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高梁市
岡山県の市 ウィキペディアから
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高梁市(たかはしし)は、岡山県の中西部に位置する市。広島県と境を接する。中心部は備中松山藩の城下町であり、山城の松山城(備中松山城)で知られる。
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概要


古来から備中国の中核であり、近世では幕藩体制のもと備中松山藩を中心として繁栄した[1]。一級水系の高梁川が市の中心部を貫流し、かつては高梁川を利用して高瀬舟によって玉島港(倉敷市)まで物資の輸送が盛んに行われたため、高梁は物流の中心として発展した。
現存天守の中で唯一の山城であり最も標高の高い場所にある松山城の眼下に広がる高梁の城下町は、武家屋敷や町家、神社仏閣などが立ち並ぶことから備中の小京都と呼ばれ[2]、映画『男はつらいよ』シリーズでは2度ロケ地となった事でも知られる[3][4]。
市の北側に位置する成羽町吹屋地区は、江戸時代後期から大正にかけて銅山と弁柄の巨大産地として繁栄を極め、現在も弁柄漆喰壁や格子と赤銅色の石州瓦の家々が並ぶ赤い町並みがみられる[5]。かつて日本最古の現役木造小学校舎であり、閉校後は修理を経て一般開放されている旧吹屋小学校[6]とともに観光客を集める。2020年に吹屋地区にまつわる一連のストーリーは「ジャパンレッド」発祥の地~弁柄と銅(あかがね)の町・備中吹屋~として日本遺産に認定された[7]。
毎年8月14日から3夜開催される備中たかはし松山踊りは、1648年から踊り継がれる県下最大規模の盆踊りである[8]。他にも伝統芸能では、江戸時代から伝わり広く備中地方を中心に演じられる高梁市が発祥の備中神楽や、一部地域の祭事で奉納される渡り拍子などがある。このように豊かな歴史的遺産と文化に彩られている。
朝に霧が発生しやすく、特に秋から冬のよく晴れた風の弱い日には高い場所で雲海を見られることが多い。松山城から離れた場所にある雲海展望台からは、条件次第で雲海に浮かぶ松山城を望むことができ[9][10]、その姿は天空の城と称される[11]。他にも市内には川上町の弥高山公園[12]、松原町の松原霧の海展望の丘[13]、有漢町の大平山展望台[14]などの雲海の名所がある。
農業では、ブドウのニューピオーネ[注 1]、トマトは岡山県一の産地である[16]。また、シャクヤクの花は中四国最大の産地である[17]。
高梁市のブランドメッセージは、わたしあうまち高梁市[18]。
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地理
要約
視点
位置

2018年7月12日撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
岡山県の中西部に位置し、岡山市中心部から北西へ約32km(市役所を基準)に位置する。県下三大河川の一つ高梁川が東側を南北に貫流し、その両側に吉備高原が東西に広がっている[1]。東西に35km、南北に30kmで[19]、岡山県の7.7%を占め、岡山県内の市町村で4番目に広い面積を有している。2004年に平成の大合併により、西側で広島県と接するようになるなど大幅に市域が広がった。市内全域が旧備中国に属している。
交通では、高梁は山陽と山陰を結ぶいくつかの陰陽連絡路線の途中に位置する。岡山市から鳥取県米子市まで南北に貫く国道180号[注 2]およびJR伯備線と、広島県福山市から鳥取県北栄町へ貫く国道313号(ロマンチック街道313)との交点である。また、中国横断自動車道である岡山自動車道が通っている[20]。
かつては、松山往来、新見往来、成羽往来が現在の高梁市中心部で交差した。また成羽往来は成羽から北西方面の吹屋・坂本を経由し庄原市東城町へ抜ける吹屋往来と、南方面の笠岡往来とが交差した。さらに、高梁川の水運を利用した高瀬舟による輸送が江戸時代から行われ、近代に国鉄伯備線を利用した輸送へ転換されるまで継続された。これらのことから、交通の要衝となり栄えた。
明治期には、銅の生産で繁栄した吹屋地区に関係する交通網も発達した。笠岡市金浦地区から魚仲士(うおなかせ)と呼ばれる運搬役が笠岡往来および吹屋往来を経由し吹屋まで鮮魚を運んだことから、とと道と呼ばれた。また、日露戦争の特需を背景に銅の輸送力強化を図りトロッコ専用軌道が吹屋から成羽まで成羽川に沿って敷設された。なおこのトロッコ道は、後に旧国鉄伯備線(備中高梁 - 新見間)の誘致を旧川上郡が行ったが、却下され伯備線は高梁川沿岸を通るルートとなっている[21]。
- 東西南北端点
- 北端 : 北緯34度57分37秒 東経133度42分31秒(有漢町上有漢)
- 東端 : 北緯34度56分1秒 東経133度43分12秒(有漢町上有漢)
- 西端 : 北緯34度51分11秒 東経133度19分44秒(備中町西山)
- 南端 : 北緯34度41分02秒 東経133度27分45秒(川上町仁賀)
- 出典:国土地理院[22]
地形

市内の東部を一級水系の高梁川が北から南に貫流し、支流の有漢川、成羽川が合流する。地勢は河川に沿って帯状に曲折した低地部と、高原部に至る傾斜部、および高原部分とからなっている。おおむね標高は西に行くほど高く東に行くほど低い[1]。
中心市街地は高梁川に成羽川が合流する地点の北側に広がる盆地に位置し、城下町の古い町並みを残している。成羽地区の中心地も、成羽川沿いの盆地で城下町であった。標高は、盆地部が50メートルから100メートル、丘陵部が300メートルから500メートル。
総面積の78.5%は山林・原野、8.7%は耕地、12.8%はその他[19]。
市の西部を流れる成羽川流域には、地質が石灰岩質のカルスト地形がみられ、石灰岩地帯特有の渓谷や台地がみられる。特に備中町を中心に石灰工業が盛んである。備中町布賀地区では世界的に珍しい逸見石をはじめ、備中石など新鉱物である鉱物・鉱石が発見および産出される。
成羽周辺地域には、成羽層群と呼ばれる5層からなる地層[注 3]があり、植物化石や貝化石を産するが、多くの植物化石は成羽町の南にある日名畑層から産出した。動物に比べて腐りやすい植物の化石が多種確認され、数多くの新種が産出した。成羽の植物化石は114種類確認されているが、そのうち新種は38種と約3分の1であり、これだけ多くの新種が同じ地域から産出する事は世界でも大変まれである[23]。
気候
年間を通して霧がよく発生する。そのため日照時間は岡山市に比べると少ない。冬季には積雪もみられるが、積雪量は標高によってかなり差があり、平地部では数cm程度であるが、北部の高原部では10cm~20cmになる事もある[26]。
気温については、高原部では昼夜の気温差が大きい。平地部は比較的温暖である[26]が、盆地のため4月から9月頃にかけては日射による熱がこもりやすく、県内でも特に気温が上昇し、最高気温が全国1位となる日もある[27]。35℃を超える猛暑日となる日も多い。2020年8月9日から9月1日の24日間連続猛暑日となり、2024年8月12日に更新されるまで国内記録だった[注 4][28][29][30]。また、その間の2020年8月21日に最高気温39.3℃を記録したが、これは岡山県内最高に並ぶ記録である[注 5][31]。
年間平均気温は14.5℃、年間平均降水量は1,230mm[25]。降雨の多くは多雨期か台風に集中しており、季節風や地震などの被害は比較的少ない[32]。
天気予報の区分では「高梁地域」に属し、岡山地域、東備地域、倉敷地域、井笠地域とともに「岡山県南部」(県南)として扱われる[33]。
人口
人口は戦後の1950年頃がピークで、高度経済成長が進むにつれて急激に減少し、現在まで減少が続いている[36]。
2020年国勢調査では29,072人。2015年から2020年の5年間の人口増減率は約9.4%減で、県内27市町村中ワースト2位(県内15市ではワースト1位)である[37]。母親世代の減少や晩婚化などによる出生数の減少に加え[36]、社会動態では進学や就職で県南都市部へ流出するケースも多い[38]。男性のうち未婚の割合は県内でも特に高い[36]。男性の生涯未婚率は31.3%で県内15市中1位(県平均24.5%[39])。
年齢別分布を見ると、高齢化率が高く、約41.5%で県内27市町村中7位(県内15市では3位)[37]。その一方で、市中心部にある吉備国際大学の影響で、19歳から23歳までの年齢別人口は突出して多く、学生の町であることが見てとれる。
外国人の割合は約3.1%で、県内27市町村中1位である[40]。国籍は1位インドネシア(261人)、2位ベトナム(251人)。外国人の数は2013年から2020年までで約55%増加しており、吉備国際大学の留学生や外国人技能実習生の受入拡大が影響している[36]。
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高梁市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 高梁市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 高梁市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
高梁市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
地域
行政区域は2004年合併前の旧市町と同じく、旧高梁市域である高梁(たかはし)と、旧町の有漢(うかん)、成羽(なりわ)、川上(かわかみ)、備中(びっちゅう)との5地域に区分される[41]。
市の中心である備中高梁駅周辺、落合町(近似、阿部)、成羽町の国道313号沿線には市街地が形成されており人口が集中しているが、その他の地域では小規模集落が広く分布している[42]。地理的条件から、平地は河川沿いなどに分布しているため、限られた狭隘な箇所に人口が集約する構造となっている。可住地面積割合は約20.7%(2019年[43])。
市内全域が中山間地域であり[44]、全域で過疎地域[45]及び特定農山村地域[46]の指定を受けている。
合併後の住所表記は、旧高梁市域は従来通りとし、旧4町(有漢町、成羽町、川上町、備中町)も「高梁市〇〇町〇〇」の形で表記する。「大字」の文字は省略する。例「川上郡成羽町大字下原」→「高梁市成羽町下原」となる[47]。
- 読み方の出典:日本郵便[48]
隣接市町村
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歴史
要約
視点
鎌倉時代・室町時代
成羽では1189年(文治5年)、河村秀清が鶴首城を築城したと伝えられる。
高橋(現在の高梁市中心部)では、1240年(延応2年)、相模国の三浦氏一族と伝えられ、承久の乱後に有漢郷の地頭となった秋庭重信が大松山に最初の城を築いた。1331年(弘元元年)から三好氏一族の高橋宗康が居城した頃には、3つ目の小松山にまで縄張りを拡大。この辺りの地名はこれまで高橋であったが、高橋宗康が自分の姓を呼ばせるのを嫌ったためか、松山に改めている[49]。
以後、備中国のほぼ中央に位置する要衝として、その支配権を巡る幾多の争奪戦が繰り広げられた[50]。上野氏、庄氏が城主となって支配した後に、永禄年間(1558~1570年)には成羽の豪族の三村氏が松山城に入り備中北部一帯を支配した。
安土桃山時代
1575年(天正3年)の備中兵乱で三村氏は毛利氏・宇喜多氏両勢力によって滅ぼされると[51]、備中国は高梁川を境に西側は毛利氏、東側は宇喜多氏によって分割支配された。
江戸時代
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで両勢力とも退いた後、備中松山は幕府の直轄地となり国奉行の小堀氏(小堀正次と子の政一(遠州))が入った。1617年(元和3年)大名の池田氏が入封し備中松山藩が成立すると、水谷氏の時代にかけて備中松山の城下町が完成した[52]。
水谷勝隆が玉島において新田開発を行うと、子の水谷勝宗は高梁川に接続する運河である高瀬通しの造成により、高梁から玉島まで水路で繋がった。高梁からの高瀬舟による水運が発達し、玉島港の繁栄に伴い高梁は物流拠点の地位を確立した。
一方、成羽藩では、1617年(元和3年)藩主の山崎家治が成羽城を築き鶴首城は廃城。1639年(寛永16年)水谷勝隆が入るも、1642年(寛永19年)松山城へ移り成羽藩は一旦廃藩。1658年(万治元年)山崎家治の分家である山崎豊治が成羽藩へ入り、以後山崎家が廃藩置県まで治めた。

幕末、備中松山では財政難に苦しみ、板倉勝静が藩主を継いだ時、負債は約10万両に達していた。この逼迫した藩財政の立て直しを山田方谷の登用により委ねた。方谷の改革により赤字だった藩財政は8年で逆に大幅な黒字へ転換し、大坂商人への借金返済も約束の期限を大幅に短縮している。この藩政改革の成功により、松山藩は5万石ながら実質20万石に相当する経済力、軍事力を備えたともいわれ、諸藩から注目された[53]。
藩政改革の功績により、藩主の板倉勝静は幕府の要職に登用され、1862年には老中に就いた。1868年(慶応4年)戊辰戦争の際、勝静が旧幕府軍で転戦したため、備中松山藩は朝敵とされた[52]。国元では、新政府の命令により岡山藩に攻められる事態となったが、方谷は松山城の無血開城を決したため、城下町が攻撃されることなく岡山藩の支配下に置かれた。
明治・大正
1869年(明治2年)山田方谷から派遣された松山藩士により箱館から東京へ連れ戻された板倉勝静は、降伏を決断する[54]。これにより、備中松山藩は減封となる。
また、同名の伊予松山藩が早い段階で恭順したため、新政府は敵対した側の備中松山藩に藩名の変更を要請。高梁川の名から取った高梁藩に改名したことが、現在の高梁市の由来となっている[52]。
現市域の高梁川以東の大部分は賀陽郡、以西の大部分は下道郡(時期によっては小田郡・後月郡も混在)であった。のちに東部は上房郡、西部は川上郡として分立した。1871年(明治4年)、廃藩置県により藩名は高梁県・成羽県となった後に統合して小田県となり、1875年(明治8年)に岡山県に統合された。1889年(明治22年)6月1日、町村制施行によりそれまで村であった単位が統廃合し、高梁町・松山村・川面村・巨瀬村・津川村・宇治村・落合村・高倉村・玉川村・松原村・宇治村が発足した。
産業では、江戸時代から牛や馬の売買が行われており、1885年(明治18年)に家畜市場が設立されると、1992年の閉場まで100年以上もの間取引が続けられた。葉タバコの生産地として1897年(明治30年)に高梁一等葉煙草専売所(後の日本専売公社高梁工場)を開設した。大正初期には、この地域でモール製造機が発明され、機械モールの生産が始まった。その後、アメリカへ輸出されるようになり、急速に発展した。昭和中期まで地域の特産品としての地位を占めるようになる[50]。
生活も次第に近代化され、大正初期には一時期ガス灯だったが、大正末期頃までには(旧)高梁市域全域で電気のある生活ができるようになった[50]。道路などの整備は不十分で、輸送の中心は高瀬舟であった。1904年(明治37年)に中国鉄道吉備線が岡山駅から湛井駅(現在の総社市)間に敷設されると、高梁の物流はそれまでの玉島経由から、湛井を経由したものにシフトされた[50]。1918年(大正7年)には自動車備北組合が開業(同年中国自動車に組織変更。現在の備北バス)し、高梁から湛井までの間で乗合自動車の運行が開始した[55]。1922年(大正11年)頃にはタクシー業者も生まれた[56]。道路網は、山の尾根を経由した道が多く、河川の横断は、高梁川の一部で木造橋梁が建設され始めたものの、架橋費用が膨大でまだ渡し船が一般的であった[57]。
教育では、多くの教育者・学者・思想家らを高梁から輩出した。山田方谷は藩校の有終館や私塾の牛麓舎などで教鞭をとり陽明学を教え、多くの門下生を輩出した。1879年(明治12年)から高梁でキリスト教の伝道活動が始まり、特に1880年(明治13年)に同志社創立者の新島襄が4日間の伝道活動を行って以降急速に信仰が進んだ。これにより、キリスト教の影響を受けた多くの思想家や学者らが生まれた。その中でも地元においては福西志計子が女子教育の必要性を説き、1881年(明治14年)に岡山県初の女子中等教育施設となる私立縫製所を向町に設立[58]し、1885年(明治18年)には文学科と合わせて順正高等女学校に改組した。後に県へ移管し、現在の県立高梁高校家政科へと受け継がれている。なお、1889年(明治22年)には県内最古の洋風建築物となる教会堂が設立されている[59]。中等教育機関は他にも、1895年(明治28年)に県立の岡山県高梁尋常中学校(現在の県立高梁高等学校)が設立された。
昭和

1926年(大正15年)国鉄伯備線美袋駅 - 木野山駅間が開通し、1927年(昭和2年)備中川面駅まで延伸、1928年(昭和3年)には足立駅まで延伸し全線開通した。これにより山陰と山陽が鉄道で結ばれると、人や物の交流が促進されるようになった[56]。
城下町を象徴する松山城は明治以後荒れたままになっていたが、1939年(昭和14年)に旧高梁町が本格的な解体修理に取り組み、1940年(昭和15年)に天守と二重櫓が威容を取り戻した[56]。
教育では、1904年(明治37年)に有漢ではじまった有漢教員養成所[60]に代えて、1930年(昭和5年)に金岡助九郎が高梁に岡山県高梁商業学校(現在の方谷學舎高等学校)を設立した。
終戦後の1945年(昭和20年)の農地改革では多くの自作農家が生まれ、農家の生産意欲向上へつながった[56]。 1947年(昭和22年)12月11日、昭和天皇のお召し列車が備中高梁駅に3分間停車。この間に駅前奉迎が行われた(昭和天皇の戦後巡幸)[61]。奉迎には上房、川上両郡下の戦没者遺族、引揚者なども参加した[62]。
1953年(昭和28年)に市町村合併促進法が施行された。それまで地方自治法では市制を敷くためには人口5万人以上、中心市街地の戸数が全戸数の60%以上であることが原則であるが、明治維新後に成立したままの規模の小さい市町村を廃し行政規模の適正規模の適正化を図る3年間の時限立法であった。人口の少ない備北地方ではこの機会を除いては市制を施行する事が到底出来ないとして、高梁町を中心に合併の機運が盛り上がった。一部町村の脱落や不参加、地域内紛争などの紆余曲折があったものの、1954年(昭和29年)5月1日に高梁町・川面村・巨瀬村・津川村・宇治村・落合村・高倉村・玉川村・松原村の1町8村が合併し高梁市として発足し、翌1955年(昭和30年)には中井村も加入した[63]。合併後は一体性の確立に腐心し、またデフレーションや行政機構の膨大化から初年度は1千万円以上の収入不足となる等苦しい財政事情の中での出発であったが、1961年(昭和36年)頃までは産業基盤の整備を中心に都市基盤の確立に力を注いだ[64]。
生活では、市営住宅の建設も積極的に行われた。高梁の風土病と噂された肝炎が流行したため、上水道の敷設を行い1962年(昭和37年)に完成した[64]。道路網は、1960年代から1970年代には、モータリゼーションによって農村地域でも自動車が普及した事と、土木技術の向上により、国道改良や市道・農道の整備拡幅、橋の架け替えが行われた。特に国道180号は、川端町から落合橋まで(4車線化)、幡見橋付近(バイパス化)、川面(バイパス化)などで渋滞が相次いだため改良された[65]。また、1973年(昭和48年)に高梁大橋が完成。鉄道網では、1972年(昭和47年)に特急やくもが備中高梁駅に停車し、1973年には備中高梁駅以南の複線化が実現した。通信分野では、電話網の充実、有線放送電話の拡充強化などが実現した[66]。
戦後の教育改革では1947年(昭和22年)学校教育法が施行され6-3-3-4制が導入された[56]。1948年(昭和23年)旧制高梁中学校と、旧順正高等女学校であった高梁高等女学校がそれぞれ県立高梁第一高校と第二高校に改称すると、1949年(昭和24年)に統合し県立高梁高等学校が開校した。家政科校舎はしばらくは統合前と同じ伊賀町分校であったが、1967年(昭和42年)に本校へ統合となった[67]。また同じ頃に、加計学園の協力で高梁学園(現在の順正学園)が創設され、同年伊賀町分校のあった場所に順正短期大学が開校し、その隣地には順正高等看護専門学校も開校した[68][注 6]。なお、1948年に県立高梁第二高等学校は松山分校を新設し、1953年(昭和28年)に組合立となった後、1966年(昭和41年)昼間部のみ県へ再移管し県立高梁工業高校に改称した(現在は県立高梁城南高校[69])。夜間部は市立松山高校[70]となっている。
1972年の昭和47年7月豪雨では各地区で浸水や家屋流失および損壊が続出し大きな被害が出た[71]。市は災害対策や復旧事業に多額の費用を要したため財政難となったが、県の全面的な支援を受けて財政再建を行ったため、財政再建団体にならずに踏みとどまった[72]。災害の教訓から着手した公共下水道事業は[72]、1987年(昭和62年)に浄化センターが完成した事で一部使用開始した[73]。
産業では、農業の振興が図られた[74]。稲作、葉タバコの他、ナシ、モモなどの果樹や野菜について、自立専業農家の育成や農地造成による経営拡大の促進が行われた。葉タバコは昭和40年代以降減反政策により出荷量が大幅に減ったが、ブドウの一種であるピオーネへの転作が進んだ[75]。ピオーネは1973年(昭和48年)に成羽町で試験導入されて以降、前述の葉タバコからの転作に加え、品種転換や稲作からの転作により拡大し、後に岡山県一の産地となるまでに至っている[76]。また、昭和中期には畜産の振興も図られていた[64]。肉用牛は、農耕用にも使用されていたため1964年(昭和39年)には約3,000頭飼養されていたが、1960年代後半以降自動耕運機の普及に伴い飼養頭数も急速に減少し、1980年(昭和55年)以後は1,000頭前後で推移した。乳用牛は、県から備中集約酪農地域の指定を受けて市によって奨励され、市有乳牛の貸付も行われたものの計画(3,000頭予定)には及ばず、1970年代から1,200 - 1,300頭で推移し、1992年(平成4年)をピークに急速に減少した。また、肉用牛も乳用牛も農家数は一貫して減少し、逆に農家1戸当たりの多頭化は強まった[77]。
1960年代から1980年代にかけて多くの企業の誘致が進められた。また、1985年(昭和60年)には松原町神原地区にパインツリーゴルフクラブが開業した。当初は36ホールが計画されたが18ホールに縮小し、その残地を利用したきびの郷ワンダーランドが1980年(昭和55年)に開園した[78](1996年に閉園)。葉タバコの生産量減少に伴い、日本専売公社(1985年以降はJT)高梁工場は、1986年(昭和61年)から岡村製作所の指導によりオフィス家具の製造に転換を始めた。1988年(昭和63年)にJTと岡村製作所の共同で会社を設立し、1990年(平成2年)にはオフィス家具に全面転換した(現在の社名は山陽オカムラ)[79]。
文化では、映画「男はつらいよ」の高梁ロケが1971年(昭和46年)と1983年(昭和58年)の2度行われ、高梁が全国に知られる事となった。また、1985年(昭和60年)、童謡を心のふるさとにし、童謡を通して高梁市を安らぎのある街にするべく、童謡のまちづくり計画を開始。同年には高梁総合文化会館も開館し、1986年(昭和61年)に第1回童謡まつりが開かれた[80]。
平成・令和
「学園文化都市づくり」を市政振興の柱にしていた市は、高梁学園との強い信頼関係を生かした大学誘致により、1990年(平成2年)に4年制の吉備国際大学が開学。1995年(平成7年)には大学院も開学した[80]。これにより多くの学生が生活するようになり、活気をもたらしている[81]だけでなく、市へ経済効果や財政効果をもたらした[82]。
吉備国際大学開学と同じ1990年の6月にゆめタウン高梁、11月にはポルカ天満屋ハピータウンと、2つの大型店が開業した。また、これに次ぐ量販店の出店により、小売商店の従業員数の増加をもたらした[83]。
交通では、1989年(平成元年)に備中高梁駅の隣に高梁バスセンターが開業した。そして、1996年(平成8年)には愛宕ループ橋を含めた国道484号上谷バイパスが開通し、翌1997年(平成9年)には岡山自動車道が全線開通した。国道484号の整備によって、市中心部から賀陽インターチェンジや吉備高原都市へのアクセスも格段に向上した。2004年(平成16年)には備中高梁駅の東西連絡通路が開通し、駅前大通りの電線地中化工事も完成した[84]。公共施設ではこの他にも、神原スポーツ公園、高梁市文化交流館、デイサービスセンターや訪問看護ステーション、クリーンセンターなども次々にオープンした[85]。
平成の合併により2004年(平成16年)10月1日、高梁市と有漢町、成羽町、川上町、備中町の1市4町が対等合併し、改めて高梁市が発足した[86](合併の経緯は後述)。このころ、県立高校再編も行われた。2004年4月には県立高梁工業高校と県立成羽高校、県立川上農業高校の3校が統合し、県立高梁城南高等学校が開校した[69]。また、県立高梁高校は2006年(平成18年)に吉備中央町の県立吉備北稜高校を統合した。
2010年代中盤には備中高梁駅周辺の再開発が行われた。2015年(平成27年)4月、従来の駅舎に代わり連絡通路上に建設していた橋上駅舎が完成し[87]、それに前後して3月に寝台特急サンライズ出雲の停車駅となった。同年秋には東口広場や都市計画道路を整備。2016年(平成28年)には駅舎跡地周辺に西口広場を整備。2017年(平成29年)には高梁バスセンターを建て替え、高梁市図書館を含めた高梁市複合施設を建設した[88]。また、2015年には老朽化していた高梁市役所の新庁舎が完成し5月に移転が行われた[89]。
2018年の平成30年7月豪雨では、住家の浸水や損壊が500件以上発生し、市民生活や経済活動に甚大な被害をもたらした[90][91]。
成羽町吹屋地区では、2020年(令和2年)関連するストーリーが『ジャパンレッド』発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~として日本遺産に認定された[7]。日本で最も古い現役木造校舎であった吹屋小学校は2012年(平成24年)に閉校し、保存修理を経て2022年(令和4年)に観光展示施設として開館した[6]。
年表
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年)1月 - 高梁郵便局開局。
- 1875年(明治8年)12月10日 - 小田県が岡山県に統合される。
- 1876年(明治9年)6月 - 第4警察出張所(現在の高梁警察署)を設置。
- 1878年(明治11年)12月9日 - 第八十六国立銀行(現在の中国銀行)設立[92]。
- 1881年(明治14年)12月10日 - 福西志計子が裁縫所を設立[58]。
- 1885年(明治18年)
- 1889年(明治22年)
- 1893年(明治26年)10月14日 - 明治26年台風により各地で水害が発生する。
- 1895年(明治28年)8月 - 高梁尋常中学校(現在の県立高梁高等学校)設立。
- 1914年(大正3年)1月18日 - 方谷橋が開通[93]。
- 1918年(大正7年)
- 1922年(大正11年)頃 - タクシー業者が発足[50]。
- 1926年(大正15年)6月20日 - 国営鉄道伯備南線の美袋駅 - 木野山駅間が開業し、備中高梁駅開業。
- 1927年(昭和2年)7月31日 - 伯備南線木野山駅 - 備中川面駅が延伸開業。
- 1928年(昭和3年)10月25日 - 備中川面駅以北が延伸開業し、伯備線(伯備南線から改称)が全通。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 岡山県高梁商業学校(現在の方谷學舎高等学校)開校。
- 1931年(昭和6年)11月2日 - 高梁信用組合(現在の備北信用金庫)開業[94]。
- 1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風により各地で水害が発生する。
- 1936年(昭和11年)10月 - 落合橋が現在の国道313号に開通。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)8月 - 県立高梁第一高校(旧制高梁中学校)と第二高校(旧順正高等女学校)が統合し、県立高梁高等学校開校。
- 1953年(昭和28年)12月 - 順正寮跡に高梁町立図書館開館。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 上房郡・川上郡の1町8村が新設合併し、高梁市が発足。
- 1955年(昭和30年)4月14日 - 市章を制定。
- 1956年(昭和31年)2月 - 高梁商工会議所設立。
- 1958年(昭和33年)3月 - (旧)高梁市役所庁舎完成し移転[95]。
- 1962年(昭和37年)1月 - ごみ焼却場完成[96]。
- 1963年(昭和38年)8月 - 市営火葬場完成[97]。
- 1964年(昭和39年)4月 - 高梁局の電話が自動化[97]。
- 1967年(昭和42年)
- 4月1日 - 順正短期大学(後の吉備国際大学短期大学部)開学。
- 9月 - 順正高等看護専門学院(後の順正高等看護福祉専門学校)開校。
- 1970年(昭和45年)10月 - 向町に(旧)高梁市図書館が移転し開館。
- 1971年(昭和46年)3月31日 - 横町に(旧)高梁市消防庁舎完成[98]。
- 1972年(昭和47年)7月11日 - 昭和47年7月豪雨により各地で水害が発生する。
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)5月1日 - 市の木をアカマツに制定。
- 1976年(昭和51年)4月 - 高梁総合福祉センター完成[72]。
- 1980年(昭和55年)
- 5月 - 高梁市民体育館完成[78]。
- 7月23日 - きびの郷ワンダーランド開園。
- 1982年(昭和57年)7月1日 - 国鉄伯備線が電化。
- 1985年(昭和60年)7月12日 - 高梁総合文化会館開館。
- 1987年(昭和62年)10月 - 高梁浄化センター完成[99]。
- 1989年(平成元年)4月 - 高梁バスセンターが備中高梁駅前に開業。
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 7月 - 神原スポーツ公園完成。
- 12月 - 高梁家畜市場閉場。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 市の花をサクラに制定。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 吉備国際大学大学院開設。
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 2000年(平成12年)4月 - ごみの分別収集を開始。リサイクルプラザ稼働。
- 2004年(平成16年)
- 3月2日 - 備中高梁駅東西自由通路供用開始。
- 4月1日 - 県立高梁工業高等学校と県立川上農業高等学校、県立成羽高等学校が統合し、県立高梁城南高等学校開校。
- 10月1日 - 高梁市と上房郡・川上郡の4町が新設合併し、改めて高梁市が発足[101][86]。
- 2005年(平成17年)
- 2012年(平成24年)9月3日 - 成羽病院本館棟が落成し外来診療開始[101]。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)7月6日 - 平成30年7月豪雨により各地で水害が発生する。
- 2020年(令和2年)
- 2022年(令和4年)3月21日 - 旧吹屋小学校の保存修理が完了し一般公開開始[6]。
- 2023年(令和5年)3月31日 - 順正高等看護福祉専門学校閉校。
- 2024年(令和6年)8月10日 - マンガ絵ぶたまつり最終回[107]。
- 2025年(令和7年)
行政区域の変遷
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 上房郡高梁町・川面村・巨瀬村・津川村・川上郡宇治村・落合村・高倉村・玉川村・松原村の1町8村が新設合併し、高梁市が発足[110]。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 上房郡中井村を編入する[110]。
- 1970年(昭和45年)5月1日 - 上房郡賀陽町佐与谷地区の一部(大字上竹・西の各一部)を編入。
- 2004年(平成16年)10月1日 - 上房郡有漢町・川上郡成羽町・川上町・備中町の1市4町が合併し、改めて高梁市が発足[86]。これにより、川上郡は消滅。
- 変遷表
平成の合併
岡山県が2001年(平成13年)3月に示した岡山県市町村合併推進要綱の合併パターンを基に[111]、9月28日、高梁市、上房郡有漢町、北房町、賀陽町、川上郡成羽町、川上町、備中町の1市6町で高梁地域合併問題研究会を設置した[112]。この1市6町は当時の岡山県高梁地方振興局管内であり、また1市2郡である高梁市、上房郡、川上郡の頭文字を取って「高上川(こうじょうせん)」とも呼ばれ、繋がりをもっていた[113]。
1市6町は数度の合併研究会議を経て、2002年(平成14年)6月28日には、任意合併協議会を設けた。
一方で賀陽町は、吉備高原都市を共にする御津郡加茂川町との2町による合併研究会議などを進め、2002年7月29日には2町で法定合併協議会を設置した[114]。賀陽町は11月5日に高梁地域任意合併協議会を脱会し、後に吉備中央町として新設合併した。また、北房町は住民投票の結果真庭地域との合併を望む票が多数であった[注 10]ため、2003年(平成15年)4月28日に高梁地域を脱会し[114][115]、後に真庭市として新設合併した。
2003年5月16日、残る高梁市、有漢町、成羽町、川上町、備中町の1市4町で法定合併協議会「高梁地域合併協議会」を設置し具体的な協議を行う事となった[114]。基本的協議事項のうち合併方式は新設合併とした。新市の名称は「高梁市」で、住民世帯対象の募集で最も応募数が多く(46.01%。2位は「備中高梁市」の8.25%)、委員の中でも多数意見を占めていた[116]。新市事務所は合併前の高梁市役所に置くこととした[117]。
2004年(平成16年)3月12日に調印式、3月19日に各市町議会で議決、3月31日に県へ合併申請を行い[118]、10月1日に新市が発足した[112]。
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行政
要約
視点
市長
- 現職
- 歴代市長
市の組織
2025年4月現在[119]。
- 企画財政部
- 総務部
- 産業経済部
- 土木部
- 市民生活部
- 健康福祉部
- 消防本部
- 国民健康保険成羽病院
- 会計課
- 議会事務局
- 選挙管理委員会事務局
- 監査事務局
- 農業委員会事務局
- 教育委員会事務局
市役所
中心市街地に本庁舎を置き、合併前の旧4町に1か所ずつ地域局を置く。旧高梁市域の9か所に地域市民センターを、成羽地域局管内3か所に連絡所を配する。また、土木事業に関する業務のうち、市の西側に位置する旧川上郡(成羽町、川上町、備中町)の一部の業務は西部土木事務所が管轄する[120]。
- 本庁舎

現在の庁舎は、旧本庁舎の老朽化に伴い旧駐車場と旧通路一帯に建設されたものである。2013年12月着工、2015年5月1日で旧庁舎の業務を終了し、5月7日から新庁舎での業務を開始した[89]。
庁舎移転に伴い、それまで大半の部局や議場があった旧本庁舎、監理課及び定住対策課(現在の協働定住課)があった旧分庁舎、産業経済部(現在の産業経済部および土木部)の大半と教育委員会事務局があった岡山県備中県民局高梁地域事務所敷地内の旧第二庁舎、上下水道課があった高梁浄化センターと、4箇所に点在していた部局は新庁舎に集約されている。また、敷地内道路はやや北側に移設された。
旧本庁舎は解体・撤去され、跡地は隣接する元市民会館跡地と共に駐車場として使用されている[121]。旧分庁舎は解体され公用車駐車場及び倉庫が建設された。
- 観光課
- 所在地:高梁市旭町1335番地7(高梁観光交流センター「ATTa!」内)
- アクセス:JR備中高梁駅から徒歩1分
- 西部土木事務所

- 所在地:高梁市備中町布賀29番地2(高梁市備中地域局庁舎内)
- アクセス:備北バス 高梁バスセンターから坂本または平川行き約35分「備中地域局前」停留所から徒歩1分
- 管轄区域:成羽町、川上町、備中町(土木関係業務の一部)
- 2013年4月1日、新設した[124]。
- 地域局
合併当初は各地域局とも合併前の旧町役場を使用していた。しかし、合併前の2003年9月に新築した備中地域局を除く3局舎はいずれも老朽化が進んでいたため、2005年2月28日に有漢地域局が新庁舎へ[102]、2020年8月31日に成羽地域局が新庁舎へ移転新築し[125]、2022年3月22日に川上地域局が既存施設内へ移転した[126]。
- 高梁地域市民センター
- 成羽地域連絡所
総合計画
- 現行
- 高梁市総合計画2021-2030 健幸都市たかはし~“つながり”から創る心豊かなまちづくり~(2021年度-2030年度)
- 過去
- 高梁市総合計画2011-2020 ひと・まち・自然にやさしい高梁(2011年度-2020年度)
- 高梁市総合計画 交流・創造都市たかはし(2006年度-2010年度)
財政
2023年度普通会計の決算額は、歳入約273億円で、主な内訳は市税約38億円(13.9%)、地方交付税約107億円(39.0%)、国庫支出金約33億円(12.1%)、県支出金約12億円(4.5%)、市債約34億円(12.5%)。歳出約261億円。財政力指数(3年平均)は0.30、経常収支比率は96.0%、実質公債費比率は11.3%、将来負担比率は48.1%[128]。特別会計(10会計。普通会計に含まれるものを除く)は、歳入約97億円、歳出約95億円。公営企業会計(3会計)は、総収益約39億円、総費用約41億円、純損失約2.8億円[129]。
環境
ごみ処理
ごみ排出量は11,058t(2020年度)で多少の増減は見られるもののやや減少傾向であるが、1人1日当たりでは1,028gとこの5年間で最も多く、全国平均(901g[130])よりも多い[131]。
家庭ごみ収集は無料(2022年1月現在[132])。収集したごみは、高梁地域事務組合クリーンセンターで処理を行う[133]。
下水・し尿処理
下水道整備率は44.2%(2024年[134])、集落排水普及率は0.2%、合併処理浄化槽整備率は38.1%で、合計した汚水処理人口普及率は82.5%。
し尿収集は有料。収集された浄化槽汚泥及びくみ取りし尿は高梁地域事務組合クリーンセンターで嫌気性消化処理及び希釈し、下水道に放流後、高梁浄化センターの終末処理場で処理を行う[135]。1987年10月の高梁浄化センター完成に伴い、下水道事業を開始した[99]。
都市宣言
- 非核平和都市宣言(2006年12月21日)
- 青少年健全育成都市宣言(2006年12月21日)
- ゼロカーボンシティ宣言(2022年6月15日)
- ベビーファースト運動活動宣言(2022年9月26日[136])
- こどもまんなか応援サポーター宣言(2023年7月20日[137])
市民憲章
2005年9月7日制定。高梁市慣行制定審議会の答申によって決定した[104]。なお、合併前の旧高梁市のもの(1955年4月14日制定)と同一[138]。縦読みで「たかはしし」と読める。
- 高梁市民憲章
- わたくしたちは、美しい山々と清流にはぐくまれた高梁市を愛し、豊かな伝統文化を受けつぎ、平和で明るいまちづくりを進めるために、
- 1 互いに助けあって、豊かなまちをつくりましょう。
- 1 輝かしい未来を築く青少年を育てましょう。
- 1 働くよろこびを感じ、健康と安全を大切にしましょう。
- 1 親切と感謝の心で、おとしよりに尽くしましょう。
- 1 自然を守り、伝統文化を高めましょう。
市章

高梁市市章は2005年3月24日に高梁市議会の議決により制定[103]。「限りなき紺碧の大空に躍進する高梁の頭文字(文化)Tに観光松山城を偲び産業資源(松葉で示す)は広く海外(生産)に伸びて(四方尖端)いる高梁市を表徴す。」と定めている[139]。旧高梁市の市章(1955年4月14日制定[140])と同じ。
市の花・木・鳥
高梁市の花はさくら、木はあかまつ、鳥はやませみである。2005年9月7日に高梁市慣行制定審議会の答申によって決定した[104]。
県の出先機関

国の出先機関
- 官庁
- 裁判所
- 特殊法人
- 日本年金機構高梁年金事務所
警察

消防
- 本部・消防署
- 高梁市消防本部 : 高梁市全域を所管。
- 高梁市消防署
- 西分駐所
- 高梁市消防署
- 消防団
高梁市消防団は、実員約1,300名。主な活動は、高梁市消防出初式(1月)、春の火災予防運動パレード・広報活動(3月)、高梁市消防操法大会(3月)、大規模水害訓練(6月)、夏季招集訓練(9月)、秋の火災予防運動パレード・広報活動(11月)、大規模災害対応訓練(11月~12月)、年末夜警(12月)など[144]。
分団は以下の通り(全14分団。2023年4月現在[145])。この他に女性消防団も組織している。
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広域行政
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議会
高梁市議会
→詳細は「高梁市議会」を参照
- 定数:16人
- 任期:2024年10月24日 - 2028年10月23日
- 定例会:3月、6月、9月、12月
- 議長:伊藤泰樹[146]
- 2024年10月現在。
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姉妹都市・提携都市・協定学校
海外
姉妹都市
高等学校との教育交流協定
なおこれとは別に、県立高梁高等学校がオーストラリア・アデレードのノーウッド国際高校と1991年(平成3年)から姉妹校協定を結んでいる。
日本国内
友好都市
その他
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施設
要約
視点
主な病院

市内の病院および診療所は、上記に精神科単科を加えた4病院、21診療所(2023年)である[150]。救急医療の扱いについては上記3病院が二次救急医療機関である。
産科については、2013年に市内に分娩を取り扱う医療機関がなくなったことから、分娩は市外の産科施設と連携を図りながら行える体制の確保が進んでいる。市の「ママサポート119」により、緊急時における産科施設へのアクセスの確保を進める。妊婦健診は地元で受けることができる。高梁市の妊婦は、総社市内と倉敷市内の医療機関で合わせて80%が出産している(2022年[151])。
子どもの医療費は、0歳から満18歳の3月31日までの子どもを対象に県内医療機関において医療費の窓口負担額が無料[注 13][152]。
環境衛生施設

- 高梁地域事務組合クリーンセンター(焼却・粗大ごみ・し尿処理施設)
- リサイクルプラザ(資源ごみ処理施設)
- 一般廃棄物最終処分場
- 高梁浄化センター(下水処理施設)
- 高梁市斎場
図書館

→「高梁市立図書館」も参照
市立の図書館として以下の1館4室がある。
文化施設
美術館・資料館は#美術館・資料館を参照

高梁市内の文化施設のうち、高梁総合文化会館は千席規模の大ホールを備える。隣にある高梁市文化交流館の中ホールは250席収容であり[154]、使用目的や規模で使い分けられる。これら2施設は市の中心部にあり、備中高梁駅から徒歩でのアクセスが容易である。
また、有漢町の高梁市有漢生涯学習センター、成羽町のたいこまるプラザ(成羽複合施設)、川上町の高梁市川上総合学習センターの3施設も多目的ホールを備えているが、いずれも市中心部から離れているため、備中高梁駅からは路線バスまたは車の利用が必須となる。
スポーツ施設


- 公立(公設民営も含む)
- 高梁運動公園(野球場、テニスコート、弓道場)
- 高梁市高梁市民体育館
- ききょう緑地(陸上競技場兼野球場、高梁市民プール)
- 高梁市神原スポーツ公園
- ハイランド公園(遊具公園)
- 高梁市有漢スポーツパーク(多目的グラウンド、補助グラウンド、グラウンドゴルフ場)
- 高梁市有漢地域センター(有漢総合グラウンド、有漢体育館)
- 高梁市成羽体育館
- なりわ運動公園(野球場、多目的グラウンド)
- 高梁市成羽武道館
- 高梁市川上総合運動公園(多目的グラウンド、テニスコート、グラウンドゴルフ場、川上体育館)
- 原滝山トライアル場(トライアルコース)
- 備中やすらぎの里(多目的広場など)
- 用瀬嶽フリークライミング広場
- 私立
- パインツリーゴルフクラブ
郵便局
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教育
高梁は古くから教育に熱心な土地柄で、江戸時代に藩校の有終館から多数の人材を輩出した。明治時代には岡山県で初の女子中等教育施設とされる順正女学校や、旧制高梁中学校(どちらも現在の岡山県立高梁高等学校)による教育的土壌がある。これが礎となり高梁市は学園文化都市づくりを掲げ[50]、学園と地域との連携および、その活動を支援する環境づくりに取り組んでいる[158]。
高等教育機関として私立大学1校を擁する。ただし、名目上は私立学校であるが高梁市の出資によって設立された学校法人順正学園の下にある学校で、実質上は第三セクター運営(半市立)の学校。そのためかつて(旧市二代目以降)の高梁市長は順正学園の理事職も兼務していた。なお、高梁市には大学連携室という部署が設置されている。
中等教育機関として県立高校2校、市立高校(定時制)2校、私立高校1校、市立中学校5校を擁する。初等教育機関として市立小学校11校を擁する。また、小中一貫の義務教育学校1校を擁する(2025年4月現在[159][160])。



大学
高等学校
→「岡山県高等学校の廃校一覧 § 高梁市」も参照
義務教育学校
- 高梁市立有漢学園
中学校
→「岡山県中学校の廃校一覧 § 高梁市」も参照
- 高梁市立高梁中学校
- 高梁市立高梁東中学校
- 高梁市立高梁北中学校
- 高梁市立成羽中学校
- 高梁市立川上中学校
小学校
→「岡山県小学校の廃校一覧 § 高梁市」も参照
認定こども園
- 高梁市立高梁こども園
- 高梁市立有漢こども園
- 高梁市立成羽こども園
- 高梁市立川上こども園
- おちあいこども園
幼稚園
- 高梁市立川面幼稚園
- 高梁市立福地幼稚園
学校教育以外の施設
保育園
- 高梁市立備中保育園
- 高梁中央保育園
指定自動車教習所
- 高梁自動車学校
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経済
要約
視点
高梁市内総生産(名目)は約1,484億円(2022年度[161])で、県内27市町村中10位。内訳は、第一次産業が約55億円(3.7%)、第二次産業が約705億円(47.5%)、第三次産業が約714億円(48.1%)、関税等その他が約10億円(0.7%)である。
高梁市内に就業する人のうち、市内在住者は74%、市外から通勤する人は26%(2020年[162])。また、高梁市内在住者のうち、市内へ就業する人は84%、市外へ就業する人は16%[163]。
高梁市民所得は約619億円(2022年度[161])。内訳は、雇用者報酬が約480億円、財産所得が約42億円、企業所得が約96億円である。
高梁市民のうち、15歳以上就業者数は13,890人(2020年[164])で、産業別では第一次産業が1,460人(10.5%)、第二次産業が4,032人(29.0%)、第三次産業が7,797人(56.1%)、分類不能601人(4.3%)。大産業別にみると、農業従事者の割合は全国割合の平均に比べ高い。農業従事者は10.5%(全国平均の約3.3倍)、製造業従事者は22.0%(同約1.4倍)、卸売業・小売業従事者は11.8%(同約0.8倍)、医療・福祉従事者は14.1%(同約1.1倍)。
農業

前述の通り、人口に占める農業を主とする人の割合は全国平均の約3倍と高い。農地は多くが標高400m前後の高原地帯に位置しており、冷涼な気候を生かした果樹や野菜の栽培が盛んに行われている[1]。
農作物の中でもブドウのニューピオーネ[注 1]とトマトは岡山県下最大の産地であり[16]、販売額も順調に伸びている[165]。
花卉園芸では、シャクヤクは中四国最大の産地であり、40件余りの農家が約2ヘクタールで栽培している[17]。ツノナス(フォックスフェイス)は中国地方唯一の産地である[166]。
高梁はもともと県下有数の葉タバコの産地であったが、収益性の高いピオーネやトマトへの転作や後継者難から、葉タバコの出荷量は減少した[167][168]。ツノナスも同様に葉タバコからの転作により栽培が始められたものである[169]。
また、高梁は古くからの茶どころでもある。昼夜の寒暖差が大きいことに加え、霧が紫外線を弱め苦みを抑える効果があり良質な茶葉が育つ。幕末には山田方谷が産業振興のため奨励した[170]。
市西部の川上町と備中町西油野・東油野・平川などの地区は、その地形からもともと取水が困難な地域であったが、昭和50年代から60年代に大規模な畑地灌漑施設が整備されたため、多様な園芸作物が栽培可能となっている[168][171]。2003年(平成15年)には備中町西山地区に灌漑施設付きの営農団地(榮農王国山光園)が整備された[172][173]。
地域(高梁市と吉備中央町旧賀陽町域)の黒毛和牛は古くから備中牛と呼ばれ、現在はJA晴れの国岡山がブランド化を進めている[174]。かつては長い期間、高梁市中心部で牛や馬の売買が行われていた。江戸時代から街路上で取引が行われていたが、明治時代に規制された[注 14]ため、1885年(明治18年)南町に高梁家畜市場が設置された。市場はその後取引頭数[注 15]で岡山県内最大、関西四大市場の1つに数えられる模範市場となった。しかし、飼育農家の減少などで牛の入場頭数は年々減り続け、1991年(平成3年)久世町(真庭市)の総合家畜市場への統合をもって高梁家畜市場は廃止された[175]。
養鶏では、市外の法人による大規模養鶏場が市内に点在しており、備中町西山地区、成羽町小泉地区、玉川町下切地区などで飼育される。
総農家数は2,559戸(2020年[176])、うち販売農家数は1,310戸。農業産出額(推計)は121.9億円(2023年[177])で、分類別で最も多いのは鶏51.5億円であり、次いで果実30.8億円、野菜10.1億円、米8.4億円、乳用牛6.5億円、肉用牛4.6億円と続く。
- 主な農産品
- ブドウ(ニューピオーネ、シャインマスカット、瀬戸ジャイアンツ等)
- トマト : 夏秋トマトは野菜指定産地(農林水産省が野菜生産出荷安定法に基づき指定する産地[178])。
- モモ
- シャクヤク
- ツノナス(フォックスフェイス)
- 茶(緑茶、紅茶)
- 牛肉(備中牛)
- 農林漁業団体
- 晴れの国岡山農業協同組合(びほく統括本部)
- 岡山県農業共済組合(備北支所、備中家畜診療所備北出張所)
- びほく森林組合
- 高梁川漁業協同組合
- 成羽川漁業協同組合
工業

製造業の事業所数は57(2020年、以下同じ[179])、従業者数は3,899人。製造品出荷額等額は約1,412億円(2019年、以下同じ[179])。製造品出荷額等を業種別にみると、輸送用機械器具が約741億円で最も高く、次いで金属製品が約333億円、非鉄金属(アルミニウム製品など)が約90億円、家具・装備品が約37億円、鉄鋼業が約36億円と続く。家具・装備品は、全国平均より従業者割合が高い[180]。
1960年代から90年代初頭にかけて工場などが立地した。多くの工場は高梁市内のみに工場を有し、特殊な製品を製造している事が多く、原料の搬入や製品の搬出は専ら道路交通に依存している[181]。
- 商工団体
- 高梁商工会議所(旧高梁市域)
- 備北商工会(有漢町、成羽町、川上町、備中町)
商業


商業では、代表する大規模小売店舗として、1990年に開業したゆめタウン高梁とポルカ天満屋ハピータウンがあり[注 16]、市民のよく利用する買い物先調査(2019年[182])でもこの2店舗が特に多い。ゆめタウン高梁は落合町阿部地区に、ポルカ天満屋ハピータウンは中心市街地南部に位置する。
ホームセンターチェーン店はジュンテンドー、DCM、ホームプラザナフコが、主な大型ドラッグストアチェーン店はザグザグ2店舗、ディスカウントドラッグコスモス2店舗が、家電量販店はエディオン、ヤマダデンキテックランドが、カー用品チェーン店はイエローハットが、衣料品チェーン店はしまむらが、家具チェーン店ではニトリがあり、いずれの店舗もゆめタウン高梁かポルカ天満屋ハピータウンのどちらかの敷地内または周辺(直線500m以内)に位置する。外食チェーン店も同様に数多く出店し集積が進んだ。
また、スーパーマーケットは上記の大型2店舗の他にも、成羽町にあるサンディ成羽ショッピングパークや川上町にあるハッピーライフいけだなども市民に多く利用される[182]。
備中高梁駅から100m西側のアーケード商店街である栄町商店街は、かつて備北地区一番の商店街として栄えた。駅開業前の1925年(大正14年)に住民が1日で道路を完成させたことから「1日道路」と呼ばれていたが、町が大きくなるにつれ多くの商店や映画館、パチンコ店が軒を並べた。1956年(昭和31年)頃には4館あった映画館が1973年(昭和48年)に姿を消した後、栄町通りをはじめとする市街地の商店街は、マイカーの普及や郊外型ショッピングセンターの出店などで客足が遠のいた[183]。
卸売業と小売業を合わせた事業所数は351(2021年、以下同じ[184])で、このうち卸売業は53事業所、小売業は298事業所。従業者数は1,884人で、うち卸売業は289人、小売業は1,595人。年間商品販売額は約372億円で、卸売業が約145億円、小売業が約227億円。
宅配事業拠点
金融機関
本社または拠点を置く企業
- 製造
- 製造(食品)
- 小売
- 金融
- 運輸
- 情報・通信
交通
要約
視点
鉄道

中心となる備中高梁駅には、特急「やくも」や寝台特急「サンライズ出雲」が停車している。
市内には5つの駅があるが、1日平均乗車人数の約93%を備中高梁駅が占める(2020年度[185])。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
バス
路線バス

高梁市内の路線バスは、主に備北バスが運行している。備中高梁駅に隣接する高梁市複合施設1階の高梁バスセンターを中心に市内各地や吉備中央町(旧賀陽町)、真庭市(旧北房町)へ向けて路線網を形成している。川上町から成羽町・落合町阿部を経由し、岡山市中心部(天満屋バスステーション)へ1日3-4往復運行する。成羽町坂本から新見市中心部へ向かう路線もある。路線の再編を行っているが、利用者数は減少傾向にある[42]。
- 備北バス : 主なターミナルは本社(川上バスセンター)、高梁バスセンター。
井原市の北振バスが川上町の西端または西南端の一部区間を運行している[注 19]。
- 北振バス
- 井原バスセンター - 弥高山入口
- 井原バスセンター - 佐屋
過去には、2016年11月まで備北バスが高梁 - 井原線を運行していたが利用低迷により廃止した[186]。
コミュニティバス
空港・吹屋直行バス
2022年、7月22日から11月20日の金・土・日・祝日に岡山桃太郎空港と備中高梁駅(東口)・吹屋を結ぶ直行バスを試験運行した[187]。2023年も7月22日から11月16日の金・土・日・祝日に備中高梁駅(東口)・吹屋および新見市とを結ぶエアポートラインを無料運行した[188]。
高速バス
高速バスは、岡山自動車道有漢IC本線停留所を経由する岡山 - 勝山線を中鉄北部バスが運行しているのみである。なお、有漢IC停留所は市内路線バス停留所に隣接している。
高梁市内が始点および終点となる路線、市内の一般道路を経由する路線は現在はない。過去には、1997年-1999年に備北バスが大阪梅田 - 中国川上線を運行していた。
タクシー
一般タクシー
- 備北タクシー
- ピオーネ交通
- 成羽タクシー
乗合タクシー
- 住民生活用
交通空白地域における高齢者等の移動負担軽減および、生活福祉バス利用低迷地域においてそれに代わる交通手段として、高梁市とタクシー事業者が事業主体となり乗合タクシーを運行している[189]。
- 備中ふれあいタクシー
- 川上ふれあいタクシー
- 玉川ふれあいタクシー
- 松原ふれあいタクシー
- 観光用
備中高梁駅前を発着する2路線が運行される。利用する場合は前日までに高梁市観光案内所(高梁市複合施設2階)へ予約する[190]。
- 備中松山城観光乗合タクシー
- 雲海展望台観光乗合タクシー(10月-3月のみ運行)
道路
高梁市内の国道、県道、市道の合計延長は約1,869kmで、県内市町村で4位(2020年[185])。
高速道路
一般国道


主な幹線道路は市の東側を高梁川沿いに南北に貫く国道180号と、市の南西から北東へ6本の高梁川水系[注 20]に沿って貫く国道313号である。これら2路線の重用区間が市中心部を通過する。また国道484号は市中心部から東へ伸び賀陽ICへのアクセス機能を持つ。
統計上最も交通量の多い箇所は、国道180号と国道313号との重用区間(観測地点は落合橋東交差点付近)で、1日約2万1千台(2021年[191])である。
主要地方道
- 岡山県道31号高梁御津線
- 岡山県道33号新見川上線 - 国道313号から市の西部を成羽川および坂本川に沿って北上し新見市へ続く路線であり、第2次緊急輸送道路に指定。
- 岡山県道35号倉敷成羽線
- 岡山県道49号高梁旭線
- 岡山県道77号美星高山市線
- 岡山県道78号長屋賀陽線
- 岡山県道85号高梁坂本線
一般県道


- 岡山県道106号布賀油木線
- 岡山県道107号奈良備中線
- 岡山県道156号賀陽有漢線
- 岡山県道169号西方巨瀬線
- 岡山県道196号高梁停車場線 - 駅前大通りと呼ばれる。
- 岡山県道197号方谷停車場線
- 岡山県道293号宇戸谷高梁線
- 岡山県道294号下鴫川上線
- 岡山県道297号高山芳井線
- 岡山県道298号上大竹種線
- 岡山県道299号布賀地頭線
- 岡山県道300号宇治下原線
- 岡山県道301号落合高倉線
- 岡山県道302号宇治鉄砲町線
- 岡山県道309号巨瀬高倉線
- 岡山県道310号西方北房線
- 岡山県道312号宮地有漢線
- 岡山県道313号大野部備中線
- 岡山県道320号若代方谷停車場線
- 岡山県道332号栗原有漢線
- 岡山県道435号宇治長屋線
- 岡山県道436号布寄下原線
- 岡山県道437号下郷惣田線
- 岡山県道438号西山布寄線
- 岡山県道440号上有漢北房線
- 岡山県道473号上大竹高山線
市道

高梁市道本町楢井線・高梁市道下町薬師院線
- 市街地を東西に流れる紺屋川の両側に位置する延長600メートルの区間は、美観性と機動性を基準に「紺屋川を挟む道」として、1987年(昭和62年)8月10日の道の日に旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」のひとつに選定されている。道沿いは、紺屋川筋とよばれる城下町の名残をとどめているところから、高梁市の美観地区に指定されている。ヤナギ・サクラが植栽され、紺屋川の川床を石張りにするなど道路景観の向上が図られた並木道で、岡山県の重要文化財に指定され、岡山県最古のキリスト教会である高梁基督教会堂をはじめとする沿道の名所・史跡への散策路にもなっている[192]。
主な街路
その他の道路
航空
最寄りの空港は岡山桃太郎空港(岡山市)。高梁市内からは電車で倉敷駅または岡山駅に行き岡山空港リムジンバスに乗り換える。
バスの項で記述の通り、2022年・2023年に期間限定で岡山桃太郎空港と備中高梁駅(東口)・吹屋を結ぶ直行バスを試験運行している[187][188]。
通信
要約
視点
電話
- 固定電話
市内は高梁MAに属し、市外局番は0866(20~29,40~59) となっている[196]。
- 0866(20~29,40~59) エリア - 高梁市・真庭市(北房地区)・吉備中央町(賀陽地区全域と加茂川地区の一部)
- NTT西日本 21-23、25-26、28-29、42、45、48、52、54-57
- 高梁市内の収容局 : 高梁、巨瀬、高倉、中井、宇治吹屋、成羽、備中、川上、有漢[197]
- NTTコミュニケーションズ 27
- KDDI 51
- ソフトバンク 58
- その他は空き番号
- NTT西日本 21-23、25-26、28-29、42、45、48、52、54-57
- 移動体通信
携帯電話の販売代理店は以下の通り。
郵便

メディア
新聞
- 山陽新聞高梁支局
放送
- ケーブルテレビ
吉備ケーブルテレビは1996年に事業開始し、市町合併後には2006年から有漢で、2010年から成羽・川上・備中でもサービス開始[注 24]。民間事業者であるが、高梁市行政放送など行政制作番組も放送する。河川監視カメラの映像も視聴可能[198]。
かつては、公営の高梁市成羽有線テレビジョンも存在していた。旧成羽町が開設し合併後は高梁市が引き継ぎ運営していたが、高梁市情報化計画の過程で民間事業者である吉備ケーブルテレビに業務を一本化することとなったため廃止された[199]。
- 地上波テレビ放送

市の中心部では高梁UHF局と高梁松山局が同じ場所にあるため、UHFアンテナ1本で全チャンネルを視聴することができるが、アナログ放送ではTSCテレビせとうちのみ中継局を設置していなかった。デジタル放送ではTSCも置局しているため、ケーブルテレビに加入しなくても全チャンネルが視聴できるようになった。
高梁中継局が受信できる高梁市中心部では各世帯でアンテナを立てて直接受信で視聴している世帯が多いが、それ以外の山間地域では、設置されている中継局がNHKのみか、民放が置局していても在岡2局(RSK・OHK) しか置局していない場所が多いため、アンテナを立てずケーブルテレビに加入したり共同受信アンテナなどを経由して視聴している世帯が多い。
- FMラジオ放送
- AMラジオ放送
NHKは中継局がないため岡山市にある本局を直接受信するが、夜間は混信妨害がある。山陽放送高梁ラジオ局はAMステレオ放送を実施していたが、2011年3月21日よりモノラル放送に戻った。
生活基盤
電気

発電
才賀藤吉が1911年(明治44年)11月に事業許可を受け[200]、1912年(明治45年)1月北備電気を設立[201]。発電所(瓦斯力、出力60 Kw)を松山村に建設。1912年(明治45年)6月に事業開始し供給区域は上房郡高梁町、松山村、川上郡成羽町[200]。1915年(大正4年)3月には成羽町羽山に水力発電所(60 kw)を建設し[202]、合併前年には供給区域が上房郡10か町村、川上郡5か町村、吉備郡3か村まで拡大した[203]。1923年(大正12年)6月に備中電気に合併する[204]。
中国電力は備中町の成羽川中流部に新成羽川ダム、田原ダム、黒鳥ダムの3つの発電施設付きダムを建設し1968年(昭和43年)に完成した。
- 主な発電所
すべて中国電力。
- 新成羽川発電所 - 水力発電所、30万3千kW。
- 田原発電所 - 水力発電所、2万2千kW。
営業所など
- 営業所
- 中国電力高梁セールスセンター
- 配電
- 中国電力ネットワーク高梁ネットワークセンター
- 変電所
- 中国電力ネットワーク新岡山変電所
水道
ガス
観光
要約
視点
高梁市は備中松山城や日本遺産吹屋という2大観光地を持つ[207]。観光客数は、天空の城ブームとなった2016年度に52万人を迎え入れている[208]。
文化財
詳細は「高梁市内の文化財」参照[209]。
遺産
百選
名所・旧跡・観光スポット
- 高梁
- 松山城(国の重要文化財、現存天守で唯一の山城で最も高い場所に位置する)
- 城下町高梁(中心市街地のうち主に江戸時代に整備された地区、および周辺の寺院[210])
- 高梁市複合施設(高梁市図書館、蔦屋書店、スターバックスコーヒー、高梁市観光案内所、高梁バスセンターほか複数店舗)
- 高梁観光交流センター「ATTa!」(トヨタレンタカー、高梁市役所観光課、高梁市観光協会など)
- 備中高梁稲荷神社
- 愛宕ループ橋展望台
- 松山城雲海展望台
- 高梁美しい森(キャンプ場)
- 山中鹿介の墓
- 高梁自然公園(キャンプ場)
- 高梁グリーンパーク
- 松原霧の海展望の丘(雲海の名所)
- 元仲田邸くらやしき
- 祇園寺
- 方谷園
- 方谷駅駅舎(登録有形文化財)
- 有漢町
- うかん常山公園
- 有漢農村公園
- 臍帯寺石幢及び石塔婆(国の重要文化財)
- 大平山展望台(雲海の名所)
- 成羽町
- 川上町
- 備中町
- ギャラリー
美術館・資料館


- 高梁市成羽美術館
- 吉備川上ふれあい漫画美術館
- 高梁市歴史美術館(高梁市文化交流館内)
- 高梁市郷土資料館
- 山田方谷記念館
- 方谷の里ふれあいセンター
- 景年記念館
- 備中郷土館
- 川上郷土資料館
祭事・催事

太字は伝統芸能。
スポーツチーム
名物・銘菓・工芸品
- 銘菓
- 名物
- 工芸品
出身・関連著名人
要約
視点
出身人物
城または藩の要職
軍事
政治・行政
官僚
経済
- 井上公二(実業家、帝国生命保険取締役社長)
- 森寿五郎(実業家、関西電力副社長、丸善石油代表取締役会長)
- 笹田直二郎(実業家、日窒財閥首脳陣、関連4社取締役)
- 塩田卓爾(実業家、元九州耐火煉瓦代表取締役会長)
- 福本柳一(官選県知事・実業家、全日本空輸副社長)
- 橋本徹(銀行家、元富士銀行代表取締役会長)
- 安原裕(実業家、元富士紡績代表取締役会長)
- 伊藤謙介(実業家、元京セラ代表取締役会長)
- 大橋洋治(実業家、元ANAホールディングス取締役会長)
- 大田弘之(実業家、元テレビせとうち代表取締役会長)
- 小池明夫(実業家、元北海道旅客鉄道代表取締役会長)
- 田井一郎(実業家、元東芝副社長、日本精工社外取締役)
- 森澤寛二(実業家、元伊藤忠商事副社長・顧問)
- 蛭田道夫(実業家、元日本環境認証機構社長)
- 沼田伸彦(報道家、元デイリースポーツ社長)
- 伊賀章(開発者、Suica等の非接触カード開発)
学術
- 赤木五郎(医師、岡山大学学長)
- 天野昇(日本原研副理事長)
- 大本修(工学者、金属バット開発)
- 亀山佳明(龍谷大学名誉教授)
- 久留島喜内(和算家)
- 国分三亥(検事、朝鮮総督府法務局長、二松學舍理事長)
- 佐藤巌(岡山大学名誉教授)
- 田井庄之助(大分大学教授)
- 田村雄一(京都大学名誉教授)
- 団藤重光(東京大学名誉教授)
- 綱島梁川(思想家)
- 土井康作(鳥取大学名誉教授)
- 留岡幸助(教育家・宗教家・社会事業家)
- 猶原恭爾(山地酪農を提唱)
- 中島重(同志社大学教授、社会学者)
- 中島俊治(情報工学者)
- 長野新十郎(大阪高等商業学校教授)
- 鳴瀬恒太郎(哲学者)
- 難波英夫(社会運動家)
- 二宮邦次郎(牧師、教育者)
- 野本真也(同志社大学名誉教授)
- 林癸未夫(早稲田大学総長代理)
- 藤井昭平(教育者)
- 藤岡一男(秋田大学名誉教授)
- 福西志計子(繁)(教育家、順正女学校創設者)
- 細川汀(医師、『過労死』の名付け親)
- 間野博行(医師、国立がん研究センター所長)
- 美澤進(横浜商法学校初代校長)
- 三村晃功(京都光華女子大学名誉教授)
- 三宅儀(京都大学名誉教授)
- 宮脇昭(横浜国立大学名誉教授)
- 森謙治(東京大学名誉教授、化学者)
- 安本美典(産能大学教授)
- 山田済斎(陽明学者、二松學舍名誉学長)
- 横山有策(イギリス文学者)
- 横屋猷(東京大学・長崎大学教授)
- 米川正夫(ロシア文学者)
芸術
スポーツ
芸能
ゆかりの人物
居住した人物
名誉市民
高梁市の歴史において功績を遺したとして市民推戴された人物。高梁市出身者は除く。
高梁市が舞台または市内で撮影した作品
- 映画
- 『男はつらいよ』シリーズ
- シリーズで2回物語の舞台となっている。高梁は寅次郎の義弟である博(演:前田吟)の両親の住む町という設定で、博の実家となった石火矢町ふるさと村の武家屋敷や、備中高梁駅、紺屋川筋をはじめとする市街地で撮影された。特に2回目の舞台となった『口笛を吹く寅次郎』(1983年)では、前述の場所に加え物語の中心となる薬師院や、頼久寺、高梁川、方谷林公園など、『寅次郎恋歌』(1971年)よりもさらに多数の場面で高梁の風景が見られる[3][4]。
- 『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(1971年公開)
- 『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』(1983年公開)
- 『八つ墓村』
- 『あずみ』(2003年公開):原滝山トライアル場でロケ。
- 『石井のおとうさんありがとう』(2004年公開):高梁基督教会堂、旧折井家でロケ。
- 『県庁の星』(2005年公開):ポルカ天満屋ハピータウンでロケ。
- 『バッテリー』(2007年公開):市内多数の箇所でロケ。
- 『釣りバカ日誌18 ハマちゃんスーさん瀬戸の約束』(2007年公開):西江邸でロケ。
- 『大地の詩 -留岡幸助物語-』(2011年公開):留岡の出身地。和田町の八幡神社でロケ。
- 『ルパンの奇巌城』(2011年公開):備中松山城でロケ。
- 『家族の日』(2016年公開):物語の舞台。市内多数の箇所でロケ[227]。
- 『ういらぶ。』(2018年公開):紺屋川筋、松原町内でロケ。
- 『みとりし』(2019年公開):物語の舞台。市内多数の箇所でロケ。
- 『燃えよ剣』(2021年公開):吹屋ふるさと村郷土館、頼久寺でロケ。
- テレビアニメ
- テレビドラマ
- 『行きずりの街』(テレビ朝日、2000年放送):市内多数の箇所でロケ。
- 『火垂るの墓』(日本テレビ、2005年放送):吹屋の町並みでロケ。
- 『99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜』(TBS、2010年放送):吹屋の町並み、旧吹屋小学校でロケ。
- 『カーネーション』(NHK、2011年放送):旧吹屋小学校でロケ。
- 『ごちそうさん』(NHK、2013年放送):旧吹屋小学校でロケ。
- 『レッドクロス〜女たちの赤紙〜』(TBS、2015年放送):吹屋地区の数箇所でロケ[228]。
- 『警視庁岡部班 倉敷殺人事件』(TBS、2017年放送):市内多数の箇所でロケ。
その他、吹屋(旧吹屋小学校、吹屋の町並みなど)、城下町高梁、備中松山城を中心に多数のテレビドラマの撮影が行われている。
- 音楽
- 『高梁慕情』井上由美子(2012年発売)
マスコット
備考
脚注
参考文献
外部リンク
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