある。
また、総合テレビとNHKワールド・プレミアムのみの放送であるが、毎年12月の最終日曜日には「NHKのど自慢 熱唱熱演名場面」と題して1年間に放送された熱唱の名場面を総集編として放送している(その他、番組の裏側も紹介している)[注 4][注 5]。
長らく参加可能年齢が15歳以上の高校生からとなっていたため、2014年度までは中学生以下は出場できなかった。そのため児童・生徒の受け口として衛星第2テレビで本番組に出場できない中学生以下を対象にした「BSジュニアのど自慢」の放送もあった(2004年終了)。2015年度から12歳以上の中学生も出場できるようになり、出場者の年齢層が大幅に広がった。
番組の企画者は、『NHK紅白歌合戦』も企画立案したNHK音楽部のプロデューサー、三枝嘉雄(健剛)[注 6]。軍隊時代に見た仲間の余興にヒントを得たという[1]。お国自慢の歌を各々が歌っているのをみておもしろいと思ったらしく、それを番組にしたらどうかと提案をした。旧来は「マイクから発声するものは権威あるものでなければならない。素人が歌う歌なんてとんでもない」という時代だったため否決されるが、GHQの人から「これは良い、やれ」と言われたという。当時は素人が公共のマイクを使って歌うというのは世界的にもなかった。抑圧された時代には音楽も決められた歌しか歌えず、こういった自由な歌を歌えたことは画期的で突然マイクが開放され全国で歌えるというのは喜びだった。
1946年1月19日にラジオ番組「のど自慢素人音楽会」[3]として、東京都千代田区内幸町のNHK東京放送会館(現在の日比谷シティの場所)から午後6時(18時)から1時間30分、公開放送されたことが始まり。第一回目の参加者をラジオニュースで募集したところ、希望者は900名を超えたという[4]。このため担当者は、1日に300人ずつテストを行い、番組に出演する合格者を選んだ[5]。 翌1947年に「のど自慢素人演芸会」と改称(このタイトルで1970年3月22日まで放送)。 1948年(昭和28)3月21日には第1回NHKのど自慢全国コンクール優勝大会を開催[6]。 1949年10月ごろから、アナウンサーの宮田輝が17年あまりにわたって毎週司会を務めていた。
テレビ放送は1953年3月15日午後2時(14時)から2時間放送したことが始まりで(ラジオと同時公開放送)、当初はスタジオのあった東京での公開のみ放送された。 1965年度までは別な番組と平行して放送されていた(参考)。単独放送となったのは1966年度からである。「のど自慢素人演芸会」のタイトル通り、歌の他、漫談での出場もあった[5]。
宮田輝の司会でが新たに始まったNHKの大型公開番組『ふるさとの歌まつり』に移った1966年から、番組の人気は下降した。1967年4月から1969年3月まで東日本・西日本地区で司会が異なり、更に1969年度の1年間は地域ブロック単位に分割される形で、各地区の拠点局のアナウンサーが司会を務める形式となっていた。当時の番組はコンクール形式で毎週放送される番組に出場して合格すると、地方大会への出場権を獲得し、さらに年末に行われる全国大会に進むことになっていた[7]。このため通常放送が「全国大会の予選会」化しており、一部の常連出場者が合格するまで何度も出場するという事態もおきていた。出場者も30数人と多く、時間切れで放送に乗らない出場者もいた[7]。視聴率は年2パーセントずつ低下し、最低視聴率は8パーセントを記録。出場希望が45人しかこない、会場はガラガラなどの人気低下でNHKの事業や営業サイドからは「お客さんが入らないから『のど自慢』はいりません」とまで言われるほどになった[7]。
事態打開のため、若い30代のデスクらによって大改革が行われた。1970年4月に現在の「NHKのど自慢」にタイトルを変更。テーマ曲は鈴木邦彦作曲のものが起用された。伴奏も、それまでのピアノとアコーディオンが交互に弾くスタイルから、ファイブピースバンド(スリーピース+ピアノ+シンセサイザー)に変更。出場者を25人に減らし、歌だけでなくインタビューやゲスト歌手の歌唱指導などを入れ、出場者のキャラクターを引き出す番組作りになった。毎回ゲスト歌手2組を迎えるようになったのもこのときからである[5]。毎回「今週のチャンピオン」を選び番組に山場を作るようにした[5]。また「熱演賞」(現在の「特別賞」)が導入され歌唱力だけで評価しないバラエティ豊かな番組へとうまれ変わった[8]。8月から金子辰雄が司会に就任。番組は人気が回復し、金子は「ミスターのど自慢」と親しまれた[5]。1972年にはスタンドマイクから手持ちのハンドマイクへ、1974年からはコードのないワイヤレスマイクに変わったことで、出場者ののびのびしたパフォーマンスが増えていった。さらに1975年ごろから起きたカラオケブームにより、人前で歌うことへの抵抗が薄れると、中高年層だけでなく若い世代の出場者も増え、ポップス系の曲も歌われるようになった[5]。
毎週地方からの中継のため、全国を結ぶカラー放送用マイクロ回線網が完成するまで白黒放送が続けられた。本番組はNHK総合テレビでの中ではカラー化が遅れた番組の一つであり、カラー化されたのは1971年4月である[9]。なお、その後も一部の回は白黒で放送された。NHKアーカイブスの番組表検索によると、本番組が最後に白黒で放送されたのは1971年9月5日だが、当時の新聞縮刷版のテレビ欄では同年10月3日、翌1972年3月26日放送分が白黒となっている[注 7]。後者の回は、当時米領だった沖縄の那覇市民会館で録画したもので[10]、この年の5月15日に沖縄が日本へ復帰する以前は、NHKの番組は沖縄放送協会で放送されており、ネット回線も、本土復帰までは白黒であった。
尚、年1回の全国コンクールは、年間チャンピオンを決める優勝大会が1965年(第18回、この年は3月21日放送)から[11]、優勝大会で入賞した人たちが歌を披露するエキシビションである「入賞者大会」は1964年(第17回、この年は3月20日放送)から[12]、各々カラー化されている。
1970年からは全国各地を巡回する[注 8]公開生放送(原則)で行っている。
ハイビジョン放送は1994年11月からのBSアナログハイビジョン実用化試験放送から行われている。2010年4月4日放送分からアナログ放送およびNHKワールド・プレミアムにおいて、16:9レターボックス放送を開始。
2015年に放送70周年を迎えるにあたり、出場資格を高校生以上から中学生以上に引き下げの上[13]、キャンペーンイメージキャラクターにSMAPが起用され、香取慎吾がスペシャルMCとして不定期出演。また同年8月30日の放送回(神奈川県秦野市)[14]、同年12月6日の放送回(千葉県柏市)[15]ではSMAP全員がゲスト出演し、この秦野市・柏市の回は12:15 - 13:30までの拡大版として放送された。翌年1月11日(騒動の発端となったSMAP解散報道の2日前にあたる)のチャンピオン大会にも出演した。
2020年3月1日から新型コロナウイルスの影響により、公開生放送が約半年間中止となった。同年10月4日より出場者20組を18組に減らすなど感染対策をした演出に変更して生放送が再開し[16][17][18]、その後は再開と休止を繰り返した。なお、この演出は後述のリニューアルする前の2023年3月26日まで続いた。この時期、番組視聴率が長期に渡って下落していること、視聴者層が70代以上に偏っていることが問題視され、番組リニューアルが決まった[19]。
2023年4月2日よりテーマ曲編曲とステージセットを全面リニューアル、アナウンサーを男女2人体制(隔週で1人ずつ出演)に、長らく存在したバンドとレギュラーの鐘奏者を廃止と各地方で異なっていたスタジオセットを全国統一と大幅にリニューアルされた。また番組ロゴがひらがなの『NHKのどじまん』(正式な番組名は従来のまま)に変更された。出場応募も従来の往復はがきに加え、ウェブサイトでの応募を始めた[19]。
廣瀬智美は、同番組開始77年の歴史上初となる女性アナウンサーの総合司会者である。
また、この回よりFMラジオ放送でも同時に生放送され、総合テレビ、AMのラジオ第1との3波同時生放送となった。 それと同時にオープニング曲を流しながら、司会者が「日曜日の昼は」と言ったあと出演者と観客が「のど自慢」と言ったあとに開催地の映像が流ると番組がスタートされるようになった。 当初は観客側の背景に始まっていたが、2024年10月6日の放送分からはステージ側の映像からのスタートするようになった。
出場者数は2023年4月30日から19組[20]、同年5月28日からは20組に戻された[21]。
2023年5月14日放送分より、「らじる★らじる聞き逃しサービス」での配信が始まった。放送後より1週間聞くことができる(聞き逃しサービスではこれまで配信されてこなかった)。
現在での放送時間は、総合テレビ、ラジオ第1と海外向けのNHKワールド・プレミアム[注 9]、NHKワールド・ラジオ日本の同時放送で、日曜日の12:15 - 13:00[注 10]となっている。2011年3月まではBS2[注 11]でも地上波とサイマル放送され、2005年3月まではBShiでも時差放送されていた[注 12]。2023年4月からは総合テレビ・ラジオ第1のほかに、NHK-FM放送を含めた3波同時生放送される[22]。
また、NHKワールド・プレミアムでは、毎週月曜日(日曜日深夜)1:15 - 2:00(日本標準時)に同日放送分を、NHKワールド・ラジオ日本では、毎週日曜日(土曜日深夜)2:00 - 2:45(日本標準時)[注 13]に1週間前に開催された内容をそれぞれ再放送している[注 14]。2020年10月4日の放送からNHKプラスでも同時配信・見逃し配信が行われている[注 15][注 16][24]。なお、NHKプラスでの配信は基本放送(生放送)した動画を配信するが、放送で開催地紹介の間違いや出場者が歌った曲目歌手名などのテロップの間違いや訂正などかあった場合は放送された映像の部分に訂正されたテロップを表示して編集されて配信される。
オープニングは鐘(チューブラーベル)の音で始まり、チューブラーベルを打ち鳴らしている生画面を背景に、番組タイトルロゴを表示する。(2017年4月~9月の間は撮影したチューブラベルを打ち鳴らした画面を背景で流していた[要出典]。)以前は鐘の音に引き続いてオープニング音楽をBGMにステージに出場者が登場する様子を映し出していたが(出場者は左右から登場し、会場は手拍子)、2016年度(2016年4月3日放送分)から開催地の紹介VTRと「今日は〇〇県〇〇市から!」テロップが流れるようになり、出場者の入場がなくなった。2017年1月からはテーマ曲と同時に小田切の開催地のナレーションが入るようになった。オープニングの後半では客席にいる出場者を映す(コロナ禍まではハンディカメラで舞台上にいる出場者を映していた)。テーマ曲の終わる寸前にステージ上手側(観覧席から見て右側)からゲスト、ステージ下手側(観覧席から見て左側)から司会者が登場し、その後に会場後方からの引きの画面またはステージ側から会場全体を映す画面にスイッチして開催施設(例:○○市民会館など)を表示する。なおテーマ曲は2017年度(2017年4月2日放送分)よりマイナーチェンジし短縮され、2021年度(2021年4月4日放送分)からはオープニングでの鐘の生画面がなくなりオープニングの生演奏が行われなくなり収録した関東甲信越地方の音源を使用して、司会者の画面から挨拶が始まり開催地の映像とテロップとゲスト名のテロップが出て、客席から出場者を映したあとトップバッターが登場する形に変わった。
オープニング音楽、番組タイトルロゴ(1995年4月にNHKのロゴが変更、2020年4月からNHKのロゴの三つのたまごが外された以外)は、タイトル変更当初から使用されていたが、2023年度からはタイトルロゴはひらがなの『NHKのどじまん』に変更された。これまでテロップは白文字だけの表示で放送局(開催地方)で番組タイトルロゴ・開催地名・「今週のチャンピオン」·司会者名の文字配置のテロップが違っていたが、2011年度(2011年4月10日放送分)以降はカラー表示のテロップで番組タイトルロゴ・開催地名・「今週のチャンピオン」のテロップが、2013年度(小田切担当)から司会者名・ゲスト名・会場名などの文字配置が全国統一になって、さらに2016年度からは司会者とゲストの名前と会場名がカラー表示になり「今週のチャンピオン」のテロップが「チャンピオン」のテロップに変わった。 2017年度から番組ロゴカラーテロップの一部が変わり4月~9月までは番組ロゴがアニメーションになっていたが、10月から今まで通りの静止画テロップに戻った。2020年10月の放送再開から番組ロゴのNHK部分のカラーテロップの色が変わり、2021年度からは右上に小さく表示される形に変更された。
番組テーマ音楽の終了と同時に中央で司会者が挨拶する。従来は『(皆さん)こんにちは。NHKのど自慢 司会の○○です』というものであったが、松本和也に司会が交代された2010年度からは『(日曜のお昼は)明るく、楽しく、元気良く。『NHKのど自慢』 司会の〇〇です』と言っていた[注 54](カッコ内は松本のみ)。
しかし、2011年3月20日放送分(開催地・大分県宇佐市)以降は、同年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災地域の心情を考慮して、前述の口上を自粛(事実上取り止め)していたが、同年9月18日放送分(開催地・群馬県桐生市)から震災から半年を迎え、前述の口上を復活した(この時点で既に司会者は徳田に代わっていた)。その間『皆さんこんにちは。『NHKのど自慢』 司会のアナウンサー松本和也(後任司会者も同様)です』というのみの挨拶となった。
司会者は自己紹介に続いて「今日は(例:○○県○○市)からの生放送です」と述べ、(当初はオープニングでゲストと司会者が登場した後、手拍子をしている会場の画面を背景に表示していたが、オープニングの変更と同時に現在の体制となっている)。
続いてゲストをデビューの早い順に紹介。ゲスト紹介が終わると、「出場者18組の皆さんです!」と出場者を紹介し(司会者とゲストが一旦避けて後ろにいる出場者を映している。2020年のコロナ禍の休止が明けた一時期はカメラが客席で控えている出場者の画面に切り替わっていた)、オープニングで流れていた開催市町村の紹介「VTR映像」を改めて流す。これに関して2017年4月2日放送分(開催地・広島県東広島市)からは同テーマ音楽のマリンバテイストによるアレンジBGMが挿入されている。流された後、出場者が順番に歌っていく(それと同時に他の出場者は席に着席する)。
小田切時代の途中から上記の流れが短縮され、司会者が「皆さんこんにちは。『NHKのど自慢』ゲストをご紹介しましょう…」と言って、先にゲストを紹介した後に「そして司会は私、小田切千です」と自己紹介を行い、それから出場者を紹介するようになった。コロナ禍以後はそれ以前の司会者の挨拶→ゲスト紹介→出場者の紹介に構成を変えていたが、2021年度(2021年4月4日放送分)からはオープニングの短縮で開始時に司会者が挨拶と出場者の紹介はするものの、ゲストの紹介は廃止されていきなり1人目の披露に移るようになり、その披露後にテロップで名前を表示する程度となっていた。しかし、2022年3月13日放送分からは1人目の披露前にゲスト紹介を復活させている。開催市町村の紹介は2021年4月4日から出場者2組の歌唱終了後に変更された。
廣瀬・二宮による司会に替わった2023年4月2日分(開催地・新潟県村上市)からは開始時の口上は『日曜お昼は『のどじまん』!』に変わり、挨拶は開催地と出場者紹介後になった。フレーズも『「あなたの町のみんなのステージ」、『NHKのどじまん』司会の○○です。どうぞよろしくお願いします。』に変更された(廣瀬は「「あなたの町のみんなのステージ」、『NHKのどじまん』」の前に、二宮は逆にそのフレーズの後に「皆さんこんにちは」と挨拶する)。同テーマ音楽と開催市町村の紹介VTR映像の際に流れるアレンジBGMも葉加瀬太郎編曲によるヴァイオリンテイストに変更された。また、紹介VTR映像はその回を担当する地域放送局のディレクターがリポートを行う形に改められた。
ラジオと同時放送ではあるが、司会者は番組冒頭の挨拶時に番組名・司会者名・ゲスト名(以前は会場名も)を述べるため、ラジオ向けのアナウンスは特に付け加えられてはいない。
各出場者がステージへ入場・着席後、ステージ中央に上がって歌を披露する。この時点で、出場者は出場番号と曲名のみを言う。
宮川泰夫が司会となった1993年度からは放送開始とともに全出場者が入場し、ステージ上手側(観覧席から見て右側)に座って先行出場者の歌に合わせて手拍子や身振りなどをしつつ自分の番を待ち、合否の鐘の後はインタビュー[注 55]後にステージ上の席に戻る[注 56]。
出場者の合否審査は、別室に控えた審査員が、テレビ画面で歌を聴きながら「歌唱力と表現力、そしてキャラクターを総合して審査」している[53]。
出場者が途中まで歌ったところで、審査結果が鐘を鳴らす担当者に伝えられ、鐘(チューブラーベル)を打つ数によって会場に知らされる。1音(ド)と2音(ド・レ)では不合格。2000年代頃より不合格の場合でも大抵は2音である(鐘1音の出場者がいない回が大半)が、余りにも音程が外れていたり、歌詞が全く出てこなく歌う事すら出来なくなってしまった場合等は現在でも鐘1音の判定となる場合がある。合格になると「ドシラソドシラソドーミーレー」という合計11音のチューブラーベルが鳴る。この合格の際に鳴らす鐘を、司会者は「鐘3つ」と表現するが、これは頭から8音は注意を引くための装飾音であり、後ろ3音に歌唱力に対する評価を表す意味合いがあるためである。(秋山は特に後ろ3音を溜めて重点的に叩く。)また、2020年のコロナ禍までは合格の鐘が鳴った瞬間、合格した出場者が司会者と抱き合う場面も稀にあったが、休止が明けた後は一時期そのような場面は無くなっていた。
伴奏は判定の鐘で止められるため、合否にかかわらず、歌を最後まで歌い切ることは出来ない(ワンコーラス歌い切ったところで、判定の鐘が鳴ることはよくある)。
出場者の歌唱後に司会者がゲストに感想を求め、ゲストが応えるという演出もよく行われるほか、ゲストの持ち歌を歌唱する出場者とは歌唱後にトークをすることが恒例(出場者の元へゲストが来てトークしている)。合格者はひとしきりトークが終わると、司会者に振られて出場者が居住地と氏名を言う。
2015年4月5日の放送(愛媛県八幡浜市)から、画面右上に開催地「(雀のロゴ)○○県□□市(改行)生放送」[注 57]が表示され(いわゆるテロップ表示)、出場者が歌唱中には画面右下に曲名(2016年4月3日の鹿児島県日置市の放送からは歌手名を追加)が表示されている。ここ最近テレビ画面に開催地名のテロップ表示があるため、スタジオセットについている開催地名の看板がついていない地方が多くなっている。昭和の後期頃から現在にかけて、おおむねセット左側に付けられている番組ロゴの看板は円形、開催地名の看板も円形で丸ゴシックフォントのものが多かったが、近年制作された開催地看板は角が丸い四角形でゴシックフォントの物も見られる。旧番組名時代は、舞台中央上部にNHKのど自慢素人演芸会と書かれた看板が掛けられていた。
2017年4月2日の放送(広島県東広島市)からは画面左下に出場者の略歴が表示されている。 2017年10月1日の放送(群馬県太田市)からは出場者の曲目の横に出場番号が追加され、略歴のカラーテロップが変更された。年末の『熱唱熱演名場面』では、『生放送』の上から放送日が記されたテロップを、右下の曲目テロップも上から番号を外した同じテロップを被せて隠している。
2020年のコロナ禍による休止が明けた後から2023年3月26日放送分まで、バンド・ゲスト・出場者の全員が距離を取るようになっていた。バンドは舞台左側から全体に広がり、ゲストは従来出場者が座っていた場所に座るようになった。そうした事情や舞台に収まらなくなることもあり、出場者は客席前列にて待機するようになっていた(応援も含め客席は2人分以上席を離している)。
コロナ禍の制限が幾分緩和された事とバンドの廃止に伴い2023年4月2日の放送からは1992年度までの形式にさらに近くなり、出場者はオープニングが終わると全員セット裏に戻り、自分の出番が来るとステージ中央から登場して歌唱した後、合格・不合格に関係なくトークを行い、出番が終わった後はステージ上の上手と下手に設置された座席に着席する形になっている。座席はコロナ禍の時期を除いて27年間、長年ステージ上に平に置かれた長椅子だったが、このリニューアルにより雛壇に個別に椅子を置くスタイルとなった。
全員の出場者が歌い終えた後、鐘奏者の紹介を行い、ゲストの歌手(演歌歌手であることが多い[注 58])2組が1曲ずつ歌う。原則としてデビューの遅い歌手から歌う[注 59]。2組目の場合、衣装をそれまでのものと変えて出る歌手もいる。例外として2023年9月3日の放送ではゲストは野口五郎、岩崎宏美と通常通り2組だったが、両者によるデュエット曲を披露したため歌唱は1組分となった。2020年のコロナ禍による休止明け後はバックダンサー付きでの歌唱もある(出場者は客席のため)。歌詞テロップは出ず、字幕放送の機能で代替している。バンドがあった時代は歌唱終了後にバンドメンバーの紹介[注 60]を行ってから鐘奏者を紹介していた。
その間に審査が行われ、ゲストの歌手の歌唱後、審査結果の発表へと続く。特別賞[注 61]が表彰され、合格者を紹介(合格者がステージ前列へ出る)した後、緊迫感のあるドラムロールとともにその週のチャンピオンが発表される。発表と同時に「今週のチャンピオン」のテロップと共にファンファーレが流れるが、2022年度までは生演奏で流れるのはチャンピオンのみだった。2023年度からは特別賞にもファンファーレとテロップが加えられるようになった。
その週のチャンピオン達成者にはゲスト歌手(2組目に歌唱した、ベテラン歌手)から、『のど自慢』の「の」の形をした大規模の盾[注 62]が、特別賞にはやはりゲスト歌手(1組目に歌唱した、比較的若手の歌手)から「の」の形をした小規模の盾が授与される。その後、週ごとのチャンピオンの中からさらに審査の上、年に一度行われる後述のチャンピオン大会への出場者が選出され、グランドチャンピオンを競うことになる。
グループ出場者が特別賞やチャンピオンを受賞した場合、放送内では代表者1名に盾が授与されるが、放送後人数分の盾が用意され渡される。(出場者全員にも記念品が贈呈される。)
エンディングは全出場者・特別賞やチャンピオン受賞者を映しながら音楽を流し[注 63]最後はチャンピオンを映した画面で左下にNHKプラスの案内とQRコード(一時期は番組公式URL)、右下に番組ロゴと「製作・著作NHK│〇〇」と製作局名テロップを表示しながら終了。(NHKロゴ変更前後の平成半 - 2020年度までは画面の左上に番組ロゴ、右下は 「終 製作・著作 NHK〇〇」といったように開催地域の放送局が製作局となっているが、昭和時代~NHKロゴ変更前の平成初期までは左上に番組ロゴ、右下は「終 NHK」としか表示されていなかった)
本放送終了後では、チャンピオンが再度歌唱することが恒例。一時期は、『のど自慢の歌』を全出場者とゲスト歌手で大合唱していたこともある。
2020年のコロナ禍による休止明け後から2023年3月26日放送分までは、特別賞・チャンピオン共にステージに上がらず、客席で起立する形になっていた(ゲスト歌手はそれぞれのトロフィーか盾を持って讃えるがその場所で授与はせず放送終了後に贈呈される)が、コロナ禍の制限が幾分緩和された2023年4月2日よりステージ上での盾授与も解禁された。また、コロナ禍の休止前はゲストの歌唱が終わると出場者は全員ステージ前方に並んでいたが、2023年度からは自分の席からは動かないまま番組が終了している。
2023年5月時点での情報。往復はがきやWEBで予選会出場者を募集。総数1000人以上から“出演動機”を精査し、200組に絞る。この時歌唱曲のリストも完成。本番前日、予選会は本番と同じ会場で行われ、カラオケシステムは予備を含めて2台を搬入する。200組の出場者を4つにわけ、50組ずつカラオケ音源で歌う。このカラオケはガイドメロディーもコーラスもオフにして歌唱力を審査する。イントロが長い曲は出場者の許可を得て短くして予選会をスムーズに進める[54]。予選会終了後、地元局のコンテンツセンター長、番組担当のチーフプロデューサー、同じく番組チーフプロデューサーの中村雅郎、拠点局のエンターテインメント担当のチーフプロデューサーの4人が中心になって出場者20組を選出し、翌日のスケジュールが開いてるか確認する。当人や番組側の希望によりカラオケのキーを変更する。スタッフはカラオケを音楽制作ソフトに移し替え、イントロを短くする加工を行う。また古い音源はイコライジングを行っている。本番当日は午前中何度も練習することができる。特にイントロを短くした曲では入念なリハーサルをして本番を迎える[55]。
宮田輝は、1963年 - 1966年まで隔週で放送された派生番組「あなたが選ぶのど自慢」の司会も兼任で担当した。
金子辰雄・吉川精一・宮川泰夫の3人は「平成17年度 NHKのど自慢チャンピオン大会」に特別出演。3人ののど自慢に対する思いを巨大な額に書いてもらった。特に金子は似顔絵を描いてくれた当時の子供本人とその家族との14年ぶりの感動の再会があった。
なお、1969年4月からの1年間は関東・甲信越ブロックでの中継を軸として、各中継会場が所在する放送エリアの放送業務を管轄する各地域本部在籍のアナウンサー各1名ずつ(ただし、例外あり)が交代で司会を担当する形が採られた。担当アナウンサーの詳細は別表の通り[注 68]。
2023年4月より、番組開始以来初の女性司会者としてNHKアナウンサーの廣瀬智美が就任した。
期間 | 司会 | |
---|---|---|
1946.1.19 | 1948.3 | 太田一朗、高橋圭三 大野臻太郎、宮田輝 ほか数人が交代担当 |
1948.4 | 1949.3 | 高橋圭三 |
1949.4 | 1966.3 | 宮田輝 |
1966.4 | 1967.3 | 大井安正 |
1967.4 | 1969.3 | 大井安正(東日本) 生方恵一(西日本) |
1969.4 | 1970.3 | (各地域本部アナウンサー、別表参照) |
1970.4 | 1970.8.23 | 中西龍 |
1970.8.30 | 1987.4.5 | 金子辰雄 |
1987.4.12 | 1993.3.28 | 吉川精一 |
1993.4.4 | 2005.3.27 | 宮川泰夫 |
2005.4.3 | 2007.4.8 | 宮本隆治 |
2007.4.15 | 2010.3.28 | 徳田章 |
2010.4.4 | 2011.7.3、8.21 | 松本和也 |
2011.7.10 | 2013.3.31 | 徳田章[注 38] |
2013.4.7 | 2023.3.26 | 小田切千[61] |
2023.4.2 | 現在 | 廣瀬智美 二宮直輝 による隔週交代担当 |
ブロック | 司会者 |
---|---|
関東・甲信越ブロック | 大井安正(1969年8月3日放送が最終担当、同回の中継地は新潟)→中西龍(1969年10月5日放送以降の同エリアでの中継の司会を担当、初司会時の中継地は栃木。なお、同年度の全国コンクール決勝の司会も担当) |
北海道ブロック | 奥村浩之(1969年6月15日放送で初担当) |
東北ブロック | 中野宏信(1969年5月4日放送で初担当、同回の中継地は福島) |
東海ブロック | 山田匡一(1969年4月27日放送で初担当、同回の中継地は愛知) |
中国ブロック | 井上善夫(1969年4月20日放送で初担当、同回の中継地は鳥取)、佐々木謙介(1970年2月1日放送のみ、同回の中継地は岡山) |
関西ブロック | 生方惠一(1969年8月10日放送が最終担当、同回の中継地は滋賀)、中野道生(1969年9月28日放送のみ、同回の中継地は兵庫)、井上善夫(1969年10月19日放送のみ、同回の中継地は京都) |
四国ブロック | 五木田武信(1969年7月6日放送で初担当、同回の中継地は愛媛) |
九州ブロック | 瀬田光彦(1969年5月11日放送で初担当、同回の中継地は長崎) |
出場者全員が歌った後、バンドメンバーは常に紹介されるが、鐘(チューブラーベル)奏者の紹介は、宮川担当から行われるようになった。
判定は鐘奏者によるものではなく、番組スタッフ・開催局の責任者・地方中心局の責任者などが行い奏者にヘッドフォンで指示しており、番組ホームページにもその旨が書かれている。鐘はかつては各地方で形や色、響きなどが違っていたが、2004年3月21日、福島県原町市の放送からバンドメンバーが一部違う北海道と近畿を除いて統一され[注 69]、地方の鐘は2004年4月11日(2004年3月7日収録)福岡県大川市の放送が最後になった。さらに2011年7月(徳田 再担当)から関東甲信越地方の鐘も今まで使用していたメーカーを変更した。そして、2014年度からはチューブラベルの頭上部分にアクリルのカバーが付けられている。近畿地方は宮川の時代から2013年度まで、のど自慢のキャラクターのスズメが付けられていた。
期間 | 鐘奏者 | 備考 |
---|---|---|
4月2日 | 黒田英実 | NHK交響楽団 |
4月9日 | 永札さとみ | 瀬戸フィルハーモニー交響楽団 |
4月16日 | 本田佐知子 | 熊本交響楽団 |
4月23日 | 前田秀明 | 仙台フィルハーモニー管弦楽団 |
4月30日 | 黒田英実 | NHK交響楽団 |
5月7日 | 片山陽平 | セントラル愛知交響楽団 |
5月14日 | 植松透 | NHK交響楽団 |
5月21日 | 伊藤拓也 | 九州交響楽団 |
5月28日 | 大垣内英伸 | 札幌交響楽団 |
6月4日 | 落合空千 | オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ |
6月11日 | 前田秀明 | 仙台フィルハーモニー管弦楽団 |
6月18日 | 金原俊 | 広島交響楽団 |
6月25日 | 片山陽平 | セントラル愛知交響楽団 |
7月2日 | 松﨑千草 | 長崎交響楽団 |
7月9日 | 落合空千 | オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ |
7月16日 | 前田秀明 | 仙台フィルハーモニー管弦楽団 |
7月30日 | 久一忠之 | 東京都交響楽団 |
8月6日 | 綱川淳美 | 東京交響楽団 |
8月13日 | 片山陽平 | セントラル愛知交響楽団 |
8月20日 | 山下陽子 | 宮崎シティフィルハーモニー管弦楽団 |
8月27日 | 金原俊 | 広島交響楽団 |
9月3日 | 石川達也 | NHK交響楽団 |
9月10日 | 落合空千 | オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ |
9月17日 | 井手瑞紀 | 佐賀市民吹奏楽団 |
9月24日 | 白戸達也 | |
10月1日 | 片山陽平 | セントラル愛知交響楽団 |
10月8日 | 金原俊 | 広島交響楽団 |
10月15日 | 前田秀明 | 仙台フィルハーモニー管弦楽団 |
10月22日 | 黒田英実 | NHK交響楽団 |
10月29日 | 永札さとみ | 瀬戸フィルハーモニー交響楽団 |
11月5日 | 片山陽平 | セントラル愛知交響楽団 |
11月12日 | 落合空千 | オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ |
11月19日 | 前田秀明 | 仙台フィルハーモニー管弦楽団 |
11月26日 | 永札さとみ | 瀬戸フィルハーモニー交響楽団 |
佐伯は、「佐伯のとっつあん」として知られる。元は近衛秀麿の側近で、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)、東京放送管弦楽団のトランペット奏者を務めた後、番組初期の鐘奏者になった。
吉澤は、2002年1月に死去したが、2002年2月17日徳島県小松島市と2002年3月10日鹿児島県開聞町の放送はそれぞれ2002年1月13日、2002年1月20日に収録したもので、吉澤の出演は1993年4月4日 - 2002年1月27日である。
秋山は、東京芸術大学出身で、帝国劇場オーケストラや東京交響楽団、藝大フィルハーモニアなどに所属した[62]後、2002年の2月と3月に体調不良の吉澤に代わって代理出演。その後、吉澤の死去に伴い2002年4月7日から正式に鐘の担当となった。2005年12月末 - 2006年1月の間の4回(収録の回数も含む)と2017年4月2日のみ秋山の病気入院のため出演を休み、2017年4月2日の放送は大舘信が代わりに出演した。
2023年4月2日放送分から固定の鐘奏者を配置せず、各地のオーケストラ奏者が担当する。
『のど自慢素人演芸会』時代はアコーディオンとピアノが交互に伴奏を担当していた。『NHKのど自慢』リニューアル後は生バンドが伴奏するようになった[63]。 ステージの下手側(観覧席から見て左側)に、ピアノ、シンセサイザー、ドラム、ベース、ギターの編成で置かれ、ステージ中央付近(2016年度からはやや右側に移動)に鐘奏者の秋山がいる。2020年度からは感染防止の距離を保つためステージの下手側にピアノ(バンドマスター)·ドラム·ギター·ベース、上手側にシンセサイザー、2016年度から上手側に移動していた鐘が再び中央付近に移動した。約20年ぶりにバンドメンバーの配置が変わった。
ピアノ・編曲・バンドマスターは宮下博次・西原悟が入れ替りで担当(近畿地方は編曲のみが、ピアノ担当が不在の場合はピアノとバンドマスターを担当する。かつては北海道地方もピアノ担当がいたが、担当者が引退したため北海道地方も宮下・西原の両氏が担当している。)。シンセサイザー、ドラム、ベース、ギターは各地方の演奏者が担当する。また、民謡を歌う出場者がいる場合、それに合わせて三味線と尺八または三線の演奏者が追加された[注 70]。
嘗ては、全出場者の歌の終了後のゲスト歌手が歌う際にも、バンドが伴奏(生演奏)していたが、2003年あたりからカラオケ(一部のゲスト·曲を除く)の再生に切り替えられた。
バンドのスペースには、どーもくん・うさじい・ワンワン・キョエちゃんなどNHKの番組キャラクターのぬいぐるみが置かれていた。
上述の通りバンド形態は2023年3月26日放送分を以って廃止され、同年4月2日放送分より伴奏はゲスト歌手の分も含めて全てカラオケ[注 71]に切り替えられた。この変更にネット世論では批判の声があがり、朝日[65]、毎日[66]、産経[67]の新聞各紙も批判の声を報じた[63]。この変更についてチーフプロデューサーの中村雅郎がデイリー新潮の取材に答えている。まず新型コロナの感染拡大で出演者の距離を取る必要が生じ、やむなく出場者に客席で待機してもらうことになったが、今後の感染流行を見据えてスペースは取れないと考えたこと、若い世代に人気の「打ち込み」の曲は生バンドでの演奏が難しいこと[19]、全国各地にあったキャバレー[注 72]がすたれ「箱バンド」がなくなったため、地方で初見演奏ができるミュージシャンを確保しにくくなったことをあげている[68]。またコロナ流行期の予選会でカラオケ伴奏を取り入れたが、予選で歌えた出場者が本番の生バンドで総崩れするケースが多くみられ、本選もカラオケに統一する必要が生じたという。生バンドの長所として、伴奏に合わせられない高齢者に熟練ミュージシャンが演奏を合わせるエピソードがあげられるが、そもそも高齢者は歌いだしをCD音源で覚えているため、生バンドに合わせられないだけで、カラオケ伴奏に切り替え後はこのようなトラブルは見られなくなったという[68]。
NHKのど自慢では、1998年(平成10年)にブラジルの日系ブラジル人移民90周年事業として、サンパウロ市で初めての国外大会を開催した[71]。以後、海外大会が多く行われるようになる。
この大会で、チャンピオンになると、毎年NHKホールで開催する「NHKのど自慢・チャンピオン大会」(次項)に出場できる。2005年を最後にしばらく開催されていなかったが、2011年10月2日に中華民国・台北市にある国立国父紀念館で、6年ぶりに開催された(10月29日土曜日の19:30から字幕放送付きで放送[注 73])。
各週のチャンピオンに輝くと、更に厳正な審査(VTR審査)の上10 - 15組程度が、翌年2月末 - 3月初旬の土曜日(またはその頃の祝日)19:30 - 20:50の生放送(通常放送同様リアルタイム字幕放送が行なわれている)[注 74]。東京・渋谷のNHKホールを会場に開く「NHKのど自慢 チャンピオン大会 20○○(丸の中には西暦が入る)」[注 75]に進出し、その年の日本一ののど自慢(年間王者・年間女王)と優秀賞2組が決定する。司会は通常回を担当するアナウンサーでゲストには通常放送同様、歌手が2組(3組の年もある)招かれるほか、審査員にも5 - 7組の作詞・作曲家や芸能人・著名人が当たる。前年度チャンピオンが招かれた年もある(デビューしている場合)。グランドチャンピオンは表彰後に出場者をバックに歌唱曲を再度披露してエンディングとなる。
番組タイトルは、1969年度までは「のど自慢全国コンクール」、1970年度から「NHKのど自慢日本一大会」、1995年度から「NHKのど自慢チャンピオン大会」に変更。
例年はNHKホールで行われているが、1975年3月に開催された1974年度大会は大阪府池田市の池田市民文化会館(アゼリアホール)にて、1976年3月に開催された1975年度大会は札幌市の札幌市民会館にて[72]、1977年3月に開催された1976年度大会は福岡市の福岡市民会館にて[73]、1979年3月に開催された1978年度大会は広島市の広島郵便貯金会館(現:メルパルク広島)のホール(現:上野学園ホール(広島県立文化芸術ホール))にてそれぞれ行われた。それ以外にも、NHKホールが落成された1973年以前は不明。
以前は歌謡曲の部、民謡の部の2つで行っていたが、現在は部門別の審査ではなく、全てのカテゴリーから2組の優秀賞と、そして、栄光の日本一とも言えるグランドチャンピオン(優勝者)が出ることになっている。優秀賞にはシルバートロフィーが、グランドチャンピオン(優勝者)には、ゴールデントロフィーがそれぞれ授与される。更には、前項の海外公演のチャンピオンも1人か2人程度参加する。2001年度までは各地方で何名かを選出していたが、2002年度以降はビデオ審査で当選した者が出場する。
チャンピオン大会の演奏はザ・ニューブリード(ダン池田がバンドマスターを務めていた旧「ダン池田とニューブリード」)・東京放送管弦楽団で、指揮は宮下博次が担当。チャンピオン大会の編曲(アレンジ)は宮下博次・西原悟・河野成旺が担当。デジタル放送は5.1サラウンド放送となっている。
なお、2007年度からの演奏はサザンブリーズ・東京放送管弦楽団とが担当した。2008年度からの編曲宮下・西原が担当。
なお、関東・甲信越地方のバンドメンバーと鐘の秋山気清もチャンピオン大会の演奏を担当する。秋山は打楽器奏者で参加。
1980年代にはチャンピオン大会優勝者が翌週以降のNHK歌謡ホール(NHK歌謡コンサート、うたコンの前身番組)に出演していた時期もある。
土曜日または祝日に生放送されることから、終了の際に、翌週に放送される本編の場所が予告される。エンディングでは、『NHK紅白歌合戦』同様、クラッカーの演出もされている。(年によっては行われない場合もある)ラジオ第1でも同時生放送(特別番組でテレビが収録となった際も生放送した)、以前はBS(第2、ハイビジョン)でも数日後に放送していた。
2019・2020年度は新型コロナウイルスにより開催中止、2021年度も当初2022年3月5日にNHK大阪ホール[注 76]から開催予定だったが、同年5月4日(水・祝)に開催された。総合テレビのみ17:00 - 18:00での放送となった。コロナ感染拡大防止対策を整えて、NHK放送センターCT-101スタジオでの非公開生放送の形で開催され[74]、当大会は、2020・2021年度の2年間にわたり行われた大会の今週のチャンピオンに選ばれた出場者の中から、10組を選び、1時間に時間を凝縮して行った[75]。2020・2021年度大会はグランドチャンピオンによる歌唱曲の再度披露を行わずにエンディングとなっていた。2020・2021年度大会からの演奏はnodo coneerto。指揮は宮下博次。編曲(アレンジ)は宮下博次、西原悟、斉藤真也が担当。鐘の秋山気清も打楽器演奏者で参加している。2022年度大会の編曲(アレンジ)は宮下博次、西原悟、斎藤真也、上杉洋史が担当。鐘(打楽器)担当の秋山は番組卒業とともに今大会で卒業した。2023年度大会の編曲(アレンジ)は宮下博次、斎藤真也、上杉洋史が担当。2023年度からバンドが廃止されたため演奏メンバーが若干変わった。また、通常の放送で廃止されたバンドもチャンピオン大会では引き続き起用されている。
年度(西暦) | 優勝者(会場[注 77]) | 歌った曲 | 備考 |
---|---|---|---|
昭和47年(1972年) | 中村匡伯 | 「影を慕いて」 | |
昭和48年(1973年) | 藤田光男 | 「江差追分」 | |
昭和49年(1974年) | 後藤清子 | 「南部俵積唄」 | |
昭和50年(1975年) | 下山美幸[72] | 「秋田長持唄」[72] | |
昭和51年(1976年) | 遠島春美[73] | 「岸壁の母」[73] | |
昭和52年(1977年) | 松尾進(青森県八戸市)[注 78] | 森進一「さざんか」 | この年からしばらく歌謡曲部門・民謡部門の2名選出となる。 以下、上段が歌謡曲部門、下段が民謡部門。 |
橋本千代子 | 「お立ち酒」 | ||
昭和53年(1978年) | 片渕由美子(佐賀県伊万里市) | 森昌子「津和野ひとり」 | |
笠原ちさ子(北海道岩内町) | 「江差追分」 | 同曲では5年ぶり。 | |
昭和54年(1979年) | 高瀬文夫[76] | 渥美二郎「夢追い酒」 | 後に高瀬一郎の芸名でプロデビュー。 |
配島トシ | 「秋田長持唄」 | 同曲では4年ぶり。 | |
昭和55年(1980年) | 山本裕美子[77] | 石川さゆり「能登半島」 | |
千葉祐子・千葉弥生 | 「南部俵積唄」 | 同曲では6年ぶり。 | |
昭和56年(1981年) | 戸ヶ里律子 | 梓みちよ「よろしかったら」 | 後にプロデビュー。 |
渡部久人 | 「磯原節」 | ||
昭和57年(1982年) | 長岩亜由美[注 79] | 岩崎宏美「二十歳前」 | |
佐々木潔志 | 「江差追分」 | 同曲では4年ぶり。 | |
昭和58年(1983年) | 岩井照子 | 都はるみ「おんなの海峡」 | |
関千枝子・関恵理子 | 「秋田長持唄」 | 同曲では4年ぶり。 | |
昭和59年(1984年) | 深田るみ子[78] | 松原のぶえ「おんなの出船」 | |
大淵勝子 | 「正調博多節」 | ||
昭和60年(1985年) | 吾郷金治 | 北島三郎「激唱・青函トンネル」 | |
河上美佐如 | 「阿波よしこの」 | ||
昭和61年(1986年) | 辻村みゆき | 岩崎宏美「聖母たちのララバイ」 | |
田中祥子 | 「球磨の六調子」 | ||
昭和62年(1987年) | 塙圭子 | 石川さゆり「天城越え」 | 民謡部門の本大会進出者がなかった。 |
昭和63年(1988年) | 晴山さおり | 細川たかし「望郷じょんから」 | 後にプロデビュー。 |
箱石マチ | 「外山節」 | 民謡部門の開催はこれが最後となった。 | |
平成元年(1989年) | 太田幸直[79](静岡県浜北市) | 吉幾三「海峡」 | 改元とともに再び全員が同じ条件で競う形式に戻る。 |
平成2年(1990年) | 稲辺久美子[注 80] | テレサ・テン「別れの予感」 | |
平成3年(1991年) | 陰山亜希(島根県出雲市) | 島津亜矢「愛染かつらをもう一度」 | |
平成4年(1992年) | 水田竜子(北海道当麻町) | 「男なら」 | 翌年1月にプロデビュー。 |
平成5年(1993年) | 平田ジョーエ昭夫(愛知県田原町) | LOOK「シャイニン・オン 君が哀しい」 | ブラジル日系3世。初のブラジル系チャンピオン。ブラジルにも同時生中継された。 |
平成6年(1994年) | 伊藤公・伊藤嘉晃[注 81][80](北海道奈井江町) | アリス「BURAI」 | 兄弟デュオ。 |
平成7年(1995年) | 原沙織[注 82](千葉県富山町) | DREAMS COME TRUE「未来予想図Ⅱ」 | この年から原則土曜日の夜での放送に移行した。 |
平成8年(1996年) | 山形宮留未[注 83](東京都立川市) | 「新庄節」 | 部門統合後、民謡で初のチャンピオン。後にプロデビュー。 |
平成9年(1997年) | 野寄早苗(福岡県香春町) | JUJU「すき」 | |
平成10年(1998年) | 川口奈希紗[81][82] | MISIA「つつみ込むように…」 | 大会終了後、グランドチャンピオンが過去にプロの演歌歌手として活動していたという経歴が話題となった[81]。 |
平成11年(1999年) | 室尾雅之(奈良県當麻町) | 尾崎豊「僕が僕であるために」 | |
平成12年(2000年) | 藤本雅子(茨城県土浦市) | 杏里「オリビアを聴きながら」 | |
平成13年(2001年) | 大城バネサ ( アルゼンチン・ブエノスアイレス) | 門倉有希「女の漁歌」 | 琉球系アルゼンチン人。海外勢として初のグランドチャンピオンに。 これがきっかけで2003年に日本でプロデビュー。 |
平成14年(2002年) | 安藤弘法・桝本博之 ( アメリカ合衆国・サンフランシスコ) | CHAGE and ASKA「SAY YES」 | 海外勢としては2年連続。 |
平成15年(2003年) | 王超(ワン・チャオ。奈良県桜井市) | 一青窈「もらい泣き」 | 日本勢としては3年ぶり。アジア系外国人としては初。 |
平成16年(2004年) | 玉川麻美(高知県中村市) | 鬼束ちひろ「月光」 | 四国勢としては初。 |
平成17年(2005年) | キム・ギョンア[83]( 韓国・ソウル) | 2年連続同一楽曲でのグランドチャンピオンに。 海外勢制覇は3年ぶり史上4人目(最後)。 アジア勢としては初(アジア系外国人としては2人目)。 | |
平成18年(2006年) | 清水博正(群馬県藤岡市) | 神野美伽「雪簾」 | 全盲の16歳。ゲストで来ていた氷川きよしはその歌に感動し涙をこぼした。 2008年2月27日にテイチクエンタテインメントよりプロデビューし、同年3月1日に行われた下記のチャンピオン大会にゲストとして出演した。 |
平成19年(2007年) | 榊枝悠子(福島県福島市) | 鬼束ちひろ「月光」 | 歌謡曲としては初めて、同一楽曲で3人目のグランドチャンピオン。 |
平成20年(2008年) | 井口美優(群馬県沼田市) | 絢香「三日月」 | 高校の先輩でもある清水同様に全盲の16歳。視聴率20.1%。 |
平成21年(2009年) | ホベルト・カザノバ(静岡県静岡市) | 五木ひろし「契り」 | 演歌歌唱者では3年ぶり。視聴率15.7%。 |
平成22年(2010年) | 斉藤光壱(埼玉県所沢市) | 前川清「花の時・愛の時」 | 2年連続でブラジル系のグランドチャンピオン。視聴率18.0% |
平成23年(2011年) | 徳永優樹(大阪府熊取町) | 大川栄策「はぐれ舟」[84] | 10代でのグランドチャンピオンは3年ぶり。視聴率17.0% |
平成24年(2012年) | 鈴木裕美子(福島県いわき市) | いきものがかり「歩いていこう」[85] | |
平成25年(2013年) | 櫻井麻那(富山県入善町) | ナナムジカ×のだめオーケストラ「sora」[86] | 10代でのグランドチャンピオンは2年ぶり。 |
平成26年(2014年) | 石井敦子(福島県郡山市) | 「会津磐梯山」[87] | 10代でのグランドチャンピオンは2年連続。 |
平成27年(2015年) | 小山田祐輝(北海道岩内町) | 氷川きよし「獅子」[88] | 3年連続10代でのグランドチャンピオン。この年度から出場対象年齢が引き下げられ、いきなり史上初の中学生グランドチャンピオンに輝く。 |
平成28年(2016年) | 大場悠平(北海道幕別町) | 清水翔太「化粧」[89] | 10代でのグランドチャンピオンは4年連続。北海道からは2年連続のグランドチャンピオン誕生。 |
平成29年(2017年) | 加藤大知(熊本県阿蘇市) | navy&ivory「指輪」 | 20代のグランドチャンピオンは5年ぶり。九州からは実に20年ぶりのグランドチャンピオン輩出となった。 |
平成30年(2018年) | 篠﨑大輔(佐賀県伊万里市) | 指田郁也「花になれ」 | 2年連続で九州から20代男性がグランドチャンピオンに選出された。なお2020年3月15日には45分に再編集した熱唱名場面が放送された。 |
令和元年(2019年) | 新型コロナウイルス感染症の流行による影響で開催中止 | ||
令和2年(2020年) | 上田淑子(三重県四日市市) | 島津亜矢「かあちゃん」 | 新型コロナウイルス感染症の流行による影響で2年連続の開催中止 |
令和3年(2021年) | 新型コロナウイルス感染症の流行による影響で中止になった前年度分のチャンピオンを含めて審査の対象とした上で2022年5月4日に3年ぶりに開催された。 | ||
令和4年(2022年) | 兼子結(茨城県小美玉市) | 藤田麻衣子「手紙 〜愛するあなたへ〜」 | 4年ぶりにNHKホールで開催。 |
令和5年(2023年) | 西山絵美子(愛媛県四国中央市) | 絢香「三日月」 | 四国から19年ぶりのグランドチャンピオン選出。また、出場者たちはバックバンドの演奏のもとで歌唱した。 |
2000年12月のBSデジタル放送開始に伴い、デジタル衛星ハイビジョン(BShi)で土曜朝に約2時間40分にわたって予選会の模様をダイジェストで放送。時間の都合で250組を全て紹介するわけではない。BShiではその後に正午のニュースを挟んで翌日の本番(総合テレビの再放送)が放送されていた。2003年3月でBShiでの放送は終了したが、時折総合テレビでローカル番組として放送されている。2011年9月11日開催の岩手県久慈市では予選会の模様(久慈市のほか、宮城県仙台市、福島県福島市の模様を含めている)を総合テレビで全国放送することになった。仙台市の予選会(会場・NHK仙台放送局第1スタジオ)は放送済みであるが、福島市と久慈市の予選会は台風関連の特設ニュースのため放送日程が1週間延期となった(九州沖縄地方では地域特番を放送したため、久慈市の予選会の放送は2011年10月10日の深夜に放送した)。2012年9月16日(15日深夜)には千葉県木更津市の予選会(9月8日開催)の模様がBSプレミアムで1:55 - 4:55の3時間にわたり放送された。NHK以外では地元ケーブルテレビ局が放送するケースもある。
1999年4月から2004年3月まで5年間、衛星第2テレビで放送した公開視聴者参加番組[注 84]。NHKのど自慢に出場できない15歳未満(中学生を含む)がのどを競った。司会は森口博子とNHKアナウンサー(主に男性)で開催地元局所属を含めた複数名が担当した。2002年度はアナウンサーの関口健とのコンビとなった[注 85]。また1999年4月から2002年9月までは佐橋俊彦作曲のイメージテーマ曲が使用された。民放を含め、日本国内で最後にレギュラー放送された「子供向けのど自慢番組」でもある。
基本的には本編と同じであるが、こちらでは鐘ではなく電子音が流れて合否を判定する。またエントリーNo.・出演者の氏名と年齢・曲名と歌手名が一括表示される。賞には、客席審査員が選ぶベストステージ賞、ゲストが選ぶゲスト賞、そして合格者の中から選ばれるグランプリがあった。グランプリに輝くと更に厳正な審査の上15組程度が「BSジュニアのど自慢グランプリ大会」(NHKホール)に出場できたが、2001年度をもって廃止された。
ゲストは当時活躍していた主に若手の歌手、ユニット等が毎週1組出演して曲も披露していた[注 86]。
応募方法はNHKのど自慢と異なり選曲理由を記入する必要はなかったが、「歌いたい曲目とその曲を歌っている歌手(グループ)名」は曲に優先順位を付けた上で第3希望まで記入する必要があり、出場者(グループ単位での出場の場合は代表者)の保護者住所・氏名も記入しなければならなかった。
最終回だった2004年3月27日放送分では、過去の名場面を振り返る「総集編」として放送。エンディングでは歴代訪問地を画面左方向へのロールテロップで流したのち、「5年間 ありがとうございました」のテロップを表示して5年間の歴史を締めくくった。
なお、本番組の終了を最後に、日本のテレビ放送で長年続いた「小中学生対象の」全国向けのど自慢番組は途絶えていた。
前述のように、2015年4月からは中学生については高校生以上との混合となるレギュラー番組ではあるが、11年振りにのど自慢番組への出場機会が与えられることになる。
日本初の長編連続テレビアニメ『鉄腕アトム』の原作者である手塚治虫の生誕80年を記念して制作され、2009年5月4日にNHK大阪ホールで収録、2009年5月5日(こどもの日)にNHK大阪制作(関西ローカル)で放送された公開視聴者参加番組。
歌われる楽曲はアニメや特撮の主題歌・挿入歌限定で構成され、BGMには鉄腕アトムの主題歌が使用されている。司会は森口博子。審査員に田中公平・野沢雅子・古谷徹・夏まゆみ・岡田斗司夫。ゲストはMay'n・水木一郎。
また、前日に行われた予選会には、選考に残った3歳から70歳という幅広い年代の人々が149組参加[注 87]し、その中から勝ち残った15組がのどを競った。
審査員一人につき3点の持ち点で15点満点・11点以上で合格となり、『ゲッターロボ』主題歌のイントロと同時に審査得点がメーター表示された後に合否の鐘が鳴らされる、というスリリングな演出が用いられつつ、審査員特別賞2組とチャンピオンが選ばれた。初代チャンピオンには、剣をかたどったチャンピオンソードが授与されている。
再放送時(NHK BS2/2009年5月30日 NHK総合/2009年6月12日)は全国放送となり、アーティスト(May'n・森口博子・cossami・カノン・水木一郎)によるアニメソングスペシャルステージが追加、放送時間も約90分に拡大された。
この第一回以降2011年まで毎年5月にNHK近畿ブロックの特別番組として行われた。
2014年から2016年にかけNHK放送センター制作でNHK BSプレミアムにて放送された第2シリーズ。タイトルの「G」は「ガチ」を意味しており、のど自慢本番組ならびにアニソンのど自慢大阪局時代当初の「明るく楽しく元気よく」とは対照的に「強く激しく美しく」をモットーに本気でアニソンシンガーを目指す人々のガチののど自慢とするコンセプトとなっている[90]。なお、テーマ曲は本番組の物をアレンジしたものとなっている。
本戦はみんなの広場ふれあいホールにて行われ、まず1回戦として事前のくじ引きで決められた歌唱順で1コーラスを歌唱する。歌唱後は大阪局時代とは違いゲッターロボのイントロや合否の鐘は行われず、各審査員の1人10点満点による個人得点が発表された後総得点の発表と審査員の講評が発せられ、最終的に総得点上位3組が決勝へ進出。この他暫定上位3組出場者と同点の合計点となった場合は、最高得点をつけた審査員数が暫定上位者を上回ると順位が入れ替えとなる。
1回戦終了後はゲスト歌唱を挟み、決勝戦として下位出場者から順に1コーラスを歌唱したのち決選投票として各審査員が最良の出場者の順位札を上げ最も多く上げられた順位の出場者がチャンピオンとなり、チャンピオンには大阪局時代同様にチャンピオンソードが授与される。
2016年3月には、2014-15年に開催された過去3回の決勝戦進出者8組で「初代アニソン王」を競う「アニソンのど自慢G ~天下一アニソン武闘会~」を開催。通常のアニソンのど自慢Gと異なりNHKホールで開催され、本戦では赤コーナーと青コーナーに分けて一人ずつ歌い、審査員の投票数が多かった方が勝ち抜けていく。歌唱順及び組み合わせは、開始前に一人一本ずつ巻物を取り、それに書いてある順番及び組み合わせになる。
2019年1月2日に総合テレビで放送された特別番組。バーチャルYouTuber13組17名が出場[94]。また、司会の小田切とゲストの小林はバーチャルキャラクター化した状態[注 88]で出演した。宇宙空間を模した「バーチャル空間特設ステージ」からの放送となったが、それ以外はおおむね通常ののど自慢のフォーマットに沿って進行した。なお、合否の鐘が途中から女性Vチューバーの時だけ合格メロディの前半を数回繰り返したり、有名ソングの一部フレーズが奏でられたりした。「狙い撃ち」が合格メロディとして奏でられた際は、司会のバーチャル小田切千がノリノリで歌い始め、小林幸子に真顔で注意されるまで歌っていた。この番組は新型コロナウイルスによる影響で2020年5月から放送している『NHKのど自慢 スペシャル』の一環として、2020年5月31日(日曜日)の12:15から再放送された[95]。
2020年1月1日には、同様の体裁で『NHKバーチャル紅白歌合戦』が放送された[96]。
「こどものど自慢」は、2021年3月からNHK大阪放送局が18歳以下の子供を出場対象として不定期放送しているのど自慢番組。第1回は2021年3月にNHK関西ブロックで放送(5月に全国放送)され、第2回と第3回は全国放送(本来のNHKのど自慢の時間帯、8月15日分は生放送)で放送された。特定年齢以下を対象としたのど自慢は、かつてNHK BS2で放送していた「BSジュニアのど自慢」以来となる。司会は西川貴教。なお、番組ロゴは左上の「NHK」の部分を「こども」と置き換え、右上のスズメが1羽から3羽に増えている。ナレーションは本家の司会である小田切が担当する。映像審査で選ばれたこども数組が、思い出の場所や楽曲に関連した場所等で撮影して歌唱を披露する。但し、本家やBSジュニアのど自慢と異なり、合否判定は行わない。
新型コロナウイルスの影響による長期休止を経て番組が再開された2020年秋以降に、大会の中止が発生した場合の代替番組として、テレビのみで放送されていた特別編である。オンライン版「のど自慢」をコンセプトとし、視聴者から投稿されたパフォーマンス動画を紹介していた。パフォーマンスの時間は概ね1分前後とされていた。本編同様に演歌歌手を中心にゲストを1 - 2名スタジオに招いて放送した。
なお、大会が順調に行われている間も、ストックした収録分を深夜帯や開催予定のない週の通常枠で放送する場合があったため、動画の投稿は通年で募集していたが、2023年度の本編リニューアルにならびにコロナ禍の制限が幾分緩和されたことに伴い、2022年度いっぱいで終了した。
番組開始当初は、出場者の合格不合格を知らせる際には司会者が口頭で結果を伝えていた。合格の場合は「合格です」、不合格の場合は「もう結構です」だった[4]。しかし、「結構です」を合格と勘違いする出場者が多かったため、鐘を使って合図をする方式に変更されている[53]。なお、予選会ではスタッフの「ありがとうございました」で歌唱終了となる。
各地の放送局は本番組に併せて「NHKふれあいミーティング」を開催することが多い。ミーティングが開催される場合、司会者は番組が終わってもすぐには東京へ帰らず、一NHK職員の立場で出席する。ミーティングには視聴者代表として当日の観客や会場地住民代表が参加し、職員らに対して意見を述べる。ミーティングの内容は、後日の本番組制作を担当した放送局のホームページで公開される。
開催地に選出されるために各自治体では招致活動を行っている(市制〇周年等に合わせるケースが多い)。そのため、開催については行政からの広報も充実している。
かつては民謡での出場者も毎回1 ‐ 2人あったが、2000年あたりからは少なくなっており、数回に一度あるかの状況である。
90年代の一時期には司会者の挨拶・開催地アナウンスに続いて「のど自慢の歌」が歌われた時期もあった。
過去最高齢出場者は、2012年8月12日のいわき大会において「白虎隊」を歌った当時102歳の女性である(特別賞を得た)。
各大会の本選出場者は予選通過から2日間に渡って一緒になるため絆が強まり、その後も同窓会を開くなど交流を続けるケースが多い。
会場では本番組やNHK関連のグッズも販売される(NHK放送センター内でも購入可)。また、予選会参加者には記念バッヂが贈呈される。
NHKが公共放送という立場上、出場者は会社名等の入った衣装は原則着用できない(作業着等の社名はシールで隠される)。服のブランドロゴも目立つものは隠される場合がある。学校の制服着用は在学校教員の許可が必要。
本番組出場者の「選曲」が『NHK紅白歌合戦』の出場歌手選考の参考にされる。
2023年3月12日、同時期に行われていたNHK×日テレ コラボウィーク[注 89]の一環として、日本テレビ『行列のできる相談所』とのコラボを行った(吉田沙保里と北村晴男が出場した)。また、同日21:00からの『行列のできる相談所』(日本テレビ)には、小田切千と鐘担当の秋山気清が出演した[101]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.