長口宮吉

日本の写真化学技術者 ウィキペディアから

長口 宮吉(おさぐち みやきち、1892年4月22日 - 1962年4月10日)は、日本写真化学技術者。

来歴

1892年(明治25年)4月22日、現在の静岡県伊豆市小下田[要出典]に生まれる[1]東京薬学校東京薬科大学の前身の一つ)を1914年に卒業した[1]。その後、東京美術学校(現在の東京芸術大学)助手を経て[要出典]東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)教授を務めた[1][2]1933年(昭和8年)、日本最初の色彩写真を完成する。この方式は長口式天然写真として特許となり現代カラー写真の礎を築く。[要出典]

1939年(昭和14年)、富士写真フイルムに入社する[1][2]。同社では技師を務め、カラーフィルム(フジカラー)の開発に成功した[1][2]

1950年(昭和25年)に日本最初のカラー写真制作会社となる日本天然色写真を創設し、社長としてその経営に当たる[1][2]。以来、カラー写真技術の開発、普及等に数多くの業績を残し、1962年(昭和37年)4月10日に死去[1][2][3]。享年69。

没後、長口の功績を称え出身地の旧土肥町では「長口宮吉写真コンテスト」を開催して入選作品を観光ポスター、観光絵はがきに使用したほか伊豆市になってからは2010年(平成22年)から2019年(令和元年)まで「伊豆市を彩る(色撮る)写真コンテスト」を開催して「長口宮吉賞」を大賞として表彰した[4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。最終年となる2019年(第10回)は、駿河湾フェリー清水マリンターミナル、伊豆市友好都市である平塚市役所でも入選作品を展示した。

長口に関する写真、著書等は、現在伊豆市小下田の最福寺[14][15]内の郷土資料館「夢の実現堂」に同郷の囲碁棋士本因坊秀和と同時に展示されている。

主な著作

  • 『最新写真科学大系』〈第1 - 7〉誠文堂新光社、1935年
  • 『写真薬品の知識』〈アサヒカメラ業書〉朝日新聞社、1936年
  • 『写真化学』南江堂出版、1938年
  • 『天然色写真』廣川書店、1950年
  • 『写真及印刷材料化学』産業図書、1982年

脚注

参考文献

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