伊豆市(いずし)は、静岡県の伊豆半島中央部に位置する市。この半島で最大の面積を占める基礎自治体である。
平成の大合併のピーク期あたりの2004年の4月1日に、伊豆半島中北部の4町、田方郡修善寺町・土肥町・天城湯ケ島町・中伊豆町が合併し伊豆市が発足した。
伊豆市は県の面積の4.1%を占め、現在、浜松市・静岡市・川根本町に次いで4番目に広い基礎自治体である。このように広大な面積を有しているが、深山な伊豆半島に位置するため、市域の67%は山林で占められており、可住地面積は17.3%程で[1]、人家の多くは狩野川とその支流の脇のわずかな平地に集まる。温泉と自然環境を主軸とした観光地を有している。
市北部より西を望む。画像のほぼ全てが伊豆市の市域。
中央部が修善寺駅周辺と修善寺温泉街。左から右へ狩野川が流れる。右奥の山塊が達磨火山でその最高点が達磨山。
市北部より南を望む。画像のほぼ全てが伊豆市の市域。
最奥の山塊が天城山。その右前が天子火山。
市域の多くが、伊豆半島のおよそ標高500〜1,000メートル (m) 級の分水嶺に囲まれる。そのために市域は分水嶺内側の狩野川水系上流域を占める内陸部と、駿河湾に接する海岸部の二つに大別される。この二つの地域間には標高約570 mの船原峠があり、移動において地域住民の地理的・心理的障壁となっており、生活圏の境界にもなっている[2]。海岸部は内陸部に比べ、暖流である黒潮の影響で幾分か温暖である[3]。
今後発生が予見されている南海トラフ巨大地震の際には、市内の海岸に最大8mの津波が到達することが予想されている[4]。
市域はかつて火山島であった伊豆半島にあるため、火山活動に由来する地形が残る。先述の市域を囲む分水嶺の山稜も大型火山が侵食されて形成されたもので、内陸側のすそ野には大型火山の名残の比較的緩やかな山並みが続く地域もあり、北部域ではゴルフ場や別荘地、テーマパークとして利用されている。これら大型火山の活動はすでに終えているが、半島西部の伊豆東部火山群は現在も活動中であり、それら単成火山が造りだした地形も市内に多く存在するが認知度は低い。
気候は一般的に温暖な地域と認識されている伊豆半島であっても、天城山近くの山間部では積雪のある年も珍しくない。この天城山では年間降水量が4,000ミリメートル (mm) を超えることもある多雨地帯である[5]。
広袤(こうぼう)
概要 節内の全座標を示した地図 - OSM ...
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国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、伊豆市の面積は363.97平方キロメートル (km2) である[6]。
国土地理院によると[7][8]伊豆市の東西南北それぞれの端は以下の位置。北端は巣雲山の北北西約1キロメートル (km) 、東端は冷川峠の北北東約4 km、南端は天城峠の西約1 km、西端は恋人岬である。また、2010年国勢調査結果に基く人口重心[9]は大平にある。
市の発足前から人口の減少は進んでおり、発足時(2004年)の人口は38,108人であった。
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伊豆市と全国の年齢別人口分布(2005年)
| 伊豆市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 伊豆市 ■緑色 ― 日本全国
| ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
伊豆市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
| 40,875人
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1975年(昭和50年)
| 40,561人
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1980年(昭和55年)
| 39,915人
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1985年(昭和60年)
| 39,769人
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1990年(平成2年)
| 38,999人
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1995年(平成7年)
| 39,426人
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2000年(平成12年)
| 38,581人
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2005年(平成17年)
| 36,627人
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2010年(平成22年)
| 34,202人
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2015年(平成27年)
| 31,317人
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2020年(令和2年)
| 28,190人
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総務省統計局 国勢調査より |
対策
- 市街地再開発事業
- 伊豆市では人口減少を食い止め、伊豆箱根鉄道駿豆線を利用した沼津・三島地区のベッドタウン化を現在以上に遂げて人口増加へ繋げるために、修善寺駅を主とした市街地再開発事業が進められている。主な内容は、修善寺駅舎の建て替え・北口の新設、駅南・駅北地区の連絡通路の新設、駅北広場の廃止し大型駐車場新設、新しい広場の設置、歩道の再整備など[13]。修善寺駅周辺市街地の再開発完了後には牧之郷駅の駅舎建て替え・マンション新設などの整備も検討されている。
市長
さらに見る 代, 氏名 ...
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 |
初代 | 大城伸彦 | 2004年4月25日 | 2008年4月24日 |
2-4代 | 菊地豊 | 2008年4月25日 | 現職 |
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市役所
- 本庁(修善寺地区)
- 支所:修善寺支所(本庁内)、土肥支所、天城湯ケ島支所、中伊豆支所
警察・消防
- 市内に警察署は存在しないが、天城湯ヶ島地区に警察庁関東管区警察局の通信施設が存在する。市全域が伊豆の国市にある大仁警察署の管轄になる。大仁警察署は伊豆の国市と伊豆市の境界の至近に置かれている。
行政区
- 修善寺(しゅぜんじ)地区 - 旧修善寺町
- 旧北狩野村地区
- 大野(おおの) - 旧大野村
- 牧之郷(まきのこう) - 旧牧之郷村
- 柏久保(かしわくぼ) - 旧柏久保村
- 年川(としがわ) - 旧年川村
- 旧修善寺町地区(狭義)
- 瓜生野(うりゅうの) - 旧瓜生野村
- 熊坂(くまさか) - 旧熊坂村
- 堀切(ほりぎり) - 旧堀切村
- 大沢(おおさわ) - 旧大沢村
- 修善寺 - 旧修善寺村(旧下修善寺村・旧上修善寺村)
- 旧下狩野村地区
- 小立野(こだちの) - 旧小立野村
- 本立野(ほんたちの) - 旧本立野村
- 加殿(かどの) - 旧加殿村
- 田代(たしろ) - 旧田代村
- 日向(ひなた) - 旧日向村
- 大平(おおだいら) - 旧大平村
- 中伊豆(なかいず)地区 - 旧中伊豆町
- 旧下大見村地区
- 下白岩(しも-しらいわ) - 旧下白岩村
- 上白岩(かみ-しらいわ) - 旧上白岩村
- 関野(せきの) - 旧関野村
- 旧中大見村地区
- 城(じょう) - 旧城村
- 八幡(はつま) - 旧八幡村
- 柳瀬(やなせ) - 旧柳瀬村
- 冷川(ひえかわ) - 旧冷川村
- 徳永(とくなが) - 旧徳永村
- 梅木(うめぎ) - 旧梅木村
- 宮上(みやかみ) - 旧宮上村
- 旧上大見村地区(※八岳(やつおか)地区とも)
- 戸倉野(とくらの) - 旧戸倉野村
- 原保(わらぼ) - 旧原保村
- 中原戸(なかはらと) - 旧中原戸村
- 菅引(すげひき) - 旧菅引村
- 地蔵堂(じぞうどう) - 旧地蔵堂村
- 姫之湯(ひめのゆ) - 旧姫ノ湯村
- 貴僧坊(きそうぼう) - 旧貴僧坊村
- 筏場(いかだば) - 旧筏場村
- 天城湯ケ島(あまぎゆがしま)地区 - 旧天城湯ケ島町
- 旧中狩野村地区
- 佐野(さの) - 旧佐野村
- 雲金(くもがね) - 旧雲金村
- 松ケ瀬(まつがせ) - 旧松ケ瀬村
- 大平柿木(おおだいら-かきぎ) - 旧大平柿木村
- 本柿木(ほん-かきぎ) - 旧本柿木村
- 青羽根(あおばね) - 旧青羽根村
- 下船原(しも-ふなばら) - 旧下船原村
- 上船原(かみ-ふなばら) - 旧上船原村
- 旧上狩野村地区
- 矢熊(やぐま) - 旧矢熊村
- 田沢(たざわ) - 旧田沢村
- 月ケ瀬(つきがせ) - 旧月ケ瀬村
- 門野原(かどのはら) - 旧門野原村
- 吉奈(よしな) - 旧吉奈村
- 市山(いちやま) - 旧市山村
- 湯ケ島(ゆがしま) - 旧湯ケ島村
- 持越(もちこし) - 持越鉱山
- 土肥(とい)地区 - 旧土肥町
- 旧土肥町地区(狭義)
- 小土肥(おどい) - 旧小土肥村
- 土肥 - 旧土肥村
- 旧西豆村地区
- 八木沢(やぎさわ) - 旧八木沢村
- 小下田(こしもだ) - 旧小下田村
合併問題
一時期、合併の枠組みによっては政令指定都市へ移行することも検討されたが、構想は白紙撤回された。しかし、三島市や伊豆の国市は新たに、伊豆市など伊豆半島の各地域との大合併による「新・伊豆市」構想を持ち始めており、同構想が実現した場合は政令指定都市への移行が実現する可能性もある[要出典]。
さらに見る 総数 (単位:人), 第1次産業 7.77% (全国平均1.5%) ...
産業大分類別就業者数(平成17年度)[1]
総数 (単位:人) | 第1次産業 7.77% (全国平均1.5%) | 分類不能の産業 0.70% |
19,151 | 計 | 農業 | 林業 | 漁業 | 135 |
1,488 | 1,396 | 42 | 50 |
第2次産業 25.12% (全国平均26.8%) |
計 | 鉱業 | 建設業 | 製造業 |
4,810 | 35 | 1,866 | 2,909 |
第3次産業 58.27% (全国平均71.7%) |
計 | 電気・ガス・熱供給・水道業 | 情報通信業 | 運輸業 | 卸売・小売業・飲食店 |
12,718 | 61 | 158 | 698 | 2,989 |
金融・保険業 | 不動産業 | 飲食店・宿泊業 | 医療・福祉 |
234 | 132 | 2,789 | 1,808 |
教育・学習支援 | 複合サービス業 | サービス業 | 公務 他に分類されないもの |
625 | 337 | 2,397 | 490 |
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観光
- 温泉
- 火山との関係が深い伊豆半島であるため温泉が豊か。そのために古くより温泉街が発展し、現在では保養地として首都圏を中心に全国から観光客を呼ぶ。その代表は修善寺温泉や湯ヶ島温泉であるが、かつてはこれらの温泉を目当てに川端康成を含む多くの文豪が訪れ作品を残したほか、井上靖が天城湯ケ島地区で少年期を過ごしたことなどがあるため、文学に因んだ事物が多く存在する。また、修善寺温泉では鎌倉時代の源氏に関係する建造物や墓などが残り、これらも伊豆市の観光における売りである。
- 伊豆市の北部を占める温泉地帯が 修善寺温泉である。修禅寺の門前町として発展した。修善寺温泉で特徴的なのは、「独鈷の湯」をはじめとする温泉であり、上記で書かれている通り、明治期に多くの文豪が訪れた。
- 新修善寺温泉は、伊豆の国市に近い瓜生野地区にある温泉であり、旧大仁鉱山から湧出。温泉の大部分が伊豆の国市側の大仁温泉に給湯されているが、瓜生野地区にはスパリゾート施設が整備されている。
- 伊豆市の中南部を占める温泉地帯が 天城湯ヶ島温泉郷である。温泉地帯のほとんどを山地が占めており、山地から流れ出て来る沢水は狩野川に合する。南部は川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台として知られる天城山系と連なり、狩野川流域には温泉地が点在している。浄蓮の滝などの天然の観光資源が豊富。
- 伊豆市の東部を占める温泉地帯で、ほとんどが天城山脈に含まれ、天城山の最高峰万三郎岳がある。ワサビ、椎茸栽培も盛んである。
- 伊豆の西部を占める温泉地帯で、駿河湾沿いには砂浜も多く、風光明媚な観光地でもある。海の幸が豊富。
- 土肥地域は夏季に海水浴客で賑わう。小下田にある恋人岬には、恋愛成就を目的とした金の鐘が置かれ、観光客を集めている。
- 市の内陸部を囲むように存在する急峻な山稜は、観光ドライブや軽登山の場所として整備されている。南稜にあたる天城山は日本百名山の一座として数えられ、軽登山愛好者が訪れる。また、西稜は低木やササ原の植生となっているために眺望に優れ、昭和40年代に観光ドライブ用として西伊豆スカイラインとして車道が整備された。また、南稜の天城峠から西稜まで、伊豆山稜線歩道という登山道も整備されている。東稜にも伊豆スカイラインが通るが、市域の区間は先述の西稜よりも標高が比較的低く、木々が覆うため眺望には恵まれず、箱根山方面から伊東市方面へ抜ける際の通過区間といった様相である。
- 市域の大部分を占める狩野川水系は、アユの友釣りが盛んである。この狩野川はアユの友釣りの発祥の地とされることが多く、メッカ的地位を得ており、「狩野川を制すれば全国を制す」という言葉もある[14]。また、上流部では万城の滝や、日本の滝百選の1本に数えられる浄蓮の滝が観光客を集める。
- 大型の観光施設としては、自転車をテーマとした日本サイクルスポーツセンターが1965年から修善寺地区で営業。市もサイクリングのメッカとして売り出している[15]。また、花をテーマとした修善寺虹の郷も1990年から同地区で営業している。
農業
平地は主として稲作が中心。天城山の山麓では清涼な水を利用して江戸時代からワサビ栽培が行われ、中伊豆地区の筏場地区や地蔵堂地区では大規模なワサビ田が広がる。1892年ごろ[16]、原保村(現伊豆市)の平井熊太郎が畳石式栽培を開発した[17]はこれらで収穫される天城のワサビは最上級のブランドとなっている。また、明治期には天城湯ケ島地区(上狩野村門野原出身)の石渡秀雄がシイタケの栽培法を確立しており、現在もシイタケ栽培が盛んである。
漁業
駿河湾に面する土肥地区では漁業が行われている。主な漁港は小下田漁港と八木沢漁港。
小学校
- 修善寺地区
- 中伊豆地区
- 天城湯ケ島地区
- 伊豆市立天城小学校 - 2013年4月開校[18]
- 土肥地区
閉校
- 静岡県立修善寺工業高等学校 - 2010年3月末閉校。伊豆の国市に存在する大仁高校と統合。
- 伊豆市立土肥小学校-2010年3月末閉校。土肥南小との統合で新土肥小となったが、2018年4月に土肥中と統合し、前述の土肥小中一貫校が開校。
- 伊豆市立土肥中学校-2018年4月に土肥小と統合し、同敷地に土肥小中一貫校が開校。
- 伊豆市立土肥南小学校-2010年3月末閉校。土肥小との統合による。
- 伊豆市立大東小学校-2011年3月末閉校。大見小と八岳小と統合。
- 伊豆市立大見小学校-2011年3月末閉校。大東小と八岳小と統合。
- 伊豆市立八岳小学校-2011年3月末閉校。大東小と大見小と統合。
- 伊豆市立狩野小学校-2013年3月末閉校。湯ヶ島小と月ヶ瀬小と統合。
- 伊豆市立湯ヶ島小学校-2013年3月末閉校。狩野小と月ヶ瀬小と統合。
- 伊豆市立月ヶ瀬小学校-2013年3月末閉校。湯ヶ島小と狩野小と統合。
鉄道
- 伊豆箱根鉄道
- 牧之郷駅 ‐ 修善寺駅
修善寺駅は、鉄道のない伊豆半島西部へのターミナル駅となる。駅前には半島各地へ向かうバス路線が集まる。
船舶
- 土肥港と、静岡市清水区の清水港を65分で結ぶフェリー航路。静岡県道223号清水港土肥線に指定されている。
空港
市内に空港はない。最短時間で行ける空港は羽田空港である。県内には静岡空港があるが利便性が低く、地元住民は成田国際空港や羽田空港を利用する。
南関東や静岡県内の空港への、公共交通機関を利用した最短所要時間は次のとおり[19]。なお、静岡空港についてはバスを利用することになるため、渋滞状況によっては2時間以上を要する場合がある。
ゆかりの人物
- 川端康成 - 『伊豆の踊子』の執筆にあたり、天城湯ケ島地区の旅館に4年半滞在して完成させた。
- 井上靖 - 少年期を天城湯ケ島地区で過ごす。
- 全国地方公共団体コードの5けたの数字(検査数字を除く)は「22222」であり、全て同一数字で揃う唯一の自治体である。
- 市のテーマソングはRin'の「サイの神」。合併当初はイベントや市の宣伝CM等によって毎日のようにこの曲が流れていた。
- 1942年頃に農学者の大井上康が、中伊豆地区(旧下大見村)で巨峰を開発したため原産地とされている。市内にある市立中伊豆小学校では、大井上の子息から苗を寄贈されて育てている。
伊豆市北端部から南を望む
修善寺駅周辺
中伊豆支所がある八幡
筏場のワサビ田
出典
坑内火災、ガスに巻かれ次々と倒れる『大阪毎日新聞』(昭和12年3月17日夕刊).『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p215 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
二百七十七人解雇、従業員はスト決議『大阪毎日新聞』(昭和12年5月20日夕刊).『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p790
伊豆市議会だよりNo.20参照、2012年11月2日閲覧
兵庫県芦屋市出身だが『ふるさとデータブック 東海』(NHK出版、1992年刊)では当時の土肥町の主な出身者として取り上げている。
“潮木 仁”. samplesite2008.web.fc2.com. 2021年12月20日閲覧。
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