小野元之(おの もとゆき、1944年昭和19年)11月25日[1][2] - )は、日本文部官僚関西大学客員教授。同志社大学客員教授。初代文部科学事務次官独立行政法人日本学術振興会理事長を歴任。学校法人城西大学理事長代理、パナソニック教育財団理事長、学校経理研究会理事長を兼任。

概要 おの もとゆき 小野 元之, 生誕 ...
おの もとゆき

小野 元之
生誕 (1944-11-25) 1944年11月25日(80歳)
日本岡山県高梁市
国籍 日本
出身校 京都大学法学部
職業 官僚教育者
肩書き 初代文部科学事務次官
日本学術振興会理事長
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略歴

2002年の新学習指導要領施行に基づく「ゆとり教育」の行き過ぎに対して小野次官や遠山敦子文科相はその危機感を共有し、2001年1月に遠山文科相が発表した緊急アピール「学びのすすめ」において、「学習指導要領は最低基準」だとしてそれまで許可されなかった学習指導要領を超える記述が容認されるようになった。学習指導要領施行前にはテレビやラジオ、新聞などに顔を出し、責任者として賛成の立場を表明しながら「ゆとり教育」への理解を求めたが、「3割カットするというのは間違いです。3割カットしません」「全員に100点を取ってもらうというのは間違いです」などマスコミ報道や広まった誤解について修正する発言がみられた。
「追いつけ型の教育」から、1992年度・2002年度の学習指導要領や臨教審の底流にある「21世紀型の教育」へ転換すべきであるという流れは一貫しているが、「国民として必要な基礎的・基本的な内容を重視」する1977年度の学習指導要領内容へ立ち返ったものだとされている。
翌2003年には、中央教育審議会によって学習指導要領の一部改訂が答申された[6]

社会的発言

  • 毎日新聞(2001年8月20日)

「大学では過激な学生運動をしていた。権力を倒すには暴力が必要であると考え本気でデモもした。」「しかし本当に世の中を変えるには内部に入ってやらねばと公務員になりました。」

社会的活動

受賞・受章

脚注

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